第50話 夜陰に乗じたオドアケルとの死闘
家がもえている!?
そんなばかな。ここは森の中だぞ。
火を焚いていないのに、こんな森の中で、どうして家がもえるんだ――。
「撃て!」
男の怒声!?
ひと呼吸おいて、するどい何かが俺に飛びかかってきた。
とっさにかわすと、もえる家の壁に突きささったのは、矢か。
「何が起きたんだ!?」
ウバルドも飛び出して、もえさかる火炎に目を見開いているが、
「オドアケルの者たちだ。矢で撃ってくるぞ!」
「なんだとっ」
ゆっくりと説明している時間はないっ。
二度目の一斉射撃が俺たちに襲いかかってくる。
俺とウバルドは右と左にそれぞれまわり込んで、家のうらへと逃げ込んだ。
「くそっ。こんなところにまで、やつらは追ってくるのか!」
「ずっとつけられていたが、俺たちはあえて見逃されていたのかもしれない」
やつらは暗殺者の腕利きだ。俺たちを確実に仕留めるタイミングをねらっていたのかもしれない。
「でてきなさい、ドラスレ。あなたはもう逃げられないよ」
あの声は、ドレスを来た魔物使いの女か。
ヴァールアクスを下げておもてに出ると、オドアケルの者たちが森の影から出てきた。
やつらの中央で、黒いドレスを着た女が立ちつくしている。
「だから、言ったでしょう? わたしたちから逃れられないって」
「知らんな。そんなことは」
「あなたひとりだったら、見のがしてあげてもいいのよ。あなたが、わたしたちの同志になるのが条件だけどね」
「そんなものにはならん!」
ヴァールアクスを地面にたたきつける。
「うわっ!」
ドラゴンを打ち滅ぼす衝撃が、森に大きな穴を開ける。
「あなたたちは下がりなさい。あの男は、この子たちが倒してくれるわ」
「は」
黒いドレスの女をのこして、オドアケルの者たちが下がっていく。
「な、なんだ!?」
ウバルドも家のうらから出てきて、予想外の展開に言葉をうしなっている。
何かが高速で飛びかかってくる!?
「くっ!」
黒いかたまりが、俺を打ちぬかんと飛びかかってきた。
とっさに身体を屈めた俺の上を、黒い何かが飛び越えた。
後ろの家屋に激突して、細かい木片と火の粉を夜の森に飛び散らせた。
黒いかたまりがまた飛びかかってくる!
大きな口を開けて、前肢の爪をひからせているのは……フェンリルか!
フェンリルが俺の左腕にかみついてくる。
短剣のようにとがった歯が、俺の腕にくい込む。
「はなれろ!」
フェンリルを力まかせにふりほどく。
ヴァールアクスをふりかぶるが、別のフェンリルがすぐに飛びかかってくる。
「うちのフェンリルは、そんじょそこらのフェンリルとはちがうのよ。さぁ、その大男をかみ殺しておしまい!」
フェンリルは、何匹いる? まずいぞ。
一匹なら大したことはないが、五匹くらいいる。戦場もかなり狭い。
「くたばれ!」
フェンリルたちの隙をついて、ヴァールアクスをふりおろす。
地面で威嚇していた二匹のフェンリルを、地面ごと押しつぶした。
後ろのフェンリルがかぎ爪で俺を攻撃してくる。
回避行動をとるが、間に合わない。
「ぐっ」
フェンリルの鋭利な爪が、俺の背中に食い込んだ。
「くそ、俺のとこにくるな!」
ウバルドもフェンリルたちにおそわれているか。
このまま、ここで戦っていたら、俺たちは負ける――。
何かが突然、俺の左肩に突き刺さった。
俺の肩からのびているのは、矢か。
「ドラスレさん。あなたを倒したら、今度はわたしたちが勇者になれるわね」
この戦場を離脱する!
「ウバルド、逃げるぞ!」
ヴァールアクスを下げて、もえる家のうらへと逃げる。
「ま、待て! 俺を見捨てるのかっ」
ウバルドもほうほうの体で俺の後を追ってくる。
そのさらに背後から、フェンリルたちがよだれをたらしながら集まってきた。
ここで、一気に倒す。
「ウバルド、右に飛べ!」
「な、なにっ」
「いいから早く!」
ウバルドが右のしげみに入り込む。
俺にまっすぐむかってくるのは、フェンリルだけになった。
「はっ!」
ヴァールアクスを地面にたたきつける。
強大な力が圧倒的な破壊力を生み、かたい地面ごとフェンリルたちを吹き飛ばす。
かわいた土はガラスのようにくだけちり、夜の静寂にぽっかりと大きな穴を開けた。
「や、やった、のか?」
となりのしげみから、ウバルドが顔をひょこっと出した。
「ああ、やったぞ。ミッションコンプリートだ」
「お前は、ほんとに、あいかわらず……」
ウバルドが、ガサガサと音を立てながらしげみから出てくる。
俺たちの前に空いた穴を見て、言葉をうしなった。
「なんという、ばか力……」
フェンリルたちの後をつけてきた女も、巨大な穴のむこうで絶句している。
「これが、俺の力だ。お前も死にたくなければ、これ以上の追撃は止すのだな」
「ふざけないで!」
女が小声で何かをつぶやき……魔法かっ。
「しねっ」
女が魔法をはなった直後、前の夜空から剣のようなものが、ふり……くっ!
後ろにとんだ俺の前に、ガラスの棒のようなものが突き刺さっている。
黒い、氷の柱か。
「そんなに死にたいなら、わたしが直々に殺してあげるわ!」
この女は攻撃魔法も使えるのかっ。
女が氷柱をふらす魔法を連発する。
岩のように重い氷柱は木をなぎ倒し、薮を押しつぶす。
ジルダの魔力にまさる威力だが、女は集中力を欠いているのか、魔法は俺たちに命中しない。
「死ね、死ねっ」
「ビルギッタ様っ、おやめください!」
配下の者たちが、乱心する女をとりおさえる。あの女は、ビルギッタというのか。
「はなせ! あの男を殺してやるんだよっ」
「だめですっ。ビルギッタ様は気がはやっております。これではドラスレを倒せません!」
どうやらオドアケルの統率がみだれたようだ。
「グラート」
俺の裾を後ろからつかんだのは、ウバルドか。
ウバルドの目くばせに従い、俺たちは死地から抜け出した。
* * *
暗闇同然の森を、あてもなく走った。
オドアケルの追っ手をふりきっても安心できず、俺はウバルドと足がくたびれるまで走った。
「うう、だめだ。もう足がうごかんっ」
ウバルドがどさりと地面に倒れる。
「そうだな。これ以上走るのは、俺もきつい」
「ここまではなれれば、やつらも追いつかんだろう」
そう思いたいな。
俺も地面に座ろう。
松明も光の魔法も使わないと、夜の森は闇そのものだ。
強大な闇の魔物がうごめいていて、俺たちを今からひとのみにしてしまうのではないか。そんな焦燥をかり立ててくる。
「馬に乗る時間すらなかったな。これから、どうしたものか」
「お前の土地は、まだ先なのか?」
「さあな。歩いても帰れるだろうが、それなりの距離と時間を覚悟しておいた方がいいだろうな」
ウバルドが、「くそがっ」と近くの小石を地面にたたきつけた。
「あいつらは、何がなんでも俺たちを殺すつもりだぞ。グラート、どうするんだっ」
「どうするも何も、このまま逃げるしかあるまい」
「そんなことを言って……いや、そうだな」
ウバルドが起き上がって、深いため息をついた。
「お前と、こんなところで言いあらそっても、何もはじまらんな」
「そういうことだ。たすかりたければ、宰輔の不正をあばくしかない。俺たちは、宮廷の深い闇に、のまれてしまったのだ」
ああ、ここはヴァレダ・アレシアの深い闇の中だったのか。
――宰輔のおそろしさを、一度しっかりとまなんだ方がいいんじゃないかしら。
ネグリ殿の言葉が胸の奥で反芻される。
「ウバルド。これで俺も同じ穴のむじなだ。俺もお前と同じように、宰輔からつけねらわれる」
「だから、なんだというんだ」
「お前を見捨てて、ひとりで逃げることはないということさ」
ウバルドが、「ち」と舌打ちする。
「今さら後悔したところで、後戻りはできんぞ」
「ああ。わかっている」
ウバルドの言う通りだな。
こんな調子で宰輔の不正があばけるのか。この先の暗闇に、光はあるか。