第83話 過酷な道を越えてアゴスティへ
地方都市のアゴスティは、カゼンツァの北西にあるようだ。
スカルピオ卿がアゴスティを治めているらしい。
パダナ平原の北にひろがるグルリアス高原。その先に、アゴスティはあるのだという。
「ひぃ。今日も、あちぃなぁ」
大きな岩にはさまれた道を、とぼとぼと歩いていく。
ジルダを見やると、彼女は馬の首にもたれかかっていた。
「だらしないぞ、ジルダ」
「そんなこと言ったってぇ。あちぃじゃん」
シルヴィオが見かねて注意するが、ジルダは顔を上げない。
外套で隠した顔は汗だくになっている。
外套も汗にぬれて色を変えていた。
「ジルダの言う通りだな。今日はとくに暑い」
「そう、ですけど……」
雲のない空の上で、太陽が燦々と照りつける。
強い日差しが熱線のようにふりそそいで、かわいた地面を焦がしていた。
「ラブリアやパダナ平原は、雨があまり降らない地域なのだそうだ」
「そうなんですか?」
「ああ。ロンゴ殿が以前に、そう言っていた。だから、作物があまり育たないのだそうだ」
ヴァレンツァやサルンは雨がよく降るから、麦などの作物を育てるのに適している。
しかし、ここではそうはいかないだろう。
「この土地では、麦は育たないでしょう。ということは、この土地の住民は、粟や稗で飢えをしのいでるのでしょうか」
「そうだろうな。あまりに食料が採れない場合は、近隣の土地に掛け合うこともあるそうだ」
「そんなにくるしい食料事情なんですか……」
このかわいた土地と、うだるような暑さを感じれば、ラブリアの住民が反乱を起こすのはうなずける。
「ここの住民が反乱を起こす理由が、わかりましたね」
「ああ。しかし、いかなる理由があっても、反乱をゆるすわけにはいかない」
反乱が立て続けに起きれば、ヴァレダ・アレシアの権威がゆらぐ。
サルヴァオーネの謀略をふせいだばかりだというのに、情勢は一向におさまらない。どうしたものか。
一定の間隔で休憩をはさみながら、ろくに舗装されていない山道をのぼる。
日差しが強いため、馬上でも体力をうばわれる。
徒歩の兵はもっと過酷だろう。脱水で倒れる者が後を絶たなかった。
「グラートさん。どうしましょう」
「こんなんじゃ、目的地に着いても戦えねぇぜ」
岩陰に兵をあつめて、水筒の水をのませる。
持ち運んでいる水にも限度がある。なくなれば、近くの川をさがして水を汲まなければならない。
「困ったな。アゴスティに着いてからのことばかり考えていたが、それ以上に進軍がままならないとは」
「こう暑いと、体力がどんどんうばわれてしまいます。頭もぼうっとしてきますし」
「そうだな。シルヴィオとジルダにまで倒れられては困る。陽がしずむまで、ここで待とう」
岩陰でやすんでいる兵から、わずかに歓声が上がった。
「陽がおちたら、進軍を再開する。それまで、各自、水分補給や食事の支度を済ますのだ」
元気な兵の数人が立ち上がって、近くの川をさがしに行った。
食事の用意をのそのそとはじめる者たちもいる。
「グラートさん。ありがとうございます」
「しかたない。急ぎたいところであるが、皆に倒れられたら元も子もない」
「そうですね……」
シルヴィオがハンカチをとりだして、首すじの汗をぬぐった。
「グラートさんは、なんともないんですか?」
「暑さのことか? なんともなくはないが、まだ動けるぞ」
「グラートさんは、暑さにも強いんですねっ」
シルヴィオが岩陰にすわって苦笑する。
その近くを、茶色の毛並みのイタチが通りすぎた。
「丈夫なのが、俺の取り柄だ。皆を引っぱっていくため、俺は倒れるわけにはいかん」
「グラートってほんと、いつでも元気だよなぁ」
ジルダが手をのばして、イタチのしっぽをつかんだ。
あばれるイタチを木の棒でなぐって、イタチを気絶させた。
「よっしゃ。今晩のおかずゲット!」
「ジルダも、元気だな……」
シルヴィオが、ぼそりと言った。
* * *
パダナ平原は、陽が落ちると気温がいっきにさがった。
昼間の熱気はまだ空気中にふくまれているが、直射日光がもたらす、うだるような暑さは鳴りをひそめている。
兵たちも充分な休養がとれたようで、倒れる者はひとりもいない。
「ふぃー。風が気持ちいいなぁ」
ジルダの銀色の髪が夜風になびく。
「そうだな」
「最初っから、夜に進めばよかったんだなぁ」
ジルダの言う通りだ。俺の判断があやまっていた。
兵に松明をもたせて、崖の道を慎重にすすむ。
谷底はかたい地面だ。落ちたら、ひとたまりもない。
「皆、足場に気をつけろっ。一度でもふみはずしたら、谷底まで落ちるぞ!」
兵たちは松明で足場を照らしながら、次にふむ地面をたしかめる。
「崖の際はあぶないですね。地面がかなりもろいです」
シルヴィオも馬上で、地面をしきりにたしかめている。
「そうだな。一列になるのは、やむをえない」
「このまま、朝まで山をのぼるんですか」
アゴスティはグルリアス高原の先にある。
この山を越えなければ、アゴスティの支援はできない。
「いや、この崖を越えたら夜営しよう。暗闇の中で山道を歩くのは危険だ」
「わかりました!」
ヘビのようにうねる長い崖の道を越えると、一面のひらかれた場所が見えてきた。
兵にテントを張らせ、携行しているパンなどで簡単な食事を済ませる。
兵の数を念のためにたしかめたが、脱落している者はひとりもいなかった。
夜風のすずしいテントで休息をとって、夜明けとともに進軍を再開した。
東のかなたから顔を出した太陽が、群青の空を黄金色にてらす。
無数にうかぶ雲が陽の光にてらされて、あざやかな朱色に変化している。
朝焼けの幻想的な色合いは、俺たちに幸運をもたらすものか。それとも凶事の前触れか。
赤い色をはなつ地面をのぼりきると、平たんな荒れ地が一面に見えてきた。
「グラートさん。のぼりきりましたかっ」
「ああっ。アゴスティは、もうすぐだ!」
ジルダや兵たちから歓喜が上がる。
「あのしんどい道を、よくのぼりきったなぁ」
「今までの行軍で、一番しんどかったぜ……」
ひとりも脱落せずについてきてくれたことを、大きな声で褒めたたえてやりたい。だが、
「皆、ここまで来てくれて、ごくろうだった。だが、ここがゴールではない。敵もこの先にひそんでいるのだ。気を引きしめろ!」
「は!」
ここからが本番だ。俺も気を引きしめなければ。
兵に朝食をとらせて、荒れ地のひろがる高原を突き進む。
陽がのぼり、直射日光の暑さを感じはじめていた頃に、岩と荒れ地ばかりの風景に変化が見られてきた。
「グラートっ。あれ!」
まっさきに気づいたのはジルダだった。
はてしない青空に浮かぶ、無数の白い雲。そんな自然の光景を黒い煙がまっぷたつに分断している。
「あの煙は、なんだ?」
「焚き火にしては、煙が大きすぎませんか」
だれかが山でも焼いているのか?
煙を出しているのは、砦のような建物だ。遠くてよく見えないが、カゼンツァによく似た城塞だ。
城塞のまわりで、黒い影がとびまわっている。
あれは、鳥か? よくわからないが、かなり大きい気がするが……。
「グラートっ、あそこが次の街じゃねぇの!?」
なんだと!?
黒い影は、ワシのような鳥か? イナゴのように数が多いぞ!
城塞からのびる煙のまわりを旋回するように、鳥たちはとびまわっている。まるで、竜巻のように……。
「あれ、絶対魔物だよっ。あの街がおそわれてるんだよ!」
ジルダが馬上から身を乗りだして叫んだ。
「グラート、はやく行こうぜ!」
「ああ。そうしよう!」
俺は兵に指示し、進軍を急いだ。