第60話 宮廷の戦いのあと、陛下のお気持ち
フォレトで休養するジルダをはやくむかえに行きたかったが、ジェズアルド殿に引き止められてしまった。
情勢がまだやすまらない宮廷からはなれてほしくないと言われたのが、理由のひとつ。
何より、宰輔や官吏たちをこわがる陛下のお心を落ちつかせることこそ急務であると、ジェズアルド殿から強く言われてしまったため、宮殿を経つことができなかった。
「グラート、お前はすごいな! どのような勉学にはげんだら、お前のようになれるのだ?」
宮殿の内廷の奥にたたずむアウロラ宮。
宮殿のうるわしい裏庭が一望できるアウロラ宮のテラスで、俺は陛下と同席することを許可されている。
「そうですね。勉学というほどではありませんが、冒険者として強くきたえられたことが、今のわたしをささえているのだと思います」
「はぁ。冒険者としてきたえられたのか」
「はい。わたしは捨て子でしたが、熟練の冒険者だった義父がわたしを強く育ててくれたのです。義父はきびしい人でしたが、同時にわたしの身をだれよりも案じてくださる人でした」
裏庭の湖のようにひろい泉が、かすかに水面をゆらしている。
陛下はめずらしくテーブルに肘をついて、俺の話の一言一句を逃さずに聞いておられた。
「お前は強い冒険者としてヴァレダ・アレシアの各地をわたり歩いてきたから、そのように強い心と身体を備えることができたのだな」
「そうですね。ヴァレダ・アレシアの奥地におもむけば、凶悪な魔物に何度も命をねらわれます。あやうく命を落とす危殆にひんすることも、一度や二度ではありませんでした」
「そのようなときは、どうやって切り抜けてきたのだっ?」
「人は生命の危機にひんしたとき、とてつもない力を発揮するのです。絶対に死にたくないという、かぎりなく強い生の力が、わたしの心と身体を強くしてくれたのです。
そのような危機に何度もひんしたからこそ、今のわたしがあるものだと思っております」
ジェズアルド殿は俺のとなりで、ゆったりと紅茶をすすっている。
目をつむり、子どものように笑う陛下を見まもっているようだった。
「生命の危機、か。わたしは、そのような場面に一度も直面したことはないな。だから、強くなれないのか」
陛下が、「はぁ」と椅子にもたれた。
「それは、しかたありません。陛下のお身体は、王国の宝そのものです。王国の宝を傷つけることなど、何人たりともできますまい」
「だがな、それではわたしは、お前のように強くなれないのだ。どうすれば、お前のように強くなれるのだっ」
「はは。こまりましたな」
俺に心をひらいてくださった陛下は、子どものように無邪気だった。
それまでのおとなびた姿からは、想像もつかない。
きっと、国王の重圧につぶされないように、ずっと気を張っておられたのだろう……。
「それなら、わたしのとっておきの話をお聞かせしましょう」
「と、とっておきとは!?」
「ブラックドラゴン・ヴァールとの戦いです」
「聞きたい! 聞かせてくれっ」
陛下は演劇や旅芸人の出し物をはじめて見るように、目をきらきらと輝かせた。
* * *
「グラート。お前はやはり最強だ。あのブラックドラゴンすら、ひとりで倒してしまうのだ。お前がこわいものなんて、ひとつもないのであろうな」
陛下と昼食まで同席させていただいた。ヴァレダ人の冥利につきる一日だ。
「いいえ。わたしにもこわいものはあります」
「なんだ、それは」
「陛下とジェズアルド様の信頼をそこなうことです。わたしがこうして陛下とお話しできるのは、陛下とジェズアルド様がわたしを信じてくださっているからに他なりません。
おふたりの信頼をそこなうのは、こわい。それにくらべたら、ヴァールがはく炎など、なんともありません」
陛下はめずらしく、ぽかんと口を開けておられた。
「お前は、おもしろいことを申すのだな。その冗談、本気にするぞ」
「ええ。本気にしてください。冗談を言うのは、苦手ですから」
「ドラゴンスレイヤーは、人に取り入るのも最強なのだなっ」
陛下がじっと、俺の首のあたりを見つめておられた。
「やはり、お前の妻がうらやましいな」
「わたしの妻、ですか?」
「そうだ。お前の妻は元気か?」
「はい。今日もサルンで農作業に従事しています。わたしの妻も冒険者でしたから、可憐な見た目ですが、身体がとても強いのです」
「そうなのか」
陛下は少し、気を落とされてしまったみたいだが……。
「お前は強いのだから、結婚する相手も強い者がよいのだな」
「は、はぁ。そうかもしれませんが……」
陛下は、どうされたのだ?
「ドラスレ。陛下は生まれてからずっと宮殿の深窓ですごされてきた。恋愛というものを今まで体験されていないから、結婚をうらやましいと思われているのだっ。そうでございましょう? 陛下」
「あ、ああ。そうだっ」
そのあたりは、女性らしい感情をしっかりとはぐくまれたということか。
「わたしはきっと、生涯、結婚なんてできぬであろうな」
「陛下」
「性別をいつわったあの日から、わたしは女であることを捨てさったのだ。その決意に後悔はないが、時折、途方もないさびしさを感じてしまうことがある。どうしてであろうな」
王家の血筋を存続させるためとはいえ、あまりに過酷な運命だ。
このお方を責めることは、俺にはできない……。
「ご安心ください、陛下。陛下には、ジェズアルド様やわたしがついております」
「う、うむ」
「ジェズアルド様やわたしがかたわらにいれば、陛下がさびしいと思うことはありますまい。わたしの長い冒険で培った冒険譚も、お話しますから」
「そうですぞ、陛下。ドラスレの言う通りですっ」
ジェズアルド殿がまた泣きそうになっていたが、力強くうなずいてくれた。
「わかった。では、わたしも強く生きよう」
「へ、陛下っ」
「お前たちがいれば、わたしは安心して政務をまっとうすることができる。もう、泣いたりはしない。宰輔や官吏たちの前で、堂々と王国を牽引するのだ」
ジェズアルド殿が、さっと白いハンカチをポケットからとり出……号泣しておられるっ。
「ジェズ、アルド?」
「も、もうしわけ、ありませぬ。目にゴミが、入りましたので……」
ジェズアルド殿は我慢できなくなってしまったのか、陛下に許可もとらずに退室してしまった……。
「ジェズアルドは、ああ見えて涙もろいのだ。ゆるせ、グラート」
「そう、だったのですな……」
男の本気の涙を見たのは、何年ぶりか。
「グラート。お前は、あまり泣かなそうだな」
「ええ。最後に泣いたのがいつだったか、おぼえておりません」
「サルヴァオーネにあらぬ反逆罪を突きつけられたときも、泣かなかったのか?」
「泣かなかったですね。目の前の地面がくずれさっていくような、愕然とした感情に心がおしつぶされそうになりましたが、不思議と涙はながれなかったのです」
これも、生命の危機に何度も直面した弊害か。
「そうか。お前はやはり、強いのだな……」
陛下がしみじみとつぶやいた。
「お前を騎士に叙任して、よかった」
「ありがとうございます、陛下」
「ふふ。お前には言わないでおこうと心に決めていたのだが、お前の叙任は皆が反対していたのだ」
「そうだったのですか」
宰輔やチェザリノは、俺を騎士にしたがらないだろうな。
「サルヴァオーネやチェザリノは当然だが、ジェズアルドも最初は反対していたのだ」
「ジェズアルド様も?」
「うむ。平民を騎士に叙任した例は少ない。ヴァレダ・アレシアの長い歴史をもってしても、騎士になれる家系はあらかじめ定められていたのだ。
だからな、ヴァレダ・アレシアの歴史をくつがえすような王命をくだしてはならないと、強く反対されてしまったのだ」
なるほど。長らく騎士をつとめた者たちの発想だ。
「結局はわたしが彼らを押しのけて、あの叙任式が実現できたのだが、サルヴァオーネやジェズアルドをどうかうらまないでほしい。宮廷に長らくしがみついてきたわたしたちは、ヴァレダ人の古いしきたりに支配された、あわれな人種なのだ」
「存じております。気心の知れた者たちの輪に異分子が入り込めば、拒絶したくなるのが人間の本性です。わたしは蛮族とさげすまれても、しかたないのです」
「お前は蛮族などではないぞ! 主に忠節を誓うお前こそが、ヴァレダ・アレシアの真の騎士だ。その磨かれた騎士道精神を、これからもひろめていってほしい」
「は。この胸に誓います」
絹を身にまとった召使いが、果物をはこんでくる。
金の皿にもられたリンゴをとって、陛下がほほえんだ。
「わたしは大した政治能力をもたないが、人を見る目だけはあるのかもしれぬなっ」
「そんな、めっそうもありません。陛下の威徳が王国のすみずみにまで行きとどいている証拠ですぞ」
「ふふ。ジェズアルドと前に協議したのだが、サルヴァオーネの対処が落ちついたら、お前をヴァレダ宮廷騎士団の騎士団長に任命する予定だ。楽しみにしていてくれ」
俺が、騎士団長!?
「は……」
「現在の騎士団長をまかせているチェザリノは、わたしに背いた。どのように寛大な処置をとったとしても、あの者に大切な騎士団長をまかせておくわけにはまいらぬ。
だが、この国にはお前より強い騎士はいない。よって、お前が次の騎士団長にふさわしいと、わたしとジェズアルドで判断したのだ」
それは、よろしくない。
「サルヴァオーネもいずれ更迭しなければならないだろうが、ジェズアルドはその代役をまっとうできぬというし。かといって、他に適した者もいない。どうしたものか……」
「陛下。後任の人事は、宮廷が落ちつかれてからでもよろしいでしょう。今は宰輔の対応に注力すべきだと存じます」
「そ、そうだな。わかった。よく、わたしのまちがいを訂正してくれた。礼を言うぞ」
「は。出すぎたマネをしたことを、おゆるしください」
俺のような異分子が宮廷の奥へと入り込んだら、宮廷がもっと混乱する。
陛下の寵愛を受けることは、この上ない光栄だが、慎重に決断した方がよいかもしれない。