第52話 沼地の村の正体
「あいつら、おかしいぞ」
主人と奥さんがいなくなった部屋で、ウバルドがかわいた声を発した。
「ああ、そうだな」
「ヴァレダ・アレシアの領内だというのに、ヴァレンツァを知らないだと? そんなばかなことがあるかっ」
陽が落ちて、主人と奥さんは不意にいなくなった。
主人は俺たちにごちそうを用意したいと、鉈と釣り竿をとって出かけていった。
奥さんも飲み水がなくなってしまうと、大きな桶をもって水を汲みにいった。
だから夕刻になったというのに、部屋の中は俺たちふたりしかいない。
「ここは、ヴァレダ・アレシアの外だというのか? しかし、俺たちはヴァレンツァのそばまで来ていたはずだぞ」
ウバルドがあたまをかかえる。
都ヴァレンツァは、ヴァレダ・アレシアの広い国土のまんなかにある。一日や二日でヴァレダ・アレシアの領外に出たとは考えにくい。
「では、あのふたりが本当にヴァレンツァを知らないというのか?」
「そんなばかげたことがあるかっ。ヴァレンツァは、田舎のクソガキだって知ってるんだぞ」
クソガキというのはよくない表現だが、ウバルドの言葉はもっともだ。
「ウバルドの言う通りだ。あのふたりは、どこかおかしい」
「あいつらが帰ってきたら、すべて白状するまで問いつめてやる!」
ウバルド、落ちつけ。
主人と奥さんの帰りを待つが、ふたりはなかなか帰ってこない。
家の外でカラスが鳴いている。それも一羽だけではない。
ここに来るときに感じていた悪寒が、不意に背中をなでた。
「うわっ!」
「なんだ?」
ウバルドとともにふりかえるが、後ろにはだれもいない。
「な、なんだったんだ、今のは」
「ウバルドも感じたのか」
「あ、ああ。さっきの連中が、おどかしやがったのかと思ったぜ」
今のは人間の気配じゃなかったぞ。
「やはり、この家は変だ」
「あ、ああ」
「いや、この家だけではない。この集落すべてが――」
どん、と重いものが倒れる音が――。
「うわぁ!」
ウバルドが、俺に抱きついてきて――。
「く、くるしい……」
ウバルドが虎を絞め殺すような力で、俺の首と腰を絞めつけてくる……。
「は! す、すまん」
「へいき、だっ」
ウバルドが柄になく謝罪の言葉を口にする。
「とんでもない音がしたものだから、つい……」
「わかっている。気にするな」
あやうく失神しかねたが……。
「しかし、いやな音だったな。さっきのは」
「あ、ああ。なんなんだよ、この家はっ」
俺の額からも冷や汗がながれ落ちた。
思えば、この家に着く前から様子がおかしかった。
白い霧の中にあった集落なのに、集落に着いたとたんに霧が晴れた。
そもそも、この一帯に人の気配が感じられないのだ。
「ウバルド。あの主人と奥さんに、他に違和感はなかったか?」
「他に違和感? ヴァレンツァを知らないこと以外にということか?」
「そうだ。たとえば、人ならざる気配などだ」
奥さんから水をわたされて、どのくらいが経過したか。
俺がもつコップの水は、少しも減っていない。
ウバルドも奥さんからわたされた水を飲んでいないようだ。
「人ならざる、気配だとっ」
「そうだ。ヴァレダ・アレシアの魔物の中には、死者が朽ち果てた肉体を借りてうごき出したり、霊魂となった存在が襲いかかることもあるのだろう。
今、俺たちのまわりでうごめいているこの負の力は、まさに死者のそれだ!」
床と壁の隙間から不自然に入り込んでくるのは、白い煙……いや、白い霧!
広い沼の一帯に立ち込めていた、あの霧かっ。
「な、なんだ!?」
「やはり、ここは呪われた地だっ。逃げるぞ――」
木のぶあつい壁が、黒い何かによって突き破られたっ。
壁のむこうからのびるのは……手!
「うわぁ!」
「まずい、逃げるぞ!」
腰をぬかすウバルドの腕をつかむ。
ヴァールアクスを右手にとって、閉め切られた扉を蹴破った。
「死ねぇ!」
俺の前に、鉈のようなものがふりおろされる。
反射的にけりとばした相手は……この家の主人かっ。
「仲間が逃げるぞっ」
「わたしたちの仲間を、逃がすな!」
おぞましい声をあげたのは、この家の奥さんに、白いチュニックを着た若い女。
ふたりとも服はズタズタに引き裂かれ、肌も青白くなっている。
腕はありえない方向に折れ、顔ももはや原型をとどめていなかった。
「た、たすけてくれぇ!」
「ウバルド、しっかりしろっ。こいつらはただのゾンビだ!」
左腕にしがみつくウバルドを突きはなして、ヴァールアクスを斬りはらう。
ふたりのゾンビは白い霧の彼方に吹き飛ばされた。
「あたらしい仲間だっ」
「わたしたちの、仲間をっ」
足もとの地面から、もぐらのようにゾンビたちが這い出てくる。
「あなたたちは、もう逃げられないのよ」
「ここは楽園さぁ。それなのに、どうして抵抗するんだ」
ゾンビたちが汚い爪で切りつけてくる。
ゾンビたちの攻撃は単調だが、その尋常でない体力が厄介だ。
「さぁ、さぁ!」
「いくら抵抗したって、むださぁ。いずれ、俺たちとおんなじになる」
ゾンビたちは、ヴァールアクスでいくら斬りつけても、起き上がってくる。
手足を斬り落としても、首がなくなっても起き上がってくる。斬り落とされた部分を適当につなぎ合わせて。
「このままでは埒が明かない。ここからはなれるぞ!」
倒れそうなウバルドの首根っこをつかんで、ゾンビたちに背を向ける。
集落は白い霧につつまれている。前も後ろも、さだかではない。
「この集落はせまい。すぐに出られるだろう」
そう思っていたが、いくら走っても霧から出られないっ。
「どうなっている!? どうして、外に出られないっ」
向かっている先がちがうのか。切り返してみるが、それでも外に出られない。
「なぜだっ。いくら走っても、霧の外に出ない」
「どうしようっ。このままじゃ、死んじゃうよぉ!」
ウバルド、しっかりしろ!
「泣き言を言うな! あいつらの仲間になりたいのかっ」
ふぞろいの手足をつなぎ止めた者たちが、おぞましい声を発しながら追いかけてくる。
「い、いやだっ。俺は、死にたくない!」
「その意気だっ。わすれるな!」
これは、魔法の類なのか?
目くらましや幻をあつかうものが、あるのかもしれない。
くっ。アダルジーザやジルダがいれば、的確な助言をしてくれただろうにっ。
「魔法? それなら、魔道師が近くにいるはずだ」
魔道師は、どこにいる。
もし霧の外で幻術を使っていたら、俺たちはなすすべがなくなる。
「いや、そんなはずはない。魔道師をさがしだすんだ!」
迫り来るゾンビたちを追いはらいながら、白い霧の中をさがしまわる。
だが、いるのはゾンビたちだけだ。
「もう、ダメだぁ!」
「ウバルド。お前も幻術を使っている魔道師をさがせ!」
魔法を使っている者は、見あたらない!
ゾンビたちの中に司令がいるのか?
「あいつらを、つかまえろぉ!」
「わたしたちの、仲間ぁ」
襲いかかってくるゾンビたちが、魔法を使っているとは思えない。
何が一体、どうなっている……
「グラート、あそこ!」
泣き顔のウバルドが、白い霧の一点を必死にさした。
むこうにあるのは、井戸か。
井戸が、紫色にひかっている?
いや、井戸の底から光が発せられているのだ。
「ぜったい、あれだって」
「ウバルド、待て!」
あの紫色の光……どこかで見たことがある。
井戸にちかづいて、底をおそるおそる見下ろす。
井戸は、深い。底まで、とても見えない。
「どどど、どうする!?」
後ろからゾンビたちの叫び声が聞こえてくる。
「井戸の底まで降りている時間はない。ここを破壊するぞ!」
ヴァールアクスをとって、ゾンビたちのいない方向へと下がる。
「ウバルドは、ゾンビたちの注意を引きつけてくれ」
「ええっ!? そんなの、むりだよぉ」
ウバルド……。
腰をおとし、全身の力を両手に集約させる。
長い逃避行で疲れが全身にのしかかっているが、耐えるんだっ。
「はっ!」
突進して、ヴァールアクスをたたきつける。
斧はレンガをたたきわり、そのまま地面を吹き飛ばす。
衝撃は井戸の底に達し、井戸があった場所を中心に大きな穴を開けた。
紫色のあやしい光も、消えうせていた。
「や、やった、のか」
ウバルドは、ゾンビたちと必死にたたかっていたようだ。
白い霧が、いくらか晴れていた。
夜の暗闇がひろがる静寂の空間に変わっていたが、ゾンビたちの姿はどこにもない。
「ウバルドの言う通りだったようだ。ゾンビたちがあばれる原因をとりのぞいた」
あの紫色の光は、なんだったのだ。
「おい……」
落ちついて、あたりを見まわす。
俺たちのまわりに建っているのは、倒壊した家屋?
壁はくずれ、扉もなくなっている。かやぶきの屋根もほとんど形をうしなっていた。
「ここは、滅びた集落だったのか」
では、俺たちが案内された、あの家はなんだったんだ。
「どうなってるんだよぉ、これっ」
「わからない。だが、すべて幻だったのだろう。あの紫色の光がはなっていた、魔法によってな」
足もとに落ちているのは、刃か? かなり錆びている。
廃屋のそばで突き刺さっているのは、槍か。
「なぁ。ここって」
「もしかしたら、ヴァレダ・アレシアが建国されるはるかむかしに滅ぼされてしまった集落なのかもしれないな」
だから集落の主人や奥さんは、ヴァレンツァやサルンを知らなかったのか。
「きっと、かなしい命運をたどってしまった者たちだったのか。彼らの浮かばれない魂に祈りをささげよう」
俺は片膝をついて、胸の前に両手を合わせた。