1話「トー横女子だって家族作れるもん!」
『おかあさんのことをすきになれますように』
デパートに置いてあった短冊にそう書いた。
母親の事が好きじゃなかった。いや、好きじゃない、そう思い込むことで自分の心を守ろうとしていたのかもしれない。
「ぎゃはははっ!! あ? おい依愛、お前のガキこっち見てんだけど」
「はぁ? ちょっとなに? 夜は寝てなって言ってんでしょ小依」
「おなかすいた」
「あー。じゃあコンビニの袋テキトーに漁ってれば?」
「お前自分のガキに小依って名前付けてんの? 女みてぇじゃん!」
「可愛いっしょ? あたしのガキだから小依っつって! 親の愛がつまった名前じゃん? 毒親とか言われたらウザいから、あたしの名前からテキトーにパクった〜」
「いい由来じゃん、ままに感謝しろよ小依く〜ん。おら、続きするぞ!」
「あんちょっと! 激しっ」
母親はいつも知らない男と居る。
若い頃にパパ活っていう援交みたいなものをしていて、駅近のそれなりのマンションに住んでいたせいでうちは母親のセフレ達が集まるヤリ部屋だった。
俺の名前は茅ヶ崎小依。母親は依愛。父親は知らない。
俺の父親は、母親が16歳の時のパパ活相手であった。
相手には家庭があり、新婚さんらしかった。
母親が「堕ろすの高いし別にノリで一人くらい産んでもよくない? 家で産めばバレず捨てれんじゃん」と言って堕ろそうとしなかったから俺は生まれ、相手の男は母親と会わなくなったらしい。
母親は結局俺を捨てなかった。が、大切に育てられたわけでもなかった。
コンビニ弁当と、母親のパパやセフレが連れていってくれる安い外食の味しか知らない。ウチの台所にはストロングゼロの空缶や処方箋の袋なんかが無造作に捨てられていて、鍋や包丁なんて置いていなかった。
「あんたが産まれたせいで人生ダルい事だらけなんだよ! 責任取れよクソガキ!!!」
時々、精神が不安定になると母親は俺に暴行を振るった。
トー横界隈? ってのに小学校高学年から行き来していて、パパ活で何度も孕んだ事はあったがそれまでは堕ろしてたから何とかなっていた。
俺を産んでからは親に勘当され、仕送りも無いから男の金を使ってギリギリの生活を余儀なくされていたらしい。多少頭を使って金をやりくりしなければならない、自分で考えるという"無駄"をさせてくる俺は悪魔のように見えていたらしかった。
母親の腕や足には無数の切り傷の跡が残っていた。それなりに辛い事があったんだと思う。それに、なんだかんだで家に住まわせてもらってるわけだし、飯もくれるから、俺は母親の事を完全に見下す事は出来なかった。
それは身内贔屓に過ぎない感情だったんだと思う。本来母親に向けるべき憎悪や侮蔑を押し止めて、忘れたフリをする事ばかり得意になっていった。
「おはよう小依!」
「おはよ、咲那」
「見て! このキーホルダー! ガチャガチャで取ったの!」
「あははっ、お前に可愛いのとか似合わね〜」
「は!? なんでよ!」
「だってお前可愛くないも〜ん」
「いじわる!」
家の外ではそれなりに交友関係があった。外に憎しみを当たり散らしたりしなかったのはきっと、幼馴染である富海咲那の存在があったからだ。
咲那は幼稚園時代、母親が新しい男を捕まえて家に帰ってこなかった時とかによく家に招いて遊び相手になってくれた。咲那の家族も俺を温かく迎え入れてくれて、彼女の家に居る時は間違いなく幸福だった。
けれど、咲那の家庭に触れれば触れるほど、俺は咲那に劣等感を抱いた。だから、家の事情は咲那の家族には話さなかったし、あくまで少し仲の良い男子程度の関わり方しかしないようにしていた。
そんな風に自分から少し距離を置いていたせいで、意識したせいで俺は咲那に片思いするようになった。子供時代の俺は、咲那の事が好きだった。
「茅ヶ崎、今日は早退するぞ!」
ある日、給食を食べる前に慌てた様子で担任が教室にやってきて俺の腕を掴みそう言った。状況が理解できなかった。
担任の車に乗り、ボーッと外を眺めていたら市の大きな病院に連れてかれた。
母親が交通事故に遭った。轢き逃げだ。かなり危険な状態だと聞かされた。
結果から言うと、母親はその日の深夜に死んだ。
死ぬ直前、病院の人は死にかけの母親が俺と話がしたいと要求したらしく、俺は母親の居た病室に入った。
「……母さん」
いつ死ぬかも分からない母親に対し、何を言うのが子供として正解なのか分からなかった。だけど何も言わないのも親不孝者で、母親が死んだ後悲しむのかもと思った。
だから、その日の前日に見たドラマでの死別シーンを思い出して、そのままセリフを丸々真似して言おうかなと思った。だけど母親を呼ぶ次のセリフが思い出せなくて、閉口した。
「あんた、母親が死にかけてるのに何も言えないの?」
いつもの俺に向けるようなつまらなそうな顔で母親がそう言った。俺がセフレの誰かだったら楽しく世間話でもしながら、柄にもなく真面目な話でもしながら安らかに死ねるんだろうなとも思った。
会話は特になく、時間だけが進んでいく。
……あ。っと、そこで一つの疑問符が浮かんだ。良かった、話題が出来た。俺は密かに嬉しくなる。
「母さん」
母親からの返事はない。死の間際と言うのに、震える手で退屈そうにSNSで他の人の投稿にいいねを押していた。
「母さんは、なんで俺の事捨てなかったの?」
「捕まったら遊べないから」
淡白な返しだった。予想していた返しだった。つまらない、そこで会話が終わったら家帰るまでが退屈だなあと思った。
「母さんはなんで俺を育ててくれたの」
「児相、あたしの頃より首突っ込むようになったから。詰められたらめんどいし」
「俺の事嫌いだった?」
「別に? 嫌いになったらちんこ切ってウリでもさせようかなって思ってたし」
母親の答えは全部淡白だった。全部本音だ、息子だからかそれだけは伝わってきた。
「じゃあ、俺の事好きだった?」
「あー? なんでセックスできないやつの事なんか好きになると思ってんの? お前、友達いる?」
本当に困惑しているような顔でそう言われた。そこで俺は、この人にとっての愛は性欲と同義なんだなって思った。相手が母親だったからか、俺自身もそれが自然な事なんだとうっすら思うようになった。
それなら母親は沢山の人に愛されている幸せ者だ、孤独じゃなくて良かった。そう考え、胸を撫で下ろす。
そろそろ話題も無くなってきた。多分そろそろ死ぬし、次で最後の会話にしよう。そう思い、俺は口を開く。
「なんで、俺の時は産んでくれたの?」
そう尋ねた俺に、母親はまたしても不思議そうな顔をした後、目玉をゆっくりと上の方に動かし、眉をひそめ、遠い記憶を引っ張り出すような仕草を取った。
「あー…………分かんないけど、でも順序を考えないで答えるなら、それらしい理由あるかも?」
「?」
母親の言っている言葉の意味は理解出来なかった。母親はあまり頭が良くないから、特にその言葉に意味なんてなかったのかもしれない。
彼女は相手の様子を伺うような「こんな感じの説明なら、納得はしてくれるかな〜?」とでも言うような顔つきをする。
「あんたは私みたいなもんだから?」
確固とした意志のない表情で、曖昧な表現でそう俺に回答した。
あんたは私みたいなもの。聞いただけでは全く理解のできない理屈だった。というか、俺が母親に似てるかどうかなんて産んだ後の話なわけで、俺が聞きたいのは何故産もうと思ったのかという話だったのだが。
……まあ、特に理由はなかったのだろう。無いものは語れない。順序がどうとか、そういう前置きをしておきながら今手元に置いている理由を話すしか、問いに変えせる答えを見つけなかったんだと思う。
その言葉を最期に、母親は26歳という若さでこの世を去った。
「や、やあ。君が小依くん、だよね?」
母親が死んだ後すぐ、俺の父親を名乗る男が家にやってきた。
男の名前は冬浦誠也。アニメ制作会社で働いていて、母が死ぬ数日前に離婚し家族と離れ離れになったらしい。
タイミング良く母親が死に、孤立無援になりかけていた俺を引き取ったという訳だ。
その時から俺は冬浦小依に改名する事になり、冬浦誠也は母親の家に住み着くようになった。
「僕の事は好きになれないかもしれないけど、もし拒絶しないのであればなんでも言ってね。お父さん、小依くんの為ならなんでもするから!」
良い人だなって思った。良い人だとは思えたけど、俺の名前にくん付けするし、お父さんと呼ぶ気にもなれなかった。
俺は冬浦誠也の事は誠也さんと呼ぶ事にした。
俺と誠也さんの親子仲は傍から見たらきっと良い物に映っていただろう。
誠也さんは気を利かせて、沢山外食に連れていってくれたし最新のゲーム機を買い与えてくれたり、遊園地なんかに連れて行ってくれたりもした。
母親のセフレの人達とあまりやっている事に変わりはなかった。
むしろ、気が向いた時に遊びに付き合ってくれたり色んな遊びを教えてくれたセフレの人達の方が心の距離は近いと思った。
誠也さんとは一生、心が交わる事は無いんだなって思う。きっと、これからも。
「東京から来ました、水瀬真です! よろしくお願いします!」
誠也さんと暮らすようになって一週間後、転校生がうちのクラスにやってきた。
水瀬は俺の後ろの空いた席に座るよう担任から指示される。
「宜しくね! えーと、君は……」
「冬浦。冬浦小依」
「冬浦、くん?」
俺と自己紹介をした後、水瀬はなにか気にかかった様子で俺を見た。俺の方からは特に興味とかなかったので、水瀬の好奇心をよそに前を向いて普通に学校生活を送った。
「小依くん!」
学校が終わると、誠也さんが車で迎えに来てくれた。小学校前の道路脇に車を停め、無遠慮に校門から俺を見つけては大きく手を振ってきた。
「あれ誰ー? 小依のお父さん?」
「おう、一応」
「へぇ〜初めて見た。挨拶しよっと!」
「は? あ、ちょいっ、待てって!」
俺の静止も聞かずに隣を歩いていた咲那がダッシュし校門に近寄る。水色のランドセルを引っ捕まえた時には既に咲那は誠也さんに話し掛けてしまっていた。
「はじめまして! 私、富海咲那って言います!」
「初めまして。咲那ちゃんか。小依くんのお友達?」
「はい!」
「友達ってしか手下っていうかひっつき虫だよ」
「はああぁ!? それは小依の方でしょ! 私のひっつき虫!」
「ちげえから! 逆だから!」
「あはは。仲良いねえ。良ければ送っていこうか? 咲那ちゃん」
「何勝手に」
「いいんですか? やったー!」
誠也さんが車のドアを開くと勝手に乗り込みランドセルを膝の上に置く咲那。彼女は自分の隣の座席を叩いて「早く来なよ!」と言ってくる。
「俺は助手席に乗るっつーの」
「助手席? 咲那ちゃんの隣じゃなくていいの?」
「いいの!」
ランドセルだけ咲那の隣の座席に置いて助手席まで移動する。ドアを開け助手席に座ろうとしたら、席の上に何故か俺のランドセルが置いてあった。
「おっと残念小依くん、この席には先客が居たみたいだ」
「は? ランドセルでしょ」
「咲那ちゃん、ランドセル貸して」
「はい!」
咲那からランドセルを預かると、誠也さんは俺のランドセルの上にそれをドスンと置いた。
「この通り、ここはランドセル専用座席になってしまったので、人間のお客様は後部座席に乗るようお願い致しま〜す」
「な、なに〜〜〜〜?」
悪い顔でケッケッケと笑う憎たらしい誠也さん。仕方なく後ろの、咲那の隣の席に座った。
「もう、照れなくていいのに」
「照れてねえわブス!」
「こら、小依くん」
「な、なんだよ」
「女の子にブスなんか言ったらダメだよ。というか、咲那ちゃんは普通にブスではないんだから、適さない悪口を言うのはやめなさい」
「は、はあ!?」
「大人だ……」
「大人だって、なに赤くなってんだよ!」
「あ、赤くなってないもん! バカ! バカ小依!」
「んだとバカ咲那!」
車の中で揉み合いの喧嘩になる。が、誠也さんはそれを止めようともせず「今だからできる喧嘩だねえ」と笑っていた。
男としてゴミ野郎なのは確かだし俺個人としては誠也さんの事は好きにはなれなさそうだが、母親の好みの男っぽいなあと思った。
その後誠也さんの気まぐれでファミレスに行き、三人でご飯をして俺にはまだ理解できない恋愛だかのトークが繰り広げられた後咲那を家まで送った。
「何かあったらうち来なよ! いつでも歓迎するからさ!」
「はい! ぜひ今度また話し合いたいです!」
交流の深まった誠也さんと咲那が互いにそう挨拶をするのを後ろで待つ。こちとら早く帰りたいのに、そう不満を募らせる。
今にして思えばこれは、咲那と親しげにする誠也さんに対する嫉妬だったんだなと思えた。
「小依ー!」
咲那に呼ばれてそちらを見る。彼女はいつもと変わらない笑顔で、俺に向けて手を振っていた。
「今度遊びに行くから! 今日はありがとね、じゃあねー!」
「おー」
素っ気なく返し、踵を返して歩く。
歩いてる最中、誠也さんから背中を軽く叩かれてギョッとした。
「な、なんですか」
「べっつに〜」
からかうように誠也さんはそう言い、俺と並んで歩く。
誠也さんの事は嫌いだが、なんだかその空気感は咲那の家で感じているものに近しいなと思った。だから少しだけ、ほんの少しだけだが、いつもよりも明るい気持ちになれた気がした。