第76話 東の異国へ、かわいた土地とラブリア領主
次の日にわずかな兵をつれて、ヴァレンツァを発った。
兵の装備は、ベルトランド殿が事前にととのえてくれていた。
ロンゴ卿が治めるラブリアは、ヴァレンツァから遠くはなれた場所にある。
ヴァレンツァから早馬をとばしても到着に五日以上もかかる上、けわしい山岳地帯が続く。今までに体験したことがない難所だ。
強い日差しが乾燥した地面を照りつける。
頑強な四角い岩が、壁のように立ちはだかっている。
かわいた風が頬をなでるたびに、冷たい水がほしくなってしまう。
こんな荒々しい場所が、ヴァレダ・アレシアにあったなんて、俺は知らなかった。
「うひぃ。今日もあちぃぜぇ」
ジルダが脱いだ外套の裾で顔の汗をぬぐう。
「この辺、なんか暑くね? サルンと温度ちがうよね」
「そうだな」
サルンは薄着でいると寒さを感じるが、ここは外套を脱いでも暑い。
「まわりは岩ばっかで、森も川もないし。サルンとおんなじ国内とは思えないぜ」
ジルダの言う通りだな。
あたり一面にひろがるうす茶色の景色は、初めて目にする辺境……いや、もはや異国だ。
「たしかに。これだけ暑いと、気が滅入ってくるな……」
シルヴィオも額の汗を袖でぬぐっている。
「そうだろ? ああ、水のみてー!」
「さわいだら、余計にのどがかわくぞ」
この慣れない気候が、戦闘中に俺たちの首をしめなければいいが……。
ベルトランド殿の話によると、ロンゴ殿はカゼンツァからはなれたパダナ平原と呼ばれる場所で陣をきずいているらしい。
パダナ平原はカゼンツァの西にひろがっているようだが、道にまよったのだろうか。
「シルヴィオ。ロンゴ殿が陣をきずいているパダナ平原は、この先にあるのか?」
「確認しますっ」
シルヴィオがバッグから地図をとりだす。
四つ折りにされた紙をひろげて、地図と目の前の風景をなんども見くらべる。
「あのむこうにある山が、エトラ山だと思います。だとすると、エトラ山のむこうにパダナ平原があるはずです」
道は、どうやらまちがっていないようだ。
「では、このまま進めば、ロンゴ殿の率いる正規軍と合流できるのだな」
「は、はいっ」
第一の関門は、ぶじに突破できるか。
「俺、先に行って偵察してきます!」
シルヴィオが馬の手綱を引いて、エトラ山へと駆けていった。
「こんなにあちぃのに、よくがんばるなぁ」
ジルダがはなれていくシルヴィオの背中をながめて、他人ごとのように言う。
「シルヴィオは、故郷で待つ家族のために一生懸命なのだ」
「ちいさい弟や妹がいるんだもんね。あの人の家族って、よその土地で農民やってるの?」
「ああ。だが、ただしくは農奴だな。シルヴィオの家族は領主の命令で、過酷な賦役を課せられているのだ」
農奴は領主がもつ土地を代わりにたがやす。
その生活に自由はほとんどない。最低限の生活が保障される代わりに、領主にずっと隷属させられるのだ。
「ふーん。よくわかんねぇけど」
「シルヴィオの父親は、すでに亡くなっている。母親も身体が弱いから、彼の生活はとてもくるしいのだ」
「ふーん……」
ジルダの興味が、シルヴィオに少し向いたか。
「シルヴィオは冒険者としてよその土地に行く代わりに、領主に金銭を貢いでいるようだ。貢いでいる額までは、俺は把握していないが」
「なんだよそれっ。そんな生活、ちっともたのしくねぇじゃねぇかよ!」
「そうだ。だが、家族をやしなうためには、長男のあいつが稼ぎ頭になるしかないだろう?」
家族のためにはたらくのは、大変だ。
シルヴィオの主として、できるかぎりの支援をしたいが。
日陰をさがして、兵たちを休ませているあいだに、シルヴィオが帰ってきた。
「グラートさんっ。あの山の向こうがパダナ平原でまちがいないです。ロンゴ様の陣地のようなものが見えました!」
「おおっ、そうか!」
疲れていた身体に、力がよみがえる。
長旅でぐったりしていた兵たちの顔にも、精気がもどっていた。
* * *
エトラ山はそれほど高くない山だが、一頭の馬が通れるだけの道が一本しかない難所だった。
エトラ山を越えて、ロンゴ殿の張る陣地にたどりついた頃には、陽が西の山に落ちていた。
「おお! そなたがヴァレンツァから来たドラスレ殿かっ。うわさは聞いてるぞ」
ロンゴ殿はすぐに俺たちを出迎えてくれた。
ロンゴ殿は肥えた身体が特徴的な、ひと目で裕福さがわかる容姿だった。
陣地だというのに金のシャツを着て、真紅のマントを夜風になびかせている。
黄金の剣を腰に差しているが、剣の柄や鞘はまるで新品だった。
「サルン領主のグラートです。遅ればせながら、ヴァレダ宮廷騎士団の騎士団長ベルトランド様の命にしたがい、ラブリアの支援にまいりました」
「うむ。そなたの到着を、首をながくして待っていた。ささ、はやくこちらへ」
ロンゴ殿は、今回の住民反乱でかなり根を上げているようだ。
チェザリノのように横柄な人ではないが、きれいすぎる衣服に違和感をおぼえる。
ロンゴ殿や指揮官が使うテントは、陣地の西側に建てているようだ。
テントは鋼鉄の丸棒でしっかりと固定され、地面には青いじゅうたんが敷かれている。
「敵はカゼンツァを占拠している。数はけっして多くないが、とんでもない者がやつらの中にまじってるんだ」
とんでもない者……?
会議用の大きなテーブルに、ロンゴ殿が地図をひろげる。
ひろいパダナ平原の北東に、カゼンツァと思われる要衝が四角い図で描かれている。
カゼンツァの規模や、パダナ平原との距離は、この地図から読みとれない。
「とんでもない者とは、どういう意味ですか」
「言葉の通りだ。やつらの中に、とにかくバケモノがいるのだ」
敵の中に、バケモノがいる?
ますます、意味がわからない。
「バケモノというのは、魔物だということですか?」
シルヴィオがロンゴ殿に質問する。
ロンゴ殿が近くの椅子に座る。だが、すぐには口をひらかなかった。
「いや……そういうわけではない。そういうわけではないのだが……もしかしたら、あれは魔物なのかもしれない」
「は……あの、お言葉の意味が、理解しかねますが」
「うるさい! 俺も、あれがどういう存在なのか、よくわかってないのだっ。あんまり突っ込むな!」
ロンゴ殿は、何を取り乱しているんだ?
シルヴィオが顔をしかめたので、左手で彼を制した。
「魔物のようにつよい人間が敵の中にいる。そう思えばよいですね」
「そ、そうだ。ドラスレ殿の考え方で、おおむね間違っていないっ」
この戦いが長引く原因は、その者であるようだ。
「わからないものをいくら考えていても、こたえは出ません。ですので、わかるところから考えていきましょう。この陣地とカゼンツァは、どのくらいの距離がありますか」
「細かい数字はわからんが、馬があればすぐに着くだろう」
「わかりました。では、カゼンツァをまもる反乱軍は、何名ほどいるのですか。それと、カゼンツァの防御は、どのくらいですか」
「反乱を起こしたやつらは、五百名くらいだったはずだ。カゼンツァの防御は、城壁でしっかりとまもっているから、かなり厚いはずだ」
敵の数は五百名か。
すくなくはないが、騎士団が手を焼くような数ではない。
カゼンツァの城壁が厚かったとしても、ひと月以上も攻めあぐねるものか……。
「グラート。どうするんだ?」
ジルダが不安げに俺を見あげている。
「カゼンツァには、反乱にくみしていない者たちも大勢いるだろう。だから、籠城戦になるのは好ましくない」
「そ、そうだよな! 民を犠牲にするなんて、絶対によく――」
「ドラスレ殿は何を言っているのだっ。やつらにはバケモノがいるんだぞ。そんな悠長なことを言ってる場合か!」
ロンゴ殿が立ち上がって、声を荒げた。
「そなたはっ、あいつと戦ってないから、そんなことが言えるんだ。明日にでも戦ってみろ。自分の考えがあまかったと反省することになるぞ」
「いや、明日は戦いません。兵が長旅で疲れています。ですので――」
「明日と言ったのはもののたとえだっ。そんなことをいちいち言わすな!」
ロンゴ殿は、どうしてそんなに取り乱しているのだ。
ロンゴ殿のいうバケモノという存在は、それほど脅威なのか?