番外編『無口』
高校1年生の肌寒い時期。僕は、幼馴染であり男から女に肉体が変わったという特殊な事情を持つ少女、冬浦小依ちゃんとお付き合いを始めた。
それからしばらく仲睦まじく、まあ小依ちゃんは性格が少しばかりひねくれてるから世間一般的な仲睦まじいとはちょっと違う形の愛情表現をしてくるのだが、それでも仲良く何事もなく恋人としての仲を深めてきたつもりだ。
5月中旬の今日。小依ちゃんの家に招かれてダラダラとゲームをして遊んでいるのだが、今日の小依ちゃんはいつも以上に無口である。
「おりゃ! そこだっ!」
「……」
「っしゃー僕の勝ちィ! 見たか絶技、スーパーコンボ!!! 高速入力とキャンセルが織り成す再現困難なグリッチ戦法を!!!」
「……」
小依ちゃんは何も言わずに、コントローラーを置いてぱちぱちぱちと拍手をした。そこでゲームに飽きたのか、彼女は僕の隣から離れてソファに腰かけて読みかけだった漫画を手に取った。
おかしい。
普段なら対戦中「せけぇぞ!」とか「はっはーこれで俺の勝ちじゃ! 死に晒せや水瀬ェ!!!」などと声を荒らげて騒いでるはずなのに、今日の小依ちゃんはそんな様子を微塵も見せなかった。
いや、仕草だけ見たら感情表現は今日も今日とて十二分に発揮していたな? 無言ではあるけど要所要所で拳を強く握ったり自分のちっちゃな力こぶを叩いて見せたりしたもんな。
うーん。でも一言も発さないなんて今までにないことすぎてどうしても気になってしまう。小依ちゃんって口が達者だからなぁ。
なにか怒らせるようなことをしてしまったのだろうか? 身に覚えがありすぎてどれか特定出来ない。いくつかそれらしいものを下に列挙していこう。
伸びをしたのを抱きしめてほしい時の仕草と勘違いして、肌寒い時期に学校で小依ちゃんを思い切り抱きしめてしまい赤面させてしまった。
自習中に眠そうにしていた小依ちゃんの顎の下に指を置き、猫にするようにごろごろごろ〜って指を動かしたらエロい声を出させてしまって赤面させてしまった。
男子が可愛い女子ランキングなるものを作っていたから小依ちゃんの魅力を教えていたら『意外とエロい下着沢山持ってる』という余分な情報まで与えてしまい、偶然そこに居合わせた小依ちゃんを赤面させてしまった。
小依ちゃんが塩谷さんや間山さんと話している時にパンツが普通に見える状態になってたから、上着を脱いで「パンツ見えてるよ」って教えながら上着を膝に乗せてあげたら何故か赤面させてしまった。
小依ちゃんが所有しているブルブル震える紐付きのオモチャが僕のカバンに入ってて、しかもその日丁度持ち物検査があったせいでそれがバレた上僕と付き合ってる相手が小依ちゃんだということを知られていたせいで先生に白い目で見られて赤面させてしまった。ちなみに何故僕のカバンに混入していたのかは不明だ。
赤面させてばっかりだな。小依ちゃんって意外とすぐ顔を赤くするよね。粗野な口調とのギャップが凄い。
てか持ち物検査の件に関しては直近二日前の出来事だった。もしかしなくてもこれのせいで怒ってるのでは?
……そうっぽい。小依ちゃん、足で僕の背中押してるし。不機嫌なのは明らかだ。
「小依ちゃん」
「……?」
「マッサージしてあげましょうか」
「! んー」
口を開けないまま小依ちゃんはこちらの提案に同意し僕の方に片足をピンと伸ばしてきた。肩にふくらはぎが乗る。小さな子供みたいな足を持ち、ちっちゃな指の腹を若干の力で押す。
「んっ!? んんんーっ!!!」
「痛かった?」
「ん」
「ふむ。全然力入れてないんだけどな。足ツボ的に悪い箇所なのかな」
「ひょこ、なにが悪いん」
お? 今日初めてまともな言葉を喋ったぞ? 少し発音がおかしかった気がするけど。
スマホを開きネットで足つぼを調べる。足の親指のツボに適応されるのは……。
「頭、だって。ここが痛いってことは、頭が悪いって事らしい」
「ころひゅぞ」
「書いてあるんだもん」
「……別んとこ揉んでよ」
「胸とか?」
「死ね変態。まじで」
「冗談だよ」
揉むほど無いもんねぇ、とは言えませんね。言ったら全力でかかと落としをされそうだ。ここは大人しく別の部位を揉みほぐす。
マッサージをしてるうちに小依ちゃんが足を引っ込ませ、片膝を立てて座り直す。
今日も今日とて短パンの隙間から色のついた布が見えるわ。相変わらず無防備だなぁ、本当に無意識なのだろうか?
「んだよ、目つきエロいぞ。お前」
「エロいものが見えてるので。致し方なし」
「エロいもの? ……っ! 見んな!」
「駄目なの?」
「今はひょういう時間じゃないだろ」
「僕はいつだってウェルカムだけどな」
「うっひぇ」
小依ちゃんが伸ばしていた方の足で僕の背中を押してきた。はいはい分かりましたよ、見ないから押すのやめて! まったく、そこまで嫌がるなら見えないようにすればいいのに。
「みなひぇ、もっかいまっひゃーじして。今度はこっち」
「いいけど、なんか今日滑舌変じゃない? 虫歯?」
「ん? んーん、俺むひ歯になった事ない」
「そうなの? じゃあなんでさ行の発音がそんなに曖昧なの? あとなんか無言タイム多くない?」
「んー……」
指摘すると、少し考えるような素振りを見せた後に小依ちゃんは足を引っこめ立ち上がった。
タンクトップに短パン、胸もパンツも見えそうなラフすぎる服装をした小依ちゃんが目の前に来る。
彼女は僕に「あぐらんなって」と言う。胡座の姿勢になったのを確認すると、僕から背を向けてそのまま僕の体に密着するように腰を下ろした。
二人で一緒にダラダラする、というかイチャイチャする時の位置取りだ。小依ちゃんが甘えてくる時、そういう行為をする時以外は基本的にこの姿勢である。
一回り体が小さな小依ちゃんが僕に体を密着させて座り、僕は彼女の体に腕を回し後ろから抱きしめる。体格差的にこうすると抱き枕のようで丁度いい。小依ちゃんも僕の腕を掴んで顎の下に持ってこようとするし、この姿勢が好きなのだろう。
小依ちゃんの髪からふわっと甘い匂いがする。彼女の柔らかな髪に鼻先をくすぐられる。顔を押し付けると髪が分かれてピアスがバチバチに付いている耳が出てくる。ここもギャップ、それも愛おしい。
ぷにぷにすべすべの肌が露出した格好だから変な気分になってしまう。
小依ちゃんは胸こそ控えめだが、下半身の肉付きが良くて身を寄せていると結構そういう気分にさせられてしまう。くびれた腰に手を回すと、僕がどこに意識を向けているのか察知した小依ちゃんがお尻をグリグリ押し付けてきて「えっち」と言ってくる。
怒っている素振りはない。意地悪をする時の悪い笑みだ。
付き合ってから小依ちゃんの小悪魔化がハイスピードで進んでいる。付き合う前から僕に仕掛けてきていたアプローチも相まって悪い女だよなぁって思う。元々男だったのもあって、男に反応させる術とか熟知しているんだろうな。手玉に取られている気分だ。
「お前って甘いのひょんなに好きじゃないよね」
「うん? そうだね、甘ったるすぎるのはちょっと」
「んー。じゃあちょっときもひわるくなるかも?」
「? それは一体どういう」
「キス」
短く言うと、小依ちゃんは顔をこちらに向けて目を瞑り僕の頭の後ろに手を回してきた。彼女の要求に合わせて唇を合わせる。
唇同士がぶつかるとすぐに小依ちゃんの口が開いて舌が口に中に入ってきた。いきなり発情期? 体を押し付けながら、後頭部を撫でられながら深めのキスをされる。
まだ早い時間なのにテンション高いなあと思いつつキスをしていると、何かが口の中に混入してきた。小依ちゃんは自分の口内に入っていたものを僕に口移しすると、最後に唇を少しだけ押し付けて顔を離した。
「……な、なにさ」
別に何も言ってないけど。小依ちゃんは顔を赤くしたまま眉を寄せてモジモジしながら前を向いた。そして無言のまま僕の腕を掴み身に寄せた。可愛い。
「……飴?」
小依ちゃんの口を経由して僕の口の中に投下されたものを舌で転がしてみると、物凄い甘味が口の中に拡がった。甘酸っぱすぎる、キスの味がどうとかいうのではなく物理的に。
「それ、海外のお菓子なんだって。桃果がくれた。いつまで経っても溶けないから喋れなくなるんよ」
「ふーん」
「おいしい?」
「……味がとても濃ゆいです」
「だよね。インドっぽくない?」
「インドっぽいかは分からないけど、海外産って聞いたら納得はできっ!? あぶにゃっ」
「な? ちゃんと発音しようとすると飴が飛び出そうになるやろ? そういう事よ」
「ひょういうことか」
なるほど。道理で滑舌が甘かったわけだ。でもこれ、単純にリスみたいに頬に入れておけば普通に喋れるな。
「てっきり怒らせてしまって無視されてるのかと思ったよ。そういうのじゃなくて良かった〜」
「……」
「……? あれ、小依ちゃん?」
あれれ。また黙られちゃった。まさか、飴で上手く喋れなかったのもあるけどそれとは別にちゃんとへそを曲げていらっしゃるのでは!?
……ふむ。でも何かに対して怒ってるとしたら、そもそも今日僕を家に呼び付けたのがおかしな話になる。
小依ちゃんは短気だがその分機嫌が治るのも早い。
長く怒りを引きずる場合、不機嫌さを前面に出して会話に応じてくれなくなるし少し触れるだけで強めに腕を振り払われるしムスッとした顔でずっと明後日の方向を向く。こんな風に密着してくるのはまず有り得ないことだ。
……いや、果たしてそうだろうか。絶対的に毎度そうとも限らないな。
確かに怒りが長引いた時の無愛想さは警戒してる時の猫ぐらい徹底されてはいるものの、謝りあぐねて仕方なく距離を取っていたら不機嫌がりながらも服を引っ張ってきたり背中に頭を当ててきたりしてきたもんな。
「あの時の小依ちゃん、いつにも増して可愛かったなぁ……」
「!? な、なんだよいきなり!」
「いや、またしても急に黙りこくるから」
「はあ? そんないつまでもダラダラ話し続けるタイプでもないだろ俺。飴が排除されたから新たな菓子に手をつけてたんだよ」
「新たな菓子?」
小依ちゃんの肩に顎を置いて前を見ると、彼女は色とりどりのお菓子の袋を机に広げていた。なるほど、一人お菓子パーティーをしてたわけか。
「なーんで一人占めする〜。僕にも少しくらい分けてくれたっていいじゃないか」
「分けるつもりだよ。今はお前に与える餌の選別中」
「餌て」
「その飴は正直苦手なタイプだろ? 甘すぎるもんな。程よい甘さの物があったらお前に与えようと思ってよ。一人じゃ食べきれないし」
「小依ちゃんが舐めていたものなので何とか味わえてるよ」
「きもすぎ、黙れよ」
「冷たすぎない?」
小依ちゃんは一度鼻を鳴らして僕の胴に背を預けてきた。物言いは酷いけど態度で甘えてくるんだよな。本当に猫みたい。デレッデレモードになると犬みたいになるのにね。
「うーん、どれも甘ったるいんだよな。……んべっ!? なんだこれ、しょっぺ!?」
缶の中に入っていた餅みたいな物を口を含んだ瞬間小依ちゃんが悲鳴を上げてティッシュを口に当てた。ハズレ枠もあるのか、間山さんらしいプレゼントだな〜。
「桃果め、さては自分が要らないものを俺に渡してきやがったな!?」
「あの子、甘いものめちゃくちゃ好きじゃなかったっけ? この飴とかすごい好みそうな味してるけど」
「一つ明らかな劇物ありましたけど!? お前も食え!」
「結構です」
「なんでだよ!」
「いや、目の前で吐き出された所を見ると食欲は失せるよ。あとなんか缶の中身びちゃびちゃだし。逆によく口に運べたね、こんなの」
「見た目はゲテモノだけど実は美味いってオチかと思うやん! 見た目通りの爆発物だとは思ってなかったよ!」
「爆発物て」
「食べるか?」
「結構です。口の中にまだ飴入ってるので」
「え。まだ溶けてないの?」
「結構小さくなったけどまだまだ甘いよ。ベロが馬鹿になりそうだ」
「ほーん」
小依ちゃんはコーラで口直しをすると、姿勢を変えて僕の方を向いて再び頭の後ろに手を回した。
「もう一度キスする?」
「……別にキスしたいわけじゃねぇから。その飴、不味いやろ。俺が貰ったげる」
照れくさそうに目線を左にズラしながら小依ちゃんがそう言う。その後すぐに瞼を閉じてこちらからのキスを待つ。
小依ちゃん、こういう場面でのキスは絶対に僕の方から唇を合わせてくるよう待ちの姿勢になるんだよな。
照れ屋なのか、それとも僕がキスをしたがったからそれに応じたという体面を保ちたいのか。
後者だとしたらいじらしすぎる。たまには僕から行くのではなく小依ちゃんからキスされるのを待ってみようかな。
「……? ねえ」
「なに?」
「なにじゃなくて」
「ん?」
「…………ねえ!」
いつまで経ってもキスしてこないからか小依ちゃんが不満げな声を出す。キスを期待する表情から違和感を抱き少しずつ眉が寄っていく変化の一部始終、整った顔立ちだからこそ感情の機微が分かりやすくてつい笑ってしまった。
「なに笑ってんだよ!」
「あははっ。いや〜、やっぱり小依ちゃんは可愛いなあって」
「は、はぁ!? んだよいきなり」
「いきなり? 常にそう思ってるけどな」
「〜〜〜〜!? うっせぇよばか! てか、そ、それなら別にわざわざ今そんな事言わなくてもいいだはぷっ!?」
怒ってる所に不意打ちでキスをする。驚いてる驚いてる。むむ、コーラ味。小依ちゃん、耳まで真っ赤になっちゃった。
最初は怒って肩を叩かれたものの、舌を重ねる度に力が弱まっていっていつの間にか小依ちゃんは僕の肘を指でつまみ困ったような眉をして少しだけ涙を滲ませていた。
少々いじめすぎたのかもしれない。
不意打ちでキスをされて動揺してる所を真正面から見られる、そんなの恥ずかしいに決まってるもんね。普段素っ気ない口調や強気な態度を見せている分、そういう側面を見られるのが苦手ですぐ照れたり恥ずかしがったりするもんなぁ。
唇を離すと小依ちゃんは小さな声で「うぅ」と言って僕を睨みつけてきた。目を合わせたらすぐに彼女は俯き、チラチラと上目遣いをしてくる。
「ばか。性悪。変態。クソ変態。ぼけなす」
「あ、飴あげ損ねたね。もう一回」
「もうだめ!」
顔を近付けたら赤面した小依ちゃんが必死に顔を逸らしていた。彼女の背中に腕を回し、やや強引に引き寄せると彼女は小さく「あっ!?」と言って僕の胸板に頭をぶつけた。
小さな指を僕の胸板に当てて弱々しい力で押される。本当に拒絶する時はそんなもんじゃない、小柄と言えど結構な腕力を発揮してくる。だからこれは本気で嫌がっている訳では無い。
「ばか。がちきもい。しね」
彼女の罵倒を無視して、彼女の頬を人差し指で撫でて指先でまつ毛をくすぐる。すると彼女の表情から不機嫌さが抜けて、若干とろんとした目をして僕の手を捕まえ頬に押し付け始めた。
「……お前、最近いじわるだよな。ヤリチンみたい、きめぇんだよ」
「ヤリチンて。こんな事小依ちゃんにしかしないよ」
「どうだか。……そんな風に女に慣れられるの、まじで嫌だったんだけど。浮気しそう」
「小依ちゃんより可愛い人ってあんまり居ないからなぁ」
「なにそれ。じゃあ居たら浮気するのかよ」
手を握る小依ちゃんの指に力が入る。怒り、じゃなくて不安だなこれは。
「浮気なんてするはずないでしょ」
「……キスして」
「ごめん、飴噛み砕いちゃった」
「だからなんだよ。関係ねぇだろタコ」
「だからキスするとしたら小依ちゃんの方からしてほしいな〜」
「は、はあ? なんで……べ、別に、どっちからしようが関係……」
困惑した様子の小依ちゃんをジーッと観察していたら、彼女は小さく舌打ちをして僕に身を寄せつつキスをしてきた。
口の中で、小依ちゃんの裂けた舌に舌を挟まれる。久しぶりにされた、目を開けるとクリクリの彼女の瞳が映った。目が合うとは思っていなかったのか彼女は一瞬眉をひそめた後に瞼を閉じた。
「……一日に何回キスするんだよ。ばか」
「何回してもよくない? 二人だけなんだし」
「んぅっ、ねえ! な、なんで急にエロい事してくんの!」
小依ちゃんの下唇を指でつんつんつついて軽くつまんだら怒られた。エロい事? エロい事なのでしょうかこれは。
「今日はこの後、いつもの二人組が遊びに来るから……」
「だめですか」
「だ、だめじゃない」
「だめじゃないの? お客さん来るんでしょ?」
「すぐに済めば、いいし……」
「掃除とか、あと匂いとかそこら辺は」
「……やっぱりだめ」
「参ったな。そう言われるとやる気出てくる」
「!? 最低だな!」
「よいしょ」
「ねえ!? 駄目だっつってんだろ!? お前耳腐ってんの!?」
ベッドの下辺りに置いてあるコンドームの箱に手を伸ばすと小依ちゃんに怒られた。
仕方ないじゃないか、僕だって男なんだもん。可愛い彼女に何回も甘えられたらそりゃやる気だって漲ってきますよ。
「い、言っとくけど連絡来たらすぐにやめるから! 掃除と、あとお前はアイツらが来る前に退散しろよ!」
「えっ。追い出されるの? まじで? なんで???」
「ほ、他の女が居る所にお前を置いときたくないの! 分かるだろそれくらい!」
「え〜。それなら僕も小依ちゃんを独占してあの二人を追い返したいけどな。折角一緒に居るんだし」
「そっ!? それは、それは…………」
小依ちゃんはベッドを見下ろしたまま口を閉じて考え込み始めた。冗談なんだから、何をそんなに真面目に考えてるのか知らないけど軽く流してほしい。ええい、覆いかぶさってしまえ!
「ちょっ、いきなり……!」
「好きだよ、小依ちゃん」
「っ!? も、もうっ!!!」
*
ピンポーンと。小依から拝借していた鍵を駆使し最下階の扉を抜けて、彼女の部屋の前に到着したのでインターホンを押す。
「ふむ。何やらドタバタ聴こえますな」
「怪しい〜」
「勝手に開けちゃう?」
「待ってもかち。怪しいけども、明らかに二人分の足音がするけども。いきなり開けるのはまずいんじゃないかな、予期せぬ事故が」
「ガチャリと」
「もかち〜……」
結乃の言葉を右から左へ受け流しもう一度拝借していた鍵を駆使して扉を開ける。お邪魔しま〜すとは言わない、声がけしたらいきなりの訪問じゃなくなるからね。
アクシデント、ハプニング、そういったものをカメラに収めるコツは前触れない押し掛けにあり。カメラを止めるな、放送コードに引っかけろ、映像は差し替えるな、ありのままを流すべし。アポイントメントなんて取らない、それこそがプロの流儀。素人は、黙っとれーー。
「ちょっ!? なんでいきなり開けるんだよ!?」
「わぁ」
下着姿の小依の姿、その奥には下半身にしか布を纏っていない水瀬くんの姿。良かった、友達の彼氏のあられもない姿を見る羽目にならなくて。
で、それはそれとして。
「まじかぁ〜。小依まじか〜。あたしらと予定があるのに彼氏を呼びつけて昼間っから節句寿司太陽、まじか〜〜〜」
「失望する前にドア閉めてくれる!? おれっ、私らの姿見えてないの!?」
「大丈夫だよ、水瀬くんはまだしも小依の裸は見慣れてる。ねぇ? 結乃」
「そういう問題なのかねぇ。おっふ……ちょっと換気する前に部屋に入るのは遠慮しとこうか」
「ぎゃー!? はよ閉めろはよ!! だから言ったのにもーーー!!! 水瀬! お前のせいだからな!!」
「僕のせい!? 確かにそうか、僕のせいだなごめんなさい!!! それより小依ちゃんこれどこにっ」
「出すな出すな出すな!! 馬鹿! まじで大バカ!!! 他人に見られちゃダメなやつだろそれ、くそ〜っ!!! また俺だけ恥かいてる!!!」
「僕も上裸姿を見られたよ!」
「俺は下着姿だが!? 玩具まで見られたが!? 比率おかし」
ガチャリ。
「仲睦まじいね〜」
「そうだね。その輪に完全に水を差したよね、ウチら」
「それが目的だから良し。リア充滅びるべし」
「まーだそんな事言ってんだ……」
「そりゃそうよ。あの二人学校でもイチャつくもん。許しておけるはずがないよね。あとオモチャに関しては先日水瀬くんの鞄から出てきてたし、今更気にすることでもないね」
「あったねぇそんな事。先生、どう注意したらいいのか分からなくて困ってたね。代わりにこよりんが水瀬くんにブチ切れてたっけ」
「その時も今みたいに俺ついてたし。小依の俺っ娘が見れるのは良いね、萌える」
「俺つくて。そんなオラつくみたいに」
「さて。そろそろ良いかな? ずっとドタバタ聴こえてるけど掃除の方は済んだかな。確認してみよう」
「待って待って。ちょっとウチ、リアル生々しいのはNGだから」
「ガチャリと」
「もかち〜……」
「なんでまた開ける!? まだ準備出来てないからー!!!」
ゴミ袋を縛っている小依、窓を開けて消臭剤を部屋に振り撒いている水瀬くん。うんうん、いい光景だ。今度描く同人誌の描写に入れてもいいかもしれないな。
「カシャリと」
「なんで撮る!? 何を撮った!? ねえ桃果、もう今日帰れる!? 私に恨みでもあるの!?」
「ふっふっふ。水瀬かける小依本の締めの構想がたった今浮かんだよ。なるほど、二人の事後はこんな感じなのね」
「また邪悪な事言ってる!? リアルの人間を題材にするのやめろって言わなかったっけな!?」
「一つアドバイスをしとくと、事後の時間って二人の心の距離が最も縮まる時間でしょ? もうちょっと落ち着いた方がいいんじゃないかなって」
「喧しいわ!! 結乃も無言で背中向けてないでこの人どうにかして!? 準備出来たら私の方から扉開けるまで、それまで待ってて!?」
「はぁーい」
再びドアがしまった。ガチャンッ! と勢いよくチェーンを掛けられる音もした。
「ちなみに知ってる結乃? 小依の部屋ね、上の階の非常階段からベランダに飛び移れるんだよ」
「危ないからやめような。まったく……こよりん、明るくなったなぁ」
「そうだねぇ」
結乃と一緒に、最近素の姿を思いっきりさらけ出すようになった小依に対しての感想を呟く。以前までどこか遠慮してる雰囲気あったもんなぁ。水瀬くんと付き合ってから、毎日楽しそうで羨ましい。
「はい! 準備出来たよ! ……もう見られちゃったし、仕方ないから今日は水瀬も同席させるよ。いいよね」
「いいんじゃない?」
「いいのかな。あたしの絶世の美貌に、この完璧なプロポーションに、清楚なお嬢様ルックスに、水瀬くんがときめいたりしたら」
「じゃあ桃果は帰ってな。ようこそ結乃」
「待って。冗談じゃん。結構本気めにドアを閉じようとしてるのはなんで? ねえなんで? 小依ーっ!! 冗談だからねーっ!? このまま閉まったらあたし、あの、鬼隠し編の指挟まれシーンみたいになっちゃうかもー! 痛そうかもなー!! 小依ーーーっ!!?」
かなり怖い表情をした小依に「絶対変な事をするなよ」と釘を刺されて部屋の中に通してもらった。怖すぎる。冗談半分に脇を締めて胸を強調してみたら小依に胸を鷲掴みにされて本気で睨まれた。
どこか辛気臭い雰囲気のあった小依がここまで自分を出せるようになったのは喜ばしいことだ。うんうん。命が惜しいので、もうおふざけ半分で水瀬くんを誘惑するのはやめようと心に誓った。




