第258話 抑えられないグラートの怒り
サルンの山の中腹を越えて、道なき道をひた歩く。
この木が拓けた場所は、シルヴィオや村の男たちとよく訪れていた木を伐採する地点だ。
空高くのびるブナの木をながめていると、心がいくらか落ちついてくる。
「ここは村で木を伐採していた場所だ。ドラスレ村にはもうすぐ着く」
「ほぇぇ。そうなんか」
ルーベンとウバルドは、俺によくついてきてくれている。
ふたりとも疲れた顔を見せない。
「山はぶじに越えられたっつうわけか」
「ああ。アルビオネの者たちにも遭遇しない。もしかしたら、村は襲われていないのかもしれない」
サルンの山は、とても静かだ。
平時でも決して人の出入りが多い場所ではないが、アルビオネに侵攻されているわりに争いの爪痕が見つからない。
どうなっているのだ?
「そんじゃ、グラートの住んでた村に早く行こうぜ」
「だが、アルビオネの魔物どもがいないのは、妙だと思わないか?」
ウバルドも俺と同じことに気づいたか。
「よくわかんねえけど、こんなもんなんじゃね?」
「あのなあ。アルビオネがヴァレンツァやクレモナを攻めてたら、ここにやつらの軍が駐留するんだぞ。それなのに、一度もやつらを見かけないというのは不自然だろ」
「そうかなあ」
「アルビオネは作戦に失敗して、実は本国へ引き返したのか? それとも、ヴァレンツァを本当に攻め落としちまったから、こんな場所で留まる必要がないのか」
ウバルドは頭がよくはたらく。
俺が考えている戦況を、そっくりそのまま代弁してくれていた。
「ウバルドの言う通りだ。もしかしたら、かなり悪い戦況なのかもしれない」
「カタリアであのヘビ野郎が言ってたことを加味すれば、悪い方向に向かってると推測すべきだろうな」
そうだとすれば、ドラスレ村は、もう……。
「ドラスレ村へ急ぐぞ!」
全速力で山を駆け下りる。
平たんな地面の森まで降りて、森を抜ければそこはドラスレ村だっ。
アダルジーザ、村の者たち、どうか元気でいてくれ!
小川の流れる場所まで到着した。
そこで、ついに魔物の影をとらえた。
「グラート」
「アルビオネの者たちだ。ついに見つけたぞ」
大きな身体をゆらしているのは、オーガか。
木をゆすって果実でも食らおうという算段か。
「お前たち」
腹の底から湧き上がる怒りをおさえながら歩く。
オーガたちが俺の存在に気づいた。
「あ? だれだ、おめえ」
「あいつ、もしかして人間じゃねえか?」
オーガたちは夢でも見ているような顔で、俺を小ばかにしているようだ。
「俺はサルン領主グラートだ」
「ああ? なんだって?」
「このサルンは俺の土地だ。お前たちのようなケダモノにくれてやった覚えはない!」
青の斧をかまえて突撃する。
オーガたちは油断しているようだが、お前たちにかける情けはもちあわせていない!
「死ねっ!」
両腕に集めた力で、怒りにまかせて斧をふるう。
オーガの巨木のような腹が、一瞬で上と下に分かれた。
「な……っ」
「こ、こいつ……っ」
お前たちは容赦しない!
ひるんだオーガに飛びかかり、脳天から真っ二つに斬り裂く。
こぶしを向けてきた者の腕を斬り落とし、わめいても一切の情けをかけない。
「グラート……」
全身がオーガの黒い血でよごれていた。
サルンの森もオーガたちの死体でよごれ、のどかな景観がうしなわれてしまった。
「俺は、ゆるさないぞ。のどかなサルンをよごした者たちを」
何よりも、サルンを守れなかった自分自身がゆるせなかった。
サルンの森を越えて農地へとたどり着いた。
アダルジーザと村人たちによって開拓されていたその場所は、魔物たちによって踏み荒らされていた。
青々と育っていた麦は刈り取られ、乱暴に食らい尽くされた跡がひろがっている。
こんな、ことが……ゆるされていいのかっ。
「うおぉぉ!」
ドラスレ村へと伸びる道を駆け抜ける。
立ちふさがる魔物たちを一刀の下に斬り伏せていく。
「敵だっ」
「人間がまだこんなとこにいやがったぞぉ!」
不届き者たちよ、かかってこい!
「俺はサルン領主グラートだっ。ヴァールを倒し、ドラゴンスレイヤーを名乗っているのは、この俺だ!」
「なんだと!?」
「お前たちは俺の土地をきたない足で踏みにじり、善良な市民たちが長い時をかけて築いた農地を無残に荒らした。その罪、決してゆるすことはできない。死をもってドラスレ村の市民たちに詫びるのだ!」
青の斧を斬り払う。
重たいひとふりで、十体の魔物の首が飛ぶ。
「なんだっ、この人間は!」
「ヴァール様のことを口走ってなかったか!?」
「いいから早くその人間を殺せ!」
殺せるものなら殺してみろ!
「お前たちは絶対にゆるさん。一体も残さず引導をわたしてやるっ」
オークたちが太った身体をゆらしながら突撃してくる。
鋼鉄のクラブだけで、俺と対等に戦えるものかっ。
「くたばれ!」
左足をふみ込み、オークたちの醜い身体を両断する。
続けて襲いかかってきたリザードマンたちには、氷の棺がふさわしいだろう。
「はっ」
青い刃を下に向けて、力まかせに地面へと突き刺す。
水晶のような氷が地面から出現し、リザードマンたちの身体を刺し貫く。
「うっ、がっ」
透明な美しい刃に自由をうばわれ、彼らの意思がまたたく間にうばわれた。
「グラート……」
皆と築いてきたドラスレ村が……。
俺は、なんと言って詫びればよいのだ。
俺を信じ、ついてきてくれた者たちの努力を、すべて無に帰してしまった。
「きさまらっ、人間を相手に何をしてるか!」
あらわれたのは、ひとつの胴からいくつもの首を生やすヒュドラか。
「きさまかっ。俺たちの領土であばれてる人間はっ」
この者も、ザパリョーネのように大きいな。
「きさまがなぜ、突然に姿をあらわしたのか。よくわからんが、飛んで火に入る夏の虫とは、まさにきさまのことだっ」
ヒュドラのすべての顔が笑い、口から炎を吐き出してきた。
「グラート!」
「おいっ」
この程度の炎で、俺が焼き殺されるとでも思ったのか!
「ばかにするな!」
青の斧に乱暴な力を込める。
斬り払うと真空波に極寒の魔力がくわわり、紅蓮の炎を泥のように斬り裂いた。
「な、なにぃぃ!」
不届き者が放った炎など、俺には通用しない。
「こしゃくな!」
ヒュドラが懲りずに炎を吐いたが、俺は右に飛んで炎をかわした。
間髪入れずに斧で空を斬る。
大剣のような真空波が発生し、ヒュドラのみっつの首が斬り落とされた。
「ぐぎゃぁぁっ!」
きたない断末魔を上げるな!
「俺と戦う資格がない者が、俺の前に立つな!」
突撃し、青の斧でヒュドラの胴に刃を向ける。
走り抜けてしばらくして、ヒュドラの巨木のような胴が真横に斬り裂かれた。
「マッシオさまが、やられたぁ!」
ここの守将は、この程度か。
残された雑兵たちは、右手に武器をもっているのに、口をふるわせているだけだ。
俺が一歩をふみ出すと、びくりと肩をふるわせて後退した。
「どうした、かかってこないのか。数的にお前たちの方が有利なのだぞ」
雑兵が何体いようとも、俺の敵ではない。
「お前たちはゆるさん。降参など、もはやなんの意味もない!」
逃げまどう魔物たちの背を斬る。
足を斬り、逃げられなくなった者を斧の重さで押しつぶす。
不届き者たちがどれだけ泣きわめこうが、慈悲はあたえん。
アダルジーザがっ、ドラスレ村の者たちが築いた大切な村を、お前らは――。
「グラートっ、もうやめろ!」
俺の背中に抱きついてきたのは、ルーベンだなっ。
「はなせ!」
「だめだっ。これ以上は見てらんねぇ。いくらなんでもやりすぎだ!」
やりすぎなものかっ。
アダルジーザや村人たちに与えられた苦痛と理不尽にくらべれば、魔物どもの悲鳴など、いくらでも――。
「お前が怪力で暴れまわるから、村がもっとむちゃくちゃになってるだろ! 気づいてねえのかっ」
なんだとっ。
両腕に込められていた力が、急速にうしなわれた。
俺のまわりに魔物の死体が積みかさなっていた。
魔物の血で農地はさらに荒れ、農具を入れていた小屋も倒壊していた。
「俺が、やったのか」
「そうだっ。だから、もうやめろ」
俺は、また罪をかさねてしまったのか。
怒りにまかせて、サルンの土地を破壊してしまった。
「ルーベン、すまなかった。はなしてくれ」
ルーベンはそっと、俺から手をはなしてくれた。
アダルジーザや村人たちが築いた村を、俺の手で破壊してしまうなんて。
俺は領主失格だ。
「に、に……にげろぉ!」
魔物たちの叫び声が聞こえる。
わずかに残ったインプやオークたちの守兵たちは、俺を怖れて逃げていく。
彼らの放棄した鉄の剣や兜が、荒れた農地や原っぱに落ちた。