12話「誤解、遅い、脆い」
家に入ると玄関には捨てられてないゴミの詰まったビニール袋がいくつも置いてあるのが見えた。
「あれ、お父さんは居ないの……?」
「居ない。女ん所いると思う」
「え……」
女の所? 自分の子供を放って……?
昔私に話していた時の小依のお父さんとイメージが違う。でも今はそんな事考えるより、泣き疲れて下を向いている小依をどうにかしよう。
「小依の部屋ってどこ?」
「入らないで」
「えっ?」
「……血とか、カッターとか、そのままだから。臭いし汚いから」
「血って……!?」
嫌な予感がして小依の袖を捲る。左腕には何も無かったが、右腕の内側に凄い数のリスカ跡があった。
「小依……」
力が抜けそうになるのを何とか耐えた。最早何も映していない瞳で床をじーっと見る小依の手を引いて、とりあえずリビングに連れてきてソファーに座らせた。
膝の上に置かれた小依の手に触れる。小依は私と目が合うと、ゆっくりとした動作で首を傾けて視線を傾けた側に動かし目を逸らしてきた。
「小依、何か食べる?」
「……いらない」
私の方を見ようともしない小依の頬を親指と人差し指で摘む。彼女は鬱陶しそうに眉をひそめた後、こちらを見た。
「なに」
「さっきからお腹鳴ってるの聴こえてるんですけど」
「だから?」
「何か作ったげる」
「誰お前。いらねぇよ」
「はいはい」
指を離すとそのまま小依はソファーの上にパタンと横向きに倒れた。スマホを眺めるでもなく、ただ何も映っていないテレビを眺めている。
なんだが、電源が切れたみたいだ。皆の前で見せていた女のフリをしている時は電源がまだ生きていて、女のフリをやめた途端に動力が切れたような感じがする。
「そのまま寝ないでよ。風邪引いたら困るでしょ」
「困らない」
「ダメ。あんた見るからにご飯食べて無さそうだし。冷蔵庫勝手に開けるよ」
「帰れ」
「無理。……あれ、案外食材は入ってんだね。男二人なんだし自炊とかしないと思ってた」
「……昨日買い物した」
「小依がご飯作ってるの?」
「……まぁ。誠也さん、料理下手だから自分で作ってる」
「へぇ。お父さんの分も?」
「作ってない。怒られたっきり、あんま家に帰ってこなくなったし」
「怒られたって? なにしたの」
「…………アイツの飯を食わずに飯を作ってたら、折角作ってやってるのにって。口に合わないからって言ったら納得してくれたけど、ネチネチうるさいからいい加減親父面やめろって言ったら、顔を見なくなった」
「……ごめん」
小依は何も返さなかった。触れて後悔した、気分が沈んで重苦しい空気が流れる。
オムライスを作ろうと準備していたら小依がソファーからひょこって顔を出してきた。
「帰れよ」
「今の小依ほっといて帰ったらそのまま寝ちゃいそうだもん。帰らないよ」
「……なんなん。何がしたいの? 鬱陶しいんだけど」
「そういう事ストレートに言わないでよ。幼馴染のよしみでしょ」
「俺の事嫌いなんだろ」
「うん嫌い」
「じゃあまじで帰れよ意味分かんねえ。つうか俺のいじめってお前が裏で手ぇ引いてたろ」
「うん」
「どんな気持ちでそこ立ってんの……?」
「あんただって水瀬くんのこといじめてたでしょ」
「だから?」
「だから私はここにいていいの」
「は? お前言ってる事キモいな。閉経してんの?」
「サイテー」
それからは何も言って来なかったので、オムライスを完成させて皿を探す。
「……ねえ、使っちゃダメなお皿とかある? 誰々用とかさ」
「んー」
返事をするとのそのそとした足取りで小依はこちらまで来ると私の隣で皿を二つ取り出しカウンターに乗せた。
「咲那、客用のスプーンとかないんだけど、どうする」
「え、いや私は」
「自分の分作ってない?」
「作ってない」
「お前も腹減ってんのに?」
「だってこの食材あんたのだし」
「じゃあそれ自分で食べたら? 俺は自分で作る」
「えっ……私の作ったご飯は食べたくない?」
「はあ? 違ぇよ、お前も腹減ってんだし自分が作ったのなら不味いとかないだろ。先食えよって意味」
「折角作ったんだから食べてよ。あっ、てかそれなら私の分は小依が作ってよ」
「お、俺が? なんで」
「小依の手料理とか食べてみたい! オムライス作れないの? 作り方教えよっか」
「作れるよ。チキンライスも余ってるみたいだしすぐに出来るけど……」
少し言葉に詰まった後、小依は私の目を不安そうに見ながら小さな声で言った。
「美味しいか分かんないよ?」
「え、何その心配可愛いな」
「茶化してんじゃねえよ」
素で可愛いと思ってしまった。ぶりっ子してる時より今の方が断然可愛いでしょ、小動物みたいで。
「いいから作ってよ! 私ここで待ってるから!」
「そこで待ってんなどっか行ってろ気持ち悪い。てか上着脱げよ」
「え!? なんでそんなこと急に、えっち! けだもの!」
「頭おかしいのか。家の中でいつまでコート着てるつもりなんだお前」
「だって寒いんだもん!」
「はあ……」
溜め息を吐きながら小依はリビングを移動しヒーターをつけた。
この家ではコタツは出ていない。ヒーターとホットカーペットが主な防寒手段らしい。
「ほら、これでいいだろ。ヒーターの近く行ってろ」
「はーい」
小依が面倒くさそうに脱いで畳んでいるコートの横に私もコートを畳んで置き、靴下も脱いでヒーターの前に裸足を晒す。暖かい……。
しばらく待っていると香ばしい匂いがしてきて、小依がオムライスの乗った皿を机の、私のいる方に置いた。
「スプーンは俺が使ってるやつねキモかったらごめん」
「そんなの一々気にする?」
「気にする人はいるだろ」
「私は気にしないけど」
「あっそ」
小依は私が作ったオムライスの前に腰を下ろした。そのまま押し黙り食べようとしない小依に見せつけるように手を合わせる。
「頂きます! …………小依は?」
「……頂きます」
遅れて小依も頂きますをし、私に合わせてオムライスをスプーンで崩した。
「んっ、美味しいじゃん。小依、ちゃんと料理出来るんだね」
「嘘つけ。父親も母親もメシマズなのに美味い訳あるかよ」
「本当に美味しいよ! お世辞抜き」
味を褒めてみると小依は疑うような目を私に向けた。本心なんだけどな、ちゃんと味が付いてるし全然美味しい。おかわりだってしたいレベル。
小依は私の作ったオムライスを黙々と食べていた。食べ進めるスピードはそこまで早くない。
「私のは……美味しくなかった?」
「若干冷めてる」
「あー……まあそうだよね。うわーミスった、ごめっ小依!? ちょ、ちょっと!」
オムライスを食べる手を止めて、小依はまたさっきのように泣いていた。今度は泣き声は上げていないが、目から零れる涙をしきりに拭いて鼻を啜っている。
「そ、そんなに温かいのが食べたかった? 泣かないでよ、ごめんって……」
「違う……美味しい」
「そ、そう? ならなんで泣いてるのよ……?」
「だって……こんな美味しい手料理とか、食べた事ないしっ……」
そんな理由で泣く!? 大袈裟だなあ……。まあ悪い意味で泣いてないんだったら、別に良いのかな?
「……あと、咲那の手料理とか食べれると思ってなかったからっ……それも、ある……っ」
「え? なにそれ、なんで?」
聞いてみたけどそこから先は何も答えてくれず、全部食べ切るまで小依は私の話す内容をただ黙って聞いていた。
「ねえ小依」
「なんだよ」
「なんか、しばらく話さないうちに二人とも大きく変わったよね。色々と」
折角家に来たんだし、数年ぶりにちゃんと話すんだしで、小依と他愛もない話がしたくなった。
「胸、でかくなったね。お前」
「一番最初にそんな話題? 本当にサイテー」
「そこぐらいしか目ぇ行かないし」
「また私の事ブス扱いしてるー?」
小依の着眼点が胸とか体ばかりだったから久しぶりに戯けてそう言ってみると、小依は首を振ってそれを否定した。
「咲那はブスじゃないよ。全然」
「えー? 昔は小依、私に可愛くないって言ってたじゃん」
「あれは……その……」
? 小依は少しだけ言い出しづらそうな態度を取り、間を置いてから答えた。
「照れ隠し、つぅか……よく言うだろ。好きな女子に意地悪するみたいな。それだよ」
「えっ。……私の事好きだったの?」
「………………そうだよ! 悪いかよ」
「わ、悪くないけど! そ、そうだったんだ」
知らなかった。予想外の急な告白になんだか顔が熱くなる。小依の方を見ると、彼女も赤面した様子で顔を強ばらせていた。
「でもごめん、私他に好きに人いる」
「……いや昔の話だし」
「あと私、女だからさ」
「昔の話だと言っておろうが!」
「まあでも、結構小依って正統派な可愛さあるし、最近はちょっと病みすぎてて見た目にもそれが反映してるけど顔自体は」
「昔の話って言ってるだろうが!? 嫌がらせなん!? 黙れよお前!!!」
「あはははっ!! ……そっか、そうだったんだ」
久しぶりに小依が私にムキになって言葉を投げてきた。昔に戻ったみたいだ。
スプーンをお皿の上に置き、膝を抱える。
「素直に言ってくれればよかったのに」
「……無茶言うなよ」
「無茶じゃないよ。だって私も、小依の事好きだったもん」
「……」
小依も私と同じように膝を抱えると、顔を隠すように倒して唸り声を上げた。
「……好きだったから、お前に嫌いって言われた時とか、いじめられてた時とか、しんどかったんだぞ」
「ごめんね」
「許すわけないだろ。死ねよお前……」
「そんな事言わないでよ」
「……なんで、俺に対してあんなに敵意向けてたんだよ」
弱々しい口調で小依はそう言う。顔は伏せたまま、ただ静かに私からの返答を待っている。
「……最初は小依の事好きだったけど、高学年になるにつれて小依は私より他の友達と遊ぶようになったじゃん。それで、どんどん小依が遠くに行く様な気がして、置いてかれた気分になったの」
「……うん」
「それである日ね、複数人で遊んだ時に水瀬くんが私に話しかけてくれて。寂しいって言ったら、相談にも乗ってくれてね」
水瀬くんの名前を出すと、小依は少しだけ顔を上げ、再び顔を隠した。
「水瀬」
「うん。まあ、水瀬くんを好きになったのはその頃。色んな事を教えてくれたし、困ったら助けてくれるし。でも、小依は水瀬くんの事が好きじゃなかったでしょ?」
「……いつぐらいの話?」
「最初から、どこか鬱陶しがってたじゃん。それを水瀬くん、気にしててさ。でも私は、小依が根は良い奴だって知ってたから、仲良くなってほしくて。それで、根気強く話しかければ仲良くしてくれるよって言ったの」
「水瀬がしつこかったのってお前のせいだったのかよ……」
「そう、だね。私が言ったせいで、嫌がる小依に対して水瀬くんはガンガン行ってたんだと思う。それで私、こんなに仲良くなりたがってる水瀬くんを受け入れないなんて心の小さい奴って、小依の事を嫌な奴だと思うようになって」
「……うん」
「そこから小依が水瀬くんをいじめるようになって、完全に嫌いになって。……そういう感じ」
小依は顔を伏せたまま、何も言わなかった。
水瀬くんがいじめられたのは、私のせいでもあった。要はそういう話だった。
小依は私の話を聞いてどう思ったのだろう。ちゃんと私に幻滅してくれただろうか。
「……今年のクリスマスは水瀬と過ごすの?」
「んーん、過ごさない。てか好きなだけで、別に付き合いたいとか思ってるわけじゃないし」
「なんでだよ」
「そんな資格ないでしょ。私は水瀬くんを陥れた一因なんだよ?」
「実行したのは俺だろ」
「そうなるように仕向けたのは私だよ」
「言わなけりゃ本人が知る由ないだろ」
「知る知らないはどうでもいいの。私からは水瀬くんにもう近付かない。それが罪滅ぼしでしょ」
「……意味分かんねえ」
顔を伏せたままグダグダ言い始めそうな小依の肩に触れようとして、やめた。安易に変な事はしない方がいいと思った。小依の、レイプされた時のトラウマを思い出させそうだから。
「クリスマスさ、私と一緒に過ごそうよ」
「……誰が」
「小依が」
そう言うと、小依は顔を上げた。涙を拭った跡の残る目元を眩しそうに細めながら私を見る。
「嫌だ?」
「……」
「私とクリスマスデートしよ。……きっと、中学卒業したらもう会うことも無いだろうしさ」
「……そうだね」
「いいの?」
「いいよ。俺、まだお前の事好きだもん」
「えっ」
「引いた?」
「引、いてはないけど……」
「よかった」
そこで初めて小依は、素っぽいふにゃっとした笑顔になった。子供の頃によく見せてくれた笑顔だった。
「俺はお前の事全然今でも好きだから、一緒にクリスマスデートしたい。出来たら、超嬉しい」
「そんなに……?」
「そんなに。女になっちまった時、実はそこが一番ショックだったし」
「そこって?」
「……女同士の恋愛ってムズいし、お前レズじゃないじゃん。好きな人と付き合えないのが確定したら、メンタルやばいでしょ」
照れるようにそういう小依。見た目は女の子なのに、なんだか当時の小依が目の前にいるみたいでこっちまで照れくさくなる。
「……さ、さっきこれが最後になるだろうから、みたいな事言ったけどさ。そうとも限らないパターンも、あるかも? って、私は思うけど」
こんな事自分から言うとは思わなかったが、勇気を出して言ってみると小依はボーッとした顔で私を見つめてきた。
何も言葉を返さない。え、もしかして伝わってない? そんな鈍感な事ある?
「……女子高生同士でカップルって、アリなんかな?」
「理解出来たんかい! 反応が紛らわしいんだよあんた!」
「えっ!? あ、たしかに今のは一個先のリアクションだった! てか、なんか勝手に突っ走ってた恥ずかしっ!!!」
「本当にね! 本当に恥ずかしい奴! バーカバーカ!」
「んだと!?」
昔のように怒った小依が私に飛びかかってきた。昔とは違い私の方が体が大きいから負けない。ふっふっふ、力で勝利しギューって抱き着いてやる!!
「は、離せエロ女!!!」
「はぁ!? 誰がエロ女だ!!! それあんたが言われてたやつでしょ!!」
「15歳にもなって男にしがみつく女はエロでしかないだろバカ! 淫乱!! 巨乳おばけ!!!」
「あんただって女なんだから関係ないでしょ! てか一個だけ具体的すぎる悪口あったけどぉ!?」
もはや悪口かどうかも分からない言葉だったが、許せない事には変わりないので小依を締め上げた。「ぎゅぬううぅぅぅっ!?」という動物のような悲鳴をあげ、小依はノックダウンした。
「それじゃ、次はクリスマスでね」
「お、おう。……家まで送ろうか?」
「あはは、大丈夫! 割と近所だし」
「滑って怪我するなよ」
「うん! マフラーありがとね、次会う時返す……いや、どうせなら二人おそろいのマフラーとか買っちゃう?」
「〜〜〜〜っ!!! じゃあな!!!」
プロレスをした後、二人で雑談をしていたらどんどん昔の様な感じに空気が変わっていって、別れる時には完全に小依の性格は男だった頃に戻っていた。
エレベーターは今は動いてない時間帯らしいので、階段を使って降りる。
一時的かもしれないけど、小依が昔の小依に戻ってよかった。
なんだか最近の小依、空元気すぎて怖かったのだ。何をするか分からない恐ろしさというか、明るいはずなのに不気味さがどこかにあって。それで私はずっと小依を見ていた訳だし。
「……あっ。てか鍵返してないじゃん」
ポケットに入れた指が硬いものに当たった。取り出してみると、それは小依から預かった小依の家の鍵だった。
「一番下まで降りてきちゃったよ……」
また登るのか、面倒臭いなあ。なんて考えながらも、仕方なく階段を登っていく。
「全然気付かなかったし。小依も気付いてなかったのかなー」
階段を登りながら呟く。小依の部屋の階まで着き、共有通路を歩いて部屋の前まで着き扉を開ける。
「小依ー、家の鍵さ……小依っ!?」
困惑する余裕もなかった。私はそれを目にした瞬間に、部屋の中へと駆け出していた。
靴すら脱がずにそのままガシャガシャと音を鳴らしながらゴミを蹴り、土足でリビングを越えて、ベランダの柵に身を乗り出していた小依を背中から抱き締めた。
「なに、やってんのよ……!!!」
小依は明らかにベランダから飛び降りようとしていた。力任せに柵を蹴って背中から倒れる事で小依を部屋の中に入れる。
「小依、なんでっ」
小依は自殺しようとしていた。何故そのような事を今、このタイミングでしたのか理解が出来なくて問いただそうとした。
「また会おうって言ったばっかじゃん!? なのになんでっ、死のうとしてんのよ!!」
「……」
小依は何も言わなかった。
私に引き戻された小依は、ただペタンと床に座ったまま、また電池が切れたかのように俯いて押し黙っていた。
……私は勘違いをしていたのかもしれない。
段々と昔の小依に戻っていたと思っていたのはそう思わせるよう演技していただけで、今の小依の素っていうのはこの虚無の状態だったのかもしれない。
皆の前で明るい女子を演じていたように、私の前でだけ幼馴染の小依を演じていただけ。演じている間の小依の言葉に意味なんか無くて、私が居なくなったから自分のしたい事をしただけ。
今の小依を見ていると、そんな風に思わされた。実際の所は分からない。小依が何を考えているのか、全く想像もつかなかった。
「ねえ、小依。なんとか言ってよ、ねえ……」
「……」
私が何度呼びかけても、肩を揺すっても、小依は何も受け答えしてくれずただ黙って床に見ていた。
いや、私がしつこく話しかけていると、段々と小依の目元が動き、細くなり、それに気付くとすぐに小依は顔を隠すように手で覆った。
「小依……?」
「…………いじめてくれてありがとう」
長い沈黙の末に絞り出された第一声は、私を呪うような言葉だった。
「……俺、やっぱりお前の事嫌いだったみたい。今気付いた」
立て続けに彼女はそう言い、後は何も言わなかった。私は鍵を机に置き、挨拶を交わす事無く小依の家から飛び出した。
走っているうちに胸が苦しくなって、失恋した訳でもないのに涙が落ちてきて、声を抑えられなくなった。
これが、中学生活最後の小依とのやり取りとなった。