3話「女体化」
「あ、小依くん!」
「……」
普段より少し早めに起きて、トイレに行こうとした誠也さんと鉢合わせした。俺が不良になってからは部屋に籠ったっきりあまり顔を合わせることがなかったから、一瞬誰かと思った。
誠也さんを無視してトイレに入る。何か言いかけていたが、こちらから話したいこともないので気には留めない。
「……ふむ」
しかし、なんだか違和感がある。俺の身長が全く伸びないのだ、小五辺りから。
周りの男連中はどんどん150センチ台に乗って、中には160センチに届いてるやつだって居るのに。中一にもなってまだ150行ってないのは俺くらいだった。
おかしい、絶対におかしい。酒タバコのせいで成長が滞ってるのか? 始めてまだ1年も経っていないのに?
それに、なんだか最近胸が張って、大きくなっている気がする。そういう事関連で調べてみたら性同一性障害がどうたらって出てきたが、俺にはちんこがあるから実は女だったなんて事は有り得ないし……。
女性化乳房という病気もあるにはあるが、それなのだろうか? 一応誠也さんに言って、病院に連れてもらった方がいいのか……?
「……いや、あいつに頼るとか有り得ねえか」
自分の考えを否定するように音を立ててトイレットペーパーを出して、尻を拭いた。
と、言う出来事があったのが中一の秋頃。異変はその二ヶ月後、突如として俺を襲った。
「あぐっ!? ううぅぅぅっ!!!?」
凄まじい激痛にて朝目覚める。寝ぼけ眼の俺の目に見えたのは、自分のベッドシーツにべっとりと着いたおびただしい量の血痕だった。
「なんっ、だっ……ぐぅっ!?」
血の出処は下腹部である事が痛みと出血箇所から推測出来た。だが、自分の力では立つこともできない激しい痛みに俺は必死に耐えながら蹲ることしか出来なかった。
「ぐ、ぐぅっ……誠也さっ! 誠也さんっ!! あぐあぁぁっ!?」
まるで肉を内側からスプーンでこそぎ落とされているような痛みが断続的に俺を蝕んでくる。いつものように意地を張っている余裕など無かった。異常事態だ、俺は必死の思いで誠也さんを呼んだ。
「どうしたんだい小依く……!?」
俺の部屋の惨状を見た誠也さんが声をひっくり返しながらも救急車を呼び、俺は病院へ搬送された。
どうやら俺の体には、肉体の性別が後天的に異性のものへと移行する『雄性変体症』という名前の病気、というか遺伝子疾患? の症状が出たらしい。
まだ前例は10人に満たないほどしかおらず、原因も不明で症状の進行を留めることは困難を極め、安全に性を転換させる方法しか今の所発見されていない奇病との事だった。
「体が女の子になってしまう病気なんだ」
そう医者の人から説明された時、えもいわれぬ嫌悪感に襲われた。
女になる。それはつまり、あの母親の血を持った俺があの母親と同じ生物になるという事だ。男にだらしがなくて、頭が悪くて、性格も良いとは言えないあの母親に、今よりもさらにずっと近付いてしまうという事なのだ。
吐いた。その場で、その先の事を考えて、未来を空想すると俺の体はそれに強い拒絶反応を示した。
そもそもとしてそれは外的要因による病気や感染症ではなく、そういう構造になっている遺伝子の異常。性決定遺伝子の異常である為、どのような手を尽くそうが最後には女体になってしまう。そういうものなのだと、医者は説明した。
つまり、俺がどれだけ嫌がろうと結末は一つだけであり、不可逆なのだ。暗に医者はそう俺に言っていたのだ。
それから、肉体の変貌が安定するまでの約一年間、俺は無気力に入院生活を過ごした。俺は中学二年の時期を学校で過ごさないままに中学三年生になった。
「あの、冬浦小依という子の保護者なのですが」
病院のロビーで誠也さんが来るのを待った。彼は病院に着くと、ロビーのソファーに座って旅番組を流しているモニターを見ている俺を無視して受付の方へ歩いて行った。
……まあ、分かるわけはないか。顔の形とかは大きく変わったわけじゃないけど、髪も伸びてるし後ろ姿じゃ分からないよな。
自分で話し掛けに行くべきなのだろう。けれど、完全に肉体が女になったこの状態で自分から男相手に話しかけに行くのはなんだか気が引けた。
いや、男相手というか、ガキだった母親を金で買って犯して子供を作って捨てたあの男に話し掛けるのが、生理的に受け付けなかったのかもしれない。
……前まではなんとなく流せていたけど、女体になってから考えるとその異常性を流せなくなっていた。
「小依さんならあそこに、あれ?」
受付の人がこちらを指そうとしたのを察して席を立って逃げるようにトイレへと走って行った。
「はあ……」
自分の変わり果てた姿を見る。肩の下まで伸びた髪、子供の頃の自分を女の形に成長させたような顔、あれから成長はしたが相変わらず低い背格好。
何もかもが気持ち悪い。……幼い頃に見ていた若い母親に顔がそっくりだ。媚びた笑顔を作るのに適していそうな、男受けの良さそうな顔面で無理矢理にでも愛想の悪い表情を作る。
「小依さん! お父さんもう来てますよ!」
「……」
病院の人に睨んで威嚇するも無視されて腕を掴まれた。これまで何度も脱走したり口汚く罵ったりしたものだから、俺は病院の人達からは問題児扱いされていた。
加減のない力で手を引かれ誠也さんの所まで連れて行かれた。一年ぶりに対面した誠也さんは、俺をジロジロと舐め回すように見る。
「……なんすか」
眉間に皺を寄せて誠也さんを見上げる。彼は歯切れの悪い口ぶりで俺に「久しぶり」と言った後、聞いてもないのに下らない世間話や近況報告をしてきた。必要最低限の相槌だけ打って、退院の手続きを終えて車に乗り込む。
「……」
「……」
運転中、誠也さんはしばらく何も言わなかった。勿論俺も何も言わない。可もなく不可もない親子ごっこは中学に入ってすぐにやらなくなったから、誠也さんにとったら距離感を掴めなくて話せないのだろう。
どうでもいい事だ。俺には関係ない。……髪が靡いて鬱陶しい、窓閉めてくれないかな。
「メイク、してるんだね」
少し経って、誠也さんが俺に投げた第一声はメイクの事だった。俺より少し後に入院した、俺より年上のお姉さんに勝手にさせられたメイクだ。あの人、入院するの退屈だからって俺をおもちゃにしやがったんだよな……。
「別の患者の女にやられた」
「似合ってるよ」
「……はぁ。そっすか」
「うん。とても美人だ、お母さんにそっくりだよ」
……あ?
誠也さんの横顔を見る。彼は昔を懐かしむような表情で運転を続けていた。
気持ち悪い。
……自分が捨てた母親の事なんてよく思い出せるな。よく俺と重ねる事なんて出来る。
生理的な嫌悪感が表面上に滲み出てきて、この男の存在を視界に入れているのがしんどくなる。
「小依くん、コンビニ寄るから何か欲しいとか」
「無いです。寝るんで勝手にしてください」
車を停めた誠也さんの言葉をシャットダウンするようにヘッドホンをして大音量で音楽を流しながら目を瞑る。
「大きい音出すと耳悪くなるよ」
車を出る前に誠也さんにヘッドホンの片方を取られて注意された。鬱陶しいので舌打ちだけ返して、少しだけ音量を下げて誠也さんに背中を向けた。
「小依くん、体は女の子になったんだし女子用の制服買う? それとも、残りの一年間男子制服のまま通う? どうしようか」
「女の制服とか着るわけないでしょ」
「そ、そうか。そうだよね……」
マンションの駐車場に車を停め、降りて荷物を持ってエレベーターを待っている最中誠也さんに話し掛けられた。
制服、か。考えてなかったな。
俺の身長は、女体化した後に伸びたものの結局160センチには届かなかった。中三男子の平均より大分身長が低いし、面影はあるだけですっかり体は女になってしまったのに男子の制服を着るのは似合わなくて馬鹿にされるだろうか。
でもスカートを履くのは嫌だ、それこそ知り合いに見られたら馬鹿にされそうだし。うん、やはり男の制服のまま学校に通おう。
中学三年の始業式、の数日後。男子用の学生服を着てみる。
一年間の短い期間しか着ていなかった制服は目立った傷も汚れもなかった。ボタンを潰してメッキを削って、下の銀色を見えるようにしているくらいだ。
中一の頃よりも身長は少しだけ高くなってはいるが、体格に関しては男の頃よりもヒョロくなっているから制服がブカブカだ。裾や袖は余りまくっている。
中一の頃にしていたように下げパンにしてみたら裾を引きずる形になる。仕方ないので普通に履く。
……なんか、絶望的に似合わないな男の制服。鏡の前で項垂れる。気分悪い。
「……胸は大したサイズにならなくてよかった。遺伝だな」
女は一定のサイズ以上胸が大きくなるとあのブラジャーとかいう恥ずかしい下着を着けなくてはならないらしいが、俺のは小さいので付けない。
「腰周り……」
以前はベルトを付けずとも落ちなかった制服のズボンがずり落ちた。ベルト……どこに仕舞ったんだろう。ベルト、ベルト……。
「小依くん、用意出来たかい?」
「何勝手に部屋入ってきてんすか」
「今日は送っていくって話だっただろ? いつまで経っても来ないから呼びに来たんだよ」
「チッ。……ベルトが見つからないんすよ」
「ベルト?」
誠也さんがズンズン部屋に入ってきてタンスやクローゼットの中を見てくる。不愉快極まりないが、ベルトを見つけられないとズボンを締める手段が安全ピンで留めるとかしかないから文句は言わないでおく。ベルトを早急に見つけなければ。
「ないねぇ。そろそろ本当に遅刻しちゃうけど、どうする?」
「はぁ……じゃあ誠也さんのベルト貸してください」
「僕の?」
「それしか無いんで」
「うん、分かった」
頼みを聞いた誠也さんが自分のベルトを外して俺の制服のベルトループにベルトを差し入れようとしてきた。
「っ、自分で出来るから!」
腰に手を回そうとした誠也さんを押し離してベルトを奪う。向きが分からないけど、まあどっちでも変わらないだろう。てか気持ち悪いな、ベタベタ触ってくるなよクソが!
「ご、ごめんね。一年の頃はベルトしてなかったから分からないかなって思ってつい……」
「チッ!」
舌打ちだけで返事をしてさっさと鞄を持って家を出る。
誠也さんの運転で中学校の中まで入り、駐車場で降りて裏の玄関から校舎に入る。
勉強に関しては入院中の院内学級で補填していたから大きな遅れは取ってないと思ってはいるしそこに心配は無いが、中三の変な時期に転校生同然の扱いで学校に出戻ってくるって所で変な注目を受けそうだ。女の容姿になった事について質問攻めとかされそうだし、憂鬱だな……。
「迎先生って居ますか」
俺は事前に渡されていたプリントの指示に従って、職員室をノックし開けて迎という名の教師を呼んだ。
手前に居た数学教師に少し待つよう言われて廊下で立っていたら、ジャージを着た如何にも体育教師然とした若い教師が職員室から出てきた。
「やあはじめまして! 僕がお探しの迎先生だ。下の名前が瑛大って言うから生徒からはアキTって呼ばれてる。君も気軽にそう呼んでくれよな!」
聞いてねえよ。何の話だよ。つかあだ名だっさ。
「分かりました、アキTっすね」
「そう! そして君は冬浦小依くんだね! 入院の事は聞いてるよ、女子になったんだって?」
「まぁ」
「なのに男子の制服着てるのか! まあ今は多様性の時代だしな、それも結構! 心は男の頃のまんまだもんな、いきなり女子の制服ってのは難しいよな!」
「はあ」
「おいおい元気ないな、ちゃんと朝飯食ってきたか? まあいいか、それじゃあ教室に向かおう!!」
アキTがズンズンと大きい歩幅で陽気に廊下を歩く。なんかコイツ、嫌いだ。嫌いなタイプだ。誠也さんとはまた別方向で鼻につく。
声のボリュームも言葉のチョイスも、全部が少しずつ気持ち悪くて受け入れられない。自分から生徒に呼ばれてるあだ名をアピールする所とか、薄ら寒い。多様性がどうたらって話もなんかキモいし。
「こよりんは将来の夢とかあるのか?」
「こよりんってなんすか」
「君のあだ名だよ! 小依だから、こよりん。可愛いだろ?」
「男なんすけど」
「今は女の子だろ〜? 少しでも女の子らしさってのに慣れていかないと、この先大変だと思うぞ〜? 郷に入っては郷に従え、女子になった以上は女子のーー」
きっっっっっっしょ。きしょきしょきしょきしょきしょ!
多様性がどうとか言ってた癖に女らしさ求めてくるのかよ。なんだこいつまじで。デカい声でそれらしい事を誇らしげに語りたいだけで中身が伴ってねえんだよ、自由にすればいいのか女らしくすればいいのか分からねえよ。あとあだ名もクソセンス無いし、本当に終わってるこいつ。きめぇまじで。
「それで? こよりんの将来の夢は〜?」
あと一々喋りかけんな。前見て歩けよ、人の事ジロジロと見下しやがって。
「なんでそんな事聞くんですか」
「皆に紹介する時の挨拶の掴みに必要だろ〜そういうの! 何か一つ、キャッチーなプロフィールで場を沸かせないと!」
知らねーよ、その薄ら寒いトークセンス駆使して勝手に1人で頑張ってくれ。
「……将来の夢なんかないです。普通にサラリーマンになるんじゃないですか」
「そんな答えじゃ盛り上がらないぞ〜? じゃあ、趣味とかは?」
「……入院中、ずっとモンハンしてましたね」
「モンハン! 懐かしいな! 僕も子供の頃やってたよPSPで! アルバトリオンって分かる? 壁ハメして素材集めてたな〜!!」
知らねえよ。なんか一人で盛り上がってるし、PSPって何だよそもそも。
アキTの毒にも薬にもならない、なんで自慢げに語れるのか微塵も理解できない寝言みたいな退屈なうんちく話を聞きながら廊下を歩き、3年3組の教室に着くとアキTに戸の前で待つように言われた。
「皆! 今日は皆に重大発表があるぞー!」
中でアキTがわざとらしく教卓を叩いて大声で喋る声がする。……どうやらコイツのノリはこの教室では受け入れられているようで、アキTに数人の生徒が言葉を投げかけていた。
昔から、こういう大袈裟に場を盛り上げようとするタイプは嫌いだった。
世間ではやはりこう言うタイプの人間が持て囃されるんだろうな。男連中と遊ぶ時はこのタイプの人間の空気を壊さないように立ち回って交友関係を広めていたからよく分かる。声が大きい奴には人が集まりやすいんだよな、まるで猿の群れみたいに。
「転校生、という訳では無いんだが、長い間学校に来れていなかった生徒が一人、今年度からうちのクラスの仲間として登校出来るようになったんだ! 皆、その子が教室に入ってきたら拍手をするように!!!」
考えうる中でおよそ最悪な前フリをされてしまった。拍手を能動的に求めるなよ、もうそれ義務やん。いやそもそも拍手自体いらないし、ずっと終わらせてくれればそれでいいんだって。なんで入りにくくなるような紹介をするんだあの男は!
「長い間学校に来れてなかったって、小依の事じゃね?」
「だよねー、なんか病気にかかっただかで入院しているって聞いてたけど」
しかもバレてるのかよ!? 当てずっぽうだとしたら勘が良すぎるだろ! ああ入りたくない、このままダッシュで帰りたい。
「って事は小依はあの扉の後ろで今の前フリを聞いて自己紹介を考えてるわけだ」
「入ってきたらスタンディングオベーションしてやろうぜ」
「一言喋る度に指笛するか?」
「いいねぇ」
終わったわ。これ完全にアキTと二人一緒くたにピエロにされる流れだ。入りたくなさすぎるんだわ。
てか、聞き覚えのある声がちらほら聞こえる。俺が一年の頃につるんでた連中が何人かいるらしい。性格悪い奴らが集められたクラスに俺も配属になったって事か。嫌だなあ〜!!!
……いつまでもここで立ち尽くしている訳にもいかないか。死ぬほど中に入りたくないが、このままだとアキTがこっちに来て無理やり腕を掴んできそうだし、そうなる前に自分の意思で教室に入ろう。
一度唾を飲み、覚悟を決めて戸に指をかけ、一年ぶりの学校の教室の敷居を跨いだ。……右足を踏み入れる瞬間に戸を蹴ってしまい音を立ててしまった、もう何もかも上手くいかないな俺って。