ハッキング
食事が終わり、またしても車で移動する時間が始まる。少し異なるのは、車の後ろに大型のトラックがついてきているという点だ。防弾仕様のチタン合金装甲で覆われたボディは銃撃から身を守るために特化している。ピンホールとその仲間たちの車であり、先に先導してくれているのだという。
いざというときに兵器とやらを回収するために、蟻正が頼んだのだろう。そこまで上手くいくかは未知数であるが。
そして意外にも、目的地である『エデンの子供たち』のアジトには10分もかからずについた。確かに兵器開発をするなら電気や水などが安定して供給される場所でなければならない。故に場所が自治区の中心から酷く離れる可能性は少ないというのは当然の話だった。
ぶつぶつと時折途切れる、古い街灯の並ぶ先に目的の建物はあった。風化しひびの入ったコンクリートの倉庫が無数に並び、それらは今や一つも使われていない。大戦後、汚染から逃げるために放棄された結果、壁には無数のコケが生え鉄骨が露出している。
だがその中の一つだけが黒と黄色のテープで覆われていた。倉庫に邪魔者を入れまいと、青一色の戦闘服を着た男たちが入り口の前で警戒を繰り返している。胸元の紋章を見る限り王我コーポが運営する、治安維持部隊の奴らだろう。それを見てピンホールは嫌そうな表情を隠さない。
「同じ治安維持部隊でも、担当が違えば入りにくそうだしね。一足遅かったかー」
確かに同じ所属でも、こういった場合には上司の許可を得なければならないのが普通であろう。そう、それが一般の組織なら。だが今俺の所属するよくわからん組織はその道理は通らない。
「何だなんだ、こっちは仕事中だぞ。スラムの連中はさっさと出ていけ。戸籍もない奴が俺らの邪魔をするんじゃねえ」
恰幅の良い、戦闘服の上にトレンチコートを着た男がこちらに近づいてきて、不機嫌そうな様子をする。片手には端末を持っており、一瞬その画面に肌色の多い画像が映っていたのを目の端にとらえる。仕事中にアダルトサイトの閲覧でもしていたのだろう。汚職の噂される治安維持部隊だけのことはある。
「おい無視するな、早く出ていけ」
トレンチコートの男は横柄な態度で言葉を吐き捨てる。だが蟻正は落ち着いて、「私はこういうものだ」と端末を見せる。蟻正の端末を面倒くさそうにのぞき込んだ男は、そこに描かれた内容を何度も確認した後、急にぴしりと姿勢を正し「お仕事お疲れ様です!」と情けない声を上げた。
BRIGADEは、徳川ネオインダストリーズ直属の部隊である。一方、王我コーポはあくまで子会社の一部隊でしかない。単純な立場だけで言えば、治安維持部隊に拒否権など存在しない。それだけの権力の差が二人にあった。だが。
「繰り返す。中を確認させろ」
「とはいっても所属が違うものですから。ほら、上のものをあたって、許可をとってからにして頂くことは・・」
「耳が悪いのか? お前に拒否権はないはずだ」
「ですが……」
「ですが? だから何だ。関連会社でしかない身で、拒否は無理だ」
「ひぃ、ですけど!」
トレンチコートの男は、何故か権力に屈することなく必死に否定を続ける。恐らく上から命令を受けているのだろう。彼は蟻正の追撃を躱すべく必死に話の糸口を探し、そして後ろにいるピンホールを見つける。冷や汗を流しながら男は叫んだ。
「そ、そいつは緑生化学コーポの、超能力者の女じゃないですか! 聞いたことありませんか、ミュータントの遺伝子を持つ、不適格な社長令嬢とその父という話ですよ!」
「あまり父のことを悪く言わないで欲しいかな。まあ、あっちはもうあたしを娘だと思っていないだろうけど」
えっ、と思わず振り返る。ピンホールは否定せずそれだけを言い捨てて、俯きながら一歩後ろへ下がった。確かニュースにあった話だったか。娘が超能力者であると発覚したせいで父親の社長の立場が危ない、というような話だったか。確かにこの超能力者差別の全盛期、そんな子供をつくった親はミュータントの遺伝子持ちだと侮蔑の視線を受けるだろう。だが、彼女が当の本人だとは思わなかった。
……いや、思えばいくつかポイントはあった。スラム育ち特有の粗野さは感じなかったし、資金力は若さに見合っていない。あんなトラックや武装、仲間を揃えるのにはスラムだと20年はかかるはずだ。マフィアのご令嬢などではなく、表舞台から落ちてきた人間だったわけだ。すなわち、俺とは全く真逆の存在。
蟻正は表情を変えない。恐らく彼女の事情は知っていたのだろう。
「ああそうだ、超能力者だ。私の嫌いな存在だ。私も父を超能力者に殺された」
初めて聞く話であった。そもそも蟻正は今日初めて会った相手、当然と言えば当然だ。ピンホールの仲間たちが殺気だったのを肌で感じる。テープの向こう側にある治安維持部隊の下っ端たちもようやく違和感に気付いたのか、こちらに視線を向ける。
「だが捜査を拒む貴様よりは随分とマシだ。繰り返す。中を確認させろ」
「ひ、ひぃ!でも子会社といえども、許可を取らないのは越権行為ではないでしょうか!」
蟻正はそれらを意に介さず、ぐいと詰め寄り語気を強める。その様相は警察というよりはマフィアのそれだ。しかしそれでも必死に抵抗を続ける男に、蟻正は仕方がないと俺たちに向き直る。あまりにも急な態度の変わりように全員が驚く。その理由は当然、諦めたから、ではない。
「そういうわけだ、他をあたるぞ。そうだな……まずは」
そう言って蟻正は無表情のまま、車に戻っていく。トレンチコートの男は蟻正が去ることに安堵し、しかし続く発言に悲鳴を上げた。
「灰色の、6輪で背の高いトラックをさがすぞ。それが目標だ」
蟻正の網膜には無数の文字が投影されている。
『賄賂』
企業である以上、全ての物事に対して利益を上げる必要がある。そのため金銭というものは、基本的にはありとあらゆる行為の対価となりうる。ただし、関連会社が徳川ネオインダストリー本社に逆らうような動きをするのには、賄賂程度では説明がつかないのもまた事実である。