第61話 フォレトで別れたジルダと再会
陛下に暇をつげて、南のフォレトへと急いだ。
宮殿には十日も滞在してしまった。ジルダをフォレトにとどめてから、ひと月はゆうにすぎている。
「ジルダは、かんかんに怒っているだろうな。強烈な雷の魔法をあびせられても、文句は言えないかもしれない」
王国の地図をたよりに街道を南下する。
広大な森を走り抜けながら、オドアケルの追っ手を警戒するが、妙だ。
「オドアケルの連中があらわれない。俺の命をあきらめたのか?」
あの手のギルドは、執念深い。
宰輔のあのうらめしい顔も、すぐ脳裏に浮かび上がってくる。
「それなのに、連中に一度もおそわれない。どうなっているのだ?」
単に運がいいだけなのか。
それとも、彼らが俺の追跡をあきらめたのか。
「宰輔は宮殿で倒した。あそこまで屈服させれば、宰輔といえども簡単には起き上がれない。そういうことなのだろうか」
何か、重大な見落としがあるような気がするが……余計な心配をしても意味はないか。
「何もおそれることはない。陛下にも、そう奏上したばかりではないか」
王国の地図を四つ折りにたたみ、バッグに押し込む。
馬に飛び乗り、大して変わらない景色の中を駆け抜けた。
「着いたか。フォレトだ」
フォレトの大木を利用した巨大な門が、今日もおおざっぱに俺を出迎えてくれた。
ジルダは、村の病院にいるはずだ。
病院に入り、医者にジルダのことを聞くが、十日以上も前に退院したのだという。
「ジルダは、どこにいる?」
病室を念のために見てまわったが、ジルダはどの病床にもねていなかった。
「ジルダは、フォレトを経ってしまったのか?」
俺の帰りが遅いから、よその街へ行ってしまったのかもしれない。
「あいつは冒険者だ。サルンにいたのは、一時的に宿を探していただけなのだ。冒険者とは本来、自由気ままな生き物。あいつのことは、追わない方がいいのかもしれない」
こんなさびしい別れ方は、したくなかったが――。
「おーい、グラートぉ」
あの声はっ!
「おおっ、やっぱグラートじゃんっ」
ジルダは村のまんなかに建つ酒場の前で、手をふっていた。
「ジルダ、すまない。遅くなった」
「ああ。いいってことよ。どうせ、また宮廷のめんどくせぇ問題に巻き込まれてたんだろ?」
宮廷をとりまく問題は、面倒な問題ではないが……。
「そ、そうだな」
「てっきり、ぼくのとこにはもう来ないんだと思ってたけどさぁ。グラートってやっぱ、まじめだよなぁ」
「後でむかえに行くと、言っただろう? 友とかわした約束はまもる」
「あー、はいはいっ」
ジルダがあきれるように返事した。
「おー、ジルダ。何さぼってんだぁ……って、お前はグラートじゃねぇか!」
あの声の大きい店主も、健在かっ。
「ああ。ひさしぶりだ、店主」
店主はあいかわらず背が低いが、がははと豪快にわらった。
「ひさしぶりって、前にも挨拶してたじゃねぇか。夜に店に来いと言ったのに、逃げ出しやがって。今さら、ごめんなさいかぁ?」
「逃げ出したのではない。諸事情で店に寄れなかったのだ」
「はは、わかってるっつーの。その辺は、ジルダからざっくり聞いたからな」
店主が右手の裏で、俺の胸をこつんとたたく。
俺の背中から、冷たいしずくが流れ落ちる。
「ジルダから、聞いたのか?」
「ああ。よくわかんねぇけど、例のギルマスを追いかけてるんだろ? あいつがどんな宝を盗んだのか知らねぇけど、大変だよなぁ」
例のギルマスというのは、ウバルドのことだな。
だが、宝を盗んだというのは、どういう意味だ?
ジルダを見やると、彼女がてへっ、と赤い舌を出した。
「で、けっきょく、宝は取り返せなかったのか? お前はできるやつだと思ってたんだがなぁ。がっはっはっは!」
「あ、ああ。そうだ。ジルダもすっかり回復しただろうから、むかえに来たのだ」
「おおっ。うちではたらきたいっつうから、臨時で雇ってやったのによ。ちっともはたらかねぇんだよ、こいつ」
ジルダは、俺を待っているあいだに、この店で生活費を稼いでいたのか。
「お、おいっ。ちゃんとはたらいただろ!」
「いんや。お前は客にちっともサービスしない。ちょっとくらい酒を注いでやったって、罰なんかあたんねぇのによぉ」
ああ……ジルダは客商売ができなかったのか。
「ふざけんな! ああいうエロいサービスはおことわりだって言っただろっ」
「けっ、けっ。お高く止まりやがって。お前みたいなケチは、もういらん。どこにでも好きな場所に行きやがれっ」
「おーおー、言ったなっ。なら、こっちからやめてやるよ、こんな店!」
ふたりとも、落ちつくのだっ。
「もういいっ。行こうぜ、グラート」
「あ、ああ」
「あっ、おい! そいつはここに置いてけっ。聞いてんのか!?」
ジルダが俺の腕を引いて、宿へと引きかえしていく。
「あんのエロオヤジっ、ほんと、あったまくるよな! 従業員をもっと大事にしやがれっ」
「よほど、いやなサービスを強要されたんだな」
いったい、どんなサービスを要求されたんだ……。
「ん? グラート、変な想像すんなよっ」
「し、してないぞっ。想像など!」
「ほんとかぁ? ぼくに変なことしたら、アダルに言いつけてやるからな!」
それだけは、絶対にやめてくれっ。
ジルダが借りている宿は、さっきの酒場の近くに建てられていた。
木造の二階建てで、おせじにも豪華とはいえないが、とてもなじみ深い宿だ。
「俺がいないあいだも、ジルダはフォレトでたくましく暮らしていたのだな」
「あったりまえだろ。もともと、ソロで冒険者やってたんだから、こんなのへっちゃらだぜ」
「そうだったな」
どこのギルドにも属さず、ひとりで自由気ままに冒険するのは、冒険者の憧れのひとつだ。
自分の好きなタイミングで出かけて、好きな場所で狩りをし、自分の好きな宿を借りる。
自分の意思にまかせて行動するのは、ギルドに所属していたら絶対にできない冒険の仕方だ。
反面、食事の用意や依頼の捜索なども、すべて自分でやらなければならない。
自由と引き換えに苦労をともなうのがソロ活動だが、冒険者なら一度は経験しておいた方がよいのだと思う。
「その辺、適当にすわって」
ジルダの部屋の椅子を引く。
ジルダがもっていたバッグ以外は、部屋にもとから置かれていた棚やベッドばかりだ。
「むかえが遅くなって、すまなかった。またサルンにもどってきてくれるな」
「おう、もちろんだぜ!」
よかった。ジルダは俺たちをわすれていなかったようだ。
「ぼくもアダルに会いてぇからな。グラートがいつ来てもいいように、部屋に余計なもんは置かなかったぜ」
だから、この部屋がこんなに殺風景だったのか。
「そうか。ありがたい」
「宮廷の連中は、まだ倒せてねぇんだろ? 偵察くらいでよかったら、ぼくもやるぜ!」
ジルダの表裏のない笑顔が、うれしかった。
「たすかる。俺は、いい臣下をもった」
「おっと。まだ臣下じゃねぇぜ。もうちょっとだけ、待ってくんな」
「なんだ、それはっ」
それはもう、俺の臣下になると言っているようなものではないかっ。
ジルダがベッドに腰かけて、閉め切られた窓を見やった。
「ぼくも考えたんだけどさ。やっぱり、不安定な生活より、安定した生活がしたいだろ。ソロで冒険者をやるのは、自由でいいけどさ。こんな生活、いつまでも続けらんねぇし」
「そうだな。気ままに生活できるのは魅力的だけどな」
「だろ。だからさ、その……そういうのも、わるくねぇのかなって」
ジルダはおそらく、過去に仲間と対立する出来事に遭遇したのだ。
だからきっと、俺やアダルジーザのことも心の底から信じることができなかったのだろう。
だが、その心を閉ざされた氷を、少し解かさせることができたのかもしれない。
「グラートがさ、騎士になったのって、冒険者をやめたかったからなの?」
「いや、ちがうぞ。今でも冒険者にもどりたいと思うことがあるからな」
「なら、なんで騎士になったの? むかしよりも大変じゃん。アダルと結婚したのに、家にもほとんどいられないし」
どうして騎士になったかと、あらためて問われると、こたえにくいものがある。
正直なところ、そこまで深く考えていなかったというのが、こたえになるが。
「騎士の称号をいただくのが名誉だというのが、理由のひとつか。あとは、大恩ある王国や陛下に、少しでも力になりたいと思ったのが、もうひとつの理由だろうか」
「そんなこと考えてたの!?」
「考えていたというほどでもないけどな。陛下から騎士の称号を拝領したときは、何も考えられない状況だったからな。だが、だれかの力になりたいと思ったのは本当だ」
騎士になれば大きな責務を負うことはわかっていた。
だが、力をもつ者としてこの国に生を受けたのだから、何かを成しとげたいと思ったのは事実だ。
「だれかの力に、か。グラートらしいな」
「そうかな」
「グラートって、ほんと、バカがつくほどお人よしだもんな。だから、陛下にも気に入られちゃうのかもしれねぇけどな」
ジルダが俺を見やって、くすりと笑った。