第96話 ヒルデブランドをたおせ!
「まだ、戦えるというのかね。きみもしぶとい男だ」
城壁の上からヒルデブランドの声が聞こえた。
「きみのその無尽蔵な体力には、呆れて言葉が出てこないな。きみが預言士たちから受けついだのは、そのありあまる体力なのかもしれないな」
体力や生命力にまで潜在力があるというのか。
「お前を、倒すまでは……倒れられないっ」
ヴァールアクスを杖にして、起き上がる。
襲いかかってくるゾンビたちを、ヴァールアクスで一閃した。
「ほう! やっと、その気になったようだな」
「悟った。お前を倒すためには、戦場で遠慮などできないと」
ここで亡くなっていった者たちよ。ゆるせ。
ゾンビたちは狂戦士のように襲いかかってくる。
剣をもつ者。素手で殴りかかってくる者。足もとの石片を投げつけてくる者。
魔獣に乗りうつったレイスたちは、魔獣の巨体を俺にぶつけてくる。
だが、思慮できない者たちの攻撃はどれも単調だ。
力には、力でねじ伏せる!
ゾンビもレイスも、俺なら倒せる。
だが、俺の全身は負傷し、体力も限界をむかえようとしていた。
「ドラスレ。わたしは戦場で初めて、敵をこわいと思ったよ。きみのように倒れない男を、わたしは初めて見た」
ヒルデブランドは白い面を俺に向けて言った。
「きみは、なぜそこまで戦うのだ。大志も野望ももたず、よその土地で満身創痍になって、一体、何がおもしろいのだ。このような意味のない戦いが、きみにどんな恩恵をもたらしてくれるというのかね」
俺は、皆の笑顔のために戦いたい。それだけだ。
「わたしには、きみの戦う理由が見いだせない。サルヴァオーネのように、国家に大逆をくわだてるわけでもない。無能な国王を弑すわけでもない。
北のドラゴンたちを倒し、民から勇者とたたえられても、きみは結局、使いっ走りの騎士でしかないのだ。
そんな意味のない生活に、どんな楽しみがあるというのだ。きみの体内に流れる高貴な血は、きみの現状を憂いていないというのか!」
国で絶大な権力をもつことが、意味のある生活だというのか。
頭をあげるが……視界がぼやけている。
あの男の不遜な顔を、ただしく視ることができない。
「ヒルデブランド。お前と俺では、考えや価値観に大きな隔たりがあるということだ。俺は、欲や権力をもつことを至高だと思わない。
心をかよわす者たちにかこまれること。俺は、それを何よりも大切なことだと思っている。先ほども、そう言ったはずだ」
ヒルデブランドは、また苛立っているか。
「いつわりのキエティストがっ。よくもぬけぬけと、恥ずかしい言葉を敵の前で口にできるものだ。サルヴァオーネが前に言っていたことが、今になって思い起こされる」
「サルヴァオーネ、だとっ」
「ドラゴンスレイヤーという、あの男は危険だ。力があるのに無欲を見せつけて、多くの者たちをだまそうとしている。
無学の者たちは、ドラゴンスレイヤーの浅ましい無欲さに、簡単に欺かれてしまうだろう。彼らは、ドラゴンスレイヤーのような、わかりやすい勇者を真の主とかつぎあげるのだ。
大きな流れをつくり出した者たちは慢心していき、やがて王国に反旗をひるがえすだろう。ドラゴンスレイヤーを王にすべく……いや、ドラゴンスレイヤーを盾にして、自分たちに都合のいい国をつくるためにな」
サルヴァオーネが、そんなことを言っていたのか。
「新たな宗教団体が興るときとおなじだ。無学の者たちは、意味のない清貧を貫く者を、神の生まれ変わりだと勘違いするのだ。ドラスレ、きみがおこなっていること。きみがもつその思想は、カルト教団のそれとおなじだ!」
「ふざけるな! カルト教団は、どっちだ。非合法の地下ギルドを組織し、東の多くの民たちを扇動しているのは、お前だろうっ」
「ふ。わたしは、自分の意思を明確にしている。一部の愚かな貴族たちがつくり出した、このまちがった世界をつくりなおし、預言士たちが築いた超文明の世界をふたたび、この地に呼び起こすのだ。
お前のような、いつわりのキエティストとは違うっ。無学の愚か者がっ、恥を知れ!」
何が、いつわりのキエティストだっ。
「恥を知るのはお前だっ。妄言で多くの民をたぶらかしているお前に、俺の言動を非難する資格はない!」
この男の精神的な構造は、俺と根本的にちがう。
サルヴァオーネとおなじように、欲にまみれた者なのだ。
ヒルデブランドはしばし無言のままだったが、やがて大きな笑い声をあげた。
「こんなにかみ合わないものかね。ひとしく預言士の血を引く者だというのに、まるで水と油ではないか」
「預言士の血など、俺の身体には流れていない。お前のその言葉こそ妄言だ」
「ふ。そうだな。こればかりは、わたしの思い違いだったようだ。ゆるせ」
ヒルデブランドをつつむ空気が、変わった。
「預言士の崇高な力と思想を理解しない者よ。お前に新しい時代の陽をあびさせることは叶わない。お前を生かせば、わたしは先祖たちから誹りを受けることになるからだ。
預言士たちの怒りをその胸に受けよ!」
ヒルデブランドが魔法をはなったかっ。
上空に四本の幻影剣が出現して、俺に襲いかかってくる。
「くっ」
「遅い!」
続けて、爆発の魔法をはなってきたか。
この爆風は、完全に回避することができない。
ヴァールアクスを横にかまえ、腰を下げて爆風を受け止めるしかない。
「この程度では、きみはやられんだろう。早く出てこい!」
地面からまき上がる煙塵から出て、ヴァールアクスで空を裂く。
高速で飛ぶ真空波はヒルデブランドを真正面からとらえたが……直撃は受けないか。
「ぐっ!」
真空波は彼の左の二の腕を裂いた。
「お、おのれ。ドラスレめっ」
ヒルデブランドが片膝をつく。
左腕は鮮血で染まり、白いシャツを真っ赤にした。
「亡者たちよ。あの男を殺せ!」
ヒルデブランドが、またレイスたちを使役したかっ。
白いカーテンのような身体をもつレイスたちが、どこからともなくあらわれて、俺に牙をむいてくる。
レイスたちよ。すまぬっ。
ヴァールアクスでレイスたちを斬りきざんでいる最中に、ヒルデブランドはしつこく幻影剣をはなってくる。
幻影剣の規模と威力は大きいが、最初にはなたれたものより魔力は落ちている。
俺の力は、すでに限界を超えている。
だが、やつの魔力も底をつきはじめているのだ。
こうなれば、持久戦だ。
どちらかが倒れるまで、戦う。
無様だが、戦いなんて、そんなものだ――。
「お前たちっ。何をしている。ドラスレを撃て!」
ヒルデブランドの冷酷な言葉がとんだ。
城壁のすみにはなれていた民兵たちが、はっと弓矢を持ち替える。
まずいっ。矢まで射られたら、対処しきれないっ。
「う、撃て!」
民兵たちの怒号とともに、多くの矢が落とされる。
矢は黒い雨のように空をけがし、俺の肩や胸に突きささっていく。
俺の足は、声にならない悲鳴をあげている。
いや、俺の腕も、肩も……そうだ。
俺は、ここで、力つきるのか……。
「みんな、ドラスレさまをたすけて!」
「お、おう!」
ビビアナたちの、声か。
ヒザをつく俺の背中を抱きかかえる者があった。
「ドラスレさまっ。はやく!」
ビビアナと、兵士たちか。
「お前たちは、逃げろ」
「だめです! ドラスレさまが、死んじゃったら……」
こんなところで立っていたら、お前たちも射殺されるぞ。
……ああ、俺の兵たちが弓矢で応戦してくれているのか。
「ええい、ドラスレをはやく殺せ!」
ヒルデブランドも、あせっているな。
無念だが……ここは、逃げるしかない。
「さぁ、みんな。ドラスレさまを、かついで!」
「お、おう!」
「がんばれぇ!」
みんな……。
よく晴れた空から、矢のとぶ音が聞こえてくる。
皆に支えられて、全身を張りつめていた力が抜けていく。
「んもうっ、なにやってんの!?」
「う、うるせぇ!」
「お前も手伝えよ!」
耳もとで交わされている、ビビアナと兵たちの会話が、次第に遠くなっていく。
ついに、まぶたを開いている力すら、なくなってしまった。