34話「髪切」
肩の下まで伸びていた髪を切り、肩につかない程の長さになった。首筋はこれで大分涼しくなったが、はたして。
鏡を見て自分とにらめっこをする。頭を軽く振ってみる。耳が出るな〜……髪の長さでは怒られなくなったけど、ピアスで怒られるのでは? そっちの方が厳しく怒られそうだ。
学校では外しているとはいえ、ピアス穴は誤魔化せないもんな……コンシーラーで隠せるのかな。それかなにか詰める? 春雨とか。
「うーむ……」
それになんか長い髪に慣れてしまったせいで短いのは落ち着かない。バランス変じゃないかな。
鏡の前で自分とにらめっこしていたらピンポーン、と呼び鈴が鳴った。
「来たか……」
髪が跳ねていないか指でちょいちょい弄りつつ、玄関に向かう。
「おはよう、小依くん」
「おはよ」
扉を開けると水瀬が立っていた。
……? いつもならこの髪に対して何かしら反応を示してくれそうなものなのに、今回はなにも指摘してこなかった。こんなに大きな変化に気付かないなんて事あるか?
「やっぱエレベーターは大正義だね。エアコンが効いてて体力回復したよ」
「寮には無いの? エレベーター」
「無いよ。無いし、駐輪場から建物までの距離も開けててアスファルトだから日差しも反射して物凄い暑さになってるし。景色が揺らいで見えるからね……」
「大変だね〜。部屋ん中エアコンガンガン効かせてるから早く入りな」
「了解」
そう言って水瀬は家の敷居をまたいできた。扉を押えてやる。
「おっ!?」
「なんですか」
「その服首元緩いからっ! 気を付けて!」
「……はぁ?」
上から見下ろしてくるなって思ったらなんか変な事を言われた。首元緩いからなんだよ、普通のTシャツなんだが。
てか服には目ェ行くのに髪には目が行かないのマジ? どんな順序? 絶対髪の方が服より先に目が着くじゃんか。
「それにまたそのスタイル……」
「おい。背ぇ向けた途端に小声で悪口かお前。そのスタイルかってなに?」
「いや足出すぎでしょ……」
「夏じゃん」
「夏だけども」
「夏に長袖着る奴おる?」
「普通はいないと言いたい所だけど、学校での小依くんというイレギュラーもいるから一概には言えないな」
「俺も普通なら半袖着たいけど、見ての通り手首バイオリニストなもんで」
「笑っていいのか分からないライン上のジョークなんだよなぁ」
スリッパを出してぺたぺたと先に部屋に向かったら後ろからつらつらとなんか言われた。
「好きなとこ座っていいよ」
「前来た時より片付いてるね?」
「当たり前だろ。前のは風邪引いてたからアレなだけで、俺は整理整頓の出来る女なんじゃ」
「前に比べてはってだけで多少散らかってはいるけどね」
「黙れ」
うるさいな。生活してんだから少しくらい部屋が荒れるのは当たり前じゃん。生活感あって良いじゃんか。
「てか今俺さ、ナチュラルに自分の事女って指したけど気持ち悪いな。気持ち悪くない?」
「え? そんなの別になんとも思わないけど」
「なんかムズムズしたわ」
「気にしすぎじゃない?」
「これは性転換した奴にしか分からない感覚だと思うわ。コーラと麦茶どっちが好き?」
「え? 大丈夫だよ、コンビニで飲み物とか買ってきてるし」
「おっけー」
水瀬の座っているソファーに俺も座り、リモコンを操作し画面を切り替える。コントローラーを水瀬の閉じている足の上に置いて、ポチポチ操作を続けていく。
「ごく自然と隣に……」
「? なんだよ」
「な、なんでもない」
「隣に座るの不自然か? 普通ゲームする時画面の正面に座るだろ」
「聴こえてたんかい」
ボソッとツッコミされた。
なんか最近、水瀬の態度とか言動とかが前よりも砕けてきてるような気がする。なんかちょっと嬉しい気がする、そういう男友達に向けるようなラフな姿を俺に向けてくれるのはありがたいな。やっぱり女扱いされるより、若干雑に男として扱われた方がいいな。
「子供の頃よくやったよねースマブラ」
「他の連中と集団で付き合ってる時とかな。大体お前がビリケツで、ずっと交代する要員の片割れだったよね」
「常勝無敗でずっとコントローラーを握ってた小依くんが羨ましかったな〜」
「でもずっとコントローラー握ってると、人が増えてきたら別の所で個別に遊び始めるからそっちが気になってゲームやめたくなるんだよな。スマブラやってる傍らでカードゲームとかポケモンバトルとかし始めてな」
「懐かしいなその流れ! あったな〜」
「あの頃は男も女も何も考えず一緒につるめてたよなー。今の人間関係とは大違いだ」
「まあ小学生の頃だしね」
会話をしながら戦いを始める。随分と久しぶりにプレイするゲームだが、まあ数戦やれば当時の勘を取り戻せるだろう。
「勝てーん!!!」
コントローラーをクッションに投げて背もたれに背中を押し付ける。20回戦って3回しか勝ててない!! おかしい! おかしい!! 水瀬クソ強くなってるんですけど!!!
「なんでこんなに勝てないんだよ!? くそー!」
「ふふふ、これが真の実力差だよ」
「違う! お前ずるしたろ!!!」
「隣に座ってたよね。変な事してたら気付くよね」
「分からないようになにかした!」
「具体的にどんな事が出来ると……?」
「わかんないけど、こっちの入力に合わせて自動で攻撃を躱すとか!」
「チートすぎる。ありがちなチートのど真ん中」
「ぐぬぬぬぬ……」
「まああれから数年経ってるしね。スマブラ修行をする友達も出来たし、身内でやってる内に強くなったんだよ」
「身内……」
そうか、そうだよな。俺は入院生活を経て、女になってからはしばらく病み続きでゲームを再開し始めたのはつい最近からだからな……。俺がゲームに触れていなかった間に修行していたのなら、実力が覆されているのも納得か。
「やーめた」
「あれま。負けたまま逃げるのかい?」
「うざぁ。だって勝てないもん。悔しいからやめた! また今度リベンジする」
「何度やっても同じ事よ」
「うざぁ」
水瀬もコントローラーを机の上に置いた。
しばしの無言の時間。なんだろ、なんか今日水瀬が全然こっち見てくれない気がする。
ソファー上にゴロンと仰向けに寝転ぶ。水瀬とは少し距離が空いているので、ソファーの半分に俺の体がそのまま乗る形になる。
「小依くん……」
「なんですかー」
「前も言ったけど、無防備すぎだって。男のいる場所でそんな格好するのやめなよ」
「だから下穿いてるって。なんでそんなに俺の事を露出狂に仕立てあげようとするんだよ。パンツなんか絶対見せないから安心しろ」
「下着云々じゃなくて足が出過ぎなんだよな……」
「子供の頃も短パン穿いてたじゃん。全く同じ格好じゃね」
「今の姿でそれをやるのは、ちょっとな……」
そんなものなのか? 出過ぎつっても股はちゃんと隠してるし、確かに捲れたら少し恥ずかしくはあるけどそうならない為にオーバーサイズのTシャツを着てるわけで。
「気にしすぎじゃね。お前俺に手ぇ出さなかったじゃん」
「出すわけないだろ!」
「だよな。ならいいじゃん。てか気にするような格好でもないよこんなの。桃果達が家に来てる時も大体同じような格好だし」
「他の男の人を家に呼んで今と同じ格好できる?」
「無理だろ」
「そこはちゃんと普通の感覚を持っているのか……」
「チワワには気軽にお手をできるけど、空腹のオオカミ相手に気軽にお手なんか出来ないだろ」
「僕もオオカミサイドで見てほしいんだけど」
「以前のやり取りで市民確定してるからいいよ」
「狂人の可能性は考慮しないんだね」
「まあ男から女になった不思議人間と友達やれてる時点で狂人ではあるね」
「不思議人間て」
「あ、そうだ。ねーねー水瀬」
水瀬を呼び、横向きにしていた足を揃えたままソファーの上で立てて、両膝が水瀬の顔側に近くなるような姿勢をとる。
「際どい際どい。ダメだってそういう事したら!」
「気にすんな。それよりさ、膝の匂い嗅いでみてよ」
「え? 膝?」
「うん。なんかさ、めっちゃ不思議なんだけど俺の膝赤ちゃんみたいな匂いすんの。試してみて」
「えぇ……」
半信半疑な様子で水瀬は俺の膝小僧に顔を近付けた。
「……隙ありって膝蹴りしたりしないでよ」
「しないわ。どんなイメージだよ」
「してくれた方がまだ納得出来るけど。自分から体臭嗅がせてくる人とかいる方が不思議だよ……」
「だって良い匂いしたんだもん。しかも何故か赤ちゃんの匂い。共有したいじゃん流石に」
「なんで赤ちゃんの匂いなんて知ってるの」
「イメージで赤ちゃんっぽいなって」
「イメージかぁ〜」
困惑しながらも更に水瀬は顔を近付けて膝小僧をスンスンと嗅いできた。……犬みたいだな、おもしろ。
「どう?」
「普通に小依くんの匂いしかしなかったけど」
「む。赤ちゃんっぽい匂いは?」
「分からない……女の子特有の謎の良い匂いはしたよ」
「え、なにそれキモ。言い方」
「今の理不尽には僕も反論出来るぞ。どう考えても体臭嗅がせてくる方が変だからな!」
「そうなん? お前相手なら別に気にしないけどね、俺」
体を起こして座り直す。髪を指で軽く弄って直して、次のゲームをしようとメニュー画面に戻る。
しばらく対戦をし続けていたら日が暮れ、夜になった。ゲーム自体は桃果や結乃が遊びに来た時もするのだが、あんまりガチで戦いあったりはしないので眉間に皺を寄せるレベルでガチれたおかげか時間はあっという間だった。水瀬が煽り厨だった事もあって、相乗効果で楽しめたわ。相手が煽ってくるからこっちも煽れるしな。
「それじゃ、そろそろ帰ろうかな」
窓の外を見た水瀬がコントローラーを置いてそう言った。
……まあ時間的には妥当な帰宅時間なんだが、納得出来ないことが一つあったので水瀬の腕を掴む。
「待てやコラ」
「うん?」
「…………」
「……ん?」
無言で水瀬を見たのだが何も言ってくれなかった。明らかに視界に映ってるはずなのに。おかしいだろ。
「えーと」
「……髪、切ったんだけど」
「あ、それ触れてもいいんだね」
「あ? どういう意味?」
「小依くん、女の子扱いすると嫌かなって思って触れなかったんだよ」
「……人の服装にケチつけるくせに髪には触れないってなんだそれ」
「ケチはつけてないよ!?」
「つけた。足がどうとか」
「それは……」
「そういう事に関しては女扱いしてくるくせに髪には触れないとか意味分からん」
「え!? え、怒ってる……?」
「怒ってねえわ」
「ごめん!」
「……別に気にしてないけど」
まあ、こんな大きな変化に敢えて触れなかった理由として考えても意味わからないけど。女扱いしない為って、なんなんだそれは。
「……で?」
「うん?」
「髪を切った事に気付いてたと。それで? 感想は?」
そう訊ねて目を合わせると、水瀬は少し俺の目を見た後に目を逸らした。
「おい、何目ェ逸らしてんの」
「ち、近いよ」
「近くないよ。空間空いてるだろ」
「基本的に小依くん、僕と話す時近いんだよ……」
「あっそ。で? 感想は?」
「…………と思う」
「聴こえないけど。今は陰キャじゃなくていいよ」
「……似合ってると思います」
「本当?」
「うん。本当にかわっ……似合ってると思った。だから触れにくかったというか」
「だから触れにくかった? どういう事? 意味があんまり分からないんだけど」
「い、いいだろもう! そろそろ帰らないと、門限的に!」
「門限的にな。……分かった、じゃあまたいつでも暇な時に連絡くれよ。夏休み中は当面暇だし」
「うん。じゃあね、小依くん」
「あい」
水瀬と別れの挨拶を交わし、ベランダから去っていく水瀬の姿を見送ってソファーに座り直す。
……あ、てか水瀬に下着返してないやん。言って渡そうとしたのに、完全に頭から抜けてたわ。
「……可愛い、のか」
水瀬が必死に誤魔化そうとしていた言葉を思い出し、髪を指でつまんだ。どうやら俺が思っていたよりこの髪型は無難に似合っていたらしい。よかった。
「……」
いつもは頼んでもないタイミングで「可愛い」だのなんだの、子供をあやすみたいに言ってくる癖にこういう時は自発的に言ってくれないんだな。なんだろう、ムカつくというかなんというか、微妙な感じになる。胸の中に何かが突っかかってるような感覚だ。
……水瀬は、俺の事を本当に男友達として見てくれているのだろうか。なんだか最近アイツの様子が変だ。それに、俺もなんか変な感じになってる。なんというか、友達相手には向けなさそうな変な苛立ちとか、胸のつっかえる感じとか。
「……気ぃ悪」
吐き気にも似た億劫な気分のまま、ソファーの上に寝転んだ。水瀬の体温が残っていた。俺はそのまま、遊んだ疲労に逆らわずに微睡みに身を委ね、目を閉じた。




