11話「にせもの」
私の幼馴染、冬浦小依はある日突然失踪し、女になって帰ってきた。
私は小依の事が嫌いだった。
昔は好きだったしあの頃は間違いなく恋してた。けど、小依は大きくなるに連れて私よりも他の友達とばかり話すようになって、私の家にも来なくなって、遊ぼうって言っても断られる事が多くなった。
その後私は水瀬真くんっていう人を好きになった。けれど、同時期に小依は水瀬くんをいじめるようになって、それがきっかけで嫌いになった。
小依は中学に入ると不良の人と付き合うようになって、どんどん私の元から離れていった。
女になった後も相変わらず不良のような振る舞いをしていて、クラスの人達が萎縮しているのも全く気にした様子がなく自由気ままに過ごしていた。
私の親友の上原美優が小依にいじめられていると訴えてきたから、私は色んな手を使って小依に仕返しをしようとした。しかしいつの間にか私の知らない、小依に関する変な噂が流れていって、私じゃ制御出来ないまでに周りが小依をいじめようという空気になっていった。
美優に話を聞いたら、「だってアイツ私を殺すって言ったんだもん!」と言われた。学校に流布されている噂は殆どが、美優が流したものだったらしい。
小依は色んな人からいじめられ、日に日に大人しくなっていった。
「小依、私」
やり過ぎてしまった、ごめんなさい。
そう言うつもりだった。小依は私の話なんか聞かず、雨に打たれながら逃げるように去って行った。
夏休みに入る少し前から小依は学校に来なくなり、夏休みが明けても小依は学校に来なかった。夏休み中に小依の身に起きた事件はクラスの誰もが知っていた。
10月になっても小依は来なくて、11月になってから久しぶりに小依は学校に顔を出した。以前は男の制服を着て、髪も短く切っていたのに、肩より下の位置に髪の先が来るくらい伸びていて、女子の制服を着ていた。
残り4ヶ月ほどしか着る期間の無い女子制服をわざわざ買ったのかって驚いたけど、そういえば小依の制服は男子によって汚されてるんだった。まともな神経をしていたら、そんなの着れるはず無いよね。
「私の席はどこですか」
小依は落ち着いた声で、アキTにそう尋ねた。
今までは自分の事を"俺"と呼んでいたのに、一人称が私に変わっている。見た目もそうだし、なんだか普通の女子になってしまったみたいに感じた。
*
「変わったよね、冬浦の奴」
「ね、なんか別人みたい」
学校に復帰した小依はこれまで皆に見せてきた粗野な性格とは真逆の性格になっていた。
物静か、というか塞ぎ込んでるというか。誰とも楽しそうに話す事はなく、休み時間も黙って勉強に時間を費やし、学校が終わったら誰とも話すこと無く帰宅する。
性被害に遭った女の人の末路のようにしか思えなかった。だから誰も今の小依をいじめようとはしなかった。
そもそもこの時期に人をいじめるとか進路に響くし、これまでの罪悪感もあって腫れ物扱いのように全員が小依をいない者として扱った。
ただそれは女子に限った話で、男子は大人しくなった小依が可愛いだとか言って、チヤホヤし始めていた。
「小依、荷物持とうか? 重いだろ」
「……いいです」
移動教室の授業の前に教室に忘れ物をして、取りに帰ってきたら神崎、山本、香坂が小依を囲んでいるのが見えた。神崎は小依の荷物を持とうとしたが、小依はそれを断る。
「でもお前、なんか痩せただろ。見てると心配なんだよ」
「……痩せてないです」
「俺らはダチだろ? 信頼してくれよ」
「……してます。三人とも友達」
「小依、大丈夫か……? やっぱりトラウマとかで、男が近付くのは良くないんじゃ」
「そんな事ないです。……私は自分で出来る事は自分でします。気に掛けてくれてありがとうございます」
そう言って山本と香坂の間を通り抜けようとし、山本の手が小依の肩に掛けられた瞬間、小依の動きが止まった。
自分の肩に掛けられた手を見て、その後に小依は山本を見上げた。
「ご、誤解するなよ。俺達は本当にお前が心配で……」
「分かってる。私も大丈夫って言ってる。何も心配することない。だからもう話は終わりでいいでしょ」
「いや、そうは言うけどよ。お前なんか手震えてるし、なんか目も虚ろってかさ……」
「やっぱり放っておけないって。保健室行った方が」
「あ゛ああああぁぁぁぁああぁぁぁぁぁぁあああぁぁあああああああああああぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
小依は耳を塞ぐようにして上擦る程の高い声を上げる。突然の奇声は廊下にまで響き渡って、廊下を歩いていた生徒も何事かと教室の中を覗いてくる。
奇声を上げた当の本人は何も無かったかのように落ち着き払って、視線を床に落として三人に向けて言った。
「もう面倒臭いんだよ。俺に構うな、頼むから」
懇願する言葉を弱々しく吐いた後、小依はこっちに歩いてきた。教室から出て、すぐ横の壁に身を隠していた私と目が合う。
「あ、小依っ」
目が合っていたのは一瞬で、すぐに小依は私から目線を外し廊下を歩いていった。
その日から三人は小依に話し掛けることは無くなり、代わりに他の男子や気さくな女子が小依の周囲に居座るようになった。
「あはは、眞田くんほんっとに馬鹿だなあ」
「んー、私はこっちの俳優の方が好きだなー。優しそうだし?」
「栗井さん髪型変わってる! 可愛いー」
時が経つにつれ、これまで交流していなかった人達と話すにつれて段々小依は普通の女の子になって行った。
小依にとってそれはいい事なのかもしれない。これまでとは違う自分になる事で、トラウマの記憶を麻痺させようと、或いはその記憶自体無かったことにしようとしてるんだと思う。
周囲の影響でメイクを覚えて、女の子らしいオシャレをするようになって、愛想も良くなって、声も明るくなっていった。成績も優秀だし愛嬌もあって可愛くて、そんな彼女は教師達からも好かれるようになった。
これまでのいじめ騒動がまるで嘘だったかのように、いつも小依の周りには人が居た。形は違えど前みたいな路線に、でも嫌な感じではなくあくまで分け隔てない明るいギャル、みたいな感じになっていった。
誰だ、あれは。あんなの私の知ってる小依じゃない。
何かが小依に取り憑いてるとしか思えなかった。
*
「じゃあねみんなー!」
冬休みに入る終業式の日、学校が終わった後に男女混合で遊んでいた小依の後をつけて一人になったタイミングで偶然を装い近付く。
「あっ、小依!」
「? ……咲那ちゃんだ! 奇遇じゃ〜ん」
私の姿を目視した小依は一瞬だけ目を細くした後、普段皆に見せている時のような明るい表情を繕って私に言葉を返した。
「寒いね〜、咲那ちゃんはマフラーもなくて平気?」
「んー、寒いかも」
「だよね。ちょっと待ってて」
小依は自分の巻いていたマフラーを解くと、私の背後に回って首にマフラーを掛けてくれた。
「これで寒くない?」
「寒くないけど……小依は?」
「私は平気だよ! 風邪ひかないようにね」
小依は手袋を口に近づけてハーっと息を吐く。ほんのり鼻の当たりを赤くした小依はそのまま踵を返して家に帰ろうとした。
行ってしまいそうになる小依の着ているコートを掴んで彼女の足を止める。小依は私の方を向くと「なあに?」と不思議そうな表情で尋ねてきた。
「……ねえ小依。それやめてよ」
「それって?」
「女の子のフリするのやめて」
「フリって? 私、普通に女なんだけど」
「嫌だ。前の小依に戻ってよ」
「前の……? んー……でも、もう男装するのはキツいよ。中二病卒業しちゃった」
「違うでしょ。小依は男だったよ!」
「男から女になるわけが無い、男装して騙してたって言ったのは咲那だったよね」
「それはっ、本心でそう言ったわけじゃないの! あの時は、その……」
「言いづらい事なら別に言わなくていいよ」
私に気を遣うようにそう言うと、小柄な身長を活かすように可愛らしく私に近付き上目遣いで見てきた小依が、不意に髪を掻き分けた。
「見て見て! 新しいピアス、可愛くない?」
「か、可愛いけど……どうしたの?」
「えへへっ! 眞田くんがくれたのっ。眞田くん親が厳しくてね? クリスマスに会えないからって、先にクリスマスプレゼントって!」
「えっ? ……眞田とどういう関係なの?」
「え? 恋人だけど」
「恋人!?!?」
「言ってなかったっけ?」
言ってないというか、えっ、だって小依って、男だったじゃん……?
え、付き合ってたの? 眞田と? いつから? てかなんで? 女扱いされるとあんなに怒ってたのになんで??
聞きたい事が沢山あったけど、上手く言葉に出来なくてしどろもどろになる。そんな私を見て小依はおかしそうに「あははっ!」と笑った。
「どうしたの咲那! 私に彼氏が出来たのそんなに意外ー?」
「意外と言うか……どこまでしたの?」
「えっ?」
「キス、とか、その先とか色々あるじゃん。そういうのは、したの……?」
何を聞いているんだ私は。自分した質問内容に自分で引く。でも気になるよね、だって小依って確かレイプに遭って、男関係にトラウマとか持ってた気するし……。
「そういうのはまだしないよ」
「そ、そうなんだ! よかった……」
「? よく分かんないけど、私も眞田くんも同じ高校受験する予定でね? 模試二人とも受かったら、そこで……照れるからこの先は秘密ね!」
小依は手で顔を隠してそう言った。
でも違和感があった。眞田と付き合ってるなら、学校でもそれらしい様子を見せるはずだ。
学校での小依と眞田は、まあ仲良くはあるけどそこまでベタベタくっついてる訳では無い。眞田は小依によくボディータッチをしていたが、小依から眞田にそういう事をする様子はなかったと思う。
「本気で好きで付き合ってるの? 眞田と」
「もう帰ってもいい?」
不意に彼女はそう言い出した。笑顔のままだけど、若干、私から離れようとする力が強くなった気がする。
「答えて」
「私今日、パパの誕生日祝わないとだから。離して?」
「じゃあ答えて。小依は」「やだ」
私の言葉に被せるように小依は"やだ"と言った。彼女の離れようとする力が強くなる。
「小依、無理してるのなら女のフリなんかやめなよ。見てて痛々しいんだよ、今のあんた」
「お前には関係ないでしょ。私がしたくてしてるの」
「嘘! そんなわけないじゃん!」
「いい加減っ、離してよ。私、本当にパパを祝わないとなの!!」
「小依のお父さんって、小さい頃小依を捨てた人でしょ!」
しまった、つい口を滑らせてしまった。
私の言葉を聞くと、小依は離れようとする力を緩めて、偽物の表情を顔から剥がした。
以前の表情とも違う、気だるそうな表情で私を見つめてくる。
「なんで、んな事知ってんだよてめぇ」
「昔、お父さんに直接教えられた。……それを反省するから、ちゃんと小依の事を育てていきたいって言ってた」
「きっしょ。あのクソ男……」
「きしょくないよ! 確かにやった事は、有り得ない事だけど、誠也さんはちゃんとしようとしてた! 今は男手一つで小依を育ててるし、小依が酷い目に遭ったりグレたりしても力になろうと献身的にっ」
「どうでもいいんだよ、あんな奴の事なんか。それより、お前はなんで俺に付き纏う。何がしたいん?」
小依が私の手を払い、正面を向いて睨んでくる。それに気圧されて一歩下がってしまったが、それでも勇気を出して口を開く。
「無理してるでしょ、小依。だからそれを辞めさせたいの」
「あ? 辞めさせるって何を」
「無理して女のフリして、周りに合わせてるでしょ。そういうのをやめて、自然体で居て欲しいの」
「お前の願望じゃねえか」
「私の願望だけど! でもきっと、その方が小依だって楽でしょ……?」
「決めつけんな。俺にとったら女のフリしてた方がマシに決まってんだろ。肉体は女なんだぞ!? どいつもこいつも俺の体をジロジロ見やがる、顔面が可愛いからって男が男に告られる気持ちを考えた事あんのか!? 俺はホモじゃねえんだよ!! 男なのに女からも嫉妬される! それなら女からも好かれるギャルでも気取って、家の縛りで雁字搦めになってるテキトーな男を彼氏にして女っぽく生きてた方が賢く楽に生きれるだろうが!!! 人の気も知らないでズケズケと自分の要求だけ通せると思ってんじゃねえぞ!!! 俺だって、男として生きたかったんだよ!!!! 誰が好んでこんな事……ッ」
思いの丈をぶつけると、堰を切ったように小依の目から涙が零れだした。
小依の心は、もうずっと前から限界を迎えて壊れていたのだろう。わんわん泣く小依を連れて、私は昔小依のお父さんに教えられた通りの道を歩いて小依を家まで連れて行った。