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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。

メタルガールズノンシュガー

作者: まがみゆう
掲載日:2023/04/11

挿絵(By みてみん)


 帰宅途中の電車の中で、私は睡魔と戦っていた。

 今ここで寝落ちしたら、確実に降りる駅を逃す自信がある。こんな時は音楽でも聴いて眠気を紛らわそう。そう思い、私は鞄からイヤホンを取り出した。

 音楽を聴きながら窓の外を見ると、夕日が沈もうとしている。

 あぁ……綺麗だなぁ。

 こんな情緒的な景色を見てると、余計に眠くなって来るよ。

 私がそんな事を考えていた時だった。


 突然、私の左隣に座っていた人が立ち上がったのだ。その人は制服を着た女の子だった。

 長い栗色の髪を後ろで一つに結んでいる。

彼女はつり目がちの目をしており、鼻筋が通っている。所謂、美少女だ。

 その子が立つと、代わりにおばあさんが私の左隣に座ってきた。あの女子高生がお年寄りに席を譲ったのだと気付くのに、私の眠たい脳みそでは数秒掛かってしまった。

 私は彼女の行動に感心していた。

 最近の若者にしては珍しく、親切な子だと思う。

 それと同時に、寝こけてお年寄りがいることに気付けなかった自分が情けなく恥ずかしい…。私は少し顔を伏せ反省した。


 次の駅が私の降りる駅だ。

 どうやら寝過ごさずに電車から降りられそうだ。

 しかし、そこでふと思った。

 あの子は何処へ行ったんだろう? さっきまでそこに居たはずなのに……

 もしかして、まだ車内にいるのかしら? 辺りを見回してみたけど、それらしい人影はなかった。

 私は首を傾げながらも、電車は次の駅へと到着した。

 それから私は改札を出ようとしたところで定期券がないことに気付く。

「あ、あれ!?」

 いつも入れてる鞄の中にも見当たらない。

(あわわ、ど、どうしよう!)

 私は改札の前では邪魔なので少し横に退いたところでわたわたしていた。


 するとそこへ、さっきの感心な女子高生が駆け寄ってきて何かを差し出した。

「あの! これ、落としましたよ」

 女の子が手に持っていたのは私の定期入れだった。

「あ、確かに、私のです。ど、どうもありがとう!」

 女の子から定期を受け取ろうと手を伸ばした。


 女の子はそのキリッとした瞳で私の目を見ながら言った。

「早乙女、やぶき、さん?」

 突然その子は私の名前を口にした。

「はっはい! 私です! でも、どうして私の名前を…?」

「あ、定期入れに書いてあったので、一応確認と思いまして」

 女の子は淡々とした口調で答えた。彼女の声は透き通るような美しい声で、見た目よりどこか大人びているように感じられた。

「今度は落とさないよう気を付けて下さいね、お姉さん」

 それだけ言うと、女の子は立ち去ってしまった。

 私は呆然としながらも、彼女に言われた通り気を付けようと心に誓った。

 そして、ようやく我に帰った私は急いで改札を出て家路についた。


 私はアパートの自室に入ると、ベッドの上にダイブする。今日一日の疲れが一気に出たような気がした。でも、何だか心地よい疲労感だ。

 そういえば、帰りの電車の中で凄くしっかりした子に助けてもらったんだった。

 名前を聞き忘れてしまったけど、きっとまた会えるよね。その時はちゃんとお礼言わないと。

 それにしても、あの子のしっかりした態度と振る舞いは素晴らしかったなぁ。

 私は今日の出来事を思い出しながらうとうとする。



 ――私は早乙女やぶき。

 社会人になって四年目になる二十六歳。しがない商社ビルで経理の事務仕事をしている。

 これといって山も落ちもない仕事だけど、平凡に生きて行く分には困らない、地味な私に合った仕事だ。

 趣味は音楽鑑賞と読書。休みの日には一人で喫茶店巡りをする。そんなどこにでもいる平凡なOLだ。

 偶に今日みたいなドジをすることもあるが、割と周りの皆のフォローもありなんとかなっている。今日の事然り。

「あ〜、明日も仕事だから、お風呂入って早く寝ないと〜…。お夕飯どうしようかな…。…髪も伸びたな〜。鎖骨より下まで伸ばすと重い…。美容院も予約しなくちゃ…」

 あーだこーだ。

 大体、一日の終わり頃はこのような体たらくである。



 翌朝、私はいつものように電車に乗って会社に向かっていた。

 いつもと変わらない日常。

 代わり映えのない日々。

 それはそれで良いものだと、私は思っている。

 いつもと何も変わらないという幸せもある。

 ただ一つ、いつもと違ったのは電車の中で昨日私の定期を拾ってくれた子が同じ車輌に乗っていることに気付いた点だった。

 向こうもこちらに気付き、軽く会釈してくれた。

 私も微笑んで返す。

 その子は相変わらず凛とした佇まいをしていた。


 彼女はつり革に掴まり、もう片方の手は吊革ではなく、胸の前に抱え込むようにして何かを持っていた。恐らくその手の中には文庫本が握られているのだろう。

 よく見ると、彼女の着ている制服に見覚えがあった。この辺りでは有名な進学校の制服だ。確か名前は……聖なんとか女学院……。忘れた。


 車内はいつもより混んでいた。座席は全て埋まっていて、立っている人もそこそこいる。

 そんな中、彼女が持っている本を読むスペースはなさそうだ。

 しかし、彼女の周りにいる人は誰も彼女を気にしていない様子だった。

 まるでそこに彼女が居ないかのように――

 私は自分の降りる駅まで彼女のことが気になっていた。そして、私の職場の最寄り駅に着いた時、彼女はやはり本を読めないまま下車して行った。


 私がホームに降りて振り返ると、彼女と目が合う。

(このタイミングで昨日のお礼を言おう!)

 そう思って口を開こうとしたが、言葉を発する前に彼女は踵を返してしまった。そして、そのまま階段の方へと歩いて行く。

 私は慌てて声を掛ける。今しかないと思ったのだ。このままだと機会を逃してしまう。

 まだ降りていない人が多い中、私の声はよく響いた。

「あ! 昨日の、定期の子! 待って!」

 そして、彼女は振り向く。


 彼女の顔を見て私は息を飲む。

 綺麗な栗色の髪に端正な顔立ち。大きな瞳にスッと通った鼻筋。薄く小さな唇に華奢な身体。

 こんなに可愛い女の子がいるのかと思える程、素敵な容姿をしている。思わず見惚れてしまいそうになる。

 だが、そんな気持ちとは裏腹に、彼女の表情はどこか暗い影を落としていた。

 彼女の整った眉は八の字になり、口元は真一文字に引き結ばれている。

 私は何とか言葉を絞り出す。

「き、昨日は定期拾ってくれてありがとう」

 彼女は余り表情を変えず

「いえ、お礼なら昨日言ってもらってるので結構ですよ」

 と、淡々と答える。

「あ、そ、そうだよね。ゴメンね。同じ駅で降りる姿が見えたからつい声掛けちゃった…」

 少し照れ笑いしながら話す。

 すると、彼女の頬はほんのりと朱に染まったように見えた。

 あれ? ちょっと恥ずかしいことしちゃったかな……。でも、ここで引き下がったらダメだ。

「私は早乙女やぶきという、この近くのオフィスで働いてるしがないOLです。兎に角、昨日は定期を拾って頂き助かりました。どうもありがとう」

 精一杯の笑顔で感謝を伝える。今度はちゃんとお礼が言えた。

 それを聞いた彼女は、 またあの仏頂面に戻る。

 あれ、やっぱり迷惑だったかなぁ……

 気まずさに耐えきれず、「じゃあ…」と、その場を離れようとすると、彼女がポツリと呟いた。

 やばい、聞こえなかったふりをして去るべきか!?  と一瞬思ったが、一応聞いてみることにする。恐る恐る聞き直す。

 すると、彼女は答えてくれた。

「相田優です。この近辺の高校に通ってるしがない学生です」

 そう言うと、彼女はペコリと頭を下げて、再び踵を返し駅の改札に向かって歩き出した。

 え……? 名乗ってくれた……? 嬉しい!

 と、思いつつも、これ以上話し掛けると仕事に遅刻しそうだ。私は諦めて会社に向かうことにした。



 それからというもの、私は電車に乗る度に彼女に目を向けるようになった。

 彼女はいつも一人だった。友達はいないのかな?

 一人でいる時の彼女は、いつも文庫本を読んでいる。

 今日は何の本を読んでいるんだろう。

 いつも何を考えているのだろう。

 何が好きで、どんな生活を送っているのだろう。

 毎日同じ時間に、同じような本を読みながら同じように俯いている彼女。

 気付けば彼女を見る為に電車に乗っているような気がする。いつの間にか、私は彼女のことが気になるようになっていた。

 名前を知ったことで、私の中で彼女の存在がどんどん大きくなっていく。


 そんなある日のこと、いつものように電車に乗り込むと彼女が居た。

 やった! 会えるかもと思っていたけど本当に会うとは。

 嬉しさを隠しつつ、平静を装いながら座席に座る。すると、彼女はこちらを見てきた。

目が合った瞬間ドキッとする。あーもう! なんでドキドキしてるのよ私!?

 暫く目が合っていたのだが、何故か視線が外され、彼女は下を向いてしまった。

 ん? 何か用があったんじゃないのかな?  と思っていると、彼女の鞄の中からイヤホンが流れ出てくる。

 ああ、そういう事か。どうやら彼女は音楽も聴くらしい。私も音楽を聴きながら、チラチラと彼女を見ていた。

 そして、あることに気付く。彼女は、私の方を見ているようだった。その証拠に、彼女は私が顔を上げるとその目を逸らす。

 これってもしかして……

 私に妄想する間も与えずアナウンスが流れる。

『間もなく到着致します。次は』

 あ、降りなきゃ。

 私は急いで荷物をまとめ、立ち上がる。

すると、目の前には彼女の姿があり、そのままドアの方へ歩いて行く。慌てて後を追うように付いていく。


 ホームに着いた途端、彼女の足が止まった。

 あれ? どうしたの?  声を掛けようとした時、彼女はくるっと振り返り、私の顔を見ると、少し恥ずかしそうな顔をして一言告げた。

「おはようございます」

 突然の出来事に固まっていると、彼女はスタコラサッサと階段を上がって行ってしまった。

 うわっ、挨拶された!!  しかも、ちゃんと目を見て言ってくれたよ。こんなこと初めてだ。凄く嬉しい。でも、どうして急に……。

あ! 私挨拶し忘れた!? しまった〜…。

 でも、これからはもっと彼女と仲良くなれると良いな。

 そう思いながら会社に向かった。



 次の日も彼女は乗ってきた。

 昨日のことがあってか、少し緊張気味で乗り込んできた。

 そんな様子が可愛くて思わずクスッとなる。

「お、おはようございます」

「おはよう」

 彼女はまだぎこちないが、それでも私に笑顔を見せてくれた。良かった、嫌われていないみたい。

 その後、彼女は私の向かい側の席に座り、いつも通り読書を始めた。私はというと、いつものように音楽を聴いている。

 暫くすると、電車が駅に到着した。

彼女は本を閉じ、立ち上がろうとした。私も降りる駅は彼女と一緒なのでここで降りねば。

 そう思って立ち上がった瞬間、目の前の彼女がよろけた。

 危ない!!  咄嵯に手を伸ばし、倒れそうになった彼女を抱き抱えるようにして支える。何とか間に合ってよかった。

「大丈夫?」

 そう尋ねると、腕の中の彼女はコクと首を縦に振った。体勢を整え、彼女を立たせる。

 ふぅ、助かった。

 それにしても、やっぱり軽いなぁ。もう少し食べた方が良いんじゃないかしら。心配になった私は、彼女を近くの椅子まで誘導し、そこに座らせた。

 幸いにも、電車はすぐに発車してくれた。

私は彼女の隣に腰掛け、様子を見ることにした。


「あの……」

 暫くすると、彼女が口を開いた。

「ごめんなさい。迷惑を掛けてしまって」

「いいのよ、気にしないで」

 申し訳なさそうにする彼女に優しく答える。すると、今度は彼女が尋ねてきた。

「早乙女さん、お仕事行くところですよね?  時間、大丈夫なんですか?」

「え? ああ、大丈夫だよ。余裕持って出て来たから」

(名前覚えてくれたんだ!)

 正直、割と時間は押していたが、今は彼女との会話をもう少し続けていたいという欲求の方が勝っていた。

「そう、なら良かったです。すみません、私のせいで遅刻させちゃったら悪いなって思ったので……」

 この子ってば本当に気遣いさんだな。

 こういう性格だと、今まで損ばかりしてきたんじゃないのかと心配に思ってしまう。

「ありがとう。優しいんだね。ところで、相田さんは学校の時間平気?」

 私が尋ねると、彼女はハッとした顔をした。

「あっ! そろそろ行かないと」

 慌てて鞄を手に取り、立ち上がる。

「もうこんな時間でした」

 時計を見ながら呟いた後、彼女はこちらを向き直した。

「体調、大丈夫?」

「ええ、軽い貧血です。それじゃあ、これで失礼します」

「うん、またね」

 軽く手を振りながら見送る。

「はい!」

 彼女は元気よく返事をし、駆け出した。

今日も少しだけど、お話しすることが出来た満足感に浸りながら、私も会社へと足を向け歩き始めた。



 それからというもの、毎朝駅で顔を合わせる度に話をするようになった。相変わらず彼女の表情は硬かったが。

 話といっても、学校の話とか趣味についてだとか、他愛のない内容ばかりだったけど、それでも十分楽しかった。


 そんなある日、いつも通り電車に乗っていると、珍しく彼女から話しかけられた。

「あの、早乙女さんはどんな音楽聴くんですか?」

「んー、色々かな。最近は洋楽が多いかも」

「へぇ〜。ちなみに、どういう曲が好きなんですか?」

「そうだなぁ。強いて言えば、ハードロック系が好き」

「ハードロック!? 意外です…」

「あはは、よく言われます」

 私は照れ笑いを浮かべた。

「ロックは嫌い?」

「いえ、そういうわけじゃないです。ただ、ちょっとびっくりしちゃいまして……。だって、早乙女さんの服装はどちらかと言うと清楚系だし、見た目も大人っぽい雰囲気があるし……。何より、そんな感じの音楽は聴かないイメージだったので」

「うっ、確かに。でも、偏見はよくないよ?」

「そうですね、ごめんなさい。私、人を見る目がないみたいです」

「自覚あるんだっ」

 思わず吹き出す。

「ひどいなぁ〜」

 そう言って頬を膨らませる。普段無愛想な彼女から一変、その愛嬌ある仕草は堪らなく可愛く、女の私でさえドキンとさせられる。

「ふふ、冗談ですよ」

 彼女は悪戯っぽく笑った。その表情がまた可愛らしい。


 私は何故か火照る頬をそのままに、平静を装い訊いた。

「ねぇ、相田さんは音楽好き?」

「はい、大好きですよ」

「そうなんだ。どんなの聴くの?」

「ヘビーメタルとか好きです」

 私はその意外な返答に思わず吹き出した。

「…相田さんこそ、意外だわ……」

「そうですか? まあ、自分でもよく言われるんですけどね。やっぱり、おかしいですかね?」

 そう言いつつ、困ったような表情を見せる彼女。

 しまった。

「あ、いやいや! ハードロックもヘビメタも同じ畑じゃない? 相田さんもさっき私のこと意外だと思ったように、私も相田さんに同じ感情を持っちゃっただけだから」

 咄嵯に出た言葉だったが、我ながら良いフォローだったと思う。

「ありがとうございます。あたし、嬉しいです。音楽の趣味が似てる方とお話しできて」

 彼女は目を細め、嬉しそうに微笑んだ。

「どう致しまして。私もよ」

 彼女の笑顔につられ、私まで自然と口角が上がった。

「良かった。実はずっと憧れていたんです。自分の好きな音楽を同じように好きな人と話すことに」

「そうなの?」

「はい。周りにはロック好きな人も居なくて、一人で聴いていることが多かったので……」

「そっか……。ねえ、これからもこうして時々お喋りしない? もちろん、お互い学校とか仕事とかで忙しい時は無理しなくてもいいんだけど。ダメかな?」

「えっ、本当ですか!? 是非お願いします!」

「良かった。断られたらショックで立ち直れなかったかもしれない……」

「あはは……」

 苦笑いする彼女。

「じゃあ、早速今週の土曜日なんてどうかな?」

「はいっ! 楽しみにしてますね」

 彼女は満面の笑みを浮かべてくれた。



 それからというもの、毎日がとても充実していた。

 会社へ向かう電車の中、イヤホン越しに流れてくる音楽を聴いていると、自然と鼻歌が漏れる。

「フンフ〜ン♪」

 そして、気付くといつもの駅に到着しているのだ。

 そう、あの子が乗ってくる駅だ。

「おはよう、相田さん」

「あっ、おはようございます」

 彼女はぺこりと頭を下げ、挨拶を交わす。

「今日も元気そうね」

「はい、お陰様で」

 彼女はニコッと笑う。

「早乙女さんは今日もお洒落ですね」

「そう? ありがとう」

「羨ましいです」

「そんなことないよ。私なんか好きな服着てるだけだから」

「またまたぁ。謙遜しないで下さいよぉ」

「ふふふ…」


 朝の電車内で会うほんの少しな時間は、私たちにとってとりとめのないお喋りが出来るかけがえのない時間になっていた。

 彼女と過ごすこのひと時が、いつしか私の日課となり、癒しの空間となっていた。

 今週の月曜から金曜まで過ぎるのが早かったことったらない。

 そして、待ちに待った土曜日が来た。



 私は約束の時間より早く到着してしまい、駅前のベンチに腰掛けて彼女を待っていた。

 すると、後ろから声を掛けられた。

「早乙女さん? おはようございます」

 振り返るとそこには彼女が立っていた。

「あ、相田さん! おはよう! ごめんね、待たせちゃった?」

「いえ、あたしが勝手に早く来ただけです。それに、まだ時間に余裕ありますし、全然大丈夫ですよ」

「そう? なら、よかった」

 ほっとした。

「早乙女さん、早いですね」

「そう? 相田さんだって、十分早いと思うけど?」

「そうですか?」

「うん」

「あはは……。でも、楽しみ過ぎて眠れなかったんですよ」

「あら、奇遇ね。私もよ」

「そうなんですね」

「ふふ……」

「ふふ……」

 私たちはお互いに顔を見合わせ笑った。


 私は相田さんの私服姿を初めて見たが、シングルライダースにくるぶしを出した黒のスキニーデニム、パンプスと、ロックな中に自分なりに可愛いさも取り入れているのが見て取られ、クールでいて可愛らしくもある相田さんに良く似合っていた。

「相田さん、コーデ良いね。よく似合ってます。全然お洒落じゃないですか」

 お世辞ではなく素直な私の感想。本当に私服の相田さんはイケていた。

「あっ! あ…ありがとう、ございます…」

 自分的には自信がないのか、言葉の語尾が小さくなってしまっている。

「早乙女さんは今日も、素敵です。ガーリーなワンピをシックに着こなされていて。ジャケットと足元のキャンバススニーカーの性なのかな? すごくお似合いのコーデです」

「ありがとう。相田さんにそう言ってもらえると昨夜一時間も悩んだ甲斐があるってもんです」

 私は冗談混じりに笑って言った。

 なんだ、相田さんも十分お洒落好きなんじゃない。嬉しいことばかりで私は笑顔が絶えない。


 それから私たちは、少し歩き、雰囲気の良い喫茶店に入った。

 ちなみにこのお店は私のお気に入りの喫茶店の一つである。

「あ、この店」

 相田さんが少し表情をきらめかせ

「あたしの好きな喫茶店なんですよ」

 と言ったのだ。私は驚き

「相田さんもなの!? 実はこの店、私もお気に入りなんだ」

 二人顔を見合わせ、あははと笑顔が溢れる。

「なんだかあたしたち、趣味合いますね」

 相田さんは少し頬を赤らめる。そのこぼした唇の広角はほんの少し上がっていた。


 私と彼女はブレンドを頼み、彼女は砂糖は入れないがミルクは入れて飲む派だと言った。

「その、決してブラックが飲めないという訳ではなく、ミルクを入れたほうがより飲みやすくなるといいますか、美味しいとあたしは…」

 と、何だか少し慌てて付け加える。

 普段余り表情が変わらない彼女のこういった素振りを見られると、嬉しい反面「可愛い」と素直に思ってしまう。私の顔も自然に緩んでしまうというものだ。


 それからコーヒーを前に、私たちは趣味トークに花を咲かせる。

 話していて後に判ったことだが、二人とも喫茶店巡りが趣味で、雰囲気の良いお店でのんびりと好きな音楽を聴きながら読書をして過ごすのが好きというところまで似ていた。


 今話している話題はお互いの音楽の趣味嗜好についてだった。

 私が好きなハードロックも、相田さんが好きなヘビメタも、深い人に言わせると違ってくるのだろうが、私はそこまで詳しいわけでもないし、そもそも音楽には詳しくないので、どちらが良い悪いと言うつもりはない。実際ハードロックとメタルの区別も曖昧だ。

 ただ、音楽を聴いている時だけは、嫌なことを忘れられる。それだけは確かなことだ。

 だから、好きなんだ。それは相田さんも同じらしい。

 私は自分のことを話すのはあまり得意ではない。むしろ苦手な部類に入る方だと思う。

 しかし、相田さんは、聞き上手で、話し下手な私の話をちゃんと聞いてくれて、相槌を打ってくれたりして、とても楽しかった。


「私はとにかく、疾走感のある曲が好きで、聴くとやる気を起こさせてくれるというか、ネガティブな自分をポジティブに切り替えてくれる曲というか…」

「あ、解ります! 元気もらえますよね!」

 相田さんが相槌と合いの手を入れてくれる。

「例えば〜…」

 私は何か適切な例えは無いか思案する。少しメタル寄りで…

「ANGRAで言うと」

「アシッドレイン!?」

「そう、それ! そんな感じ! よくわかったね相田さん」

 私は相田さんに意中の解答を即答されてテンション上がりまくりだ。

「相田さんはメタルだと、北欧系とか好き? インギーとか」

「あ、はい。ドンピシャです」

 相田さんはクールに答えるも、どことなくテンションは高そうだ。

「シンフォニックメタル、良いですよね~。私もよく聴くの」

「はい。激しくも繊細で、メロディアスなところとかも凄いなと」

 クール少女の瞳がキラキラ輝いて見える。

「臭いのとかも?」

「大好物ですね」

「あらあら〜」

 わかり味が強過ぎて笑顔が絶えない。

「例えば、そうですね…」

 今度は相田さんが何か例えてくれるようだ。

「Rhapsodyで言うと」

「エメラルドソード!?」

 私も間髪入れず即答してみる。

「そうです! やだ、早乙女さん!」

 どうやら正解だったらしい。よし!

「エメソ、臭いよねー」

「はい、臭すぎます!」

「あははは!」二人の笑い声が上がる。

「あはは、はは、は…」そしてここが喫茶店だったということを思い出し、声のトーンが小さくなる二人。


「やっぱり、良いよね、ロック」

「はい、メタルとかそういうの全部引っ括めて、敢えて一つの呼び名で呼ぶなら“ロック”と呼びたいです」

「あ、うん、わかるわぁ。私もずっと、ロックって呼んできたし」

「はい、あたしもです」

「じゃあさ、相田さん。今度一緒にロック系のイベント行かない? ほら、私と相田さん、趣味合うしさ、好きなバンド一緒だし、さっきから話が合って楽しいし。どうかな?」

 私は彼女に提案する。これはデートのお誘いである。

「は、はいっ! 是非ご一緒したいです。誘っていただいてありがとうございます」

 少し頬を赤らめながら言う彼女を見て、私もつられて照れてしまう。

「そっか、良かった。調べてみるね」

「は、はい……」

「ふふ……」

「えへ……」

 こうして、私たちはロックイベントで会うことを約束した。

 その後、喫茶店でしばらくお茶をして、またお互いの近況報告などをして、解散となった。


「今日は付き合ってくれてありがと」

「いえ、こちらこそ、楽しかったです」

「そう言ってくれると嬉しいな。あ、そうだ、これ私の連絡先。ロックイベントの相談しましょ」

 私は彼女に自分の連絡先の書いた紙を渡す。

「は、はい。お願いします」

 彼女はそのメモを受け取り、大事そうに鞄の中に仕舞った。

「あの、あたしの方からも、いいですか?」

「ん? 何々?」

 彼女は少し言い淀んで

「その、あたしのこと相田さんじゃなくて、優って、名前で呼んでくれた方が、その、早乙女さんは年上の方なのでしっくり来ます」

 彼女は視線を外し、言った。

「わかりました。じゃあ、優ちゃん? 私のことも名前、やぶきって呼んでくれると嬉しいです」

 私は彼女の要求に応える。

「やぶきさん……。はい、やぶきさん」

「はい、優ちゃん」

「あはは、やぶきさんにちゃん付けで呼ばれるのは、ちょっと恥ずかしいですね」

「そうかな?」

「はい、なんか子供扱いされてるみたいで」

「そんなこと無いよ、優ちゃんはとても大人っぽいよ」

「もう、大人っぽいって言ってる時点で子供扱いしてるのと同じですよ!」

「あはは、確かに」

「むぅ〜……」

 優ちゃんは拗ねたように下唇を出す。

「あはは、ごめんね。でも、本当に可愛いと思うけどね」

 私は思ったままのことを口にすると

「う、あう……」

 顔を真っ赤にして俯く優ちゃん。

(可愛すぎる)

「さて、そろそろ帰りましょうか? やぶきさん」

「そうだね、優ちゃん」

「優ちゃんって、呼び方、固定なんですね」

「うん! だって、これからもっと仲良くなるんだから、別に良いじゃない」

「は、はい。まぁ、そうですけど」

 彼女はまだ腑に落ちない顔をしていたが、そんな表情も堪らなく愛おしいと、私は思ってしまうのである。



 その日の夜、優ちゃんから早速メッセージがスマホに届いた。


【今日は誘って下さりありがとうございました。おかげでとても有意義な時間を過ごせました。今後とも宜しくお願い致します。】


 最近の子にしては絵文字もなく、その律儀な文に優ちゃんらしさも感じられた。何より、メッセージを送ってくれたこと自体が嬉しい。


【こちらこそ、色々と付き合ってくれてありがとう。また、一緒に出掛けられる日を楽しみにしています。】


 私の文も少し固いかな? と思いつつも、私は返信した。



 それから、毎日のように優ちゃんとはメッセージをやり取りするようになった。


【やぶぎさん、おはようございます。今日も良い天気になりそうです。】


【おはよう、優ちゃん。そうだね。今日も一日頑張ろう!】


【はい、やぶきさん。お互い仕事や学校、頑張っていきましょう!】


 私は朝起きてから出勤するまでの時間に、優ちゃんと朝の挨拶を交わす。それがここ数日のルーティーンになっている。

 そして電車で私の隣の席が空いてる時は隣に座ってくれるようになった。

「やぶきさん、おはようございます」

「優ちゃん、おはよう。」

 私は優ちゃんと軽く会話をしながら、会社に向かう。

(この時間がずっと続けばいいのにな)

 私は年甲斐もなく恋に恋する乙女のように密かに願った。



 優ちゃんと出会ってから数週間後、いよいよロックイベント当日を迎えた。

 私は前日は緊張してなかなか寝付くことが出来なかった。

 待ち合わせ場所は都内某所にある大きな公園。私が先に着いていると、程なくして優ちゃんが来た。

「こんにちは、やぶきさん。遅れてすみません」

「全然大丈夫だよ、優ちゃん。私も今来たところだから」

「本当ですか? 良かったです」

「じゃあ、行きましょうか?」

「うん、行こう」

「……」

「どうしました?」

「ううん、何でも無いよ」

「そうですか?」

「うん、ただ、こうして誰かと一緒にロックフェスに行くなんて初めてだったから、ちょっと緊張してるだけ」

「そうなんですね。実はあたしも結構ドキドキしてます」

「あはは、一緒だね。なんかちょっと安心しちゃったかも」

「あはは、あたしも同じ気持ちです。なんかやぶきさんとなら楽しくやっていけそうって思います」

「ありがとう。私も優ちゃんといると楽しいし落ち着くし、これからも仲良くしてくれたら嬉しいなって思うよ」

「はい、あたしもやぶきさんともっと仲良くなりたいと思っています」

「ふふっ、それじゃあ、改めてよろしくね。優ちゃん」

「はい、やぶきさん」

 私たちは会場に向かって歩き始めた。


 目的地に着くまでの道中、私は優ちゃんに訊きたかったことを尋ねてみた。

「あのさ、優ちゃんってどうしてロックに興味があるの? やっぱり、カッコイイとか、憧れみたいなものがあるのかな?」

「そうですね。確かにカッコイイと思ったり、自分とは違うものに惹かれたりすることはあります。でも、一番の理由は……単純に好きになったから、かな」

「へぇー、そうなんだ。きっかけがあったりするのかと思っていたんだけど、そういう訳でもないんだね」

「はい、あたしは昔から音楽が好きでよく聴いていたんですけど、たまたま聴いた曲が凄く良くてハマったっていう感じですかね。それがメタルというジャンルだったんですけど、それもあってか他のジャンルの曲も割りと毛嫌いせずに聴けるようになりました」

「そっか。私はあんまり音楽に詳しくないけれど、自分の好きな音楽を沢山聴きながら、色々なジャンルの曲を聴けた方が楽しいもんね。それにしても、優ちゃんは好きな音楽の話になると饒舌になるよね。普段と違ってなんだか可愛い」

「えっ、そんなこと無いですよ。普段は無口な方だし……。というか、可愛いは言い過ぎじゃないですか? もう、やぶきさんはすぐ人を褒めるから困っちゃいます」

「別に思ったままを言っただけだから気にしないで。あと、私のことは呼び捨てで構わないし、敬語も使わなくていいから」

「いえ、それはダメです。年上の方にタメ口を利いたりするのは気が引けますし、何よりあたしが嫌です」

「まぁ、優ちゃんがそれでいいなら私は無理強いするつもりは無いけどね」

「はい、やぶきさんはあたしの魂の恩人でもあるので、ちゃんとした対応を取りたいと思います」

「分かった、ロックだね。それじゃあ、そろそろ会場に入るみたいだから行こうか」

「はい、行きましょう」

 私たちはにこやかに入場ゲートを通って会場に入った。


 中に入ると、既にかなりの人で賑わっていた。

 私たちが入った時には丁度オープニングアクトが始まる直前だったにも関わらず、観客たちのボルテージは既に最高潮に達していた。

 そして、ステージにはロックバンドのメンバーが登場した。メンバーたちはそれぞれの楽器を手にすると猛烈に演奏を始めた。

 ライブが始まった瞬間、一気に歓声が沸き上がった。

 私はその迫力と轟音に圧倒されてしまい呆然と立ち尽くしてしまったが、隣にいる優ちゃんは興奮した様子で演奏を聴いていた。

 その表情はとても生き生きしていて楽しそうで見ているこっちまで笑顔になってしまうほどだった。

 それから、約二時間に渡るライブイベントが終了した。

 私と優ちゃんは会場を出て、帰りの電車に乗り込んだ。



「今日は本当に楽しかったね」

「はい、あたしも凄く楽しめました」

「また、こういう機会があれば一緒に行かない?」

「ぜひ、お願いします!」

「ふふっ、了解。ところで、この後はどうする? まだ帰るにはかなり早い時間だけど、どこか寄りたいところある?」

「うーん、特にこれといって用事はないので、やぶきさんさえ良ければこのままお喋りしたいと思っています」

「うん、大丈夫だよ。それじゃあ、ちょっと喫茶店で駄弁って行きましょうか」

「はい」

 私たちは優ちゃんちがある最寄り駅に着いた後、彼女お勧めのカフェに向かった。優ちゃんの案内してくれた店は落ち着いた雰囲気のあるお洒落なお店で、店内はコーヒーの香りに包まれていた。

「このお店、落ち着いていて、いいよね」

 私がそう言うと優ちゃんはハッとして

「あ! また見知ったお店でしたか? すみません」

 優ちゃんは申し訳なさそうに言った。しかし、私はそんなつもりで言ったのではない。むしろ逆である。

「ううん、やっぱり私たちって趣味が合うね。嬉しいな」

「そ、そうですね」

 すると、優ちゃんは照れ臭そうに微笑んだ。


「やぶきさん、いつもブラック飲んでますよね。苦くないんですか?」

「全然平気だよ。逆に砂糖とか入ってると甘すぎて飲めないかな」

「へぇ~、そうなんですか」

「そういう優ちゃんこそ、甘いもの苦手なんじゃなかったっけ?」

「そうなんです。甘すぎるのは苦手です」

「でも、ケーキ頼んでたじゃん」

「コーヒーと一緒に食べるケーキは別腹なので」

「そうなんだ」

「はい、女の子は好きなものはいくら食べても太らないらしいので」

「なにそれ羨ましいんですけど」

「やぶきさんだってスタイル良いじゃないですか」

「いや、私はそんなこと無いよ。ただ痩せなだけだと思うし」

「そんなこと無いですよ。やぶきさんはスラッと細くてモデルみたいな体型してるじゃないですか」

「いや、普通だと思うよ。というか、褒めすぎじゃない? 恥ずかしくなるからやめてよ」

「いえいえ、やぶきさんは綺麗ですから自信持ってください。それにあたしは本当のことを言ってるだけですから」

「もぅ……。やめてください。ホント、これ以上言われると心臓が持たないです」

「あっ、顔が赤くなってますね。可愛いです」

「もぉ、ダメだってば……」

「やぶきさんは普段落ち着いているのに意外と照れ屋だったりするところがギャップがあって素敵だと思います」

「…………」

 私の頭はすでにオーバーヒート寸前であった。

 何でこんなにも彼女は私を動揺させるようなことを言うのだろうか?  正直、彼女の前では冷静でいられない。

 というより、彼女と居ると自分が自分じゃなくなる気がする。

 これは一体どういうことなのだろう?  ただ一つ分かることは、私は彼女に好意を抱いているということだけだ。

 それは恋愛感情的な意味ではなく人としてという意味だが……。


「あの、やぶきさん」

「はい、どうしたの?」

「今日は誘ってくれてありがとうございました」

 そう言って、優ちゃんは深々とお辞儀をした。

「こちらこそ。楽しかったよ」

「はい、あたしもとても楽しかったです。それで、そのお礼と言っては何なのですが、これを受け取ってもらえませんか?」

 優ちゃんは小さな紙袋を差し出した。中を見るとそこにはト音記号をあしらったブレスレットが入っていた。

「これって?」

「実は今日の記念に何かプレゼントしたいと思ったのですが、やぶきさんの欲しいものが分からなかったので、とりあえず無難にアクセサリーにしてみました」

「あぁ、だからさっき雑貨屋さんを見てたのね」

「はい、すみませんでした」

「謝ることなんてないわよ」

「そうですか? 良かったです」

「ねぇ優ちゃん。せっかくだし、着けてみてもいいかな?」

「もちろん構いませんよ。是非、着けてみてください」

 私は優ちゃんに上目遣いで

「優ちゃん、着けてくれる?」

 とお願いしてみた。

 すると、優ちゃんは少し驚いた様子を見せたがすぐに微笑み返してくれた。

「分かりました」

 そう言うと優ちゃんは慣れた手つきで私の左手首にブレスレットを着けてくれた。

「似合ってますか?」

「はい、とってもお似合いですよ。やぶきさん」

「えへへ、ありがとね優ちゃん。大事にするね」

 優ちゃんは照れて無言になるも、その口元はにやけ、嬉しそうだった。

「あの、やぶきさん。その、もう一つお願いがあるんですけど…」

 そう言うと彼女はもう一つ紙袋を取り出した。中からはヘ音記号をあしらったブレスレットが出てきた。

「あ、こっちはヘ音記号なんだ」

「やぶきさんがイヤじゃなければ、これ、あたしが着けてもいいですか?」

 優ちゃんは顔を真っ赤にして訊いてくる。

 そっか。ペアブレスレットを意識してくれたのね。でも全く同じデザインでは恥ずかしいから、違う記号の物を選んだ、と。

 彼女なりの葛藤と気配りがそこから酌めた。


「優ちゃん、左手出してください」

 優ちゃんはハッとして私の顔に視点を合わせた。

 私は優ちゃんの手を優しく取り、ゆっくりとブレスレットを嵌める。そして、彼女の顔を見つめる。彼女の顔がぱあっと明るくなるのが見て取れた。私も自然と笑みを浮かべていた。

 その後、私たちはお互いに見せ合った。

私が左手を掲げると、彼女もまた左手を掲げて見せた。

「なんか、こういうのいいですね」

「そうだね。すごく嬉しいよ」

「はい、あたしも同じ気持ちです」

 私たちの胸は高鳴っていた。

「ねぇ、優ちゃん。またこうして一緒に遊ぼうね」

「はい! また二人でどこかに行きましょう」

「うん。楽しみだなぁ」

「ふふっ、あたしもです」

 私はまた、この時間が永遠に続けば良いのにと願わずにはいられなかった。



 優ちゃんと別れた後、私は電車で三駅乗り、自分のアパートの部屋に戻った。部屋に入った瞬間、私はベッドに倒れ込んだ。

 枕に顔を押し付けると、左手首に着けられたブレスレットが目に入る。

 それはまるで私の心を落ち着かせてくれるかのように光って見えた。

(えへへ、優ちゃんからプレゼントされちゃった。これは何かお返し考えないといけないなー)

 そう考えながらも、私の顔は緩みっぱなしだった。



 翌日、いつものように彼女が同じ時刻、同じ車輌に乗ってくる。

 昨日の出来事を思い出してドキドキする。

優ちゃんも心做しかいつもより表情が柔らかい気がした。

 電車の中での会話も普段よりも弾む。

ふと視線を下にやると優ちゃんの左手首には昨日のブレスレットが巻かれていた。

 私の視線に気付いたのか優ちゃんが

「あ、これ、着けて来ちゃいました」

 私が言うより先に

「学校に着く前には外しますので、ご安心を」

 と、笑顔で付け加える。

「それなら大丈夫よね」

 私もそう言いながら得意気に左手を少し動かし、彼女の視線を誘導する。

 優ちゃんは一瞬目を大きく見開いたが、すぐに微笑んでくれた。

「着けてくれてるんですね。嬉しいです」

 優ちゃんは少しはにかむ。

「私は社会人だから会社に着けて行っても注意されないしね。いいでしょう?」

「はい。そこに関しては少し羨ましいです」

「あ、そういえば優ちゃんって高校生だったわね。今いくつ?」

「十六歳です。高二です」

「う、私と十くらい違うのか…。若いなあ」

「そんなことないですよ。やぶきさんだって十分若々しいですよ」

「そ、そうかな? ありがとう」

 歳下の子にすかさずフォローされる私…

「いえ、本当のことですから。ちなみにお幾つなんですか? あ! 差し支えなければで」

 優ちゃんに気を遣わせてしまうのは忍びないので

「今年で二十六になります…」

 私は大袈裟にがっくり肩を項垂れる。

「あ、やっぱり全然若いじゃないですか。歳も十も違わないですし」

 全く悪気のない言葉の暴力が私を襲う。

「優ちゃん、覚えておいて…。若い子から言われる“若いですね”って言葉は、時として人を目を背けたい現実に直面させるの…」

 彼女も私から発せられる闇色のオーラを感じたのか

「は、はい。覚えておきます…。なんかすみません」

 と、少し引きつった顔で応えるしかなかった。



 そんな楽しいやり取りを毎朝しながら、彼女との距離が少しずつ縮まっていくのを感じていた。

 それから数日後、 いつもと同じ時間、同じ車輌だというのに、彼女の乗車してくる姿がなかった。

(あれ? 今日はいないんだ?)

 何となく寂しい気持ちになる。

(まあ、そういう日もあるよね)

 私は自分にそう言い聞かせた。


 すると、暫くして、彼女はいつもより一つ奥の車輌から姿を現した。

(乗る車輌、一つ間違えちゃったのかな?)

 しかし、辿々しくこちらへ歩いてくるその様子は明らかにおかしかった。

 私は気になって彼女をよく観察することにした。彼女は心ここに在らずといった感じで、何処かをぼーっと眺めているようだった。

 私は彼女の様子が心配になったので声を掛けることにした。

「おはようございます。優ちゃん、体調悪い?」

 私が声をかけると、

「え!? あっ、おはようございます。ちょっと寝不足みたいでボーッとしちゃいました。すみません」

 と、慌てふためくように返事をする。

「体調が悪いとかではないので、大丈夫です」

「でも、なんか元気がないような気がするんだけど」

「いえ、本当に大丈夫です」

 優ちゃんは必死に取り繕おうとしているようだ。

(どう見ても大丈夫じゃなさそうなんだよなぁ……)

 私は彼女が無理をしているんじゃないかと勘繰っていた。

「ねえ、優ちゃん、何かあったんじゃない? 相談に乗るよ?」

 私がそう言うと、彼女は少し驚いた顔をしていた。

 そして、暫く考え込む素振りを見せた後、意を決したかのように口を開いた。

「やぶきさん、明日の土曜日って空いてますか?」

 彼女がぽつりと呟く。

「明日? 予定はないから大丈夫よ。空いてる空いてる」

 私は慌てて答える。

「良かったら、相談にのってもらえませんか?」

「…うん、いいよ」

 私は真剣な眼差しで彼女を見る。優ちゃんの顔からは相変わらず笑顔は消えたままだ。

 そうこうしてる内に私たちの降りる駅に電車は着いた。

 元気のない優ちゃんを残してこのまま別れるのは不安だったが、彼女が大丈夫と頑なに言うので、私はその小さくなっていく背中を見送ることしか出来なかった。


 仕事中も家に帰ってからも私の頭の中には、彼女のことが離れずずっと居座っている。

(優ちゃん、一体何があったんだろう……)

 考えても答えが出る筈もなく、ただ悶々と時間が過ぎていった。



 翌日、優ちゃんとの待ち合わせ場所に向かうと、既に彼女は来ていた。

「ごめんね。待った?」

「いえ、今来たところなので、全然大丈夫ですよ」

「それなら良いけど……。さて、どこ行こうか? 優ちゃんどこか行きたいとこある?」

「あの、やぶきさん。先に謝らせてください。折角の休日に呼び出してごめんなさい」

 突然、謝罪の言葉を口にする彼女。

「え? いきなりどうしたの? とりあえず、立ち話もなんだし、どこか入ろっか」

「はい……」

 私たちは近くのカフェに入った。

席に着くなり、彼女は開口一番にこう言った。

「やぶきさん、昨日は心配を掛けてすみませんでした」

「いやいや、そんなことは気にしないで。それで、どうしてあんな状態だったのか教えてくれるかな?」


「実は……。彼氏と別れたんです」

 彼女は俯きながら小さな声で話す。

 彼氏いたんだ!? そんな素振りは微塵も見せてなかったような…。まあ、これだけ可愛い子ならいない方が不自然か……

 あれ? 何だかすごい凹んできた……

「そっか……。それは辛かったね。私で良ければ話を聞かせてくれない?」

 私は動揺を隠し、優しく語りかける。

「はい……。ありがとうございます。実は……」

 私は黙って彼女の言葉を待つ。

「やぶきさんと出会う一ヶ月くらい前に、告白されたんです」

(うわっ! 甘酸っぱいなぁ〜)

「告白されて悪い気はしなかったし、断る理由も特になかったので、何事も経験だと思い、オーケーして付き合い始めたんです」

(そりゃそうだよね。高校生だし)

「付き合ってみると彼は優しい人で、一緒にいると退屈だった日常が少し楽しくなったんです。ですが…」

 そこで彼女は一旦言葉を区切る。

「ですが?」

 私は続きを促す。

「ですが、デートを重ねる度に彼の態度が少しずつ変わっていって…」

「……どういう風に?」

「まだ手を繋ぐだけでも抵抗あったのに、一昨日、キスを求められ…。それだけじゃなく、体も……」

「っ……!」


 ああ、ダメだ…。今は引っ込んでいて…

 私は心からドス黒い感情が湧き上がって来そうになるのを必死に封じ込める。

「もちろん、私は嫌だと断ったのですが、彼は全く聞き入れてくれませんでした」

「…うん、わかるよ。そういう時って相手の気持ちが見えないから怖いもんね」

「はい……。それで、あたし怖くなって彼のこと思い切りビンタして、その場から逃げ出したんです」

「そうだったんだ……。その後彼とは連絡取ってないの?」

「はい……。それ以来、メールも電話も無視しています」

 優ちゃんは悲しげな表情を浮かべている。

 私はこれまでの付き合いの中で優ちゃんがとても真面目で正義感が強い子だってのは知ってる。

 そんな優ちゃんだからこそ、相手の変貌にも驚いただろうし、信じられない出来事だったろうな…

「ねぇ、優ちゃん。優ちゃんはその人のこと嫌いになったの?」

「最初は好きになれるかもと思ってましたが、今はもう……。わからないです」

「そっか……。辛いかもしれないけど、もう一度自分の気持ちを整理してみたらどうかな?」

「私の今の気持ちですか? やっぱり彼を許せないっていうのが一番強いと思います」

 優ちゃんは真剣な眼差しで言う。

だけど、きっと優ちゃんは心の奥底ではその人のことを好きでいたいと思っているはずだ。

 だから、この子はこんなに苦しんでいるんだと思う。

「…優ちゃんは優しいね。もし、私がその立場なら同じ行動を取っていたかも知れない。私は気が小さいから、ビンタなんて出来なかったろうけど…」

「優しいなんて、そんなことはないですよ。それに、やぶきさんの方が優しいじゃないですか。いつもあたしの話を聞いてくれますし、相談に乗ってくれるし、こうして今も…」

 彼女はそう言って苦笑する。そんな彼女の歪な笑顔を見て、私の胸も痛んだ。


 私は今まで優ちゃんの悩みを聞いたり、話を聞いたりするだけで、彼女自身のことを深く聞いたことはなかった。

 彼女の生い立ちとか、家族構成とか、色恋沙汰とか……

 今思えば、私は優ちゃんのことを知らないままでいた。それなのに、私だけが一方的に彼女に頼られて、嬉しいと感じていた。


 優ちゃんは優しい。そして真面目だ。

だから、どんなに辛い状況であっても、自分よりも他人のことを考えてしまう。

 私はそれが歯痒くて仕方がなかった。

もっと自分を大事にして欲しかった。

「やぶき、さぁん…。男の人って、みんな、こんなに…」

 優ちゃんの目には涙が浮かんでいた。

「大丈夫だよ。大丈夫。怖かったね…」

 私は彼女を安心させるように頭を撫でた。

「やぶきさん……。あたし、どうすればいいんでしょう……」

「まずは落ち着いて。それからゆっくり考えよう」

「あたし、あたし……」

「ほら、深呼吸してみて。吸ってー吐いてー」

「すぅ……。はぁ……」

「落ち着いた?」

「はい……」

「よし、偉いぞ!」

「えへへ……」

 優ちゃんは照れくさそうに笑う。

(可愛い……)

 やっぱり優ちゃんには笑顔でいて欲しい。

こんな可愛い彼女を泣かせるなんて…

 私はため息の一つもつきたくなった。


「優ちゃん、これは私の経験も交えた一般論だと思って聞いて欲しいのだけど…」

「はい」

 私はまだ涙の跡が残る優ちゃんの瞳を見つめ、ゆっくりと話し出す。優ちゃんも真っ直ぐ私を見つめて聞いてくれていた。

「高校生くらいの男子って、女の子を好きになる時は大体まず相手の見た目から好きになるの」

「そうなんですか?」

「うん。あとは性格かな。それで、実際に付き合ってみたり、一緒にいる時間が増えていくと、だんだん内面の良さが見えてくる。でもね、恋愛対象として見れるかどうかっていうのとはまた別問題なんだよね」

「はい……」

「恋愛感情と性愛は必ずしもイコールではないの。でも、そういう風に考える子もいるのは事実だし、それは別に悪いことじゃないよ」

 優ちゃんは真剣な眼差しで私の言葉を咀嚼している。

「じゃあ、彼は……」

「多分、彼の場合は優ちゃんの外見が好きだったんじゃないかな。それと、優ちゃんが大人っぽい雰囲気だったから、余計にそう思ったのかも」

「そう、だったんだ……」

「だから、優ちゃんが気に病む必要は全くなくて、そのくらいの年頃にはよくある話だと思う」

「よくある、話……」

「うん。だって優ちゃんは可愛いし、とても魅力的な女性だよ! 私が男子だったらやっぱりほっとかないかも!」

「やぶきさん……」

 優ちゃんは少し頬を赤らめながら微笑んだ。


「あの、やぶきさん。あたし、もう大丈夫です。やぶきさんのおかげで元気が出ました。ありがとうございます」

「そっか。良かった」

 私はホッと胸を撫で下ろす。

 優ちゃんが少しでも前を向いてくれるなら、こんな私に相談してくれた意味があったってもんだよ。

「やっぱり、やぶきさんに相談してよかった」

 優ちゃんは嬉しそうに呟く。

「お役に立てたようで何よりです」

 私は苦笑した。

「あたし、やぶきさんみたいな素敵な女性になりたい」

 優ちゃんの言葉を聞いてドキッとする。

「優ちゃんは今でも十分素敵だよ」

「そんなことないですよ。やぶきさんみたいにしっかりしていないし、背も高い方じゃないし、メイクも下手だし……」

 優ちゃんは困ったような表情を浮かべる。

「そんなこと言わないで。優ちゃんはとても魅力的だから」

「やぶきさんの言う通り、見た目だけなのかな……」

 優ちゃんは寂しげに笑う。

「違うよ。優ちゃんには人を惹きつけるような魅力があるの。それに、背の高さとか、顔の美醜とか、化粧とかって関係ないと思う。大事なのは中身だよ。優ちゃんには人を幸せにする力があるの。だから自信を持って」

 私はつい熱っぽく語ってしまった。

「やぶきさん……。ありがとう。あたし、やぶきさんが友達で本当に嬉しい」

 優ちゃんは潤んだ瞳で私を見つめた。

(ヤバい。可愛すぎる……)

 私は慌てて視線を逸らす。

「どういたしまして。こちらこそよろしくね」

「はい!」

 優ちゃんは満面の笑顔を見せた。

 私はこの笑顔を守りたいと思いながら、少し冷めたコーヒーを口に運んだ。



 それから、私たちはお互いのことについて語り明かした。家族のこと、好きな食べ物のこと、好きな音楽、好きな映画、好きな本……

 今まで優ちゃんについて知らなかったことをたくさん知れて、私はすごく楽しかった。


「それで、やぶきさんは今彼氏とかいるんですか?」

 不意打ちのように優ちゃんが尋ねてきたものだから、私は思わず飲んでいたコーヒーを吹き出しそうになる。

「ゲホゴホッ……」

「だ、大丈夫ですか?」

 優ちゃんが心配そうに背中をさすってくれている。

「だ、大丈夫だけど……」

 びっくりしたー! 急に変なこと訊いてこないで〜。心臓止まるかと思ったよ。

「ごめんなさい。答えにくい質問だったらスルーしてください」

「ううん。全然平気だよ」

 本当はちょっと動揺していたけど。

「えっと、私? いないかな……」

「そうなんだ。意外ですね」

「どうして?」

「やぶきさんは美人さんなので、きっとモテるだろうなって思っていました。男の人にも女の人にも」

「あはは。そうでもないよ。私はちょっとドジで、なんというか不器用らしいから、付き合ってもあまり長く続かなくてね」

 私は自嘲気味に笑った。


 まあ、実際、私も自分の性格に難ありだと自覚しているし、自分から告白したことなんて一度もない。

 それに、私は恋愛に興味がないわけじゃなかったし、ただ、好きになる相手がいないだけだ。今は……

「そうだったんですね。でも、やぶきさんは素敵な女性です。もっと自分に自信を持ってください」

「ありがとう」

 先程とは立場が逆転している優ちゃんの励ましに、私は自然と微笑んでいた。

「やぶきさんはどんなタイプの男性が好みなんですか?」

 優ちゃんが興味津々といった様子で身を乗り出してくる。

「そうだなぁ。やっぱり優しい人がいいよね。あと、一緒に居ても退屈しないっていうのも大事かも。一緒に居ると落ち着く感じの人が良いな」

「なるほど。やぶきさんの理想が高いのか低いのかよく分かりませんね。ちなみに、あたしは年上が好きですよ。包容力のある人に惹かれます」

「へぇー。そうなんだ」

 なんか意外な気がする。優ちゃんはクールなイメージがあったんだけど年上に甘えたいタイプなのかな?

「じゃあさ、優ちゃんのタイプはどういう人なのか教えてよ」

「あたしですか。あたしは……。そうですね。頼りがいがあって、優しくて、いつも笑顔を絶やさないような人ですかね。趣味が合って話しやすい人に出会えたら良いなって思います」

「ふむふむ」

 優ちゃんはそのようなお方が好きなのね?

「…やぶきさんが、まさにその通りだと思うんですよね」

「んっ!?」

 優ちゃんが何か言った気がしたが、周りの喧騒のせいで上手く聞こえなかった。

「ごめん。もう一回言ってくれる?」

「いえ、なんでもないです」

 彼女は何故か少し顔を赤らめ、窓の外に視線を移した。


「結局のところ、人も音楽も、付き合ってみなきゃ解らないことは沢山あるよね…」

 私は誰に言うでもなく独り言ちた。それが聞こえたのか、優ちゃんが応える。

「そうですね。今回の件で思い知らされました」

 優ちゃんは少し大袈裟に肩をすくめて見せる。

「メタルって、世間一般的にはあまり受け入られてなくて、それを聴かない人にとっては攻撃的で喧しいだけの音楽と捉える人も少なからずいて…」

 優ちゃんは私が独り言ちるのを黙って聴いている。

「だけど、私たちのようにメタルの良さを知って好きになる人もいる。何かを好きになるのはまず出会いがないと始まらなくて、出会ってから好きにも嫌いにもなっていくものなんだと思う」

「そうですね」

 優ちゃんは静かに相槌を打つ。

「それはどんなことにも当て嵌まる気がするの。音楽然り、恋愛然り、私たち然り」

 優ちゃんは私の言葉に耳を傾けている。

「だからさ、優ちゃん。私は優ちゃんとの出会いを大切にしてます。優ちゃんは私の大切な友達だよ」

「……」

 優ちゃんは驚いたように目を見開いた後、俯いてしまった。


 あれ?今、私変なこと言ったかな?

「……あの、やぶきさん。ちょっと恥ずかしいので、そういうことをサラッと言うのは止めてくれませんか?」

「え? あ、うん。分かった。ごめん」

 なんだか、優ちゃんの顔が赤い。熱でもあるんじゃないだろうか。

「大丈夫?」

「はい。問題ありません」

 優ちゃんはそう言いながらも顔を上げようとしない。ちょっと老婆心が出過ぎた?

「私も含めてさ、人って何事も経験して成長していくの。それは楽しいこと、嬉しいことばかりでなく、失敗や挫折も含めて、ね」

 優ちゃんは小さくコクリと首肯した。どうやら聞いてくれているようだ。

 私は言葉を続ける。今は、彼女に何かを伝えたかった。誰かに伝えておきたかった。

 これは私の決意表明だ。これからも、彼女との付き合いを続けていくための。

「優ちゃんがこの先、どんな道を歩むのか分からないけど、お互い無理せず頑張ろうね」

「……はい」

 優ちゃんはそう短く答えた後、顔を上げ私を見た。その表情は何処となく晴れやかに見えた。



 優ちゃんから彼氏との別れ話の相談を受けてから数週間が経っていた。私たちは変わらず毎朝電車の中で顔を合わせ、降りるまでの短い時間お話しをした。

 何事も変わらない緩やかな日常。大きな波も突風もなく、偶にそよ風にさざ波が立つくらいの穏やかな日常さえあれば、私は満足だった。


 そんなある日のことだった。いつも通り帰りの電車に乗ったところで、不意に声を掛けられた。

「やぶき、か?」

 振り返ると、そこには大学時代に別れた男が立っていた。

 私の顔が一瞬で恐怖に引きつる。

「誰、ですか……? 人違いです…」

 私は警戒心を顕わにする。

「俺だよ。久し振りに会ったっていうのに随分な物言いじゃないか」

 男は苦笑しながらそう言うと、私の方へ歩み寄ってきた。

 私は後退りする。

 しかし、直ぐに背中が電車のドアにぶつかる。男はそのまま距離を詰めてくる。

 逃げ場がない。

「やぶき、これも何かの縁だ。また一緒に暮らそう。俺はお前がいないとダメなんだ」

 私は降車ドアと手摺りのコーナーへと追い詰められた。

 脚が震える。心臓の鼓動が激しい。頭がくらくらする。抵抗、できない…

「大声上げますよ!」

 そう言ったつもりだったが、私の口からは少しの言葉も出ていなかった。

 私は回らない頭で無意識にスマホを弄る。スマホを弄る手も震える。

「大丈夫だって! もう酒呑んでもお前に当たるようなことはしないからさ」

 目の前の男はヘラヘラと薄気味悪い笑顔を浮かべながら馴れ馴れしく私の腕に触れてきた。

「ひっ!」

 反射的に男の手を振り払う。男は呆気に取られた顔をしていたが、すぐに下卑た笑いを漏らす。

「やっぱ、まだ未練あるんだろ? 素直になれよ」


 ナニヲイッテイルノダロウ?


 私は男が発する言葉の意味が理解できず呼吸だけが早くなる。


「あの日のことは謝る。俺が悪かった。サークル仲間で飲んだ後でよ、かなり酒が回っててさ。気付いたら俺んちにいたお前を奴らが無理矢理…。ああ! あの後あいつら半殺しにしてやったから!」


 電車の音が男の声を掻き消してくれない。

こちら側の降車ドアが開いたら飛び出そうかと、僅かに考えたが、さっきから停車して開くのは反対側のドアばかりだった。

 このままではまずい。

 この男とは話し合いになりそうもないし、そもそも話し合いをする気もない。

 今、私がすべきなのは、次の駅で降りて駅員に助けを求めることだ。

 冷静になろうとすればするほど焦燥感が増していく。

「なあ、俺たちもう一度やり直そうぜ?」

 男の手が私の肩に触れる。

 その瞬間、私の視界は真っ白になった。それと同時に私の後ろのドアが開く。

「やぶきさんっ!!」


 誰かが私の名前を呼びながら開いたドアから車内に飛び込んで来た。

 私の身体は何者かによって強く引っ張られ、そのまま勢いよくホームへと飛び出した。

「はぁ……はぁ……」

「はぁ……はぁ……」

 荒い息遣いと、高鳴る胸の鼓動。暫くの間、私たちは互いに何も言わず肩で息をした。

 しばらくして、私は顔をゆっくり上げた。

そこには、心配そうな表情をした優ちゃんがいた。

「やぶきさん、大丈夫ですか?」

 私は目の前のそれが、優ちゃんだと認識するのに数秒を要して、ようやく状況を把握し、思考が徐々に戻って来るのを感じた。


 私はこの信じられない状況に混乱していた。何故なら、ホームにへたり込んでいる私の前には優ちゃんがいて、私のことを見下ろしていたからだ。

 私は優ちゃんに助けられたのだ。

「優ちゃん、どうして、ここに…?」

 私は何とか言葉を絞り出した。

 優ちゃんは凛とした顔のまま

「スマホ! 通話モードになってましたよ? 

あたしに掛けたんじゃないんですか?」

 スマホ…? あ、さっきスマホを手に取ったような…。でも、よく覚えていない。


「何だあ、こいつ!?」

 突然、背後からあの男の声が聞こえた。

「ひっ!」

 瞬間、私は頭を押さえるように丸まる。そこには、同じく電車から降りてきた男が立っていた。

「やぶき、誰だよそいつは!」

 私は男の姿を確認すると、全身が硬直し、指一本動かすことができなかった。恐怖で足がすくみ、へたり込んだまま動けない。

「おい、無視すんなよ! やぶき! 聞いてんのかよ!」

 男は叫びながら近づいてくる。私は必死に立ち上がろうとしたが、膝に力が入らない。

 その時だった。私と男の間に割って入る人影があった。


「…優、ちゃん…?」

 優ちゃんは大の字に両手を大きく伸ばし、男と向き合うと静かに口を開いた。

「あたしの友達に手を出すのは止めてください」

 優ちゃんは毅然とした態度で言った。

「ああん? なんだと、ガキ!」

 優ちゃんの言葉を聞いた男は怒りを露わにした。

 しかし、優ちゃんは怯むことなく続けた。

「やぶきさんはあなたなんかには渡さない」

「優ちゃん! 駄目! 逃げて!!」

 私は声を振り絞った。

すると優ちゃんはゆっくりと振り返り、いつもの優しい笑顔を見せた。

「やぶきさん、あたしを信じて下さい」

「優ちゃん……」

 優ちゃんは、また前を向くと今度は私ではなく、その先を見据えた。よく見ると優ちゃんの体は震えている。

「いい度胸じゃねえか。女だからって容赦しないぞ?」

「残念ですけど、あなたの相手はあたしじゃありません。今のうちに言っておきますが、先程車内で話していた内容はやぶきさんのスマホを通して全て録音させてもらいました。下手な抵抗はしないほうが身のためですよ。今後やぶきさんに近付くようなことがあった場合、この録音を警察に提出します。あなたとそのお友達は婦女暴行罪で仲良く刑務所暮らしになるでしょうね」

 優ちゃんの口調が急に変わった。まるで別人のような威圧感があり、一気に捲し立てる。男は一瞬たじろいだように見えた。

「その録音データをよこせ!」

 そして再び優ちゃんに詰め寄った。

「優ちゃんっ!!」

 私は叫んだ。


 だが、次の瞬間、男の身体がホームに崩れ落ちた。

「間に合いましたか…」

 と、優ちゃんの安堵した声。

 そこには、駅員と警察官が数人いた。

「駅員さん! この人が痴漢です!」

 優ちゃんは、倒れている男に向かって叫んだ。駅員と警官は男を取り押さえると、どこかへ連れて行った。

 私はまだ状況が把握できず、その場にへたり込んだままでいた。


「やぶきさん、立てますか?」

 優ちゃんが手を差し伸べてくれた。

「あ…。ありがとう……」

 私は、優ちゃんの手を取って立ち上がった。

「良かった……。怪我はないみたいですね」

 優ちゃんはホッとした様子で呟き、微笑んだ。

 私は改めて優ちゃんの顔を見た。

 その顔を見た瞬間、堰が切れたように私の目から涙が、喉から嗚咽が溢れ出た。

私は優ちゃんの胸で子供のように泣いた。

 優ちゃんはそっと私の頭を撫でてくれていた。


 暫くして、ようやく落ち着いた私は恥ずかしくなり、「ごめんなさい」と謝りながら慌てて離れた。

「いえ、気にしないでください」

 優ちゃんは優しく答えてくれる。

 私は深呼吸をして気持ちを整えると、まだ気になっていることを訊いてみた。

「どうして、私が助けを求めてるって分かったの…?」

「それはさっきも言いましたけど、家に居てスマホが鳴っているのに気付いたんです。最初はメールかなと思って見ていたら、通話の着信で。それで出てみたらやぶきさん応答ないし、でも外の音は聞こえるしで少し様子をみてたんです。そしたら何だかピンチなことになってそうでしたので、居ても立っても居られず、家を飛び出してきました」

「そう、だったの……」

 私は辛うじてそう言うと、優ちゃんは続けて

「電車の音も聞こえましたし、この時間なら帰宅途中の電車内かなと。もしやぶきさんが朝と同じ位置の車輌に乗っているのなら、この駅で会えるんじゃないかと思って。ドンピシャでしたね!」

 優ちゃんは誇らしげに拳を突き上げる。

「そしてホームに降りるまでに、駅員さんと近くに居た警察の人に痴漢がいると言い来てもらってました。間に合って本当によかったです」

 私は優ちゃんの洞察力と行動力にただ驚くばかりだった。私なんて何も考えず、恐怖で震えていることしかできなかったというのに……

「あ、ちなみに、会話を録音してたっていうのは嘘です。流石にそこまでする余裕はなかったですね」

 優ちゃんは悪戯っぽく舌を出した。

「え!? そうなの? あんなこと言っておいて?」

「はい。まぁ、脅し文句としてのハッタリですよ。これであの男は二度とやぶきさんに近付こうとは思わないはずですよ」

 優ちゃんは笑顔を見せた。まったく、優ちゃんときたら…

「ロックったらないね、優ちゃん」



 その後二人で軽く駅の構内で事情聴取されてから解放となった。男の方は近くの署まで連れて行かれたらしい。こういうことは駅ではよくあることなので、必要なら警察にストーカー被害の届けを出すようにと、駅員さんから言われた。

 私たちはホームのベンチに座り、自販機で買った缶コーヒーを手に持ち少し呆けていた。


 色んな事があったせいで、お互い精神的に疲れ切っていた。そんな空気を察したのか、優ちゃんが口を開いた。

「ここ、あたしの家の最寄り駅なんですよ」

 毎朝彼女がこの駅から乗ってくる姿を見ていたので私は「うん」とだけ、短く答えた。

「やぶきさんのお家は?」

 彼女が続けて訊いてくる。

「私は、ここから三つ先の駅だよ」

「そうなんですか。割と近いですね」

 私は優ちゃんに気を遣わせてしまっている。分かってはいるのだが、今は中々上手く言葉が出て来ない。

「今日、うち両親当直と夜勤でいないんですよね…」

 そういえば以前、優ちゃんちのご両親は都内の病院に勤める医者と看護師だと聞いたことがある。


「もし良かったら、今夜泊まっていきませんか?」

 優ちゃんが唐突に言った。

「えっ……? 泊まり……ですか?」

「はい。明日土曜日だし学校もやぶきさんの会社も休みだから問題ありませんよね?」

「う、うん、それは大丈夫だけど……。急でびっくりしちゃって」

 確かに、今日は金曜日で、土日はお休み。

特に予定もない。

 けれど、私は優ちゃんの家に遊びに行ったこともなければ、優ちゃんが私の家に来たこともない。

 ましてや、一晩一緒に過ごすなんて初めてのことだ。

 どうしよう、いきなり過ぎて心の準備が出来ていない。だけど、今夜自分のアパートに戻って一人でいるより、今は誰かと一緒にいたい気持ちの方が勝っている。それに、きっと優ちゃんなら安心して過ごせるはずだ。

「決まりですね? はい、決めました。今晩はあたしの家に泊まって行ってください」

 優ちゃんは半ば強引にそう言うと、嬉しそうに微笑んだ。


「じゃあ、行きましょうか」

 優ちゃんはそう言って立ち上がると、私に手を差し伸べてきた。

 私は彼女の手を取ろうとしたが、以前優ちゃんは彼氏に対して手を握るのも抵抗があったと言っていたはずだ。

 私は途中まで伸ばした手を、掴んでいいものかと少し引っ込めようとしたところ

「何してるんですかやぶきさん! ほら、行きますよ?」

 優ちゃんはしっかりと私の手を握り締めてくれた。

 私は何だか目頭の奥が熱くなるのを感じながら、その手をしっかりと握り返した。


 夜道を二人手を繋いで並んで歩き出す。

 道すがら私たちはいつものように取り留めのないお喋りをしながら優ちゃんちへと向かう。そんな何気ない彼女の気配りがありがたく、とても嬉しい。繋いだ手も温かく、心が落ち着いてくるようだ。


 優ちゃんの家は駅から徒歩十分くらいの閑静な住宅街にあった。

お医者さんのお家だけあって何だか立派な建物である。

 そして玄関の前に着くと、彼女は鍵を取り出しドアを開ける。

「どうぞ」と促され私は玄関に入る。

「おじゃまいたします…」

 優ちゃんは私が靴を脱ぎ終えると、そっと私の背中を押して廊下へ押しやり、そのままリビングへと案内される。


 綺麗に整頓された室内。観葉植物にソファー。きっとご両親も優ちゃんみたいにきっちりされてるのだろうなと私は思った。

 優ちゃんは慣れた手付きでお茶を淹れてくれて、私をソファーに座らせた。少し座ってゆっくりしてくださいと言わんばかりに。

 優ちゃんが淹れてくれたのはコーヒーではなくハーブティーで、彼女の気遣いがそこかしこに感じられた。


「やぶきさん、お腹空いてませんか? 簡単なもので良ければ何か作りますよ」

 あんなことの後で食欲はなかったのだが、身体は正直で、タイミングよく私のお腹がくぅ~と鳴った。

「じゃあ、軽くいただきます。私も手伝うよ」

 そう言い、ソファーから立とうとした私を優ちゃんは、ちょっと待った! と言わんばかりに制止する。

「人んちの台所って勝手が分からないと思いますし、やぶきさんに変に気を使ってもらいたくないので、今日は結構です。お気持ちだけ」


 優ちゃんはほんとに、歳の割にとてもしっかりした子だとつくづく思わされる。

 私の高二の時ってどんなだったっけ? きっと料理なんて大してやったことなかったはずだ。それに比べて優ちゃんは、家事全般が万能と言っていいほど出来てしまう。

「でも何もしないっていうのも悪い気がしちゃうかも……。そうだ! 食器洗うのとか、洗濯物畳むのなら出来ると思うんだけど、どうかな?」

「そういうのは全然気にしなくて良いんですよ。あたしが好きでやってることなので。あ、やぶきさんのお口に合うかは保証しかねますので、それだけご了承ください」

 優ちゃんはそう言って優しく微笑み、キッチンへと向かった。


 優ちゃんは簡単なものと言っていたけど、食卓にはオムライスとサラダが並べられていた。

 しかもオムライスにかかっているドミソースも手造りで、失いかけていた食欲が見る見る戻って来るのを感じた。

「いただきます」

 二人して手を合わせ食べ始める。

「おいしいっ!」

 私は一口食べると瞬時に感嘆を漏らす。料理を口に運ぶ手が止まらない。

 優ちゃんは黙々と食事を口に運ぶ私の様子をニコニコしながら見ている。

 こんなに美味しいのはきっと愛情が隠し味になっているせいに違いない。

 私はふとそんなことを思いながら、優ちゃんと二人、楽しい夕食の時間を過ごした。



「やぶきさーん。着換え、置いておきます」

 優ちゃんは脱衣所に入ると、バスタオルと一緒に着替えを置いてくれた。

「ありがとう」

「いえ。じゃあお風呂上がったら呼んで下さいね」

 優ちゃんはそう言うと、パタンと扉を閉めた。

 お言葉に甘えて先にお風呂に入らせてもらっている。お湯に浸かりながら、今日の出来事を振り返る。

 優ちゃんのおかげで助かった。あのままだったらどうなっていたんだろう。考えただけでも恐ろしい。

 私はお風呂で冷え切った体を温めると、ゆっくりと立ち上がった。

 私はお風呂上がりの火照った体に、優ちゃんが用意してくれた服を着る。オーバーサイズのスウェットを用意してくれたようで、私には丁度いい。

(これ、優ちゃんが着てたらブカブカで可愛いんだろうな)

 何だか可愛らしい妄想をしてしまう。

私と優ちゃんの身長差は、私が165だから、13センチもあるのか。結構あるなー。

 そんなことを考えながら、脱衣所を出る。


「お先にお風呂頂いちゃってありがとう」

 優ちゃんはリビングで読書をしながら待っていたようだ。手に持っていた文庫本を閉じる。

「いえ。服のサイズ、大丈夫そうですね」

「うん。ピッタリだよ」

 私は両手を横に広げて見せた。

「じゃあ、あたしも入ってきちゃいますね。その間に洗濯物回しちゃいます」

「何から何まで、ありがとうね」

「いえいえ。では、ちゃちゃっと入ってきちゃうので、くつろいでてくださいね」

 優ちゃんはそう言い残し、脱衣所に向かった。


 優ちゃんが居なくなると、急に部屋が静かになったような気がした。

 言われたように、私はソファーに腰を下ろす。

「ひゃ!」

 ひんやりとしたソファーの感触が割とダイレクトにお尻に感じて、私は変な声を出してしまった。

 そう、私は今下着を着けていなかった。

 優ちゃんは未使用のがあるので上げますと言ってくれたのだが、流石にそこまでしてもらうのは忍びなく、何より、優ちゃんの細い腰を包むための布が、私の腰も包んでくれるとは到底思えなかったので丁重にお断りさせて頂いた。これも、洗濯物が乾くまでの我慢だ。

 それにしても、女の子同士とはいえ、同じ部屋にいて裸になるのってちょっと恥ずかしいな。

 私はそわそわしながら、優ちゃんが戻ってくるのを待つ。


 ガチャッと音がして優ちゃんが戻ってきた。

「ただいま上がりました。ってあれ? 何か落ち着きないですけど、どうかしました?」

「ううん! 何でも無いよ!」

 私は慌てて取り繕う。

「そうですか?」

 優ちゃんは不思議そうな顔をしながらもそれ以上詮索してくることは無かった。

 優ちゃんは髪を拭いている。濡れた髪が色っぽい。

 髪を下ろした優ちゃんを初めて見たが、いつもと違いどこか艶やかさを感じさせた。

「あっ、やぶきさん、まだ髪少し濡れてるじゃないですか。風邪引いちゃいますよ」

 優ちゃんはそう言うと、私の隣に座りドライヤーで私の髪を乾かし始めた。

「えっ、自分で出来るから大丈夫だよ」

 私は遠慮がちに手を振る。優ちゃんに髪を乾かしてもらうのは何だか気恥ずかしい。

「ダメですよ。ちゃんと乾かさないと髪にも悪いですし」

 優ちゃんは真剣な表情で言う。

「……じゃあお願いします」

 私は観念すると大人しく椅子に座って頭を優ちゃんの方に向けた。


 優ちゃんの手が優しく触れる。温風と共に心地よい刺激が頭皮に伝わる。人にやってもらうのって気持ちいいなぁ。

「やっぱり、やぶきさんの髪は私のと違いますね。私は少し猫っ毛でボリュームが出にくいんですけど、やぶきさんのは少し癖もありフワッとなります。今のセミロングみたいに色々アレンジ出来て楽しそう」

 優ちゃんは私の髪を優しく乾かしながらそんなことを言っている。

「あはは。ほんとはロングボブなんだけどね。最近美容院行くのサボってたから伸びてきちゃってて…」

 あ〜、こんなことになるならちゃんと美容院行っておけばよかった…。私のものぐさ体質が今は憎い。

「へぇー、そうなんですね。私、やぶきさんみたいな髪型憧れるんですよね〜」

「そうかな?」

「はい。あたしは一応伸ばしてますけど、あんまり似合わないし、短い方が手入れも簡単だから、いっそのこと切っちゃおうかなと思ってるくらいで。でも、やぶきさんは長いままで良いと思います。綺麗だし、素敵だなって思います」

「そっか。ありがと。そう言ってもらえると嬉しいよ」

「いえいえ。はい、これでよし! じゃああたしも乾かしてきちゃいますね」

 優ちゃんはそう言って、今度は自分の髪を乾かし始めようとする。

「あ、待って」

 私は思わず呼び止めた。

「今度は私が乾かしてあげる」

 優ちゃんが戻ってくると、私は彼女の後ろに回り込み、ドライヤーを手にした。

「じゃあ、お言葉に甘えて。お願いします」

 優ちゃんは鏡越しに笑顔を見せる。

「うん。任せて」

 私は意気揚々と答えると、ドライヤーのスイッチを入れる。

「じゃあいくよ。熱かったらすぐ言ってね」

「はい。ありがとうございます」

 優ちゃんの髪は細くサラサラしていた。私は丁寧に髪を乾かす。

「やぶきさん、上手ですね。すごく気持ちいいです」

 優ちゃんは目を細めて言う。

「本当? 良かった。優ちゃんの髪、サラサラで気持ちいい」

「ふふ。ありがとうございます。私もやぶきさんの髪好きですよ」

「えっ、何で?」

「だって、やわらかくて触り心地が良いから」

「そ、そっか。なんか照れるな」

「やぶきさん、顔赤くなってますよ」

 優ちゃんは悪戯っぽく笑うと、私の頬に人差し指を当てた。

「もう、からかわないでよ」

 私は恥ずかしくなり、お返しにとばかりに優ちゃんの髪を撫でた。

「あはは、ごめんなさい」

 優ちゃんは可笑しそうにしている。

「はい、出来た!」

「わぁ〜、ありがとうございます! さすがやぶきさん!」

「どういたしまして。またいつでもやってあげるよ」

「ホントですか? やった!」

 優ちゃんは嬉しそうだ。



 それから、私たちは優ちゃんの部屋でお喋りをしている。

 優ちゃんの部屋は可愛らしい女の子らしさのある部屋だ。意外にもぬいぐるみとか置いてあって、いかにも女子高生という感じである。

 しかし、全体的に見ると意外とシンプルな印象を受ける。無駄なものがなく、必要最低限のものしか置かれていないような気がするのだ。

 何より、本棚にぎっしり詰まった書籍の数々が、この部屋の主の読書家っぷりを物語っているように思えた。

「やぶきさん、コーヒーと紅茶どっちにします?」

「う〜ん、夜だし、紅茶を頂こうかな」

「了解です。ミルクと砂糖は入れますか?」

「うん。ミルクだけで。ありがとう」


 優ちゃんが飲み物を用意してくれる間、私は彼女のベッドの上に腰掛けていた。

 優ちゃんの匂いがする……。私はまた落ち着かない気分になる。

「お待たせしました〜」

 優ちゃんがトレイを持って戻ってきた。

「ありがと。優ちゃんの家はお父さんもお母さんもいないんだよね?」

「はい。二人とも仕事が不規則で忙しく、帰ってくるのも遅いんです。だから、基本的にはあたし一人なんで、自由にさせてもらってます」

「そうなんだ。大変だね」

「まあ、慣れてるんで平気ですけどね」

「そっか……」

 私は言葉に詰まる。なんて言ったら良いのか分からなかった。

「大丈夫ですよ。今は友達もいるし、寂しいとは思いません。それに、やぶきさんがいるじゃないですか」

「そっか……。そうだね」

 優ちゃんの言葉を聞いて少し安心した。

「じゃあさ、今度私の家に来ない?」

「えっ?」

「ほら、私一人暮らしだし、たまには家で誰かと遊びたいし、どうかな? 優ちゃんさえ良ければだけど」

 私は咄嵯にそんなことを口走っていた。

「ぜひ行きます!!」

 優ちゃんは身を乗り出して言う。

「そ、そっか。分かった」

 私は気圧されながら答える。

「でもあたしたちだと、音楽流しながら読書して、一日終わっちゃいそうですね」

「あー、確かに。そうかも」

 私は苦笑いを浮かべる。

 それでも、きっと楽しいだろうな。


 優ちゃんが淹れてくれたミルクティーも飲み干し、あれだけお喋りしていた私たちにも流石に眠気が訪れてきていた。

 優ちゃんの部屋の掛け時計の針は二十三時を過ぎようとしている。

 私は重くなってきた瞼で

「今日はありがとう、優ちゃん…」

 そっと呟くように言った。

「あの時、優ちゃんが来てくれなかったら…。どうなっていたか……」

 私の身体がキュッと小さく縮こまる。

「優ちゃんがいてくれて良かった」

 私は涙声になっていた。

「やぶきさん……」

 優ちゃんの声も震えている。

「優ちゃん、私……怖いよ」

「やぶきさん…。私も、怖かったです」

 そう言うと優ちゃんは自分のベッドの布団に潜り込んだ。

 そして布団の中から顔を出し手を伸ばして

「やぶきさん、お布団の中でお話ししましょう?」

 吊り目がちな目なのに、優ちゃんの笑顔はとても柔らかくて、優しくて、可愛いくて、愛おしくて、護られてるような、そんな安心をくれる表情だった。


「うん…」

 私は素直に優ちゃんのいる布団の中に滑り込んだ。

 優ちゃんの体温が伝わってくる。吐息が掛かるくらい、優ちゃんの顔が近い。

 私は恥ずかしくなり目を逸らそうとも考えたが、今はその優しい瞳から目を離したくなかった。

 優ちゃんはいつも通り優しい声で語りかけてくれる。私の凍りついていた時間が動き始める。

「…あのね、優ちゃん。聴いてくれるかな?」

「はい」

「私ね、今までずっと一人で悩んできたんだ。誰にも相談できずに、自分の中で抱え込んで……」

「やぶきさん……」

 私は続ける。

「私が大学生の頃にね、やっぱり優ちゃんみたいに告白されて付き合い始めたことがあって。最初は気のいい明るい人だなと思ってたんだ」

 優ちゃんは口を挟もうとせず私の言葉を待つ。

「だけど、彼はどんどん束縛が激しくなっていって、バイトを始めたりすると『辞めろ』とか言ってきたりね。酒癖も悪くて、酔って暴力を振るわれたりしたこともあって…」

 私が身を強張らせるのを察したのか

「…やぶきさん、話したくないことなら、無理には」

 優ちゃんが心配そうに声を掛けてきた。

私は首を横に振り

「ううん、聞いて欲しい。大丈夫だから」

 優ちゃんは心配そうな顔持ちで肯いた。

 私は深呼吸をして気持ちを整えてから話を続ける。


「少しの間だったけど、同棲したこともあってね。若かったといいますか、周りが見えてなかったといいますか、私も彼に依存しちゃってたんだと思う。それで、ある日、サークルの友達と呑んで帰ってきて、その時もかなり酔ってて…。私は邪魔かなと思い退室しようとしたんだけど…」

「……もういい」

「彼に、腕を、掴まれてね…? みんなの、見てる前で…っ……うっ、ふぐっ…」

 私は優ちゃんの袖にしがみつき、言葉を続けようとするが、嗚咽だけが溢れてきてしまう。

 優ちゃんは私を強く抱きしめて、「黙って」と強めの口調で言った。

「あたしはあの車内でのスマホからの会話も聞いてませんし、今やぶきさんが何か言ってたみたいですけど、寝ぼけてたのか全く覚えてないようです。すみません」

 優ちゃんは私のことを思ってか、そう嘘ぶく。

「…彼の言う通りにしてれば、多分上手くいくんじゃないかと思い込んでいた私が悪いの……」

 優ちゃんのパジャマの袖が私の涙で濡れていく。


「断じて!」

 優ちゃんは突然大きな声で

「やぶきさんが悪いなんてことは絶対に、ないです!」

 と、鼻息荒く言い放った。

「やぶきさん! いいですか? やぶきさんはあたしにとってとても大事な友達であると同時に、とても尊敬出来る女性で、憧れの存在でもあるんですからね?」

 優ちゃんは捲し立てるように早口で言う。

「優ちゃん……」

 私は驚いてしまう。

「それにですね、やぶきさんの過去の恋愛事情など、そんなものはどうでもいいんですよ。やぶきさんは過去も今もやぶきさんで…。やぶきさん言いましたよね? 過去の失敗や挫折も経験することで人は成長していくものだと。だから、過去の自分含めて今の自分があるわけで、過去の自分だけ否定するようなことは…」

 優ちゃんの目には薄っすらと光るものがあった。

「今のやぶきさんを好きになったあたしに対しても、失礼なことだとは思いませんか!?」

 彼女の目から光るものが頬を伝って零れ落ちた。

 優ちゃんと私は二人抱き合い、布団の中で声を上げて泣いたのだった。



 あれだけあった眠気が、今はなくなっている。

 大声を上げて泣いたからなのか、初めて自分のことを他人に打ち明けることが出来たからなのか、私の心は驚くほど平静を取り戻していた。

「優ちゃん、ごめんね。ありがとう」

 私はそう言って抱きついたままだった優ちゃんから離れた。

 優ちゃんは泣き腫らした赤い目を細めて微笑みながら

「いえ、こちらこそ取り乱しちゃって、すみませんでした」

 と、応えてくれた。


「優ちゃん、今日はこのままここで一緒に寝てもいいかな?」

「えっ?」

「その、一人じゃ眠れなくて……」

「はい、もちろんですよ」

「ありがとう…」

「はい」

「あの、それとね」

「何でしょう?」

「さっきの続きなんだけど、私、優ちゃんのこと、大好きだからね」

「はい、知ってますよ」

「本当に?」

「本当です…」

「良かった……」


 優ちゃんは真っ暗な天井を見つめながら、真剣な声色で

「…こんな時、あたしが男だったら、やぶきさんを慰めてあげることが出来るのかな…」

 と、呟いた。

「優ちゃん……」

「なんだろう…? この、やぶきさんを、護りたいとか、愛しいとかの気持ちを通り越して…」

「自分のものにしたい?」

 優ちゃんが真剣に考えているところに私は横槍を入れた。

「あぁ、そうかも。あたし、やぶきさんを、独り占めにしたいんだと思います」

 優ちゃんが私に向き直り真剣に言う。

「あたしは今、やぶきさんのことを誰にも渡したくないと思ってしまっています。これは友達としてとかそういうのを越えて、一人の女としての独占欲だと思います。これがどういう感情なのか、自分でもよく分かりませんけど」


 優ちゃんは私に顔を近づけ、唇と唇が触れ合うような距離まで詰め寄った。

「あたしはやぶきさんが好きです」

 優ちゃんはそう言って、私の頬に手を添えて、今度はしっかりと私の瞳を見据えた。

「私も、優ちゃんが好き」

「それは友達としてですか?」

「……それ以外に、何があるの?」

 私は伏し目がちに、そっと突き離すように言う。

 優ちゃんはまた黙って考えだした。そして

「あの、やぶきさん。やっぱりあたし、やぶきさんが欲しいんだと思います」

「それって……」

「あたしが、やぶきさんの過去を忘れさせてあげたい、というか…上書きさせて欲しいです」

 優ちゃんの目は真剣だ。冗談を言ってる感じではない。

「何をする気?」

 私は言葉とは裏腹に優ちゃんの方へ顔を向ける。

「キス、してもいいですか?」

「……うん」

 私は恐る恐る瞼を閉じた。


 次の瞬間、私の唇は柔らかいもので塞がれていた。

「んっ……」

 優ちゃんの吐息が漏れる。

「あっ……」

 私は思わず声を出してしまった。

「やぶきさん……」

「優ちゃん……」

 私たちはお互いの名前を囁き合う。

「…やぶきさん、あたしのファーストキスです。本当に好きな人にあげられて、嬉しい…」

 優ちゃんは私を強く抱きしめて、私の耳元でそう言った。

 私も優ちゃんの背中に腕を回して強く抱きしめ返す。

 優ちゃんの鼓動が私の耳に響く。

「優ちゃん、一つ約束して?」

 優ちゃんはキョトンとして「はい」と頷く。

「今夜は色々な事があったから、私たち、ちょっとハイになっちゃってるのよ…。だから、これから起こることは一夜限りの過ちだって、割り切れるかしら? 朝起きたらいつものように友達同士に戻るの。できそう?」

 私は優ちゃんを抱き締めたままそう聞いた。

 優ちゃんは私の胸に顔を埋めて、小さく首を縦に振った。

「そのように善処します。だから、今だけは、やぶきさんを…」

 優ちゃんはそこで言葉を切って、私の顔を見て続けた。

 まるで、自分に言い聞かせるように。

 私にも、自分自身に言い訳をするように。

 そして、優ちゃんは私と視線を合わせながらこう言った。

 やぶきさんを下さい、と。

 私は静かに目を閉じて、もう一度唇を重ねた。



   エピローグ


 翌朝、目が覚めると隣には誰もいなかった。

 私は上半身を起こし、昨夜の出来事を思い返していた。

 私は自分の胸元を見る。そこには優ちゃんが付けたであろう、紅い花びらが咲いていた。私はそれを指先でなぞりながら、寝起きの朧気な頭で優ちゃんのことを考えていた。

 私は布団から出て立ち上がり、部屋を出た。階段を降りてリビングに入ると、優ちゃんが朝食の準備をしていた。窓から射し込む陽の光が眩しい。


「おはようございます。よく眠れましたか?」

「おはよう。おかげさまで」

 陽の光の中にいる優ちゃんはとても綺麗で、少し赤く腫れた瞼が下を向くと、長いまつ毛もまた陽に照らされてキラキラと光る。


 私はキッチンに行って、優ちゃんに声を掛ける。

「優ちゃん、何か手伝おうか?」

「いえ、大丈夫ですよ」

「そう……」

「もう少しで出来ますので。あ、昨日の洗濯物、乾いて畳んでありますよ。朝食の前に着替えてきて下さい」

「分かったわ。ありがとう」

 何から何まで至れり尽くせりで、申し訳ない。私もこんなお嫁さんが欲しい…

 優ちゃんは私に背を向けたまま話を続けた。

「今日は土曜日なので、あたしも休みです。やぶきさんも、ゆっくりしていていいんですよ?」

「うーん、そうだけど、親御さんも帰ってくるだろうし、これ以上恥の上塗りするのも気が引けます」

「はい出来ました」

 と、優ちゃんがトーストとスープ、サラダ等をテーブルに用意してくれた。私たちは「いただきます」と手を合わせ食べ始める。

 相変わらず優ちゃんの作る食事は美味しかった。やっぱり愛情という名の隠し味が…。


「じゃあ一緒に出掛けませんか?」

「えぇ、それは構わないけど、どこに行くの?」

「そうですね……」

 私は食後のコーヒーを頂きながら考えていると、優ちゃんが眩しい顔で

「お互いの新しい恋でも探しに行きませんか?」

 と、言った。私は思わず吹き出して

「今日もロックだね、優ちゃん」

 と、言わずにはいられなかった。


【完】

最後まで読んで頂きありがとう御座います。

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私はTwitterに流れてくる百合系イラストや漫画を舐め回すように見る異常者なのですが、小説で百合成分を接種するのは今回が初めてで、大変楽しませていただきました。 同じ通勤通学路から始まる二人の進展…
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