番外編『冬の教室②』
冬浦から飲みかけのコンポタ缶を貰ってしまった。
こんな事一々意識するのはキモいだろうと思いつつ、好きな女子からそんなもの貰ったら意識しないはず無いだろうという考えが衝突する。
冬浦の飲みかけ。温度はまだ温く、飲み口は湿っている。
……い、いかんいかん。何を考えてるんだ俺は。流石に飲みかけの飲み物を貰って相手の口元を想像するのはダメだろう。不健全だろうそれは。邪な考えを排そうと頭を振る。
「なに缶なんか見つめてんの西野? それ嫌いなん? 飲もうか?」
「死にたいのか?」
「えっ」
机の上に置かれた缶に手を伸ばしかけた友人を鋭い眼光で睨む。手をつけあぐねているのは事実だがこれを他人に奪われるのは違う。それはダメだ、絶対にダメだ。これを死守する為なら俺は鬼にでもなるぞ、これは俺の物だ。
冬浦を見る。彼女は間山に抱きつかれながらも相変わらずの眠たげな目で暖を取っていた。
勝手に視線が口元に集中する。やわらかそうな唇、リップが塗られているのか冬なのに潤いがある。その口から出てくる声は鈴の音ように綺麗で、仲の良い人間と話す時は口調が砕けて乱暴な口調になる。そのギャップも、俺に話す時の当たり障りない女子みたいな口調もどちらも愛らしい。
「……?」
「あっ」
「どしたのー小依?」
「んーん、なんでもない」
欠伸をした冬浦と一瞬目が合った。彼女は俺の視線に気付くと儚げな微笑を浮かべて小首を傾げ『どうしたの?』とでも言いたげな目を送ってきた。
可愛すぎないか? あまり意識しすぎたら冷静に授業を受けられなさそうなので缶に視線を戻す。
……制服の上から厚手のコートを着て、マフラーも巻いて、手袋もして、タイツも履いて。全身ぬくぬくコーデに身を包みシルエットが丸くなってる所がまた可愛いんだよな。
雪国の可憐な村娘って感じだ。地雷っぽい、メンヘラっぽいと言われつつも冬浦って何着ててもサマになるよなぁ……。
「いかんいかん……」
また冬浦の方を見てしまっていた。平常心を取り戻せ、俺。人をジロジロ見るもんじゃないぞ、それは相手に失礼だ。落ち着け、落ち着けー……。
「ふーむ……」
彼氏持ちの女の子の飲みかけの缶。そんなものに口を付けていいのだろうか? 間接とはいえキスになる、そんな事が許されるのか? 何かしらの罪に当たらないのか?
玉砕するのも厭わず冬浦にはいつか告白してみせると意気込んではいるが、先に間接キスなどという階段飛ばしじみたイベントを遂行しても良いのだろうか。
やばい。何の変哲もないはずのただの缶が禁忌の箱に見える。心無しかいつもより光沢が増しているように感じるぞ。なによりも飲み口の光沢が特に妖しく光ってる気がする。
ここに冬浦が口を付けた、その事実がありありと感じられて理性が暴走しそうになる。たかが間接、されど間接。キスという言葉が何度も頭の中を反響して俺の心臓をバクつかせる。
「不貞は罪。キスは愛ある行為、間接キスは間接不貞に当たる。良くないな。でも、指で触れるくらいなら……」
唇同士の接触でなければそれは不貞行為と呼べないだろう。それ未満の行為に落ち着くだろう。そう自分に言い聞かせ、俺はそっと缶の飲み口に人差し指を当てた。
「……いや待て。よく考えろよ俺」
飲み口の光沢をしばらく指で擦った後にある事に気付き指を離す。
確かに恋人以外とのキスは良くない事だが、恋人以外の異性に唇を触られるというのは果たして許されるべき行為なのだろうか?
人差し指だけとはいえ、その指先で唇の膨らみをなぞられるのは果たして健全な行為と呼べるのだろうか?
否。それは健全ではない。健全ではないだろう。だって、そんなのもう愛撫じゃん。前戯じゃん。これから愛し合う男女の前哨戦じゃん。良くないって。
「やってしまった……!」
なんて事だ。なんて、事だ。告白をする前に冬浦の唇を指で堪能してしまった。水瀬に対し操を立てている冬浦のプルンとした唇を、柔らかそうで暖かそうでなんとなく甘い味がしそうな唇を指で擦り上げてしまった。
許されざる行為をしてしまった事で腹の底に罪悪感がたまり自己批判の意識が下腹部に集中する。こんな事で興奮している自分が情けなくて自分の頬をぶん殴ると、隣の席の女子にギョッとした目で見られた。
「俺は罪人だ……」
「え?」
「見ないでくれ鶴舞、こんな情けない俺を」
「……え?」
隣の席の女子が非難の目で俺を見てくる。当たり前だ、恋人がいる女の子の唇を指で堪能してしまったのだから。
冬浦の、想像するより固くてまるでスチール缶のような唇を堪能してしまったのだ。
そんなの女からしたら正しく女の敵、目の敵にするのが常道。憎く思うのも仕方ない。だが今は許してほしい。
俺は冬浦の事が好きだ。恋心ってのは厄介なもので、理性的であろうとする意志を食い潰して狂気へと誘ってくる。
さながらコイツは人に取り憑く悪魔だ。なるほど、サキュバスという存在は確かにこの世に在ったというわけだな。
「……しかしだ。不貞行為を働いたと言ってもまだ本番のキスまで行なったわけではない。されど指、たかが指。ふむ……鶴舞」
「ひゃいっ!? な、なにかな? 西野くん……」
「今ここで俺が指を唇に付けたとしたら。それは不貞になるのだろうか」
「……はい?」
「指、指なんだよ鶴舞。俺はあくまで指で唇をなぞっただけなんだ」
「唇……?」
鶴舞は俺の机の中心にポツンと置かれたスチール缶を見る。どうしたのだろう、この缶になにか思う所でもあるのだろうか。
「彼氏持ちの子の唇をなぞった指を自分の唇に当てる。これは果たして不貞行為になるのだろうか。女性として忌憚なき意見を聞かせてほしい」
「……唇?」
「あぁ。唇だ」
「……えぇ?」
鶴舞は俺とスチール缶を交互に見て不可思議な声を上げた。なんなんだよ、このスチール缶になにかおかしな所でもあるのか? 欲しいって言われてもあげないぞ、冬浦の飲みかけなんだし。
「……えっと。恋人の居る女の人の唇を触る時点で不貞? というか、不純なのかなって、思いはするかな」
「それについてはもう頭の中で完結した。俺は最悪のゲス野郎だよ。自覚してる」
「缶を触っただけだよね……?」
「あぁそうだ。情けないよな、俺」
「えぇ……」
鶴舞は俺の呟きに「ええ」と肯定した。分かってるさ、自分がどんな奴かくらい。見下すのなら見下せばいい、それだけの事をした自覚はある。責められる覚悟もある。でも俺はその先、その行為の先にある行為の善悪を問いたいんだ。
「えっと……缶を触った指を唇に付けるのは……全く意味がわからないけど、別に悪い事じゃないんじゃないかな」
「本当にそうかな」
「えっ」
「甘く考えてるんじゃないか? いいんだぜ、クラスメートだからって気を遣わなくても」
「え。遣ってない……」
「唇を触った指で唇を触る。これってほぼ間接キスみたいなものだろ。下手するとそれよりも生々しい行為だ。唇と唇の間を中継している物が俺の指先なんだからな」
「えぇ……唇と唇、というか唇と缶と指と唇だよね。中継地点一つ多いから厳密には間接キスとも」
「本当にそうかな」
「えっ」
「この缶の飲み口には冬浦の唾液が付着しているんだぞ。アイツ、舌切れてるだろ。スプタンってやつだろ。舌は何か異常があると唾液が多く分泌される事が多い。つまり冬浦の唾液量は恐らく常人の二倍以上。この方程式を構築した場合、缶の飲み口に付着した冬浦の唾液と中の液体に含まれる冬浦の唾液含有量は同じく通常の二倍という計算になる」
「えぇ……」
「間接キスは直接唇をつけていないキスだから間接と呼ばれているわけで言い換えれば二分の一キスという表現も出来るわけだ。半分キスになるわけだよ。でも唾液含有量が多い冬浦がそれを行った場合、半減された物にかける二をして通常と同じキスとして扱うことも出来るわけだ。つまりこのスチール缶は冬浦の唇とほぼ変わらないということだ。分かるか?」
「えぇ……分からない……」
「簡単に言うと切った食材を半分ボウルに移した後、残り半分もそのボウルに入れた状態に近い。人参を1個まるまる切って一度は総質量が半減しても、残り半分を足せば人参一個分の質量がそこにあるわけだろ? これはほぼ人参と言えるという事だ」
「人参はどれだけ切っても人参だと思うけど」
「そういう事。冬浦の唇はどれだけ中継しても冬浦の唇なんだよ。だからこそ悩んでるんだ」
「……えぇ〜……」
まだ難しいか? ふむ……仕方ない。じゃあ鶴舞自身を例えに持ち出すか。鶴舞の方に体を向けると彼女はまたしてもギョッとした目で俺を見てきた。
「こう考えよう。ここに鶴舞が二人いたとする」
「なんか始まっちゃった」
「で、ここに何かしらの缶があったとする。鶴舞1がまず最初にその缶に口をつけ、鶴舞2がその後に口をつける。二人分の唾液が付着した缶には本物の唇と大差ない唾液が付着している状態だ」
「私の唾液……気持ち悪い例え出されてる……」
「大丈夫だ、安心しろ。俺はお前の唾液になんか興味無い」
「心底ホッとしたよ。気持ち悪い事に変わりないけど」
「思考をフラットにして考えてくれ。人間一人分の唇と大差ない唾液が付着した缶は果たして間接と呼べるのだろうか? それはもうほぼほぼ唇そのものと言っても過言では無いのでは」
「過言だよ」
「本当にそうかな」
「えっ。いや、どれだけの量の唾がついてても「唾液だ。唾って言うな、汚い」えぇ……唾液がついてても、缶は缶でしょ」
「こう考えてみてくれ。とある水風船の中の水を別の水風船と移し替えたらほぼ同じだろ」
「なんで例えが色んな概念に波及していくの? 水風船と缶に互換性はないよ」
「なら缶で例えよう。缶1にはいっている飲み物を缶2に移し替えたとする。そうした場合、缶2は数秒前までの缶1と何一つ変わらない同じ状態なのだから同義と言ってもいいのではなかろうか」
俺が問いを投げると鶴舞は腕を組み唸りながら言葉を捻り出した。
「そりゃ、外装が同じ缶に中身を移し替えたのなら全く同じ存在と言ってもいいのかもしれないけど。唇と缶は何もかもが違くない? 質感、質量、材質から硬度まで。共通点を探す方が難しいくらいだけど」
「一理あるな。しかし着眼するべきは唾液の付着量含有量にある。缶そのものに頓着してるわけではないんだ。冬浦本人と同じ容量で唾液が含まれていることが問題なんだよ」
「そこについても疑問なんだけど、別にスプタンしてたからって常人の二倍の唾液が出てくるとは限らないでしょ」
「何故そう言い切れる」
「私も舌ピしてるから分かる」
「初耳だ。それは本当か? 議論を混乱させる為に嘘を吐いているのでは」
「ほら」
鶴舞がマスクを顎に下ろし口を開いてべろを見せてきた。確かにピアスがついている。
「本当だったのか」
「うん。舌をいじったからって流石に常人の倍の量唾液が分泌されるわけじゃないよ」
「なるほど……だとするとこの缶は三分の二冬浦、四分の三冬浦程度に収まってる可能性があるのか」
「十分の一冬浦さんぐらいじゃない? 一口飲んだだけでそこまで多くの唾液が付着するわけないでしょ」
「果たしてそうだろうか」
「そうだよ。口先に唾液が集中してるわけじゃないからね」
「なるほど……」
ふむ。確かに言われてみればそうだ、一口分飲み物を飲んだだけで口内の唾液の大半を待っていかれるはずがない。何を考えていたんだ俺は。気が動転して変な事考えてたな。
「つまり、この缶に何をしようが合法って事だな」
「えっ」
「違うのか?」
「い、いや。そうだね、合法だね……」
「ありがとう、鶴舞。お前のおかげで目が覚めた、混乱して変な事口走ってたよな俺」
「大分ね」
「これは不貞行為にはならない。その言葉が聞けただけで満足したよ」
「えぇ……よ、よかったね?」
缶の飲み口に指を滑らせ、その指を唇につける。
「えっ」
「え?」
「いや。えっ、なに今の」
「何って。合法間接キスだが」
「合法間接キス」
困惑した様子で鶴舞が俺の言葉を繰り返した。なんだ? もう聞きたい意見は聞けたから用はないぞ?
「えっと……うーん。普通に口付けていいんじゃないかなって思うけど」
「そんなのダメに決まってるだろ!!」
「えぇ……?」
「冬浦が口を付けた物なんだぞ? 鶴舞、俺が冬浦に対してどんな思いを抱いてるかわかってるよな? 存じてるよな?」
「えっ。いやまあ、今までのやり取りから推察は出来るけど。そんな当然知ってるよなみたいなテンションで言われても」
「俺は、冬浦の事が好きなんだ」
「だろうね」
「知っての通り」
「知らなかったよ」
「そんななぁ、想い人が口をつけたものなんて軽々に口を付けられると思うか? どうなんだよ、出来んのか? お前にそんなことが出来るのか?」
「え、えぇ……? いやまあ、そりゃドキドキはするけど……なに言わされてるの? 私」
「鶴舞の言葉からは俺の想いを軽視する感情を察知した。そういうのは良くない」
「そうなんだ。ごめんね」
「いいさ。分かってくれるのならな。俺はこの缶に口を付けることは出来ない、まだ告白もしてないのにそんな事していいはずがないんだ」
「なんで?」
「なんでだと? お前っ、お前なぁ!」
「待って待って。落ち着いて聞いてね? ……えっと、そりゃ好きな人との間接キスってなったらドキドキする気持ちも分かるよ? けどさ、言ってもたかが間接キスだよ? 直接キスする訳でもないのにそんな」
「鶴舞、お前の好きな男を言ってみろ」
「なんで???」
「今のやりとりで気付いたんだがお前には恋愛で四苦八苦する人間の感情が理解出来ていない。共感性が無さすぎる。矯正する必要がある」
「えぇ〜……私がおかしいのかなぁ……」
「恋する乙女の葛藤は尊いよ、それと同じように恋する男子の葛藤も尊いんだ」
「そうだね」
「なのにお前は俺に軽々しく『間接キスぐらい軽い気持ちでやっちゃえば?』等と言う。その態度が許せないんだ」
「ごめんなさい」
「駄目だ」
「えぇー……」
鶴舞は目を閉じながら首を横に傾けて変な声を上げる。
許されるはずがないだろ。俺がどれだけ葛藤し機を逃し煮え湯を飲まされてきたと思ってるんだ。恋愛の敗北者は昇華されなかった想いを拗らせて闇に堕ちることさえあるんだぞ。恋愛を甘く見すぎてるよ、この女は。
「間接キスでここまで話を広げられる人、初めて見たかも」
「馬鹿。他の連中だって同じように葛藤してるんだよ。悩んで悩んで、悩んだ末に自分なりの解を見つけてるんだよ」
「そうなんだ。大変だね」
「口を付けてしまえば一時の快楽を得る事は出来る。でも口を離した時、快楽は虚しさに変換されて余計に心は傷付くんだよ。その痛みを知ってるからこそ俺は悩んでるわけ。言ってる事わかるか」
「以前にもこういう事があったんだね」
「あった。夏の暑い日、偶然鉢合わせた冬浦が飲みかけのポカリをくれたんだ」
「優しい」
「直後に塩谷に呼ばれて走っていったから俺はポカリを返す機会を失った。その時はもう滝のような勢いで飲み干したよ。冬浦との間接キス、その快楽に酔いしれた」
「アルコールは入ってないのにね」
「でも最後の一滴が喉を通った後、空になったペットボトルには虚構があった」
「そりゃ空になってるからね」
「そうさ。冷えた清涼飲料水と共に冬浦の熱と快楽は失われて俺の心とペットボトルは空になった。その時思い知ったんだ、目先の欲に眩んで行動したら後になって後悔するって」
「そうだね。私も後悔してる、名前を呼ばれて返事しちゃったこと」
「俺は、どうすればいいのだろう」
「何を言っても長文が返ってくるんだろうなぁ」
「鶴舞」
「あーあ。名前呼ばれちゃった」
「決めた。このままじゃ俺は駄目だ」
「どうしたんだろう」
「だから代わりにお前がこれを飲んでくれ」
「……え?」
半ば投げやりになっていた鶴舞が困惑した表情でこちらを向いた。俺は手を震わせながらも缶を持ち、それを鶴舞に差し出す。彼女は缶を受け取ることなくそれを見つめている。
「えーと……それ、もうぬるくなってるよね」
「あぁ。ぬるくなってる。机に直で置いてたからな、温度は持っていかれたよ」
「普通人にぬるくなったコンポタ缶なんて差し出すかな」
「俺だって本意じゃないさ」
「何を言ってるの?」
「でも、これが一番丸い着地点なんだ。俺の代わりに鶴舞、お前が飲んでくれ」
「何を言っているの? なんで私が飲まなきゃいけなくなったの? ちゃんと説明してほしいかな」
説明を求めるか。そうだよな、一見すると意味の分からない行為だよな。説明責任はある、ここはキチンと彼女の方を向いて説明しよう。
「わ。またこっち向かれた」
「まず最初に、俺は鶴舞の事を好きじゃない。ごめんな」
「なんでいきなりフラれなきゃならないの? 告ってすら無いんだけど」
「年中マスクを着けてる怪しげな女子というのが正直な印象だ。そんな子を好きにはなれない、ごめんな」
「傷付いてないから謝らなくてもいいよ」
「だからこそ鶴舞を噛ませることに意味があるんだ」
「あ。嫌な予感。もういいかな、提案は断らせていただくよ」
「鶴舞と冬浦は同性だ。だから間接キスしても問題はない」
「断ってるんだけどなぁ」
「俺は鶴舞の事を好きじゃない。だからここの間接キスも問題にはならない」
「そうだね。こんなやり取りがなかったら気にしなかったのかもね」
「つまり、冬浦分の間接キス成分を鶴舞分の間接キス成分で希釈する事で相対的に俺が経口摂取する冬浦成分が減るわけだ。その分虚無感も減衰するという寸法よ」
「西野くんの頭の中を覗いてみたいよ。どんな生き方したらそんな発想に至るんだろう」
「鶴舞は冬浦が口付けたものに口を付けるのは嫌か?」
「嫌じゃないけど、ぬるくなったコンポタを飲むのは嫌かも。あと、堂々と間接キスする宣言されてるのも嫌かも」
「お前には何も感じないから安心しろ」
「そういう問題ではないんだよね」
「なにが問題なんだ?」
「なんだかなぁ……なんか嫌」
「ちゃんとした説明を求む」
「うん。それじゃはっきり言うけど、今の今までのやり取りで生理的に嫌になった。ごめんね」
「それはちゃんとした説明とは言えない」
「八方塞がりだよ」
「頼む。正直口をつけてさえくれればそれでいいんだ。生ぬるいコンポタを飲みたくないなら飲まなくても構わない」
「尚更気持ち悪いかな」
「何故だ」
「西野くんってもう少し理性的な人だったよね。どうしたの今日、頭おかしいけど」
「恋すると人はこうなるんだ」
「恋って怖いね」
よく分からない事を繰り返す鶴舞の机の上にコンポタ缶を置く。会話が止まった俺らの間にコッという一音が響いた。
「どうぞ」
「どうぞじゃなくて」
「粗茶ですが」
「違うよ。じっくりコトコトとろ〜りコーンだよ」
「マスクの下を見られるのを気にしてるのか? 別に顔悪くないぞお前」
「ありがとう。そこは気にしてないかな」
「出された物はちゃんと残さず飲みなさい」
「注文してないよ」
「この通り」
パンっと手を合わせて頭を下げる。長い長い静寂の末、頭上からため息を吐く音が聴こえてきた。
「なんかもうこのままじゃ話が終わらないと思うから。いいよ、飲むよ」
「飲み干すなよ?」
「まずありがとうではなく? 忠告が先に入った?」
「すまん、気が急いたな。突然こんな事を頼み込んで申し訳ない、提案を飲んでくれてありがとう」
「はぁ……」
深々とため息を吐きながら鶴舞が再びマスクを下ろしコンポタ缶を掴む。一度俺の方を向いて嫌そうな顔をした後、彼女は缶に口を付けた。
「はい。これでいいでしょ」
「ちょんって付けただけだろ」
「えっ」
「冬浦は思いっきり口を付けていた。それと同じくらい付けてくれないと間接キスは更新されないだろ」
「待って。それ本当に私とちゃんとした間接キスになるじゃん。冬浦さんのはもう時間的に間接キス効果も薄まってると思うんだけど、本当に必要なのかな」
「無論だ」
「無論かぁ」
「嫌なのか?」
「嫌だよ」
「でも吐いた言葉は飲み込めないぞ」
「なんでそんなに強気で来れる? 私ら異性だよ? 仲良くもないし」
「話した事すら今回が初めてだな」
「いや話した事はあるよ。忘れられてるじゃん私の存在。余計に口付けたく無くなったんだけど」
「えっ。……な、なんだよそれ。お前俺の事好きなの?」
「思考回路二進数なの? 0か1しかないじゃん」
「いいじゃないかたかが間接キスだろ。そんな事一々気にするなよ、お前は小学生か?」
「記憶力にわとりなの? 数分前の自分の行動をもう忘れちゃった?」
「もう時間が無いぞ。飲むのか飲まないのか」
「だからなんで上から目線なの? 面倒臭いなぁ、付ければいいんでしょ」
観念した様子の鶴舞がしっかりと缶に口を付けて離す。中身は冷めきっているのか一口も飲まなかった。まあいい、間接キスを上書きしてくれさえすればいいさ。
「ん」
「ご苦労」
「ご苦労じゃないよ。変な事させないでよね」
「ごくごくごくっ」
「なんで微塵の迷いもなく口を付けて飲める!? せめて一言ぐらいやり取りを交わそう!? ノータイムじゃん!」
「ふぅ。美味し」
「感想いらないよ!」
? 何を隣で騒いでるんだ? 変な奴。ただのクラスメートと間接キスしただけなのに、ウブなんだな。
「お前のおかげで助かったよ鶴舞! お前、見た目の割に良い奴なんだな!」
「一言余計だよ。はぁ…………え?」
「え。なに」
「もう飲みきったんだよね?」
「あぁ」
「空だよね?」
「あぁ」
「なんでそのまま机に仕舞う?」
「なんでって。冬浦が口付けたものだし保管するに決まってるだろ」
「決まってないよ。なにその謎行動、初耳だよ」
「乙女力が足りんな」
「えぇ……あのさ、一言いい?」
「いいよ」
「それ、冬浦さんが口付けたって言ってるけどその後で私も口付けてますけど。上書きされてませんか」
「そりゃ上書きしないと照れくさくて飲めないし当たり前だろ」
「じゃあそれ私が口付けたものじゃん。捨ててください」
「いや。確かに口は付けたがお前は中身を飲んでいない。つまり中の液体への唾液交換は行われていないはずだ。だから保管する」
「本当に気持ち悪いな。すごいね、西野くんって」
「ありがとう」
「ありがとうじゃない。仕舞おうとしないで」
「何故だ」
「同じやり取りをしたいの?」
「じゃあどうすればいいんだよ? 解決策を提示してくれ」
「提示してるよ。捨てなって言ったじゃん」
「それじゃ何の解決にもならないだろ」
「なるよ。万事解決だよ。大団円だよ」
「意味が分からん。別に気にすんなよ、自分の口付けたものを男子に持ち帰られるくらいなんて事ないだろ」
「意識せずそうなってるなら何も思わないけどさ! 今回のケースだと持ち帰られるの嫌かな!」
「なんで? 風邪引いてるの?」
「関係ない関係ない。マスクに関連付けたんだろうけど全然関係ない」
「じゃあ持ち帰るね」
「やめて。最終手段私がそれを捨てに行くよ」
「命懸けで阻止するが?」
「じゃあその缶の中に唾吐くよ。そしたら持ち帰れないよね」
「ガチで汚いなお前」
「!!!!!!!」
急に顔を真っ赤にして怒った鶴舞が俺の肩をボコボコ殴り始めた。力強いって、痛いって。殴られるような事したかな俺。
「その缶貸して! 捨てるから!」
鶴舞が殴るのをやめて席を立ち強引に缶を奪おうと接近してきた。女子と取っ組み合いになったのなんか人生初なんだが? なんでこうなってるのか分からず俺は命からがら抜け出す。
「待てよ!? なんでそんな必死になる!? そんなに気にする事か、まじで!」
「ここまで来たらいい加減気にするよ! その缶は絶対捨てる! 処分する!」
「意味分からねぇって!? 缶に対する執着スゴすぎんだろお前!?」
「西野くんに言われたくないわ!!!」
缶を持ったまま脱出した俺を鶴舞は逃そうともせずこちらまで寄ってくる。
なんか怖いので走り出したら彼女も走り出した。逃げる途中で水瀬とすれ違うと彼はさわやかに「おはよう!」と挨拶してきた。彼女持ちの余裕が癪に障るが今は喧嘩売る余裕が無いのでおはようとだけ返し走る。いつの間にか校舎中を追いかけ回される羽目になった。なんだこれ、なんだこれーっ!?




