第91話 アゴスティの未熟な従騎士
ヴァレダ・アレシアの東で、住民反乱が相次いでいる。
こんなに大規模な反乱は、ヴァレダ・アレシアの長い歴史でも例を見ないだろう。
この地で、いったい何が起きているのだ……。
「フォルキア……ということは、ラヴァルーサでも住民反乱が起きたというのか!?」
スカルピオ殿が立ち上がって、官吏たちを詰問する。
「は! そのように、使者からは聞いておりますっ」
「な、なんという、ことだ……」
スカルピオ殿が愕然とテーブルをついて、やがて椅子に座り込んでしまった。
「スカルピオ様。ラヴァルーサというのは、近隣都市の名前ですか?」
「そうだ。ラヴァルーサは北東の大都市だ。フォルキアの中心地で、大きさで言えばヴァレンツァと比肩するだろう」
ヴァレンツァに次ぐ大都市なのか……。
「ラヴァルーサは、ヴァレダ・アレシアの北東部の中枢と呼べる都市だ。アゴスティで食料がとれなくても、ラヴァルーサに支援をもとめられるから、わたしたちはなんとか生活していけるのだ。
だが、ラヴァルーサがもし敵に落とされたら、わたしたちは一気に追いつめられてしまうっ」
「ラヴァルーサという都市を中心に、アゴスティやカゼンツァが存続しているということでしたか」
ロンゴ殿が、よその土地から食料をわけてもらうと、以前に言っていたが、それはこのラヴァルーサという都市を指していたのか。
「ラヴァルーサが落とされてしまったら、まずいっ。わたしたちも生きていけなくなる……」
「では、ラヴァルーサの堅守防衛が最優先事項ということですね」
「うむむ。そういうことになってしまうかもしれん。ミランドとパライアの者たちには悪いが……」
次の目的地は、これで決まったか。
「それにしても、おかしいですね。ラヴァルーサがそれほど重要な都市なのに、なぜわたしたちの対応が遅れたのでしょうか。ラヴァルーサでは、住民反乱が起きていなかったのですか?」
「そうだ。住民反乱はカゼンツァの周辺で起きて、アゴスティまで被害が拡大した。わたしたちも目先の住民反乱ばかり気にしていたから、ラヴァルーサまで注意深く観察できていなかったが、ラヴァルーサでは何も騒ぎが起きていなかったのだ」
やはり、何かがおかしい。
ラヴァルーサでも住民反乱を起こす予定だったのだとしたら、ラヴァルーサがまっさきにねらわれそうだが……。
なぜ、地方都市のカゼンツァやアゴスティで先に住民反乱が起きて、ラヴァルーサが後にねらわれるのか。
民たちの行動に大した計画性がなかった、といえばそれまでだが……。
「スカルピオ様。嫌な予感がします。敵は最初から、ラヴァルーサをねらっていたのかもしれません」
「なんだと!? そんな、はずが……」
「ラヴァルーサがヴァレダ・アレシア北東部の中心地であることは、民たちも知っていることでしょう。それなら、ラヴァルーサをまっさきにねらいたいはずですが、敵はそうしなかった。ということは――」
「ばかな! ここやカゼンツァの反乱が陽動だったというのかっ。ありえん!」
しかし、カゼンツァやアゴスティの反乱が囮だったのだとすれば、敵の狡猾な考えが見えてくる。
「やつらは自分たちが贅沢したいから、その日の気分にまかせて暴れているだけだ! やつらが反乱を起こした順序なんて、大した意味はないんだっ」
いや、敵をそうやって侮るのは危険だ。
民たちの背後には、オドアケルがいる。あのギルドのギルマスは、ヒルデブランドだ。
あの男なら、この程度の戦略なら簡単にひらめきそうだ。
「スカルピオ様。彼らにはオドアケルがついています。オドアケルの中には、頭の切れる者がいます。敵を軽く見てはいけません」
「それでは、なにかね。そのオドアケルという民兵の組織の中に、われわれをも手玉にとれる者がいるというのかね!? そんなはずはないだろうっ」
「いや。オドアケルはかつて、宰輔サルヴァオーネの下で遠大な謀略にかかわっていました。あの宰輔がたのみの綱とする者たちです。もっと慎重にかんがえるべきです」
「む、むむぅ……」
スカルピオ殿が口をふるわせながら、次の言葉をうしなってしまった。
官吏や兵たちも、神妙な顔つきでスカルピオ殿と俺の会話を聞いていた。
「スカルピオ様。わたしは少数の兵をつれて、ラヴァルーサにむかいます。これを救出しなければ、わたしたちの全滅は必至です」
「うむ。わかった。どうか、わたしたちをすくってくれ」
* * *
結局、兵の装備をととのえたり、食料を用意する必要があったため、三日間もアゴスティで滞在してしまった。
シルヴィオとジルダは、けがが完全に回復しなかった。
回復魔法で治療は済んだが、次の戦いにつれていける調子ではなかった。
「ドラスレさまっ。グルリアス高原を降りて、パダナ平原から北東へむかえば、ラヴァルーサに着きます!」
案内役のビビアナが、かん高い声で言う。
彼女はスカルピオ殿が遣わしてくれた者だ。若年の従騎士だが、戦闘経験はとぼしいという。
「わかった。ラヴァルーサまで、何日くらいで着く?」
「えっ、えーと、ですね……ちょっと待ってくださ……あわわ!」
ビビアナが馬上で地図をひろげて、馬から落ちそうになった。
「落ちつくのだ。わからないのなら、むりにこたえなくていい」
「す、すみません……」
ビビアナはジルダより背が高いが、かなり小柄な方だ。
しゅんと肩を落としてしまったから、俺は兵たちに休憩を指示した。
落ち込むビビアナから地図を受けとる。
ラヴァルーサは、アゴスティのはるか北東に位置している。
「この距離なら、ざっと見積もって五日から十日といったところか。この高原から、直接、北東に進軍できないのか?」
「そ、それはっ、できません。グルリアス高原の北は断崖絶壁で、道がほとんどないんです」
だから、南のパダナ平原までもどらないといけないのか。
「だが、南に迂回したら、ラヴァルーサの到着が遅れてしまう。高原の北東から、なんとか進軍できないか?」
ヴァレダ・アレシア北東部の地図を、ビビアナに返す。
ビビアナはまるい頬をふくらませて、しばらくうなっていた。
「そ、そうですね。できなくは、ないかも……」
「できるのなら、北東に直線的な道を描くべきだ。俺たちは、一刻も早くラヴァルーサに行かなければならないのだ」
ヒルデブランドも、この地の理を計算しているだろう。
俺がありもしない道をえらべば、やつの意表をつくことができる。
「で、でもっ、そんなことをしたら、危険ですっ」
「危険なのは百も承知だ。だが、後手にまわっている俺たちは、こうして敵の意表をつかなければならないのだ」
まわりで休んでいた兵たちも、真剣に俺の言葉を聞いていた。
「断崖絶壁の地帯でも、さがせば人の歩ける場所はあるだろう。無論、崖から飛び込めなんて言わない。命の危機があれば、南に迂回する道をえらぼう」
ビビアナは子どものようなまるい瞳で、俺を茫然と見上げていた。
「わ、わかりました! では、いったん北東に進んでみましょうっ」
「ありがとう。恩に着る」
兵に食事をとらせて、軍を北東に進める。
しかし、道中をストラやトカゲの魔物にさえぎられるから、思うように進軍できない。
「ひぃっ!」
ビビアナは長剣をぶら下げたまま、戦場のあちこちを逃げまわっている。
「ひるむな! この魔物たちは弱い。一撃で威嚇すれば、すぐに追いはらえるっ」
ヴァールアクスでトカゲの魔物――グシオンのかたい背中を両断する。
このストラたちも、ベネデッタが率いていたストラたちと違って、統率がまったくとれていない。
まばらな攻撃に大した殺傷力はない。一匹ずつ、ヴァールアクスで威嚇するだけで充分だ。
「さ、さすが、ドラスレさまっ。おつよいんですね」
魔物たちを追いはらって、一息ついた頃にビビアナが言った。
「この程度なら、準備運動にもならない。アゴスティをおそったストラたちの勢いは、こんなものではなかった」
「そっ、そうでした」
「ビビアナ。きみは従騎士だろう。騎士になりたければ、剣をふるって魔物と戦うのだ」
ビビアナは、スカルピオ殿に仕える従騎士だ。
従騎士――騎士見習いは戦功を立てなければ、一人前の騎士としてみとめられない。
「そ、そうですけど……あたしは、ドラスレ様みたいに、つよくないですし……」
ビビアナが顔を下にむけて、口をとがらせる。
「あたしも、ドラスレ様みたいに、つよくなれれば、いいですけど……そんなの、むりですし」
うーむ。これは、きたえなおす余地がありそうだな。
「ならば、この戦いでつよくなるのだな。ぼやいていても、現実は変わらないぞ」
「う……わかってますよぅ」
ビビアナが口をとがらせたまま、気まずそうに俺を見あげた。




