32話「夏休み」
夏休みに、入ったよ。
という訳で、高校生活最初の夏休みは学校のプール掃除から始まった。
「ちゃんと隅々まで綺麗にしなさいよー」
「「「はーい」」」
体育の成績が芳しくない生徒、俺のように参加率の悪い生徒、後は自主的に集まってくれた少数の生徒が体育教師の言葉に返事をした。
「ったく。なんで夏休みなのに学校に来なきゃならないんだよ……」
「ちゃんと授業に参加しないからでしょー? そんなに気にするかね、乳が貧しいこと」
「気にしてないわ!」
「水着なんて小中の頃から来てたっしょ。こよりんちょっと恥ずかしがりすぎー」
「うぅ……」
桃果は体育の成績があまり高くなく、夏休み中も美術部の部活動関係で学校に足を運ぶ事もあるということで成績を稼ぐ為にプール掃除に参加している。結乃は俺と桃果を冷やかしに来ていて、昼には体育館に移動するとのこと。
体操服姿にサンダルを履いて、各々がブラシを持ち放水しながらプールの底を擦る。バラバラに擦ってて意味あるのかなぁ。
「てかさ、プール開き前にも清掃ってしてる訳じゃん? 夏休み中にプール清掃する意味あるん?」
「夏休み明けも授業あるから定期的な清掃がいるんだってよ」
「水泳部にやらせりゃいいじゃん」
「水泳部は別棟の室内プール使ってるじゃん。こんな小さなプール使わないでしょ」
「ぐぬぬぬぬ……」
納得行かぬ、プールなんて一つでいいじゃんか! 施設に金使いやがって、素敵かよ。
「てかこんな暑いのによくジャージなんか平気で羽織れるよね。すごいな小依」
「やかましいわ。全然平気じゃないが。こちとら手首バイオリンなんじゃ」
「エラ呼吸出来そうな手首してるもんね」
「やめて? グロいって。想像して鳥肌立ったわ今」
こっちの自虐ネタに更にネタを被せてくるなよ。
「カーリングしようぜ!」
離れた所で男子の集団がそんな事を言い出した。プール掃除でカーリングて、プール開き前では無いから別にそこまでヌメってないのに盛り上がるのか?
プールサイドではダンスしてる動画を撮る女子連中がいて、また別の場所にはスマホゲームをしている集団がいる。真面目に掃除してるのは極小数の生徒だけだった。
まあ、そこまで酷く汚れてる訳でもないし正直ここまで人数が必要だとも思えないが、それはそれとして人に使われてる感じがしてなんか嫌だな。俺もクラスの仲間達に合わせて、朱に交われば掃除サボろうかな。面倒臭いし。
「行くぞ! おりゃっ」
「うぉっ!?」
男子がタワシをモップで打ち放つ。……カーリングを知らないのか? どちらかといえばホッケーじゃん。
てか、モップで打ち放ったタワシが勢いよく動かしていたほかの男子のモップに当たったせいで加速してこちらに飛んできた。一直線に桃果の方に向かっている、俺は慌てて桃果の手を取り引っ張った。
「危なっ!」
飛んできたタワシを更にモップで打ち返す結乃。危なっと言ってる割にはしっかり腰の入ったフルスイングで打ち抜かれたタワシは直線を描いて、発端の男子の頭にスコンっと当たった。
「おー、ナイスショット」
「すんすん」
「……何やってんの、桃果」
「猫吸い」
「私は猫じゃないんだよね。ちなみに」
タワシが当たらないように寄せた桃果が俺の後頭部に鼻をつけて鳴らしていた。やめてほしいなあ。
「いってえ……何すんだよ塩谷!」
「危険が迫ってきたから火の粉を払っただけですけど〜?」
「ただ打ち落とせばよかっただろ!? 明らかにこっちに狙いを定めて打ち返したよね!?」
「いえいえまさかそんな。咄嗟に体が動いたんだよ」
「嘘つけ! しっかり足上げて大地踏み締めて打ち返してたやんけ!」
「えいやっ」
「ぐわっ!?」
怒りながらこちらに歩いてきた男子の顔面を一切の迷いなく結乃がビンタした。突然の事にドラマのような倒れ方をしている、面白い。
「なんでいきなり叩くんだよ!?」
「叩いてないよ?」
「うんお前つい今しがた起きた出来事忘れたんか? 思い切りその手で俺をぶっ叩いてきたやろ!」
「ファニーボーンだね」
「ファニーボーン!?」
「ファニーボーンってなに、小依」
「知らね。チキチキボーンの親戚やろ」
「チキチキボーン……?」
「或いはチキチキバンバン」
「離れてる離れてる。ファニーボーンはあれよ、肘ぶつけた時の痺れるやつ」
「なに意味分からないこと言ってんだよギャルトリオ! このっ」
「えいっ」
立ち上がろうとする男子の足をモップで払って転ばせた。
「いってー! 足払うなよ冬浦!」
「払ってないよ」
「払っただろ! 横一文字に綺麗にモップを払ってみせただろ今!」
「ファニーボーンだよ」
「またファニーボーン!? なんなんだよそれ!?」
「なんなん?」
「いやだから、肘をぶつけて時の痺れるやつだって。こよりん、手を貸して」
「? うん」
結乃に言われたのでモップを一時離し手を貸すと、彼女に手を引かれて俺に足を払われた男子の前に連れてかれた。
「ったく、なんなんだよ……」
「山下、動かないでね」
「は?」
「こよりんは拳握ってね」
「わかった」「は??」
「いい? ファニーボーンって言うのは、これの事」
「いてっ」「ぶふっ!?」
結乃に肘の内側のでっぱり? の骨をコンって固いもので叩かれると、腕にビクッと力が入って握り拳が男子の顔面に刺さった。
「こういう事。どう?」
「いやどうって……山下、大丈夫?」
「大丈夫なわけあるかい! 鼻行ったぞ今! ツーンってなってるわ!」
「ごめんねー」
「タワシがもかちに当たってたら同じように痛い目に遭ってたわけだ。良くないね! 反省しなよ山下!」
「それを言う為にわざわざ殴ったのかよ!?」
「いや私はそんなつもりは」「うん! そう!」
そうなんだ。じゃあ自分で殴ってほしかったかもな、拳痛いんですけど。
「もかちが頭抑えて痛い痛いって泣いてるの見るより、一発殴られた方がマシっしょ?」
「…………それは確かに、そうだけどよ」
「別に遊ぶのは勝手だけど、周りに迷惑をかけるなよ。相手の子も可哀想だし、あんた自身後悔するんだからさ」
「……」
なんか結乃による真剣なお説教タイムが始まった。淡々とした結乃の様子に山下もふざけたり逆ギレしたりする空気じゃないと悟ったらしく、視線は下に落としてはいるものの黙って言葉を聞いていた。
「……分かったよ、俺が悪かった。次からは気をつけるから掃除の続きしようぜ」
他の男子は各個別の遊びをし始めているのに山下はモップを取り真面目に掃除に取り組もうとした。結乃の説教がしっかり効いたようだ。
「プールは滑りやすいし危ないから」「分かってるって! もう遊ばねえよ!」
山下は「はいはい」と手を振りながら結乃に言う。その返しに結乃は「なんだその態度〜?」と怒りを表していたが、そんな彼女を無視して山下は俺達から背を向けた。
「二人とも〜、悠ちゃん先生が差し入れくれたよ〜おっ?」
俺らと離れて他の生徒らと真面目に掃除していた結乃がアイスを二つ持ってこちらに走ってきた。走ってきて、俺のすぐ近くで足を滑らせて桃果の体が地から離れた。
「ぐはぁーっ!?」
俺達から離れようとした山下の背中に思い切り桃果が激突した。前のめりに倒れる山下の上に桃果が着地する形となる。
「なんなんだよもう!!! 離れろよ!!!」
桃果に乗られたまま叫ぶ山下。そのまま思い切り顔を上げると、山下の後頭部に桃果の胸が当たった。
「わああぁっ!!?」
胸を手で押えてわちゃわちゃした挙動で山下から離れると、桃果は短く叫んで山下を睨んだ。
「あたしはそういう担当じゃないだろ!! 趣味悪っ!!」
「趣味……? なんなのお前……」
困惑しきった様子で問う山下に「うっさい!」とだけ言って、桃果はどこかへ逃げていった。
山下は、自分の足元に落ちた中身の潰れたアイスを二つ手に取る。
「アイス、これ。お前らのだろ」
「いらない」「あげる」
「ざけんな。人をボコボコにした上にゴミまで押し付けるなよ」
ジトーっとした目で見られた。ボコボコにした覚えは無いのだが、確かに潰れたアイスを相手に押し付けるのは良くない事だな。仕方ない、俺は山下から二つのアイスを受け取り、同時に封を切る。
「山下、口開けて」
「お前鬼か?」
「流石に気付かれるか。結乃ー」
「はいはい」
「おい! 勘づかれたら力ずくかよ!? 離せよ!!!」
山下の背後に回り込んだ結乃が彼を羽交い締めにする。しっかり拘束され抜け出せない様子の山下の頬を鷲掴みにして強引に口を開けさせる。
「やぇろー!!」
「暴れんなって。指噛んだらちんこ蹴り上げるからね」
「もがかがっ、がっ!」
中身のアイスを少しずつ開け口に近付け、二つの袋の先端を山下の口に突っ込ませ一気に中身を押し出す。中身は棒付きのソーダ味のアイスであり指で絞り出すのは簡単だった。
全て出し切り、口から袋を離しゴミを回収する。それを合図に結乃も手を離し、その場に崩れ落ちた山下が地面に手を着いたまま悶絶するような音を上げた。
「んごぉっ……」
「アイスを食べて悶絶する人初めて見たかも」
「知覚過敏か? ちゃんと歯ぁ磨きなよ?」
「じゃねえわ! 一気に二つ出すから変な所に入って鼻に冷水がっ……!」
「次は鼻から行く?」
「行くかぁ!!」
怒鳴られたのでそこで山下をからかうのはやめにした。これ以上何かしたら本気で怒られそうだしね。
*
「新しいバイトでも探そうかなー……」
夏休みに入ってから結構高頻度にシフトを入れるようにしたのだが、街の小さな古本屋に足を運ぼうという人は少ないらしい。退屈だ。
読書が進むのってあまり外に出ない梅雨の時期や寒くなってからなんだろうな、僕が休んでいた期間にこそシフトを入れるべきだったのかもしれない。
学生寮生活になって、暇な時間を潰したくて始めたバイトだったんだけどこれじゃ本末転倒だな。でも学校通っててバイト兼業するのは頭が追いつかなくなりそうだし、そうなるとバイト先を変えないとって話になる。それはじいちゃん……雇ってくれた店主に悪いしなー。
「整頓も一段落ついたし……POPってやつでも描いてみようかな」
一度小依くんから、じいちゃん共々に「物売る店の内装じゃないんすよ」って怒られて以降、古すぎて読めなくなった本を片付けたり傷んだ棚を処分して新しい棚を置いてジャンル別に分けたりしてだいぶ店の中は見やすく出来たと思う。整理整頓はやり終えた、なら次は店内の彩りとか、分かりやすさを補助する物の追加を考えるべきだろう。
試しに絵を描いてみよう。コピー用紙とラミネーターの用意をする。いや、紙を直接ラミネートするより分厚めのフィルムを探してそれに挟んだ方が飾りやすいかな?
「! いらっしゃいませー! って、小依くんじゃん」
紙にお試しで猫を模したキャラクターを描き出したタイミングで店の戸がガラガラと開き、小依くんが店に入ってきた。上は普通のTシャツの上に学校指定の長袖ジャージを羽織り、下は体操服の短パンでサンダルを履いている。
「学校帰り? 小依くんって何部なの?」
「ダンス部」
「そうだったの!? あ、でも確かにダンス部の友達が小依くんの事話してたな。C組のメンヘラっぽい子がどうとかって」
「ちなみに所属したのは一週間だけね。その陰口の話、詳しく教えて?」
「辞めてるんかい。じゃあ今は帰宅部?」
「うん、部活動無所属。で? 陰口の内容教えてよ」
「陰口って訳でもないんだけど……」
「いいから教えて?」
怖いって。カウンター越しに目をじーっと見てくる。鼻の頭指でつんつんしたいな。
「正直に言ってもいいの?」
「いいよ。言えよ」
「……僕が言ったわけじゃないから引かないでね?」
「当たり前だろ」
小依くんの返事をちゃんと聞けたので、僕は友達から聞いた話をそのまま口にする。
「階段でパンツ見えたって。白いパンツ穿いてて好感度上がったって言ってたよ」
「……パンツ?」
「うん」
「…………キモ」
「僕じゃないからね」
「お前も俺の下着見た事あるだろ」
「え。いや意外と階段だと見えないものだよ? 普通にしてる分には見えないよ」
「……俺ん家で」
「やめようその話は」
お見舞いに行った時の事を思い出す。やべー……まともに顔見れないよ。
しばらく無言で睨まれたが、溜め息を吐くと小依くんは持っていた袋から缶コーラを一つ取り出した。
「ほい、差し入れ」
「え? あら、ありがとう」
紙媒体を取り扱ってる店だから中で炭酸飲料は飲まないけどね。受け取ったコーラをカウンター後ろの小さな机に置く。
「じゃ、帰るわ。またね」
「あ、うん。またね〜」
そう返すと、少しだけ店の中をウロウロ歩いた後に小依くんは店から出ていった。……あっさり帰るとは思わなかった、なんか雑談に付き合ってもらえばよかったな。暇だな〜。
というか、やっぱり小依くんって部活無所属なんだ。じゃあ夏休み何してるんだろう。仲の良い間山さんや塩谷さん辺りと遊んだり旅行に行ったりするのかな。
いいな、僕も夏休み中に小依くんとなにかしてみたいな〜。まあ連絡先を知らないからアポが取れないし、こちらからアクションを起こすのはストーカーみたいだから何もしないんだけどね。神よ、奇跡を起こせ〜!
「何を祈っとるんだお前は」
「待ち人の運勢を上げる儀式をしているんだよ!」
「仕事をせい」
奥に居たじいちゃんが顔を覗かせ突っ込んできた。シフト上がるまであと六時間。長いなぁ……。




