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第五章

 1

 二月二十日 土曜日。

 須貝は本棟の居間にいた。

 北側を向いたフランス窓の前に立ち、冴えた頭で眼前に広がる庭を見つめている。昨夜の晴天から天候は一転。曇天から降り注ぐ雨粒が庭の草をせわしなく叩いていた。風も強い。海原を無尽蔵に飛び回る海風が窓を揺らしている。

 「あ」

 背後から声がした。ふりむくと、使用人の三崎がボブカットの髪からそっと手を離した。

 「おはようございます。お目覚めでしたか」

 須貝は三崎に用意してもらった朝食を無言のまま食べた。食べ終わったあとに、たった今じぶんは何を食べたのだろうと思い出せないことに気がついた。意識は蚊帳かやの外にあった。それほどまでに。

 ひと晩経って、昨夜ふとんの中で覚えたたかぶりはいくらかおさまっていた。完全にではない。ただ自分の使命は恒河沙の素性を探ることだと自分に強くいい聞かせる。恒河沙氷織と恒河沙LAW。ふたりを観察し、あらざらいを犬養に報告する。

 「須貝さんは早起きですね。六時に起きてこられる方なんて、この別荘にはおりませんよ」

 コーヒーをカップに注ぎながら三崎がいった。

 「でも、三崎さんは起きていた」

 「使用人ですから。二ノ宮と神崎もすでに起きております」

 時計の針が七時を指すころ、氷織とLAWのふたりが居間に現れた。心臓がどきりと大きな音を立てる。公安部としての気負いの念を読まれるのではないか。大丈夫だ。須貝は昨日と変わらない笑顔をむけた。

 「おはようございます」

 「おはよう」

 「おはよーさん」

 氷織はロングスカートに白のセーターとシンプルに整った服装だった。対してLAWはゆったりとしたスウェットにどてらを被っている。実家に帰省した大学生のような服装。寝間着のようだ。だがそんなだらしない見た目であっても、全身からかもし出すLAWの神秘的な魅力は抑えきれず、須貝はとっさに目を背けた。

 「あら。おはようございます。朝食を準備しますので、少々お待ちを」

 二ノ宮が出てきて頭を下げた。

 「卵料理は何になさいます。ゆで卵? 目玉焼き? 卵焼き?」

 「目玉焼きでお願いします」

 「うちは炒り卵がええ。フライパンの上でチーズを溶かしてから溶き卵をかける。卵を崩したら、すぐにケチャップをかけてまぜまぜ。ケチャップの酸味とチーズのコクが卵と溶け合った炒り卵の完成や。だいだい色の見た目にちなんで、その名もあけぼのスクランブル。最高やろ」

 「洗い物を増やすんじゃないの。二ノ宮さん。同じもので大丈夫ですから」

 「なんやひぃねえも曙スクランブルを食べてみたかったんか」

 「……目玉焼きとスクランブルエッグをひとつずつ」

 氷織とLAWが食事を終えるころ、建山がゾンビのような足取りで現れた。昨夜は遅くまで鳥羽と都に付き合っていたとのことで、二日酔いがひどいらしい。

 建山に続いて彰が現れた。妻の優里によると、昨夜は優里を部屋から追い出すほど機嫌を損ねたとのことだったが、今の彼は平静な様子だった。一晩を経て落ちついたのだろうか。

 「奥さんとケンカされたそうですね」

 須貝が探りをいれてみたが、彰はけらけらと笑いながらタバコをかした。

 「夫婦だもの。ケンカぐらい珍しくもない」

 優里と顔を合わせるのが気まずいと思わないのか、彰は朝食を終えると居間に座ってスマートフォンをいじり始めた。

 「都先生に会った?」

 食事を終え、温かいコーヒーを飲んでいた氷織が須貝に訊ねた。

 「まだ見えてないですね」

 「そ。今日の予定は昨日話したとおりね。引き続き愛さんと面談」

 時刻が八時を回ったころ、鳥羽と都が連なって居間に入ってきた。昨夜はずいぶんと酒を嗜んでいたらしいが、二日酔いの様子などなくケロッとしている。たくましいオヤジたちだと須貝は小声で毒づいた。

 氷織が都に朝のあいさつをすると、医師は『そうだそうだ』と思い出したように手をたたいた。

 「このあと九時から、お時間をいただけますか」

 「九時から?」

 氷織とそろって、須貝が顔をあげた。

 「愛さんがお呼びです。愛さん本人・・ですよ。探偵さんたちとぜひ話したいと」



 2

 客室棟三階。北側の角部屋。

 九時ちょうどにドアをたたくと、中から都医師が顔をのぞかせた。

 「お待ちしておりましたよ。さぁさぁ」

 部屋の中に入る。昨日訪れたのと同じ部屋。

 だがそこにいたのは同じひとではなかった。

 フロントポケットのついた紺色のロングワンピース。ポケットには金色の装飾が施されたペンがささっている。昨日はシュシュでまとめていた長髪を、今は背中にまっすぐ降ろしている。

 「ご紹介します。正真正銘というべきか。本物の九重愛さんです」

 都医師は大げさに開いた両手を愛に向けた。

 「はじめまして。九重愛です」

 愛は深くおじぎをして、三人に椅子に座るよううながした。昨日と同じ籐の椅子だ。

 「わたしたちがここにいる理由は都先生からお聞きでしょうか」

 氷織がたずねる。愛は小さくうなずいた。

 「探偵さんたちは、本当にわたしがひとを殺すと思っているのですか」

 抑揚のない声で愛はいう。

 「思っていません。ですが、その言葉があなたの口から出たことは事実だと信じています。『殺してやる』という言葉はあなたの内にある殺意ではなく、敵意を表出ひょうしゅつしたにすぎない。その敵意を解きほぐすお手伝いができればと考えています」

 「そうですか」

 愛は表情を崩さない。いや、崩すような表情を持ち合わせていない。希望も絶望も読み取れない。なるほど、『無』だ。『無』の人間が目の前にたたずんでいる。須貝は両腕を組みながらそんなことを考えていた。

 「愛さん。『殺してやる』と発言されたのはどなたでしょう」

 「わかりません」

 淡々と答える。

 「どなたが口にしたと推測されますか」

 「暴風雨。彼女のことはご存じですね」

 愛は背筋を伸ばして静かにベッドに座っている。膝の上に乗せた両手はピクリとも動かない。

 「わたしは過去に何度か暴力事件を起こしました。しかしわたし自身には誰かに暴力をふるった記憶はありません。暴風雨です。すべては彼女がやったこと。責任転嫁ではありません。もし傷つけた相手が謝罪をしろといったらわたしは頭を下げるつもりです。ただ事実は事実として主張したいだけ。暴れまわり、『殺してやる』と口にするとしたら、それは暴風雨の行動です」

 「ですが、根拠はない。暴風雨があなたに告白したわけではないのですね」

 愛はくちびるを閉じたまま首肯した。

 「ちょっと失礼」

 氷織は瞳を閉じ、深呼吸をしてから声を張り上げた。

 「()()()()。聞こえますね」

 音階をひとつ落とした声が室内に響く。氷織の行動に都と須貝の表情は怪訝なものに変わる。LAWは『あは』と笑い、椅子の上でショートパンツから伸びる二本の脚であぐらを組んだ。

 「『殺してやる』。そう発言されたのはどなたですか。わたしはあなたと話がしたい。あなたの真意を知りたい。あなたの苦しみを共有し、いっしょに解きほぐしてさしあげたい。よろしいですか。もしあなたがわたしを受け入れてくれるなら、わたしを呼んでください。いつでも駆けつけます」

 愛は表情筋を微動だにさせず氷織と向き合っていた。

 「トーキングスルー」

 氷織は愛から視線を逸らさずにいった。その声は背後でぽかんと口を開いている須貝に向けられていた。

 「愛さんの中に“沈んでいる”人格たちに語りかけてたの。積極的に前に出てこない人格とは、別の人格を介して声をかけるしかない。それがトーキングスルー」

 「ひぃねえ、ひいねえ。自己紹介せんと失礼やって」

 LAWが身を乗り出して片手をあげる。

 「みなさん。うちの名前は恒河沙LAW。こっちは恒河沙氷織。そっくりやろ? 見てのとおりの美人姉妹や。よろしゅうな」

 愛は無表情のままLAWを見つめている。驚くでも、笑うでも、馬鹿にしているのかと憤るでもない。ただただ『無』。

 「LAW、じゃましないで」

 「じゃまなんかしとらん。うちもひぃねえとおんなじ気持ちや。役に立ちたいだけ。なんか困ったことがあったら、気がねなく声をかけて。解決できる範囲で手伝ったるわ」

 「愛さん。もうよろしいですね」

 都がすっと身を乗り出し、LAWに背中を向けて立ちはだかった。

 「はい。お忙しいところ、ありがとうございました」

 愛は静かに頭を下げる。そのあとに続く言葉はない。無言が支配する室内。潮時しおどきだ。三人は椅子から立ち上がり、部屋の外へ出た。

 「あ、そうやった」

 LAWは思い出したように振り返り、部屋のドアを開けた。ショートパンツのポケットに入れていた手を抜くと、()()を愛に向かって放り投げる。

 「キャ」

 ドアに背を向けていた愛は、急に視界に入ってきた()()に驚き左手をあげた。その手に当たりコツリと床に落ちたのは、銀色の包み紙――昨夜ブラッドからもらったチョコレートだった。

 「それ、しおりちゃんにあげといて」

 「……はぁ」

 ドアを閉め、冷たい廊下を三人は歩いていく。

 「しおりちゃんにチョコをあげるって約束したからなぁ。約束は果たさんと」

 LAWは氷織にウインクを放った。

 「でもあのチョコ、ブラッドからもらったんですよね。ブラッドもしおりちゃんも身体は同じ九重愛さんであって……これはチョコをあげたことになるんですか。返しただけでは」

 「一度はうちの手に渡ったんやからうちのチョコやろ。うちがチョコをあげたことには変わらない」

 LAWは頭の後ろで両手を組み、ふんふんと鼻を鳴らしながら先頭を歩いた。


 3

 「愛は」

 昼食の席に着くと、鳥羽は使用人の二ノ宮に訊ねた。

 「昼食はいらないとのことです。あまり体調がすぐれないようで」

 「それはいけない。都先生はご存じなのか。そういえば先生もいないじゃないか」

 食卓には愛と都を除く全員がそろっていた。

 「先生は愛さんの診察をされてから昼食に来ると。先に食べていてくれとおっしゃられました」

 彰と優里はひとつ席を間に挟んで座っている。昨晩のケンカはまだ続いているようだ。そのせいか昼食の席での会話ははずまず、皆は黙々とミネストローネを口に運んだ。

 「……声」

 LAWはそうつぶやくと、顔をしかめながら五つ目のロールパンを手にとった。

 数秒後、その場の全員がLAWの言葉の意味を理解した。女性の声が聞こえる。その声はくぐもって聞こえた。まるで、どこか遠くの世界から聞こえるような――

 「外や」

 LAWが席を立ち、居間へと向かった。

 「ちょっと。どうしたの」

 氷織がLAWの後を追う。須貝もつられて席を立った。

 照明が落とされた居間の光源は部屋の奥で燃える暖炉だけ。外が曇天の空模様のため室内は夜中のように暗かった。そんな暗い居間の中、LAWは北側のフランス窓に手をついて外を凝視している。

 窓の外では曇天から降り注ぐ雨が地面に叩きつけられていた。別荘から数十メートル離れたところに、二本のコウモリ傘が咲いている。ジャンパーを着た都医師と、ロングコート姿の愛。ふたりが客室棟の方角から歩いてくる。右手に傘を持った都医師が足を止め、うんざりとした様子で曇天を仰いでいた。愛は別荘に背中を向けて大声をあげた。

 食堂から神崎と建山が出てきた。

 「あのふたり。いったい何をしているんですか」

 建山が窓の外を見ながらいった。

 「散歩でしょう」

 三崎が建山の後ろでつぶやく。二ノ宮は三崎の腕を握りしめて不安そうな表情を浮かべていた。

 「愛様は散歩がお好きなのです。気分がすぐれないときは外の空気を吸うため、よく別荘の外を歩いておられます」

 「ただの散歩なわけがない。だって食堂に聞こえるほどの大声を――」

 建山の声が途切れた。目の前の事実が彼に言葉を失わせた。

 透明な窓の向こうでそれは起きた。

 愛は傘を捨て、コートのふところからにび色に輝く何かを取りだした。

 「うそ」

 三崎が声をあげる。彼女は愛が手にしているものをよく知っていた。彼女はそれを毎日のように扱っていた。この別荘では三崎と二ノ宮以外にそれを使うひとはいなかった。何故なら、二人はこの別荘での調理・・担当・・だから。

 愛は右手に握りしめた出刃包丁を都の下腹部に向けて突き刺した。

 都は眼を見開きその場に崩れ落ちた。ひざを地面につき、伸ばした左腕が空中で震えている。右腕からはコウモリ傘が落ち、愛の分と二つの傘が、風に吹かれて飛んでいった。

 愛が都の腕をふり払う。都の身体が反り返った。愛は都の肩を掴むと、赤く染まった出刃包丁を高々とふり上げた。

 雨粒が出刃包丁に打ちつけられる。その一瞬。その一瞬だけ、須貝の中で時が止まった。止まった時間の中で須貝は事態を把握した。誰よりも早く彼は動いた。そのつもりだった。それは間違いだった。彼よりも早く動いたもの()()がいた。事態を把握した姉妹がいた。氷織とLAWだ。恒河沙の姉妹は、フランス窓を乱暴に開けると、庭に向かって飛びだした。

 須貝もあとに続いた。声をあげる暇もない。庭に降りた時の衝撃で両脚のスリッパが脱げる。靴下のまま駆けていく。

 愛と都の場所は居間のフランス窓から二十メートルほど離れていた。須貝は氷織とLAWを追い越した。出刃包丁が振り下ろされる。都はくぐもった声をあげながら身体をひねった。その行動に意味はなかった。都の血液が足元の草を赤く染める。

 須貝は愛に飛びついた。鉄の臭いが鼻腔に広がる。愛のコートもまた都の血液に赤く染まっていた。愛は須貝を振り払い、地面に横たわる都に向かってもう一度出刃包丁を振り下ろした。都の絶叫が雨空に響き渡る。

 地面に顔を打ちつけた須貝は、口の中に泥の味を覚えながら立ち上がり、愛の胴体を両腕でつかみ、引っこ抜くように後ろになげた。

 もがき抵抗する愛の身体を須貝は必死になって押さえつけようとする。誰かの身体が須貝に重なった。ブラックスーツの神崎だ。神崎が愛の腕をひねり上げる。悲鳴をあげながら愛は出刃包丁を右手から落とした。

 「あんた誰や」

 そしてLAWがいた。拘束された愛の髪をつかみ、額と額が擦れあうほど顔を寄せる。

 「あんた誰や。なんでこんなことをした」

 愛は何も答えない。電池の切れた人形のように両目を閉じると、ぱたりとその場に崩れ落ちた。彰は神崎の後ろに立ち、指の爪をかじりながら震えていた。

 「しっかりしてください!」

 使用人の三崎の声が庭に響いた。

 着ていたエプロンを脱いで丸めると、都の腹部に押しつけた。エプロンはすぐに赤く染まる。三崎は必死な形相で顔をあげた。

 「止血……止血!」

 二ノ宮も白いエプロンを取って三崎に渡す。建山は身につけている紺色のジャケットを脱ごうとしたが、上手く脱げずにパニックになっている。

 鳥羽と優里は建物の中にいた。開かれたフランス窓に手を置き、放心した様子で外を見つめている。

 「急いで建物の中に!」

 須貝の指示で建山と彰が都の身体をかつぐ。須貝もふたりに続き、都の腰のあたりを持ち上げた。

 「……ぼくの部屋に」

 都がくぐもった声をあげた。

 「ぼくの部屋に処置道具がある……連れていってくれ」

 問答をしている暇はなかった。客室棟一階の北側にあるドアから中に入る。二人の使用人と氷織がそのあとに続いた。泥まみれの靴下で床を汚しながら二階南側にある都の部屋へ向かう。運ばれている最中も血はあふれ出し、都の身体を運んでいる三人の服も血だらけになった。

 都の身体をベッドに横たえる。止血のため腹部に当てたエプロンを押さえながら都はテーブルの上のカバンを指さした。

 「カバンを……その中に道具が」

 須貝がカバンを掴み、ベッドの上にどかりと置いた。

 「氷織さん。お願いします」

 須貝がいった。しかし、氷織は応じない。

 「氷織さん?」

 見ると氷織は、都の身体から一歩二歩とあとずさった。青白い表情にありありとした恐怖が広がっている。

 「何をしているんです。氷織さん。あなた看護師だったんでしょ。この場にはあなたしか――」

 「できない」

 氷織は首をふった。

 「できない。だってわたし。もう看護師の仕事は辞めたの。医療から逃げ出して、そんなわたしに……できない」

 「何をいっているんです!」

 須貝はがなり声をあげた。

 「そんな戯言ざれごとになんの意味があるんです。傷ついたひとがいる。道具がある。そして道具を使える()()()がいる。氷織さんしかできない。あなたにしか、都先生を救えないんだ!」

 「何をごちゃごちゃ……あんた看護師だったのか?」

 都医師が震える指で氷織をさす。氷織はテーブルに手をつき首をふる。須貝は身を乗り出していった。

 「大学病院の手術室で働いていたんです。氷織さんならきっと――」

 「出ていけ」

 冷たい声で都はいった。

 「出ていけ。全員だ。これぐらいの処置、じぶんでやる」

 「先生、無茶ですよ。せめて何かお手伝いを」

 建山がか細い声をのどの奥からひねり出した。しかし都は充血した目を剥き出しにする。

 「出ていけといったんだ。そこの元看護士もだ。技術があろうと関係ない。ひとを救う意志がないなら一般人だ。出ていけ。集中させろ。全員、出ていけ!」

 都の鬼気迫る叫び声に一同は臆した。建山と彰が部屋を出ると、二ノ宮と三崎が不安そうな表情で続いた。

 「だけど、先生。本当に……」

 須貝はベッドの上でもだえる都にいった。

 都は脂汗を流しながら笑ってみせた。

 「まがりなりにもぼくは医者だよ。この傷が致命傷ではないことはわかる。大丈夫。なんとか処置できる。夕食の席で会おう。そこの役立たずのお嬢さんを連れて出ていってくれ」

 須貝は震える氷織の身体をつかみ、部屋を出た。

 ドアが閉まる。建山と彰とふたりの使用人が言葉もなくその場にたたずんでいた。

 須貝は氷織の身体から手を離した、崩れ落ちる氷織の身体を二ノ宮と三崎が支える。二人は須貝をにらみつけた。しかし須貝はなんとも思わなかった。心は寂寞せきばくとしていた。失望を覚えていた。

 こんなものか。

 恒河沙ってのはこんなものなのか。

 こんな弱い人間に、いったい何ができるっていうんだ。



 4

 「愛さんは」

 本棟にもどった須貝は、居間でうなだれる鳥羽にたずねた。

 「あぁ。須貝くん。都先生は?」

 「ご自身の部屋にいらっしゃいます」

 「助かるのかね?」

 「ご本人は大丈夫といっていました。信じましょう。それより、愛さんは」

 「わたしの寝室だ。気絶したのでベッドに寝かせている。神崎がそばについているよ」

 居間には全員がそろっていた。みな意気消沈した様子で押し黙っている。恒河沙の姉妹とて例外ではない。氷織はソファーに座り顔を伏せている。LAWは小さな椅子に座りジッと目を閉じている。寝ているのか考え事をしているのか。

 須貝は窓の外に目をやった。ため息がこぼれる。窓を開けると、軒下にあるサンダルを履いて庭に出た。先ほどよりも雨の勢いが増している。再びのため息。雨でぬれた芝の上に凶器の出刃包丁が落ちたままだった。刃についた血は雨でほとんど流されていた。

 雨に打たれながら須貝は視線を横に向けた。緑色の草の一部が黒く陰鬱に染まっている。

 出刃包丁の柄をハンカチでつかみ居間にもどる。凶器を手にした須貝の姿をみて優里がかん高い悲鳴をあげた。須貝はそれを無視する。

 「凶器を放っておくなんて。何か箱はありませんか。保管しないと」

 濡れた靴下を脱ぎながら須貝はいう。冷たい身体が暖炉の熱にほだされて不快だった。

 「保管って、どうして」

 鳥羽が首をかしげる。能天気なその態度に須貝はいら立ちをおぼえた。

 「何が起きたかわかっているんですか。愛さんが都先生を刺したんですよ。傷害事件です。警察はいつ来るんですか」

 「警察だなんて……とんでもない。呼んでいないよ。この程度、民事不介入だろう」

 「この程度?」

 須貝はめまいを覚えた。この男は何をいっているんだ。思わず室内を見回す。氷織は顔を伏せ、LAWは変わらず目を閉じている。他の面々は、そろって鳥羽の顔色をうかがっているようだった。

 「信じられない。都先生の傷を見たでしょう。あれほどの怪我を負って、民事不介入だなんて」

 「その都先生はなんといっているんだ。そうだな。先生が望むなら警察を呼ぼう」

 須貝は血だらけになった上着の胸ポケットに無意識に手をいれていた。いつもはそこにある警察手帳は――ない。自分の正体をばらそうかと思ったが、そうすると恒河沙探偵事務所が無断で警察を連れてきたことが露見する。探偵事務所の評判は落ち、氷織たちは須貝を自分たちの仕事から外すよう願い出るに違いない。それはまずい。自分の仕事は恒河沙の兄妹の調査だ。ここで氷織たちの反感を買うわけにはいかない。

 「わかりました。では、救急車は。いや、車じゃなくて救急ヘリか。どれくらいで来るんです」

 「……なにをいっているんだ」

 鳥羽は首をかしげた。

 「さっき自分でいったじゃないか。都先生の傷は浅いんだろ。先生は自分で処置されている。何も呼んでないよ」

 再び須貝はめまいを覚えた。鳥羽の口にする言葉が異次元の言語のように聞こえた。

 そして気づいた。鳥羽は事件が露見することを恐れている。鳥羽は愛娘が起こした傷害事件をもみ消そうとしているのだ。

 「都先生が望むなら、119する。それぐらいの常識はわたしにだってある」

 「絶対にしない」

 顔を伏せていた氷織がいった。氷織らしくないか細い声だった。

 「あの男は警察も救急も呼ばない。絶対に」

 「ど、どうしてですか」

 須貝が訊ねる。しかし氷織は答えない。

 鳥羽がこほんと大きく咳ばらいをした。

 「須貝くん。ここではわたしの意見が絶対だ。現時点では警察も救急も呼ばない。よろしいな。この場にいる全員に告げる。わたしの許可なく外部に連絡をしたりしないこと」

 「……わかりました」

 須貝はシャワーを浴びるために自室に戻ることにした。

 二階にあがり、都の部屋の前で足を止める。都の部屋は階段からみて南側に伸びる廊下の一つ目、須貝の部屋は三つ目の場所にある。昨日優里にあてがわれた部屋は四つ目だ。

 都の部屋に入るわけにはいかない。治療中の都の邪魔をして激昂させてはならないからだ。今は大人しく時を待とう。須貝は自室に入ると、シャワーを浴び、ベッドに倒れこんだ。

 そして――

 ドアをノックする音で須貝は目を覚ました。

 重い足取りでベッドから降りてドアを開ける。暗い顔つきの三崎がそこにいた。

 「須貝さま。居間にお戻りください。鳥羽よりお話があります」

 「いまは……二時間も経ったのか」

 須貝は腕時計をみた。時刻は午後三時になろうかというところだった。

 「それで。鳥羽さんがなんだって。ぼくに何の用なのかな」

 「……氷織さまとLAWさまも居間でお待ちです」

 「ちょっと待って。先に聞かせて。都先生は」

 「ダメでした」

 三崎は須貝の目を直視していった。

 「都先生は、亡くなられました」


 5

 「ニ十分ほど前に様子を見に行ったところ、ベッドの上で亡くなられていた」

 鳥羽はウィスキーがはいったグラスをもちながら、意気消沈した様子でブツブツといった。

 「ベッドは血だらけで……どうやら処置がうまくいかなかったようだ」

 居間には愛と神崎を除く別荘滞在者全員が集まっていた。愛はまだ意識を取り戻す様子はなく、本棟にある鳥羽の寝室に寝かされている。神崎は鳥羽の寝室で愛を監視しているとのことだった。

 「警察は呼ばれましたか」

 非難の意志をこめながら須貝は鳥羽をにらみつける。鳥羽はグラスに口をつけると、ひとくちで半分以上を飲みほした。ウィスキーの色は濃い琥珀色。おそらくストレート。須貝が知る限り、今のグラスですでに三杯目だ。鳥羽の顔はいつの間にかトマトのように赤くなっていた。感情が昂っているのか、度数の強い酒がまわり始めたのか。その両方か。

 「これから……これから呼びますよ。わたしが責任をもって電話を。だけど聞きたいことがある。探偵さんたち。ねぇ、教えてほしいことがあるんだ」

 「親父。酒はそれくらいに」

 彰が恐々と進言する。しかし鳥羽はぷるぷると首をふると、グラスの残りをひと口で飲み干した。

 「くそ。あれは愛じゃない。そうだよな。都先生を殺したのは愛じゃない。わたしの娘はそんなことをしない」

 須貝、LAW、そして氷織。三人はソファーに並んで座っていた。須貝は憮然とした態度。LAWはとろりとした表情で鳥羽を見つめている。氷織は顔を伏せてうなだれていた。暖炉の熱気がこもった室内は温かいというのに、氷織の顔は青白いままだった。

 LAWは須貝に流し目を送った。須貝は咳ばらいをしてから口を開く。

 「つまり、愛さんの中の()()()()が都先生を殺した。鳥羽さんはそういいたいわけですね」

 「その通りだ。なぁ探偵さん。お願いだ。どの人格が都先生を殺したのが突き止めてくれ。もちろん追加で報酬は払う」

 「それは警察の仕事です。警察に調べてもらってください」

 「警察なんてあてにならない!」

 鳥羽は大声を張りあげて天井を仰いだ。

 「警察は愛を犯人扱いするに決まっている。愛の身体が都先生を刺したから愛が犯人だと決めつけるに違いない。だけどあれは愛じゃない。愛のはずがない。そうだろう。愛が都先生を殺したんじゃない。他の人格が、愛の病気・・が都先生を殺したという証拠を見つけてくれ。確たる証拠! それさえあれば警察のやつらだって理解してくれるはずだ」

 「呑みすぎですよ。落ちついてください」

 須貝は水差しから冷水をグラスに注ぎ、鳥羽に渡した。鳥羽はグラスを受けとると、充血した目をゴロゴロと動かした。

 「引き受けていただけないのか」

 「お断りします。大丈夫ですよ。愛さんのDIDは本物です。警察だってちゃんと話を聞いてくれますよ」

 「これはもう、仕方がないか」

 鳥羽は水の入ったグラスを暖炉に向かって投げつけた。グラスはマントルピースにあたり砕け散る。冷たい水が燃える薪に降り注いだ。踊るように猛る炎は、降りそそぐ少量の水を意に介することなく笑い続けた。炎は笑っていた。人間の困惑する姿を楽しむかのように。

 「警察に連絡をしてきます。建山。ついてきてくれ」

 鳥羽が廊下に出ると、その後に秘書の建山が続いた。

 鳥羽夫婦と二人の使用人。そして恒河沙探偵事務所一行の三人が居間に残された。

 紡ぐべき言葉が見つからず、皆が口を閉ざしたまま鳥羽が戻ってくるのを待っていた。

 フランス窓に打ちつける雨は二時間前とは比べものにならないほど強くなっていた。空一面を黒い雲が覆い夕陽の姿を隠していた。

 「きゃ」

 窓の外で白い光がまたたき、二ノ宮が小さな悲鳴をあげた。光のあとに重低音が鳴り響く。雷光と雷鳴。雷が落ちたのだ。

 大雨と競うように雷は鳴り続けた。風も勢いを増し、さわがしく窓を揺らし始める。

 大雨。雷鳴。風の音。自然の三重奏に無言で耳を傾けているうちに、気づくと鳥羽が居間を出てからニ十分が経過していた。

 「……いくらなんでも」

 腕時計から顔を起こした須貝は、その腕時計が室内のみなに見えるよう腕を伸ばした。

 「遅すぎませんか」

 「そうだな。ちょっと様子を見にいこうか」

 彰が立ち上がり、須貝に指を向けた。

 「いっしょに来てくれるか」

 承諾のつもりで須貝はソファーから立ち上がった。そのとき――

 「なんや」

 LAWが目を細めてフランス窓をにらみつけた。

 窓の外には誰もいない。窓の外には何もない。雨雲がつくりだした陰鬱な世界が広がるだけ。だがLAWはその世界をにらみつけた。小さな顔が焦燥に歪む。脱兎のごとき勢いで、LAWは窓に飛びついた。

 「今度は何の音」

 LAWは窓を開けて頭を外につき出した。

 窓が開かれたおかげで室内の全員の耳にその音は届いた。雨音と雷鳴と風の音。三つの音に混じり、固いものがぶつかりあう音が繰り返し聞こえた。

 「須貝」

 LAWに呼ばれ、須貝が窓に近づく。窓の外に音の発生源は見えない。

 「行きましょう」

 須貝は軒下のサンダルを探したが、サンダルは風に吹かれて数メートル先に転がっていた。

 「あぁ、くそ」

 「あかんあかん。玄関からちゃんとした靴をいていこ」

 「俺も行くぞ」

 彰がすっくと立ちあがった。優里が彰のパーカーの袖を掴んだが、彰はそれを払いのけた。

 「びしょ濡れで戻ってくるからタオルを用意しておいてください」

 二ノ宮と三崎にそういいつけ、須貝は先頭に立って居間を出た。

 うす暗い廊下を抜け、島の南側を向く玄関のドアに手をかける。傘は風に飛ばされるかもしれない。合羽を用意する時間ももったいない。三人はのままで外に出た。

 襲いくる豪雨から視界を守るため、横にした腕を額につける。長時間歩き回るのは厳しそうだ。須貝はそう考えた。しかしその考えは杞憂に終わった。玄関を出て数秒後には音の正体が判明した。

 船着き場のある隣の島との間にかかるつり橋のたもとで、黒く大きな影が動いていた。

 影の正体は神崎だった。スーツの袖をめくった神崎が、子どもの身体ほどの大きさのある両刃の斧を、つり橋の木板にむかって叩きつけている。

 雨粒に濡れた神崎の顔が雷に照らされて暗黒の世界に浮かび上がった。その顔は愉悦に歪んでいた。渾身の力をこめた一撃を振り下ろす。柄ごと叩きつけられた斧は三枚の木板を粉砕した。木板は無数の木片と化し荒れ狂う波間へと落ちていった。

 神崎は斧を足元に置くと、傍らに置かれた山刀マチェットを手にとった。橋の前でかがみこみ山刀を振り下ろす。剥がれた木板の下には、橋の両端を結び、その構造を支える六本のケーブルが走っていた。神崎はその六本のケーブルをためらいなく山刀で切断していった。

 あまりの衝撃に須貝たちは声を失った。雨のなか黙々と破壊活動にいそしむ神崎の姿は異常だった。

 支えを失ったつり橋は風に吹かれて大きく揺れ始める。だが神崎の破壊はまだ終わりではなかった。神崎は、橋の手すりの役目を果たしている束ねられた麻のロープに手を置き、舌なめずりをしながらそれを撫でた。麻のロープは橋の両側に五本ずつ走っている。五本のロープは上下に並び、身長の低いものでも高いものでも手すりとして使えるように設置されていた。

 そして神崎は、一番上の麻のロープに山刀を振り下ろした。

 一撃、ニ撃、そして三撃――麻のロープは裂け、だらりと宙に垂れ下がった。間髪をいれる間もなく山刀は振り下ろされる。橋の右側を走る麻のロープは次々と切り落とされていく。最後の一本を切り落とした瞬間、橋はバランスを崩し、右側の支えを失った残りの木板は左側を走る麻のロープからぶら下がる形になった。

 「やめろ!」

 須貝は雨の中をがむしゃらに走り、神崎に飛びかかった。

 しかし神崎は須貝を片手で払いのけた。須貝は背中から地面に叩きつけられ、全身に走る痛みに声なき悲鳴をあげた。

 神崎は須貝に目をくれることなく破壊を続けた。残すは左側に走る五本の手すりのみ。須貝がふらついた足取りで立ち上がると同時に、最後の一本の手すりが切り裂かれた。

 次の瞬間、すべての支えを失った橋は、須貝の目の前から離れていき、反対側の小島の岩壁に叩きつけられた。

 橋は崩壊した。別荘が建つ島の周囲は断崖絶壁。建山が操縦したクルーザーは反対がわの島に停留している。

 つまり別荘の滞在者たちは、この島に閉じ込められたというわけだ。

 神崎は足元の斧を拾い上げた。右手に山刀。左手に斧。豪雨に濡れたブラックスーツが強風ではためく。いま一度、雷光が走り神崎の姿を不気味に輝かせた。そして神崎はしっかりとした足取りで歩き始め、別荘本棟の裏側へと消えた。

 「なんだよ。あいつ、どういうつもりだよ」

 彰が身体を震わせながら須貝に近づいてきた。その後ろにLAWもいた。

 「橋を壊しやがって。いかれちまったのか」

 「ケガは!」

 LAWは豪雨に負けないよう声を張りあげて訊ねた。

 「ありません。別荘に戻りましょう。みなに説明しないと」

 三人は別荘に戻り、居間の暖炉で身体を暖めながら神崎の奇行について説明した。

 だが一同の間にそれほど大きな混乱はなかった。橋が壊れ、隣の島に渡れなくなったことの弊害は、船着き場にあるクルーザーに乗れなくなったことだけではないか。彰と優里はヘリコプターに乗って別荘を訪れた。そのヘリコプターはこちらの島に着陸した。帰りはクルーザーで海を渡ってきた探偵事務所一行もヘリコプターに乗って帰ればいいだけの話だ。

 「あれ。鳥羽さんはまだ戻ってきてないのですか」

 室内を見回す余裕が出てきた須貝は、通報のために席を外した鳥羽と建山がまだ戻っていないことに気づいた。

 「様子を見てまいりましょうか」

 二ノ宮がそう提案すると同時に、廊下のドアが開き鳥羽が入ってきた。

 鳥羽の様子がおかしかった。

 酒に酔った赤い顔は先ほどのままだが、目は焦点が合っていない。銀髪はぐちゃぐちゃに乱れている。ソファーに沈む氷織、タオルで濡れた髪をふくLAWと須貝を一瞥いちべつすると、ふんふんと頭を揺らした。

 「親父。神崎がつり橋を壊した」

 彰は濡れたシャツを脱ぎながらいった。

 「わたしが指示したんだ」

 平然と鳥羽はいう。廊下から全身を雨に濡らした神崎が現れた。室内の視線が彼女に集まると、神崎は歯をみせて笑った。

 「探偵さんたちをこの島に閉じ込めるためにな」

 「どういうことです」

 須貝は非難の意志をこめて鳥羽をにらみつけた。

 「クルーザーで本土まで帰られては困る。警察に通報するのは、()()()が都先生を殺したのかを突き止めてからだ」

 「警察に通報してないのですか!」

 「もちろんだ。愛のそばにいた神崎に橋を壊してくるよう指示し、神崎の代わりに愛のそばにいたんだ。あの子はまだ眠っているよ」

 「ありえない。非常識にもほどがある。依頼は引き受けません」

 「駄目だ。迎えのヘリコプターはわたしが呼ばない限りここまで来ない。帰りたければ私の依頼を引き受けてもらおう」

 「脅迫するつもりですか」

 「これは交渉だ。報酬は払うといっただろう」

 「付き合いきれません。結構です。あなたが通報しないというならば」

 須貝はポケットからスマートフォンを取りだした。110番にかけようとロック画面を解除したその時――

 神崎が須貝の右腕をつかんだ。スマートフォンは床に落ちる。

 神崎の右手が須貝の右腕の前腕を、左手が上腕を握りしめて、腕をまっすぐに伸ばす。そして神崎は――満面の笑みを浮かべながら――直線に伸びた右腕の先端、須貝の右手にものすごい勢いで膝を叩きこんだ。

 瞬間。()()()音が室内に響いた。

 須貝の右肘の皮膚が不自然に盛り上がっている。さながら、内側に潜む何かが皮膚を切り裂いて外に飛び出ようとするかのように。

 脳はうまく現状を認識していなかった。故に須貝は声をあげなかった。数秒の間をおいて、須貝の右腕に燃えるような激痛が走った。激痛が須貝に異常なる現状の意味を教えた。須貝はその場にうずくまった。

 「須貝!」

 「動くな!」

 神崎がLAWに怒声を吐き出した。しかし神崎は楽しそうに笑っていた。

 「動かないでくださいな。誤解しないでいただきたい。わたしは社長の命令に従っただけですから」

 「通報しようとしたら痛めつけろと命じた」

 鳥羽は床に落ちた須貝のスマートフォンを拾った。

 「須貝くん。きみが悪いんだ。わたしに逆らおうとするから。この島ではわたしがルールだ。わたしが絶対なんだ。お嬢さんたちもスマホを出しなさい。ケガはしたくないだろう」

 LAWと氷織はスマートフォンを大人しく差しだした。『念のため』といってから、神崎は二人にボディーチェックを施した。

 「何ももっていません」

 「須貝くんも、もっていないね」

 鳥羽は須貝のポケットに入れた手を抜いた。

 「最近はスマホを二台もっているひともいるからね。お、戻ってきたか。どうだった」

 廊下から居間に入ってきた建山に鳥羽がたずねた。

 「大丈夫です。荷物のなかに通信機器はありませんでした。ノートパソコンも、無線機もありません」

 「姿を見せんと思ったら」

 LAWが目を見開いてあざけるようにいった。

 「うちらの荷物を漁ってたんか。この変態」

 「し、仕方ないでしょう。社長の命令です」

 「通信機器はスマートフォン三台だけか。けっこうけっこう。申し訳ないがこれは預からせてもらうよ。お前たち。探偵さんたちに自分の電話を貸したりするんじゃないぞ。もしそんなことをしたら……ただじゃ済まさんからな」

 彰と優里、そして二ノ宮と三崎の四人をにらみつけながら鳥羽はいった。四人は黙ってうなずいた。

 「探偵さん。どの人格が都先生を殺したのか突き止めるんだ。もはや依頼ではない。これは命令だ」

 「……ぼくたちは月曜日に東京に帰るつもりです」

 須貝は腹の底から声をしぼり出した。顔中に脂汗が浮かび上がっている。

 「月曜日に帰ってこなかったら仲間たちが心配して、ここまでやってきますよ」

 「あぁ。そうだった。時間制限があるわけだ。それなら仕方がない。月曜日の朝までに犯人を突き止めてくれ。もしもわたしの満足する答えを導けなかった場合は」

 鳥羽は神崎を見つめながらいった。

 「きみたちは不幸な事故・・で命を落とすことになる。わかるね」

 「三人だけで相談させてもらえないやろうか」

 LAWが氷織の肩を抱きながらいった。

 「探偵事務所の三人だけで、な」

 「かまわないとも。ゆっくりと話すといい」

 「おおきに。このド外道が」

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