53話「きっかけがないと勇気って出しにくいもの」
「ただいまぁー」
「おかえり。バイトお疲れ様」
バイトから帰ってきて、ついでにコンビニで買ってきた夕食を机に置いてソファに座る水瀬の隣に腰を下ろす。
「飯買ってきたから、好きなの選んで」
「お、ありがとー! じゃあお金」
「金はいいよ。今度外食奢りな」
「おっけー」
「よっしゃ高ぇ焼肉屋さん行こうぜ」
「帳尻は合わせて? 天秤の傾き方えげつない事なってるって」
「おっけーって言ったじゃん。言質取りましたーって、何見てんの?」
自分が食べるカップ麺にお湯を入れようと立ち上がった瞬間、暗転していたテレビの画面が切り替わり平成初期のような古ぼけた画質の映像が流れ始めた。
「待ってる間暇だったからねー。時間潰しにホラー動画見てた」
「……ホラー動画?」
『これから、Aさんのカメラが映し出す画面を注意深くご覧頂きたい』
「っ!!!」
テレビからおどろおどろしい声音の語りが発され、開けかけていたカップ麺を床に落としソファの後ろに退避する。頭を撃ち抜かれないようにヘッドラインをカバーしつつ水瀬に呼びかける。
「何見てんだ! 言え!」
「いやだからホラー動画。本当にあった呪いの」「ぎゃああああっ!!!?」
「シャウトすぎない?」
「バッカじゃねえのきも! 変態!!!」
「なぜ急に罵倒され」「わああぎゃぁはっ、女の顔おおぉ!!!」
「夜ですよ小依くん」
「止めて!!! リモコンリモコン!!!」
急いでリモコンを手に取り画面を消す。決して画面端に現れた恨めしそうにこちらを睨めつけている女の顔にビビり散らかした訳では無いが、心臓がバクバクして嫌な汗がどっと出てきた。その責任を取らせるべく水瀬を強く睨む。
「なんでこんなの見てんだよ他人の家で!!!」
「えっ。あー……そういえば小依くん、怖がりだったね」
「怖がってないから! 怖がってないけど1人で怖い動画見てるとか変な人すぎるから普通にどう考えても一般的に!!」
「そうかなぁ」
「そうだろ!!!」
「そういう趣味なもんで」
「こっっっわ! サイコパスかよお前!」
「今怖いって言ったね。やっぱり怖がりなんだ」
「そっちには怖がってないから! お前が不気味すぎるって意味だから!!」
深呼吸しながらなんとか気を落ち着かせようとする。全く、帰ってきて体力を休めようと思った矢先にこれかよ。
「あはは。相変わらずな様子だなぁ、なんか懐かしいね」
「なにが!」
「子供の頃もこうやって、怖い動画見てはギャーギャー泣き喚いてたなぁって」
「泣き喚いてはいないから!! てか怖くないし!」
「ホラーでもなんでもない、童謡の逆再生見てちっこくなってたもんね」
「なってないです! ありもしない過去語るのやめれるか!? てか全然怖がりじゃないし!」
「じゃあ今の迫真の悲鳴はなんなんだという話ではある」
「それはっ…………怖くないから!!」
「特に何も思いつかなかったんだねぇ」
「違うし!! うざ! きも!!!」
「ごめんね。それで、お湯は入れに行かないの?」
「……」
床に落ちたカップ麺を拾い、改めて蓋を半分まで開けて中の袋を取り出す。
「……お前のもインスタントだから。一緒に入れる」
「入れてくれるの? それくらいはじぶ」「違う一緒に行く!」
「剣幕すごいな!? てか近すぎですよ。男女には適切な距離があるからもう少し離れよう? 体ベターってしてくるのは非常によろしくないな」
「……」
「……ガン無視と。当方薄い布地のパジャマなので、こちらとしてはかなり心臓に悪い状況なのですが」
「……」
「ガン無視と。……手でも繋ぐ?」
「……別に怖くないけど繋ぐ」
「家の中なのに手を繋ぐってよくよく考えたら変だな」
「うっさい!!」
水瀬の腕を掴み、彼を引っ張りながらポットの方まで行きインスタント麺にお湯を注ぐ。二人分お湯を入れ終え、ソファの方に戻ってきてまた座り直す。
「近いんだよなぁ……」
「近くないから。きも。自意識過剰。消しゴム拾っただけで好きと勘違いするタイプ。通学路被ってるから挨拶してるだけなのに好意感じる奴!」
「言いすぎ言いすぎ」
「とにかく怖くないし距離も近くない! 日本と外宇宙くらい遠い!!」
「五条悟? 体の側面ベタ付けなのに近くないとはこれいかに」
「……」
「そんなに怖かった? さっきの」
「怖くない!!」
「いやいや。だったら今の距離感に説明が」
「怖くないし近くないし普通だから!」
「ぷっ! あははははっ!!」
「何笑ってんの!? ぶち殺されたいのかなぁ!?」
「ごめっ、あははっ! なんかここまで明らかなのに必死に隠すの、面白いなぁって」
「何も隠してないから!」
「いやー、女の子になってもそういう根っこの所が変わらないの、安心するなぁ」
「だーかーら!! 別にビビってないし昔もビビってなかったから!」
「でも、寝れなくて夜通し通話かけてきたりしたじゃん?」
「あれは……だから、お前が性格悪かったから」
「怖かったからかけたんでしょ?」
「いやだから……」
「僕に性格の悪い脅かされ方されたとして、別に怖くなかったら通話なんかかけてこなくない?」
「……」
カップ麺の蓋を開けて割り箸の袋を破る。隣から「まだ3分経ってないよ」と言われたけど知った事か。無視して食べる。麺硬すぎ。
「別に恥ずかしいことではないと思うけどな。ホラー嫌いなの」
「別に嫌いじゃないし」
「じゃあテレビつける?」
「………………つけない」
「なんで? 怖いから?」
「怖くない」
「じゃあなんでだろう」
「死ね」
『その声は、ここで死んだ男の』
「ぎゃぁっ!?」
水瀬が何も言わずに画面をつける。反射的に水瀬にしがみつく。
「近い近い近い近い」
「なんでつけた!? 頭おかしいのお前!?」
「酷いこと言われたので手が滑りまして」
「早く消せ!」
「なんで? 怖いから?」
「こっ……わく、ないけど!」
「じゃあ良くない? 丁度暑い季節だし、納涼企画として楽しもうよ」
「こんな事で楽しめるとか意味分からんし!」
「怖いから?」
「違う!!」
「本当かなぁ?」
「本当だし!? 俺がなっ、ひゃっ!? ねぇお願い、やめてやめて消して1回!」
「このままだとご飯食べれないか」
再び画面が消える。全身の鳥肌が収まるまでしばらくしがみついた後、深呼吸をして食事を再開する。
「でも意外だなー。おばけが怖いだなんて」
「だから怖くないって」
「無理あるでしょ。今までの自分のリアクション思い出してみ」
「それは、だから……怖いとかじゃなくて、反射だから」
「反射」
「そう。反射的に、身の危険を察知したから防御の姿勢を取ってるだけだし」
「恐怖心と危機察知能力って案外イコールに近いらしいよ」
「…………違う」
「否定するねぇ。じゃあさ、ご飯終わって落ち着いたら、覚悟を決めて改めてさっきの動画初めから見てみる?」
「意味わからん! なんでそんな話になるわけ!?」
「明らかに怖がりなのに怖くないって言うからさ。そういう強がりは早い内に矯正した方がいいと思うんだよね」
「なんでだよ!? お前俺の反応見て面白がりたいだけだろ!!!」
「うん」
「悪魔かな!?」
「だってそこまで怖がりを否定されたらねぇ。本当かなって試したくもなるでしょ」
「ならない!」
「僕はなるよ」
「と、とにかくっ」
「とにかく食べ終わったら一緒に見ようねさっきの動画」
「だか、ら、やっ」
「怖くないなら見れるよね?」
「………………怖くは、無いけど。でも、意味が」
「意味無くボーッと動画みて時間潰す時とかあるよね〜。趣味の布教に付き合ってくれると嬉しいな、友達として、ね」
「……」
「他の友達にはこんなの勧めないけど、やっぱり小依くんは僕の中では特別な存在だからさ。是非とも一緒に、趣味を分かち合いたいな」
「なっ、いや、でも」
「あれ? どうしたの? 後はスープを飲むだけじゃない? スープ飲まない派かな。捨ててこようか?」
「ま、まだ具残ってる!」
「本当かなぁ? さっきから箸の動きに引っ掛かりがないように見えるけど?」
「いや、まだ……」
「じゃあいっきにかきこんじゃおっか! 僕は食べ終えたよご馳走様! 美味しかった!」
「……」
「うん、小依くんもご馳走様だよね! 後処理は僕がやっておくからここで座ってなよ!」
「待って!? お、俺も行く!」
「? ゴミ洗って捨てるだけだよね? 1人で出来るよ?」
「じ、自分で食べた分は自分で片す! だから一緒に行くし、そこに変とかない! あ、片付けたらすぐに寝るから、明日早いし!」
「明日休日だよ?」
「あっ……」
「ゆっくりできるね!」
「……なんっ、くそ……いじわる」
「んー声が小さくて聞こえないや! とりあえずゴミは僕が処理するから」
「やだ俺も一緒にやるっつってんじゃん離れんな!!」
うだうだ言う水瀬を連行しゴミを片す。
「それじゃおやすみ歯磨きしてくる!」
「うん歯磨きしたら一緒に観ようね」
「おやすみ!」
「おはよう!」
「まじ死ね!」
にっこりと意地悪い笑顔を浮かべた水瀬を全力で睨みつける。
歯磨きを終え、そのまま寝に入ろうとしたら寝室の前で腕を組んだ水瀬に立ち塞がれ、膠着状態の後に根負けしソファに座らされた。
「不条理だ。こんな事があっていいのか?」
「まあまあ。見てみたら意外と怖くないから、こういうの」
「お前はな?」
「食わず嫌いだよ。まともにホラーとか見た事ないでしょ?」
「……ガキの頃お前に死ぬほど見せられた」
「学校とかじゃ素っ気なかったのに見せるとしがみついてくるからね。かまちょ的行為だったなと今になって思うよ」
「はた迷惑すぎない!? やっぱお前根本的に性格終わってるんだよなぁ!」
「さて、最初のシーンに戻して、と」
「淡々と作業するのやめよ? 会話に花咲かせる努力して? おい、おい。こっち見ろって、無視やめて」
「スタートッ、てしがみつくの早すぎでしょ!? まだオープニングだよ!?」
不気味さを際立たせる音楽と深暗い色に滲んだ画面が映し出された瞬間に背筋がビクッとして水瀬にしがみついてしまった。彼から一度身を離し、膝に手を置いて固唾を飲み込む。
「そんな睨んでも映像は止まりませんよ」
「……」
「もう体が震えてるんだよなぁ……」
「震えてないから」
『まず、最初の投稿をご覧頂こう』
「かかってこいやぶっ殺してやる!!!」
「うわびっくりした! ぶっ殺すって、死後の存在でしょ幽霊は」
「なんでそんな事言うっ、うあぁ……」
細部なんて見れない程の画質荒れまくりの映像が流れる。和やかなホームパーティーの映像らしいんだが、ホラーのジャンルに区分されてるせいでかえって恐怖を煽られる。
「ぎゃあっ!?」
「痛い痛い! 腕に爪食い込ませてこないで!?」
「やだああぁっ!!」
「ぐるじっ……小依くん、ちょっと力緩めよう? ちょっとでいいから……!」
「やだやだやだぎゃああぁっ!!!」
「もうがっつりしっかり抱き着いてくるやん……」
本当にあった呪いの何某を全て見終わると、水瀬はため息を吐きながら俺の背中を優しく撫でてきた。そんなんで怖い思いをさせられた件がチャラになると思ってんのか。
「小依くん?」
「……ほら、怖がってなかったろ」
「声震えてるよ」
「ふふるえてない」
「ふが1つ多かったな」
「……お前、調子乗りすぎ。いつまでも背中撫でてんじゃねえよ気持ち悪ぃ」
悪態を吐くと水瀬は背中を撫でるのを辞め、その手を体の横に置いた。
「ちなみに、小依くんはいつ頃僕の上から降りてくれますか?」
「……」
水瀬の膝の上に跨って、胸に頭を押し付けている。まるで怖がって縋っているように見られているのは業腹だが、ある意味都合が良いので離れずにずっとこうしておく。
「もう10分くらい経つけど、復帰難しそう?」
「重いって言ってんのか。殺すぞ」
「言ってないでしょ。軽いよ」
「あ? 他の女の体重知ってんのお前?」
「なんで睨む!? 知るわけないでしょ! 全然重くないから軽いって言ってるだけだよ!」
「……あっそ」
ならいい。一瞬何故か殺意を抱きかけてたけどそれも引っ込んだ。危ない危ない、このまま首に手をかける所だった。
「小依くん。もうそろそろ……」
何も言わずに乗っかったままさらに数分経つと、再度水瀬は俺に声をかけてきた。彼の表情を伺い見ると、気恥しそうにしながらも困惑さの混じった顔で俺を見下ろしていた。
「小依くん?」
「…………水瀬はさ、俺の事女の子として見てんだよね」
「え、うん。だから今現在内心がてんやわんやになってるみたいな所ではある」
「内心てんやわんや?」
「女の子にこういう風にくっつかれると、健全な男子高校生は平常心じゃ居られなくなるんですよ」
「……襲われるとかそういう話?」
「近いけど違う、けどある意味ではそう」
「…………別にいいけど」
ボソッと吐く。が、水瀬の耳には届いていなかったようで「なんて?」と言ってきた。
「別にいいけどって言った」
「別にいいけどって言った? ……ふむ」
「…………分からないってなる流れか?」
「えっ。えー……小依くん」
「なに」
「……違ったら殴ってくれて構わないんだけど、それはつまり僕にそういう事されてもいい、的な事ですか?」
「そういう事ってなに」
「はっきり言うのは憚られるな……」
もごついた口調で水瀬が答える。いい加減に鈍感が過ぎるというか、この期に及んでまだ俺の言葉がストレートに伝わらないんだな。
……まぁ、再会した初期の頃に女扱いするなって口酸っぱくして言ってたのは俺の方だし、まさかそんな風に想われるだなんて夢にも思わないか。
水瀬側の気持ちも分かるし、よく考えたら疑ってかかったりするのも妥当だと思う。けど、もうそろそろこの感情を抑えながら、あくまで"友達"として距離を保ちながら接するのもしんどくなってきたし、ストレスだ。
……ここで拒絶したらどうしよう。そんな揺らぎが心臓の高まりに混ざる。それでも、どこかで区切りをつけてこういう事は言わないとなって自分の中でずっと考えていたし、それは早い方が絶対に良いだろって確信もある。
「だっ……」
それでも、俺はちゃんと言葉を紡ぐ事が出来ずに、顔を上げたまま水瀬と無言で見つめ合ってしまった。
自分の顔が赤くなっているのがわかる。水瀬はこまりながらも、何かを決意したような顔をしてゆっくりと口を開けた。
「……僕は」
そこから先、どんな言葉に繋がるのか俺の頭では分からない。けれど、今この場面で言葉を先出しされるのが嫌だった俺は、つい勢い余って、理性的では無い行動を取った。
水瀬の首に手を回し、そのまま身を起こして彼の唇に唇を当てる。驚いたような水瀬の見開かれる目が怖くて瞳を強く閉じ、爆発しそうな胸を放置して唇を押し付け続けて離す。
少しだけ荒い呼吸が口から漏れる。何が起きたのか理解できない様子の水瀬が次第に顔を赤くするのを見て、居てもたってもいられなくなりそのまま立ち上がって水瀬から距離を取る。
「小依く」「風呂入ってくる!」
水瀬から逃げるようにそのまま早足で脱衣場に入り、服を脱いで裸になって浴場でシャワーを浴びる。
自分一人だけの空間に逃げ込んでも心臓はちっとも収まってくれなくて。それどころか自分のしでかした事を思うとさっきよりもどんどん心音がうるさくなる。
「ガチのちゅーしちゃった……やばい、言い訳できない。やばい、やばい、どうしようやばい、まじでやばい」
その場でしゃがみこみ、手で目を覆う。シャワーから出る温水に混じって、情けなくも涙が溢れてる事に気付いてしまった。悲しさとかそういうのではなく、なんだろう。これに当て嵌められる感情が自分の中で分類できない。
怒ってたりするのだろうか。急にキスするとか。水瀬にとってはきっと初めての経験だったろうし、女がそんな簡単に男にキスするとか、不潔とか思われてないだろうか。
不安もある、けど変な感じだ。体がふわふわする。
水瀬に何言われるのか怖いけど、同時に今の行動を受けて水瀬がどう解釈したのかが物凄い気になる。
もう、ここまでされたら流石に鈍感を貫き通すのは不可能だろう。俺のストレートな行為を受けて、あいつがどうそれを受け取るのか、早くその答えを伝えてほしくてムズムズする。
「……」
立ち上がり、体を洗い終えて、何度も何度も深呼吸してシャワーを止める。数回扉を開けるのを躊躇った後、最悪リスカ跡が十数本増えるだけだ、と自分に鼓舞しながら浴場を出る。
「よ、し。よし、絶対聞いてやる。あいつの答え、絶対に煙に巻かせねぇ…………あ」
気合いを入れに入れまくって、もはや破裂しそうなまでに覚悟を固めながら体中の水気を拭き取り、パジャマに着替えようと洗濯機の上を見て気付く。
着替え、持ってきていなかった。
「……なんでやねん」
***
小依くんからキスをされた。
「まじか」
小依くんの方からキスをされた。それは、僕からしたら願ってもないことで、とても嬉しい事だったんだけれど。
えっ、つまりこれってそういう意味で合ってるのかな? でもさっき告白しようとした時、小依くんは何となくそれを察して口封じの為にキスをしてきた、とも取れるんだよな。
「……ふむ」
とりあえず好きな女の子とキスをしたという事で心拍数がマシンガンばりに加速しているが、それは置いといて。もし、仮に僕の事を好いていてくれるのなら、告白を阻止してくるような行為を取ったりするのだろうか。
いやでも、キスされたよ? これはもう間違いなく、少なくとも悪いようには思ってないって事でしょ。なんなら、なんならでしょ。確定でいいよねこれ、白確だよね。
いやいやいや、でも今まで散々女扱いしてくんなって言われたし、彼女からしたら中身は男の頃のままらしいし男同士なわけだよね?
「む……」
多分、小依くんの恋愛観は一般的に多数派である異性愛者だ。言動からそれは分かる事だし、僕以外の男に対しては結構男性嫌悪まで垣間見える発言するし、同じ女子に対して女体である事を最大限利用し楽しんでるし。
つまり、恋愛観のベーシックに則るなら小依くんはどこまで行っても僕の事は仲の良い男友達までで打ち止めになる筈だ。
でも、キスされたよ?
そうなんだよなぁ。キス、されたんだよなぁ。
いかんな、論理的な思考がキスによってジャミングされてる。ノイズの走り方がやばい、ネットに繋いでたらインターネットそのものを破壊しかねないほど強力なノイズが脳内パルスを引っ掻き回してる。思考を司る電気信号を掴んでソーラン節してる勢いだ。ぜんっぜん考えが纏まらない、し自分が何言ってるのかマジで分からない。意味不明すぎる。
とりあえずアレだな。小依くんの唇、めっちゃ柔らかかったな。それに良い匂いもしたし。あとやっぱり顔めっちゃ可愛いんだよな。
びっくりしたわ、心停止するって。なんで僕、あんなガチガチの美少女とキスなんか出来てんの。相変わらずめっちゃ体柔らかかったし。困るて。狂うわ、最早。
「……てか遅いな」
もう何を考えても全部小依くん可愛かったなぁ、あわよくばその先まで行きたいなマジで冗談抜きで、という色欲一色の考えに直結してしまうので、頭で思考するのは辞めて現実世界の出来事に意識を向ける。
もう結構経つが、一向に小依くんがお風呂場から出てくる様子がない。どうしたんだろう? ……さっきのキスが後になって効いてきて恥ずかしくなったのだろうか。
いや、にしてもシャワーの音が止まってからもう何分も経ってる。脱衣場に居るにしても、スマホは机の上にあるしやる事も無いだろう。
……なんか心配になってきた。以前も風邪引いてる時に無理やりシャワー浴びて倒れてたし、もしかしたら今回も実は体調が良くないのにシャワーを浴びたんじゃなかろうか?
「……ノックしてみるか。いった、ん……」
「…………なんで」
なんで、と小依くんが言う。既に彼女は脱衣場から出てきていて、今まさに寝室に入ろうとしている状況で僕と目が合った。
……小依くんは、裸にタオルを巻いただけの、昔の絵画にありそうな格好をしてそこに立っていた。
「……ギリシャ神話?」
「見るなよぉ!!!」
「ごめんね! いやまって、なんでそんな格好で出てるの!? なっ、何してるんまじで!?」
「着替えを持って行ってなかったんだよ!!!」
「だからってそうなるかなぁ!? てか言ってくれれば着替えぐらい持ってくよ!!!」
「やだ! きょっ、今日……シてたから。ベッドの上に置きっぱなんだよ!」
「仕舞いなさいよ!? 男を家に招き入れるならそれは流石に片付けよう!?」
「雨さえ降らんかったら普通に解散してただろ!!! バイト行く時もほぼ直行してたから寝室経由してないし!」
「にしてもこう、先んじて僕に目を瞑らせるとかさ……」
「お前変態じゃん! 薄目で絶対見てくるもん!!!」
「しないわ!」
「本当か!? 本当にしないって胸張って言えるか!?」
「……」
「はい黙った有罪!!! そんなんだからバレないようにそっと寝室で着替えようとしてたんだよ!! 変態!! クズ!!!」
めちゃくちゃ言われてますけど、これ僕が悪かったのかな? そりゃ、薄目で見る可能性は全然否定できないけどそれにしても信用無さすぎである。
「そこで動かず窓の方向いてろ! 絶対こっち向くなよ!!!」
「いや、あの……ごめん、窓反射してて」
「〜〜〜〜〜!!!? 最っ悪!! 床見てろ!!」
「あと、家に呼んでくれるのは嬉しいんだけど、男を入れる前にベランダから下着くらいは回収しとくべきだと思うよ……」
「ぎゃあああぁぁっ!? もうっ、本当まじで!!! くそがっ!!!」
悪態を吐きながらドタドタと足音を立てて小依くんはソファまでやってくる。音から察するにソファにかかっていたTシャツか何かを着て、そのままベランダまで行って僕が指摘した通り下着を乱暴に回収したのだろう。
寝室の方から荒々しい音を立てた後、それらが収束すると、ベッドが軋む音と共に「はあ!」と力強いため息が聴こえてきた。
「うがー!!! まじ終わってる!! 水瀬、変なの見えた!? 正直に答えろ!!!」
「そりゃ変なのは見たよ。神話の人居たもん」
「そういう事じゃなく!! 胸だの尻だのあそこだの!!!」
「あー……いや、そういうのはちゃんと隠れてたよ。てか即座に視線逸らしたし」
「はい嘘ー! 見るなって言って初めて目を逸らしたし!!」
責めるような口調でそう言うと、彼女はベッドの上に足を立てた状態でごろーんと寝転がった。パンツ、丸見えです。
「はぁ……はぁーあ。まじで、全部上手くいかんやん。なんなん、もう」
そう呟くと小依くんは仰向けの姿勢から横向きに姿勢を変えた。
「……水瀬」
小依くんが僕を呼ぶ。あまりにもしっかりパンツが丸見えになっているので目を逸らしていたら、再度彼女から名を呼ばれてそちらを向く。
彼女は怒ったような、不機嫌そうな表情のまま顔を赤らめ、一度言葉を吐こうとしたのを目を泳がしながら止めた後、小さく息を吸って口を開いた。
「あの、さ。文化祭あるやろ」
「あるね。あとパンツ見えてます」
「……えっち」
乙女のような言い方で非難された。Tシャツ引っ張ってますけどお尻の方隠れてないって。あと今度は胸が見えそうになるから、頭隠して尻隠さず方式やめてくれませんか。
「で、文化祭の話なんだけど」
「う、うん」
「…………その日、ちょっとだけ時間作ってくんね?」
「時間? 勿論いいけど、お昼とかじゃ駄目なの?」
「駄目。昼飯タイムはみんなそこら中に散るから人目を避けにくい」
「人目を……?」
「うん」
「……それで、時間作ってなにを?」
そう聞くと、小依くんは少しだけ黙りこくった後に震える声で返答を口にした。
「……言いたい事あるから。とりあえず、人が決まった場所に固まりやすいタイミングで、時間作って」
「言いたい事……それって」
「ここでは言わない。出鼻くじかれたし。……さっきのキスでお前がどう思ったのかも聞かない。その時になったら教えて」
「……」
え? それってつまり、そういう事なのでは? 僕も馬鹿じゃないからある程度察しはつきますけど???
いや、決めつけるのは良くないか。全然違うことを言ってるのであれば完全に勘違いの大恥だしな。明言されてない以上、思い込むのは良くないよな。うん。
「……あと、ソファで寝るの体に良くないから。ベッドで寝ろよ、お前も」
好きでしょ、僕の事。絶対そうじゃん。童貞って言われてもいいよ、もうそうとしか思えないもん。
何この急展開? 僕、これから文化祭までの数日間どう過ごせばいいの? もう一週間切ってますけど、どんな心構えを持って臨めばいいのこの数日間。
「水瀬?」
「……えーと。ベッドって、添い寝ですか?」
「言い方きも」
「別の言い方何がある!? 僕の語彙には添い寝以外ないもので!!!」
「……添い寝でいいわもう。ほら、来いよ」
言い方男らしっ。見た目ちっこい女の子なのにギャップすごいな。
「……失礼します」
「今回は言わないんだな。男女がどうこう、襲われるがどうこう」
「言われたいなら全然言いますけど。あのね、恋人でもない異性と寝るのは」
「うっさい黙れボケ」
「罠すぎるでしょ」
小依くんが僕を無視して電気を消すと、何も見えなくなって隣で同じベッドに入る音が聞こえた。
小依くんのベッドはあまり大きいサイズでは無い。身が密着するのは当たり前で、気恥ずかしくて壁の方に体を向けたら背中にピタッと小依くんがくっついてきた。
文化祭まで伝えないとの事だけど、隠す気ないなこれ。剥き出しすぎる。もうさっきのキスで諦めて全部開示する方向性にシフトしたのだろうか?
「……今日は抵抗しないんだな。くっつくの」
「うーん。実を言うと、小依くんに限ってはそういう事されるの、結構嬉しいので」
「……それさ。前々から俺に限定して物事を語るけど。それってさ」
「文化祭の日に言いたい事があるんでしょ? じゃあ僕もその日、ちょっと言いたい事あるからそれまでは何も言わないでおくね」
「……分かるだろ、なんとなく。馬鹿じゃねぇの」
「そっくりそのまま同じ言葉返すけど」
「俺に馬鹿って? 殴るよ?」
「理不尽なんだよな。まぁ、そういう所も可愛いからいいけど」
「っ、だから、そうやって可愛いってすぐ言うのまじ、やめろし」
「あはは。いつまで経っても慣れないね。可愛いって言われるの」
「……知らね」
背後でゴソゴソ音がして、小依くんがより身を寄せてくるのが分かった。
小依くんの方を向く。彼女は少し驚いたようで、僕の足に彼女の足が当たる。
「いつもくっついてくるけどさ。それされて、僕がどんな気持ちだったか分かる?」
「……分かんない。気持ち悪かった?」
「だとしたら添い寝の提案には乗らないな」
「じゃあなに」
「うん。こういう気持ち」
小依くんの身を抱き寄せる。我ながら大胆な行動だったし、小依くんも困惑して少しだけ僕の胴を押して離れようとしたが、すぐにそれをやめて小さな体を委ねるようにこちらに預けてきた。
「どんな気持ち? 気持ち悪い?」
「……ノーコメ」
「それありなんだ」
「ありだから。……あ、でも一つだけ言ってもいい感想はある」
「聞きましょう」
「……付き合ってもない女に平然とこんな事するとか、童貞の癖に生意気だなお前」
「そっくりそのまま第二弾」
「……知ってるよね? 俺、処女じゃない」
「ご、ごめん」
「別に。……やっぱ、処女じゃない女って汚いんかな」
「え!? それはどういう……?」
「よく言うじゃん。処女じゃない女は汚れてるみたいな」
「よくは言わないでしょ。めっちゃ昔の人の考え方じゃないのそれ」
「知らんけど。ネットとか見てると時々、さ」
「他の人はどう思ってるかは分からないけど、少なくとも僕は小依くんが汚れてるとか思わないよ」
「また特別扱いかよ」
「特別扱いだよ。何があっても嫌わないし、居なくならないしみたいな話したじゃん。それの延長線上でしょ、この話も」
「そうな。変な奴」
クスリと笑いながら彼女はそう言った。
彼女の体温を感じながら目を閉じる。緊張して寝れない。どうにか緊張をほぐそうと心頭滅却を試みていると、小依くんの両足が僕の片足に触れて絡めてきた。
「小依くん。エロい事は控えて頂けると助かるのですが」
「うわ。もっと言い方あるだろ、なんだそのストレートな言い方」
「もういいかなって。包み隠すと伝わらないしさ」
「俺の事馬鹿って思ってる?」
「勉強は出来るけど困るぐらい鈍い人だなとは思ってる」
「……お前に言われたくねえわ」
口を尖らせたような言い方で僕を責めつつ、小依くんは僕の腰に手を回してギューッと抱きついてきた。
口で言わずとも意思なんて簡単に相手に伝わってしまう。これは最早言葉を封じられたから、言葉以外の手法で僕に好意を伝えているのだろう。と、勝手に僕の中で納得しつつ、抱きつかれたから抱きしめ返してやった。
言葉にはならない声が小依くんから出てくる。なんだか嬉しそうな、心地良さそうな小動物みたいな鳴き声を発している。
「……これさ、もっと色んなことをしたら、それこそエッチが始まる流れ?」
「そっちこそ言い方。もっとオブラートに包もうよ」
「包む……避妊具持ってないからね。俺」
「下ネタ数珠繋ぎぃ! 流石にどういう流れになってもそんな事しないよ。恋人ではないんだからね、僕ら」
「だな。……急にするってなっても、心の準備が出来てないし」
「ふむ。出来てたらするの?」
「死ね。セクハラ変態野郎」
「あはは、ごめんね」
小依くんが軽く僕の胸を叩き、そのまま僕の腕を探って手の先まで指を移動させると、こちらに指に指を搦めた状態で自分の胸にそれを押し当ててきた。
指先の爪の方に小依くんの胸が当たる。わざとやっているのだろうか? 女の子特有の柔らかさを与えられて、また心拍数が上がる。
「あ、あとさ、エッチ関連で一つ話しときたい事あるんだけど」
「どんな関連性? 恋人未満の男女の会話とか思えないチョイスだね」
「まあまあ。俺さ、お前が寝てる間に既に1回キスしてるんだよね」
「……え?」
初耳なのですが。
「だから実は既にファーストキスは終わってるって話。ごめんな、奪っちゃって」
「小依くんなら構わないけど、でも急すぎるな」
「それだけ。おやすみ」
「え? ……えっ、ここで寝るの? まじで? 爆弾落として寝るマ? ちょっと?」
「……」
冗談かと思ってしばらく無言で様子見していたら、やがて小依くんの寝息が聴こえてきた。本当に寝てしまった。すごいなこの人、自由奔放すぎる。
「えぇ……おやすみ……」
相手は既に夢の世界に旅立っていたので、起こさないように小声で言ってこちらも目を閉じる。
……寝られるわけなくないか? 好きな人にキスされて、好きな人にもっと前に寝てる隙にキスしたって言われて、好きな人と両足絡めてゼロ距離で密着されて、抱きしめられた状態で。今にも心臓が口から飛び出てきそうな状況でどうして寝られる?
その後、1時間か2時間かした後も緊張と胸の高まりで全然眠れなかったんだが、途中目を覚ました小依くんからキスをされてしまった。ファースト、セカンド、サードの全ての記録を小依くんによって塗り潰され、彼女は満足そうにして再び寝息を立て始めた。こちらからしたら泣きっ面に蜂としか言えない追い打ちである。
結局、日が昇るまで僕は眠りにつくことは出来ず、入眠したのは6時を回ったあたりからであった。




