第85話 新たなる敵、魔物使いの妹
「お前が、ドラスレという男か」
女のつややかな声が、戦場の奥から聞こえてきた。
その女は、オドアケルの者たちの後ろで、死神のように立ちつくしていた。
漆黒の長い髪に、胸もとから足のつま先までかくす、長いドレス。
スリットからすらりと伸びる左足は青白く、生気をあまり感じられなかった。
「ビルギッタか!?」
俺は戦っている最中なのに、思わず口に出してしまった。
黒髪に黒いドレスを着た姿は、ビルギッタそのものだ。
俺が宰輔の謀略をあばく最中にあらわれた、オドアケルの一員。
彼女は魔物を使役する、特異な能力をもっていた。
「ドラスレ。わたしは、お前に会いたかった」
ビルギッタに似ている女が、青い唇をうごかす。
ビルギッタは……俺が殺してしまった女だ。
ドラスレ村で戦って、村の裏にしっかりと、埋葬したはず……。
「お前が、姉さんを、殺したっ」
姉さん、か――。
「何をしている。あの男を殺せ!」
女の指示で、ストラたちが一斉にうごきだした。
彼らは上空にあつまって、急降下を開始する。
矢のような速さで突撃してくる彼らは、俺だけをねらい――
「ぐっ」
「グラートさん!」
怒涛の突撃が絶え間なく続けられる。
バラバラに攻撃していたはずなのに、ストラたちは急に隊列をととのえて、俺だけに突撃してくるのだ。
ストラたちをうごかしているのは、ビルギッタの妹かっ。
「そのような攻撃が俺に通用するか!」
右にとんで、ストラの群れと距離をとる。
ストラたちはハチの群れのように、俺にあつまってくる。
シルヴィオたちは、茫然と攻撃の手をゆるめてしまった。
「シルヴィオとジルダは、他の敵を倒せ!」
「はっ、はい!」
ストラたちをヴァールアクスで斬りはらう。
彼らは斧を一閃しただけで地面に落ちるが……数が多いっ。
「グラートはっ、どうすんだよ!」
ジルダは魔法で俺を援護してくれているか。
「俺は、こいつらを倒す!」
ストラの数は減っている。
彼らを殲滅させるか、俺が力つきるか、根比べだ!
「ええい、急降下でその男の身体を引きちぎれ!」
ビルギッタの妹の下知がとんだ。
ストラの大軍が大蛇のように長い列をつくり、空のかなたにある一点まで上昇していく。
ストラの大軍が太陽を背に、くるりと大きく旋回した。
ストラの大軍が急降下を開始し、俺にまっすぐ向かってきた。
「うわぁ!」
ジルダの悲鳴がきこえた。
横にとんで、俺もジルダも直撃をさけたが、ストラの大軍がもたらす衝撃が瞬間的な風圧を発生させて、俺たちを吹き飛ばした。
「このやろ!」
ジルダが魔法で反撃するが、ストラたちはすぐに空の上へのぼってしまった。
「くっそぉ。なんだよあれ。あれじゃ、攻撃できねぇじゃんか」
「いや。攻撃なら、できる」
ジルダが、「へっ?」と声をあげた。
「どうやって攻撃するんだよ。あんな上にいるんだぜっ」
「あいつらがぶつかってくるタイミングで、俺が攻撃する!」
このタイミングしかない。危険だが、ドラゴンの突撃だって、俺はこうやって蹴散らした。
「そんなことして、だいじょうぶなのかよっ。あいつらの直撃を受けたら、グラートだって、さすがに……」
「案ずるな。ジルダは下がってろ!」
ストラたちが太陽の光を受けながら、青空を大きく旋回した。
「ドラスレを殺せ!」
ストラの大軍が流星のようにふりそそいでくる。
「グラート!」
案ずるな。俺なら、できる。
ヴァールアクスの刃を地面につけ、腰をわずかに下ろした。
ストラたちが、高速で俺にせまる。
先頭のストラたちが、頭を前に突き出していた。
まだだ。まだ……あと一呼吸で、俺にぶつかるタイミングで――ここだ!
「みんな、はなれろ!」
左に回避運動をとりながら、ヴァールアクスを太陽にむかってふり上げた。
ストラたちの軌道に、ヴァールアクスの重たい刃を合わせる。
ストラたちは、自分からヴァールアクスの刃にむかってきたため、彼らは無残にも切りすてられてしまう。
ヴァールアクスをもつ俺の両腕にも、かなりの衝撃と重量が乗りかかっている。
だが、この程度の重さであれば、問題ない!
「グラート、さん」
「すげぇ……」
シルヴィオやジルダは、戦いをわすれて俺を見ていた。
民兵やオドアケルの者たちも、なぜか茫然自失している。
ヴァールアクスに斬られていくストラたちの残骸が、俺の身体にぶつかる。
大量の返り血をあびて、目が開かなくなってしまいそうだった。
ストラの大軍の、半分くらいは斬りすてたのだろうか。
軍の後ろにいたストラたちは、俺を怖れて上空へと逃れた。
「ドラ、スレ……っ」
ビルギッタの妹が、怒りで身体をふるわせていた。
「ビルギッタの妹よ。お前が俺を恨む気持ちはわかるが、俺もここで朽ちはてるわけにはいかないのだ」
ヴァールアクスを突き立てて、ビルギッタの妹と相対する。
「お前が、ストラたちと、このアゴスティの反乱軍を指揮しているのだな」
ビルギッタの妹は、こたえない。
枝のように細い腕を、こきざみにふるわせているだけだ。
「ならば、言い方を変えよう。お前は、ヒルデブランドという男から――」
「グラート!」
何かが、高速で俺にせまってくる!
「くっ!」
氷の波動だ。
凍りついた波のようなものが、地面を這いながら俺にせまっていたのだ。
氷のするどい魔法をはなったのは、ビルギッタの妹だ。
「ビルギッタも、氷の魔法を得意としていたな」
「だまれ!」
ビルギッタの妹が続けて氷の魔法をとばしてくる。
「うわっ!」
岩石のように大きい氷だが、彼女は冷静さを欠いているのだろう。
氷の魔法は、俺にはあたらない。
「人をむだに殺めるのは好きではない。死にたくなければ下がれ!」
「ふざけるな!」
ビルギッタの妹がかがみ、両手を地面におしつけた。
氷のぶあつい壁が、俺たちの前にあらわれた。
「こ、これはっ」
「グラート!」
氷の壁は、城壁のように高い。そして、横に長い。
それが、俺たちを押しつぶさんと、音を立ててせまってくる!
馬が疾走するような速さでせまる攻撃を、横にとんで逃げることはできないだろう。
「お前たち全員、滅びろ!」
あの女の魔力は、姉のビルギッタを優に超えている。
いや、こんなに超大な魔法は、ジルダでもはなてないだろう。
大きな槌をもっていたルーベンといい、この者たちは、どうして……。
「みんな、その場でうずくまれ!」
ヴァールアクスを、ゆっくりと後ろへ引く。
どんなにぶあつい氷でも、俺なら破壊できる!
「ふっとべぇ!」
腹の底から気合いをはなって、全身の力をヴァールアクスに込めた。
厚い刃と氷の壁が激突し、何枚ものガラスが割れたような、すさまじい音が戦場にひびきわたった。
氷の壁は、ストラの大軍よりも重い。
ヴァールアクスも折れてしまうと思ったが、強靭さで俺たちが勝っていたようだ。
「な……!」
ぶあつい氷の質量を、力づくで押しのける。
音を立ててくずれる氷の壁のむこうで、ビルギッタの妹が言葉をうしなっていた。
あんなに強大な魔法をはなったのだ。力はもう、のこっていまい。
「とてつもない魔法だった。ビルギッタでも、このような魔法は使えないだろう」
「くっ……」
「カゼンツァにいたルーベンも、人ならざる力をもっていた。お前も、ヒルデブランドから預言石をわたされた者か」
怒りにみちていたビルギッタの妹の表情が、変わった。
「なんとなく、わかってきた。預言石は、物の潜在力を引き出す物質だった。だが、どういう方法を使ったのかわからないが、預言石の力をお前たちに転用したのだろう?」
おどろいていた彼女の表情が、また怒りの色にそまっていく。
「預言石は、人の潜在力も引き出せるのだな。人に力が潜在していたなんて、俺には理解できないが。だが、そういう理屈であれば、お前やルーベンが人ならざる力をもつ理由も、納得できるというものだ」
思い起こされるのは、火の海と化したヴァレンツァの光景。
ヒルデブランドは……あの男は、俺にそのようなことを言っていた。
――すさまじい力だ。きみのその力は、やはり人間のものではないな。