酒場にて
きりがいいので短め。
蟻正はパブ、と表現していたがその実態は酒場とは程遠い。強いて言うならば会合所、であろうか。古く汚れたビルはひび割れや落書きで覆われており、ネオン風のけばけばしい光が周囲を照らしている。内部は20席ほどのテーブルとカウンターが何とか入っている程度の大きさだ。内部は煙草の煙で覆われており、テーブルや椅子も汚れが残っている。
客層は身なりの悪い者が大半であり、時折明らかに金持ちの人間がいることもある。違法データや薬物の購入をしに来ているのだろう。人はまばらであり、俺達が入ると左端のテーブルに座った女がこちらに手招きをした。
「ども~、新人の子?」
背は俺より少し低いくらいだろうか。20歳ほどの女が俺を見て人懐っこい笑顔を浮かべる。桃色の髪をショートに切りそろえており、うっすらと化粧をしたその顔は可愛らしい。だがその顔に俺は見覚えがあった。
「映像の……?」
そう言うと彼女はさらに頬を緩め、自分の隣をぽんぽんと叩く。それを無視し俺と蟻正は彼女の体面に座った。彼女は黒いレザージャケットとジーパンと言う組み合わせだが、下に着ているのはTシャツだけ。体の凹凸を強調させ、情欲を煽るその姿は校門で押収したメモリの姿と完全に同一だった。
「おや少年、あれは未成年が見てはいけないものだよ~。そんなものを見るとはエッチだね」
「違います、学校のやつが持ってたんですよ」
「ほらほら、言い訳しない。で、お姉さんのどこが良かった?」
言い訳する俺を見て彼女は身を乗り出し、艶めかしく耳打ちする。その様子を見て呆れた様子で蟻正は机をトントン、と叩く。
「おい、そこらへんでやめておけ。我々治安維持部隊も、それ以上大っぴらにされると取り締まらざるを得ない」
おや、っと思う。蟻正の胸元を見ればBRIGADEのバッジは外しており、なるほど所属を偽っているようであった。もちろん大きな組織が調べれば一発なのだろうが、一般の人間ではまずそこまで思い当たらない。
蟻正からの注意を受け、彼女は背筋を伸ばし「らじゃー!」と敬礼の真似事をする。そんな話をしているとウェイターらしき老婦人がやってきた。少し腹が減ってくる時間だな、と思いメニューを見ると、パブとは思えないほどの料理が並んでいる。情報屋らしき女性はハンバーグ定食を、俺は焼肉定食を注文する。蟻正はしばらくメニューを睨んだあと、「合成チキンカレー40辛」という恐るべき言葉を口にする。言葉の響きだけで人を殺せそうな辛さであることは明らかだ。そんな注文は日常茶飯事なのだろう、蟻正は当然といった表情のまま顎先で情報屋に自己紹介を促した。
「ピンホールです。運び屋と情報屋がメインの仕事、時折そういう映像の販売もしているかな。まあこの汚染区域近くで何かあったら、金さえあれば何でもするよ。もちろんそっち方面もね」
「未成年をからかうな」
「えー、あたし普通にこういう真面目そうな子好みだから、ツマミ食いしてもいいじゃん」
そういうピンホールを蟻正さんはじろりと睨みつける。が、これ以上彼女の与太話に付き合う気はないようで、蟻正は一つの写真を手渡す。
紙に印刷されたそれは、「エデンの子供たち」のロゴとその姿であった。皆一様に病的なほどに白いローブをまとっているが、ちらほらと戦闘用の武装が見える。恐らく監視カメラ経由で撮影したのだろう、斜め上から撮られたその写真をピンホールは興味深そうにのぞき込んだ。
「こいつらの行く先を知りたい」
「うーん、この辺でたまにみかけることはあったっかな。異様に金払いの良い連中だったから記憶に残ってる。ローブを脱いでパブで結構遊んでいたね」
「現在の行く末はわからないわけだな」
「うーん」
そういうと彼女はにやりと笑い、手を突き出す。親指と人差し指で円を作るその仕草は、今も昔も変わらぬ金銭の合図である。ここからは有料、ということだ。ピンホールは俺を見ながらにやりと笑って冗談を口にする。
「もしくは彼でもいいけど」
「ならば経費節約のために」
「蟻正さん!?」
「冗談だ」
一切表情を動かさないまま、蟻正は小さなケースをとり出す。特殊樹脂ケースの中には刻印の入った黄金が鎮座している。価格は数十万程度だろうか。この時代においても金は貴重な材料であり、かつ電子的な足跡が残らない優秀な通貨だ。スラムにいる人間にとってはこれほど扱いやすいものは無い。受け取ったかピンホールは上機嫌な様子でそれをポケットにしまった。
「OK。じゃあまず一つ目。夜逃げっていうけどそれにしては武装をやたらと買い込んでいたね。そして二つ目、やつらの行く末は知らないけどアジトなら知ってる。そちらでよければ案内するけど、どう?」
「案内しろ。そのあたりを含めての金だ」
「承知しましたー!」
そう、商談が纏まりかけた時だった。周囲が何やらどたどたと騒がしい。扉の向こうからざわめきが聞こえてきて、そして遂に怒鳴り声が響いてくる。他の客は迷惑そうな表情で、入ってきた闖入者を刺激しないよう息を潜める。入ってきた3人組には見覚えがあった。
一人は金髪のモヒカン、もう一人は坊主頭の男。そして最後の一人は見覚えのある姿である。まるで車に轢かれたかのような、全身汚れと傷まみれの、眼鏡をかけた男だ。三人とも皺とほつれが目立つ作業服を着ており、所々に防弾仕様の部分装甲を取り付けているあたり、荒事慣れしているようであった。金髪のモヒカンが唾を飛ばしながら俺達に叫ぶ。
「アニキを轢きやがって、許さねえぞ!」
……まったくもって当然の怒りであった。うちの先輩がすみません。
『BRIGADEの立ち位置』
徳川ネオインダストリー直属の特務部隊であるため、関連会社より立場は遥かに強い。徳川ネオインダストリーの一員である、関連会社社長レベル(王我の父親等)でもなければ、行動を止めることすら難しい。言い換えれば、彼らが扱うのはそのレベルの重大事件である。