27話「眼福」
体育祭が終わり、7月となった。三週目の一週間に実施される期末試験を除けばほぼ一学期の消化期間の到来である。
「いっちにー、さんしー」
で、夏といえばやっぱりプールの授業だよね。
俺は女体である。つまり男女別で実施されるこのプール授業においての特等席に身を置く事を公式に許されているのだ。
女になってから散々な目に遭ってきたが、こればっかりは神ナイスと言ってやってもいい。準備体操をするクラスメート女子達の尻を眺める。エロいよな〜、揉みしだきたいな〜。
こう、うちの高校の指定水着がハイカットの競泳水着というのも感謝ポイント高めだ。前屈みになる度に皆尻の膨らみが強調されてかなりいい。こりゃ男子とは分けられますわ、授業どころじゃないもんね〜こんな光景見せられたら。へへっ、堪らねえぜ。
「こら冬浦、また見学しているの?」
体育教師がプールに戻ってくると、遅れてプールに来て制服姿のまま隅で座り込んでいる俺に気付き声を掛けてきた。
「いつになったら授業に参加するわけ? あなたまだ一度もプール入ってないでしょう?」
「そんな事言われても」
体育のプール授業。それは、リスカをしている俺にとってどうしても参加を避けなければいけないイベントである。
現状、俺の腕にリスカ痕がある事を知っているのは桃果と結乃の二人だけ。それ以外の人達に俺は一度も右腕を捲って見せた事は無い。絶対気持ち悪がられるし。
というわけで、プールに入りたい気持ちはこちらとしても山々なんだけどそうもいかないということで。俺は腹に手を当てて痛そうに顔を顰めさせる。
「また生理って言うんじゃないでしょうね」
「また生理です〜」
「同じ女相手に通用する訳ないでしょ。なんでここ2ヶ月間生理のラッシュボーナス突入してるのよ」
「六月は水無月とも言いますし、七月は文月とも言いますよね?」
「だから何?」
「いや。特に何も考えてないです」
「そのままプールに突き落とすわよ」
「今日は本当に生理なんですけど!」
「証拠は? ……待って、やめなさい」
スカートに手を突っ込み普通にパンツを下ろしてナプキンを見せようとしたら止められた。止めてくれると信じてたよ、このブラフに失敗したら諦めて制服のままプールに飛び込んでたわ。危ない危ない。
「私、生理中は胸が張って痛くなるから水に入るの辛いんですよ! 流れで胸が突っ張って……あと、タンポン入れるの怖いから嫌です!」
「別にそこまでしろとは言わないし、本当に生理なら見学してくれるのは全然結構よ。毎回休んでるのが問題なの」
「そんな事言われても」
「有り得ないでしょうが人体構造的に。週に何回体育の授業があると思ってるの」
「……」
「たまにはちゃんと授業受けてくれないと。水着姿が恥ずかしいという気持ちは分かるけど、流石に1度も参加しないとなると成績を下げざるを得ないでしょ?」
「う、でも……」
「でもじゃないの。分かった?」
「……」
「返事は?」
「……はい」
「よし。じゃあ次の授業は出る事。またサボったら夏休み中、プール掃除させるからね」
げ、それは流石に嫌だな。でもリスカ痕はもうどうしようもないし、消せないしな……。
はあ、後悔である。後々こういう問題に衝突する事は分かりきってたのに、強いストレスを感じるとすぐに逃避するように切って心を落ち着かせに掛かってしまうんだよな。
最悪なパブロフの犬だよ、自分でもやめなきゃなって思ってはいるんだけどなー……。
あれ、でも最近はめっきり手首を切るような事は無くなったな。挙げるとしたら電車で痴漢に遭った後に切ろうとした時、でもあの時は水瀬に止められたんだよな。
最後に切ったのっていつだっけ? ……うわ、自分でキモいなって思ったんだけど、以前は男に告られた日の夜に必ず手首を切るみたいなルーティンがあったな。水瀬と話すようになってからはそのルーティンも解消されたけど。
「水瀬……?」
そうだ、水瀬と話すようになってから一度も手首切ってない。なんで? 男と話せるようになって、男に対するトラウマがいくらか軽減されたのかな。
思えば水瀬と出会ってからアイツに対する考え事が増えたような気がする。そっちに思考のリソースを割いてる分、手首切るラインに至るまでの負の思考が抑制されているというか。
俺は頭を使う必要がある場面では病まないタイプなのだが、それと同じ作用が水瀬と関わる事で起きているという事なのだろうか?
「……」
体育祭が終わってから、水瀬と話す機会が無くなった。俺の方から水瀬に話に行くことは無いし、水瀬も俺の事を友達と呼ぶ割に話しかけに来ないから、話す機会があまり無いのは当然の事なのだが。
波があるような気がする。少し前までは「なんでまた偶然顔を合わせるん!?」ってなる出来事ばかりだったのに、急にパタンと現れなくなっちゃって。エンカウント率が変動するんだ、あいつって野生のモンスターかなにか?
「考え事してるねぇ、こよりん」
「うぉっ、結乃!」
ボーッと前を見ていたらこちらに来ていた結乃が俺の前でしゃがみこむ。すごい、胸がバルンってなった、バルンって。でっけぇ〜! 柔らかそう〜! 水着と肌の隙間から手を突っ込みたいです。
「結乃、胸揉んでもいい?」
「私の揉んでもこよりんのは大きくならないけど」
「うん何の因果があるん? セクハラにマウントで返さないで??」
「むしろ私が揉んで大きくしてやろうか〜」
「今日は生理だからガチの方でパス。痛いからやめて」
「あらら」
「何話してんの二人とも」
桃果も合流してきて、俺の目の前に二人の水着女子高生が君臨する。桃果も結乃程じゃないけど胸があって、しかも形が綺麗な美乳タイプなんだよなぁ。
「桃果、胸揉んでいい?」
「あたしの揉んでも小依の胸は板のままだよ。一生」
「おいおいおい。おーいおいおい。二人してマウントで打ち返すのなに? 打ち返すならバットで打ち返して? 金棒で打ち返した後に金棒ぶん投げてきてるんだわ桃果は。一生ってなに、明確な煽りじゃん」
「小依って、顔はアイドル並みに可愛いし体も柔らかそうで可愛いし声も1fゆらぎって感じで綺麗だし素で甘い香りとエロい香りがするしで、ほぼ完璧じゃん?」
「急に褒められて草」
「だから貧乳なんでしょ。釣り合いとる為に」
「褒められてなかったわ。釣り合いとかそういう話をするための前座だったか」
「そこで性格良くて巨乳だったらもうズルすぎるもんな〜」
「胸は確かに小さいけど、女神のような人格者だと自負してるんですけど」
「「どこが?」」
「ハモらないでよ」
二人して性悪貧乳呼ばわりしやがって。はぁ。二人とも胸プルンプルンでいいな、急に触ったら怒られるかな。
「てか何しに来たのさ二人とも。私、水遊びしてる皆を観察したいんだけど?」
「あたしも同じ事をしに来たんだよ。女体の資料集めにね」
「自分の裸でも撮って描き写せば良くない?」
「ポージングはそれでもいいけどあたしと大きく体型が離れた人達の肉感のバランスは見なきゃ分からないでしょ」
「そうですか。で、結乃は?」
「体育祭の時、水瀬くんって人と仲良くしてたじゃん? あの後どうなったのかなって」
「どうなったのか……?」
なにが聞きたいのかよく伝わらなかった。桃果が「陽射し気持ち〜」と言いながら隣に座ってきた。濡れても問題ない格好していたらむしろこっちからくっついていたが、今は制服を着ているので少し距離を取る。
「進展的なのは無いわけ? 水瀬くんと」
「なんの進展だよ」
「恋愛的な」
「恋愛的な!? 無いよ!」
「えー?」
「ほらね、言ったでしょ結乃。小依は絶対に何も無いよって言うに決まってるって。シャイなんだからさ」
「シャイとかそう言う話ではなく! 大体なんでアイツとそういう感じになると思い込んでるわけ?」
「え? 見てたら自然とそんな感じなのかな〜って。さっさとくっつけよ! って歯がゆい思いをしております」
歯がゆい思いをしておりますと言われても。俺も水瀬も互いをそういう風に意識してないわけだし、理由もきっかけもないのに付き合うわけないのだが……。
「小依みたいなタイプの子は直接つつくんじゃなくて遠回しにアシストしないと。恋愛に対して変な価値観の拗らせやプライドがあるからね」
「桃果ちゃん、なんか失礼な事言ったよね今」
「むしろあたしは結乃の恋愛の方が気になるね。田中くんとどうなのさ?」
「えっ」
「お、面白そうな話だ。そーだそーだ、自分こそどうなんだー恋愛ー」
桃果と二人で「惚気ろ〜」と野次を飛ばす。結乃は顔を赤くして手を俺らの口の前に出してきて静かになるよう頼み込むが無視して野次を続ける。
「田中くんと二人っきりの密会をする機会増えたんだろー? 止まっていた秒針が動き出したね〜結乃」
「教室でも話してる姿見かけるしね〜」
「この前なんて二人で帰ってるのを家のベランダから観測済みです」
「あたしらと話してる時もチラチラ田中くんの方見ちゃって! 分かりやすい乙女だこと〜」
「〜〜〜!! 泳いでくる!」
野次ラッシュを受けた結乃はもう耐えられなくなったようで、俺ら二人から逃げるようにそそくさと離れて行った。
「可愛いなぁ」
「可愛いねぇ。知ってる? 最近結乃ね、田中くんと登校中ばったり遭遇出来るように時間調整してるんだよ」
「乙女じゃん。てかなんでそんな事知ってんの? 私と一緒に登校してんのに」
「ふっふっふ。たなゆのカップリングはあたしの中で注目度一位の組み合わせだからね、情報収集には事欠かないのさ」
「なに、他の女子に賄賂でも渡して監視してもらってんの?」
「うん」
「うん、かぁ」
気になる気持ちまでは共感出来るけど、流石にそこまで情熱かけるのは分からないや。金銭の報酬を餌に依頼するとか本気すぎるじゃん、怖いって。
「……私の事も監視してたりするの?」
「前はしてたよ! 明らかに小依ってP活してる雰囲気纏ってるし、メンヘラ地雷系女子の解像度をあげるためにね」
「その発言に病みそうだわ」
「でも思ったよりずっと性関係はマトモというか、男に近付く様子は表でも裏でもあまり無かったから監視から外したんだよね。あたしの求めるキャラクター性はもっとドロっとした感じなんだ」
「意味分からん」
「SNSのプロフィール欄にお風呂の絵文字入れてたり、定期的に寒色系の加工施した自撮りを投稿したりするような女子が良かったね」
「……」
前者はよく分からないが、後者はちょっと当てはまってた。だって褒めてくれるんだもん、調子乗るだろ少しくらい。
「ちなみに小依のエロ垢は特定済みね」
「ぶふっ!? 無いわ!!」
「無いの?」
「無いから! 流石にそういうのはまだっ」
「あ、エロ垢は無いけど裏垢っぽいのはあると」
「っ、ち、違くて。無いし、そんなの」
「素直だねぇ小依は」
「……性格悪すぎだろお前」
ニヘラニヘラと笑いながら桃果もプールの方へ歩いて行った。何なんだよほんと、見学してる人にちょっかい掛けにくるなよな。まったく。
……後で教室戻ったらアカウントに鍵掛けとこ。いや、フォロワーちょっと多すぎるから新しく作り直してそこから安全な人だけフォローして鍵にしようかな。身内バレはちょっとグロすぎるわ、流石に。
「恋愛……」
俺は意識した事無かったけど、少なくとも結乃の目には、俺と水瀬はそういう間柄に見えるんだな。恋愛的な間柄、というか。
水瀬と俺がぁ? 男同士の友達としてなかよくしてんのに?? 想像もつかないな、てかしたくないや。水瀬と恋人……。
『そりゃ普通に意識するよって。小依くんは大切な友達だけど、同時に可愛い女の子なんだからさ』
「意識……」
『小依くんの苦しみは僕には理解出来ないけど、でも支えになるからさ。手伝える事があったら言ってほしい』
……っ。
真摯な顔で語る水瀬の顔を思い出す。なんか変な気分になる。別にそんな、例えば恋愛的な? 意味を込めて言った言葉では無いのは勿論分かるのだけれど、その前提がある上でもこれってかなり恥ずかしいセリフ言われてるもんな。支えになるからって……。
あの時は本当に心から嬉しくて、でも水瀬相手にそんな事を思うなんてってプライドが邪魔して乱暴な言い方で誤魔化したけど。今同じ事言われたらプライドとはまた違った感情で暴言を吐いて誤魔化してしまう様な気がする。
そんな気分だ。つまりよく分からない、謎の気分にさせられている。
『僕だけじゃなかったんだ。よかった』
「僕だけじゃ……僕だけ……気になってる人……」
うわ言のように呟いた後、これ以上考えるのは精神衛生上良くないと判断し思考を停止させた。確証も無いのに他人の気持ちとか感情なんて決めつけるべきでは無いし、そんなの、仮に万が一そういう方向性の感情を向けられたとして、どうすればいいか分からない。
いや、有り得ないわ。だって俺アイツのこといじめてたし、女として見たら俺って明らかに地雷だし、中身男だし。水瀬はいたって普通の感性をした男なんだから、こんな奴の事を好きになったりするわけ……。
「どうしたの、冬浦。なんか顔が赤いけど。ちゃんと日焼け止め塗った?」
「……」
「冬浦……? あなた熱あるじゃない。風邪!?」
「えっ……?」
「生理重い方だったのね。保健室連れてくから、ほら立って」
「え? いや、えっ」
別に生理であることを除けば体に不調は無いのだが? 生理もそこまで重い側では無いし、なんか勘違いされてる?
その後、保健室で熱を測ったら実際熱が38度も出ていた。それを認識した瞬間急激に体調が崩れていって、倦怠感と喉の痛み、吐く息の熱さや体の芯が冷え込むような悪寒が発生するから驚いた。病は気からと言うが、自分が健康体だと思っていれば実際に自覚できる症状は大分緩和されるらしい。
その日は早退し、病院に行ったら更に熱は39度に上がり、薬を処方されて家に帰ったら40度まで上がっていた。
やばいなこれ、死ぬのか? みたいな事を考えつつ、バナナを半分くらい食べて薬を飲んだら気力が尽きたかのように床に倒れこんだ。フローリングはひんやりしていて気持ちよかった。




