36話「スイーツ」
「ふへぁ……」
普段なら9時頃には起床していたのだが、真昼に目を覚ましてしまった。昨日まで二日間、桃果と目的のない長距離遠征を行っていたせいだろう。これからどんどん就寝時間と起床時間が後ろ倒しになっていくんだろうなあ。
『お前今日ひま?』
水瀬にLINEを送る。さて、昼飯どうしようかな? 自炊にするか、食べに行くか。
「いや食材飢饉すぎ」
桃果との旅行、期日がきっちり二日で収まらない可能性があると思い、食料がダメになるのを危惧して使い切っていたのを忘れていた。味覇とか味噌しか無かったわ、冷蔵庫の中。あと使いかけの生姜。
スーパーに買い出しに行くのは夕方からにしたいし、お腹がすきすきくん過ぎる。誠也さんの定期ありがた仕送りの余裕はまだあるし、ここは久しぶりに外食にするか。何食おうかな。
「……」
既読は付いていない。水瀬、まだ寝てんのかな? 折角なら一緒にって思ったのに。いいや、シャワー浴びて一人で外歩くか。
「あっつ……」
一歩外に出た瞬間に皮膚がひりつく程の日差しに襲われた。日差しというか熱線だな。蒸し焼きにされるようなジメついた暑さじゃない分まだマシだが、皮膚弱い勢からしたらこれでも堪えがたい。早く夏終わってくれ〜頼む〜。
で、何食べようかな? こう暑いとそうめんとか冷やし中華とか、そっち方面に手を出したくなる。でもそういうのってわざわざお店で食べなくても〜……と思わなくもないんだよなあ。
ラーメンとかうどんとかはカップ麺とお店の物で別物って考えてるんだからそうめんとか冷やし中華も別物として考えるべきなんだろうけど、先入観が邪魔して食指が動かない。なんか違うよなって腹の虫が首を傾げている。
「スイーツ屋さんに行ったらデブ加速するか……」
一瞬、大通り沿いの飲食スペースがある洋菓子屋さんが選択肢として脳裏に上がってきたが、最近お腹が……あと腕とかもぷにってきてるような気がするのでカロリーは抑えないとだ。洋菓子屋さんは選択肢外だよなあ。
というかそれで言ったらやっぱり外食はダメだな。どこで食べてもカロリー高くなりそうだ。ここは手堅くストイックに、ササミと野菜を使ってヘルシー飯を作るか。ガッツリ食べたかったけどなぁ……。
うんまぁ〜〜〜〜い!! やっぱり甘味が一番いいや! カロリーなんて知らんね、気にする理由も無いしな!
「んふふっ」
いけね、キモいキモい。美味すぎて笑いが溢れちゃった。生クリームとプリンとチョコの多面的な甘味にほっぺがビリビリになっている。美味しすぎてほっぺが落ちちゃうよ〜。
ゴリデカパフェに刺さったスプーンをほじくりだして口に運ぶ。うまうま、空きっ腹に甘味が効くわぁ。ヨダレがスクロース水溶液になっちゃうよ。んみゃぁ〜。
「小依?」
「ん〜っ! ん?」
なんじゃ、人がシュガーラッシュ腹に叩き込んでるのに話しかけてきて。知り合いか? なんか女子高生が立ってる。
「……咲那?」
「よかった。合ってた」
「……」
「……」
なんか、なんというか、変な形で咲那と再会してしまったようだ。一人でスイーツを堪能してるところで。なんでやねん。
最後にまともに話したのは中三の……俺が自殺未遂した時か。うわぁ……気まずい。早くどこかへ行ってほしいなあ。
「……席、ここ座れって言われたんだけど」
「まじ?」
「マジ」
「……」
「……」
「……座れば?」
「座るけど。睨まないでよ」
「睨んでませんよ」
「鏡出すから待ってな」
「いいです。……普通店員サイドがこっちに相席大丈夫か聞くべきだよな」
俺の姿が目に映らなかったのか? 座高低いもんな、背後の壁にすっぽり体が隠されてて存在に気付かれなかったか。そうだとしたら仕方ないけどさ……。
「久しぶり、小依」
「んー。久しぶり」
「元気にしてた?」
「元気元気」
「そっか」
「うん」
「……」
「……」
会話はそこで途切れた。俺は対面に咲那が座ってからずっとスマホに視線を落としているから拒絶しているように取られているのだろう。うん、拒絶はしている。話していて気持ちのいい相手じゃないからな、咲那は。
……でも、下ばかり向いていたら食べ進められないわけで。一度スマホを置き、チラッと咲那の方を見る。
咲那は俺の事をジーッと、頭のてっぺんから胸辺りまでを見ていた。
「な、なんだよ」
「前よりずっと女の子らしくなったね」
「……女だからね」
「可愛い。写真撮っていい?」
「いいわけないだろ」
「なんで?」
「拡散するだろ、地元の連中に」
「しないよ」
「じゃあ何のために撮るんだよ」
「……可愛いから?」
「本当にそうだとしても意味わからんし言葉尻上がってるから信ぴょう性ゼロ」
「わっ! ネイルしてんの可愛い〜!!」
「…………」
咲那は俺の発言を無視して馬鹿みたいな声音で俺の爪に興味を示した。
「なんか本当に変わったねー。女子を満喫してるって感じ」
「してねえわ」
「そんなにオシャレしてんのに?」
「そういう咲那は、なんか前より落ち着いた見た目になってるね」
「そうかな。そうかも?」
なんだそれ。眼鏡なんかして、髪も伸ばしっぱなしみたいだし、目立つ見た目をしていた以前とは明らか真反対の見た目してるだろ。逆高校デビューやん。
「……あ、そういえば咲那さ、うちの高校の体育祭来てた?」
「は? あんたの高校?」
「知らないならいい。俺の見間違えだろうし」
「どこ通ってんの?」
「どこも通ってない中卒ですね」
「一秒で矛盾すんのやめてくんない? 今うちの高校って言ってたじゃん」
「言ってないよ?」
「言ってたわ。なんでそれが罷り通ると思ってんのよ。教えてよ」
「嫌だ。お前に教えたら地元に広まるだろ」
「はあ? なんでわざわざあんたの行ってる高校なんて広めなきゃなんないのよ」
「広める理由がないとして絶対教えたくない」
「……梅ヶ丘?」
なんで一発目で当てるんだよ。
「あ、目逸らした。正解でしょ」
「ノーコメント」
「私が見に行ったの梅ヶ丘の体育祭だし。てかさ、この店で会うのがそもそもじゃない?」
「この店バズってんじゃん。遠くから来る客もいるだろ」
「そんな軽装で遠くから来る人いるかな。財布しか持ってないよね?」
「……別に普通に居るやろ」
「ねえ。梅ヶ丘通ってんの?」
「通ってない」
「学生証見せて?」
「見せないわ。なんなんお前、注文しろよ」
「そうだね。すいませーん」
と、咲那が店員を呼ぼうとしたタイミングに合わせて俺は席を立ち帰ろうとした。が、咲那に手を掴まれて阻止されてしまった。
「なんだよ」
「なんで帰ろうとするのさ」
「帰ろうとはしてないよ。お腹冷えたからトイレ行こうかなって」
「なら財布置いてって」
「は? 嫌に決まってんだろ」
「お金なんて取らないし。財布が嫌ならスマホ置いてって」
「人間やれるくらいの性能の脳みそ積んでたら財布もスマホも肌身離さないと思うけど?」
「友達に荷物見てもらったりするじゃんか」
「友達の括りに入れてないもんお前の事」
「……」
「……な、なんだよ。黙られても困るんですけど。手ぇ離せ」
「……」
「離せって」
「……」
「…………なんなんお前……」
無言で全然手を離してくれないまま店員さんがやってきてしまった。邪魔になってしまうので仕方なく席に座ると、パッと咲那の表情が朗らかな感じに切り替わり店員さんの方を向いた。
まるで友達と来た普通の女の子のような雰囲気で店員さんに注文をすると、そのままこちらに向き直してきた。店員さんは退いたけど、丁度カップル客が居て通路に出られない……。
「ねーねー、なんで梅ヶ丘に進路変えたの?」
「……お前俺が死のうとしてたの見てたよね」
「その話、私地雷だからしないで?」
「俺からしたらお前の存在が地雷なんだけど?」
「小依の方が地雷っぽい見た目してるくない?」
「見た目の話はしてねえよ。地元の連中全員地雷なの。勘弁してくれよ、折角遠くの高校進学してひとり暮らしも始めたのに……」
「へぇー。そういう理由か」
「そうだろ。他にどんな理由あるんだよ」
「水瀬くんを追って梅ヶ丘にしたのかと思ったよ」
「……お前、水瀬が梅ヶ丘通ってんの知ってたの?」
意外だ、ここで水瀬の名前が挙がるとは。まあコイツ水瀬の事好きだっつってたし知ってても不思議じゃないか。
「あ、だから体育祭居たのか?」
「そ、私の通ってる方は丁度開校記念日で休みだったから水瀬くんを見に行ったの」
「開校記念日なんて文化あるんだ」
「あるでしょ。梅ヶ丘にはないの?」
「多分無い。知らないだけかもだけど」
そうなんだ、偶然二つのイベントが重なってたんだな。確率どんなもんだそれ。
「なるほど、大した偶然もあったもんだな。という事でここら辺で俺は失礼するわ。じゃあな咲那」
「なんでよ。座っててよ」
「断腸の思いで座ってたわけだけどもね、今まで。そろそろ解放してくれてもいいんじゃない?」
「今年の抱負は臥薪嘗胆でしょ」
「勝手に人の方針決めつけないで?」
「まあまあ。丁度あんたとしたい話あったし」
「なんだよ」
「水瀬くんと仲直りしたの?」
咲那が訊ねてきた内容は、予想していた内の一つに該当していた。しかし、こんな質問をしてくるってことは水瀬のやつ、咲那と今でも交流あるし俺の事も普通に話してるのか。そこは気を使って俺の話なんてしないでほしかったが、相手の行動を制限するような権限なんか持ってないし仕方ないか。
「したけど。それがなに」
「よく許してくれたね、水瀬くん」
「そうだね」
「それで、今度は水瀬くんと前よりずっと仲良くなったと」
「……あ? 何が言いたいん」
「体育祭でイチャイチャしたり、家呼んだり一緒にご飯食べたり。水瀬くん言ってたよ? 何をするにも距離感がばぐってるって」
「そりゃ、男同士だし」
「は?」
「あ?」
「それ本気で言ってるの?」
「何に対しての質問なんそれ」
「男同士って発言に対しての当然の疑問ですけど?」
「本気で言ってるに決まってるだろ」
「はぁ〜……?」
咲那が変な顔で俺に呆れたような声を出したタイミングで注文していた物が来た。店員さんがいる場では互いに何も発言せず、捌けた途端に咲那の口が動いた。
「あんた、自分は男だぜってスタンスで水瀬くんと接してるわけ?」
「だとしたらなに。文句でもあんの?」
「文句しか無いけど」
「なんでだよ。男としての素の状態であいつと接しててお前になんの不利益がある」
「私、まだ水瀬くんの事好きなんですけど」
「知っとるがなそんな事」
わざわざ県を跨いでまで他校の体育祭に乗り込んで観察してんだからそれなりの感情を向けていると察しは付くよ。流石に高校生なんでね、鈍感じゃなくなってるんすわ。
「それがなんだよ」
「それがなんだよ? やばこいつ、全然理解力無いじゃん」
「ふざけんな、理解するまでの情報が少なすぎるだろ。お前が好きだからってなんで俺があいつと接しちゃいけない事になるんだよ」
「あんた女でしょ!」
「炎上するぞお前」
「なんでよ」
「性自認の話とかシビアだろ。男だから女だからって発言はちょっと焦げ臭すぎる」
「あーそうですか! じゃあ肉体面での話! あんたは女の肉体してんでしょって」
「そうですね」
「他の連中、クラスメートとか学校の人らにも男として接してんの?」
「なわけないやろ。もう色々諦めついたわ、女として振舞ってるよ」
「じゃあつまり、男として接しているのは水瀬くんに対してのみ?」
「それプラス、たった今お前に対してな」
「私の話はどうでもよくて! あんた視点では男同士で接してる風に感じるかもしれないけど、水瀬くん視点どうなんだって話!」
「あいつ視点?」
「昔は男だったとしても、今は女なわけだよ? 女にくっつかれたりしたらさ、動揺するでしょ男は!」
「はあ」
「水瀬くんだって困ってるわけ! あんたのそういう無自覚な所で一々ドキドキさせられて心臓に悪いみたいな事も言ってたし!」
「はい嘘。水瀬はそんな事言わないね」
「いや言ってたんだって」
「有り得ないね。普通の女ならまだしも俺相手にそんなの。ホモじゃん」
そう言うと、咲那は深いため息を吐いて来たものをスプーンで掬い一口。舌鼓を打ちつつ呆れたような顔のまま俺を見ている。
「あんたさ、身だしなみちゃんとする程度には自分の容姿がどんな風なのか理解出来てるわけだよね。性自認がどうとかって言ってたけど、スカート履いてるじゃん。普通にスカート選んで履く程度には女の自覚あるよね」
「自覚なんて最初のトイレで嫌という程したが。男だった頃の癖で立ったまましたら床水浸しにしたからな俺」
「汚いな……」
「女の放尿の最適解が分からなくて、股穴の方向から尿の軌道を計算して便座の上に立って放尿したら足滑らせて大開脚転倒したし」
「馬鹿なの? 普通にう、大する時と同じ姿勢でいいって気付くでしょ……ってそんな話はよくて、それなのに水瀬くんに対してだけ男のつもりで接してるって?」
「それがなんすか」
「相手の気持ちとか考えないわけ?」
「相手のって? 水瀬の気持ちって事?」
「そう。どう思うとか考えないの」
「気持ちぃ? んー……友達は友達だけど、それ以外になにか考える事なんてないだろ」
「だからそれはあんたの主観で、水瀬くんがどう思うかって」
「水瀬も同じだろ。俺に対して友達だな〜って感想以外無いだろ」
「話になんない」
そう言うと、咲那はもう会話を展開すること無く洋菓子を食べ進めた。会話が終わったのだとしたら帰れるだろうと思ったのだが、一人で席を立とうとすると何も言わずに睨まれるから動けなかった。
全て食べ終え、なんだかんだで一緒のタイミングで会計する羽目になり、同時に店を出た。まるで仲良しみたいじゃないかよ。てか並んで立つと余計にスタイルの良さと巨乳が際立つ。片や俺はチビ貧乳、なんか敗北感……。
「結局さ、小依は水瀬くんに何もないわけ?」
「何もってなんだよ。要点がすっぽ抜けてるだろ」
「分かれよ、女子トークだよ?」
「すいませんね脳みそは男の頃のままなんで。女子との会話なんてほぼ相槌しか打ってないんすわ」
「え〜? きもっ」
「ぶっ殺すぞてめえ」
「いや昔のあんた知ってたらきもっともなるでしょ。なにさそんな保守的になっちゃって」
「話が延びてる! 横道に逸れるなよ、つまり何が言いたいのか簡潔に述べてくれ」
「小依は水瀬くんの事好きなの?」
「はい意味わからない〜」
突拍子のない質問、だが何となく話の流れ的にそう来ると思っていた内容だったので鼻で笑いつつ肩を竦めてやった。
「俺が水瀬を好きかって、ただの友達にそんな感情向けるわけないだろーが。全く、人間二人いたらカップリング作ろうとするよな女って! やめた方がいいぜそういうの、マジで」
「はい性差別発言。てか、なにも異性として好きなのか聞いたわけじゃないし。友達として好きとか色々言い方あるでしょ」
「む」
「友達なのに友愛も抱いてないの?」
「……それは、抱いてるけど」
「でもさっきは勝手に異性的な意味合いでの好きって思い込んで過剰に否定してたよね。かえって意識してる様にしか捉えられないけど」
「過剰には否定してないし。……てか先に友人としてなのか異性としてなのか言わなかったら、普通はそう思い込むじゃんか」
「そうかなぁ?」
「そうでしょ」
「小依は水瀬くんの事、異性として全然好きじゃないの?」
「好きじゃないね。ただの男友達なんで」
「全く意識しない?」
「しない」
「……」
「目ん玉覗き込んでも結果変わんないから離れろ。俺の側は勿論あいつをどうとも思ってないし、あいつだって俺に変な事しないし女として見てねえから。勝手に俺らの輪に踏み込んでくるな」
「ふーん?」
咲那はスマホをいじり、俺の肩をつついてスマホの画面を見せてきた。スマホにはケバブを頬張る梅ヶ丘の制服姿の水瀬が映り込んでいた。
「前より水瀬くんと仲良くなったんだ〜」
「はあ。そうですか」
「先日も一緒に遊んだし、二人で水族館行ったんだよ? 良くない?」
「うんだからなに?」
そう訊くと咲那はスマホを仕舞い、背の低い俺を侮るかのように見下ろしながら言った。
「私、水瀬くんに告白するから」
「…………告白」
「うん。だからしばらく水瀬くんに近付かないでほしいんだけど。理由は分かるよね?」
「……分かんない」
「あんたは女で、水瀬くんの事どうも思ってないんでしょ? なら人の恋路を邪魔しないでって言ってるの。もしあんたが水瀬くんの事を好きなら邪魔してくれてもいいけどさ、そうじゃないなら身を引いてくれてもいいよね」
「…………わかった」
俺の返事を聞くと、咲那は短く「ありがと」とだけ言って去っていった。
咲那の恋愛なんて今更どうでもいい。けど、確かに俺は水瀬の事を好きでもなんでもないし、それなら彼女が出来るかもしれない水瀬の邪魔をするのは良くないと思った。
でも、なんだろう。なんか気持ち悪い感覚が胸の奥に潜んでいる。内側から喉を押し上げられるような、得体の知れない感触がずっと、消えること無く残り続けて何をするにも気分が上がらない。
「まだ返信ない。スマホ見てないのかな……」
その日は何故か水瀬からの返信が来なかった。既読も付かなかった。そんな事日常茶飯事なのに、そんな小さな事が気掛かりでその日は中々寝付けなかった。




