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次回予告2 前編

作者: 山崎 あきら






   次回予告

 史上最大、空前絶後……だといいなあ。

 次回「2021年の宇宙生命」宇宙を食らうもの。






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     2021年の宇宙生命


 故フレッド・ホイル先生の『暗黒星雲』を読み終えた。1957年の作品だけにコンピュータへの入力や出力に多数の穴を開けた紙テープを使っていたりするのだが(昔はモニターもなしで、とにかく紙だったんだよ。最後の一文字をタイプミスしたらすべて廃棄して最初から打ち直しとかさあ。まあ、停電したらデータがすべて消えるというようなことはなかったのだけれど)、これは何というか、「うわっ、SFだ!」という感じの長編だった。こういうガチガチのハードSFを読んだのは藤井太洋先生の『オービタルクラウド』以来のような気がする。その前は野尻抱介先生の『ロケットガール』シリーズかなあ。

 この小説は木星と土星の軌道の異常をきっかけにして、光を出さないガスの塊が太陽系に侵入してきたことがわかるというところから始まる。主人公を含む科学者たちはそれを詳しく観測し、予想される災害に備えるように全世界に警告しようとするが、政治家は地球全体に迫る危機ですら利用することを考える。その後、この暗黒星雲は減速して太陽と地球軌道の間に居座り、定期的に太陽光を遮られる事になった地球は大規模な異常気象に襲われる。

 主人公たちは備蓄しておいた食料や燃料で耐え凌ぎながら暗黒星雲の観測を続けた末に「これは知性体ではないか」という考えの基にコンタクトを試み、それに成功して「ジョー」と名付けた暗黒星雲と会話を始めるのだ。このジョーは『ふわふわの泉』に出てくる霧子ちゃんを大人の男性にしたようなキャラだと言えばわかる人にはわかるだろう。〔読んでない人にはわからんぞ〕

 この作品で個人的に印象に残っているのは科学者グループが暗黒星雲に向けて英語を送信するシーンだ。今ならここは素数列を使うところだが、この暗黒星雲は宇宙船に乗ってきたわけでもない、言わば体一つで宇宙を渡り歩く知性体なのだ。当然コンピュータなど持っているわけはないし、「数」という概念すら必要としていないかもしれない。あの恒星の方へ行くためには反対方向へ質量を放出すればいい、という程度の知識があれば十分生きていけるだろう。もしも彼らが素数列を送信していたら、コンタクトは失敗して地球人類は暗黒星雲が自主的に太陽系を去るまで天変地異に耐え続けるしかないという結末になっていたかもしれない。もちろん、それでは面白いお話にはならないわけだが。

 実は作者も2年くらい前に、ある惑星の地下深くで1個体だけ生き残っていたケイ素生物とピジンイングリッシュ(単語数を減らし、文法も簡略化した英語)を使ってコンタクトするという短編を書いている。なぜそんなものを書くことになったかと言えば「地球外知性体と遭遇したら、まず素数列を送信してコンタクト」という手順に疑問を感じていたからだ。太陽も星の運行も見えず、季節の変化もない地下深くに棲み、地震波を使って会話する知性体は「数」という概念すら知らないだろう。そういう相手には素数列は使えないぞ、と思ったのである。こんな作品がすでに書かれているのを知っていたら書かなかったんだが。

 地球外知性体と遭遇したらまず素数列というやり方が一般的になったのはコンピュータが普及したからだろうと思う。「宇宙船に乗っている宇宙人ならコンピュータも使っているはずだ。そしてそのコンピュータも二進法で動作するだろうからコンピュータ同士で会話させればお互いに楽ができる」ということなんだろう。1950年代ではともかく、今ならそういう考え方も正しいような気がする。しかし、地球人が他の星系へ進出する時代が来て、宇宙船になんか乗っていないし、コンピュータも使っていないし、素数列も知らないが知性は持っているというような地球外生命体と遭遇した場合はどうするんだ? この場合はもう、相手の言葉を憶えるか、相手に地球の言葉を憶えてもらうしかあるまい。

 さてさて、話は変わるのだが、この暗黒星雲は地球よりは大きいが太陽系からはみ出すほどの大きさではないようだ。質量も木星程度ということになっている(それでもソラリスの海よりもはるかに巨大な生命体だが)。そこで、過去のSFに登場した巨大生命体について調べてみたのだが、これがなんとも……。

 作者はまず故横田順彌先生の荒熊雪之丞シリーズに出てきた「しもやけ宇宙」の本体の大きさを計算してみたのだが、あの宇宙の身長(?)は300メートル台でしかなかった! キロメートですらないのだ。これでは、あの世界の1メートルは我々の世界の1光年に相当するというような設定が必要になりそうだ。

 と思っていたら、2009年にピーター・ワッツ先生の『島』が発表されていた(日本語訳は2019年)。この作品には直径2億キロの地球外生命体が出てくる。これだとだいたい金星軌道くらいの大きさだ。ただし、厚さは「2ミリかそれ以下」らしい。光合成をしているということだったからシャボン玉のような植物知性体と言えるかもしれない。

 どうも小説の世界では知的生命体の巨大化が難しいようなので、マンガの世界まで視野を広げてみると、諸星大二郎先生の『暗黒神話』に出てくるラスボス(?)のスサノオがあった。これがオリオン座の暗黒星雲と同じものであるならば数光年(1光年は約9.5兆キロ)の大きさだ。ただし、生命活動についての記述はなかったから生物学者には「そんなものは生物とは言えない」と突っ込まれる可能性はある。主人公と会話していたから知性体なのは間違いないだろうが。

 作者は小説世界の人間なのでマンガや映画には負けたくない。そこで、もっともっと巨大な生命体ということで、我々が生きているこの宇宙そのものを138億年前に生まれた生命体にしてしまおう。ウィキペディアによると、地球から観測できる宇宙光の地平面までの距離はあらゆる方向に約465億光年だそうだから、少なくとも直径930億光年以上の生命体にできるはずだ。ただし、この大きさでは地球人と会話できるとは思えないし、地球人に認識できるタイプの知性体にするのはかなり難しいだろう。逆に言えば、その問題さえ解決できればギネス級の作品が書けるわけだ。才能がある人はチャレンジしてくれたまえ。

 そして、これだけの大きさだと生物学者の先生たちから「そいつは何を食べてるんだ」とか「どうやって排泄してるんだ」とか言われそうなのだが、そういう突っ込みに対しては観測できない多数の宇宙が存在するというマルチバース宇宙論で対応しよう。つまり、この宇宙は他の宇宙を食べているのだ。宇宙の膨張速度が加速しているという現象もこの宇宙がまだ成長期なのだということなのかもしれない。排泄もこの宇宙から放出される別の宇宙という形で行われているんだろう。

 しかし、その排泄物宇宙でも知性体が生まれていたりしたらかわいそうだな。そしてもっと嫌なのは、その排泄物宇宙の中に我々の太陽系が存在しているというオチだろうなあ。〔やめんかい!〕



   次回予告

 翼の位置と面積が問題だ。

 次回「天使の惑星」子どもはもう寝る時間だよ。




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     天使の惑星


 昔、何かのSFで「天使は飛べない」というような記述を見た記憶がある。最近それを思い出したので、ダヴィンチとヴェロッキオの共作と言われている『受胎告知』をチェックしたのだが……翼の位置とその面積に問題があるね、これは。ここに描かれている大天使ガブリエルはマリアさんのところまで歩いてきたんじゃないかと思ったくらいだ。ジオン公国の整備兵なら「あんなの飾りです」と主張するところだろう。

 まず翼の位置について検討してみよう。天使の翼はだいたい背中の上の方に付いている。しかし、ヒトの体の重心はへその辺りにあるのだ。天使の体の重心がヒトと同じ位置にあるとすると、彼らはほとんど直立姿勢のままで飛行することになるだろう。1984年のロサンゼルスオリンピックの開会式に登場したロケットマンのような飛び方だ。鳥のようなスピードは出せないだろうがこれでも飛べる、というか浮くことはできる。ただ、真下から見上げられた時のためにスパッツを着用する必要はあるかもしれない。

 直立姿勢で飛ぶとなると、背中にある翼というのは肩が羽ばたきのじゃまをするから効率が低下する。できれば肩から横に生えているという形にしたいところだ。あるいは、肩の内部にもう一つ関節を追加して、羽ばたく時には肩幅を狭くするという手もあるかもしれない。

 羽ばたき方も一般的な鳥のそれではなく、ハチドリが得意なホバリング用の羽ばたきにする必要がある。つまり後方へ羽ばたく時には翼を裏返しにして、前後どちらの方向へ羽ばたく時にも揚力を発生させるのだ。そして、こういう飛び方をするのなら、できるだけ高度を低くした方が下向きに押し出された空気を地面が受け止めてくれる分揚力が増加する。この地面効果を利用するなら足の裏が地面から離れたら水平に滑っていくような飛び方が有効だろう。あ、そうか! これならスカートの中を覗かれることはまずないからスパッツはいらないのだ。深いなあ。

 なお、ホバリングは優雅さと神秘性を演出するのにはいいかもしれないのだが、地面が乾いていると埃が盛大に舞い上がってしまう。多分ガブリエルさんは雨上がりの、地面がまだ湿っている時を選んでマリアさんの前に現れたのだろうな。

 もっと高度を取って鳥のような水平姿勢で飛ぶこともできなくはない。重心の位置を翼の辺りまで上げればいいのだ。まず、脚はツルのように細くしよう。走る必要がないのなら体重を支えることさえできればそれでいい。重い消化器官は胸まで持ち上げて軽い肺と入れ替えよう。気管が長くなると呼吸の効率が低下するのだが、それは鳥の気嚢のような高効率の呼吸システムを採用することでカバーしよう。後は細かい調整を加えれば、水平姿勢で飛行することができるんじゃないかと思う。

 翼面積については、ハンググライダーの翼がだいたい畳9枚分くらいになるらしい。ヒトが羽ばたくこともせずに滑空するだけでもそれだけの翼面積が必要なのだ。『受胎告知』に描かれているガブリエルさんの翼では全然足りない。あの翼がコンドルと同じくらいだとすると翼開長3メートルくらいだが、コンドルの体重は10キロちょいにしかならない。ヒトをここまで軽くするのはかなり難しい。骨と皮のように見える病人でも30キロくらいにはなるだろう。骨を中空構造にして、脚も鳥のように細くして、気嚢システムも取り入れて、それでもまだ足りないだろうからドレスの下に水素ガスで膨らませた風船を仕込むようかもしれない。

 ガブリエルさんはそれでなんとかなるとして、翼を持った幼児タイプの天使はたいてい裸だからごまかしが効かない。となると……あの体そのものを水素ガス入りの風船にしてしまうか? 内臓も脳も必要最小限まで軽量化しておいて、内部の水素ガスの圧力であのプクプクした体型を形作るのだ。うまくいけば骨格もなくしてしまえるかもしれない。こうなると翼の付いた超小型の軟式飛行船だな。当然風が強いと押し流されてしまうから、朝夕の風が穏やかな時間帯以外は室内でふよふよ浮かんでいるようかもしれない。外に出ている時に風が強くなったら木の枝にしがみついてひたすら耐える、とか……。

 さて、ここまでは地球上の話。他の恒星系にはもっと天使向きの地球型惑星も存在するらしい。

 1992年、最初の太陽系外惑星が正式に確認された。それ以後観測された系外惑星の多くは木星のような巨大ガス惑星だったのだが、観測技術・精度が向上した2005年以降は地球の数倍程度とみられる惑星も報告されるようになったのだそうだ。

 これらのうち地球の数倍から10倍程度の質量を持つ地球型惑星をスーパーアース(巨大地球型惑星)と呼ぶ。こういう惑星は重力も大きいので、より多くの大気をつなぎ止めることができる。そのために地表面近くの気圧は高くなって、浮力もより大きくなる。つまり比較的小さな翼でも十分な揚力を発生させられる可能性があるわけだ。それなら脚で体重を支えながら地上を歩くよりも、飛行した方がエネルギーを節約できるということになるかもしれない。実際、地球の昆虫の多くが羽を持つのは飛んだ方が歩くよりも楽だからだ。

 こういう高重力の地球型惑星で生まれた魚から陸棲動物が進化したとしたら、彼らは体重を支えるために六本足になる可能性も十分にあるだろう。そういう六本足の哺乳類の中から2本の脚を翼に変えて空へ進出する者たちも当然現れるはずだ。空中を主な生活の場にするのなら脚はもっと少なくてもいいから、さらに2本を腕に変える。指を器用に使えば脳が刺激されて知性化していく。こうしてこの星は「天使の惑星」と呼ばれるものになっていく……のはいいとして、現代の最新鋭の観測システムを使っても彼らの姿までは見えないはずだ。聖書が編纂された頃の地球人がなぜ彼らの姿を知っていたのだろう? まさか、彼らは機械的には検知できないが生身の脳ならば感じることができる信号を発信していたとでもいうのか……などと思ったら大間違いである。

 現代において一般的な、翼を持つヒトという姿の天使が定着したのは中世のヨーロッパにおいてであるのらしい。初期のキリスト教では、天使は翼を持たない姿で描かれることもあったのだそうだ。また、聖書に出てくる天使のケルビムは4つの翼を、セラフィムは6つの翼を持っている。そして天界から追放されて堕天使と呼ばれることになるルシファーは12枚の翼を持っていたとされている。何だかな……こうなると化け物とか妖怪とかのたぐいとしか思えない。

 結局のところ、天使というのは「なぐごはいねがー」と吠えるなまはげと同じで「いつまでも起きてると……天使が来るよ!」と子どもたちをベッドに追い立てるための存在だったみたいだよ。



   次回予告

 超新星爆発を生き延びたものたち。

 次回「エックス線合成植物」真空の中で生きていく。




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     エックス線合成植物


 地球の植物が光合成のためのエネルギー源としている太陽光は電磁波の一種だ。明確な境界はないのだが、大ざっぱに言うと、電磁波は波長が長い方から電波・赤外線・可視光線・紫外線・エックス線・ガンマ線と呼ばれている。この波長が短くなればなるほどエネルギーが大きくなる。赤外線こたつは暖かいだけだが、いきなり強い紫外線を浴びると日焼けの段階を通り越して肌が真っ赤になってしまうのはそのせいだ。英語ではサンバーン、つまり太陽火傷と呼ばれる症状である。この紫外線ですら皮膚の細胞内のDNAの二重鎖を切断するほどのエネルギーを持っているのだが、エックス線だとさらに体の深い部分まで到達してDNAを傷つけるし、ガンマ線はがん細胞を殺すのにも使われている。

 さてさて、我々の太陽よりも軽い恒星の中には赤から赤外線にかけての光を長期間放ち続けるものたちもいて、そういう恒星系では赤外線を使って光合成をする植物も存在しうると言われている。それなら逆に、可視光線よりも波長の短い紫外線やエックス線やガンマ線を使って光合成をする植物も存在できるはずだ、と作者は考えてしまったのだ。〔よせばいいのに〕

 後悔しなかったとは言わないが、思いついてしまった以上は納得いくまで考え抜かなければなるまい。そこでエックス線について調べ始めると、いきなりハードルが現れたのだった。なんと、エックス線は大気の層に数メートルしか侵入できないというのだ。となると、この植物が生えている惑星には大気がないことが必要になる。それでは有機物の原料である二酸化炭素が手に入らない……と思って諦めかけたのだが、二酸化炭素は気体でなくても地下水に溶け込んでいる炭酸ガスなり炭酸イオンなりの形で存在していれば使えるのだった。または石油のような液状の炭化水素があるなら、それをいったん小さな分子に分解してから使うということもできるだろう。

 次のステップだ。地球型の生物が生まれるような惑星には大気が存在するだろう。エックス線合成植物が生まれるためにはそれを取り去ってしまう必要がある。それにはエックス線源となる中性子星やブラックホールが生じるプロセスである超新星爆発を利用しよう。

 我々の太陽程度の質量を持つ恒星の場合、中心部の水素を使い尽くすと核融合によって生じたヘリウムからなる中心核とそれを取り巻く水素の外層という構造に変わる。この水素の層では核融合が促進されるので、恒星は重力に逆らって膨張し始める。これが50億年後には地球を呑み込んでしまうと言われている赤色巨星の状態だ。赤色巨星の外層は恒星の中心から離れているために重力による束縛が弱く、徐々にガスが流出していって、ついには星の中心核が露出する。この白色矮星ではもう核融合は起こらないので、後はゆっくり冷えていくだけである。

 太陽質量の8倍以上の恒星が寿命を迎えて中心核の質量が増えていくと、それを構成する原子の中の陽子が電子を取り込んで中性子に変化し始め、電子同士が反発する力(縮退圧)が減る。擬人化するならば、満員電車の中で陽子ちゃんを守ろうとして腕を突っ張っている電子ちゃんを「もういいよ。そんなに頑張らなくても」と陽子ちゃんが優しく包み込んで合体し、中性子ちゃんに変身するのだと言えるだろう。すると、電子ちゃんたちが消えた分、電車の中に隙間ができてしまう。その結果、電車の外にいた他の女の子たちが一斉になだれ込んできて、瞬間的に定員を大幅に超過した電車は破裂してしまうのだ。これが超新星爆発で、爆発の後に残った中性子の多い高密度の原子核の塊が中性子星である。もっと質量の大きい恒星だとブラックホールになってしまうわけだが、中性子星で踏みとどまれるか、果てしなく潰れていってブラックホールになってしまうかの境界条件はまだよくわかっていないらしい。いずれにせよ、これらの天体はエックス線やガンマ線を放出するようになるので、それを利用せざるを得なくなるわけだ。

 恒星が超新星爆発を起こすと衝撃波が宇宙空間を伝わっていく。この衝撃波によって大気を吹き飛ばしてしまえば大気のない惑星ができるだろう。岩の表面にへばりついて生きていた植物ならば、地上のほとんどの生物が大気ごと吹き飛ばされてもすぐには死なないはずだ。後は光合成のエネルギー源である電磁波の波長帯をエックス線の領域までシフトするだけでいい。まあ「だけ」と言えるほど簡単ではないだろうが、不可能ではあるまい。

 ああっと、火山活動が続いている惑星だと火山性の大気が復活してしまうな。それにエックス線合成に伴う廃棄物である酸素も問題になるかもしれない。火山性の大気の場合は軽いガスを詰めた気球のような器官を獲得して大気圏上層部まで上昇し、そこからさらに大気圏外まで枝葉を伸ばして十分な強度のエックス線を利用するという手が使えるだろう。これなら大気中の二酸化炭素も使える。ただ、樹木が水を吸い上げられる高さの限界はは130から140メートルと言われているので大気層が厚くなると対応できなくなってしまう。そうなると、定期的に地上まで降下して根を下ろし、水と炭素源、それにリンやカリウムなどのミネラルを吸い上げてから、またエックス線を求めて空へ舞い上がるようかもしれない。『天空の城ラピュタ』のラストシーンのようなイメージだな。大気圏上層部と地上を行き来しながら風任せに生きている気球植物……これはなかなかいい絵ではあるまいか。

 植物が放出する酸素もいずれは問題になるはずだが、地表面の鉱物が酸化され尽くすまでは何億年もかかるはずだから、それだけの時間があれば酸素を使って生命活動を行うような生物も現れて酸素を消費してくれるだろう。

 葉の厚さも問題になるかもしれない。地球の植物の多くが扁平な葉を持っているのは光合成のためにより多くの太陽光を受ける必要があるからだ。植物の側から見れば、太陽の光は弱すぎるということになる。しかし、エックス線は我々の体を通り抜けてフィルムに到達するほどのエネルギーを持っている。エックス線合成植物はそのエネルギーを何とかして弱くしないと合成される有機物の量よりも破壊される方が多いということになってしまいかねない。それを防ぐ為には多肉植物のような分厚い葉にして、必要ならさらにその表面に適度な厚さの鉛の層を形成するのが有効だろう。鉛の層があれば宇宙空間へ水が蒸発していってしまうのを防ぐこともできそうだ。宇宙空間に伸びる鉛色の多肉植物……ラピュタではなくなってしまったな。

 そして傷つきやすい遺伝子も予備をたくさん用意しておくか、または傷ついた遺伝子を素早く確実に修復するようなシステムを備える必要もあるかもしれない。

 しかし、ここまで考えてエックス線合成植物を作っても、その惑星で生きていた知的生物が絶滅していたらお話を作りようがないんだよ。やれやれ……。



   次回予告

 呪われた方程式。

 次回「アルベルト殺し」そして何もいなくなった。




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     アルベルト殺し


 タイムマシンを手に入れた一人の過激な平和主義者は1896年のチューリッヒ連邦工科大学に潜入した。光の夢を見る前にアルベルトを暗殺するために、だ。

 アルベルトがいなければヒロシマとナガサキで何十万人もの犠牲者が出ることはなかったはずだ。チェルノブイリやフクシマの事故も起こらない。先進国の発展は遅れるだろうが、これほど多くの命を犠牲にしてまで発展させる価値がある文明などありはしないのだ。

 彼は首尾よく、ただの成績の悪い学生だったアルベルトを殺すことに成功した。もはや放射能に怯えずに済む暮らしが約束された、と思われたのだが……。

 彼が現代に帰還してみると、そこにはほとんど何も変わらない文明社会があった。原爆は投下され、原子力発電所も稼働している。そこで調べてみると、アルベルトの遠縁にあたるアメリカ人のアルバート・ストーンがあの論文を発表していた。もしかすると歴史の自己修復作用のようなものが働いたのかもしれない。

「負けるかあ!」

 彼は再びタイムマシンに乗ってアルバートを暗殺しに行く。

 アルバートの暗殺に成功しても、今度は別のロシア人が論文を発表している。そして、この3人の顔立ちはどことなく似ているような感じがある。いくら暗殺を続けても同じような顔立ちの日本人が、インド人が、イギリス人があの論文を発表していく。やはり、あの論文を発表する顔立ちというものがあるようだ。あるいは……あの公式に選ばれることによってアルベルトになってしまうという可能性も否定できない。

 彼は論文を確認する度にそいつらの過去へ遡行して暗殺するということを繰り返しながらアルベルトに特有の顔を認識するソフトを開発し、それを世界中の監視カメラに侵入させた。アルベルトになりそうな奴らを特定して暗殺していくためだ。

 データが集まってくると、将来アルベルトを生み出すことになる血筋を特定することもできるようになった。これで、はるか昔にまでさかのぼってアルベルトの先祖を暗殺できるようになる。暗殺の効率は飛躍的に向上することになった。すでに現代に存在するはずだった数百万人を実質的に抹殺していたが、ここで諦めたらすべてが無駄になってしまうのだ。 

 問題はジャングルやサバンナ、砂漠のような辺境地帯だ。こういう所で生まれたアルベルトも、時間はかかるにせよ、いつかは論文を書くことになる。そこで彼はアルベルトが現れそうな地域を予測するプログラムも開発した。その地域の過去に赴いて、将来アルベルトを生み出すことになる人々を皆殺しにするのだ。

 こうして現代に存在するはずだった人々の数パーセントを実質的に抹殺したところで彼は気が付いた。もっと、根本的な対策が必要だ、と。

 彼は20万年前のアフリカ東海岸に赴き、まだ数百人しかいない初期のホモ・サピエンスを皆殺しにしてしまった。これでもうアルベルトが現れることはないはずだ。

 しかし、何ということか、ネアンデルタール人のアルベルトが彼らの文字で洞窟の壁にあの方程式を書き残していた。

 ネアンデルタール人を皆殺しにしても北京原人のアルベルトが、さらにアファール猿人のアルベルトも現れる。

 頭にきた彼は700万年前のアフリカに行き、直立二足歩行を始めたばかりの初期人類を皆殺しにした。すると今度はチンパンジーのアルベルトが現れる。チンパンジーを皆殺しにしてもゴリラのアルベルトが、さらにはオランウータンのアルベルトまで現れる。

 類人猿の祖先を皆殺しにしても、より原始的なキツネザルのアルベルトが現れる。

 新生代初期へ赴いて樹上生活をしている霊長類の祖先を皆殺しにすると、ネズミのアルベルトが花束を抱えて現れる。

「あるジャーノンかよ!」

 彼はタイムマシンを駆って中生代ジュラ紀を目指した。恐竜の足元でちょろちょろしている初期の哺乳類を皆殺しにするためだ。

 しかし、現代に戻ってみるとニワトリのアルベルトが現れていた。鳥の祖先は恐竜だ。三畳紀までさかのぼり、森の中に分け入って、水平姿勢で二足歩行をしているやつらを皆殺しにする。するとやっぱりワニのアルベルトが現れる。

「やらせはせん!」

 彼は3億年前のゴンドワナ大陸でマシンガンを腰だめにして撃ちまくり、爬虫類の祖先を皆殺しにした。

 すると案の定、カエルのアルベルトが現れる。両生類は水中にいるものも多いので厄介だ。ダイナマイトを岸から放り込み、気絶して浮かんできた奴らを皆殺しにしてしまう。〔ダイナマイト漁は環境破壊の大きな原因になります。よい子は真似しないでね〕

 陸棲の脊椎動物がすべて消え去った世界へ戻ってきた彼が一息ついていると、机の上のパソコンがアラーム音を発した。モニターを確認すると見慣れたリビングに置かれている水槽の中の金魚の顔がターゲットコンテナで囲まれている。

「おまえもアルベルトになるのか……」

 彼は涙を流しながら金魚を暗殺するのだった。

 しかし、いつまでも悲しんではいられない。広大な海のどこかに現れるであろう魚のアルベルトの暗殺はきわめて困難だ。そして、例え魚を皆殺しにできたとしても、アンモナイトや三葉虫などからアルベルトが生まれてくる可能性が否定できない。さらに肉眼では見つけられないような単細胞生物のアルベルトまで現れたらどうしたらいいのか……。

 彼は思い切って顕微鏡を片手に40億年前に赴き、生命活動を始めたばかりの有機物の集合体を暗殺した。

「終わった。何もかも……」

 すべての生物が消えた世界に戻った彼がふと気が付くと、心の中にあの方程式[E=mc²]が現れ、この式を発表しろという声がどこかから聞こえてくる。

「……そうか。俺が最後のアルベルトになったのだな……」

 そうつぶやいた彼はテーブルの上に置いてあった拳銃に手を伸ばすのだった。

          完



   次回予告

 ペニシリンや発がん物質を産生したり、美味しかったり、有毒だったり。

 次回「カビカビの黄昏」彼らがいなかったら恐竜も生まれなかっただろう。




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     カビカビの黄昏


 日が落ちるのが早くなってきたし、気温も下がってきたので秋用のグローブを出してみたら、手のひら側に白っぽいカビが生えてしまっていた。作者の部屋は湿度が下がりにくいので(夏場だと90パーセント以下にはならない)、衣類は風通しのいい状態で保管するようにしていたのだが、もしかすると洗濯しないでしまい込んでしまったのかもしれない。

※実は翌年もカビた。カメラ用のカビ防止剤といっしょに密封するしかないようだ。あるいは使い始める前に一度洗うか、だな。


 カビは菌類、狭義には真菌類に属する。実はこの菌類というグループが相当にややこしいシロモノなのだ。ウィキペディアによると「真菌類は、キノコ・カビ、単細胞の酵母、鞭毛を持った遊走子などの多様な形態を示す真核生物であり、菌界に分類される生物群である。大部分の菌類は外部に分解酵素を分泌して細胞外で養分を消化し、細胞表面から摂取する従属栄養生物である」のだそうだ。

 ちなみに、世界初の抗生物質であるペニシリンが発見されたのはアオカビからなのだが、天然の物質中では最も強い発がん性を持つアフラトキシンを産生するのもアスペルギルス属のカビである。マツタケもシメジもベニテングタケも、触れるだけで皮膚がただれることがあるというカエンタケも真菌に含まれる。漢方の生薬などに使われる冬虫夏草も本来はチベットに棲息するガの幼虫に寄生した真菌である。酒造りに欠かせない酵母は単細胞だし、出芽で繁殖するのだが、細胞内に胞子を形成するので真菌の仲間ということにされている。どうも菌類というのは原始的な真核生物をひとまとめにしてしまった分類群のような気もする。

 ここで注意しなければならないのは南方熊楠先生が研究したことで有名な変形菌(粘菌)で、このアメーバのように這い回りながら微生物を食べ、カビのように子実体を形成して胞子により繁殖する生物は、最近の生物学の分類では菌界から外されたらしい。真菌門のみが菌界ということになったようだ。

 また「真菌」という用語も生物学の分類としては使われなくなっているのらしい。ところが、医学の分野では病原性の菌類を細菌や変形菌と区別するために「真菌」が現在も使われている。というわけで、菌類の研究者が皮膚科の医師の診察を受けたりすると困ったことになるのである。

「真菌症ですね。いわゆる水虫です」

「なるほど、菌に感染されてしまいましたか」

「真菌、です」

 こういう場面では生物学者の側が妥協するしかないんだろうな。

 そして最近の研究結果によれば、菌類は進化的に植物よりも動物に近縁だということがわかってきたのらしい。つまり、植物と動物と菌類の共通祖先からまず植物が枝分かれし、その後に動物と菌類が分かれたというわけだ。なんだか、風呂場の黒カビも身近な存在のような気がしてくるなあ。これがほんとの親菌感だ。〔掃除はしろよ〕

 さてさて、もしも菌類が存在しなかったら、地球はどんな星になっていただろうか? 

 第一に酒が造れない。まあ、飲まなければいいというだけの話だが。

 第二にペニシリンが造れないから人類の死亡率が低下しない。人口増加のペースが低下して、その分自然破壊が進行しにくくなるだろう。ああっと、アフラトキシンによるがんの発生率も低下してしまうからプラマイゼロかもしれないな。

 第三に、古生代石炭紀末(約3億年前)からブレーキがかかるはずだった石炭の生成がそのまま続いていくことになる。

 これについては少し説明が必要だろう。白井貴先生の『奇妙な菌類』によれば、石炭紀末に植物の細胞壁に含まれる難分解性高分子であるリグニンを分解できる菌類が進化したことにより、地中の植物遺体に由来する石炭の形成量が減少してしまったのらしい。つまり、菌類が石炭紀を終わらせたというわけだ。

 石炭が形成され続けると、大気中に放出される二酸化炭素の量が減るはずだ。すると、デボン紀中期(約3億9000万年前)から始まる高酸素濃度・低二酸化炭素濃度の環境がそのまま続いていく可能性がある。史実では石炭紀中期から氷河ができる程度まで地球全体の気温が低下しているのだが、二酸化炭素濃度が上昇しないと、気温が低いままペルム紀に突入してしまうことになる。ペルム紀末には大規模な火山噴火によって大量の二酸化炭素が放出されることになるのだが、これによる気候変動も緩和されることになるだろう。

 中生代に恐竜が繁栄できたのは気嚢という哺乳類の横隔膜よりも効率的に酸素を取り込める呼吸システムを獲得できたからだという説がある。高酸素濃度で低温という環境では気嚢の優位性が失われ、単弓類(哺乳類の祖先)からワニの仲間へ、そして恐竜へという覇権交代が起こらない……。なんてこった! ティラノサウルスもトリケラトプスもアパトサウルスも生まれないぞ。

 こうなるともう、古生代・中生代・新生代という区分も必要ないということになる。せいぜい地上に生物がいるかいないかの違いしかなくなってしまうのだ。

 そして中生代の海水温が低下することによってプランクトンが減少することもあり得る。現在、石油の起源として主流になっている生物由来説に従えば、海底に降り積もった生物の遺骸が土砂に埋もれ、高温と高圧によって石油や天然ガスに変化したということらしいから、中生代が寒冷気候になってしまうと、それだけ石油の生成量が減ってしまう。したがって産業革命以降に起こるはずだった石炭から石油へという燃料の転換が起こらない。列車はもちろん、自動車も蒸気機関で煙を吐きながら走ることになるだろうし、都市は常にスモッグに覆われて太陽が見える日は年に数回ということになっていたかもしれない。その対策として石炭火力発電から一気に原子力発電へ移行してしまうとか……。我々は少なくとも大気汚染を抑制したという点に関してだけは菌類に感謝する必要があるかもしれない。

 さらに、2億年前くらいに、しっぽが短くて牙を持つトカゲというようなスタイルの単弓類から直立二足歩行に移行して知性を獲得する者たちが現れてしまう可能性もある。前にも書いたが、この哺乳類の祖先は乳房を持っていなかった。当然、そういう単弓類のお母さんは栄養豊かな汗という形で母乳を分泌することになるだろう。卵を産むくらいは許容範囲内だけれど、おっぱいだけはなくならないで欲しいなあ。〔……スケベ……〕



   次回予告

 ザリガニ、ウニ、ウナギ、マンボウ、そして昆虫。

 次回「変態惑星」星間戦争勃発。




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     変態惑星


 生物学で言う「変態」とは動物の正常な生育過程において形態を変えることである。変態を必要としない人間の性的倒錯者どもには「ヘンタイ」という表記を使った方がいいのではないかと作者は思う(英語圏ではすでに[HENTAI]という用語が定着しているそうだ)。

 さてさて、甲殻類に共通の最も初期の幼生はノープリウスと呼ばれるプランクトンである(ただし、カニではノープリウスの段階が存在しない)。ノープリウス幼生は体が頭部・胸部・腹部に分かれていない、左右に動く大顎と体の先端に1個だけの単眼を持つといった特徴を持っている。「ノーガードで食いまくれ」という戦略を採用しているのだろう。

 その後、眼が2つあるゾエア、メガロパと脱皮と変態を繰り返し、成体と同じ姿になると底生に移行する。面白いのはザリガニやサワガニなどの淡水に棲む甲殻類で、比較的大型の卵の中で発生を進めて、卵から孵った時点ですでに成体をそのまま小さくしたような姿になる直接発生を行う。その上、母親が子どもたちをある程度大きくなるまで保護するのだ。これは彼女らの母性本能の強さを表している……わけではなく、遊泳能力がほとんどないプランクトンでは海まで押し流されてしまうおそれがあるからだろう。

 ウニやヒトデやナマコのような棘皮動物の成体は五放射相称の体を持っているが、孵化後の幼生の体は左右対称になっている。その後、海底に定着してそれぞれの体型になるらしい。ある程度は遊泳できないと生息域を広げられないのだろうな。

 ホヤも幼生時代はオタマジャクシ形をしていて、成体になると海底の岩などに定着するのだが、その段階で脊索を消滅させる。移動しないのならなくてもいいということだろう。

 ウナギの幼生レプトケファルスは、柳の葉のような平たい形をしている(海流に乗りやすくするためらしい)。そして沿岸域にたどり着いてからウナギらしい棒状の体型シラスウナギに変態して河川を遡上する……のだが、遡上せずに沿岸域に留まる個体もいるのだそうだ。何しろ海の中のことなので観察が行き届かないらしい。

 フグの仲間であるマンボウの稚魚は全身にトゲが生えていて「コンペイトウのような」と形容される丸っこい姿をしている。その後、一時的にトゲが長くなってハリセンボン体型に変化してから成体になっていく。マンボウの雌が一度に産む卵の数は3億個とも言われるから、このトゲは少しでも生存率を上げるためのものなのだろう。

 昆虫には不変態(無変態)・不完全変態・完全変態・過変態・新変態・前変態などがある。

 不変態とは成長過程で形態がほとんど変化せず、脱皮によって大きさだけが変わることで、シミとイシノミだけが行う。面白いことに彼らは幼虫も成虫も交尾・産卵が可能であるのらしい。ヒトに例えると小学生が妊娠・出産するようなもので異様なイメージだが、比較的安定した環境で逃げることのない餌を食べる生活ならそういう戦略も有効なのだろう。〔こいつらはいったい何のためにオトナになるんだ?〕

 原始的な昆虫に多い不完全変態とは、卵から孵った段階ですでに親とほとんど同じ姿をしている若虫(羽が未発達の場合が多い)が脱皮を繰り返して成虫になることで、トンボ、カマキリ、セミ、バッタ、ゴキブリ等が含まれる。カマキリは孵化直後から獲物を狩るし、バッタもゴキブリも素早く動ける方が生き残りやすいのだろう。

 完全変態とは卵から孵った幼虫が脱皮を繰り返しながら成長して、いったん運動能力がほとんどないサナギになり、サナギから脱皮して成虫が現れることで、チョウ・ハチ・ハエ・甲虫などが行っている。これは石炭紀からペルム紀にかけての低温期に対応するため、サナギの形で寒冷な季節を乗り切るように進化したためだとされている。食い物がない時に動きまわるのは無駄だから食い物(草木の葉や蜜など)があるうちに一気に成長してしまおうという、セミなどとは真逆の戦略だ。しかし、その季節は植物にとっても大事な成長期だから一方的に食われるわけにはいかない。毒を産生したり、肉食昆虫を呼び寄せる化学物質を放出したりという防衛策を採ることになる。いわゆる「血を吐きながら続ける悲しいマラソン」の始まりだ。セミと樹木の関係のような「少しだけ食べさせてもらう」「少し暗いなら食べられてもいい」というやり方はできなかったんだろうかなあ……。

 サナギの状態では外敵に対する防御力がきわめて低いので、ガなどの糸を造る能力を持っている昆虫の場合は自分の周りに糸を使って小部屋を造り、その中でサナギになる。これが蚕でおなじみの繭だ。繭にもいろいろあってドクガやカレハガの仲間は繭に毒針毛が生えている。また、イラガの繭はカルシウムを多く含んでいて鳥の卵の殻のように硬い。

 ところが、チョウの仲間には繭を造るものがほとんどいないのだ。スズメなどの小鳥は子育て期間が終わっていて、動物性タンパク質よりも体温を保つための炭水化物を中心とした食事になるせいかもしれないが、それではガの繭の重防御は何に対するものなんだという疑問が残る。ここからはあくまでも個人的な思いつきだが、ガの仲間は幼虫時代の惰性で重防御をしているのかもしれない。しかし、幼虫が毒針毛を持っているからといって鳥たちに食べられないということもなさそうだし、毒針毛を持たないチョウが絶滅する様子もない。おそらく、あまり役に立たない形質を持っているということと生き残れないということは直接繋がるものではないのだろう。環境が許容すれば、その種は生き残れるんじゃないかと思う。

 さて、そろそろ変態惑星のお話を作らねばなるまい。

 昆虫食は世界各地で行われてきた。特に熱帯・亜熱帯地域では伝統的な食文化の一部になっている。また、体が小さいということはウシやブタはもちろん、ニワトリにとっても小さすぎるようなスペースと少ない飼料で育成可能だということで、長期の宇宙生活や火星などへ移住した場合の動物性食品としても注目されているそうだ。作者らの世代だと、長期の宇宙旅行中の食事と言えば培養肉が定番だったのだが、昆虫なら管理が楽でいいかもしれない。

 というわけで、新たに発見された異星人の住む惑星に地球からの外交使節団が到着した後、航宙の間にイモムシを食べることに慣れてしまった乗組員たちが、肝試し感覚でその星のイモムシを調理して食べてしまったというお話が作れる。ところが、そのイモムシはその星の異星人の幼体で、子どもたちを虐殺された異星人と地球人との間で星間戦争が勃発するのだ。

 この場合、作品の評価は戦闘シーンの描写で決まるんだろうなあ。



   次回予告

 小麦粉がだめならお米を食べればいいじゃない。

 次回「宇宙食」深い谷間は男のロマンだ。




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     宇宙食


 1960年代初め、人類が宇宙へ踏み出した頃の宇宙食は、チューブに入ったペースト状の離乳食に近いものが多かったために、宇宙飛行士たちの評判は悪かったらしい。

 宇宙での滞在時間が長くなってくると連続で宇宙食を食べざるを得ない状況になり、それに対する不満からか、ジョン・ヤング宇宙飛行士が勝手にターキーサンドイッチを持ち込んでしまう。当然この行為は問題になったが、食事が士気に影響するという主張は認められ、以後の宇宙食の改善に繋がったのだそうだ。

 これは起こるべくして起こった規則違反というものだろう。ろくに身動きもできないような狭い空間に閉じ込められて離乳食を食べさせられるというのは相当なストレスだったはずだ。アメリカ人がやらなかったら旧ソ連の宇宙飛行士の誰かがピロシキを持ち込んでシベリア送りになっていただろう。

 その後、旧ソ連のサリュート宇宙ステーションへの補給船には新鮮な野菜や果物が載せられたらしい。さらにミールではウォッカまで! まあ、数ヶ月単位で宇宙に滞在するのだから生鮮食品も食べたくなるだろうし、「飲まなきゃやってらんねえ」というようなこともあったんだろう。ウィキペディアによればアダルトビデオも持ち込まれたらしいし。

 アメリカのアポロ計画ではお湯が使えるようになって温かい食事が食べられるようになり、スカイラブ時代になってやっとナイフとフォークが使われるようになったのだそうだ。

 スペースシャトル時代からは一部の市販食品や新鮮な野菜や果物も提供されるようになって、だいぶ地上の食事に近いものになっているという話だ。

 そして国際宇宙ステーションでは各国の宇宙機関で開発された宇宙食が持ち込まれるようになった。ESA(欧州宇宙機関)によるフランス料理の缶詰(アヒル、チキン、マグロ、メカジキ、ニンジン、セロリ、アンズ、リンゴなど)というのもあるらしい。

 日本で開発されたたこ焼きや赤飯、味噌汁などもある。火傷予防のために100度Cのお湯は供給されないから、ぬるめのお湯でも柔らかくなる上にスープも飛び散りにくくした宇宙用のカップラーメン(スペースラム)もあるそうだ。他にもおかゆ、日本式カレー、サンマの蒲焼きとか。ちなみに納豆は臭いはOKだったが、粘りのせいでNGになったんだそうだ。飛び散ることはないのだからデニッシュなどよりは宇宙向きだと思うんだけどなあ……。

 なお、今のところ、漏れた電磁波が他の機器にエラーを起こさせるとエラーいことになるので電子レンジは使われていない。〔…………〕

 熱を発生させるだけの電気オーブンはOKだそうだが直火も使えない。ここまで制限が多いとレトルトパックやフリーズドライにせざるを得ないのだろうな。

 また、現在の宇宙食は地球産の食材を地上で加工し、それを宇宙船に積み込んで打ち上げている。しかし、月や火星に定住するとか、スペースコロニーを建設するとかという状況では食料を自給する必要が出てくるだろう。だいたい今のやり方では包装材がすべてゴミになっているのだし。

 無重力環境では無理だろうが、月や火星のような場所でなら鍋やフライパンも使えるかもしれない。ただ、空気を汚染するわけにはいかないから焼き魚や焼き鳥のような煙の出る調理はNGだろう。こういうのを逆手に取って、目玉焼きを黒焦げにしてしまうような女の子が火星へ移住して調理の度に空気を汚染して大目玉、というお話もいいかもしれない。

 さてさて、ヒトは炭水化物、タンパク質、脂質、ビタミン、ミネラルなどの栄養素を必要とする。これらの栄養素のうち、タンパク質とミネラルについては前回も出てきた昆虫を食べれば間に合うだろう。ガの幼虫などでは乾燥重量の約50パーセントがタンパク質だそうだ。しかも、昆虫は酸素濃度が上がると大型化する傾向がある。翼開長が最大70センチに及ぶ石炭紀の原トンボ類がいい例だ。地球の外ではどのみち人工的に調整された空気を使わざるを得ないのだから、基地や宇宙船内に高酸素濃度の飼育室を設置するのもいいかもしれない。ついでに品種改良も加えて30センチクラスのイモムシとかを開発すれば立派な肉になる。脊椎動物のような骨もないから開きにしてステーキにすれば生ゴミもほとんど出ない。

 ビタミン類は野菜から摂ろう。クロレラとか、最近だとミドリムシなどでもいいのだが、単細胞生物では歯ごたえがない。キャベツ、ニンジン、ほうれん草……大根は特別に深いプランターを用意すればいいだろう。それともカブで代用するかな。

 アンディ・ウィアー先生の『火星の人』ではジャガイモを育てていたが、ジャガイモにはソラニンやチャコニンなどの名前はかわいいのに有毒なアルカロイド配糖体を含むので注意が必要だ。ソラニン含有量の多い小型種だと可食部500グラムで大人の中毒量に達する可能性があるらしい。遺伝子操作でソラニンなどを造る遺伝子をノックアウトする手もあるとは思うのだが、ノックアウトしたはずの遺伝子がロッキーのように再び立ち上がってファイティングポーズを取ることはまったくない、とは言い切れない。というわけで、火星で栽培するのならサツマイモの方がいいのではないかと思う。葉や茎やイモの皮まで食べられるのだし。ただ、もともと甘いのとガスで空気が汚染されるのは欠点だろうな。

 そして、小麦を粉に挽く時に発生する微粉末は決定的にまずい。

 米も小麦も一番外側の硬い殻(籾殻)を除去する工程までは同じだ。しかし、この脱穀した米と小麦の粒を見比べてみれば小麦の方には縦に溝があるのがわかるだろう。実はこの溝は寄せて上げたGカップの胸のような深い谷間を形作っているのだ。米にしろ小麦にしろ、皮の部分は美味しくないのだが、Gカップの谷底の皮まで取り除く為には、いったん粉にしてから皮だけを風で吹き飛ばす必要がある。これを密閉された居住施設内でやったら頻繁にエアフィルターが目詰まりすることになるはずだ。その点では精米、つまり玄米の皮を剥くだけで済む米の方が圧倒的に優れている。おそらくそう遠くない未来において火星で自給生活が始められることになるだろうが、その時に提供されるパンは米から造られることになるのではないかと思う。ただし、どうしても小麦が食べたいということなら谷間の皮を残したまま煮て、不味いことには定評のあるオートミールのようにする手もあることはある。

 小麦栽培の歴史は1万年に及ぶ。その間には数え切れないほどの品種改良が行われてきたはずだ。それなのに谷間のない小麦が生み出されなかったのはなぜなんだろう? 小麦の品種改良をしてきた男どもは、あの谷間をなくしてしまうのがいやだったんだろうかなあ……。



   次回予告

 カヱルくん、君が何を考えてるのかわからないよっ。

 次回「蛇に睨まれた蛙」当たり前だ。




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     蛇に睨まれた蛙


 だいたい見当が付くと思うのだが、作者はこのことわざが大嫌いだ。このことわざの意味は「非常に恐ろしいものや苦手なものの前で身がすくんでしまい、動けなくなるようす」だという。このことわざを生み出した人間はカエルに接近したヘビと身動きしようとしないカエルを観察したのだろう。おそらく問題はその先にある。彼らはカエルが(わっ、ヘビだ! いけない。ヘビだ。ヘビだ。逃げなくちゃ。ヘビだ。ヘビだヘビだ。あああぁぁ……)とパニクって逃げるチャンスを失ってしまったと思ったのだろう。こういう幼稚で安易な擬人化は良くない、と作者は思う。〔おまえだってしょっちゅう擬人化してるじゃないか!〕

 作者が積極的に擬人化手法を使うのはややこしい話に読者をつなぎ止めておくためだ。例えば昔『エイリアン』という映画があったのだが、あの怪物のお母さんをヒロインにしたお話を作るのには擬人化するしかあるまい。子どもたちのために獲物を狩る愛情に満ちた母親の超人的な活躍を一人称で展開していって、最後に彼女は地球人ではなかったことがわかるというアクションSFだ。メスクリン人やチーラにしても人間の心を持っていなければ主要登場人物にはなれなかっただろうし。

 結局のところ、SFに限らず小説というものは人間のためのものなのだろうと思う。人間ではないものを中心にして小説を展開するのには『シートン動物記』のように擬人化するか『宇宙のランデヴー』のようにテーマの周りで人間たちを動かしていくしかないのかもしれない。作者がこの仮説にたどり着くのには20年近くかかったのだが、文系の人たちにとって、こういうことは常識以前の問題なんだろうかなあ……。

 カエルの擬人化の話に戻ろう。カエルの擬人化における問題点は彼らの脳はそういう複雑な思考向きにできてはいないだろうということだ。作者にはカエルと会話する能力はないので推測するしかないのだが、彼らは接近してくるものに対して、口に入る大きさなら食べる、自分より大きければ逃げる、その程度の判断しか行わないのではないかと思う。ああしようか、こうしようか……などと頭を使えばその分エネルギーを消費する。それが両生類という省エネ型の生物にとって有利になるとは思えないのだ。

 そこでカエルの立場になって考えてみよう。カエルの眼は頭部の横に付いている。この位置だと広い範囲を見ることができるだろうが、逆に詳しく観察するのは難しいだろう。ということは、人間のような大きなシルエットが接近してきた場合は早い段階で〈逃げる〉という判断を下せるだろう。では、ヘビならどうだろう? ヘビを正面から見た時のシルエットはカエルを襲う捕食者たちの中では最小クラスのはずだ。〈逃げる〉スイッチが入らないうちにヘビの間合いに入り込まれてしまうこともあり得るはずだ。

 ここで視点をヘビに移してみよう。ヘビは長い舌を常に出し入れしている。これは舌でキャッチした臭いや味の分子を口腔上部にあるヤコブソン器官という味覚・嗅覚器官に届けることによって獲物の存在を探知するためだそうだ。しかし、嗅覚が使えるのはカエルに接近するフェーズまでで、口を開けて襲いかかるのには、やはり眼を使って獲物に狙いをさだめなくてはならないのではないかと作者は思う。作者はヘビの専門家ではないので間違っていたら笑ってくれてかまわないのだが、ヘビの視覚は動くものに対して強く反応するのではないだろうか(近くで動くものが見えたら自動的に攻撃スイッチが入る、とか)。嗅覚を頼りに襲いかかれる間合いに入ったヘビは獲物が動くのをじっと待つわけだ。一方、間合いに入り込まれてしまったカエルも動いたら食われてしまうので動かない。こういう先に動いた方が負けるという状況が「蛇に睨まれた蛙」の真実なのではあるまいか。

※2020年3月には、確かに「先に動いた方が負ける」状態であるという論文が発表されたらしい。


 カエルはその進化史のどこかでヘビの間合いに入られてしまったらじっとしているという本能を獲得したのではないかと思う。ヘビの方が根負けするか、別の獲物に興味が移るかすれば、カエルにも生き残りのチャンスが生まれるのだろう。

 話は変わるのだが、作者はかつてカエルについて一つの疑問を持っていた。カエルの武器はその強力な後ろ足を利用したジャンプである。しかし、捕食者が真正面から接近してきた場合には、ジャンプすると捕食者の口に向かって飛び込んでいくことになってしまうはずだ。彼らはこの問題をどのように解決しているのだろう? すぐに思いつくのは体を横、あるいは後ろに向けてからジャンプというやり方だが、この場合は向きを変える時間の分逃げ遅れる可能性も高くなるはずだ。

 何年か前、作者はこの問題について実験する機会を得た。工場の裏に体長5センチほどの茶褐色で細身のカエルがいたので、正面から人差し指を近づけていったのだ。すると、このカヱルくんは作者の人差し指の横をすり抜けるように斜め前方へジャンプしたのだった! 目からウロコが落ちるとはあのような感覚を言うのだろう。一般的に捕食者の視覚は獲物との距離を測ることを重視しているだろうから、横方向への感度はおそらく高くはない。そのため、一気に横をすり抜けられると獲物を見失ってしまうのだ。実際、作者もカヱルくんを見失ってしまって、再び見つけた時には数メートル先の草むらの中に飛び込むところだった。

 今の体型のカエルが誕生してから2億年以上になる。彼らは生き残るために、ヘビと向き合ってしまったらギリギリのタイミングで斜め前方へジャンプするという技を獲得したのだろう。進化という奴はこういうとんでもないことをやってのけることがあるから油断できない。

 後日、自動販売機の前面に貼り付いていたアマガエルも見かけたので同じ実験をしてみた。ところが、このカヱルちゃんは鼻先を指でツンツンされても逃げようとしなかったのだ!〔アマガエルの皮膚は有毒です。よい子は触らないでね〕

 しかし、よく考えてみればこれは当たり前のことだ。体長3センチのアマガエルにとっての1.5メートルはヒトに換算すると40メートルくらいの高さになる。カヱルちゃんにとっては鼻先をツンツンされても我慢した方が、その高さから飛び降りるよりもリスクが少ないのだろう。これもまた、その環境で生きていくための進化の結果なのだろうな。

 ところが、もう一度カヱルちゃんをツンツンしたら40メートルの高さから身投げされてしまった。いやはや、あんなに嫌がられるとは思わなかったよ。作者はもう二度とカヱルちゃんをツンツンしないと誓ったのだった。



   次回予告

 老いたくない。死にたくない。そんなあなたに。

 次回「不老不死」クローン人間の育て方。




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     不老不死


 困った。行きつけの書店に顔を出してみたら、くられ先生の『アリエナクナイ科学ノ教科書』という本が「星雲賞受賞」という帯付きで置いてあったのである。しかもその14ページめから「不老不死」だ! 先手を取られた以上は削除するしかないかなあ、などと思いながら読んでみたのだが……どうやらこの本のテーマは真面目な科学解説のようだ。作者のヨタ話とニッチの奪い合いになることはあるまい。

 というわけで不老不死だが、そんなものを求めるのは人間だけだろうから、ここでは①テロメア延長、②データ化、③クローン人間に記憶を移植、という三点に限って考察してみよう。不死身のクラゲの話などは『アリエナクナイ科学の教科書』を読んで欲しい。

 テロメア延長は極論すれば全身の細胞のがん化である。〔おいおい〕

 テロメアというのは真核生物の遺伝子の末端の構造で、これは細胞分裂の度に短くなっていく。したがって、細胞が分裂できる回数はテロメアの長さによって制限されているわけだ。ところが、がん細胞は短くなったテロメアを長くすることができる。つまり細胞分裂による寿命の制限がないのである。

 1951年に30代の黒人女性の子宮頸がんから採取されたヒーラ細胞は今も培養され続けているから不老不死と言えなくもない。ただし、ウィキペディアによれば代表的な細胞バンクであるATCCのCCL-2株の場合、ヒーラ細胞の染色体数は82を中心にばらついているそうだ。2013年に解読されたゲノムを正常細胞と比較しても著しいエラーが生じていることもわかっている。つまり、この細胞はすでにヒトのそれではないのである。人間によって生かされている別種の生物だと言ってもいいかもしれない。

 脳と心臓の細胞は分裂しないということなので(1998年に人間の大人の脳でも脳細胞が盛んに分裂していたという報告が出されてはいる)、人間の本質は「心」であり、心は脳に宿ると考えて脳と心臓を除く全身をがん化してしまえば、心臓が老化して停止するまでという制限付きながら不老不死になれる可能性がある。「恐怖のがん人間」の誕生である。

 しかし、勝手に増殖するがん細胞では正常な肺や消化器官を形成できまい。酸素や栄養を絶たれた全身のがん細胞は次々に死んでいって、ついに恐怖のがん人間は腐って崩れ落ちるのであった。めでたしめでたし。

 記憶と意識をデータ化して仮想空間内で永遠に生き続けるというのもSFではおなじみの手法だ。この場合、電源が落ちたら仮想的な生命活動も止まってしまうわけだが、そういう時は誰かにブレーカーを戻してもらってから再起動すれば、停止した時点から生命活動を再スタートできるだろう。

 この場合の問題は電磁パルスによってもたらされる。電磁パルスは太陽の表面で大規模なフレアが発生したとか、高層大気中で核爆発が起きたとかいう条件で発生する。核爆発で言えば、強力なガンマ線やアルファ線、ベータ線などの粒子線が高層大気中を通過すると、大気中の分子との相互作用によって広い範囲で光電効果や電離作用を発現させ、光電子やイオンなどが大量に発生する。これによって広い帯域の電磁波が放出され、また一部の電子は地表に達してサージ電流を発生させる。この大電流が電子機器に使われている半導体にダメージを与えるのだ。このため、電子機器が誤作動したり、最悪の場合は回路が焼き切れることになる。核戦争によって文明は失われ、生き残った人々は石器時代の生活を始めることになるというのがこれだ。

 不老不死を願う人たちは当然ものすごいお金持ちだろうからこういう事態は予想の範囲内で、十分な電磁パルス対策をしているだろう。施設を地下深くに建設しておけば、地上の貧乏人どもが石器時代に戻されることになっても仮想空間内でぬくぬくと生き続けることができる。しかし、こういう「自分たちさえよければ」というやり方は蟻の一穴から崩壊するのがお約束だ。例えば建設工事の間だけ使われて、完成したら撤去されるはずだった換気口がなぜか残っていて、さらに必要ではないセンサーが繋がれていたりするわけだ。そこから侵入した大電流のパルスは電子機器を焼き切り、仮想空間が消滅してしまうのだった。ざまあ見ろ。

 さらに、バックアップデータを納めたメモリーも消えるか、再起動する人間もいなければ完璧だ。

 自分の記憶と意識を若い子の脳に移植するというやり方もある。これは不老不死というよりも定期的に若い肉体に乗り換えるという表現の方が適切かもしれない。この場合はクローン人間を使う。

 しかし、ドナー用のクローン人間をレシピエントが育ってきたのとまったく同じ環境で育てるのはほとんど不可能だし、別の人格に育ってしまうと二重人格になってしまうというような厄介な問題が発生するだろう。それを防ぐのにはクローンが12才くらいまで育ったら眠らせて、大脳の発達を止めてしまうといいかもしれない。つまり、それ以上は人格を形成させないのだ。12才まで待つのは大脳を発達させるためと、記憶を移植した時に自分のものではない子ども時代の記憶が残っているというのも面白かろうというわけである。「ほほう、今度のクローンはこんな遊びをしていたのか」なんてね。

 その後、18才か19才になるまでは大脳の活動をブロックしたまま育てていく。クローンの青春時代の記憶などレシピエントにとっては有害なノイズでしかないのだ。

 筋肉や骨は負荷をかけないと衰えるから1日に何回か電流を流して全身の筋肉を順に収縮させてやることにしよう。植物状態の若者はベッドの上で奇妙なダンスを踊ることになるだろう。〔ひどいな〕

 クローンが大人になったらいよいよ記憶と意識の移植だ。レシピエントのそれをいったんコピーしてからクローンの脳に書き込んでいく。無事に移植できたことが確認されたら、用済みになった古い肉体はそこに残っている記憶と意識ごと処分……いやになってきた。明るいお話も作っておこう。

 12才の誕生日を間近に控えたクローン少年の前に一人の老人が現れるのだ。彼こそは処分を巧妙に免れた先代の主である。老人は少年にこのままでは未来を奪われることを告げ、いっしょに逃げることを提案する。

 老人と少年だけでは華がないから、ご主人様の秘密を知ってしまった新人メイドも巻き込んでしまおう。3人が逃げたことを知った当代の主は組織力を使っての追跡を開始する。しかし、当代の考えることはだいたい予想できる先代といたずら好きで機転の利くクローン少年、裏道や抜け道を知り尽くしている地元出身のメイドの三人組は追っ手の裏をかきながら逃げ続ける。はたして3人は逃げ切れるのか。『クローンチェイス』〇月〇日全国ロードショー公開。〔嘘つくな!〕



   次回予告

 マイナス180度Cの油の中で生きる

 次回「タイタン不適」タンパク質じゃだめだ。タンパク質じゃだめだ。




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     タイタン不適


 土星系最大の衛星タイタンの直径は約5150キロ。惑星である水星よりも大きい。その大きさのために濃い大気を持ち、雲が生じている。地表面の温度はだいたいマイナス180度C、気圧は1.5気圧。低重力で大気の密度が高いので腕に翼を付ければ人間でも飛ぶことができるという話まである。とは言っても、タイタンの大気は約95パーセントの窒素と5パーセントのメタンだというから生身の体で飛んだりしたらあっという間に窒息することになるだろう。釘を打ったバナナが砕けてしまうほど寒いのだし。

 タイタンの大気中には痕跡程度のエタン、ジアセチレン、メチルアセチレン、アセチレン、プロパン、シアノアセチレン、シアン化水素、二酸化炭素、一酸化炭素、ジシアン、アルゴン、ヘリウムなども存在するらしい。いくつか聞き慣れない名前があるかもしれないが、そういうのはだいたい窒素分子やメタンが太陽からの紫外線のエネルギーによって無理矢理結合させられたものだと思ってくれればいい。これらの分子群にさらにエネルギーが与えられればアミノ酸や核酸塩基が生じることは実験で確認されているし、実際、タイタンの大気上層部で多環芳香族炭化水素が発見されている。これは何かというと、核酸塩基を構成している窒素原子を炭素原子に置き換えたような分子である。これだけ条件が揃っているのなら地球型の生命が生まれていてもおかしくないだろうということになるわけだ。

 なお、このコラムではタイタンの氷の地殻と氷Ⅶの層に挟まれたアンモニアの溶け込んだ水の海で生まれるかもしれない生命体については考えない。潮汐力によって加熱されているエウロパほど活発ではないにせよ、氷Ⅶの海底から無機塩類が溶け込んだ熱水が噴出していれば生命が生じる可能性は十分にあるらしいのだが、地球型生物とほとんど変わらない生命体なら改めて検討することもあるまい。

 タイタンの地表ではアクリロニトリルとかシアン化ビニルとか呼ばれる分子(C₃H₃N)も発見されているらしい。これはタイタンの地表で細胞膜を形成できる物質だそうだ。個人的には細胞膜を形成するのには長さが足りないような気がするのだが。

 地球の生物の細胞膜はリン脂質が平面的に並んだ構造をしている。リン脂質分子の構造にはその名の通りリンが組み込まれているのだが、このリンという元素は基本的に地殻、つまり岩に中に存在している(これが約40億年前の、生命が誕生した頃の地球にはすでに陸地が存在していたであろうという説の根拠なのかもしれない)。ところがタイタンの薄い氷の地殻の下には水とアンモニアの海が存在し、その下の氷Ⅶの層のそのまた下まで行かないと岩が存在していないらしい。つまり、地表で生命が生まれたとしても彼らがリンを手に入れるのはきわめて困難だから、リンの代わりに窒素を使って細胞膜を造るだろうというわけだ。

 タイタンの地表には液体メタンの雨が降り、メタンとエタンの川や湖が存在することがカッシーニ探査機によって確認されているので、この液体のメタンやエタンを地球の生物にとっての水の代わりに使う生物が存在できるのではないかという説が提出されている。この場合、エネルギーは有機物を還元して最終的にはメタン(CH₄)に変えることで得ることになるらしい。地球の生物の一部がエネルギーを得るために有機物を酸化して二酸化炭素と水にしているのを逆にしたのだな。

 しかし、だ。メタンやエタンというのは炭化水素、乱暴な言い方をすれば油の一種である。元化学屋としては油に水の代わりができるのかという点に疑問を感じる。

 地球の生物が溶媒として利用している水は様々な物質を溶かす能力が油よりも高い。それは同時に不安定な有機分子を加水分解によって破壊してしまいやすいということでもある。例えば、地球の生物が生命活動を行うためのエネルギーの大部分はアデノシン3リン酸(ATP)からリン酸基が1個外れてADPになる時に発生するエネルギーを利用しているのだが、このATPからリン酸基が外れる化学反応は加水分解なのでタイタンの液体炭化水素の中では非常に起こりにくいはずだ。

 さらにタンパク質も使えそうにない。第一に酵素には活動限界というものがある。〔汎用人型決戦兵器じゃないだろうに〕

 地球の生物が使っている酵素はかなり狭い温度範囲でないとまともに働かないのだ。南極の氷の下の海には豊かな生態系が存在しているらしいのだが、それでも0度Cより少し下という水温である。マイナス180度Cの油の中で働ける酵素などあるのだろうか? 

 第二にタンパク質はアミノ酸が多数結合した構造になっているわけだが、アミノ酸同士が重合する時にはそれぞれのアミノ酸のアミノ基(-NH₂)とカルボキシル基(-COOH)から水分子1個が外れる形になる。この反応は条件次第では水の中でも起こるのだが、タイタンの液体炭化水素の中では無理なような気がする。炭化水素の中で起こりうる反応なら脱メタン反応になるんじゃないだろうか。そういう重合反応が進行していっても、それはタンパク質と呼べるものにはならないだろう。

 というようなわけで、液体炭化水素の中なら親水性の官能基を使わない生命体を考えるべきなんじゃないだろうか。だとすると、炭化水素だけの生命体……もうちょっと変化が欲しいかな。カルボニル基(-C=O)とかのような親水性が弱い官能基ならあってもいいかもしれない。地球という水の星で水の生命体が生まれたのなら、油の星で生まれるのは油の生命体なのではないかと作者は思う。

 細胞膜もない方がいいかもしれない。細胞膜を持つ立体的な生物になってしまうと、細胞表面から取り込まれた分子が細胞内を移動していくのにも不要な分子を排泄するのにも時間がかかるので、その分生命活動が遅くなる。マイナス180度Cという低エネルギー環境で生命活動を行うのなら、もっとシンプルな構造の方がいいだろう。例えば氷の表面などに吸着された状態で薄いフィルム状の生命体として生きていくならば細胞膜なしでも生命活動ができるはずだ(この場合は氷に接する側に親水性の官能基が必要になるかもしれない)。あるいは、低温環境で有機分子が安定してしまうことを逆手に取って、思い切り生命活動を遅くしてしまえば細胞膜があっても問題ないかもしれない。ほとんど冷凍されているような状態の有機分子なら壊れていく速度も遅いはずだから、それを上回る速度で有機分子を合成できれば生きていけるはずだ。

 その他にも、例えば心臓の拍動1回に相当するような生命活動に1ヶ月以上もかかるような生命体がいたとして、それが生命体だと認識できるのかという地球人側の問題もあるんだろうなあ。



   次回予告

 彼らはなぜ立ち上がったのか。

 次回「直立二足歩行」必要な変異は2つだけ。




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     直立二足歩行


 今のところ存在が確認されている陸生動物で直立二足歩行をしているのはヒトだけである。ペンギンも直立しているように見えるが、彼らの大腿骨は水平になっている。つまり空気椅子のような体勢で体を直立させているのだ。彼らの股関節はあくまでも四足型で、先祖である恐竜の時代に獲得した水平にした体をを2本の後肢で支える体勢のまま膝を90度曲げているだけなのである。チンパンジーなどが後肢だけで立ったり歩いたりすることもあるが、その場合でも彼らの股関節は空気椅子の状態になっているはずだ。

 ヒトはチンパンジー・ゴリラ・オランウータンなどと共にヒト上科を構成している。その中で最もヒトに近縁なのがチンパンジーらしい。つまり、四足歩行の共通祖先から二足歩行に移行したのがヒトで、そのまま四足歩行を続けているのがチンパンジーという認識でいいんじゃないかと思う。

 チンパンジーとヒトの共通祖先は森で暮らしていたらしい。そこで何かが起こって四足歩行のグループと直立二足歩行のグループが分かれていった。その何かについてはまだ決定的な仮説がないようだ。とりあえずそれらを順に並べてみよう。

(1)樹上での移動において準備ができていた。

 手の指を引っかけて枝渡りをするのなら股関節が四足型だろうが直立型だろうが関係ないというわけだ。しかし、地上で捕食者に襲われた時に素早く安全な樹上に逃げられるという点では四足型の方が優れているだろう。

(2)移動効率が優れていた。

 草原に進出してからの話だろうが、長距離の移動では二足歩行の方が四足よりもエネルギー消費が少ないらしい。しかし、ライオンなどから逃げる時に必要なのは短距離のダッシュ力だろう。実際、草原や岩場で暮らしているゲラダヒヒは四足歩行だ。

(3)遠くまで見通すことができた。

 直立すれば眼の位置は高くなるだろうが「それは同時にライオンなどから目を付けられる確率が高くなるということでもある」とも言われている。

(4)性淘汰。

 性淘汰が起こるためには四足型と直立型の類人猿が共存していなければならないはずだ。この仮説は「なぜ直立する類人猿が生まれたのか」という問題から目を背けているだけなんじゃないか? 

(5)体温調節。

 太陽が高い位置にある時間帯には直立型の方が太陽光を受ける面積が小さくなる。それはそうかもしれないが、それならなぜ、キリンは直立二足歩行に進化しなかったんだろうか? 直立すればより短い首でも高い位置にあるアカシアの葉を食べることができただろうに。

(6)水中を歩くため。

 人間が水に浸かりっぱなしでいると皮膚がふやけてしまうし、体温調節能力が未発達の新生児を水に入れると低体温症になってしまいそうだ。それにアフリカの水辺にはワニもいただろう。

 念のために言っておくと、この仮説は最近ではあまり支持されていないようだ。

(7)両手で食料を運ぶことができた。

 樹上で待っている母子の所へ雄が食料を持ち帰ったのだろうという仮説だ。しかし、第一にS氏の『〇〇の人類史』によれば、これはその子が確実に自分の子だという確信が得られなければ成立しないらしい。ところが、ヒトは基本的にチンパンジーと同じ乱婚型なのだ(だから浮気することができる)。まあ、オランウータンのように繁殖期以外は単独で生活している類人猿もいるのだから、チンパンジーと共に乱婚型に移行したという可能性もなくはないのだが……。

 第二に、この場合に二足歩行する必要があるのは連れ合いがいる雄だけだ。雌にも子にも独身の雄にも二足歩行する必然性がない。

 第三に直立する必要はない。両手を使うときだけ二足歩行すればいいはずだ。

 第四に、作者はこの仮説が大っ嫌いだ! この仮説の背後には「女は家で子どもを育てていればいいんだ」という男尊女卑の心理が見える。人類学の研究者には女性もいるはずだが、なぜ抗議の声を上げないんだろう? 

 さてさて、否定的なことばかり並べていたのでは面白くない。作者が思いついた可能性を2つ書いておこう。

(1)体毛が薄くなることによって二足歩行になる。

 食料運搬仮説というのは雄が二足歩行する可能性だけを考えたものだが、作者は二足歩行するべきなのは雌の方だと思った。そこで母親の体毛が薄くなれば乳幼児は母親の背中にしがみついていられなくなるだろうから、母親は我が子を両腕で抱いて移動せざるを得なくなる……と考えたのだが、これも一時的な二足歩行で、なおかつ股関節が直立型になる理由にはならないのだった。片腕で我が子を抱いて三足歩行という手もあったはずだし。

(2)股関節の形成不良。

 1960年にアフリカのコンゴで謎の類人猿が捕獲された。チンパンジーに似た外見ながら常に二足歩行し、頭髪が薄く、人間の女性に発情するオリバー君である。しかし、後に日本での検査で彼の染色体数、腰椎の数、血清タンパクのパターンがチンパンジーのそれと一致することが判明する。つまり彼は直立型、あるいはそれに近い股関節を持つチンパンジーだったということらしい。こういうちょっとした異常を抱えた子は一定の確率で生まれてくるはずだ。

 直立型の股関節は木に駆け登る時にはハンディキャップになる。地上で捕食者に襲われた場合に生き残れる確率は低いだろう。しかし、首が長くなってしまったキリンがアカシアの葉を食べることでそれを克服したように、直立型の股関節になってしまった類人猿が生き残っていくこともあり得たはずだ。こうしてチンパンジーとの共通祖先からヒトが分かれていったのだろうと作者は思う。

 また、四足歩行の類人猿の股関節だけが直立型になると顔が上を向いてしまうから、顔を前に向けるためには首の骨を前に曲げた状態に保つ必要があっただろう。しかし、直立型の股関節が定着していけば、四足歩行の時代には顔が下向きになっていた頭蓋骨が頸椎の真上に載る者たちの方が逆に有利になる。こうして完全な直立型の骨格が完成していったというのが作者の考えるシナリオだ。

 もしも直立二足歩行が本当に生存に有利な形質だったとしたら、もっと多くの直立二足歩行動物が存在するはずだと思うのだよ、作者は。



   次回予告

 数千度に達する鉄・ニッケル合金の海で生きる。

 次回「金属生命体」金属原子や金属酸化物などで書かれた物語。




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     金属生命体


 今回は地球の外核、つまり水素や炭素などの軽元素を10パーセント以上含む鉄・ニッケル合金の海で生まれるであろう生命体について考えてみようと思う。というか、溶融した鉄・ニッケル合金の中で生命活動ができる金属結晶をでっち上げるつもりだ。

 まずは金属の生命体も存在できるということを説明しなくてはなるまい。ただし、「金属でできた細胞膜の中で、金属でできたタンパク質モドキが金属でできたDNAモドキの情報を基に生命活動を行う」というパターンは却下である。地球型生物と同じでは面白くないし、アミノ酸のような有機物を造れる金属原子が存在するのかという点にも疑問がある。金属生命体と言うからには「生命活動を行う金属結晶」でなくてはならないだろう。古いことわざにもある「ハードルは高い方がいい」というやつだ。〔あまり高いハードルだと心が折れてしまうぞ〕

 作者は地球型生物と金属結晶は成長するというところまでは似ていると思う。違いが出るのはその先で、細胞を持たない金属結晶の場合は環境が許容する限り、果てしなく成長してしまうのだが、生物の細胞の場合は基本的にある程度成長すると分裂して自己複製、あるいは増殖するのだ。なぜ地球型生物の細胞は果てしなく巨大化できないかというと、細胞が大型化すると細胞の表面から取り込んだ物質をそれを必要とする細胞内器官まで運ぶのにかかる時間が長くなってしまうからである。当然、不要な物質を細胞の外に排出するのにも時間がかかる。この代謝に時間がかかり過ぎると生命活動の連鎖が途切れてしまうのだ。

 さてさて、ここからは無理を承知の上で強引に話を展開するのだが、細胞が厚さを変えずに平面的に広がっていったらどうだろうか? そうすれば細胞膜から細胞内器官までの距離を短くしたままで細胞を大型化できるだろう。もちろん、これは細胞膜が破れた時を考えると実用的ではない。多細胞化した方が有利になるはずだ。

 結晶ではどうだろう? 今も行われているのかどうかは知らないが、作者は硫酸銅の飽和溶液の中に小さな硫酸銅の結晶を吊して、それを核に結晶を成長させるという実験を見せられたことがある。ここでまた強引な仮定を導入して、この硫酸銅の結晶が生命体だとしてみよう。その場合、代謝活動は結晶の表面のみで行われていると言える。必要な物質である硫酸イオンと銅イオンを取り込んで、排泄は……しないな。排泄物ゼロの究極エコな生命体、あるいは食べた物をすべて血肉に変えてしまう生物というようなイメージになるかもしれない。つまり、この血漿は1分子の厚みしかない薄っぺらい生命体のように振る舞っていると言える……と思う。〔弱気だな〕

 この結晶の内部はまったく代謝活動をしていない死んだ組織になってしまうわけだが、それに対しては「ストロマトライトのようなものだ」と言うことにしよう。ストロマトライトはシアノバクテリア類の死骸と砂粒によって作られる層状の構造を持つ岩石のことを言う。オーストラリアのシャーク湾などで今も成長を続けているストロマトライトでは生きているのはその表面に付着しているシアノバクテリアだけだ。あるいはサンゴ。巨大なサンゴであっても刺胞動物が生息しているのはその表面だけである。身近なところでは樹木の幹の内側の部分も生命活動を終えている。

 このように無理を押し通せば地球型生物と結晶の間には大きな違いはないと言える……ということにして欲しい。違いがあるとすれば環境の変化に対する対応だけだ。

 例えば大腸菌は多くの研究施設で培養されているが、その培地の温度や栄養状態が変化しても大腸菌は大腸菌であり続けようとするだろう。しかし、結晶にはそれができない。いい例が雪の結晶で、上空の気温と湿度の組み合わせによって平らな六角形、六角柱、針状、そしておなじみの樹枝状などに変化してしまう。ここで雪の結晶が実は生命体で、その本来の形が樹枝状だと仮定すれば、彼らは環境が変化しても成長速度を調整するなどして樹枝状の形を維持しようとするはずだ。作者はこの自己を維持しようとする「意思」こそが生命の本質なのではないかと思う(仏教思想の影響もあるのだろうが)。最近では生物を人工的に合成しようという実験があちこちで行われているらしいのだが、人工的に造った細胞膜の中に人工的に合成した各種タンパク質やDNAやRNAなどを詰め込んだとしてもそれが生命活動をすることはあるまい。というか、あって欲しくない。箱に放り込んだ部品一式が時計職人抜きで自動的に時計を形成して動き出すことなどあってたまるかよ! 

※2022年4月の時点で「光からエネルギーを得てタンパク質をつくる人工細胞」が造られているそうだ。参ったね。


 さあ、いよいよ「環境が変化しても、それに逆らって構造を維持しようとする金属結晶」を作る時が来た。まず彼らが生まれる場所だが、個体になった鉄・ニッケル合金の内核の表面としよう。理由は、外核と下部マントルの界面では温度差があるから「金属でできたタンパク質モドキ」ができてしまいそうだし、溶融した金属の中では各種原子や分子が一ヶ所に留まるための足場がないからだ。

 生命活動を行うためのエネルギー源は電流としよう。地球には磁場がある。これは外核の鉄・ニッケル合金の対流によって維持されているのだから、そこには電流が流れているはずだ……と思う。

 最後に彼らの代謝だが、溶融した鉄・ニッケル合金の中に溶け込めそうな物質にはコバルト、マンガン、クロム、酸化ニッケルⅡ、三酸化タングステンなどがある。こういう原子や分子を固体になっている内核の表面に自己触媒作用によって一定のパターンを繰り返すように配列していくという形で成長していくことにしよう。そして、ただの結晶では特定の原子が不足した場合などには、他の似たような性質の原子が本来あるべき原子の代わりに入り込んでしまうことがよくあるのだが、これを防いで正しい原子を配置するような「意思」を持つことができれば、それはもう生命体と言えるだろうと思う。なお、この段階ではメッキのようなごく薄い生命体ということになる。細胞膜は……細胞膜というものは細胞という立体的な構造だからこそ必要なものだろう。メッキのようなごく薄い金属結晶生命体が獲得する必要があるとは思えない。だいたい細胞膜を獲得したら結晶ではなくなってしまう。

 地球の生物が使っているタンパク質を、約20種類のアミノ酸をアルファベットとして書かれた文章だとするなら、各種アミノ酸の代わりに金属原子や金属酸化物分子などの記号で書かれた文章を使う生命体も存在できなくはないはずだ。

 しかし、こんな生命体が知性を獲得したとしても、地球人が地下5100キロの5000度C、330万気圧という世界で生きている金属生命体とコンタクトする可能性も必然性もほとんどまったくないだろう。またつまらぬものを造ってしまったのだろうかなあ……。



   次回予告

 強い攻撃性とそれゆえの優しさ。

 次回「戦争と平和」地には平和を。宙には戦いを。




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     戦争と平和


『日経サイエンス』2018年12月号にR・B・ファーガソン先生の「戦争は人間の本能か」という記事(論文?)が掲載されていた。「戦争は、ヒトに生来備わった本能か、それとも社会が発展する中で、何らかの理由で始まったのか。研究者の意見は2つに分かれるが、考古学の証拠は後者を示唆している」のだそうだ。

 ここで主語が「人間」になっていたら作者も読み流すところだが「ヒト」と書かれると黙ってはいられない。素人さんにとってはどうでもいいことなのかもしれないが「ヒト」とは生物学的に「ホモ・サピエンス・サピエンス」を表す用語であって、厳密に定義すれば「ヒト」と「人間」は同じではないのである。そこで生物学的な面から反論をしてみようと思う。

 作者はまずヒトが生息域を広げてきた速度に注目する。ヒトは約20万年前にアフリカで誕生してから分布域を広げ続け、今では南極大陸を除くすべての大陸に定住し、さらに他の天体にまで進出しようとしている。作者は専門家ではないので断言しかねるのだが、たったの20万年でここまで生息域を広げたホモ属は他にいないと思う。それが可能になったのはヒトが石器はもちろん、衣服や火のような道具を使って暑さや寒さ、天敵や病気などを克服してきたからだろう。直立二足歩行でなければ不可能だっただろうが、ヒトは環境を打ち負かそうとする心と打ち負かすための技術を持っていたのだ。一足先にヨーロッパで進化していたネアンデルタール人が中東までの範囲にしか進出できなかったことと比べれば、環境に対する攻撃性ははるかに強かったと言えるだろう。この攻撃性がグループ単位で他のグループへ向けられたのが戦争の原型だと作者は考える。

 狩猟採集でも農耕でもいいが、100人以上のヒト集団が一定の面積の土地を占有して定住生活を始めたとしよう。最初はいい。その集団の全人口を養えるだけの土地を確保したのだろうから。しかし、人口は増えていく。あるいは、そこに居着いていた動物たちを捕りすぎたとか、気候変動などで十分な収穫が得られないということもあるだろう。人口がその縄張り内で得られる食料で養える限界を超えてしまったら、しかも縄張りのすぐ外側には他の集団がいて、縄張りを広げることもできなかったら……隣のグループの縄張りを奪うしかないだろう。戦争の始まりだ。

 ヒト以外の哺乳類の場合、これだけの大きな群れを作るのはだいたい草食動物なので個体同士の争いにしかならないのだが、ヒトのような攻撃性の強い雑食動物が大きな群れを作ると、いずれは戦争をせざるを得なくなるのだろう。そして戦争は集団の人口が数千人、数万人、数億人と増えるにしたがって大規模になっていく。近代になると奪い合う物が食料や土地から鉱物や石油などの資源に変わっていくが、基本的には同じことだ。

 そしてこの攻撃性を後押ししかねないのがヒトの持つ優しさだと作者は思う。ほとんどの野生動物では老いた個体、ケガや病気で弱った個体はどんどん捕食されていく。ヒトではどうか? ヒトは老人やケガ人のような自力では生きられない者たちに食料を分け与えるなどして介護する。それ自体は悪いことではあるまいが、それには食料を始めとして十分な資源の余剰が必要だ。弱者を生かそうとすることによって資源が不足してしまい、戦争せざるを得なくなることもあるだろう。  

 やってはいけないことなのかもしれないが、ヒトの心を他の動物たちと比較してみれば、その特徴は攻撃性と優しさだと言えるのではあるまいか? ヒトは強い攻撃性を獲得してしまったために、それとバランスを取れるだけの優しさも必要になったのではないかと作者は考える。〔素人の思いつきです。よい子は鵜呑みにしないでね〕

 乱暴な論理なのを承知の上で言わせてもらえば、その国の生産力で支えきれるレベルまで人口を減らせば戦争を回避できるのかもしれないと思う。そうすれば領土を広げなくても国民を飢えさせることはない。これが偶然うまくいったのが第一次世界大戦で、この戦争中にインフルエンザが全世界的に流行している。戦死者よりも多くの死者を出したと言われる凶悪なスペイン風邪である。このパンデミックにより多数の死者が出たために戦争終結が予定よりも早くなったと言われているくらいだ。

 そこで少し未来の地球でのお話を作ってみよう。

 この世界では人口が食料生産や資源採掘の限界を超えつつあるものとする。スペースコロニーの建設は難航し、他の恒星系へ移民しようにも移民先の星の環境が生存に適するかどうかが確認できないというデッドエンド状態だ。世界中の人々をデジタル情報化して電脳世界で生活させるというのもまだまだ研究段階である。このように、何もかもうまくいかない状態を想定するとドラマを作りやすいと作者は思っている。〔安直だな〕

 地球統一政府の首脳陣は話し合う。

「このままで半食料や資源の奪い合いのために戦争が起こるのも時間の問題だ」

「なんとかして平和的に人口を減らせないものか」

 ……………………

 そうして出た結論は「太陽系の外から強大な敵艦隊が来襲してくれば、迎撃戦闘によって戦死者が出て人口が減る」である。

 この場合、まずは実在しない敵艦隊をでっち上げる必要があるわけだが、これはレーダー画像でも光学観測映像でもデジタル情報ならいくらでもねつ造できるだろう。

 次の問題はどういう形で開戦するかだな。犠牲者が出ないと説得力に欠けるのだが……思い切って大都市を2つ3つ焼き払うか? これなら人口も減るから一石二鳥だろう。もちろん、統一政府の首脳陣の家族は偶然旅行に出ていたりして難を逃れるわけだ。

 開戦さえしてしまえば、後は兵士たちを宇宙戦艦に詰め込んで出発させるだけである。この宇宙艦は攻撃力のまったくない自爆装置付きの張りぼてでいい。兵士たちにバレないようにする必要はあるだろうが。ああっと、真相を知ってしまった兵士たちが自爆を阻止するために奔走するというお話もいいかもしれないな。

 宇宙艦を発進させてしまえば、後は適当な宙域まで進出した所で艦隊をまるごと自爆させれば人口を一気に減らせる。ただし、ここで生存者が出ると厄介なことになるから確実に全滅させなくてはならない。そして、敵艦隊の侵入方向は惑星の軌道平面から外れた方向に設定しておいた方がいいだろうな。生存者が出ても救助されることのないように、そして太陽系内に破片をまき散らさないように、だ。〔そういうのを「悪辣」と言うんだぞ〕

 すべての地球人の攻撃性を地球の外へ向けることができれば、地球人同士の間には優しさしか残らない。そうなれば人口の増加に伴って消え去っていた優しさに満ちた平和な世界が戻ってくるに違いない。



   次回予告

 重力が強い星では足1本あたりの荷重を減らすべきだ。

 次回「スーパーアースの歩き方」タコやヘビを見習おう。




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     スーパーアースの歩き方


 最近ケプラー宇宙望遠鏡のお尻ミッション……。〔「K2ミッション」だ!〕

 K2ミッションによって発見された系外惑星群をテーマにした動画を見たのだが……こういうものを公開するのはやめて欲しい。本気にしてしまう人が現れたらどうするんだ。

 第一にケプラー宇宙望遠鏡の姿勢制御用のリアクションホイール(回転数を変化させて、その反動で姿勢を変えるシステム)の故障を太陽光の圧力でカバーしたという説明をしているのだが、この姿勢制御システムの故障は日本の小惑星探査機はやぶさでも発生していて、その故障をカバーする技術もはやぶさで使われたものだ。「これは日本で開発された技術です」くらいのことは言ってもよかったんじゃないのか。そもそも簡単に故障するようなものを宇宙に持ち出すのが間違っているわけだが。

 そして、まったくお話にならないのが終わり近くで出てくる8本足動物の歩行シミュレーションだ。「重力が強い星では足の数を増やせば1本1本の荷重を減らせる」というところまでは同意しよう。足の本数というものは水中を泳いでいた、地球で言えば魚に相当する祖先のひれの数によって決まってしまう。地球の陸棲脊椎動物の祖先になった魚は2組の対ひれ(胸びれと腹びれ)を持っていて、その対ひれを足に変えたために両生類以降は四足歩行にならざるを得なかったのだ。4組の対ひれを持った魚から進化すれば8本足も可能だろうし、古生代の棘魚類の1種のように12枚の対ひれを持った魚から進化したら、地球の陸棲動物は12本足になっていた可能性もあるわけだ。まあ、水中で生活している魚の対ひれは体重を支えることを要求されないただの舵だし、通常は推進力を発生させることもないから対ひれは4枚あれば十分だったということなのだろう。現代まで生き残っているのは基本的に4枚の対ひれを持った者たちだけである。

 しかし、「8本の足の片側2本ずつをセットにして動かす交互四足歩行がいい」というのは決定的な間違いだ。8本の足で体重を支えている状態から4本の足を前に踏み出すとする。その時、1本の足にかかる荷重はどれくらい増えるだろうか? 答は8割る4で2倍である。地球のイヌやネコではどうか? 4本足の状態から2本を踏み出すのなら、この場合の荷重増加も4割る2で2倍である。ヒトが片足を踏み出す時も残った片足にかかる荷重は2倍になるはずだ。あのシミュレーション動画は四足歩行動物が2頭、縦に並んだ状態で歩いているのと変わるところはない。

 歩行の研究者ならば当然知っていなければならないはずだが、中生代ジュラ紀に繁栄していたアパトサウルスのような四足歩行の巨大植物食恐竜は足を1本ずつ踏み出していたという説がある。この歩き方ならば、3本の足で体重を支えることになるから、足1本あたりの荷重増加は4割る3で約1.33倍にしかならない。強い重力に適応するための8本足ならば一度に踏み出す足は1本か2本がいいだろう。1本の場合の荷重増加は約1.14倍。2本ならもちろん約1.33倍だ。当然歩くのは遅くなるだろうが、捕食者の方も同じ重力下で生きているのだから遅くなるのは同じだろう。結局のところ、あのシミュレーションは地球の陸生動物の足を2分割したということでしかない。

 さてさて、他人の仮説を批判してばかりというのではあまりにも後ろ向きだ。SF者の立場で新たな仮説を提示するべきだろう。

 このテーマで紹介したいのが星野之宣先生の『雷鳴』である。これは巨大な植物食恐竜はどうやってその体重を支えていたのか、そして無敵に近いはずの彼らの個体数をコントロールしていたものは何だったのか、というハードSF短編だ。なるほど、体が巨大化しても体重が増えなければ問題はないわけである。好きだなあ、こういうの。

 そして、作者は強い重力に対する適応を考える場合に参考にするべきなのはタコだと考える。タコは通常海の中で生きているが、海中では海水の浮力が働くので実質的な体重はごくわずかになる。だからこそタコは海底を滑るように動きまわり、漏斗から海水を噴射して素早く泳ぎ去るということもできる。しかし、彼らはしばしば上陸するのだ。もちろん彼らはえら呼吸なので陸上で生き続けることはできないのだが、岩場を移動して海へ帰っていく姿はよく目撃されている。彼らは軟体動物で骨格を持っていないのに、一気に百倍以上に増加するはずの体重をどうやって支えているのだろうか? その答は「支えていない」である。でろーんと潰れた姿勢のまま、筋肉の塊である触腕の力でずるずると這っていくのだ。そういう姿勢だと体重を広い範囲に分散できるのである。これはつま先立ちと腹ばいの姿勢ではどちらが楽かと考えてみればわかりやすいだろう。

 腹ばいが楽だというのならヘビのように足を捨ててしまうという選択肢もあるかもしれない。あ、そうか! 8本足というのはヘビ体型へ進化していく途中の段階だったのだな。ということは、何億年か後のこの惑星では植物食のヘビの群れに肉食のヘビが襲いかかるという光景が展開されることになるのかもしれない。〔やめろ。気持ち悪い〕

 ヘビがいやならチョウなどの幼虫イモムシのように腹脚を獲得するというやり方もある。イモムシは昆虫がもともと持っている6本の足の他に腹脚という足のような働きができる器官を持っているのだ。アゲハチョウの幼虫など実質的に16本足である。ということは、あの8本の足のうち魚の時代の対ひれ由来のものは4本だけで、残りは陸上を歩くために新たに獲得した足だったという設定なのかもしれない。地球の陸生動物は4本足にするしかなかったのだろうが、チョウの幼虫のようにボディプランの柔軟性を維持したまま進化してきた生物がいたならば、足の本数を増やすことで体重の増加に対応するということもあり得るかもしれない。この場合はイモムシのように長い体を波打たせながら左右の足を同時に持ち上げて順に前へ踏み出していくという歩き方になるだろうな。

 あるいは、思い切って飛んでしまうというのもいいかもしれない。資料が見当たらないのだが「重力が強ければ大気も厚く濃くなるから浮力も大きくなる」という説があるらしい。大型動物向きではないし、重力を振り切って離陸するのも大変そうだが、いったん離陸してしまえばいい移動手段になるだろう。足の骨も筋肉も最低限まで軽くできるし。

 いずれにしろ、その星で進化してきた動物はその星における最適な移動手段を獲得しているか、あるいは獲得しつつあるはずだ。後は地球人の想像力がそれに追いつけるかどうかの問題だろうな。



   次回予告

 最初の生命は宇宙の彼方から運ばれてきたのかもしれない。

 次回「星の箱船」地球はアララト山だった。




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     星の箱船


 約40億年前の地球における生命誕生には不可解な点がいくつかある。

 大規模な天体衝突によって月が生まれたのは45億6000万年前と言われている。この衝突によって開放されたエネルギーのために地球の表面はマグマの海に覆われてしまった。その表面が冷えて地殻が形成され、さらに冷えると雨が降り始める。何百年、何千年も続く全地球的な土砂降りによって水の海が形成された。こうして地球に生物が生きられる環境ができた直後(数億年以内)に生命が誕生している。そして、現在地球上に存在するすべての生物はその最初の生命の子孫であることはほぼ間違いないらしい。しかし、現在の地球型生物の祖先以外の生命が生まれた可能性はまったくなかったのだろうか? 

 まずはタンパク質の問題。地球の生命はタンパク質から始まったとする説がある。アミノ酸の中でも構造が単純なグリシン、アラニン、アスパラギン酸、バリンの4種類がランダムに結合していくうちに大ざっぱな自己複製の機能を持ったものが現れ、次第に生命体に進化していったとするタンパク質ワールド仮説というものだ。作者は個人的にこの仮説が好きなのだが、今も生きているタンパク質だけの生命体、つまり生きている化石は見つかっていない。

 コドンの問題もある。これは核酸の塩基配列をタンパク質のアミノ酸配列に翻訳する時にそれぞれのアミノ酸を指定するための3つで1単位の塩基配列である。アミノ酸のアルファベットのようなものと考えてもいいだろう。例えばシトシン・アデニン・アデニンという配列ならグルタミン、アデニン・チミン・グアニンならメチオニンという具合だ。これはとても合理的なシステムで、4の3乗で64種類のアミノ酸を指定できる。実際には約20種類のアミノ酸と開始コドンと終止コドンだけで済んでいるので、複数のコドンが同じアミノ酸を指定している場合もある。DNAのコピーミスが少しくらい発生しても正しいタンパク質ができるようになっているということだ。しかし、余裕があるのなら30種類とか40種類のアミノ酸を使ってもよかったんじゃないだろうか。あるいはコドンが2塩基でできていても4の2乗マイナス2で最大14種類のアミノ酸を指定できる。2塩基コドンと10種類くらいのアミノ酸でできているタンパク質を使うシンプルな生命体が生まれた可能性もあったはずだ。

 また、地球の生物が使っているアミノ酸はほとんどL型なのだが、40億年前には量は少なかったにしても存在していたはずのD型アミノ酸を使う生物が生まれた可能性もあるだろう。この場合は特にL型アミノ酸生物と競合する必要がない、というより競合できないのだから生き残れない理由はないはずだ。

 このような我々とは別の祖先から進化してきたと思われる生物はいまだに確認されていない。これはなぜなんだろうか? 

 これらの疑問に対する答の一つがスヴァンテ・アレニウス先生が1906年に提唱したパンスペルミア説だ。これは「生命の起源は地球本来のものではなく、他の天体で発生した微生物の芽胞が宇宙空間を飛来して地球に到達したものである」という仮説である。この説はDNAの二重らせん構造説を発表したフランシス・クリック先生やSF作家でもある物理学者のフレッド・ホイル先生にも支持されたのだそうだ。〔キリスト教徒にはウケそうな仮説だしな〕

 最近では40億年前頃には地球よりも火星の方が生命誕生向きの環境だったであろうということで、隕石衝突によってはじき飛ばされた火星の地殻の破片が地球に落下して、その中にいた微生物が地球で繁殖したのだという形にアレンジされることもある。

 このパンスペルミア説を使えば地球における生命誕生の謎をごく簡単に説明することができる。「地球の生物は地球の外から細胞という完成された形でもたらされたのだ」と言ってしまえばいいわけだ。大変便利な仮説である。しかし……作者はこの仮説が大っ嫌いだ! この仮説ではただの有機物が生命体にジャンプする過程を説明することができない。「生命は神様がお造りになったのだ」と言っているのと同じではないか。あるいは安っぽいアニメのラストシーンで、ズタボロにされてしまった主人公がよろよろと立ち上がり、「パァン……スペルミアァァー!」と叫ぶと、まばゆく輝く光の矢が飛来し、それに貫かれたラスボスが爆散するようなものだろう。こんなものは科学じゃない!

 とはいえ、パンスペルミア説が正しいという可能性もまったくないとは言い切れない。そこで火星の地下とか金星の雲の中などで地球型生物が発見された場合に備えてパンスペルミア説を使ったお話も用意しておこう。

 まずは2つの仮定を導入する。一つはエウロパやエンケラドスのような巨大ガス惑星が従えている氷衛星の分厚い氷の下の海で生命が生まれるということ。もう一つは惑星の軌道は安定しているとは限らないということだ。

 1995年、ペガスス座の方向で太陽に似た恒星をわずか4日間で公転する巨大ガス惑星が発見された。従来モデルでは木星のようなガス惑星は恒星の近くでは生まれ難いとされていた。しかし、こうしたホットジュピターが次々と発見されたために、これらのガス惑星は恒星から離れた領域で生まれた後に何らかの理由で本来の軌道から外れ、恒星の近くへと移動して行ったのではないかということになったのだ。

 そこで、ある恒星系で軌道を外れたガス惑星が恒星に向かって落ちていったとしよう。さらにそのガス惑星は氷衛星を従えていて、その氷の下の海では単細胞レベルの生物が生まれていたとする。この氷衛星が小惑星探査機はやぶさのように恒星の重力によって加速されて恒星系の外へはじき飛ばされてしまうこともあり得たはずだ。そして、はじき飛ばされた氷衛星が数億年、数十億年にも及ぶあてのない旅路の果てに太陽系にたどり着くことも、土星か木星に接近しすぎたために潮汐力によって粉々に砕かれてしまうこともないとは言えまい。

 砕かれた氷衛星の破片は氷漬けになっていた微生物ごと40億年前の地球や火星を含む内惑星群に降り注ぐことになっただろう。特に小さな破片なら大気圏突入速度も速くはならないから、高温に晒される事もなく地表にたどり着くことも不可能ではなかったはずだ。

 地球では生命の誕生直後の時代に大量の隕石が落下したことがわかっていて、生まれたばかりの生物がこの大災厄をどうやって乗り越えたのかという謎があるのだが、実はこの隕石群こそが箱船の破片で、生命はそれにしがみついて地球にたどり着いたのかもしれない。

 もしも生まれ故郷の恒星系から旅立つ事になった星の箱船が心を持っていたならば、彼女は出発に際してこう言ったに違いない。

「私が生命を運ぶね」〔…………〕



   次回予告

 大きな上昇気流の中で。

 次回「タンポポ生物」生きることは漂うこと。




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     タンポポ生物


 このアイデアはすでに小説にしてしまったのだが、地球外生命体の作り方という意味で掲載させていただきます。あしからず。

『日経サイエンス』2019年1月号によると「タンポポの軽い種子は、ふわふわした冠毛のすぐ上にできた渦輪を利用して空中に浮いていることが明らかになった」のだそうだ。タンポポの種子に下から風が当たると綿毛の円盤の上に安定した空気の渦が発生し、これが揚力を生み出しているということらしい。しかも、最も効率がよい空隙率92パーセントにするために綿毛の数は90から110本になっているのだそうだ。非常に完成度の高いシステムである。身近にあるものに対して「そういうものだ」とか「当たり前だ」とか思ってしまうというのは、まぶたを閉じたままものを見ているようなものなのだな。〔…………〕

 というわけで、生まれてから死ぬまでふわふわと漂い続けるタンポポの種子型浮遊生物を作ってみようと思ったわけだ。

 まず、彼らは動物であるとする。タンポポの種子の冠毛はパラシュートのように落下速度を遅くするためのものだろう。一般的な植物の種子の最終目的地は地面だろうと思うのだが、タンポポのような多年草の場合、親が生えている場所のすぐ近くに落ちたのでは生き残りを賭けた親子げんかをしなければならなくなる。それを防ぐためには親からある程度離れた場所に着地する必要があるだろう。そういうわけで、タンポポの種子の場合は着地するまでの時間を少し長くするだけでいいのだが、それでは少々面白みに欠ける。そこで落下速度を実質的にゼロにコントロールして、命が続く限り浮遊し続ける動物ということにするわけだ。

 アーサー・C・クラーク先生の『メデューサとの出会い』には木星の気球型生物が出てくる。そこで風船とタンポポの種子の特徴を比較してみよう。一目でわかるのは風船の方が体積が大きいということだろう。強い風が吹いた場合、風船は押し流されるままである。したがってメデューサが生きている場所は風が穏やかであることが要求されるはずだ。逆にタンポポ生物の方は綿毛をしならせることで風の力を受け流すことができるのだが、揚力が大きくないので、ある程度強い上昇気流がないと高度を維持できないだろう。上昇気流が弱い環境だったならば、気球生物か、あるいはパラシュートのようにできるだけ多くの風を受け止められるような形になったかもしれない。

 飛び続けるためには翼を獲得するという手もあったはずだが、彼らはなぜ冠毛にしたのだろうか? それは見た目をかわいくするため……。〔こらこら〕

 それもあるのだが、翼は基本的に前進することで揚力を発生させるシステムなのだ。タンポポ生物の冠毛は前進せずに浮遊し続ける方向へ進化したのだということにしよう。地球の生物でいうとクラゲに近い生き方だと言えるかもしれない。水の浮力の代わりに上昇気流を利用しているというわけだ。まあ、鳥型では当たり前過ぎて面白くないという作者の側の事情があることも否定はしない。

 翼を持つ鳥が飛行機のように飛んでいるというのなら、タンポポ生物はローターが止まったヘリコプターのようなものだと言えるだろう。ローターブレードの幅を狭くして100本前後まで増やし、回転を止めた形だ。ローターが回転しないのなら胴体が逆回転するのを防ぐためのテールローターもテールブームもいらないが、そのままではひっくり返ってしまいやすいのでローターマストを長くして安定させる。これがタンポポ生物の基本形になる。

 ここまで来れば彼らが生きている環境も見えてくる。そこは広い面積で強い上昇気流が発生している場所だろう。その大気の底はどうなっているのかまでは追求しないが、木星のような巨大ガス惑星なら温かい水素の海が存在しているかもしれない。

 上昇気流のシャフトの外では下降気流も発生しているはずだ。それに巻き込まれると墜落することになるから下降気流に巻き込まれないための最低限の移動能力も必要になる。流体力学は専門外なのだが、ブレードの円盤全体を傾けることで揚力の一部を前進する力に変えることができるんじゃないかと思う。あるいはブレードの一部を捻ることで気流を曲げるか、だな。いずれにしろ、前進するのには揚力を犠牲にせざるを得ないので、上昇気流の強い所では素直に上昇し、それが弱い所では強い領域に向かって滑り降りていくというような飛行経路を取っているだろう。

 彼らは地球の魚や鳥のように素早く動くのは無理だから、食べているのは気流に乗って上昇してくる小さな空中プランクトンだ。しかし、ブレードに向かう気流を乱すのはまずいのでブレードの中心から下へ向かって細く硬いしっぽを伸ばし、その下に内臓を納めた胴、さらにその下に獲物に向かって伸ばせるような頭が付いている。頭にはもちろん口と獲物に狙いを付けるための感覚器官がある。こうなると、タンポポの綿毛からぶら下がっている卵を呑み込んだヘビだな。〔かわいくないぞ〕

 感覚器官は見通しが効くなら眼でいいだろうが、光が弱いのならコウモリのように音波を発信してその反射波で探知するか、ガラガラヘビのような赤外線感知器官でもいいだろう。

 生殖行動も問題だ。お互いのブレードが重なるほど接近すると渦輪が干渉して揚力に影響するはずだ。アンコウのように雄を思い切り小型化して、雌の渦輪に影響を与えないようにしてしまえばいいか? それでは不用意に雌に接近すると食われてしまいそうなのだが……。あるいは雌の下方に占位して、ブレードの隙間を通り抜けられるようなサイズの精液の泡を上昇気流に乗せて届けるという手もあるかもしれない。それを咥えた雌に「あっ。これ、呑み込んじゃいけないやつだわ!」と気付いてもらえればよし、そのまま呑み込まれてしまっても栄養になるから無駄にはならない。

 胴が大きく膨らんでいる大型の個体は子持ちの雌である。地上に降りることのない彼らはカンガルーのような育児嚢で我が子を育てるのだ。

 子どもが重くなって、もうこれ以上育てられないと判断した母親は我が子を育児嚢から引きずり出す。上昇気流の中に放り出された子どもはたたんでいたブレードを展開して浮遊生活を始めるのだが、ここで失敗した子は大気の底まで真っ逆さまである。また自分が十分に成長する前に妊娠してしまった母親は、まだ一人では生きられない未熟児でも放り出すしかない。残酷なようだが、体重が渦輪の揚力で支えられる限界を超えたら高度を維持できないのだ。

 年老いた個体は一部の地球人男性のようにブレードが抜けていくだろう。揚力が減って自分の体重を支えきれなくなったら、やっぱり大気の底へ墜ちていくしかない。

 こうして餌が供給されることで大気の底に棲むプランクトンが繁殖し、その一部が上昇気流に巻き込まれてタンポポ生物のいる高度まで押し上げられ、彼らに食べられる。この食う食われるの連鎖が上昇気流生態系を維持しているのだ。



   次回予告

 宇宙の膨張が加速している。

 次回「暗黒エネルギー」流れ込んでいるのか、増殖しているのか。




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     暗黒エネルギー


 ウィキペディアによると「暗黒エネルギー」(ダークエネルギー)とは「現代宇宙論および天文学において、宇宙全体に浸透し、宇宙の膨張を加速していると考えられる仮説上のエネルギーである」のだそうだ。

 1998年に遠方のⅠa型超新星の観測結果から宇宙の膨張速度が加速していることが確認された。しかし、天体同士の間には引力が働くから、それ以上の力で内側から押し広げられているのでなければ宇宙の加速膨張を説明できない。計算では、この宇宙を構成しているもののうち、通常の物質は約5パーセントにしかならず、残りは観測できない暗黒物質と暗黒エネルギーで、それぞれ約27パーセントと約68パーセントということになるらしい(数値については諸説あります)。

 Ⅰa型超新星というのは、白色矮星と呼ばれる核融合を起こすための水素原子を使い尽くして高密度の灰のようになってしまった恒星の表面に連星を成している通常の恒星から供給された水素が降り積もり、質量が太陽の約1.4倍(チャンドラセカール限界)を超えると超新星爆発を起こすというものである。この数字は宇宙のどこであっても同じということになっているので、その明るさを観測すればその恒星までの距離を決定することができるという、とても便利な宇宙の物差しである。しかし、この物差しの目盛りが狂っている、つまり遠方のⅠa型超新星と近くのそれとでは爆発のメカニズムに微妙な違いがあって、チャンドラセカール限界も違っているというようなことは……ないということなんだろうなあ。

※最近、違いがあるかもしれないという観測結果が得られたらしい。宇宙誕生直後と今とでは各種元素の存在比率も違っているだろうしな。


 宇宙の膨張が加速し続けていくと、遠方の天体との相対速度が見かけ上光速を超えてしまって、その光が地球に届かなくなっていく。この状態が進行していくと、いつかは我々の銀河系と重力でお互いに結びつけられている天体以外は観測できないという状態になってしまうのらしい。この天の川以外の星がほとんど消え去った夜空のことを「ド・ジッター宇宙」と呼ぶのだそうだ。これはウィレム・ド・ジッター先生が解いた一般相対性理論の重力場方程式の3つの解のうちの1つである。わかりやすく言えば、すでに絶滅してしまったとも言われている暴走族のリーダーが「よっしゃあ。おまえらぁ、しっかりついてこいよぉ!」とアクセル全開で加速していって、ふと気が付くと他のメンバーが誰もいなくなっていたというようなものだろう。つまり「やっべぇ。ドジったー!」というわけだ。〔…………〕

 ええと、今のところ暗黒エネルギーの正体についてはいくつかの候補が挙げられている段階にすぎない。

(1)宇宙定数Λ(ラムダ)が存在する。

 1917年、アルベルト・アインシュタイン先生が発表した重力場方程式には宇宙項が付け加えられていた。これは宇宙の大きさは不変であると考えていたため、天体の重力によって宇宙が収縮してしまわないように宇宙定数を加えたのだとされている。その後、宇宙が膨張していることが明らかになったため、アインシュタイン先生は「人生で最大の過ちだった」と後悔したのだそうだ。ところが、ビッグバンの初期条件を説明する宇宙の急速膨張インフレーションモデルでは宇宙項に相当する真空のエネルギーが必要になるのだった。この、必要だと思って付け加えたら「必要ない」と言われて、その後「やっぱりあった方がいいみたい」と評価が変わったのがいわゆる「アインシュタインも宇宙定数の誤り」ということわざの由来である。〔嘘つくな!〕

(2)クインテッセンス。

 ウィキペディアによると、クインテッセンスとは「1998年に、物理学者たちによって重力、電磁気力、弱い力、強い力以外の基本的な第五の力として提案された」ものらしいから「宇宙定数」を量子論の言葉に翻訳したようなものなんじゃないかと思う。中間子とかクォークとかのように、物理屋さんの世界では観測結果をうまく説明できるなら何を仮定しても許されるのだ。それが発見されれば「ビンゴ!」だし、それは存在しないようだとなったら、また別の仮説を発表すればいい。そうして進歩していくのが科学なのだ。

(3)真空のエネルギーが残っている。

 138億年前に宇宙を急速膨張させたエネルギーは宇宙マイクロ波放射という痕跡だけを残して消滅したはずだった。それがごくわずかでも残っていれば、それが宇宙を膨張させるエネルギーになり得るということらしい。しかし、インフレーションは現在の宇宙よりもずっと高い密度で起きなければならないのと、宇宙誕生の初期で完全に終わったはずだという反論もある。あるいは圧力の低下によって液体が気体になるようにエネルギーが相転移を起こして、その性質が変化したということなのかもしれない。

(4)別の宇宙から供給されている?

 こうなるともうSFだが、この宇宙と隣接して存在している観測不能の宇宙から暗黒エネルギーが流れ込んできている可能性はないとは言えまい。この接合部分がいわゆるホワイトホールならば、その近くでは宇宙膨張の加速度が大きくなっているだろう。こういう加速度のムラは観測されていないんだろうか? あるいは2つの宇宙が重なり合って存在していて、宇宙全体にじわーっと染みこんできているのかもしれない。もしもこれが暗黒エネルギーの正体だったならば、何百億年か後には双方の宇宙の暗黒エネルギーの量がバランスして、宇宙膨張の加速度がゼロになってしまうかもしれない。

(5)増殖するエネルギー?

 宇宙の膨張が加速していることを説明するのには「増殖するエネルギー」の存在を仮定するのも有効であるのらしい。

 相対性理論では質量とエネルギーは同じものとして扱えるのだから、星間物質のようなごくわずかな質量をエネルギーに変換するシステムがあれば宇宙の膨張を加速できるだろう。〔そうかあ?〕

 半村良先生の伝奇小説『妖星伝』では時間の流れを加速する「意思を持った時間」というものの存在が示唆されていた。それなら増殖する「意思を持ったエネルギー」の存在を仮定してもいいだろう。それはもう生命体と呼んでもいいものになるかもしれない。つまり「見えないエネルギー生命体」である。〔おお、SFだ〕

 作者はこの章を書き始めるまでエネルギー生命体は存在できないと思っていたのだが、SFの辞書に不可能の文字はほとんど存在しないのだなあ。将来においても相対性理論が修正されることはない、という保証はないのだし。



   次回予告

 地球外知的生命体は存在するはずだ。しかし……。

 次回「SETI」メッセージが確認されたらお祝いしよう。




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     SETI


 ウィキペディアによると「SETI」とは「地球外知的生命体による宇宙文明を発見するプロジェクトの総称である」のだそうだ。

 1960年に世界初の電波による地球外知的生命体探査であるオズマ計画が行われて以来、現在でも多くのSETIプロジェクトが行われている。今、最も大規模に行われているのは電波望遠鏡で受信した電波を解析して地球外知性体から発せられた信号を探すというやり方である。他にも赤外線や可視光による観測も行われているし、地球からメッセージを発信したこともある。また、パイオニア探査機の金属板やボイジャー探査機のゴールデンレコードのようなアクティブSETIも行われている。これは無人島に流れ着いた遭難者がビンに手紙を入れて海に流すようなものだな。

 1977年には射手座の方向からやって来た「Wowシグナル」と呼ばれる強い電波が受信され、有意信号の可能性が指摘されたこともある。また、SETIプロジェクトの一つにSETI・アットホームもある(「あった」になるかもしれない)。これはプエリトルコのアレシボ天文台(2020年12月に崩壊した)で受信した宇宙からの電波を解析するのに専門の組織だけでは解析能力が不足するので、インターネットに繋がっている世界中の個人のパソコンに分散処理させて解析しようというものだった。その他、日本でも電波観測や赤外線観測の他にハイパワーレーザー検出などを目的とした光学的知的生命体探査が行われている。しかし、残念ながら地球外文明からの信号だと確認されたものはまだない。

 電磁波は距離の二乗に比例して減衰していく。距離が2倍になれば強さは4分の1に、3倍なら9分の1になってしまうのだ。これでは、あの恒星系には電波信号を解析できるような知的生命体がいるに違いないという予想のもとに、太陽系に向けて電波信号を超高出力で発信してもらわないとノイズの中に埋もれてしまうだろう。レーザー光による通信なら減衰し難くはなるだろうが、その分指向性が高くなるので狙いがわずかでも外れていたら終わりである。おそらく研究者の皆さんの本音としては太陽系全体に多数の電波望遠鏡を設置し、それらをすべて同じ方向に向けて、太陽系サイズの超巨大なアンテナとして観測をしたいのだろう。レーザーのセンサーならさらに桁違いに広い範囲にセンサーを配置したいはずだ。SETIが地球規模で行われているのは予算の都合というわけである。

 さてさて、我々の銀河系に存在していて、地球人類とコンタクトする可能性がある地球外文明の数を算出するドレイクの方程式というものがある。これは①この銀河系の中で一年間に誕生する恒星の数✕②1つの恒星が惑星を持つ確率✕③1つの恒星系が持つ生命が存在できる環境を備えた惑星の平均数✕④生命の存在が可能となる状態の惑星において生命が実際に発生する確率✕⑤発生した生命が知性を獲得する確率✕⑥発生した生命体が星間通信を行う確率✕⑦知的生命体による技術文明が通信をする状態にある期間、で表される。1961年にフランク・ドレイク先生は①を10(1年に10個の恒星が生まれる)、②を0.5(生まれた恒星の半数が惑星を持つ)、③を2(惑星を持つ恒星は生命が存在できる惑星を2つ持つ)、④を1(生命が存在可能な惑星では必ず生命が生まれる)、⑤を0.01(生命が発生した惑星の1パーセントで文明が生まれる)、⑥を0.01(文明が生まれた惑星の1パーセントが星間通信をする)、⑦を一万(星間通信ができる文明は1万年存続する)とした。すべてを掛け合わせると10、つまり、我々の銀河系には常に10個の星間通信を行うような文明が存在しているということになる。この数字が地球外知的生命体探査を推進するための強力な動機付けとなったのだそうだ。

 しかし、予想された地球外文明の存在確率の高さと、実際にそういう文明と接触した証拠がないということは矛盾する。これが「フェルミのパラドックス」である。これについて故カール・セーガン先生は⑦の文明の存続期間が問題だと考えていたようだ。それは、今の地球の文明は誰かがボタンを一押しするだけですべて破壊されてしまうような状態だからだろう。他の星の文明はまだ生まれていないか、あるいはすでに滅んでしまっているというわけだ。これも一つの可能性ではある。

 SFだと、宇宙には高度な文明が数多く存在しているのだが、あえて地球人に気付かれないようにしているのだ、というのもあったような気がする。我々が動物園に行くように、あるいは顕微鏡で微生物を観察するように、原始的な生き物を愛でているというような話だな。わざわざ侵略するために地球にやって来て命に関わるような悪い病気をもらってしまった異星人もいたことだし、真の知的生命体は他の星の生き物に関わったりするとろくなことにならないということを理解しているのかもしれない。

 作者個人としては、地球外知性体が大出力の電波やレーザーを使うような機械文明を築くだろうか、という点も問題になると思っている。

 インドネシアやオーストラリア近海に棲息しているミミックオクトパスというタコはミノカサゴ・ウミヘビ・カレイ・クラゲなどに擬態する。彼らは捕食する時には周囲の景色に溶け込むように擬態し、捕食者の攻撃を受けた時にはその天敵に擬態するのだそうだ。さらに人間のダイバーには擬態が通用しないことを学習すると擬態するのをやめてしまうのらしい。他にも水族館で飼育されているタコは周囲の人間を嗅覚や味覚で識別しているなど、知性を感じさせる行動が数多く観察されている。また、カラスがクルミを車に轢かせて割るという行動もよく知られているし、平山廉先生の『カメのきた道』では蛇行する川の岸に沿って移動していたカメが年を重ねると陸地を直線的に突っ切って近道をするようになる例が報告されている。ミツバチが蜜のある場所を仲間に教えるための8の字ダンスも原始的な言語だと言えるだろう。

 あくまでも個人的な印象だが、地球の多くの生物はその環境で生き残っていくために必要なだけの知性を持っているのではあるまいか? もしかすると他の恒星系の生命体では、間違って必要以上の知性を獲得してしまっても、石器のナイフとか、せいぜい槍を作る程度の段階で意識的に文化の発展を止めて、他の生命体や惑星環境と永く共存していく道を選ぶような知性が一般的で、地球人のように文明を築いてしまうほどに知性を暴走させてしまうことはほとんどないのかもしれない。

 それでも地球外知性体からのメッセージを受信する可能性はゼロではないはずだ。耳を澄ませておく価値はあるし、探査機に手紙を託すのもいいだろう。そして明らかに意味のある信号が確認されたならば、その時には日本の伝統的なハレの日の料理を造ってお祝いするのがいいのではないかと作者は思う。これがほんとの「おSETI料理である。〔…………〕



   次回予告

 ギンコガネグモの体長は12ミリ。ショウジョウバエは3ミリ。

 次回「誘引説のトリック」外道だ!




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     誘引説のトリック


 アメリカ版のウィキペディアを開いてみたら「Argiope argentata」(和名はギンコガネグモ)の雌成体の体長は12ミリ」と書かれていた。「エウレカ!」である。

 これでクレイグとバーナードが1990年に発表した「隠れ帯が昆虫をを誘引する」論文の基になった実験がどういうものだったのかがほぼ明らかになったと思う。論文に不適切な記述があるのには気が付いていたのだが、そのための実験でも実に幼稚なトリックを使っていたようだ。

 さて、まずは『国立〇〇博物館ニュース』というサイトの「〇〇〇〇〇の不思議」というページの記事を紹介しよう。もちろん著者の名前は出せない。

「ナガコガネグモの円網の中央には、太い白帯が付けられています。ナガコガネグモだけではありません。コガネグモやゴミグモ、ウズグモの仲間の網にも白帯が見られます。このような白帯を「隠れ帯」と名付けたのは日本のクモ学の先駆者岸田久吉博士でした」として、いままでに発表されてきた仮説が並べてある。

(1)白帯がクモの体を天敵の眼から効果的に隠している。(隠蔽説)

(2)網を破られないように、鳥に対して威嚇している。(威嚇説)

(3)網を張り終えた後、網の不具合を調整している。(調整説)

(4)網を補強している。(補強説)

(5)同じクモが白帯の形態を変えることによって、天敵に学習されるのを防いでいる。(困惑説)

(6)脱皮室や住居の名残りで現在は単なる飾りになってしまっている。(痕跡説)

(7)水分を集める。(集水説)

(8)太陽光線を避ける。(日傘説)

 なんとまあ……作者はナガコガネグモを1シーズン観察しただけで隠れ帯の機能を理解したというのに……クモの研究者というものはクモのことを知らなくても勤まってしまうものなんだろうか? いやいや、作者のように野生のクモに積極的に手を出して、その反応を観察するというやり方の方が邪道なのかもしれない。正しいクモ観察の作法を先生様にご教授していただいたわけでもないしな。まあ、正しいやり方をしなかったからこそ、正しい答にたどり着いたわけだが。

 この先でいよいよクレイグとバーナードの論文、作者が1シーズンを無駄にしたデタラメな都市伝説に繋がるヨタ仮説が登場する。

「白帯の意義については以上のように多くの考察がされてきましたが、実験による決定的な証拠を欠いていました。自然は観察しているだけではその正体を見せてくれない場合があります。白帯の研究でも実験が必要でしたが、1990年にユニークな研究が発表されました」「研究したのはアメリカのクレイグさんとバーナードさんで、コガネグモの一種Argiope argentataで白帯が紫外線を反射していることと、網自体は紫外線をほとんど反射しないこと、白帯があるほど網に昆虫がよくかかること(誘引説)を証明しました。実験に用いた昆虫はショウジョウバエで、ハエの捕獲率は網だけの場合に比べて白帯があれば1.5倍、白帯とクモがあれば1.7倍にも上がりました。白帯は昼行性のクモの網にしか見られないことから、その意義が太陽光線に関係していることは予想されていましたが、昆虫がわざわざ寄ってくるとは! 昆虫の目には白帯やクモが花同様のものにみえるのでしょうか。あらためてクモの網の巧妙さに感心させられます」だそうだ。

 巧妙なのはこんな実験を考案した人間の方だな。まあ、それはいいとして、英語で書かれた論文の要旨には「昆虫が誘引される」と書いてある。しかし、この実験で誘引されたのは「ショウジョウバエ」なのだ。ショウジョウバエは確かに昆虫だが、昆虫はショウジョウバエだけではない。ここでまずトリックをしかけているわけである。

 そして、紫外線を反射する花びらがあるのは事実だろうが、そこに向かって飛んで行くのは花の蜜を求めるハチやチョウの類だろう。ウィキペディアによれば、野生のショウジョウバエが食べているのは「熟した果物類や樹液およびそこに生育する天然の酵母」だそうだ。したがって紫外線を反射する物に誘引される理由はまったくない。この実験でショウジョウバエが求めたのは羽を休める場所だろう。

 そしてコガネグモ科のクモの隠れ帯は本来、網にかかった獲物の動きを封じるための捕帯を流用したものだ。作者はアメリカまで確認しに行くほど暇ではないが、体長12ミリのギンコガネグモなら狙っている獲物は体長8ミリから16ミリくらいの大暴れする獲物だろう。体長3ミリのショウジョウバエなど釣りで言う外道である。これもトリックだ。

 作者はナガコガネグモ数匹とコガネグモ1匹に獲物を与え続けるという実験をしたことがあるのだが、この子たちでは「十分な量の獲物を食べた後に隠れ帯を付ける」というデータしか得られなかった。クモの研究者はなぜ、こんな素人でも見破れるような初歩的なトリックに引っかかってしまうんだろう? 生きているクモを観察したことがないんだろうか。それとも論文の著者の良心を信じているのか? ああっと、アメリカにいるクモだからアジアやヨーロッパの研究者には追試ができなかったということなのかもしれない。どこでも手に入るクモだったら、あのSTAP細胞論文のように世界中の研究者から袋叩きにされていたんじゃないだろうか。

「ところで、クレイグさんの実験によって白帯の機能が証明されたのは、コガネグモの仲間です。例えばウズグモの仲間では網自体が高い紫外線反射率をもち、昆虫を誘引していますから、白帯の機能はまた別かもしれません」ほらまた「昆虫」だ。それにウズグモの仲間は体長6ミリ以下の小型種がほとんどのようだ。それくらいの大きさのクモが誘引したいのは、まさにショウジョウバエクラスの小型昆虫だろう。

 もしも作者がペテン師から「ギンコガネグモとショウジョウバエを使って1.5倍と1.7倍というデータを取得しなさい」という課題を与えられたとしたら、縦横高さがそれぞれ200ミリの飼育箱を用意する。そして、その中に入れたギンコガネグモが隠れ帯付きの網を張ったら、ショウジョウバエを4万匹入れるだろう。これは飼育箱の内側の総面積が2万4000平方ミリなので、ショウジョウバエ1匹がとまるのに必要な面積を6平方ミリとして、これだけの数で飼育箱の内面全体を覆うことができるという計算だ。壁4面と天井と床がショウジョウバエで覆い尽くされたら、さらに100匹追加。羽を休める場所がないショウジョウバエたちは仕方なく目に付いた隠れ帯にとまろうとして網にかかってしまうというわけである。後は結果を見ながら微調整すればいいだろう。

「1.5倍」にしろ「1.7倍」にしろ、数字は嘘をつかない。しかし、人間はその数字を使って嘘をつくことができるのだ。



   次回予告

 自転車生物は起き上がれるか。

 次回「前後二足歩行の問題点」過ぎたるはなお及ばざるがごとし。




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     前後二足歩行の問題点


 前足と後ろ足が1本ずつのイヌのような地球外生物が登場する動画を見たことがある。確か「高速で走るために前足と後ろ足がそれぞれ融合する方向へ進化した」というような説明がされていたはずだ。これは笑えた。前後二足歩行というのは我々がロードバイクに乗っている状態に近い。そういう体制では横向きに寝た状態から起き上がることさえできないだろうと思ったのだ。

 しかし、結論から言えば作者は間違っていた。実験してみると、横になった状態からでも肘と膝を曲げて腹ばいになってからであれば立ち上がれることがわかったのだ。すっかり忘れていたのだが、地球人の腕や脚には関節が付いていたのだなあ。〔あなたは人間よ。人間なのよ!〕

 問題はそれだけではない。餌を食べたり水を飲んだりする時はどうするんだ? 立ち止まったら横倒しになってしまうんだぞ。腹ばいの姿勢を取るか? 胸や腹を地面につければ安定はしそうだが、それは何というか……食べたり飲んだりの途中で捕食者に襲われたら逃げ遅れてしまうことになりそうな気がする。

 さらに後ろ足が1本では排泄する時に後ろ足を広げることができないから脚が排泄物まみれになってしまうはずだ。腸をしっぽの先まで伸ばして、その後端から排泄するか? カンブリア紀の海には節構造のある尾びれのような器官の後端中央に肛門がある、魚に似た体型ではあるが、魚ではない動物も生きていたらしいのだが、こういう体制では尾びれを動かす筋肉と消化器官がお互いにじゃまをし合う関係になってしまう。地球では消化器官は尻びれより前に、そこから尾びれまでは骨と筋肉だけという体制の魚たちが生き残ったのはそういうわけだろう。

 さてさて、このように前後二足歩行というのは無理があると思うのだが、では3本足ならどうだろうか? 前足が2本あれば、少なくとも食べたり飲んだりは立ったままでできるはずだ。

 地球の陸生脊椎動物が四足歩行を基本としているのは水中生活をしていた時代の祖先である魚が胸びれ一対と腹びれ一対の4枚のひれを持っていたからだ。そこで「もしも」を導入して、腹びれを持たない魚から進化させてみよう。前足は2枚の胸びれから、後ろ足は1枚しかない尻びれから進化させれば3本足の陸生動物ができあがる。肛門はやっぱりしっぽの後端にするのがいいだろう。

 彼らが陸上に進出すると、その歩き方は①右前足②左前足③後ろ足というようなものになるだろう。これだと前足2本で体重を支えた状態で1本だけの後ろ足を前に出すという、陸に上がったアシカのような動作が必要になる。その度に背骨を上下に曲げ伸ばしするという歩き方になるから爬虫類のように低い姿勢を維持したまま体をくねらせて歩くというわけにはいかない。ということは、この惑星では爬虫類は生まれないかもしれない。太くて長いしっぽも大きなハンディキャップになるだろうしな。

 いやいや、逆に二股になったしっぽと2本の前足で体重を支えておいて、後ろ足を踏み出すという方向へ進化することになるか? そうすると、この惑星で地球のティラノサウルスに相当する生物が生まれるとしたら1本足のゴジラのような直立した姿勢に……違うな。逆に後ろ足を退化させて前足だけを使う水平姿勢の二足歩行をした方が巨大な頭部とのバランスがいいかもしれない。一本足でピョンピョン跳ぶよりも移動効率は上がるだろうし、関節の負担も少なくなるはずだ。

 後ろ足が1本しかないというのは樹上で暮らすサルにとっても大きな問題になるだろう。垂直の幹にとまることができるキツツキの仲間のようなかぎ爪を獲得する必要があるかもしれない。

 そして、人類のように直立姿勢を取る場合には後ろ足が1本しかないということが大きなハンディキャップになる。しっぽを補助にするにしても妖怪傘小僧のような一本足である。下駄まで履くことはあるまいが、一本だけの脚で高い位置にある大きく重くなった頭部を支えているという体制はいかにもバランスが悪そうだ。

 この問題を解決する道は逆立ちしかあるまい。両足の間に頭、その上にある胴のてっぺんから1本だけの腕と肛門の付いたしっぽが生えているという体制である。これなら地球人と同程度まで脳が重くなっても無理なく支えられる。むしろ重い頭が足の間にあると重心の位置が低くなるから地球人よりも機敏に動けるかもしれない。ただし、両足によって視界が制限されるから捕食者に後ろから接近された場合に逃げ遅れる可能性は高くなる。一長一短だな。また頭が心臓よりも下にあると、血圧が高い個体は脳の血管が破れてしまいやすいかもしれない。ということは、そういう感情の起伏が激しい個体はどんどん淘汰されていって、穏やかな性格の個体だけが生き延びていくことになるかもしれない。争い事は減るだろう。

 ああっと、胃の下に食道という配置は胃液が流れ落ちてきて胸焼けの原因になりそうだな。そして1本だけの腕が眼の位置からかなり離れた所に付いているというのは知性を獲得するのが遅くなる要因になるかもしれない。総合的に判断すると、やはり陸生動物の足は4本以上あった方がいいようだ。〔当たり前だ!〕

 それでは逆に足の数を増やしてみることにしよう。陸生動物の進化の出発点を古生代に生きていた棘魚類のクリマティウスのように腹側に6対12枚のひれプラス1枚の尻びれを持っていた魚に置くのだ。彼らは初めて顎を獲得した時代の魚の一種で(それ以前の魚の口はヤツメウナギのようなただの穴)、中生代の到来を待たずに絶滅してしまったのだが、それでも2億年以上もの間存続していたのだから、少なくとも古生代においては12枚のひれも致命的な弱点にはならなかったのだろう。

 12枚のひれから進化するのなら陸棲動物の足も最大で12本になり得るのだが、そこまで多くの足は必要ないだろうから4本足の場合よりも早い段階で腕を獲得することになるはずだ。この場合、6本足プラス六本腕とか、4本足プラス四本腕プラス4枚の翼などの可能性もあるとは思うのだが、残り枚数の都合上、2本足で10本の腕を持つヒューマノイドについてだけ検討させていただこう。千手観音様の腕を10本に減らしたような体制だ。

 腕が10本もあったら「強く抱いてっ」なーんて言われてその気になった男が彼女を地球人の5倍の力で抱きしめて、彼女の肋骨や背骨をへし折ってしまうかもしれない。〔よい子は真似しないでね〕

 そんな危険を乗り越えて家庭に入った奥さんは包丁を使いながら鍋とフライパンとグリルとオーブンで同時に調理ができてしまう。おかずの品数が一気に増えるのだ。旦那さんはいくら主食を減らしても太ってしまうことだろう。

 論語には「過ぎたるはなお及ばざるがごとし」という言葉があるのだが、腕の本数も多すぎるのはよくないのだなあ。〔当たり前だ!〕



   次回予告

 あっはっはっはっは。これは苦しいぞ。

 次回「ぜんそく日記」聴力も低下した。




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     ぜんそく日記


 3月25日。天気がよくて暖かかったので、気が付いた時には70キロ走ってしまっていた。冬の間はトレーニングをサボりがちになるので、少しずつ走行距離を伸ばしていくのが正解だということはわかっていたのだが……。

 帰宅してみると喉がいがらっぽい。持病の慢性的な気管支の炎症が悪化し始めているようだった。この時点で炎症を抑えるために常用しているステロイド剤を1日一錠から二錠に増やしていれば、それ以上悪化するのを食い止めることができていたかもしれない。しかし、今のかかりつけ医はぜんそくの診断基準を喘鳴ぜんめい、つまり呼吸に伴うゼイゼイヒューヒューという胸の雑音が聞こえるかどうかに置いているらしいので、夜の間しか症状が現れず、医者の診察を受ける頃には症状が治まってしまう作者のような場合には「お前なんかぜんそくじゃない!」と言われて終わりなのだ。肺機能検査をしないとぜんそくだとわからないような患者なら、ぜんそくという診断を出さなければ楽ができるということなんだろう。病気になったり、有能な医者を見つけられない患者の方が悪いのだし。

 ではどうするか? とりあえず放置である。半日を浪費してちゃんとした診断すらもらえないのなら診察を受ける意味もない。作者のような珍しい病気だと内科医の4人中3人、耳鼻科医は16人中15人は無能なヤブ医者なのである。なお、ここで耳鼻科医が出てくるのは、作者のぜんそくは白血球の一種の好酸球が気管支の正常な細胞を攻撃している自己免疫疾患であり、この好酸球は鼻の粘膜まで攻撃するからだ。知識だけは豊富な耳鼻科医が口を滑らせた非公式の診断によると、作者は最近になって難病に指定された好酸球性副鼻腔炎で、いつかは臭いがわからなくなるということだった。ちなみにこの病気が進行すると好酸球性中耳炎を併発して、最終的には耳も聞こえなくなるらしい。

 さてさて、去年は風邪の症状から右の鼓膜が破裂した上に一時的に難聴になったのだが、今年はどこまで行くんだろうかなあ……。


 4月1日、午前10時。起き上がろうとしたら倒れてしまった。意識ははっきりしていたから脳貧血ではない(と思う)。体温は37.1度。

 

 4月2日、午後1時。注文しておいたパルスオキシメーターを受け取るためにコンビニへ行ってきた。これは動脈を流れる赤血球の中のへモグロビンの何パーセントが酸素を取り込んでいるかを数字(酸素飽和度という)にして見せてくれるという優れものである。さっそく計測してみると、90パーセント。ちなみに正常値は96~100パーセントだ。80パーセントまで低下したら問答無用で酸素吸入というレベルである。前日に倒れたのは酸素飽和度が低下したためだったようだ。酸素不足に対しては深呼吸が有効なのだが、現状では深呼吸するとひどい咳が出る。もしかすると炎症を起こしている気管支を無意識にかばっているのかもしれない。

 なお、かかりつけ医は「酸素飽和度」という用語すら知らない様子だった。


 4月3日、午前7時30分。体温を測ろうとしたのだが、脇下だと三八度を超えても測定が終わらないので舌下温測定に切り替える。すると、あっという間に測定が終わって38.3度。こういう使い方もできる。

「測ったな、シャア!」

「脇下とは違うのだよ、脇下とは!」〔台詞を混ぜるなよ〕

 買い物に出ると途端にひどい頭痛が始まる。どうも38度を超えたらあまり動きまわらない方がいいようだ。非武装地帯の向こうは北〇鮮だものなあ。しかし、看護関係のサイトを開いてみると「38度から38.9度までは中等度の発熱。39度以上が高熱」とされていた。まだまだ高熱のレベルではないわけだ。以前インフルエンザで39度を超えた時はこれほどつらくはなかったと思うのだが、それは頭痛がなかったせいかもしれない。この頭痛も酸素飽和度の低下のせいなんだろう。いわゆる高山病だ。あるいは老いたというだけのことかもしれない。

 午前10時。昨夜の午後10時から始まった喘鳴がまだ続いている。最初からこうなら10年もかけて肺機能検査を受けるようなこともなく「ぜんそく」という診断をしてもらえたんだろうけどなあ。

 試しに寝てみるとやはり苦しい。気管支が炎症を起こしている時に横になると、重力が気管支を押しつぶす方向に作用するのだ。「呼吸が苦しい時は布団の山を作ってそれに抱きつくようにして眠るといい」ということになっているのだが、うちには山にするほどの布団はない。

 息を吸うのは問題ないのだが、吐こうとすると呼気の後半がスタッカートのような断続になってしまう。文字にすると「すう~~」「はあァァァァ」というところだ。腹筋の動きから判断すると、スタッカートの部分は「ゴホン」よりもはるかに小さな咳の連続らしい。とりあえず「せき子ちゃん」と名付けることにする。かわいい名前を付けたからといって楽になるわけでもないんだが。

 昼過ぎに横になって、少なくとも4時間、最大に見積もって6時間くらいは眠れたらしい。

 午後五時。面白いことを思いついた。浅く速い呼吸をすれば呼気の後半のスタッカートをパスできるのではないか? 実際に試してみると……ビンゴ! 酸素飽和度も96パーセント。 今期自己最高である。うーむ、人体の神秘。未知なるものとの出会い。これだから人生はやめられない。〔やめたら死ぬぞ〕

 しかし、せき子ちゃんはこれ以降姿を見せなくなるのだった。もう一度会いたいとも思わないが。


 4月5日。頭が痛い。少しふらつく。聴力はさらに低下。書店で文庫本を買った時に店員さんが「カバーをかけますか」と言ってくれているのが聞き取れない。

 午後三時珍しく食欲を感じたので、コンビニおにぎりと飲むヨーグルトを買ってくる。おにぎり2個を完食。顎が疲れた。もう寝よう。


 4月10日。咳はまだ出るが、聴力は回復した。酸素飽和度も94~96パーセント。峠は越えたようだ。……山だったかな?


 4月11日。体重計に乗ってみると3キロ減っていた。いいダイエットになったとは言えるかもしれない。



   次回予告

 牽引ビームについて考えてみた。

 次回「重力波レーザー」おにぎりをギュギュギュギューっと。




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     重力波レーザー


 これはただ単に「重力波」と「レーザー」を組み合わせただけの言葉遊びだったのだが、もしかすると、これはスペースオペラでおなじみの牽引ビームとして使えるのではないかと思ってしまったわけだ。〔また余計なことを……〕

 なお「LASER」とは「輻射の誘導放出による光増幅」の頭文字らしいから重力波に対して使っていいものではないのだが、ここでは位相を揃えて重力に指向性を持たせるという意味だと思って欲しい。それとも「GASER」にするかな。

 念のために言っておくと、牽引ビームには例の破線状に伸びていく光線が付きものなのだが、あれは単なる着陸灯の代用品で、薄いガスにレーザーを当てて発光させればいいのだからたいしたものではないよ。

 さて、まずは重力についておさらいをしておこう。重力とは何かというと、最近ではニュートン先生もリンゴも出て来なくて、相対論的に「その物体の質量によって生じる時空の歪みが他の物体を引き寄せる作用のこと」というような表現になる。科学雑誌などのイラストでは三次元の空間を二次元に見立てて、その平面のへこみ加減を重力として表現されている。それなら大型宇宙船の格納庫に強力な重力源(小型のブラックホールなど)を置いておけば小型宇宙艇くらい引き寄せるのは簡単だということになる。

 しかし、格納庫にむき出しの重力井戸を発生させてしまうと、近くにあった工具や整備員まで吸い込んでしまいかねない。そこで重力源は重力を遮蔽できる容器に入れておいて、宇宙艇の方向にだけ位相の揃った拡散し難い重力波レーザーを発射しましょうということになるわけだ。

 とはいうものの、技術的なハードルはいくつかある。

 第一に重力源を造らなければならないのだが、これはたいして難しくない。例えば、おにぎりをシュワルツシルト半径よりも小さくなるまで力いっぱいギュギュギュギューっと握ってやればブラックホールになる。〔素手で握ると吸い込まれます。手袋等を使いましょう〕

 このブラックホール化したおにぎりを2つ、逆方向からおにぎり同士がすれ違うように押し出してやると、互いの重力で引きつけ合い、共通重心の周りを周回しながら接近していって、最終的には合体する。こうして2倍の質量のおにぎりブラックホールができるわけだが、この過程で発生する空間の歪みの波が拡散していくのが重力波である。ただし、宇宙艇を引き寄せるとなると、おにぎり2個程度の質量では不十分だろう。レーザーにすることで牽引力を強化できるにしても、もっと大きな質量のブラックホールか、あるいは、多数の牽引ビーム発射機が必要になるはずだ。その時には、小さなブラックホールほどホーキング放射によって蒸発しやすいらしいから数を増やした方が扱いやすいかもしれない。

 ウィキペディアの「ホーキング放射」のページには「量子力学的に真空ゆらぎからトンネル効果により粒子がブラックホールの事象の地平線近くで対生成を起こす。その対生成でできた2つの粒子の一方(負のエネルギー粒子)が地平線に向かって落ち、片方(正のエネルギー粒子)が外へ放出される」という説明がある。ちょっとわかり難いのだが、このホーキング放射によってブラックホールは次第に質量を失い、ついには消滅するのらしい。ということは、一度牽引ビームを使ってしまうと、残ったブラックホールが完全に蒸発するまでは使えないわけだ。無理して使うとブラックホールの成長が暴走して宇宙船まで吸い込んでしまうことになるだろう。〔危なくて使えないじゃないか!〕

 危険度は原子力発電所と同程度だろう。科学技術の進歩で克服できるはずだ。

 第二に重力波が拡散し難くなるように位相を揃えなくてはならない。重力波は全方向に向かって拡散していく性質のものなので、何隻か漂っている宇宙艇や隕石などの中から特定の1隻を格納庫に引き込みましょうという場合には具合が悪いのだ。ただし、重力波の位相を揃えると言っても、どうしたらそれができるのか、そもそもそれは可能であるのかは現時点でわかっていない。光をレーザーにする場合は2枚の鏡の間で光を往復させることで位相を揃える(揃った位相の光だけを選別する)わけだが、重力を反射する素材というものはまだ発見されていないのだ。〔当たり前だ! そんなもんがあったら飛行機もロケットもいらんわい〕

 まあ、この辺りはとりあえず異星人の超技術ということにしておくしかないだろう。それと光のレーザーの場合、その生成効率はせいぜい10パーセントで、残りは熱として捨てられているのだが、重力はどうなるんだろう? 熱にはなりそうもないから思わぬ所に重力が作用してしまうというような問題が発生するんだろうか? それはそれで事故の元になるだろうな。

 ああっと、今思いついたのだが、ブラックホールを合体させるポイントを一直線に並べておいて、タイミングを合わせて次々に合体させていけば、特定の向きに重力波だけを増幅できるんじゃないか? それが可能であるならば、逆方向の重力波は打ち消し合うようにすることもできるかもしれない。これなら重力を反射する鏡はいらない……のかなあ……。

 第三に格納庫の中で宇宙艇を停止させなくてはならない。そうしないと重力波レーザー発射機に激突してしまう。まあ、これくらいなら現代の技術でも不可能ではないな。格納庫の奥にロケットエンジンを設置しておいて、それを噴射することでブレーキをかければいいのだ。それでは牽引ビームを実用化している技術レベルに相応しくないということなら、反重力波レーザーで止めるという手もある。そんな未知の技術は嫌いだということなら格納庫の入口側から重力波レーザーを発射して行き足を止めることもできるだろう。

 第四に重力は空間の歪みなので物質と相互作用をしない。惑星だろうが恒星だろうが簡単に通り抜けてしまう。ニュートリノも似たような性質を持っているのだが、こちらは一応粒子であるので、ごくわずかな確率ではあるが他の物質との相互作用が発生する。ニュートリノが1950年代に観測されていたのに対して、重力波は2015年まで観測されなかったのはそういうわけだ。

 恒星すら通り抜けられるのなら宇宙艇も通り抜けてしまうわけで、目標の後方に他の宇宙船がいたりすると、それまで牽引してしまうことになる。それを防ぐのにも重力波レーザー発射機の数を増やして、複数の方向から弱い重力波レーザーを集中するのが有効だろう。それならそれぞれの発射機の中で合体させるブラックホールも小型化できて安全性と発射間隔の短縮が可能になるかもしれない。

 牽引ビームなんてスペオペの小道具でしかないんだろうけど、その陰にはそれを支えている未知の超技術が存在していることを忘れないようにしたいものだね。



   次回予告

 サイクリングは危険と隣り合わせ。

 次回「ロード乗りの痛い話」腰の痛みに右膝の痛み、骨折に脳震盪。




     『次回予告2 後編』に続く

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