車内の会話
「現地に向かうぞ。自治区地下12層。スラムと一般区画の中間だ。汚染区域からかなり近い、気にするならマスクを付けておけ」
俺と蟻正を乗せ、車は悠々と街並みをかき分け進んでいく。縦に何百メートルも伸びる、木のようなビル街にはツタのごとく道路が巻き付いている。技術上は装甲飛行船の方が使い勝手が良いのだが、保安の関係上未だに車がメインの移動手段である。とはいってもAI技術の発展により渋滞という概念は概ね解消されており、ほとんど止まることなく車は進んでいく。
乗っている車は迎えに来てもらったあの車である。一見4人乗りの、高級そうな黒色のスポーツカーだ。だが外装の材質は妙にざらざらしており、防弾加工がフルに施されているのがわかる。窓ガラスも異様なほどに分厚く、意地でも銃弾を通さない造りであった。
『本日のニュースです。緑生化学コーポの債務問題は未だに膨れ上がっており、株価の下落がとまりません。現在の社長は娘が超能力者であることが発覚し、社内では社長もミュータントではないかと噂されているようです。そのため社内の統制もままならず……』
ニュースが淡々と流れる車内だが、二人とも沈黙を保ち続ける。そりゃそうだ。互いに初対面、しかも年齢差は倍近い。沈黙に耐えきれなかったのか、蟻正は俺を見て疑問を投げかけた。
「君は映画「スラム・パンチ」を知っているかね?」
その映画の名前に聞き覚えはある。確かスラム街にいる人々が力を合わせ、大きな企業を立ち上げる話だったか。犯罪者の主人公達がついには他企業を乗っ取った瞬間が最高のシーンだったと記憶している。ただし、
「映像表現が残念でしたね」
最近の映画は五感に働きかけるモノや、もしくは体験型の物も多い。映画という言葉は使われてこそいるが、昔のものと比較すれば全くの別物だ。なのにスラムパンチは、今まで通りの映像表現のみの映画だったのだ。蟻正はふん、と鼻を鳴らし、こちらに振り向く。
「そうだな、確かにそこは貧弱だった。だが聞きたいのはスラムのリアリティだ。あの映画で描かれたスラムは現実に近いものだったか?」
「意図が分かりません」
「全く、先輩がわざわざ話の糸口を作ってやっているんだ。少しは察してくれ」
「超能力者じゃないので、わかりかねますね」
ここにきて俺は蟻正を若干以上に相手したくない人種だな、と考えていた。几帳面な正義漢。自分のキャラクターとは真逆であり、そりが合うとは到底思えなかった。「聞かせろ。お前の見解が聞きたい」そう聞かれて、うーんとうなりながら、とりあえず言葉をひねり出す。
「まず、スラムは一般社会とかけはなれているように描写されていましたが、そんなことはないと思います。企業の支配があるからこそ、誰もがそれを抜け出せる空間を求めている。だからスラムには多くの金が集まります。下手をすれば、自治区の中心より設備の良い場所もあります」
そう表現できるのにも理由がある。今のスラムはスラムではない。さらにもう一段階、最悪の区画があり、そこがかつての貧民街の役目を担っている。
「汚染区域。戸籍の無い人間が唯一住める場所。あの部分井ついて、映画では意図的にふれられていませんでしたが、あそこの治安が一番最悪で、映画の舞台と似ています」
「よし、最低限はわかっているようだな。汚染区域は変異したミュータントや超能力者がうようよする魔境だ。今回向かう場所はそこに近い」
汚染区域に行くほど人の数と金は減り、犯罪の割合が増える。カルト教団が潜伏できたのもそこが理由であろう。
蟻正の顔を改めて見る。彼はこちらがどれだけ情報を持っているのか測りかねているのだろう。購入した戸籍は一般的な市民のもの。だから俺をそういう部分と縁遠い、と判断するのは当然だ。蟻正は首をひねるが、違和感を一端横に置いて話を続ける。
「そんな危険な場所であまり機密を話すわけにはいかない。先に打合せを済ませておくぞ。まず支給品だ」
そういうと彼は端末を渡してくる。見た目は普通のタブレットPCだ。ホログラム投影式と異なり耐久性が比較的高いことで知られている。端末を覆うように金属と樹脂の分厚いカバーが取り付けられており、弾が掠った程度では壊れないようになっている。
「端末は暗号化及びID認証が済んでいる。ビルに出入りする際にはこのIDが必要だ。また、私たちと連絡をとるときはそれを使え」
いわれた通り開いてみるが、中身は通常の端末と何ら変化はない。おとなしくポケットに入れた俺を見て、蟻正はふと心配そうな表情になる。「そんな装備で、大丈夫か?」と聞かれ、改めて自分の武装を見る。
黒いTシャツの上に青色のジャケットを羽織っており、下には灰色のジーパンを履いている。今の姿はまるで普段着で、まともに戦闘する姿ではない。しかしその下には部分式の強化外骨格が覗いていた。
スラムから出る際に自費で購入した、業務用の強化外骨格である。ハイパーリムとは異なり、強化外骨格は脳に接続されてはいない。俺の筋肉の動きにただ追従するだけの、操作性の悪い旧世代の代物である。さらにこれは部分式だ。
外見は青い樹脂製のリング。それが肘や腰、膝など運動における要所にのみ取り付けられている。最低限の部品で最大限の出力、をモットーにしたこの強化外骨格の人気は低い。というのも、脊髄経由の信号ではなく、筋肉の動きに追従する形式である以上、全ての動作にラグが出るのは当然だ。だがそれに加え防御力がほとんどない以上、戦場で命を守るには余りにも頼りない。
一方で価格が安く、セキュリティチェックを潜り抜けやすいという利点がある。腰が悪い、低賃金労働者はこれを常時つけているのも普通だからだ。また、動作のラグや出力は俺の能力で無理やりどうにかできるのも、気に入っている理由の一つだった。
そして腰に付けているのは薄く、短い棒。強く握ると1m50cmほどまで伸びるスタンブレードでありる。切断力は護身用なのでたかが知れているが、ある程度重量があって電気を流せるのが優秀だ。
ポケットには同じく電流を流せるナックルダスターがある。そのいずれも、戦闘用というよりは護身用であり、自治区内部で簡単に購入できるおもちゃだ。どう見ても危険地帯に赴く格好としては不適切だ。
「これで十分です」
実際俺の超能力を考慮すると、あまり重装備でも意味はない。むしろ超能力の行使を如何に誤魔化せるか、の方が重要である。学生時代の授業で使い慣れているから変に崩したくない、と言うと怪訝な顔をしながら彼は疑問をひっこめた。
そうしているうちに道がだんだん、雑多な空気に変わってくる。先ほどまでは徳川ネオインダストリー標準の建物に、けばけばしい広告をつけた程度のものであったが、今ははっきりと異なる。建物そのものが法令の基準を満たしていないものでったり、半ば破壊されているようなものまで。明らかにご禁制の品を販売する店も見受けられ、蟻正は顔をしかめていた。
「まもなくパブだ。情報屋と待ち合わせしている、お前も顔を覚えておけ」
そういって蟻正は車のアクセルを踏み、さらに加速する。その瞬間、間の悪い男たちが俺たちの行く手を遮るように現れた。そろそろスラム街、犯罪の多くなる地域である以上、車を襲う奴らが出るのは当然だった。彼らは意気揚々と銃を構えるが、オチを理解した俺は目を背け、彼らの今後に祈りを捧げた。
「ヒャッハー、その高そうな車おいてけぐふぁあ!!!」
「「兄貴ー!!!」」
何かが吹き飛ぶ音と男たちの悲鳴が響く。……自己紹介に趣味、轢殺を追加するべきではなかろうか。
『治安』
この時代の治安は悪化の一途を辿っており、警察やそれに準ずる組織は銃の携帯を許可されている。蟻正の車のトランクには新人用のアサルトライフルが用意してあったが、主人公が拒否したため置物と化した。




