49話「盗人猛々しく」
いつも通り5時に起きる。寝起き一発目の気だるさを伸びで解消しカーテンを開ける。
「ふあ……」
欠伸を噛み殺しながら寝室を出ると俺以外の人間の寝息が聴こえた。
「……水瀬か。いるんだった」
深夜までゴネまくって格闘ゲームをやらせておきながら、そんな事をすっかり忘れて普通に物音を出しながら移動してしまった。
水瀬が眠っているソファの上を覗き見る。彼はすっかり熟睡しており、起きる気配など僅かも感じ取れなかった。前に一度だけ家に泊めた事あったが、その時も隣で寝てたのにどれだけ動いても起きなかったのを思い出した。中々眠りから覚めないタイプなんだなあ。
歯を磨いて顔を洗って寝癖を梳かして。学校の支度をしようとまた寝室に戻る最中、足が止まった。
「んしょっと」
足の先から腹の上まで布を乗せて眠っている水瀬の側で膝立ちになる。
「おーい」
声掛けするが反応は無い。すやすやと気持ちよさそうに眠りこけている。
今の水瀬は俺が何をしても怒ったり驚いたり、引いたりもしない。
試しにそーっと水瀬の左腕を持ち上げてみる。……重い。寝てて完全に脱力してるからというのもあるだろうけど、腕の細い俺とは筋肉量が段違いなんだろうな。
血管が太くて、筋肉は意外と力入れないと柔らかくて。でも、俺のツルッツルでぶにぶにの脂肪しかない腕とは全然違っていて、その差異が不思議で触り続けてしまう。
指の腹で水瀬の手首、俺で言ったらリスカでズタズタになってる部分の血管をなぞる、反応は無し。
「……」
いつからだろう。水瀬といると心臓が苦しくなる。悲しみで泣いている時と苦しみの抱き方は似ているけど、どこか少しだけ違う窮屈な感覚に窒息しそうになる。昨日なんかそれで熱に浮かされたみたいになって、自分でもよく分からない事を口走ったりもしたし。
今もなんだか変な気分だ。動く気配のない水瀬に対して、不躾に触れてしまいたいって思いが湧き出てくる。
嫌われるのが怖いから抑えていたけど、今なら何をしてもバレない。
頭にそっと触れて、髪を撫でる。起きてる時にやったら驚かれて『それは良くない』って諭される行為だ。でも今の水瀬は無防備で何も言わない。
「何発殴ったら起きるかゲームでもしてやろうかな」
なんてね。そんな事は実際する気無いけど、軽くぺちーんと胸筋を叩いた。
「んっ……ふが」
「っ!?」
水瀬は起きはしなかったが、寝た状態のまま俺の腕を抱え込んで体勢を向こう側に傾けた。動けなくなっちゃった。
「ちょいっ……!」
結構しっかりホールドされてるせいで体が引っ張られて水瀬の上に倒れ込みそうになる。姿勢が辛い、水瀬を起こさないように気を付けながらソファの上に彼の身を跨るように膝で乗っかる。
自分の下に水瀬が居る。左腕が彼に抱え込まれてそっちに体を倒さないといけないから止むを得ず顔の位置を水瀬の顔の正面に置くしかなかった。
(み、水瀬……)
ボソボソ声で呼び掛けるが効果はない。いくら引っ張っても左腕はビクともしないし、水瀬の寝息が首に掛かって余計変な気分にされる。
心臓がばくついて、胸が苦しくなって息が荒くなる。ちょっとイタズラしてやろうって思っただけなのになんでこんな目に遭わなきゃならないんだ!?
寝息を立てる度に呼吸に合わせて身が揺れていて、その揺れがダイレクトで俺に伝わる。水瀬の体が暖かいせいで変な汗が出てくる。うぁ、また引っ張っ、近いって……!
「ね、ねぇ。水瀬、起きて……」
自分の腕を揺らしてもビクともしない。だいぶ迷った後に水瀬の耳たぶを少し引っ張ってみるも、やはり起きてはくれなかった。
あれ? 起こしたいのならそのまま至近距離で大声を出せばいいのでは? なんでボソボソ声で喋っているんだろう? ……いやいや、この状況で起きられたら絶対説教されるだろ。それが嫌だわ、うん納得。
「……」
じゃあどうするんだって話。正直、水瀬に体重をかけないように腰を浮かしてるから膝がガクガクいってるし疲労が溜まり続けてますが。このままの姿勢を維持してたら絶対すぐに倒れ込むぞ、水瀬の上に。覆い被さるように。それはやばいねどう考えても。
で、も……もう限界だ。主に膝がやばい、ふくらはぎとか攣りそう。
仕方ない。そっと水瀬を起こさないように優しく彼の足の上に足腰を下ろし、少しずつ体重をソファ
背もたれに掛けながら水瀬に接触してる部位にも落とす。
いつもはなんか照れくさくてあまり直視出来ない水瀬の顔がすぐ近くにある。……心臓が痛い。子供の頃の面影を残しながらも、大人に近付いた顔つきしやがって。恨めしい。
「……勝手に身長も馬鹿みたいに伸びやがって。うざ。筋肉も……」
悔しくなって恨み言を吐くも水瀬には何も届かない。水瀬の厳かな寝息が吐き出されている口に意識が向いてしまう。
「…………違う」
俺はこいつの事なんか好きじゃない、と思ってる。けど、こいつが俺に対して、女として大きく距離を取ろうとする行動や言動を取った時、どこか寂しいような、悲しいような、そんな思いをするのも事実なわけで。
咲那がこいつに告った時、俺はこいつを取られたと感じて泣いた。それは、純粋に友達を取られた時の感情とも違う気がして、だからこそ頭の中からその記憶を忘れようとしたけど、出来なくて。
また同じ思いをするのが嫌で、桃果に冷たく当ったり怒っちゃったり。でもそれが友人間で当たり前の行動なのかと言われたら多分違うって、そんな旨の事を田中に言われてからずっと胸の内が晴れない思いをしていた。
男は獣だとか、男女がどうとか言うくせに俺には何もしない感じの態度が気に入らない。
可愛いだのなんだの言うくせに、ちょっと体が当たったりしたら一々離れようとしてくるのが気に食わない。
でも……俺は、元々男だったし。こいつの事いじめてたし。だからそういう想いを抱くのは致命的に間違ってる事だと思うし、水瀬からしてもそんな想いを向けられても迷惑だろうなと分かっている。から、一定の距離は保とうとは思っていた。
頭の中がまた変になっている。ぐちゃぐちゃの吐瀉物みたいに色んな考えが入り交じっていて、至極シンプルな結論に至らず俺の左心房周りの血管をしきりに握りこんでくる。
でも確実に言える事、1番許せないのは……俺がこいつを特別扱いしてるのはどこをどう取っても明らかなのに、それにこいつが気付かず無自覚な事だった。
「お前以外の男に興味無いっつってんのに、なんでそこには注目しないんだよ。……ばか」
手で水瀬の髪を退かして、眠っている水瀬の顔に顔を近づける。それは衝動的な行いで、どういう意図があって行ったのかと聞かれるとしたら特に何も答えなんて用意出来ない行為だった。
少しだけ逡巡の間が生まれた。唇が水瀬に触れる直前、もしこの現場を見られたりしたらこれまでの関係が壊れてしまう気がした。
それと、自分の中で何かが変わるような気もした。変わる、というか、目を逸らす事が出来なくなりそうというか。
「……っ」
考えるのは嫌いだ。
水瀬の熱が唇に触れる。心臓の痛みが柔らかくなると思って行動を取る決心をつけたのに、口を離したらより一層に胸が苦しくなった。
再び水瀬の顔に顔を近付ける。外から聴こえる車の排気音と時計の秒針の音、それらの環境音が遠のくくらい煩く心臓は鳴り続けていた。
***
「お、おはよう小依くん」
「おはよー」
6時半に差し掛かった所で水瀬がムクリと起き上がった。丁度トーストを焼き上げたタイミングだ、トースターのチーンっていう音をきっかけに起きたのだろう。
「飯食う?」
「あー……食べたい」
「あい」
既に火の入っていたフライパンに卵を落とし目玉焼きにして、トーストと一緒に水瀬の前に出す。
「いちごかマーマレードか」
「……マーマレード」
「目玉焼きは? なにつけたい」
「塩が好きかな」
「分かった」
冷蔵庫からジャムの入った瓶を出し、スプーンと一緒に机に置く。塩は……どこだっけな。見つからないや。
「無かったら大丈夫だよ」
「どっかにあると思うー。ちょっと待ってて」
「……小依くん」
「なにー?」
「寝てる間、僕になんかした?」
ガンッと音が鳴る。調味料を収納するスペースの開き戸に頭をぶつけた音だった。痛い。
「っ、べ、別に。何もしてないけど?」
「大丈夫? なんか音したけど」
「大丈夫! なんでもない!」
「そっか。何もしてないの?」
「してない!!」
「じゃあ気の所為か」
納得出来ていなさそうな様子で、水瀬は瓶を開けジャムを塗り始めた。途中で一度起きかけてたのだろうか? だとするとどのタイミングだろう。……でも怒ってる感じはしないし何をしたかまではバレてないっぽいな。良かった。
「あ、あったあった。てか飲み物は? なに飲みたい、お茶か水か暖かいコーヒーか」
「なんでもおっけーですよ」
「じゃあコップに痰でも吐いて渡してあげようか」
「一番ない選択肢でしょうが。ふぁ……じゃあ、お茶ちょうだい」
「お茶ね。麦茶な」
「うん、ありがと」
塩と麦茶の入ったコップを机に置き、自分で食べる分の飯も机に運びモソモソとトーストを口に運ぶ水瀬の隣に座る。すると彼はティッシュを捨てようとして手を伸ばし、俺との距離が縮まってその手が背中に触れた。ギョッとして水瀬の方を見る。
「あっと、ごめんね。ちょっとごみ捨てるね」
「お、おう」
「? どうしたの」
「どうもしてないよ! あっ!」
手からジャムを塗ろうとしていたスプーンが落ちて机に着いてしまった。
「あらら」
「拭くのは俺がやる!」
「いいよ、近くにティッシュあるしついでに拭いとくよ」
「落下位置は俺の方が近いから俺が拭くし!」
「言い回しがちょっと面白いな。どうしたの、大丈夫?」
「なんが!!」
「噛んだじゃん。なんか動揺してる?」
「してない!!!」
「声でっか……てかすごいさっきからビクビクしてるし。手が震えてる? 風邪とか?」
「寝ぼけてんの! 寝不足だから手が震えるの!」
「ちゃんと寝なさいよ。夜なにしてたん?」
「なんにもしてないし!」
「こわぁ。何もせずに夜更かしはもう妖怪じゃん」
「うっさいな、黙って飯食えよ!」
「今日は不機嫌パターンかぁ」
水瀬が食事を再開したのを見て、少し距離を空けて座り直す。
風邪は引いてないけど、風邪を引いた時のように耳とか頭とかがふわふわに火照っている。平常心になれ、冬浦小依。俺は何もしていないし水瀬は何も見ていない、動揺する必要なんてないんだ。
「……なんで睨んでくるのさ?」
「に、睨んでない」
「目付き鋭いよ?」
「……眠いだけだから」
「そんなに眠いの?」
「眠い」
「なるほど。ちょっと小依くん、耳失礼してもいい?」
「耳? ……ひゃっ!?」
何をするのかと思ったら突然水瀬に耳たぶを指でつままれて変な声が出てしまった。まさか、やっぱりさっき起きていて俺のした事、バレてるのか……!?
「な、なにするんだよぉ!」
「眠気を覚ますツボを教えてしんぜよう」
「眠気を覚ますツボ……? んっ、ちょちょちょ!」
「はいはい?」
「ツボはいいや! ごめんありがと、こっちでどうにかするからお構いなく!」
「了解」
耳から手が離れて一息つく。びっくりした、心臓破けるかと思った……。
「……顔赤くない? やっぱり風邪?」
「あぁあ赤くないわ!!!」
「声でっかいって。朝イチの声量じゃないんだよなさっきから……」
誰が大声を出させているんだ、お前が全面的に悪いだろ! ああもうくそっ、目を押えて記憶抹消処理に努める。隣からは困惑した声が聴こえてくるし、処理は上手くいかなかった。踏んだり蹴ったりか。
「……あ、てかカバン」
「あ?」
「僕学校行く支度してないや。一旦寮に戻らないとなって」
「あぁ。……何時に出んの」
「7時半とか? 遅くても8時前には出たいかな」
「ふーん」
「……それまでまたゲームする? 何戦か」
「朝はそういうのしない、辞め時分からんくなるし。女は男と違ってメイクとかもしなきゃだからそんな余裕ないし」
「校則違反なんだけどね、メイク」
「しなきゃかえって変な目で見られるんだよ」
「あー、地雷系で売ってるもんね」
「売ってませんけど。なんだよ地雷系で売るって」
「皆のイメージ的にさ、地雷系女子の印象で固められてるから確かにすっぴんでは登校しにくいのかなって思ってさ」
「はぁ。まあ……そうだね。お前の前ならまだアレだけど、皆のいる所でノーメイクでは居づらいというか、怖いかも」
「怖い?」
「うーん……別に自分の美醜はどうでもいい、とは思ってるんだけどさ。いざそういう面で馬鹿にされたらって考えると、少し怖い」
「おー、なんかちゃんとメンヘラっぽい意見だね」
「いきなりなにお前、殴るよ?」
「久しぶりに会った時の第一印象がメンヘラ地雷系ギャルだったからね。大体の人がその印象を付けるだろうし、1度そのイメージが着いたら払拭できないでしょ」
「メンヘラじゃないし」
「手首とか舌とか、ね」
「うっさい」
リスカしてる奴はおしなべてメンヘラだと言いたいのか。そこに関しては俺も同感だよ、むかつくけど。
でも別にそういう後ろめたさというか、マイナスの感情でメイクしてるのかと言われたらそうとも限らないし。してる方がマシなんだからするだろって程度の話なんだからメンヘラネタに絡めないでほしいものだ。
「でもそっか、メイクするのか。毎日してるの?」
「……してない日もあるけど、そういう日はマスクとかしてる」
「そうなん? 小依くん、元が可愛いから正直メイクしてる感じあんま分からなかったかも」
「かっ!? ば、ばかじゃねえの」
「ていうか顔良いんだからメイクしなくても、なんて事も思うけどこれはとやかく言うアレもないか」
「ばかじゃねえのって!! 可愛くないし!」
「良くないよ。そういう謙遜は」
「謙遜っていうかっ……うざい! 無闇矢鱈にそういうの言わないって約束したじゃん!」
「無闇矢鱈には言ってないじゃん? 久しぶりに言ったでしょ」
「そうだっけ……でもよくない!」
「顔赤いなぁ。本当に体調大丈夫? 辛くない?」
「別の意味で辛いわ!」
「別の意味?」
「あっ、いや……気にしないでそこは……」
「…………照れてる?」
「〜〜〜〜っ!? 照れてないって何回も何回もっ、キモすぎお前! 童貞!! 童貞童貞童貞童貞!! クズ!!!」
「泣いてもいいですか」
「勝手に泣けば!」
水瀬は俺の反応を見て楽しそうに笑っていた。もう知らね。顔を背けて飯を食らう。
「ねえ、小依くん」
「……」
「小依くーん?」
「……なに」
「メイクする所見せてよ」
「はぁあー? 嫌だ」
「なんでさ」
「なんかやだ。てか帰るんだろ」
「まだまだ時間あるし」
「……別に楽しいものでもないし。見せる意味ない」
「ん〜、僕からしたら楽しそうだし」
「眺めるのが? どこが楽しいんだよ。ただの日課なんですけど」
「僕には無い日課なので」
「……顔をずっと見られなきゃいけないとか意味分かんない。無理」
「無理矢理泊まらされたんだよ? そのくらいの願いは叶えてくれてもいいじゃないか」
「それはお前がっ、人の胸、触るから……」
昨日あった出来事を思い出し恥ずかしくなる。俺、水瀬に乳首とか見られたし、胸を直で……うぐあぁ! 黒歴史だ!! 忘れ去りたい、恥ずかしい恥ずかしい!!
「お願い小依くん。今回だけ!」
「そんな見たいん!?」
「見たい!」
「即答……でも、俺もあんまメイク上手くないから、他の女子がするよりも真面目にやってないというか中途半端で終わらせてるから……参考とかには絶対ならないし、手際悪くてつまんないよ」
「他の女子がどうとかは別にどうでもいいかな。小依くんがしてるのを見てたいんだよ」
「……なにそれ。変態?」
「どうしてそうなるんだ」
「……荷物取りに行かなきゃなんだろ。余裕もって行動しろ、さっさと帰れよ」
「メイクする姿を見たら帰るよ」
「しつこっ!」
「駄目かな?」
「…………じゃあ、別に、見てるだけなら……いいけど」
「よっしゃー!」
何がよっしゃあなのか全く分からない。
いつも通り化粧をし始めると、水瀬は宣言通り俺がする行動所作を観察するようにじーっと見てきた。あまりにも顔を見てくるので睨んだら笑顔を返された。……何故か強く文句を言う事が出来なかった、むかつく。
「小依くんって肌白いよね」
「そりゃ男に比べたらな」
「他の女の子より白くない?」
「そんな事ない。俺より白い子なんて何人も見た事あるし。てか何の話」
「SNSとかで見る自撮りだと肌白い子多いじゃん? あれ、フィルターとか使ってるんでしょ?」
「知らない」
「美白って単語もよく聞くしさ。肌白い方が良いとされてるのかなって」
「……パーソナルカラー診断がどうとかってのはよく聞くね」
「聞いた事あるそれ! ブルベとかイエベとか!」
「そうそれ」
「小依くんは何タイプなの?」
「知らないって。ちゃんとやった事ないし」
「おふざけでやったりとかはするの?」
「んー……なんかそういうのがめっちゃ好きな子に、勝手に診断されたことはある」
「ほうほう。結果は?」
「…………よく覚えてないけど、イエベ系って言われた気する」
「色白の人はイエベなん?」
「さぁ。でも俺、日焼けしたらすぐ火傷みたいになってこんがり焼けられないだろ。とか、似合う服の色とか、そんなんで」
「へぇ〜。じゃあ僕はどっちだと思う」
「えー……黄色人種」
「あなたもでしょうが」
「こぼれ話なんだけど、俺実は海外の血入ってんだよね」
「そうなの!?」
「うん嘘。じいちゃんばあちゃんとか知らないし親の素性もあんま知らない」
「なーんでそんな嘘を吐く……あ、なんか他にも骨格診断みたいなのあったよね」
「あったね」
「ああいうのも友達間で話したりするの?」
「んー……まあ。勝手に診断されたりする」
「なんて診断されたの?」
「寸胴」
「ぶふっ」
「おい笑ったなお前。殺すぞ」
「罠やん! それで殺されたらたまったもんじゃないんですが!!」
「見てわかる通り幼児体型だろ俺は。聞いてんじゃねえよまじで殺すぞほんとに。……まじで殺すぞ」
「待って? 声にちゃんと憎しみ込めるのやめて? 僕は幼児体型とも寸胴とも思ってないよ」
「あっそ」
「不貞腐れないでよ……」
不貞腐れてなんかないし。実際の骨格はウェーブっぽいかもって言われた。調べてみたら、太った時に尻とか足に肉が着きやすくて胸には着きにくいとの事で、完全に俺だった。水瀬にまで調べられて『確かに』と合点行かれたら流石に本当に殺しかねないのでここは誤魔化しておく。
「……ていうかさ、人の顔凝視したまま話し続けるの辞めてよ」
「メイクしてるのを見せてもらってるからどう足掻いてもそうなるのでは」
「あんまガン見し続けんなって言ってんの。ずっと見すぎ、人の顔」
「確かに見蕩れてはいるね」
「…………っ、はぁ!? ちがっ、そういう事じゃないやろ!!」
「理解するのに間があった、後の照れと」
「照れてないから! 照れてない!! 鳩みたいにジロジロ見やがって、眼球抉ってやろうか!?」
「いくらなんでもやりすぎではあるな」
「じゃああんま見ないで!」
水瀬は「はいはい」と言いながら俺から目を逸らした。何を楽しそうにしてやがる、馬鹿にしてんのか。
……あ、でもそうか。メイクしてあげるって行為を噛ませたら違和感なく合法で相手の顔を見る事が出来るのか。ふむ。
「水瀬」
「はい」
「今度さ、お前の顔に化粧してもいい?」
「えっ。何故に僕の顔に?」
「お前モブ顔じゃん」
「平然と人の心切りつけてくるね。びっくりしたよ」
「冗談だけど。メイク映えしそうな顔してるじゃんね、お前」
「そうなの?」
「うん」
「……つまりそれはどういう? メイク映えする顔ってどんな顔?」
「分かんない」
「テキトー言ってる?」
「うん」
「取り繕うくらいはしよう? なんでも正直に物言えばいいってもんじゃないよ」
水瀬のツッコミに笑いそうになるも、無事メイクを完遂させた。化粧道具を置いてあった場所に直してソファに座りスマホを開く。
「おー」
スマホを眺める俺を見ていたら水瀬が間抜けな声を出した。俺に向けて放った声っぽかったので顔を上げて水瀬の方を見ると目が合った。目を逸らす。
「なに?」
「実際終わってみると確かにさっきより分かりやすく可愛くなってるなって」
「かわっ!? もー!!! なんなんさっきから!? うざいんだけど!」
「言われ慣れないねぇ」
「慣れるかぁ!? 俺、中身、男! 元々男!!!」
「だって容姿が美少女ドーンだからさ。元男って分かっててもなぁ」
「……今日お前、なんかうざいね」
「小依くん、口癖がうざいになりつつあるよ。良くない傾向だ」
「お前のせいじゃ!」
「そんな事言われても」
「いやマジで今日のお前全体的に発言きもいから!! 女が欲しすぎてきもくなってるチャラ男まんまだからな!? 改めた方がいいぞ本当に!」
「小依くんにしか言わないよ、こんな事」
「ならいいけどさぁ!」
「え?」
「あ?」
「ん? ならいいけど、になるの? そこは」
「……は? あっ、いや。…………違くて、違う。間違えた」
「ならいいけどと言うのはつまり、他の人にそういう事言うなというニュアンスでいいんでしょうか?」
グイグイ来るやん。間違えたっつってんのに全くの無視じゃん。無敵すぎるだろそれは。
「……全然違うし」
「じゃあどういうニュアンスでの発言だったん?」
「え、えっと……俺だったら、そういう事言われても冗談として昇華できるけどっ」
「冗談で言ってないけど」
「えぇ……? いやだから、他の女がそういう事言われたらさ……冗談で言ってないってどういうこと? 待って待って、変な事言うから頭変になってきた」
「僕は本気で小依くんだから可愛いって言うし、照れさせたいなって思っていじったりするよって事」
「そこじゃなくて……え? どういう事?」
「あー……やっぱ伝わらないか」
「伝わってはいる。俺の事をちゃんと馬鹿にしてるのは理解出来てるんだけどさ」
「何が伝わった!? 他所の電波傍受してますけど!?」
「……俺の事混乱させてからかおうとしてる?」
「睨まないでよ頼むから。絶対今、心に負ってるダメージで言ったら僕の方が上だから」
「はあ? …………? とにかく、他の女の子がそういうの聞いたらなにこいつ? って思うのが普通だから。気を付けろよって事!」
「だから、小依くんにしか言わないって」
「うん、今まで引いてなかったからって俺の事舐めすぎな」
「くーっ!」
水瀬が何故か悔しそうに天を仰いで間抜けな声を上げていた。なんだこいつ? ちゃんと教えてやったのに、どこに悔しがる要素があるかね。
「はぁ……。じゃ、そろそろ寮の方に戻るよ」
「あ、うん。服はまた後日返すな、いつ空いてる? どっかの放課後、うちに取りに来いよ」
「えーっと……いや、服を受け取るなら休みの日がいいな」
「休みの日? 土日か」
「うん。手持ちフリーな状態の方が運ぶの楽だしさ」
「分かった。来週は土日共に空いてるからいつでもいいぞ」
「! 分かった、じゃあ一旦土曜日遊びに来てもいいかな!」
「土曜ね。おっけー。ついでになんかする?」
「それがですね、丁度来週の水曜に新作の獣狩りゲームが発売なんですよ!」
「うーん回線越しのマルチプレイ。同じ部屋にいたら出来ないやつ」
「まあまあ、帰った後にオンラインしようよ。それまで少しお邪魔して難易度の予習しておきたいな」
「勉強会な、把握。下まで送ってこうか」
「大丈夫だよ。また後で学校で会おう。学校ってか待ち合わせ場所で会えるか」
「桃果との待ち合わせ場所だった筈なんだけどな。いつの間にやら三人パーティがデフォになってるわ、謎すぎ」
「あはは。またね、小依くん」
「ん。気をつけろよ」
「はい〜」
水瀬が出ていくのを見守り、扉が閉まったのを確認して確認してソファにどっかり座る。先程まで水瀬が座っていた箇所にはまだ温もりが残っていた。
「キスしちゃった」
水瀬が居なくなったことで隠さなくてならないという緊張が解け、弛緩した口からポロッと言葉が零れ落ちた。
好きの気持ちとか、恋愛感情とか、そういうのは全く分からない。普通に考えるならそういうのを男相手に抱く方が頭おかしいと思うし、水瀬相手になんて有り得ないと思っていた。
自分の唇を触る。もう水瀬の温もりは残っていないけれど、あの時抱いた苦しさと同等の締め付けが心臓を襲い、拍動が喧しく騒ぎ立てる。
胸が痛くて、苦しくて、顔全体が熱いのに。不思議とその感覚が嫌とは思わなかった。




