第73話 騎士団長からの急使
俺がサルンに腰をおちつかせて、二ヶ月くらいが経ったのだろうか。
俺はアダルジーザやシルヴィオとともに、ドラスレ村の周囲にひろがる農地の手入れに精力をそそいでいる。
ドラスレ村の畑は、アダルジーザが中心となって開墾をすすめてくれていた。
俺が計画から立てないといけない場所は、ひとつもないようだった。
「俺が留守にしていた間も、アダルが畑をまもってくれていたのだな」
農園に芝生のような大麦の畑がひろがっている。
「そうだよぅ。ここまで育てるの、たいへんだったんだからぁ」
アダルジーザは微笑みながら、遠慮せずに言う。
左の胸の上に、バラのブローチが金色のかがやきをはなっている。
「そうだろうな。この青々としげる畑を見れば、アダルがどれほど丁寧に手入れしていたのか、よくわかる」
「ふふ、ありがとぅ」
「他の畑も完璧な状態であった。これだけ見事な畑がつくられているのであれば、俺が手出しするところはひとつもない。村人たちにも感謝しなければなるまい」
俺とアダルジーザの後ろで見守っている村人たちから、声が上がった。
「アダル。俺は領主なのに、自分の土地をほとんど手入れできていない。すまないな」
「ううん。グラートはぁ、お国の、だいじなお仕事があったから」
陛下の元からはなれられなかったのは事実だが、少しは領主らしいはたらきをしたいものだ。
「でもぅ、グラートがいると、たすかるよねぇ。グラートは、力持ちだから」
「力仕事は俺の得意分野だ。言ってくれれば、木でも鉄でも、なんでもはこぶぞ」
「鉄は、はこばないけど、木ははこぶことがあるかなぁ」
木材を調達して、柵を立てたり農具をつくるからか。
先日にアダルジーザから草刈り鎌をわたされた。
この鎌は村人たちで使いまわしているものだ。刃こぼれや錆がかなり目立つ。
「農具がかなり消耗しているな。この刃では、かたい茎を刈れないだろう」
「うん。でも、農具は、すぐに替えられないから」
農具はすぐに替えられない?
「そういうものなのか?」
「う、うん。そういうもの、というより、お金を節約したいから」
お金のことまで配慮してくれていたとは……!
アダルジーザは、冒険者だった頃からお金の管理をしっかりしていた。
俺はあたまが上がらないな。
「アダルは、さすがだ。俺がまちがっていた」
「そんなことは、ないよぅ」
「アダルが俺たちのことを考えて節約してくれるのはうれしいが、消耗のはげしい農具を使い続けていたら農作業がつらくなるのではないか?」
「うーん。そうだねぇ」
アダルジーザが、刃先の錆を見て、うなった。
「そろそろ、あたらしいのに取り替えても、いいかも」
「そうしよう。金なら陛下からいただいている。せめて、皆の負担を少しでも減らしたい」
鋤や鎌はさほど値が張らない。この際だから、使えなくなったものは取り替えてしまおう。
「グラートぉ!」
背後の丘の上から、ジルダの声が聞こえてきた。
農園のわきを沿うように、小高い丘がまっすぐにのびている。
丘の上に道がのびて、ドラスレ村と近隣の農園へとつながっているが……。
「ジルちゃん。どうしたんだろぅ」
アダルジーザも錆びた草刈り鎌を降ろした。
ジルダは皆の視線を気にせずに丘を駆け降りてくる。
額から汗をながして、まっすぐにむかってきた。
「どうしたのだ。そんなにあわてて」
「はぁ、はぁ……。ちょっと、タンマ」
息が切れるほど走ってきたのか。
「都からの使いだ。騎士団長サマだってよ!」
「なんだと!?」
ベルトランド殿の使いかっ。都でまた何か起きたのか。
しかし、宰輔の一件で宮廷の人事が刷新されて、都は落ちついたはずだが……。
「ベルトランド殿の使者は、村にいるのか」
「おうっ。火急の用だってよ!」
そうだろうな。ベルトランド殿が俺に使いをよこす理由は、十中八九、軍事がらみだ。
アダルジーザと村人たちは、気落ちした面持ちで俺とジルダを見ている。
「アダル、すまない。また、サルンをはなれなければならないようだ」
「うん……」
「陛下のご意志であれば、ことわることはできない。どうか、ゆるしてくれ」
アダルジーザはじっと俺を見つめていたが、やがてかぶりをふった。
「ううん。サルンのことは、だいじょうぶだから」
アダル……!
俺は右腕をのばして、アダルジーザを引きよせた。
「あっ、ちょっと……」
彼女の細くてやわらかい身体が、逸る気持ちをしずめてくれる。
「すぐ、かえってくる」
「うん……」
アダルジーザが身体を俺にあずけてくれた。
彼女をこれ以上不安にさせたくない。
ジルダと村人たちは、恍惚と言葉をなくしていた。
「よし、ジルダ。使者のもとにつれていってくれ!」
「お、おぅ!」
ジルダにしたがい、丘のなだらかな坂を駆け上がる。
「グラートよぉ、突拍子もないことすんなよな」
「突拍子もないことというのは、なんのことだ?」
「アダルにだきついた件だよ!」
ああ、さっきのやりとりを言っているのか。
「いいではないか。夫婦なのだから」
「そうだけどよぅ。びっくりするだろ。いきなりやられたら」
「アダルに安心してほしかったのだ。しかたあるまい」
ベルトランド殿の使者は、村長の屋敷に案内したようだ。
村長の屋敷に入ると、それほど広くない居間に村長と若い兵が向かい合って座っていた。
「ああっ、ドラスレさま!」
村長が、がたっと椅子の音を立てた。
「ジルダから話は聞いた。お前が、ベルトランド殿の使者だな?」
「はっ」
若い兵も立ち上がって敬礼した。
シルヴィオとおなじくらいの年齢だ。まだ十七歳くらいの新兵か。
「お茶を、すぐに用意いたします」
「ああ、たのむ」
椅子を引いて、若い兵のとなりに腰かけた。
「火急の用だろう。都で何があった?」
「は。都は、いたって平和であります。きゅ、宮殿の政治が行き届いており、その、魔物一匹、出ておりませんっ」
若い兵は緊張しているのか。言葉がたどたどしい。
「じゃあ、なんでここまでやってきたんだよ」
「待て、ジルダ」
はやるジルダを右手で制した。
「くわしいことは、俺……いや、わたしも存じ上げておりません。その、上が言うには、どこかで住民反乱が起きたとのことでして」
住民反乱!? ヴァレンツァの住民が陛下に反旗をひるがえしたのか。
いや、都は平和だと、この若い男は言っていた。
ということは、都ではない、ヴァレダ・アレシアのどこかで住民が反乱を起こしたのか。
「なるほど。よくわかった」
「はっ」
「あれでわかったのかよ!」
村長の奥様が茶をはこんできてくれた。
苦さの残る茶でのどをうるおして会話を続ける。
「ようするに、都ではないどこかで、住民が反乱を起こしたということだ。理由まではわからないが。
そして、その反乱を鎮圧するために、俺はベルトランド殿の召集を受けているということだ」
「はっ。その、通りです!」
「ほぇぇ。よくそこまでわかるなぁ」
物事を注意深くたどっていけば、断片的な手がかりだけでも事実にたどりつくことはできる。
「くわしい事情は、ベルトランド殿からうかがえばいい。一般の兵卒にまで、状況がくわしく説明されているとは思えない」
「そ、そうなのか」
「ドラスレ様。わたしの力がおよばず、もうしわけありません」
若い兵が肩を落としてしまった。
「お前は何も悪くない。疲れているだろうから、ここでしばらく休んで行くといい」
「は! ありがとうございますっ」
茶を飲みほして、席を立った。
「もう行くのか?」
「もちろんだ。火急の用だからな」
「そ、そうだよな」
「ジルダ。至急、シルヴィオを呼び出してくれ。どこかの農園にいるはずだ」
「わ、わかった!」
のどかだったドラスレ村の空気が、うごきだした。
この戦いも、長いものになりそうな気がする。えも言われぬ気味悪さを感じる。
ヴァレダ・アレシアが平和になるのは、まだまだ先か。