33話「日照り」
暇だ。
夏休み前に抱いていた「あれがしたいこれがしたい」という欲求が、いざ夏休みに入ってしまうと一気に失せてしまい無気力にダラダラと何もしない一日を過ごすという事は往々にして起こる現象だろう。
ただエアコンの効いた部屋でゲームをやる日々。無為徒食を地で行く生活も、既に一週間に差し掛かった。
結乃は部活で夏は忙しいし、桃果はなんか俺らと旅行に行く日までに色んな所を一人旅したり近場の美術館博物館を巡る旅に出るらしい。
アクティブだよなぁ、爪の垢を煎じて飲みたくはないな別に。ばっちいし。
こう見えて俺は学業成績自体は高ランク帯なのでアルバイト申請の許可は下りている。わざわざ夏休み始まる前に生徒指導室行って申請書貰ったのに、肝心のアルバイト先を探さずにぐうたら過ごす日々。
時は金なりって言葉大好きだわ。湯水のように金をジャブジャブドブに捨ててんのまじ金持ちの道楽じゃんね。気持ち〜。
はぁーあ、退屈だ。
「ふわぁ〜」
欠伸をしながらコントローラーをカチャカチャと動かす。画面内では俺の操るキャラが相手を掴んでしきりに左右を向きながら縦横無尽にフィールドを駆けずり回っている。
夏休みの課題ももうだいぶやり進めてしまった。自由課題系は……やる気起きない。パタリとソファーの上に横になる。
「……髪でも切ろうかな」
入学式前に髪を切りに行ったきり前髪を切るくらいで美容院にしばらく足を運んでいなかった。三ヶ月そこそこ経つし、そろそろ美容院行った方がいいよな。
スマホで予約アプリを開き、明日の昼過ぎに予約する。口頭でイメージを注文するのは苦手だし、おまかせでって言う勇気も無いのでいつも参考画像を持っていくのだが、次はどんな髪型にしよう。
「暑いし短めにしてみようかな……」
今の髪型が肩より全然下に毛先が来るくらいのロングヘアだから、外に出ると蒸れてイライラする。
「でもなぁ……」
男の頃はそれが普通だったから髪が短いのも抵抗無かったけど、女になってからはしばらく長めの髪型で固定していたから似合うか分からない。
母親は長い髪を結ってる事が多かったから、短髪にすれば母親と容姿が遠ざかるというのは魅力的なポイントだが、俺の顔面はまんま若い頃の母親そのものな訳で。その母親が似合うからって長髪固定してたんだから、長髪が無難なのは間違いないんだよな……。
「うーん」
ゲームを置いて考える。もし思い切って短くしたとして、桃果や結乃に笑われたらどうしよう。立ち直れないかもしれない、しばらく登校拒否だ。
短くするにしてもショートにしたら結乃と被るし、短く切るにしてもミディアムくらい……ストレートすんっ! て感じの俺の髪質で似合う髪型なのだろうか。髪の長さで教師に怒られる事は無くなるからいいけど、うーむ。
「……意見を訪ねに行くか」
俺の主観じゃ選択を決めきれないので、久しぶりに外に出る事にした。シャワーを浴びて着替えて、髪を結んで日焼け止めを塗る。今日は水曜日、アイツが居るはずの日だ。
*
暇だ。
一度就いた職場には三年居ろという考え方があるが、それは果たしてアルバイトにも適用されるのだろうか。この店で働いてはや三ヶ月経つが、もう既に辞めたくなっているのだが。
全くの暇という訳でもないけど、夏休みが始まって以来来店客数が200人を超えることは一度もなかった。仕事内容も古本の買取と値付けと陳列、掃除、単純な物しか無いからお客が来ないと虚無タイムが殆どなんだよな……。
じいちゃんが一人で店を切り盛り出来ていた理由が分かった。難しい事は何も無いもんなー……。
「いらっしゃいませー」
「どうも」
「小依くん。おはよ!」
ガラガラガラ、と店の戸が開いて小依くんが入ってきた。オーバーオールにタンクトップにサンダルだけのシンプルな服装だ。
「今日の服装可愛いね」
「は?」
髪型も珍しくポニーテールにしていてスポーティな感じがして新鮮だ。まあ肌は一切日焼けしていない真っ白肌だからそこはスポーティとはかけ離れてるけど。
「ねえ水瀬、相談あるんだけど」
「相談? ふむ。ちょっと待ってね」
今日はすぐに帰るいつもとは違う感じがしたのでカウンター横の椅子を持って小依くんの所まで運んだ。
「どうぞ」
「ありがと」
小依くんが椅子に座る。カウンターに戻り自分の椅子に座ると、小依くんの鼻から上の部分しか見えなくなった。
「座高低いね」
「喧嘩売ってる?」
「売ってない売ってない。何冊か辞典とか持ってこようか?」
「どういう意味? それを尻の下に敷けっつってる?」
「……そのまま喋るの?」
「問題ないだろ」
眉間にシワがよっている。睨まれてるな〜、下手な事を言うのはやめておこう。
「それで、相談って?」
「髪型の相談をしたくて」
「髪型の相談?」
「うん。俺ってさ、どんな髪型が似合うと思う?」
「……ふむ」
「前回切った時から伸ばしっぱにしちゃったし、夏は暑いしで短くしようと思ってるんだけどさ」
「ふーむ」
頭の中で想像してみる。髪の短い小依くんか……。
ワードだけ聞いて第一に浮かんだのは男だった頃の小依くんの姿だ。でもあの頃は小学生だったし、今の小依くんは完全に可愛らしい少女の顔になっているからあの記憶通りにはならないだろう。
「具体的にはどのくらい短くするの?」
「んー……」
髪を結っていたゴムを取る。少し髪のクセを直し、髪をある程度前に持ってきて手を両耳の下に当てる。
「ここから下はカットとか」
「結構行くね」
「短いかな?」
「短いね〜。ボーイッシュ系目指すの?」
「ボーイッシュ? いや別に。てか元から俺はボーイッシュやし」
「中身だけね」
睨まれた。なんでそうすぐに睨むかね、短気とかそういう次元じゃないでしょ。まあ僕が一言多かったのは認めるけどさ。
「じゃあさ、水瀬」
小依くんが立ち上がり、カウンターに身を乗り出してきた。
「お前が丁度いいと思う長さ教えて」
そう言って小依くんは僕の手を掴み、自分の髪に当てた。
サラサラとしてて、少しヒンヤリとした柔らかい綺麗な髪。
……女の人って、あんまり異性に髪を触らせたりしないと思っていたんだけど。でも小依くんの場合は別なのかな、心は男なんだし。
「丁度いい長さ……」
「うん。手でざっくり挟んで長さ決めて。それを何となくで覚えておくから」
「責任重大だな」
「そうだな。俺が誰かにダサいって言われたら、その責任は全部お前に行くから」
「理不尽な!?」
「理不尽な怒りをぶつけられたくなかったら、俺の顔に泥を塗らないようしっかり似合う長さを決めてくれ」
「似合う長さって……」
美形なんだから別にどんな長さでも似合うでしょ、なんて事を言うのは流石にマズいと僕でも分かるので言わないでおいた。顔に唾吐きかけられてもおかしくない発言だし。
……しかし本当に触り心地がいいな、小依くんの髪。ずっと触っていたくなる。
「あっ」
しまった。小指が小依くんの頬に当たってしまった。
柔らかかったしこれまたヒンヤリしてスベスベした。なんて感想を抱いた事は胸の中に仕舞い、指が当たってしまったことを慌てて謝る。
「ご、ごめん! わざとじゃないから!」
「? なにが」
「え? いや、今指が顔に当たったから」
「はあ。だから?」
「……嫌じゃないの?」
「嫌じゃないけど」
「そ、そっか」
怒られると思ったけど小依くんの反応はあっさりしていた。いいんだ。
……ならいっその事、両手でしっかり頬をギュッて寄せ上げてみたいな。ハムスターみたいにしてみたい。やったらちゃんと殴られそうだけど、いつかさせてくれないだろうか。
「……てか長さ決まった?」
「え? あ、うん」
「なら言えよ。地蔵かお前」
「地蔵て」
サラッと悪口言ってくるよな小依くんって。メンヘラで言葉遣いが荒いとか、一定の界隈に属してる女の子みたいでちょっと萎縮してしまうんだよな。中身が小依くん、或いはあの嵐の日に話し掛けてくれた子だって知らなかったら絶対に話し掛けようと思わないよ。
「じゃあ手の位置そのままね」
「分かった」
小依くんはスマホを取り出し、髪を指で挟まれた状態で自撮りをしてそれを見ながらSNSを開いた。
僕はまだ髪から手を離していない。そのままにしろとも離せとも言われていないからそのままの状態を維持しているのだが、もう手を離してもいいのだろうか?
「長さ的にはやっぱ結乃より少し長い程度か。ふむぅ……画像で出てくるのがメンヘラばっかなんだけど」
「えっ?」
「ショートボブ、ストレートで検索かけてお前が指定した長さら辺の髪をした女の人の画像を画像検索したらメンヘラばっか出てきた。俺に似合うってそういう意味?」
「特に意味とかは無いよ!? 好きだなって思った長さで髪を挟んだだけだから!」
「好きだな? お前髪短い方が好きなの?」
「え? それは人によるけど」
「じゃあ俺の場合はどっち?」
「……え?」
「え? じゃねえよ。俺の場合はどんなのが好きなの」
「好きなのを答えるの?」
「えっ。…………違う。聞き方間違えた。普通に」
「え???」
「殺すぞ」
またもや眉間に皺を寄せた顔で凄まれた。小依くんは僕の手を掴んで少しだけ、ほんの少しだけ頬に押し付けるようにすると力強く髪から離させた。
「はあ……俺は短い方が似合うの?」
「似合うかは分からないけど、僕はそっちの方が好きかも」
「その答え方やめてくれん? 虫唾が走る」
「虫唾が走る!? 忌み嫌いすぎでは!?」
「冗談だけど! でもそれやめろまじで、恥ずかしい」
「あ、恥ずかしがってたんだ。可愛いって言われること自体が嫌なわけじゃないんだね」
「は!? 言ってないだろそんな事! 勝手に解釈してんじゃねえよ!」
「そうだねごめんね」
「頬杖突いてんじゃねぇ〜〜〜〜!!! 眼球潰してやる!」
「カウンターに入ってこないでください! スタッフオンリー!!!」
顔を真っ赤にして怒り散らしている小依くんがカウンターに入ってこようとするのを必死に阻止する。手と手を合わせて力の押し合いになった。半歩前に突き出し踏ん張る小依くんに力を合わせて抵抗する。
力の拮抗がしばらく続くと、強く睨んでいた小依くんが一つ溜め息を吐いて僕から手を離した。
「夏なのに挑発してきやがって。ま、意見は参考になりましたと。用はそれだけだから、もう帰るわ」
「うん。気を付けてね」
「近所だろ」
短くそう言うと、小依くんは店の戸に手を掛けた。
「あ、待って小依くん!」
慌てて呼び止め、出かけた身をこちらに翻した小依くんの元に歩み寄る。
「なんだよ?」
「れ、連絡先……知らないっす僕ら」
「? そうだっけ」
そうなんです、小依くんはてっきり交換していた気になっていたらしい。彼女は自分のスマホを取り出し、画面を操作しながら言う。
「インスタ? LINE?」
「あ、じゃあ両方」
「わかった」
二つのQRを順番に交換し、連絡先を教え合う。
アカウント名『こよ』て。可愛いな、女子じゃん。友達とのプリクラスリーショットアイコンは女子じゃん。……女子じゃん。
「意外とSNSの方は病んでないんだね」
「どういう意味ですか」
「何でもないです。……あっ、インスタの方は病みの片鱗あるぞ」
「どこがじゃ! ブロックするぞ!?」
「ごめんなさい、冗談だからお慈悲を」
謝り倒す。いや、冗談でもなく本音だけどね。
小依くんでもコーデ写真とか上げるんだ〜ってところが入り口で、全体的に寒色かモノクロに色味が統一されてるし若干端がぼやけてるし地雷服だし。……こういう服持ってるんだ、春夏はラフな格好だったから意外だ。
「インスタは桃果に言われてわざとそういうのあげてんの。俺の趣味じゃねえから」
「何も聞いてないよ」
「……俺の趣味じゃないから」
「そうだねごめんね」
「それやめて?」
スマホを仕舞い、今度こそ帰ろうと思ったのか小依くんは「まだなんかある?」と言うような目を僕に向けた。
「あー……えぇと、小依くんってさ」
「はい」
「……小依くん、は」
「なんすか」
やばい、夏休みに遊ぼうよって言うだけなのになんか上手く言葉が出せない。緊張してしまっている。
「なに? どうしたのお前、熱でもあるん?」
「っ!?」
額に触れられる。小依くんが背伸びをし、僕の額に手を伸ばし手のひらを当てていた。
「別に平熱だ」
そう言って手が引っ込められる。そういう事平気でしてくるんだ、なんか小依くんってスキンシップの距離感が近いよね。近すぎるよね……。
「どうしたよ。変な顔してんぞ」
「も、元からこんな顔だよ」
「顔の形の話はしてないのよ。変な表情してんぞって言えばいいのか」
小依くんの言葉から意識を逸らすために一度パチンと頬を叩くと、小依くんは驚いた顔をした。小さな声で「こわぁ」と呟いている。
「こ、小依くんって夏休み暇だったりする?」
「うん? めちゃくちゃ暇だよ毎日」
「毎日?」
「毎日。友達少ないからね」
「間山さんや塩谷さんと遊んだりしないの?」
「するけど、二人ともアクティブだから暇なもんで。俺は出不精モンだからさ」
「なら僕と何か……」
「あ? デートの誘い?」
「そうだね」
「えっ」
「えっ? ……あっ、いや違う間違えた! トラップだよそれは! 遊びの誘いだから!!!」
「あ、遊びの誘いな! 分かってる分かってる。冗談のつもりで言ったのにそんな返し!? って面食らってたわ〜! そうだな、遊ぶか!」
「あははは面食らわせたか狙い通り〜! 遊ぼう! 都合の合う日とかあったら是非とも!」
「だ、だな。久しぶりにゲームでバトろうぜ! 俺の家覚えてるよね?」
「えっ。い、家?」
「なんだよ」
「小依くんの家……」
思い起こされるあの夜の記憶。毛布の下から現れた、下着姿の艶やかな小依くん。……しゃがむ。
「な、なんだよ」
「なんでもない、なんでもないんだ……」
「腹でも壊した?」
「なんでもないんだ……また連絡するから!」
「そ、そっすか」
明らかに引いた様子で小依くんは店を出ていった。
なんか、今の短いやり取りの中で何度も心臓が飛び跳ねる思いをした。僕と小依くんの距離感って一体どうなってるんだろう、似たようなケースがあまり無いから客観視できない。こんなのがいつまでも続いたら心臓がもたないぞ……。




