7話「生理」
『冬浦小依は色目を使って不良を利用しいじめを行っている』
出席停止が終わり、中学校に足を運ぶとそんな噂が教室を出て、学年中に蔓延していた。
勿論事実無根である。色目を使った事なんて一度もないし、誰かをいじめたのだって……。水瀬以降は誰もいじめていない。
しかし、最早それが中学での共通の認識で、かつ広まり方も『色目を使って』なんて最低な要素を含んでいるばっかりに俺は女子からも男子からも無視されるようになり、二日経った。
「それじゃ行ってきます」
「ん、行ってらっしゃい」
誠也さんが家を出て、それを見送って飯を食い終えて、食器を片して着替える。いつもの変わらないルーティーンだ。
「……えっ」
パジャマを脱いだら、パンツに茶色い染みが出来ているのに気付いた。赤いのもある、血だ。なんか、股から出血している。
「せ、生理……っ」
生理、というか初潮というやつか? 分からない、股から血が出ていて怖い。スマホを開いて初潮について調べる。どうしたらいいんだこれ!?
「はあ、はあっ、なんなのこれ、分からねえよまだるっこしいんだよ書き方が! まず最初にどうすればいいんだよ!!?」
テキトーに開いたサイトに目を通すが、初めて来る年齢は何歳くらいからだとかおりものがどうだとかくだらない興味のない話ばっかりで肝心の"今この瞬間どうするべきか"に辿り着けなくてパニックになりそうになる。
「ポーチ!? ナプキン!? と、とにかく拭けばいいのか、拭いて、ナプキンってやつを着ければいいのか……?」
トイレに走ってトイレットペーパーを巻いてパンツを取る。……そ、そんなに大出血って訳じゃないけど、やっぱり股に血がついてる。
血を拭き取ってトイレットペーパーをトイレに流す。あ、バカ! 生理って股から出てくるんだろ? 流したらダメだろバカ! もう一度トイレットペーパーを巻いてそれを股に押し付けながら自分の部屋に戻る。
「ナプキン、確か病院の人が色々俺に渡してくれたはず!」
俺は「生理が来た時のために」と言ってビニール袋を手渡してくれた病院の人の事を思い出し、部屋を漁る。
「あ、あった!」
しばらく探してみたらあった、ナプキンと生理の時に履くパンツ? みたいなのとポーチ! あ、痛み止めも入ってる。
「こ、これを貼るのか……ひ、昼用と夜用? 夜も別で必要なの? 持ち歩かないといかんの……?」
なんか色々出てきた、形が違うのとか。何これ、意味が分からん。てか今、朝だし。昼用を着けていればいいのか……?
「多い日は2、3時間おき、そうでなくても4、5時間に変える……? めんどくせぇ……」
スマホを見ながら色々情報を集め、不器用ながらもナプキンをパンツに貼ろうとしたのだが、男用のパンツだと貼りにくいのか……? トランクスに貼れないのだが……。
「サニタリーショーツ……?」
調べたら生理の時に履くパンツというのがあるらしい。パンツというかショーツ? どっちでもいいが。それが袋に入っていたやつか。
なんとかネットに頼って股間の装備を完遂させると、もう既に朝の会に間に合う時間帯を大幅に過ぎていた。
「……はぁ」
一応、制服には着替えたが。家を出る前に足が止まってしまった。
休むか。別に、一日休んだ程度で何かある訳でもないし。
「……生理、か」
色々試行錯誤したせいで荒れた部屋の中を片付け、下半身の感覚が気持ち悪いので制服のズボンだけ脱いでパンツ剥き出しのままベッドの上に寝転がる。
「まじで女じゃん。だる……」
ベッドに寝転がったまま、画面を消したスマホに映る自分の顔を見て呟く。
母親が俺を孕んだのも、丁度今の俺ぐらいなのかな。16歳で産んでて、誕生日が8月だから……全然まだまだ先か。でも、1年切ってるんだよな。
誠也さんも度々言うが、本当に俺の容姿は若い頃の母親にそっくりだ。
もう数ヶ月もしたら俺は、俺を孕んだ時の母親と同じ姿になって、3、4年経てば幼い頃に見た母親の姿を鏡で見る事になるのだろう。
「気持ち悪……」
頭の中が男のまま、身体がどんどん女へと近付いていく嫌悪感。最悪な気分だ。悔しいとか悲しいとかそういう強い感情では無いが、無気力になる。
「女になんか、なりたくないのに……」
天上を向いて、手を伸ばす。クラスメートの男達とは違った、小さくて白くて丸っこい手が映ってすぐに嫌な気分になる。
「……寝よ」
何も考えたくなくて、俺は目を閉じた。
*
股を触られている。
血が垂れていたはずなのに、俺の股の肉を指で掻き分けて、その中を指で優しく触っている感触がする。
眠りから覚めると、妙な感覚に襲われた。
チク、タク、と秒針が動く音と、少しだけ水気を含んだクチュクチュという音が部屋に響く。
聞いた事ある音だ。だからきっと、それを認識してしまえば見た事ある光景が目の前に広がって、俺は更にどん底の気分へと叩き落とされるのだろう。
母親がよくされていたやつだ。そこからどういう行為に繋がるのかも理解している。すぐ目の前で見てきたのだから。
「……誰だか知らないですけど、やめてください」
誰がやっているかなんて分かっている。だって、ここは俺の家で俺の部屋だし。でも敢えて相手が誰か分からない事にして、俺の股を触っている男を見ないまま話し掛ける。
「今消えたらこの事は忘れる。消えないなら、あんたを今ここでぶっ殺してやる」
そう言うと、股から手が離れていった。目を閉じたままだから相手の姿は見えないが、足音だけそそくさと部屋から出ていくのを感じた。
少し待っていると、玄関を開けた音がした。完全にこの家から出ていった。
はあ……あの父親、ついに息子にまで手を出しやがったか。いや、娘か? どっちでもいいわ。
「……あれっ」
スマホを見たら、まだ時間は18時過ぎで誠也さんが帰ってくるような時間ではなかった。え、誠也さんじゃないの? じゃあ誰?? 強盗かなにか!?
「ひ、ひぃ……」
まさか夢でも見ていたのかと疑って自分の股を見たが、やはりパンツを下ろされ触られたかのように液が垂れていた。こっわ! 誠也さん以外となると誰だ? 俺の家を知ってる学校の誰かとか……?
「そ、そうだよな。学校休んだら普通、プリントとか届けに来るもんな……」
うわ、うっわ! これ絶対に学校の誰かに股を弄られたじゃん。気持ち悪! 最悪だ、なんか吐き気してきた……。
しばらく腹の奥から登ってくる気持ち悪さに耐えかねトイレで嘔吐していたら今度こそ誠也さんが家に帰ってきた。吐き終えたのとほぼ同タイミングだった。
「おかえり、誠也さん」
「うんただいま小依くっ、小依くん!? ズボン履こうか! お父さん男だからね!?」
「……よかった、やっぱ誠也さんじゃないっぽい」
「? よく分からないけど、そんな格好で家をうろつくのは……いや待って、そういえば家入る時鍵しまってなかったけど。もしかして鍵開けたままその姿で過ごしていたのかい!?」
「え? まぁ……」
「不用心すぎる!?」
「そんな事言われても」
「変な人が入ってきたらどうするの!」
入ってきたんだが。既に手遅れだが。まぁ、指で触られただけでそれ以上の事はされてないからいいけどさ。
「全く。というか、女物の下着を履いてるんだね。洗濯する時男物しか無いからてっきり下は男物のままなのかと思っていたよ」
「生理来たんすよ」
「えっ!? 痛みとか大丈夫?」
「んー……ちょっと怠いのと熱っぽいくらいで。痛みとかは特に」
「そうか。まあ、今後もしかしたら痛みが酷くなったりするかもしれないから、痛み止めとか買っておく?」
「袋にありました。病院の人がくれた袋ん中」
「それは助かるね!」
誠也さんが袋からスーパーで買った食材を出して冷蔵庫に入れていく。部屋着に着替えて、俺もその手伝いをしようと近付く。どうせ酒の缶が邪魔で入れるのに難航してるだろうし。
「今日学校休んだのはそういう理由だったんだね」
「知ってたんすか」
「学校から連絡来てね。家に電話掛けても出ないから心配したよ」
「心配?」
「え? うん。ほら、変な事件に巻き込まれたりしたら大変じゃないか」
へぇ、そんな事で俺を心配するのか。変わった人だな。
「意外と優しいんですね、誠也さんって」
「え? ……何の話?」
「いやいや。そんなちょっとした事で他人を心配とか。普通しないでしょ」
「いやするでしょ。自分の子供だよ?」
「自分の子供ならそんな事で心配になるんすか?」
「なるよそりゃあ、勿論」
「へー」
学校からの連絡、ねぇ。母親なんか全部すっぽかしてたけど。
まあでも、そもそも俺が休む時って、母親に殴られすぎて熱出してる時とか車で遠くに連れてかれて放っとかれてる時ばかりで、学校にバレたら困るって場面ばかりだったってのもあるか。そりゃ無視するわな、学校からの電話。
「……ずっと気になっていたんだけど、依愛はどんなお母さんだったの?」
「え? どんなって、別に普通の母親でしたよ」
「普通の?」
「はい」
「……にしては君はちょっとばかり、普通の子と感性がズレているというか、今回の事もそうだし」
「なんすか急に」
「親が子供を心配することは当たり前の事だろ? それをまるで、今初めて知ったみたいな反応したろ」
「今初めて知りましたけど」
「……」
俺が当然のように答えると、誠也さんの手が止まった。彼は呆然とした目で俺を見ると、膝立ちのままこちらに近付いてきて、床に座り込んでいる俺を優しく抱きしめてきた。
「ごめんな小依。お前を残してしまって、本当にごめん……」
「……?」
なんか泣かれてしまった。どういう状況なんだろう、よく分からない。ごめんと言うならそもそも自分が捨てた家族を想ってごめんなさいするべきだと思うのだが。
俺は不倫相手の子供だろ。別に謝られる筋合いないな。序列下じゃんね、本丸の家族よりも俺の方が。
「小依! 今までは依愛に育てられてたからてっきり僕はあまり干渉しない方がいいのかもと思ってたけれど、考えを改めるよ。他人行儀なのは辞めよう!」
「はあ。どうでもいいっすけど、誠也さんオヤジ臭い」
「今年で40になるからね! これが父親の匂いだよ!」
「決して良い匂いとは言えない……」
真剣に臭いので誠也さんを突き放し食材の整理整頓に戻る。ったく、いきなりベタベタしてきてなんなんだこいつ気持ち悪い。美意識はあるおっさんだからまだマシだけど、小汚かったら頭突き食らわせてたわ。
その後、謎に張り切った誠也さんの気合いの入った手料理を振舞ってもらい、なんかスイッチが切り替わったように感じる誠也さんと会話を交わして風呂に入り眠りについた。
誠也さんはよく分からないから置いといて、俺の股を触ってきた何者かに思考を巡らす。ベッドの脇に乱雑に置かれていた学校のプリントから、犯人はクラスメートの誰かである事は間違いない。
俺の家を知っている誰かの犯行だ。でも、俺の家を知っている人間なんて、咲那か低学年の頃付き合いのあった連中しかいないはず……。
いや、あと一人居た。クラスメートではないが、クラスメートのツテを使って俺に復讐をしてきそうな、俺の家を知っている人間が。
水瀬だ。アイツは自力で俺の家を見つけ出したことがある、いじめられてすぐの頃だった。
アイツなら俺の事を強く恨んでいるはずだし、今俺はクラスでよく思われていないから小学時代繋がりがあったクラスメートからプリントを預かりこの家に来た可能性は十分にある!
そして、風邪でダウンしてるかと思いきや眠りこけているパンツ丸出しの俺。……ここから先、どう思ったかは気持ち悪いので想定したくないが、つまりその流れで俺に乱暴しようとした可能性は高いだろう!!!
「あの野郎……見つけ出してボコしてやる」
やる事がひとつ決まった。水瀬を見つけ出し、ボコす。
明日は早めに起きて学校に向かいアイツを待ち伏せしよう。学校に着く前に人気のない場所に誘い出し、ボコしてやる!!
俺は電気を消し、早起きに備えてベッドの潜り込み目を閉じた。絶対に後悔させてやる……!