第246話 魔物らしからぬアルビオネの狡猾な侵攻
ディベラたちと合流し、マメルティウスの監獄を後にした。
看守長エヴェリラが倒され、俺たちに刃向かう者たちはひとりもいなかった。
「お迎えに上がるのが遅れてしまい、申し訳ありませんでした。アルビオネの魔物たちに囲まれ、対処に追われていました」
ディベラたちが駆るイルムに乗り込む。
シルヴィオとジルダも別のイルムに乗せている。
「かまわない。お前たちは無事だったのか?」
「ええ。少し油断していましたが、敵の存在をすぐに察知しましたので、問題は何も起きていません」
「そうか。さすがは諜報員だ」
「それほどでも。黒い制服らしきものを着ていた彼らは、マメルティウスの監獄から出てきた看守たちのようでした。あなたがたの潜入を検知して、外にも仲間がいると察したんでしょうね」
いや、敵はあらかじめ、こちらの存在を把握していたのだ。
「あなた様のお仲間は、無事に救出できたようですね」
「ああ。だが、それどころではない。ヴァールがついにヴァレダ・アレシアの侵攻を開始したようなのだ!」
「なんですと!?」
ディベラがめずらしく驚きの声を上げた。
「それは、本当ですかっ」
「わからない。あの監獄で、看守長を名乗っていた女から聞いたのだが」
「何かの間違いなのでは? わたしたちを撹乱させるための、誤った情報であるとか」
「その可能性は捨てきれないが、敵が誇らしげに宣言していたのを考えると、嘘だとはとても思えない。それに、こたびの監獄への潜入は、アルビオネの者たちによって誘導された可能性が高い」
「そんな、まさか……」
ディベラが手綱を打つ。
イルムが大きな口を開けて鳴いた。
「わたしたち人間より知能で劣るアルビオネの者たちが、わたしたちを自国へ誘導……? そんなことが、本当にできるとお思いですかっ」
「俺も信じられないのだがな。ヴァールの腹心に、頭の切れる者がいたらしい。その者が俺をマメルティウスの監獄へと導いたというのだ」
「そんなことは、あり得ませんよ……」
マメルティウスの監獄からだいぶはなれた森の中でイルムを下ろす。
ルーベンたちを集め、状況を整理しなければならない。
「今回、わたしたちは敵の罠にかかり、マメルティウスの監獄まで誘導されたとのことですが、下等生物であるアルビオネの魔物どもに、わたしたち人間をたぶらかす者がいるとは思えません!」
焚いた火の向こうに立って、雄弁をふるうのはディベラだ。
「だがよぅ、あいつらが俺らを意図的に誘導したんだっつうのは、俺も聞いたぜ」
「右におなじく」
ルーベンとウバルドはあくびをしながら彼女の言葉を受け流した。
「それは何かの間違いです!」
「おいおい、諜報員のねぇちゃん。むきになるなって」
「ドラスレ様の部下があの監獄に囚われているという情報を入手したのは、わたしたちなんですよっ。諜報員のはしくれであるわたしたちが、アルビオネなどが流したうその情報などに惑わされるわけがないでしょう……!」
ディベラの部下たちは青い顔をうつむかせている。
この者たちがつかんだ情報をもとに、俺たちはあの監獄にむかった。
だが、この者たちは悪くない。
「いや、グラートの仲間はあそこにいたんだから、うその情報じゃねえだろ」
「うそかどうかなんて、この際どうでもいいのですっ。下等なアルビオネの魔物どもがっ、わたしたち人間を出し抜くことなど、あってはならないのです!」
彼女の諜報員たるプライドが、アルビオネに出し抜かれたことを認めさせないのか。
その思い込みは、危険だ。
「やめるのだ、ディベラ。ここでその話を続けても、良い考えは何も浮かばない」
「で、ですが――」
「今、俺たちに求められているのは、ヴァールが本当に軍を動かしたのか。そうだとしたら、どのあたりまで攻め込まれているのか。一刻も早くヴァレダ・アレシアに戻らなければならない。この三つだ」
戦士や諜報員の矜持は、二の次だ。
ディベラは黒いくちびるをふるふると動かしていたが、やがて拳を下ろした。
「ドラスレ様の、おっしゃる通りです。わたしは取り乱していました」
「気に入らないことがあって、それを受け入れられない気持ちはわかる。だが、今はそれどころではない。こういう非常時こそ、俺たちは冷静にならなければならない」
「ドラスレ様の、おっしゃる通りです」
ディベラの部下たちも、俺に頭を下げていた。
「こたびのアルビオネは、彼ららしくない、妙に計画されたものばかりだ。ヴァールの復活に関する一連の動きといい、ヴァレダ・アレシアに侵攻するタイミングもそうだ」
「これまでのアルビオネは、そういう感じじゃなかったのか?」
ルーベンの問いに浅くうなずく。
「魔物は人間より力が強く、知能に劣る。頭をはたらかせるのは、俺たち人間がすることだ。魔物は力にものを言わせて、積極的に攻めるのが普通なのだ」
「それなのに、今回は人間っぽいっつうことか」
「そうだ。ヴァールやアルビオネの魔物たちの後ろで、頭のいい人間が糸を引いているような――」
まさか、ヒルデブランドか!?
この静かでねっとりとしたやり口は、彼の立てる作戦にかなり似ている。
何を考えているっ。今回の敵の作戦を指揮しているのはオリアレスという者だと、エヴェリラが言っていただろう!
「グラート? どした?」
「すまない。今回のアルビオネを指揮しているのは、ヴァールの腹心であるオリアレスという者だと、エヴェリラは言っていたな」
「エヴェ……? って、そんなやついたか?」
「エヴェリラは、マメルティウスの監獄を管理していた看守長だ」
「ああ、あのでかいヘビ女か。そういや、そんなこと言ってたな」
ヒルデブランドは人間だ。魔物に肩入れなどしない。
「アルビオネの中にも、俺たち人間の知能を上まわる者がいるのかもしれない」
「そんな、ことは……」
「魔物は力のみだという、かつての常識を見直さなければいけないのかもしれない」
魔物に知能が合わされば、人間に勝ち目はなくなる。
こたびのアルビオネの侵攻は、魔物と人間の歴史を変える戦いになるのか。
「それにしても、グラートと諜報員のねえさんがたは、一度ヴァレンツァに戻ってるんだろ。それなのに、アルビオネが軍を動かしてるっていうのに気づけなかったのか?」
会話が途切れた頃にウバルドの厳しい問いが飛んだ。
「答えにくいですが、その通りだと返答するしかありません」
「やつらが大々的に軍を動かしていれば、嫌でも気づきそうだけどな」
「わたしたちがヴァレンツァの宮殿に戻ったとき、アルビオネの軍事行動が開始されるのは目前である言われておりました。わたしも情報の正否を見きわめたかったのですが、やはり軍はまだ動かされていなかったようなのです」
ディベラにしては、めずらしく言葉が弱い。
「嫌な予感がするが、その時点でねえさんがたは敵にだまされてたのかもしれねぇな」
「そんな……っ、ことは……」
「アルビオネもきっと間者をいっぱい送り込んでるだろうからな。偽の情報を流すのは、わりと簡単なのかもしれないな」
ウバルドの言う通りであったとしたら、ヴァレンツァに危機が訪れている可能性が高いということか。
「グラートがヴァレンツァに戻ったときに、アルビオネが軍を動かしたのか。それとも、もっと前に動かしてたのか」
「いずれにしても、俺たちに猶予はないということだな」
「そういうことになるな、くそっ」
ヴァレンツァの市民たちは、よその街へ避難していた。最悪の事態は防げるか。
「アルビオネはどこまで進軍しているのでしょうか。カタリアの要塞が侵攻を止めているのでしょうか」
ディベラがへたり込んだ。
「ヴァールといえども、カタリアの要塞を数日で陥落させることはできないだろう。今から向かえば、要塞でヴァールを挟撃できる!」
「そうかもしれません。ドラスレ様のお力であれば、きっとヴァールを倒すことができるでしょう」
「もちろんだっ。復活した最強の斧もここにある。ヴァールの戦いは、俺にまかせておけ」
だいじょうぶだっ。きっと間に合う。
夜空を見上げて、こぶしをにぎりしめた。