王我カナト
空音隊長と買い物に行ってから数日。俺は無事退院となった。見た目も感覚も、完璧に元通りである。そんな訳で、早速だが俺はやるべきことがあった。
そう、新居の準備である。空音隊長から許可を貰い、一日休暇を取得した俺は懐かしの学校に来ていた。目的は荷物の引き取り。何でも、学校側の個人情報保護規定がどうとかで、学生自ら取りに来る必要があるらしかった。
因みに休暇とのことだが、仕事は現状、ないらしい。というのも、BRIGADEには基本超やばい案件か、他所の手伝い以外は回ってこない。ハッカーとしての技能がある蟻正や、何でもできる変質者とかは引っ張りだこであるらしい。俺はまだ信用がないから、他所から頼まれることもない。結果、しばらくはフリー、とのことだった。
とはいっても学ぶことは無数にある。徳川ネオインダストリーの法律関係、組織の仕組みと各勢力、裏の伝手など、足りていないものばかり。だがいずれにせよ、まずは生活環境を整えてから、というのが空音隊長の言葉だった。
「久しぶり、ってほどでもないけれど」
校舎前。厳かなレンガ造りの校門に反し、その周囲にはきらびやかなビルが立ち並んでいる。空間のいたるところに広告が張り巡らされているが、今は少しなりを潜めている。理由は時刻が10時ごろ、絶妙に人がいない時間だからだ。
ビルの間を抜け、校門を潜る。警備員の前で端末を見せると、「しばらく待て」と言われる。一応今の俺は卒業生とはいえ所属している人間ではない。これ以上、無意味に中に入らせる必要はない、ということなのだろう。
しばらくして、向こうからとたとたと不安定な足取りで男が走ってくる。見覚えのあるその教師は、現代史担当の中島先生だ。3年に渡り授業を聞いていたから記憶に残っている。40歳くらいの、穏やかな笑みを浮かべる人だ。
「だ、大丈夫だったのかい、雪城君! 研修中に重傷を負ったと聞いたけど、汚染区域でひどい目にあったのか? やっぱり進学を進めていれば……」
こちらを見て、ほっとした様子で歩みよってくる。中島先生の脇には樹脂製のボックスがあり、俺の所持品が纏められている。俺は落ち着いて、と手で制す。
「大丈夫ですよ、汚染区域の清掃ではないですし、もう全快しました。元気だけが取り柄ですから」
「元気というよりは陰気が強かった印象だったけどね。でも、前から随分と顔が明るくなっている。変な薬物を摂取しているわけではないよね?」
ずっと心配されている。まあ、先生からしてみればそうだろう。中卒、後ろ盾無しの少年が就職し、数日で病院送り。もう何があってもおかしくない状況なのは間違いない。と、そこまで考えたところで一つ疑問が浮かぶ。
「あれ、就職先って知らないんですか?」
「汚職対策でね。校長はともかく、末端の教師には結果が知らされないようになっているんだ。一応統計という形では結果が分かるのだけど、まさか一人が徳川ネオインダストリー本社所属とは。やはり王我君なのかねぇ」
違います、それは俺です、とは口が裂けても言えない。言ったが最後、頭の心配と詐欺に巻き込まれていないかの確認が始まってしまう。適当に誤魔化しながら、ふと思う。
ああ、こんなに気にかけてくれる人がいたんだな。
中島先生とは、それほど深い仲ではない。学校外で話したことは全くないし、何かを共にしたこともほとんどない。
「すごく心配してくれるんですね」
「勿論。僕は大人で、君は子供だ。理由なんてそれくらいでいいんだよ」
疑問を口に出すと、中島先生は穏やかな表情でそう答える。少し、頭の中で疑問が解けた気がした。妙に空音隊長が優しい理由。イチロウや蟻正が俺を気にかける理由。それは、実力や利用価値や、そういった確固としたものとはまた別の理由もあるのだろう。
なら、もっと頼っても良いのかもしれない。そう思いながら礼を言い、荷物を受け取る。ずっと手を振ってくれている中島先生に頭を下げ、俺は校門を背に歩き出した。
◇◇◇◇
新居へ向かうには、磁気浮上式鉄道に乗り込む必要がある。電子掲示板にはいくつもの時刻と行き先が並び、地図と照らし合わせながら最適なルートを見つける。混雑対策のために、磨かれたタイルの上には無数の自動改札機が並んでいた。まばらな人込みの中で、改札に端末をかざす。当然の動作、当然の行動。だが、それが遮られる。
『エラー、無効なIDです』
「え……」
おかしい。俺のIDはさっきまで使えていた。何故急に使えなくなる。そう思っていると、急速に様々なメッセージが端末に並び始める。
『利用者へ:規約違反により、当該サービスの登録を解除しました』
『お知らせ:登録情報に虚偽があったため、以降このアプリは使用できません』
『重要な告知:治安維持部隊の勧告により本アカウントを凍結します。意義申請は――』
なんだよこれ。体が震える。個人用端末に入れている数多のアプリが、急速に使用不能になっていく。理由は登録情報、治安維持部隊。
漏らすのであればピンホールでないかと思っていた。だが真に悪意を持つものが、あそこにはいる。かつんかつんと、わざとらしく音を立てながら、張本人は近づいてくる。俺の顔を見てあざ笑うためだけに。
「落ちこぼれ君、どうしたんだい? まるでアプリもIDも無くしたかのような間抜け面じゃあないか。まあボクがやったんだけどね!」
金髪で背の高い少年。右手と右目を機械に置き換えた、王我コーポの御曹司。王我カナトが嫌味な笑みを浮かべてそこにいた。隣には護衛らしき黒服が二人、待機している。彼は手を高く掲げ、勝利宣言をした。
「お前、超能力者なんだってな。分かるか、超能力者は犯罪者予備軍。治安維持部隊の名前を使って、「このアカウントは犯罪者予備軍が使っています、削除を推奨します」と言えば一発さ。何と言ったって、超能力者の犯罪率はずば抜けている!」
王我は心の奥底から愉快そうに笑う。ふざけている。たかが嫌がらせのために、そこまでするというのか。彼を突き動かすのは、正義でも利益でも恐怖でもない。俺は不快を隠さずに、通知の鳴り響く端末から目を逸らして反論する。
「そうだな、超能力者に正規の仕事を一切与えなければ、自然とそうなる。犯罪率を上げているのはお前らじゃないのか?」
「じゃあもし、ボクたちが試しに超能力者に仕事を与えたら? 確かに正規の仕事につけるね。でも、それで犯罪率が変わらず、スラムの人間だけじゃなくて一般市民に被害を与えたらどうするんだい? 君は、被害者の前で、「必要な試験でした」とでも言うのかい!」
王我は耳障りな笑いをやめない。徹底的に、馬鹿にしにきている。中島先生とある意味同じだ。深い、確固たる理由などない。ただ俺が不快で、目障りだから。それだけの理由で王我はここまでの行為をしているのだ。
「汚職まみれの治安維持部隊が出しているデータだろ。信用なるかよ」
「なら、戸籍を偽造して学校に通っていた君はどうなるのかな~? おいおい、自分の犯罪行為を棚に上げるなよ、ゴミ。真正面から罪に向き合えよ。ここで土下座して、汚染区域で野垂れ死ねよ」
「お前……」
「おや、戸籍は大丈夫だと思った? 残念でした、偽造戸籍なんて許すわけがありません。というわけで、BRIGADEはクビ。今、お前は犯罪者になっちゃいました~! もう間も無く令状が出て逮捕できちゃうの、悲しいなぁ、本当に。同級生がこんなことになるなんて。いや、同級生でもないか、ミュータント。分かるか、どうしてこんなに簡単に崩れるのか。超能力者は普通の人間とは遺伝子レベルで異なる、化け物だ! ちゃんと利用規約は読めよ、化け物が利用『者』なわけないだろ!」
黒服がこちらに近づいてくる。その服の繊維に、銀色の光が混ざっていることに気付く。耐電繊維だ。彼らに捕まるのは論外だし、かといってここで暴力を振るえば、俺は更に罪を重ねることになる。
無言で顔を背け、俺は出口に向かって走り出す。背後のにやにやとした顔を振り払うように足を動かし、俺は街の隙間、誰も知らぬ裏路地に逃げ出した。
次話で暗い話は終わりです。順調にフラグを建築していく王我君……




