第55話 サルンへの帰還、アダルジーザと再会
ネグリ殿が手配してくれた馬に乗り、ヴァレンツァの街道を走り抜ける。
俺たちをさえぎるものは、何もない。サルンにもどることができるぞ!
「ウバルド。クレモナの関所は超えた。サルンはもうすぐだぞ!」
「あ、ああ」
ウバルドの表情は、どこか重い。ぶじに帰ることができるというのに。
「何か、気になることでもあるのか」
「いや、そうではないが……」
なら、どうしてそんな暗い顔をするんだ。
「俺が勇者の館にしがみついていたときに、お前は宮廷の高官にまでコネをつくっていたのだな」
「ネグリ殿のことか?」
ウバルドは、こたえない。
「ネグリ殿は宮廷ではたらかれている方だが、前に視察官としてプルチアに来られたことがあったのだ」
「そうか」
「ネグリ殿は当初、俺を毛嫌いされていたが、俺があきらめずに対話したから、ああやって心を開いてくれるようになったのだ。ネグリ殿の言葉は強いが、清くただしい心をもっている。安心して背中をまかせられる方だ」
ウバルドは、手綱をじっとにぎりしめている。
顔を上げて、青空のむこうを見つめた。
「この旅で、お前との違いを嫌というほど見せつけられた。勇者の館のギルメンたちがお前を担ぎあげようとしていたときは、お前ばかりがチヤホヤされてうんざりしてたが、ギルメンたちの気持ちが、今ならわかる」
「そうか」
「俺は、多くの人間を率いる器ではなかったのだ。お前のようなまじめな配下を切り捨てて、おのれの地位や立場をまもることしか考えない。
こんな自分勝手な人間に、ギルメンたちがついてくるはずはない」
俺の誠意が、ウバルドにもつたわったか。
「だいじょうぶだ、ウバルド。今からでも、やりなおせる」
「そうだろうか」
「そうさ! 俺を見ろ。一度は反逆罪で地下牢に入れられて、明日をも知れない命だったんだぞ」
ウバルドが、俺を見て笑った。
「その罪を着せたのは、俺だろうがっ」
「そうだ。あのときは苦しかったが、それももう、むかしの話だ。どんなにつらい状況であっても、自分を信じ、人に尽くせば未来は変えられる。お前だって、おなじだっ」
ウバルドの顔が、また暗くなってしまった。
まるまった背中を、思いっきりたたいてやろう。
「うわっと!」
「しょげるな。暗い顔ばかりだと、幸運が逃げていくぞ!」
「お、お前っ、馬の上で、いきなりたたくな!」
奇声をあげるウバルドが、おかしかった。
見なれた街道と森が姿をあらわす。
前のアルビオネとの戦いの爪痕が痛ましかったが、血痕や切り倒された木々がなくなっている。
「村の者たちが、がんばってくれたのか」
村の入り口で話をしているのは、農作業に従事している者たちか。
「皆の者、ごくろう。作業はすすんでいるかっ」
麻のほっかむりをつけた女性たちが、笑顔で出迎えてくれた。
「ああっ、ドラスレさま!」
「おかえりなさいませっ」
村とサルンは平和なようだ。
「俺が経ってから、村とサルンに異常はなかったか?」
「だいじょうぶですよぉ。今日も昨日も、おんなじ毎日だから」
「魔物が出ても、シルヴィ様が倒してくれるしねぇ」
シルヴィオが帰っていたのか。なら、安心だな!
「シルヴィさま、かっこいいよねぇ」
「そうそう! ちょっと頼りないところが、かわいいのよねぇ」
なんだそれは……。女の感性は、よくわからん。
「シルヴィ様って、まだ若いんでしょう? 恋人とか、いないのかしらねぇ」
「そしたら、あたしが立候補しちゃおうかなっ」
「やだもう、なに言ってんのよぅ!」
彼女たちの井戸端会議につきあっていたら、陽がくれてしまうな。
「アダルも、農園にいるのか?」
「ええ。今日もはたらいてると思いますよ」
「あの子も若いのに、毎日がんばるよねぇ」
俺がいないあいだも、アダルジーサはつらい農作業を続けてくれているのか。
「ドラスレさま。はやく、顔を見せてやりなよ!」
「そうだよぅ。ちゃんと相手してあげないと、すぐに愛想つかされるよぉ」
「わ、わかった。その忠言を、聞き入れよう」
村の女性たちにわかれをつげて、アダルジーザがいる農園にむかう。
プルチアにいたときは毎日顔を合わせていたから、わからなかった。
気持ちが、妙にたかぶっている。
「この土地は、前にアルビオネのドラゴンとかと戦った場所だよな。こんなに、おだやかに変わるのか」
後ろで馬を引くウバルドが、急に声をあげた。
「そうだ。アダルや村の者たちが、俺の留守をまもってくれたのだ。皆のはたらきに、感謝の言葉が思いつかない」
「アルビオネの連中と、ここで戦ったとは思えないな。こんなに、変わるなんて……」
村の入り口から、土を踏みならした道が続く。
道はゆるやかな線をえがいて、いくつもの農園をむすびつけている。
野原では小鳥やイタチがあそび、おだやかな風が青々としげる葉をなでている。
黄色や紫色の野花が、緑ばかりの野原に優しい色をつけていた。
「サルンは、ゆっくりだが確実に復興している。皆が住みやすい土地になるのは、もうすぐだ」
「うらやましいかぎりだな」
道のわきに背の低い柵がたちならぶ。
道の先に農具を置く小屋が建ち、小屋のうらに麦畑がひろがっている。
麦畑の中で、ほっかむりをつけた女性が三人いる。その中のひとりが、アダルジーザだった。
「アダル!」
女性たちが起き上がり、一斉にふりかえる。
まんなかにいた女性が、アダルジーザだ。
高揚する気持ちをおさえて、彼女に駆け寄る。
「お、おかえりなさい」
アダルジーザは、表情がかたまっている? あまり、よろこんでくれていない、ような……。
「すまない。長いあいだ、留守にしてしまって」
「う、うんっ」
アダルジーザが、急に背中をむけた。
「今日は、お化粧、あんまりしてないから……」
あ、ああ……。そんなことを、気にしていたのか。
「グラートが、いつ帰ってくるのか、わからなかったから……」
「すまない。その、あんまり連絡できなくて」
「うんっ」
「化粧なんてしなくても、アダルは、きれいだ。だから、こちらをむいてくれ」
アダルジーザが、とまどいながら、俺に身体をむけてくれた。
「そんなことを言われたら、複雑な気分になっちゃうよぅ」
「そうなのか? では、なんと声をかければいいんだっ」
「なんて言えば、いいんだろうねっ」
アダルジーザが、笑ってくれた。
「グラート。おかえりなさい」
「ああ。アダルは、とくに変わりないか?」
「あたしは、だいじょうぶだよぅ。でもぅ、グラートは、また怪我しちゃったんだねぇ」
腕や身体の傷をかくしておくべきだったか。
「すまない。大事な任務の途中で、いろいろあったのでな」
「うん。そのことは、もう止められないけど。でもぅ、心配かなぁ」
アダルジーザが、俺の身体をいつも心配してくれる。
「アダルやサルンの皆には、迷惑をかけないようにする。後でいいから、回復魔法をかけてほしい」
「うん! 農場のお手入れは、明日でもできるから。すぐに準備するね」
彼女の笑顔が、俺の疲れた心と身体をいやしてくれる。
ラグサで買ったプレゼントを、ここでわたそう。
バラのブローチをバッグからとり出すと、アダルジーザが小首をかしげた。
「どうしたのぅ? それ」
「いや、その、長いあいだサルンを留守にした罪ほろぼしというわけではないのだが、ラグサで、買ってきたのだ」
「わたしにぃ?」
「そうだ。バラをイメージしたブローチらしい。受けとってくれ」
農場にいた女性たちから声が上がる。
女性たちから冷やかされるのは、苦手だな。
アダルジーザはちいさい口を開いたまま、ブローチを受けとってくれた。
「あ、ありがとぅ」
「そんなに、好みじゃなかったか」
「う、ううん。ちがうの。グラートから、こういうのもらうの、はじめてだったから」
俺がかつてアダルジーザにプレゼントしていたものは、魔力の上がるダガーとか、戦いを有利にするものばかりだった。
当時はそれがもっとも効果的なプレゼントだと思っていたが、今にして考えると、そうでもなかったのかもしれない……。
「ふふ。だいじにするねぇ」
「そうしてくれっ」
こほん、と咳ばらいが頃合いを見計らったように聞こえた。
農園の外で迷惑そうに立ちつくしていたのは、ウバルドか。
「すまない。待たせてしまったな」
「いいや。お前は騎士になったばかりでなく、女ともいい関係を築いていたとはな」
アダルジーザと婚約したことを、ウバルドにちゃんと言ってなかったな。
「そうだ。俺はアダルと婚約した。アダルは、俺の一番大事な人だ」
「そういうことを、皆の前で臆面もなく言わんでいいだろうが」
シャツの腰のあたりが、ぎゅっとなぜか強い力でつかまれる。
俺のシャツをつかんだのは、アダルジーザか。
「グ、グラート」
「どうした?」
「ど、どうして、あの人が……」
ウバルドをサルンにつれてきたことを、アダルジーザとシルヴィオにはしっかりとはなさなければならない。