第270話 サルンの領主として
十日ほど養生し、俺はサルンへ帰還した。
ドラスレ村の人々は、ヴァレンツァの市民たちとともによその街へ逃れていた。
ビビアナもアダルジーザとともに行動してくれていたようだ。
「あの凶悪なドラゴンを倒してしまうなんて、グラートさまはやっぱりすごいです」
荒廃したヴァレンツァを越えて、ドラスレ村へと続く旅路でビビアナの声を聞いた。
「そんなことはない。ヴァレンツァへの帰還が遅れて、すまなかったと思っている」
「そんな……。グラートさまはドラゴンを倒すために新しい斧をつくってらしたんですから、しょうがないですよ」
ビビアナの明るい声を聞いたのは、いつ以来か。
彼女とともにプルチアを捜索したのが、ずいぶんとむかしのことに思えてくる。
「青の斧をつくるのに、かなりの時間を費やしてしまった。ヴァールの侵攻をゆるしてしまったことだけが、今でも悔やまれる」
「そうかもしれませんけど、みなさん無事だったんですから、よかったじゃないですか」
ビビアナの言う通りかもしれない。
「そうだな。過ぎ去ったことをいつまでも論じていても、明るい未来は訪れない。サルンの復興に全力をそそごう」
「はい!」
サルンとドラスレ村が復興するまで、ビビアナは滞在してくれるのだという。
やさしい臣下にめぐまれて、俺は幸せだ。
「いつまでも論じても……とか、相変わらず言うことがかてえなあ。これからもがんばっていこうぜ! でいいじゃねえか」
俺たちの後ろでルーベンが大きな口を開けている。
彼とウバルドはあの戦いに巻き込まれないように、安全な場所へ逃れていた。
ウバルドが「はあ」と嘆息する。
「逆にお前はのんきすぎて心配になるけどな」
「そんなことはねえだろ。俺はいつでも真剣だぜ」
「はいはい。そういうことにしておいてやるよ」
がははと笑うルーベンを、ビビアナが迷惑そうに眺めている。
「グラートさま。昨日も聞いたと思うんですけど」
「うむ。どうかしたのか?」
「いえ、その……あの人、どうしてこんなところにいるんですか」
ビビアナはかつてルーベンと戦ったことがあったか。
「安心しろ。やつはもうオドアケルと縁を切っている。俺たちと戦ったりしない」
「はい。それは前に聞いてますけど……」
そうはいっても、すぐには受け入れられないか。
ルーベンが彼女の視線に気づいて、妙な声をあげた。
「なんだあ、嬢ちゃん。俺のことが気になってんのかあ?」
「い、いえっ。別に」
「わりいが、俺はもっとムチムチした方が好みなんだ。嬢ちゃんの気持ちは受け入れられねえな!」
ルーベンは何を勘違いしたのか、がははと大きな声で笑った。
「わたし、あの人やっぱり好きじゃないです」
ビビアナがめずらしく低い声で言った。
* * *
アダルジーザはずっと元気がない。
どこも怪我をしていないし、病気にもかかっていないのだが、口数が少なくふさぎ込んだままだ。
「アダル。もうじきドラスレ村に着くぞ」
声をかけても返事すらしてくれない。
俺を嫌っているわけではないようだが……。
「サルンの被害は、想像以上ですね」
街道のあちこちを見まわしながら、ビビアナがおびえるように言った。
まわりの木々は倒され、道のあちこちに動物の死骸らしきものが転がっている。
アルビオネの侵攻によって残された爪痕なのであろう。
「あいつら、好き勝手あばれやがって……」
「ヴァールと戦う前にもあの村に行ったが、散々荒らされてたよな」
ルーベンとウバルドもサルンの惨状に苛立ちを隠せずにいる。
「村のやつらには被害がなかったみたいだけどよ。やっぱ、アルビオネのやつらはゆるせねえぜ」
「ヴァールが死んだから、すぐには侵攻してこないだろうけどな。だが、あいつらはまた絶対に攻めてくるぜ」
「そうなったら、俺らでまたコテンパンにぶっつぶしてやるまでよ!」
俺をつかむアダルジーザの手に、ぎゅっと強い力が込められた。
立て札のあった場所を左へ曲がり、村へと続く細い道を進んでいく。
荒れはてた林道を越えて、廃墟と化したドラスレ村へと到着した。
「やっと到着したな」
「おう」
村の門はこわされ、つぶれた家屋がまだ撤去されずに残されている。
魔物の死骸は以前に除去しておいたから、土地はそれほど汚染されていないはずだ。
しかし、カラスも鳴かない土地は墓場のようだ。生気が少しも感じられない。
「さあ、すまないがこれから村の再建に向けて手伝ってもらうぞ」
「おうよっ」
「かなしんでばかりじゃだめですものねっ」
馬を降りようと身体を伸ばしたが、後ろから強い力で引き戻されてしまった。
「グラート?」
アダルジーザが、後ろから俺に抱きついたまま離れようとしなかった。
彼女は俺の背中に顔を押しつけて、むせび泣いていた。
「アダル、さん」
サルンとドラスレ村の運営にだれよりも力を尽くしていたのは、アダルジーザだ。
村を少しずつ大きくして、近くの放棄されていた土地を農園に変えて、皆が住みやすくなるようにはたらいてくれていたのだ。
それなのに、たった一日ですべてをこわされてしまったのだ。
「言葉も発せなくなるほど、くるしいだろうな」
妻の苦悩を俺はわかってやれていなかった。
夫、失格だ。
「ビビアナ、ルーベン。ウバルド。すまないが、しばらく作業を進めておいてほしい」
「おっ、おう!」
「おまかせください!」
村の荒れはてた光景は、アダルジーザの心に強いダメージをあたえる。
村から離れた森の中に、ジルダが建てた小屋があった。
あそこは小川のそばで、心がとても落ちつく。
ジルダには悪いが、無断で借りてしまおう。
白馬を歩かせて、そよ風の吹く森の小道を進む。
この付近はアルビオネの攻撃を受けていなかったようだ。
道のそばにたたずむ立て札に二羽の小鳥が留まっていた。
「村の再建はひとまず彼らにまかせよう。アダルはもう少し身体と心を休ませた方がいい」
小屋のそばに馬を停める。
ガーデンテーブルの椅子を引く。
アダルジーザは向かいの椅子を引いていた。
彼女は強い女性だ。
長い冒険者の生活できたえられているから、彼女にすべてまかせておけば問題ないと高を括っていた。
俺は判断を誤った。
「アダル、すまない。きみをこんなふうに苦しめている元凶は、俺だ。俺がサルンを放逐していたからいけなかったのだ」
アダルジーザがはっと顔を上げた。
苦しそうだが、首を横にふって、
「グラートの、せいじゃない」
声をしぼり出してくれた。
「ありがとう。だが、俺はここままではいけないと思っている。サルンの領主として、皆を守っていかなければならないと思っている」
うつむいた彼女の瞳から涙がこぼれ落ちそうだった。
「俺は領主失格だ。だが、これで終わりたくない。ここから、どうかやり直させてほしい。だから、どうか俺を見捨てずについてきてほしい」
アダルジーザとゆっくり話す時間がなかった。
たくさんの理由があったが、それを言い訳にしてはいけないと思う。
「グラートの、せいじゃない。けど……」
彼女がうつむいたまま、口を開いてくれる。
「でも……できれば、もう少し、いっしょにいてほしい……かな」
アダルジーザが顔を上げて、やっと笑ってくれた。
目じりからこぼれた雫が輝いていた。
「ああ。いっしょにまた、村を再建していこう。前よりも素晴らしい村をつくるのだっ」
「うんっ」
腕を伸ばして、彼女のちいさな手をにぎりしめる。
細い指であるが、力強い何かを感じた。