28話「風邪」
なんか引くくらい重い風邪にかかった。ここ三日間、40度から38度の熱を行き来している。何なんだこれ。
「じゃあね、こよりん。安静にしてなよ」
「来週は学校来なよー? 早く風邪なんかやっつけちゃえ」
「あはは、ありがとね二人とも。雨強いから気を付けてね」
学校のプリントや課題を届けに来てくれた桃果と結乃に玄関まで送り、ダイニングに戻って二人が作ってくれたお粥を口にする。美味しい、体が温まる……。
「はぁ……」
空になったお椀を流しに置いて、水だけ張っておく。
二人はお粥の他にも、俺があまり動けない事に気を使って様々なおかずを作って冷蔵庫の中に入れてくれた。
……風邪を引いただけの相手の家に毎日のようにお見舞いに来て、わざわざご飯や作り置きの食料まで作ってくれるなんて、本当に良い人達だよなって思う。
なんだか涙が出てきた。こんなに友達に恵まれてるのに、俺はあの二人に対しても壁を何枚か作って、隠し事とかしてて。
と、こういう考え事は今まで多々してきたし、最終的に必ずBADを迎えてベッドの上で泣き喚く羽目になるんだから極力やめようと思っていたのに、ついまた自己嫌悪をし始めてしまう。
「……気持ち悪い奴」
自分に向けて悪態を吐き、ソファに寝転がる。気晴らしにテレビをつけてスマホに繋いで映画でも見ようかとも思った。あなたへのおすすめにあったよく分からないタイトルをタップし、映し出された画面を見る。
「……あの二人の友情が破綻したら、嫌だなあ」
横になったまま、例の三角関係の事を思い出す。
結乃は田中くんの事が好きで、田中くんは桃果が好き。桃果は多分田中くんには興味は無いけど、興味が無いだけで資料の為に付き合ってみるのもありと言う可能性は十分ある。
「もしあの二人が喧嘩したら、どっちの味方に着くかみたいな話になるんだろうなー……」
考えたくないな、そんなの。二人とも同じくらい好きだし。もしそんな事問われたら、どっちも選ばずに孤立するのを選ぶのが一番楽かもしれない。二年生に上がってクラス替えすれば、きっと新しい人間関係だって……築けるかなあ。自信ないや。
「……あっ、30分経ってた」
横になったまま映画を眺めていたらいつの間にか40分くらい時間が経過していた。薬を飲む。
俺は風邪を引いたら、飯を食べて薬を飲んでからシャワーを浴びるようにしている。薬の副作用で眠くなるのと、シャワーで体を温めて眠くなるのを組み合わせて速攻気絶するように眠りに落ちる為だ。
体が弱ってる時って寝る前が一番考え事をしてしまって、精神がマイナス面に落ちて散々手首を切ってきたからな。その良くない流れを断ち切るための苦肉の策である。
ちなみにこれ、時々風呂場で寝てしまう事もあったりする。寝てるというか、気絶?
ヒートショックと言うやつだろうか。目眩のような感覚を覚えた瞬間に頭に鈍痛が響いて、目を開けたら倒れてて何時間か経ってるんだよな。
「あっ……」
今回はそのパターンだった。かいた汗をシャワーで流していたら鼻の上と目と目の間がぐーっと押されるような感覚がして、平衡感覚を失ったと思えばすぐにガタンガタン! という激しい音が鳴って、鈍痛がした。
「……んっ」
しばらく倒れていたら外でマンション玄関からのコール音が鳴っているのに気付いた。宅配の予定は無いし、桃果か結乃が忘れ物でもしたのだろう。
ズキズキと痛む頭を押さえ、俺は服も着ず濡れたままモニターの方に向かった。
*
「ここが小依んち! 部屋番号はさっき教えたよね?」
「うん、ありがとうね。間山さん」
「はーい。相手は風邪ひいてるからね、襲っちゃダメだよ?」
「襲わないよ!」
近くのマクドナルドで偶然居合わせた小依くんの友人、間山桃果さんに案内されて小依くんの住んでいるマンションに訪れた。ラブホ街を抜けた先にある、雑居ビルや居酒屋や風俗が周りにあるそこそこ高層のマンションだ。すごい所に住んでるんだなあ……。
近くにはパチンコ屋やドン・キホーテなんかもあるし、駅に続く大通りもすぐそこにある。女子高生が一人で生活するには少し治安が気になるけど、交番も近くにあるから案外安全なのかな。
間山さんはもう一人の友人である塩谷さんとこの後用事があるらしく、一度家に帰った塩谷さんを迎えに行くと言って去って行った。
一人になる。僕は意を決して、マンションに入りガラスで出来たオートロックの共用玄関前に立つ。
「部屋番号を打つんだっけ」
扉の右手側にあるテンキーで小依くんの部屋番号を打ち込む。どうやらこれがインターホンの役割をしているらしく、テンキーの上にあるカメラ? が赤く光った。
少し待つとカチッという音が玄関からした。近付くと自動ドアがスライドし扉が開いた。昔東京に住んでいたけれど、こういう家には住んでいなかったからなんか感動である。
エレベーターに乗って上まであがり、該当の部屋まで来る。共用玄関とは別に部屋にもちゃんとインターホンがあるんだね。押してみるとピンポーンと軽快なチャイムが鳴った。
「……」
チャイムは鳴ったけど中からは何の反応もない。物音一つ立たなかった。防音がしっかりしているのか、何の気配も感じない。
「留守だとしたらそもそもエントランスの時点で入れるわけないよな……?」
もう一度チャイムを押してみる。ピンポーン、やはり反応はなし。部屋を間違えた? ……いや、合ってる。
「……おっ、開いてる」
一向に何の反応もないから試しに扉に手をかけて引いてみると、扉が少し開いた。施錠されていなかったらしい。それか中から開けてくれたのかな?
「小依くーん。お邪魔しっ」
扉を閉める。なんか、部屋に入ってすぐの廊下に裸で倒れている女の人がいた。
小依くんだった。それは分かるんだけど、なぜ裸? 学校を風邪で休んでいるのは間山さんから聞いていたけど、それと関係あるのかな……。
て、ていうか背中とか尻とか見てしまった! 同級生の女子のそういう姿を見てしまった、これってまずい事なのでは!? 僕もしかしなくても性犯罪者なのでは!?
と考え込んでいたら突如扉がガチャっと開いた。中から白くて細い指が扉にかかる。
「……桃果、結乃? どうしたの、入りなよ」
「えっ」
弱々しい声で小依くんが呟いたのは間山さんと塩谷さんの名前だった。どうやら小依くんは僕をあの二人だと勘違いしているらしかった。
「忘れ物したんでしょ……?」
「あ、えっと……僕、水瀬です」
「え?」
「水瀬です。水瀬真、男の方の友達です……」
「……待ってて」
扉が閉まる。中からドタンドタン!! という音がし、なんか悲鳴らしき声も聴こえてきた。防音は別にそこまでしっかりしているわけではなかったらしい、結構足音がしっかりと聴こえる。
「な、何の用だよ変態」
少し待っていたら、首から下を毛布で包みおにぎりみたいな形になった小依くんが現れた。彼女は扉を開け、僕を強く睨みつけながら言う。
「風邪引いたって聞いたからお見舞いに……」
「いらない! 帰れ!」
「だ、だよね! ……ごめっ」
「待ってよ」
小依くんの顔を見ていたらつい先程見た綺麗な裸体を思い出してしまって恥ずかしくなったので帰ろうとした。が、小依くんは毛布の隙間から手を出して僕の腕を掴み立ち去るのを引き止めてきた。
「い、今のは勢いというか……本心じゃないって分かるだろフツー」
「分からないよ……」
「分かれよ!」
分かれよて。無茶苦茶だな……うっ、小依くんを見てるとやっぱり思い出しちゃうな。顔に出さないようにしないと。
「……見た?」
「な、なにが?」
「俺の…………その……」
「見てない! 何にも見てないから大丈夫!」
無理があるのは百も承知で僕は誤魔化す事を選んだ。小依くんは僕の顔をじーっと見て反応を確かめていたが、やがて「そっか」と小さく呟くと、納得するようにコクンと頭を揺らした。
「すごい手が熱いな……大丈夫?」
「……んー。初日よりも熱は下がったと思う」
「っ!」
返事をした瞬間に小依くんが脱力し倒れ込むのを慌てて抱き留める。
「とても大丈夫じゃ無さそうだね」
「……ごめんね、もう立てるから離していいよ」
「駄目だよ、危ないだろ。寝室まで連れてく」
「! ま、待ってよ! 掃除とかしてないから!」
「代わりにしておくよ」
「!?!? 代わりにって……絶対駄目! 見られたらまずい物とかある!!」
「なに、エロ本でも落ちてるとか?」
「エロ本!? あるかいそんなもん!」
「じゃあエロゲーとか? アニメグッズとかYouTuberグッズ程度なら全然気にならないよ僕」
「そういうのじゃなくてっ、もっとエグいのとか……とにかく駄目!」
「何にせよ放っておけないよ。お邪魔します」
「待っ、ちょっ、抱き方やめて!?」
小依くんの肩の後ろと膝の裏に手を通して抱き上げる。毛布がある分ちょっと持ち上げづらいが、小依くん自体が軽いから運ぶのに苦労はしなかった。小依くんも初めは文句を言ったものの、運び出したら何も言わずにされるがままに従ってくれたから楽だった。
玄関を閉め、廊下に上がる。家の中は小依くんの甘い匂いがさらに深まったような香りがする。本人には絶対に言えないけど、シンプルにエロい。
「シャワー入ってたの? お湯出しっぱなしになってるけど」
「!? 駄目っ、下着のカゴまだ出しっぱだから!」
「えっ。あ……」
脱衣所の前を通った時にシャワーが出っぱなしになってるのを気になって指摘したら、とんでもない返しをされた。それに気を取られて少し視線を下げたら、確かに洗濯機の前に色とりどりのブラやパンツが入ったカゴが置いてあるのが見えた。
「見るなよぉ……」
「み、見てないです」
「無理だろ! 無理あるだろぉ! うぅ……」
小依くんの顔が赤くなっている。……熱のせいだよね、うん! ちゃんと記憶を消しておくので許してほしい。
「こっちが小依くんの寝室?」
「……ダイニング。俺の寝室はその横の襖をスライドしたらある」
「1DKなんだ。立地的にも家賃結構高そうだね」
「そんな事気になんの……?」
「いや別に気になるってわけでは」
純粋に思った事を口にしただけだ。寮生活って結構不自由だから、一人暮らしって羨ましいんだよな。
「ん? なにこれ?」
「っ!? 一発目それに目が行く!?」
空きっぱなしになっている襖から小依くんの部屋に入り、ベッドに彼女を寝かせようとしたらベッドの上に見た事ない物が落ちていた。
なんだろうこれ、黒色でブーメランみたいな形していて、片方に穴が空いていてもう片方はヒダみたいのが付いてる……。
「あっ、触っ」
「えっ、これ触っちゃダメなやつだった? ごめん」
「い、いや。えっと……」
手に持ってみたら小依くんが何か言いかけたので、彼女の方を見たら目を逸らされた。
「……後でちゃんと手ぇ洗った方がいいかも」
「? そりゃ外から来たから手は洗うけど」
「それ、まだ洗ってないから……」
「??? 洗うって? これ、なんなの?」
「…………エログッズ」
「えっ」
「カービィ的なやつ」
「えっ」
改めて手に取ったものを見る。……なんか、テカってる。
察した。少し前屈みになる。
さて、どうしたものか。そうかそうか、なるほど用途まで何となく察してしまったぞ。カービィ的なやつ、この穴で何かを"吸う"んだろうな。それで、僕が握っているこの部分が……挿す方か。なるほどなるほどなるほど。
ポケットの中に手を入れて横にズラす。パンツの境界線に先端を挟む。バレるな。
「だから入るなって言ったんだよボケ」
「……ごめん、なんて言えばいいか分からないや。最初からやり直せない? 今日の出来事」
「……そのノリで今部屋から出られたら、多分恥ずかしくて泣くと思う」
「そ、そっか」
「ちなみにお前の尻の下にもエログッズあったからな。震えるやつ」
「!? ごめん踏んじゃっ、あ……」
慌てて立ち上がると確かに紐に繋がれたピンク色の機械があった。って、そうじゃない。
立ち上がってしまった。ズボンが盛り上がっている。小依くんの視線は、テントに釘付けになっている。
「……それ、なに」
「………………実は僕、癌にかかってて」
「は?」
「下腹部に悪性の腫瘍がありまして。それですね、はい」
「は?」
「……普段は小さく収まってるんだけど、時折こうして風船みたいに膨らんでズボンがテントみたいになっちゃうというか。びっくりだよね、マギー審司だね」
「は?」
「…………」
必死に叔母さんの顔を思い出す。叔母さんの顔を過去に見たAVの映像に差し替えて思い起こす。よし、よしよし、股間に集まった血液が全身に流れていくのを感じる。縮まれ、縮まれ、縮まれ!
小依くんは毛布に包待った状態で、口元を隠して小さな声で責めるように言う。
「……変態」
いたたたたたたたたたっ!! 折角縮まってきたのに! 余計な事言わないでよ!?!? くっ、僕はその場に正座になる。足の間に挟んで強制的に膨らみを消す!
「……それ返して」
「えっ。あ、ごめんなさい」
小依くんはずっと僕が持っていた吸うやつ? を奪うように取り上げて、紐が着いている奴と一緒に毛布の中に入れ、そのまま移動し引き出しの中にアダルトグッズを仕舞った。
「……気持ち悪いだろ、俺」
「え?」
「頭ん中は男なのに、体も性感帯も女なんだよ。吐き気するよな、マジで」
「そんな事ないと思うけど……」
「内心引いてんだろ」
「引いてないよ」
「わざわざドンキでこんなもの買ってんだぜ? 仮に俺が本物の女だったとして、まだ高校生なんだぞ。キモすぎるだろ」
「え、えーと……」
「お前、オナホとか持ってるの?」
「!? も、持ってないよ! 持ってるわけないだろそんなの!」
「持ってるわけないだろそんなの、それが普通の人間の感性だよな」
「あっ……」
「女にとったらオナホみたいなもんを持ってんだよ? 普通なら持ってることを否定するような物を実費で買ってんの。……ネットの人に送られたのもあるけどさ」
「ネットの人……?」
「! エロ垢とかは無いからね! オフで会ったこともない! ノリで欲しいものリストを上げたらなんか送られてきたというか……」
「そ、そうなんだ」
「だから、キモイだろ。男の癖にそんなの」
「……キモくはないよ。性欲の強さ? は、人それぞれだし」
「……気を使わなくてもいいよ」
「いや、気を使ってるというか……」
そこで会話は途切れる。小依くんはベッドの上に戻ると、何も言わずに座り込んだ。僕も何も言えないままその場に座り込んでいた。




