52話「天気予報」
「天気予報まじいかれてる!! くそー!!!」
小依くんがアルバイトを始めたとの事で、今日は珍しく彼女と一緒に下校する事となった……のだが、僕らが学校を出てすぐに天気は急に曇天に変わり、肌を強く叩きつける強い雨に見舞われてしまった。朝の天気予報では晴れの予報が出ていたというだけで腹が立つというのに、前触れのない大雨に打たれたというのが不服でならない。
バシャバシャと水溜まりを蹴飛ばしながら走り、ようやく見つけた屋根付きのベンチまで辿り着き退避する。互いに背中を向け合い、制服を絞って少しでも水分を取り除く。
「はぁー! いきなりこんな雨降るかね! ムカつく〜!」
「まじでいきなりだったよね。小依くん、雨女だったりする?」
「お前が雨男だったんだろ! はぁっ」
走り疲れたのか小依くんはベンチにドスンと腰掛けた。
「タオルとか持ってないよね?」
「持ってない〜。あるとしたらひざ掛けくらい」
「ひざ掛け?」
「教室のエアコンさっむいんだよ。ひざ掛けないとすぐお腹壊す」
「あ〜、ちょっと分かるかも。まあ運動部の人らからしたらガンガン冷やしてる方が快適なんだろうけどね」
「中間が無いのがしんどいよな。いっそ教室分けて欲しいワ、運動部とそれ以外で」
「言えてる。まあ部活決めの方がクラス決めより後に来るからそこは仕方ないけどね」
「分かってるけどさ〜」
ベンチに座りながら小依くんが伸びをする。
……制服、透けてるんだよなぁ。雨で濡れた布が肌に張り付いてうっすら肌色が見えている。中シャツは着ていたようなのでブラが見えてしまう一大事は回避出来ているが、そこはそれでまあ気まずい。スカートも濡れてるせいで足の形くっきりだし。
「小依くん」
「んー?」
「透けてます」
「……見んな、変態」
小依くんは自分を胸を手で隠しながら、僕を睨んで罵倒してきた。その仕草自体は可愛いんだけど、もうそろそろこれ関係で責められる謂れないと思うんだよな。
「そんなじっとは見てないでしょうが」
「……よく胸見てる」
「よくは見てないよ!?」
「今見てたじゃん」
「いやだってそりゃ、透けてるのに胸なんか張られたらさぁ!」
「きも」
「ごめんなさいね! 見ないよう気をつけます!」
僕は着ていたカーディガンを脱ぎ、それを小依くんの背中に掛けた。
「なに、冷たいんですけど」
「ずっと手で胸元隠すわけにはいかないでしょ。それ着なよ」
「…………ありがと」
小依くんは僕から顔を逸らした後にお礼を言った。さて、どうしたものか。とりあえずベンチの、小依くんとは少し距離を空けた位置にこちらも腰を下ろし休憩する。
いつまでも降り止まない雨が打つ地面を眺める。このままぼーっとして居たらバイトに間に合わないし風邪をひきそうだ。ていうか、服を濡らしたままバイト先に行く訳には居ないしどうしたもんかな……。
「……寒くね?」
「寒い」
「やばいよな。全身ずぶ濡れでさ、風も吹きまくってんのに動かないのは」
「そうだけど、この豪雨の中に飛び込む勇気は起きないですなぁ」
「そうなぁ」
短いやり取りの後、小依くんがこちらに身を近づけてきた。肘と肘が触れる。
何も言わないままで居たらまた少し近づき、隣同士ではあるものの完全に小依くんと密着する形となった。彼女の体温が冷えた体に流れてきて若干暖かくなる。
「近くないですか」
「寒いんだもん」
「寒いけども。僕の体冷たくない?」
「動かれたら冷たい。少ししたら、あったかい」
「微動だにするなと申すか」
「申す」
「拷問かな」
「うん」
「動き回ってやろうかな」
「駄目。動いたら殺す」
「やばぁ」
殺害予告までされたら安易に動く事は出来ないな。小依くんの小さな手で首を絞められたら落ちるまで時間が掛かりそうだ。
仕方ないので彼女の命令通りに石のように動かずを貫く。小依くんは自分の膝に手を置いてさすることで手のひらの水気を落とし、そこにはぁーっと吐息を当てた。
「帰る?」
「どうやって。濡れるの嫌だぞ」
「このままここにいるよりは早く家に着いた方がいいんじゃない?」
「……余計寒くなるからしばらく動きたくない」
「了解」
とは言うものの、身を寄せあっているせいでダイレクトに小依くんの震えが伝わるから大丈夫なのかなって気持ちになる。普通にこれ風邪引くコースじゃないかな……。
「逆に俺の体は? 冷たい?」
喋ることも無くなったと思った矢先、小依くんから話を振られた。
「小依くん? 冷たくはないけど……これセクハラにならない?」
「ならないでしょ別に。冷たくないならよかった」
「子供体温だから結構あったかいよ」
「余計な一言付け加えんな殺すぞ」
「声が震えてるなぁ。今の小依くんに野蛮な事なんて出来るのだろうか」
無言で拳を太ももに落とされた。そこで一旦、会話が途切れた。
互いに会話もないまま時が過ぎる。単純に、小依くんと密着してドキドキして変に緊張しているせいでどんな話を振ったらいいのか分からなくなっている。彼女の体が震えているせいで余計に彼女を意識してしまうのも要因なんだろうな。景色を眺めるのが精々だ。
小依くんサイドはなんで口数が少なくなっているのかあまり分からない。この状況に、まさか僕と同じようにドキドキしているとも思えないし、寒すぎて口を動かせないのだろうか。会話がない事で気まずいとは思わないけど、何も言わないとどんなことを考えているのか気になってしまう。
隣の小依くんをチラッと見る。雫の滴る黒い髪の隙間から覗く瞳は少しだけ細められていた。唇は先の方に力を入れるようにして結ばれていて、何か言いたげなのかそれとも寒さに震えているのか僅かにプルプルと振動していた。
彼女を観察したら、彼女の方からも僕の顔を見ようとしてきて目が合った。一瞬驚いたように目を見開いた後、彼女はすぐに眉をひそめて不快そうな表情を作ってから口を開いた。
「なに見てんの」
「大丈夫かなぁって思って」
「なにが」
「寒いでしょ?」
「お互い様だろ」
「そうだけど、僕は筋肉がある分小依くんの方がより寒いと思うからさ」
「そんな事ない。俺のが、厚着だし」
「細身だし心配だよ。素直に」
「あっそ。そりゃどうも」
そう言うと小依くんから先に僕から顔を逸らした。なんか気恥ずかしくなり僕も遅れて顔を小依くんのいる方とは逆の方に向けると、小依くんから押してくる力が少し強まった。
雨音しか聴こえない、木々で囲うように作られた休憩所。視界が開けていないせいで隣にいる少女の存在感がより強く僕の心を握りこんでくる。
少しだけ、彼女から距離を離す。すると視界の外で何かが動く気配がした。
小依くんが僕の制服の袖を指でつまんだ。でもそれ以上になにかの意思表示をすることは無く、彼女の方を向くとさっさと手を下ろして小依くんは何故か不満げな顔で僕から僅かに視線を外しながら話し始めた。
「なんで離れんの。寒いっつってんじゃんボケ」
「いや、ちょっとくっつきすぎかなと……」
「嫌なん?」
「全然嫌とかじゃなくてっ」
「じゃあなに」
「……恥ずかしくなったというか」
「寒いからくっつけ」
「僕ら一応肉体が男女なので」
「分かってるし。毎回馬鹿みたいに同じ話しないで」
「分かっているなら僕の葛藤も理解して頂きたい所」
「葛藤?」
「女の子にくっつかれるとこう……」
なんと言ったら丸いのか、言い回しが思いつかなくて言葉が止まってしまった。口が止まった僕に変わり、その続きを想像した小依くんが口を開いた。
「……きもい?」
「違うそっちじゃない!」
「違うのか。……よかった」
「最後の方風でよく聞き取れなかったんだけど、それとは真逆と言いますか」
「真逆?」
「……真逆というか。ドキドキするじゃないっすか」
「ドキドキ……俺に?」
「あっ」
やばい。地雷踏んだかもしれない。語尾が伸びたぞ、これ完全に『てめぇ、女扱いすんなっつったよな。殺されたいのかなぁ?』って圧掛けられてるわ。今の流れで軌道修正出来るかなぁ!?
「ドキドキというのは言葉の綾というか、女性の体に触れ合う機会なんてそうないので物珍しさでという意味でドキドキというか?」
「何が言いたいん?」
「あー、えー」
「長話嫌い。端的に言って」
「えぇ。……心臓に悪いから、あまりくっつかないで貰えると」
「……んだそれ」
小さな声でなにか呟くと、小依くんは膝に手を置いて俯きながら言葉を続けた。
「俺とくっついて、ドキドキ出来んの?」
「えっ。それは、そうでしょ」
「女にくっつかれただけでそうなるんだ。単純だな」
「そういう訳ではなくて。他の子にくっつかれたりしたら困惑するだけだし」
「……お、俺だけにドキドキしてんの?」
えっ。まあそうだが。そんなド直球な質問をしてくるんだ、怒るでもなく。
小依くんは割と真剣な目で、目を合わせると控えめに目を逸らしてはくるものの質問の答えを聞く姿勢自体は結構前のめりな感じでこちらの返しを待つ。
「答えろよ」
「う、うーん」
小依くんが少しだけ口調を強めてそう言うと、僕の方を見てきた。猫のようなクリクリの両目でしっかり僕の瞳を覗き込んできて、目を離したら噛みつかれそうな雰囲気すらあった。
謎の威圧感に圧され、僕は彼女の目を見たまま懸命に喉の奥から声を捻り出した。
「……小依くんだから、ドキドキしてる」
「なんで?」
ノータイム質問返し、に加えて彼女はベンチに手をついて一段階僕の方に身を寄せた。顔がグンッと近付き胴体が当たる。急な出来事に惚けていると、彼女は僕から借りたブカブカのカーディガンの袖で僕の頬を叩いてきた。
「無視すんな」
「してないよ!」
「したじゃん今」
「無視じゃなくて言い淀んだの!」
「言い淀むことなんかある? なんでって聞いてるだけじゃん」
「そ、それは……」
「それは?」
目を見てられなくなって、視線を落として彼女の口元に目が行った。開きかけていた柔らかそうな唇が急に閉じる。小依くんはとにかく人を睨みつけてくるから目元を見てると不機嫌そうな印象が目に付くが、口元だけを見ると逆に不安げそうな表情をしている錯覚に陥る。
少し時間が経つと彼女は舌打ちをして目線を足元に落とした。太ももに上に両手を置き、自分の指と指を絡めるように遊び始めたと思ったらポキポキと関節を鳴らし始めた。これから殴られるのだろうか?
「もういいわ。質問変える」
「あ、あぁ。そうしてもらえると助かります」
「ん。お前さ」
「はい」
「……俺の事、女の子として見てる?」
助からない。またしてもど真ん中ストレートの質問が飛んできた。肉体云々じゃなく、もう個人の扱い方そのものの体で聞いてきてるよねこれ。
「これには答えろよ」
彼女の言葉は低く、静かで音をその空間にそのまま置いているかのような落ち着きがあった。
「…………女の子として見てるよ。当たり前だろ」
「そっか。……じゃあ、お前ん中で男の頃の冬浦小依はもう残ってないの? 死んじゃった?」
「それは残ってるけど……なんて言えばいいんだろう。それを加味した上で、女の子として見ているというか」
「分かった」
屋根に落ちる雨の音が強くなる。全然降り止む様子のない雨のせいで時間がどんどん間延びしていく。
彼女はこちらに体を少し近付けた。小依くんの肩と僕の肩下が触れ合う。
「ち、近いって」
「俺のこと女の子として見てて、お前は俺にドキドキしてるんだよね」
「……」
「そうだったとして。じゃあこれはいけない事なん?」
「というと?」
「だから。こういう事するのは、いけない事なん?」
「……少なくとも、好きでもない異性にこういうのをするのは、おかしいんじゃないかな」
「へぇ」
相槌を打つと、彼女は更に僕の方にくっつく力を強めた。若干彼女の方に背中を向けると、小依くんはそのまま僕の右の肩甲骨辺りに頭を当ててきた。
最近やけに小依くんからの距離感が近すぎるなと感じる事がある。何故こんなにも近付いてくるのか、こんな事をされたら流石に勘違いだってしてしまうのは当然だと彼女に言いたい。
「誤解されるよ?」
「誰に? 誰も見てないじゃん」
「主に僕に」
「………………誤解じゃないし」
なんて言ったのか、今度こそ本当に聞き取れなかった。寝言のようなふわついた口調で、口先から出てすぐに地面の方に落ちていくようなボリュームの声だったから聞き取ることなんて不可能だった。
彼女はしばらくの間動かずに僕にくっついた後、身を正して僕から離れた。ちゃんと座り直した小依くんの顔は仄かに赤く染め上がっていて、不機嫌顔はいつもより緩くてどちらかと言うと恥ずかしさとか、そういうのを必死に隠そうとしているような表情をしていた。
「そろそろ帰るわ」
「まだ雨ザーザーですけど」
「走る」
「風邪引くって」
「いつ雨止むのか分かんないし」
「もう少ししたら弱まるんじゃないかな。現行の天気予報を見た感じ」
「……じゃあもう少しこうしてる。こっち向いて」
「え?」
彼女に言われた通り体を彼女のいる方に向けると、僕の胸元に耳を当てるようにして小依くんがまた身をくっつけてきた。
誰も居ない空間で二人きり、好意を寄せる相手と身を寄せ合う。そこだけ切り取ればロマンティックな場面にも思えるけど、小依くんは一向に僕の気持ちには気付かないし正直に告白したらきっと傷つけてしまう関係性だから、実を言うとこれは自傷行為に近い状況だった。
好意と自制の間で心で揺れて胸が痛くなる。それでも鼓動は僕の意思を無視して勢いを早めている。胸に耳を当てる小依くんには、その鼓動の音が聴こえているのかもしれない。
……もしそれを聴かれても、小依くんはきっと僕の気持ちには気付かないだろうなっていう嫌な方向の信頼があった。僕が彼女の事を女の子として見ていようと、彼女は僕に恋愛的な意味で好かれるなんて発想は無いだろうし、単に心拍数が上がっているとしか思わないんだろうな。
「なあ」
「はい」
「心臓の音、聴こえないんですけど」
「僕死んでる!?」
「服が邪魔なんだと思う。あと姿勢」
「脱がないよ」
「なんで」
「不審者情報に書き込まれるのはちょっと」
「人に見られそうになったら隠してやるよ」
「ごめんね。言葉選ばずに言うけど、野外でやる事やってるカップルにしか見られないと思うよ」
「カップル……」
「そこピックアップして僕に攻撃するのはやめてくださいね? 理不尽すぎるので」
「……分かってるよ」
小依くんは少し頭の位置をズラして僕の胸の奥にある心臓の音を探り当てようとしていた。だがいくらやっても聴こえてこないらしく、やがて諦めたようにため息を吐くと動くのをやめた。
「……鈍感すぎん?」
「? なんか言った?」
「固い枕だなぁって言った」
「皮の下に羽毛を詰めろと言うつもりですか」
「おもろそうそれ。今度やろうぜ」
「グロ拷問じゃん。やらないよ」
「えー。残念」
「残念まじか。怖いかもな〜、この人」
小依くんは何をするでもなく僕の体に身を預ける。きっとそこに特別な意味なんかない。最近は夜まで一緒にオンラインでゲームをやっていたから、疲労の蓄積が雨に打たれたことでどっと溢れてきて動く気力が損なわれているだけなのだろう。
なんだか、伝わる事は永遠にないんだろうなって思ってはいるものの、こちらだけが小依くんの事をどう思っているのかを聞かれてそれでおしまいはちょっと不公平じゃないか、なんて考えが浮かんできた。
「小依くんは」「10分したら」
喋るタイミングが丸かぶりした。寸分違わない一致率100パーセントの語り出しだったので小依くんは吹き出し、楽しそうに笑っていた。それに釣られて僕も少しだけ笑って、二人して肩を揺らしながら今起きた奇跡を分かち合った。
「あははっ。な、なんだった?」
「い、いや、僕のは大した事ないから。小依くんは?」
「俺は、あと10分したら俺の家に移動しようぜって言おうとした」
「小依くんの家?」
「ここからだと俺の家の方が近いでしょ? そろそろお互い体を冷やしすぎだし、風呂入って着替えないと本気で風邪引く事になりそうだからさ」
「シャワーはありがたいんだけど、バイト先に着ていく服がないよ」
「俺の服着てけばいいんじゃない?」
「前にも借りたけど、やっぱりレディース服はちょっと……」
「じゃあジャージ……は授業で使うから、体操服貸してやるよ。体操服なら男女でデザインの違いはないやろ」
「無いけど、バイト先に体操服は結構際どいか」
「じゃあ女装ルートだな」
「体操服借りますね。ありがとう小依くん!」
「あいよ」
笑いあった直後もあって小依くんは快活な返事をした。体をくっつけ合っている事、忘れてないかな。あと、手の位置がしんどいから移動させたいんだけどすぐ近くに小依くんの尻があるから動かせなかった。痺れるの確定だなこれは。
「やーばい。体操服洗濯機の中だわ」
小依くんの家に着き、パパっとシャワーを浴びて私服に着替えた彼女が玄関に戻ってくるとそのような言葉を発した。
「問題が起きたぞ水瀬。体操服の余りがない」
「ないか……ま、まぁそれならダッシュで自分の寮に戻ろうかな」
「いや。うーん……女装する?」
「しないです。気持ちはありがたいんだけど、流石にバイト中は女物の服はね……」
「だよなぁ」
僕の返答を聞き彼女は腕を組み考える。数秒間思考を巡らした後、彼女は部屋の方へ歩いて行って鞄を持って帰ってきた。
床に鞄を置き、何をするのかと思いきや彼女は鞄の中に入っていた畳まれた体操服を取り出した。
「一応択はある」
「ほう」
「というのがこれ」
彼女は自分が今しがた取り出した、おそらく今日の体育の授業で使用したであろう体操服を指差す。
「……今日着てたから、綺麗ではないんだけど一応、体操服はある」
「ふむ」
「これ、着る?」
「……ふむ」
ふむ。なるほど。
このまま、全身ずぶ濡れのまま、今なお勢いを増す豪雨の中自分の寮に帰って自分の服を着るか。
女性として見てもかなり小柄な小依くんが普段着ている、女物の服を着るか。
小依くんが授業で使用していた、なんだったらその後僕と昼食を取る時も着ていた体操服を着るか。
3択、か。うーん、なるほど。
「……汗臭いだろうから、これはこれで罰ゲームになるだろうけどさ。濡れた服を着るくらいなら、まぁ……風邪を引くリスクは避けれるよな」
「……えっと、小依くん的にはおっけーなのでしょうか」
「俺?」
「う、うん。ついさっき自分が着ていた服を着られるの、生理的に大丈夫?」
「今日生理じゃない」
「そういう事ではなく。生理的に無理って概念あるじゃんか」
「俺は全然平気だけど。むしろそこを気にするべきは水瀬というか」
「僕の方も、問題は無いけど」
「じゃあ」
小依くんから体操服を手渡される。今日彼女が着ていた感覚、温もりは残っていないけど感触は確かに、脱いだ後の服という事でヨレていて生々しい感じ。
「……あんま匂い嗅がないでね」
「そ、それはもちろん」
「あ、でもっ……いいや。ごめん、シャワー行ってらっしゃい」
「了解です」
彼女から借りた体操服を持ったまま脱衣場に入り、服を脱ぎ浴場に立つ。何気にこれで小依くんの家でお風呂を借りるのは3回目になるけど、地味にこれも緊張するんだよな……。
普段彼女がここでシャワーを浴びてお風呂に入っていることを意識すると貧血で倒れそうになるので、何も考えないようにしつつさっさとやる事を済ませて脱衣場に出る。
「さて……」
目の前には小依くんの体操服がある。ていうかその手前にまた別の問題があるんだよな。下着どうしよう、びしょ濡れのまま履くか……。
「上がったー?」
「っ!?」
びっっっくりしたぁ! 戸を隔てたすぐそこから小依くんの声がした。
慌てて反射的に脱衣場の戸を手で抑えたが、開けるわけないか。開けるわけないよな、手は退かせないけど。
「あれ、水瀬ー? 出たー?」
「出たよ。どうしたの?」
「いや。そういえば下着どうすんのかなって」
「丁度今悩んでた所だな。履いたら一気に気分最悪になったもん」
「だよな。いいよ、洗濯しとくわ」
「……ストップ。それ、ノーパンで短パンを履けと言っている?」
「? そりゃな」
そりゃな、て。まあ小依くんからしたら気にする所はないかもしれないけどさ……。
「制服の上に置いといたらテキトーに洗っとくから、着替えたら教えてな」
「了解です……」
申し訳なさから戸の前で一礼をして、下着を制服の上と下の間に挟みつつ。気まずさに耐えながらノーパンで小依くんの体操服のズボンを履く。
めっちゃスースーするわ。初めてだな、ノーパンでズボン履いたの。というか、やっぱり小さいなぁ。結構下げパンしないと膝小僧が出てしまうな。
「で、上か……」
ズボンは言うて下半身だから身に付けてもそこまで意識する事は……ないとも言えないか。今僕ノーパンだしな。でもそれはそれとして、やっぱり上の方が問題なんだよな。
……うん、汗臭くはない。むしろ甘くて良い匂いがする。やばいやばい。防御力が紙なのに血を集めるのはまずすぎる。これでムクついたら隠しようがない。脳から無駄な情報を追い出さなくては。
「いや無理だ。前に借りた服より匂いが……」
「お前変態みたいなこと言ってるだろ」
「なんでそこでスタンバってるんだ!?」
独り言のつもりで口から吐いた言葉を思い切っきり小依くんに聞かれてしまった。おかしいでしょ、人が脱衣場にいるのにその入口の前にスタンバイしてるのは。
「臭いって言ったら殴り込むつもりだったんだよ」
「借り物でそんな事言うわけないでしょ!?」
「言ってるやんけ今」
「臭いとは言ってないよ」
「……匂いの感想を口に出すの普通に謎だしナチュラルにきしょいから。言わないだろ」
「小依くん。やっぱ服小さいや。際どい感じになってる」
「話逸らすな。……でもそれ以外だと女装になるぞ。天秤にかけたらどっちがキツいん?」
「どっちもキツいかもしれない、僕視点」
「見せてみ」
戸を開けて小依くんの前に姿を現す。身長150も無い小依くんの体操服を身長180超えてる僕が着ることによって生まれる魔物を目にした小依くんは、一瞬フリーズした後にぎゃははははと大笑いをしてその場にしゃがみ込んだ。
「いひひっ!! ぎゃははははっ!! やばいやばい、はち切れんばかりのわがままボディすぎるっ!!! ぎゃっはははははははっ!!! お腹痛いっ!!」
「これで外出たら事案だよね」
「なんならっ、ふはははっ!! 俺が通報したいわこんなん!! ゴンじゃん!! いやビスケッ、ひゃはははははっ!!!」
「生まれて初めてちゃんと死にたいって思ったよ」
「これで散歩行こうぜ!」
「行くかぁ! 他の服貸して!!!」
「今着れるやつだとスカートしかないかも〜」
「……今日バイト休もうかな」
「くふふっ、ひひっ。ふー……なに、じゃあ泊まってくん?」
「いや……」
「着れる服ないよ?」
ニヤニヤしながら小依くんが僕に問い掛けてくる。他人事だと思って最大限に楽しんでいるな。
「人が羞恥心を押し殺して今の姿を見せたのにあんまりな態度だと思わないのかい。良心の呵責とかないのかな」
「俺に道徳を説くのなら、女の前に変態的な格好で現れたという客観視したらどう考えてもセクハラな案件を自分の中で咀嚼して考えてみてくれ」
「見せてと言ったのはそっちでしょうが!」
「じゃあ人にちんこ見せてって言われたら見せるんか?」
「見せるわけないだろ!」
「その変態ルックは見せるわけないだろの枠組みに入らないんだ」
「なるほど僕に勝ち目ないか一旦。都合が悪いな、この話は無しにしよう」
「無理。俺に都合が良いからこの話題のままお前を詰めようかなと思ってる」
「シャワー貸してくれてありがとう自分の服着て帰るよありがとうね本当に!!!」
「いいよいいよそのままバイト先いけよ!」
「遠慮しておっ、力強いな!?」
戸を閉めて着替えようと思ったら小依くんが戸に半身を捩じ込んで着替えるのを阻害してきた。数分間に及ぶ健闘の末、小依くんが怪我をしかねなかったので諦めて今日はバイトを休むという選択肢を取った。
「俺がいない間変な所見たりするなよ。ここでずっとスマホ眺めてろ」
「なんでこんなことに……」
雨は微塵も止む様子はなく、折角シャワー浴びたのに濡れたままの服を着るのは頭が悪いと言われたのでまたしても泊まる事となり、小依くんがバイトに行っている間留守番するという形に落ち着いた。
……女の子の家に上がり込んで帰りを待つってもはや彼氏じゃない? と、小依くんが家から出ていった後に気付いた。このまま付き合えたらな〜、なんて思うだけ無駄な自傷行為なのであまり考えないように努めようと思ったが、そんな努力は実らず虚しい感情のまま小依くんの帰りを待ち続けた。しんどいわ、これ。




