第259話 ヴァールから遣わされた使者
俺は今まで、何をしていたのだ。
サルンとドラスレ村をわすれ、アルビオネや北の山ばかりを行き来していた。
俺はサルンの人々をまもるために、戦い続けてきたのではないのか。
ドラスレ村のすべての建物が崩壊している。
屋根がはずれ、壁も破壊されて、廃墟同然の姿に胸が痛んだ。
「こんなに壊されちまったんじゃあ、人はもう住めねえよな」
ルーベンがぼそりとつぶやく。
「魔物どもが好き勝手にあばれてやがったんだろうからな。立て直すとしたらかなり大変だぞ」
ウバルドも言葉をつなげたが、俺を見てすぐに口をつぐんだ。
ヴァールを倒して、俺ひとりでもこの村を再興させる。
「ルーベン、ウバルド。魔物の死体をどけたい。手伝ってくれ」
「お、おうっ」
魔物の死体を放逐したら、土地をよごすだけでなく、毒までまき散らす元凶となる。
死体は何体あるか。
俺が散々に斬り伏せて、手足が分かれている死体も多かった。
「で、でもよお、俺らはこんなことしてていいのか?」
「知るかっ」
ルーベンとウバルドは、俺の指示に困惑しているようだ。
「先にヴァレンツァを目指したければ、好きにすればいい。俺は、村の者たちが丹精込めて築いてくれたこの村を、野放しにすることはできない」
ああ、なんとバカな判断をしたのか。
アルビオネの特殊作戦になど参加せず、ここでヴァールを迎え撃てばよかったのだ。
アダルジーザやシルヴィオと協力すれば、今より良い結果になったかもしれないというのに。
「アダルジーザは、ぶじかっ」
ヒュドラの首を村の裏へ放り、俺の屋敷へ駆ける。
俺の屋敷も他の家屋と同様、ひどい有様であった。
壁も屋根も破壊されて、大きな瓦礫の山と化している。
「この屋敷も、村人たちが建ててくれたものであったのだが」
瓦礫をどかしながら部屋を探す。
アダルジーザの姿は見あたらない。
彼女が使用していた食器や化粧品は見つけられたが、彼女の存在を示すものがどこにもなかった。
「アルビオネに攻められる前に逃げろと伝えていたから、戦う前にここを放棄したのだろうか」
彼女がぶじであってほしい。
「ビビアナもアダルジーザに追従するように指示していたはずだが、彼女の姿も見えないな」
ふたりとも、ヴァレンツァへ逃れたのだろうか。
「なあ、グラート。ちょっといいかー?」
ルーベンの呼び声が聞こえた。
屋敷からもどると、ふたりは村の広場で休憩しているようであった。
「ルーベン、どうした」
「どうってことはないんだけどよお。ちょっとおかしいなって、ウバルと話しててよ」
「何がおかしいのだ?」
「いやあ、さっきから死体を片付けてるけど、人間の死体がねえなって。村がこんなに壊されてるのに、おかしいだろ」
村の者たちは、全員ぶじなのかもしれない。
ウバルドも首をかしげていた。
「アルビオネの連中が、人間の死体を丁寧に処理したとは考えにくいからな。食ったっつう線もあるが」
「それだったら、人間の骨とかがそこらじゅうに転がってるだろ。着てた服なんかも散らかってないし。だからやっぱ、ここの連中は戦う前に逃げたんじゃねえか?」
村の者たちは、きっと無事だ!
「ルーベンの言う通りだ。アルビオネが攻めてきたら、戦わずにここを放棄しろと、アダルや村人たちに言い含めていた」
「そうなのか! じゃあ、みんなぶじなんじゃねっ?」
「ああっ。希望はあるぞ!」
皆が無事であるなら、あとは何もいらない。
「よかったな、グラート!」
「最悪な状況ではなかったということか」
ヴァールを倒して、アルビオネの者たちを北へ帰す。
村を再興させれば、元のおだやかな生活にもどすことができるのだ。
「やはり、村をこのまま放逐することはできない。すまないが、今日は俺のわがままに付き合ってくれ」
「おう、いいってことよ!」
「一日いそいだところで戦局は変わらないからな。だが、戦いが終わったら、代金はしっかり請求するからなっ」
ふたりとも白い歯を見せて快諾してくれた。
* * *
廃墟となったドラスレ村で、そのまま一晩を明かした。
アルビオネの追っ手はあらわれない。
カタリアの関所でザパリョーネを倒し、ドラスレ村を占拠していた者たちも全滅させたのだから、俺の存在はとっくにヴァールへ知られているはずだ。
「夜にまぎれてアルビオネの増援部隊があらわれると思ってたが、予想に反して何もなかったな」
夜が明けて、ウバルドが壁の裏から外の様子をうかがう。
敵の追撃にそなえ、家のかたちを留めている建物を防壁にしていた。
「そうだな。速攻と急襲を得意とするアルビオネにしては、動きがにぶい」
「グラートの力を怖れて尻込みしてるのか? そんなバカな」
アルビオネにはヴァールがついているのだから、俺を怖れたりしないだろう。
「そんじゃ、ここが全滅したって知らないとか?」
ルーベンは早朝につかまえた野ウサギの肉にかぶりついている。
「アルビオネは頭が悪いやつらだが、さすがに情報の伝達くらいは欠かさないだろ」
「じゃあ、その増援がどっかで迷子になってるとか?」
「そんなヘマはしないと思うんだがなあ」
俺を確実に捕らえるために、大軍を動員する準備を進めているのだろうか。
「嵐の前のしずけさというものだな。俺たちの存在はとっくに知れ渡っている。大軍を動かすために、準備に手間取っているのかもしれない」
「大軍って……マジかっ」
「たいした根拠のない、俺の勝手な想像だ。不安になるようであれば、わすれてくれ」
「おどかすなよ」
ヴァールの性格を考えれば、大軍を擁して俺を取り囲むようなことはしないだろう。
領土の拡大に対しても、それほど興味をもっている男ではない。
やつが今、何を考えているのか。俺にはわからない。
「ふたりとも、疲れはとれたであろう。陽がのぼったら、ここを出発しよう」
「ああ。けど、村の片づけはもういいのか? 瓦礫はまだちっとも片づいてねえけど」
「瓦礫もすべて撤去したいが、そこまで悠長にかまえていられない。ヴァレンツァも気がかりだ」
陽がのぼるまで瓦礫の撤去をしていたが、アルビオネの者たちはあらわれなかった。
ヴァールは、今どこで何をしている。
ヴァレンツァはヴァールによって攻撃されているのではないのか?
情報が得られないから、戦況がまったくわからない。
ヴァールがヴァレンツァに侵攻している最中であるならば、俺たちがやつらの背後を突けるが。
「グラート。そろそろ、時間じゃねえのか」
「そうだな」
瓦礫の撤去はほとんど進まなかったな。
先が焼け焦げた木片を地面にそっと置いたときに、
「グっ、グラート!」
ウバルドの悲鳴が聞こえた。
「どうした」
「あっ、あ……っ」
ウバルドがふるえながら、ドラスレ村の門を指していた。
この小さな村を包囲するように、魔物たちの群れが出現していた。
「あれは……!」
「ついにあらわれたか」
アルビオネの増援部隊か。
どのくらいの数であろうか。百は優に超えていそうであるが。
「戦好きのヴァールにしては、つまらないことをする。貴重な生を得て、大胆な行動ができなくなったか」
自ら手を下さずに、俺を排除できると思っているのか。
「なめられたものだな」
青の斧を引っさげて、アルビオネの軍団に立ち向かう。
敵はアルビオネでよく見かける、インプやゴブリンたちを主体とした部隊であった。
背後にはドラゴンたち巨獣が目をひからせ、今にも炎を吐き出してきそうだ。
しかし、妙だ。
粗野なアルビオネの部隊にしては、おとなしい。
部隊の先頭でたたずんでいる老人は、だれだ。
ザパリョーネのようなヘビの目だが、杖をつき、やせ細った身体を支えるだけで精一杯という雰囲気だ。
「お前たちは、ヴァールの命で俺を捕らえに来たか」
杖をついた老人が、神妙な面持ちで一歩をふみしめた。
「あなたが、グラート様ですね」
「そうだ。お前は名のある者か」
「はい。わたしはオリアレスと申します。こたびの遠征軍の作戦参謀を務めております」
オリアレスだと!?
「それでは、お前が……」
「はい。あなた様がヴァレダ・アレシアで存命していることを知り、マメルティウスに誘導したのはわたしです」
この男が、俺を罠にはめた張本人であったのか。
「俺を陥れた者が、なぜ大軍を引きつれてきたか。アルビオネの者らしく、まわりくどい作戦は立てずに俺を殺せると思ったのか」
「いえ、違います……どうか、わたしの言葉を冷静に受け止めてください。わたしたちは、ヴァール様の命により、あなた様をお迎えに参ったのです」
なんだとっ。
「ヴァール様はあなた様と正々堂々と戦い、あなた様を撃破したいと考えておいでです。ヴァール様はヴァレンツァであなた様と戦えることを楽しみにされておりましたが……わたしは、あのお方の意図を汲み取れず、ヴァール様とあなた様を引き離してしまったのです」
この男は、さっきから何を言っているのだ。
この男が、俺とヴァールを引き離した? どういうことだ?
「よくわからないが、ヴァールはヴァレンツァでグラートと戦うつもりだったのか?」
俺の代わりに質問してくれたのはウバルドだ。
オリアレスがこくりとうなずいた。
「左様でございます。ヴァール様にとって、ヴァレンツァの占拠よりも、完全に復活なされたお身体でグラート様と戦うことが、もっとも価値のあるものだとお考えなのです。ですので、どうか、わたしたちとともにヴァレンツァへおいでください」
オリアレスの懇願する姿から、悲愴すら感じられた。
俺もウバルドも、次の言葉を見つけることができなかった。