第67話 ヴァレンツァ騒乱の裏で嘲るオドアケルの男
都ヴァレンツァまで早馬をとばし、その日の夜にヴァレンツァに到着した。
ヴァレンツァは遠くから見てもわかってしまうほど、赤く染め上げられていた。
「グラート!」
「ああ。危惧していたことが、ついに起きてしまった」
ヴァレンツァの民家や宿、武器屋から屋台まで、無差別に放火されている。
紅蓮の炎が家屋から立ちのぼり、夜空まで焦がそうとしている。
メインストリートで倒れているのは、ヴァレンツァの市民か。
「ひでぇ」
「ヴァレンツァの市民も、店や家屋も宮廷の対立とは無関係だ。それなのに、むごいことをする……」
宰輔の兵が暴走して、都で略奪しているのだろう。
アルビオネの魔物たちをしりぞけて、街がやっと復興したというのに……。
「グラート。はやく消火しようぜ!」
「だめだ。宮殿に行くのが先だ!」
街と市民を一刻もはやく救出したいが、宮殿が宰輔に制圧されたらすべてが無駄になる。
「おい、この店にお宝がいっぱいあるぜ!」
メインストリートと細い道が交差する場所の一角に、装飾品を売る店が建てられている。
開けはなたれていた店の中から、宰輔の兵と思わしき者たちの声が聞こえてくる。
「うひょ! これをよそで売れば、大儲けじゃねぇか」
「そうだぜ。そうしたら、こんな退屈な生活から逃れられるんだぜ!」
「ぐっへっへっへ。これで俺たちは大金持ちだぁ」
この店は火が燃えうつっていないが、店の者たちは逃げてしまったようだ。
宰輔の兵は、四人か。
皆、金のネックレスや大きな宝石がきらめくペンダントを首にかけて、金の指輪やブレスレットを両手に抱えている。
「お前たち。店の品を今すぐもとの場所へもどせ」
「ああん?」
兵のひとりが、剣呑な目つきで俺をにらんでくる。
「だれだぁ、お前は。どこに所属してる者だっ」
「俺はドラゴンスレイヤーだ。すなわち、お前の敵だ!」
兵の男が、目を思い切り見開いた。
「ド、ドラゴンスレイヤーだと!?」
「ば、ばかな! ドラスレは、ヴァレンツァになんか来れないはずっ」
宰輔は兵たちに、そのように指示していたのか。
「俺は、お前たちのような不届き者を成敗するため、急ぎヴァレンツァにもどってきたのだ。さぁ、店の品をもとにもどせ!」
宰輔の兵たちは、怒りか。それとも恐怖か。身体をがたがたとふるわせている。
「お、おいっ。どうするんだ。やばいんじゃねぇか!?」
「そうだよ! ドラスレじゃ、かなわねぇぜっ」
かれらの先頭に立つ男は、うばった装飾品を捨てて長槍をとりだした。
「ふざけるなっ。ドラスレがなんだ! こんなやつ、ぶっ殺してやるっ」
まずしい兵を誘惑の多い都にひそませれば、暴走するのは目に見えていたはず。
宰輔の完全なる失策だ!
兵が突き刺す槍の穂先が、俺の腹を刺し貫く……その手前で、口金のあたりをつかんだ。
この兵の弱い力なら、片手だけでおさえられる。
「く、くく……」
「どうした。お前の力はそんなものか」
「く、くそっ」
兵は俺をつらぬこうと両手の力を込めてくるが、たいしたことはない。
「その程度の力では、アルビオネの魔物すら倒せんぞ!」
右手の力を入れて、兵から槍を引き抜く。
石突で兵の胸のまんなかを突いた。
「ぐわっ」
兵は吹き飛ばされて、奥の壁に激突した。
他の兵は、すっかり委縮しているか。
「お前たちの命までうばう気はない。店の品をもとにもどして、ここから立ち去れ」
兵たちは気絶した者を抱えて、足早に去っていった。
「グラート。他のお店も、たすけよう!」
「だめだ。そうしたいが、はやく宮殿に行かなければ、すべてがむだになるっ」
もどかしさを胸の底に押し込めて、メインストリートを駆け抜ける。
街のあちこちで暴徒化しているのは、宰輔の兵だけではない。
ヴァレンツァの市民たちまで、街を混乱させているのか……。
「こんなことに、なるなんて……」
「なんでみんな、火を消さねぇんだよっ。このままだと都がほろんじまうぞ!」
ジルダの言う通りだ。はやく火と混乱をしずめなければ。
宮殿の正門の前に、多くの兵が詰めかけていた。
多くの者たちは革の胸当てで武装しただけだが、彼らの先頭で声をあらげている者たちは艶やかなシュルコーを身にまとっている。
「門を開けよ!」
「われらは宰輔の命により宮殿をおまもりする者であるっ。それなのに、なぜ中に入れてくださらないのか!」
あの者たちは、宮廷騎士団の者たちだな。
「お前たち、宰輔の手の者か!」
正門の前でさわいでいた者たちが、一斉にふりかえる。
手前の兵が、槍の穂先をむけてきた。
「ああ? だれだ、お前は」
「俺はサルン領主のグラートだ。ドラゴンスレイヤーと名乗った方が、お前たちは理解しやすいか」
「なにっ、ドラゴンスレイヤーだと!?」
騎士と兵たちの顔色が変わる。
兵たちはすぐ左右へと展開し、俺をとりかこんだ。
「グラート!」
「アダルやジルダは下がっていろ。すぐに片づく」
兵の奥で俺をにらみつけているのは、ヴァレダ宮廷騎士団の者たちか。
「ドラゴンスレイヤー、いやグラート卿! お前は、われら宮廷騎士団の一員であったはず。なぜ、われらに敵対するか!」
「俺はヴァレダ宮廷騎士団の一員であると同時に、陛下にお仕えする廷臣である! 逆に問う。お前たちはなぜ、いたずらに兵をうごかして陛下のお心を苦しめようとするか。答えよ!」
騎士の男が怒りで顔をふるわせていた。
「ドラスレ。お前もこの間、玉座の間に来ていただろう。あの真意を問いただしに来たのだ!」
「ふざけるな! あの壮烈なる陛下が女性であると、まだ言い出すのか。陛下は男性だ。それ以外の答えはない!」
「お前ごときの言葉など、信用できるかっ。われらはこの国の秩序をまもるために、重い腰をあげたのだ。無礼者は去れ!」
「無礼者はお前だ!」
俺の後ろで声を張り上げたのは、ジルダかっ。
「何がこの国の秩序をまもるだよ。街をこんなめちゃくちゃにしといて、ふざけんなよ!」
「ジルちゃんの、言う通りだよ! 弱い人たちを傷つけて、いいわけないよっ」
アダルジーザも、よく言ってくれた。
騎士の男は、これでも引きさがらないか。
「部外者はだまってろ! 陛下と王族がいつになっても非をみとめないから、俺たちは兵を挙げざるを得なかったんだ。それを――」
宮殿の正門が、開かれる?
「宮殿がヴァレンツァにあるのだ。ここが戦場になるのは、致し方なかろう! それを……」
宮殿の重い門がゆっくりと開かれて、奥で待機していた精鋭たちが姿をあらわした。
彼らは鉄兜とチェインメイルで身をつつみ、鋼鉄の槍を両手にかまえていた。
「行けっ。反逆者どもをつまみ出せ!」
宮殿の兵たちが喊声をあげる。
ひとりの騎士が指揮する兵は、怒涛の勢いで突撃をはじめた。
宰輔の騎士と兵たちは虚を突かれたのか、多勢であったが宮殿の寡兵にあっさりと押し出されていく。
「おっ、お前た……」
艶やかな衣装に身をまとった騎士たちの悲鳴が、兵の喊声に消されていく。
宰輔の配下の者たちは次々と捕らえられ、半分以上の兵たちはわれ先にと逃げだしていった。
「ドラスレ! よく来てくれた」
正門から出てきた騎士は、副騎士団長のベルトランド殿か。
兜をはずした容姿は凛々しい。銀色のまっすぐな髪が炎の光を反射させている。
宮殿の派手なシュルコーを着こなし、勇壮に立つ姿は騎士の名を冠する者としてふさわしい。
俺は片膝をついて礼をした。
「副騎士団長のベルトランド様ですね。登庁が遅れましたこと、おわびいたします」
「よせ。お前はヴァレンツァの外で大任を果たしてくれているのだ。お前が宮殿に駆けつけてくれて、陛下はさぞおよろこびだろう」
陛下の御身はぶじか。
「陛下は、いずこへ?」
「宮殿におられるはずだ。正門と裏門をわれらが死守すれば、宰輔の手の者たちは宮廷を掌握できない。なんとしてもここをおまもりするのだ!」
ベルトランド殿はただしい心をもったお方だ。信用に足る人物と見た。
「わかりました。ベルトランド様とともに、この命、陛下にさし出しましょう」
「うむ。ドラスレ、お前がいれば百人力、いや千人力だ。お前さえいれば、宰輔が敵にまわろうと宮殿を守り通すことができる気がする」
「こまりましたな。そんなに期待されると、かえって委縮してしまいます」
「ふ。宰輔をあれだけ言い負かした者が、何を言う」
ベルトランド殿が不敵な笑みを浮かべた。
「しかし、われらの士気が高いとはいえ、われらは寡勢。多勢を率いる宰輔に勝てる見込みはありますか」
「うむ。そのことなのだが、地方の騎士たちに援助をもとめようと思っている」
ヴァレダ・アレシアには、宮廷や都に寄りつかず、自身が保有する土地の支配しか興味をしめさない騎士が大勢いる。
この者たちは宮廷の問題に関心をもたないが、宮廷と都の危機だとわかれば、援軍を差し向けてくれる者はあらわれるだろう。
「ドラスレ。お前が来てくれたおかげで、わたしたちは伝令を出しやすくなった。わたしたちがここを死守しているあいだに、地方の騎士たちへ檄を飛ばせば、宰輔とて――」
「そうはさせんよ」
何者だっ!
炎と黒煙が立ち込める都のメインストリートから、影のような者たちが忍び足でちかづいてくる。
オドアケルの者たちか。
彼らは扇の形になるように隊を組み、背中からとり出した弓をかまえて身体を止める。
彼らの中央で立ちつくすのは、目の細い、野心家のような男だった。
やはり黒い外套で身をかくしているが、他の者たちが着ているような布切れではない。
長い黒髪を後ろの一点でくくり、白い額を惜しげもなくさらしている。
ビルギッタと同じ、オドアケルの幹部か。
「お前たちにそんなことをされたら、困るのだよ」
オドアケルの男が、「くっくっく」と細い肩を上下させた。