第238話 青の斧の潜在力を引き出すのは、預言石?
シモン殿が超文明の文献を解読している間、俺たちは屋敷から離れられない。
本でも読んで夜まで時間をつぶせばよい、と言われてしまったが、受けた恩に報いないといけない気がした。
召使いの女性たちから雑務をもらい、庭の雑草を刈ることにした。
「ドラスレ様っ、いいんですよぅ。あたしたちのことは気にしないで。屋敷でくつろいでくださって、かまわないんですから」
「いいや。シモン殿に文献を解読していただいているのだ。俺だけ指をくわえて待っているのは、違う気がする」
「そんなことはないと思うんですけどねぇ」
草刈り用の鎌で雑草を根もとから刈り取る。
鎌が刃こぼれしているのか、すんなりと刈り取れない。
「ドラスレ様って、どんなお方なのかと思ってたけど」
「どなたにもお優しいお方なんですねぇ」
召使いの女性たちが「うふふ」と笑っていた。
「このような雑務なら、なんでも引き受けるぞ。気がねなく言ってくれ」
「そんな……! 陛下が寵愛されている方をこき使ったら、あたしたちが罰を受けますっ」
陛下はそのように理不尽な決断は下さない。
「雑草といえば、シモン殿はまだ雑草の研究を続けているのか?」
「はい、そうなんですよぅ。この前なんか、新しい雑草を探しに行くとか言い出して、危険な獣がいる山にひとりで行こうとしてたんですよぅ」
シモン殿の研究熱心さは衰えていないか。
「それは、危険だな」
「そうでしょう? あたしたち全員で止めたのに、『お前らはだまってろぉ!』なんて言うんですよ。クマにでも食べられないと、わからないんですよ」
研究熱心も度が過ぎると厄介だな。
「ずいぶんと楽しそうですね、ドラスレ様」
屋敷のテラスからこちらをながめているのは、ディベラか。
彼女はティーカップを右手にもっている。
「楽しいかどうかはわからないが、やりがいはあるぞ」
「雑用がですか? 物好きな」
「手足を動かしていないと落ちつかない性分なのでな。俺のことは気にしないでくれ」
サルンで暮らすアダルジーザのことが不意に思い起こされる。
彼女は元気にしているだろうか。前に会ってから、何日が経過しているのか。
彼女に会いに行きたいが、その時間も取れないほど切迫している状況だ。
彼女はきっと元気だ。案ずるな。
「ヴァレンツァの民衆が、今のあなた様を見たら失望するでしょうね」
ディベラがため息まじりに言うのがわかった。
「どうして、そう思うのだ?」
「あなた様はご存じないのですか? ドラスレ様といえば、今やヴァレダ・アレシアに絶対の勝利をもたらす戦の神。向かうところ敵なしのあなた様は英雄視されるどころか、一部では神格化されはじめているほどなんですよ。
それなのに、召使いにまじって雑務に汗を流しておられる。あなたを神と拝みはじめている者たちが今のあなた様を見たら、きっと発狂するでしょう」
俺が神、か。はじめて聞いたな。
俺が天空におわす神と同列にあつかわれるなど、思い上がるにもほどがある。
「今の俺を見て失望するのであれば、放っておけばよい。俺はいついかなるときも、俺自身であることに変わりはない。敵と戦っている俺も、今のように雑務や農作業に追われている俺も、同じひとりの人間だ」
「つまらない方ですね。民草から騎士に成り上がった方なんですから、もう少し野心があってもよいと思うんですがね」
「野心など、それこそ俺には縁のないものだ。俺は、信頼できる者たちに囲まれていれば満足なのだ。不必要に地位や名誉は望まない」
俺は騎士に向かないと言う者がいた。
贅沢も権力の高みも望まない俺は、騎士にそぐわないのかもしれない。
「わたしたちは、ドラスレ様が素敵な方だと思いますけどねぇ」
召使いの女性たちは俺を信頼してくれるか。
「ありがとう。そう言ってもらえると助かる」
さわぐ召使いたちに、ディベラが背を向けていた。
* * *
屋敷で夕食をいただき、召使いたちが寝はじめる時刻になってもシモン殿の解読は終わらないようであった。
「シモン殿が自室にこもられてから、どのくらいの時が経ったのでしょう。文献の解読はまだ終わらないのでしょうか」
「そうだな。すぐに終わると思っていたが、大きな思い違いであったか」
ここでのんびり待っていられる余裕はない。
しかし、あの文献の解読が終わらなければ、青の斧は無用の長物と化してしまう。
「シモン殿の解読に時間がかかるようでしたら、新しい武器の調達について検討すべきかと」
「そうだな。あまり考えたくはないが、そうも言っていられない」
テーブルにヒジをつく。
燭台に立てかけられたロウソクが、ちいさな炎を灯している。
わずかな光で照らされた部屋では、じっとしているしかない。
肩や手足に受けた傷や打撲が痛む。
次の戦いにそなえて、けがを治療すべきか。
たったったと子どもの走る音が聞こえる――。
「ドラスレくんっ。待たせたな! 解読が終わったぞっ」
屋敷の大きな扉を押し開けたのは、シモン殿!
「ついに、解読できたのですかっ」
「もちろんじゃ! わしの辞書に不可能の文字はないっ」
シモン殿、さすがだっ。
ディベラもめずらしく驚いて、黒い口紅を塗った口をわずかに開いている。
「それで、青の結晶の力を引き出す方法はわかったのですかっ」
「うむ。それなんじゃが、どうやら預言石を使う必要があるようなのじゃ」
預言石だとっ。
「青の結晶は北の寒い土地で採れる鉱石で、邪悪な力を神聖なる力へと変換する性質をもってるんじゃが、青の結晶も途方もない潜在力を秘めているようでな。その眠った力を解放する必要があるんじゃよ」
「そのために、預言石が必要なのですか」
「その通りだ。預言石はあらゆる生物と物質の潜在力を引き出す超文明の遺物じゃ。当然、青の結晶とて例外ではない。預言石なら、きみが前に発掘してきたものがいくつかあるから、それを使えばいいだろうが、きみはこれから北の山へ向かうつもりなのか?」
青の結晶は潜在力を隠していたのか!
どうりで、アンサルディ殿が手を尽くしても力を引き出せなかったわけだ。
「シモン殿、ありがとうございます。これで、俺たちはヴァールを……いや、アルビオネを打ち倒すことができます」
「はて。それはかまわんが……青の結晶はもうもっておるのか?」
「はい。ひと月以上もかけて北の山へ行き、青の結晶を発見しました。わたしがお渡しした預言石は、ここにまだありますか」
「もちろん、あるぞ。陛下に献上しようと思ったのじゃが、『わたしが持っていても意味はない』と陛下から断られてしまったのじゃ。
わしが研究しているが、アルビオネとの戦いで使うのだろう? いくつかをきみに返すから、もっていきなさい」
ありがたい! 恩に着る。
シモン殿がすぐ自室へ戻り、預言石をみっつほどもってきてくれた。
「これじゃ。見覚えがあるじゃろう」
「はい」
大小さまざまな預言石。
大きいものは、俺の片手と同じくらいの大きさだ。
ちいさいものは、河原に落ちている小石程度の大きさしかない。
角張ったかたちのもの。丸いかたちのもの。ひとつとして同じものはないが、どれも禍々しい力を感じてしまうところだけは共通していた。
いただいた預言石をバッグに入れる。
バッグの底でたたずんでいたのは、虹色にひかる貝殻……亡者の監獄だ。
これは、アルビオネの首都マドヴァでヴァールが復活する直前に拾ったものだ。
「シモン殿。この亡者の監獄は使えますか」
「亡者の監獄……? はて、たしか死者の魂を封じ込めることができる超文明の遺物であったな。わしの書斎にあった文献にこいつのことが書かれておったわ」
シモン殿は亡者の監獄の解読も進めておられたのか。
「この亡者の監獄は、アルビオネの首都マドヴァで拾ったものです。この中には、ゾンフ平原で集めたヴァールの魂の残滓が入っています」
「なんと! ヴァールの魂だとっ」
シモン殿が丸い目を大きく見開く。
ディベラも色をうしなっていた。
「それを使うのは危険なのではないですか」
「そうかもしれない。だが、青の斧はヴァールアクスの残骸からつくられている。青の結晶にヴァールの力を変換する能力があるというのなら、この監獄に封じられたヴァールの魂も有効活用できるはずだ」
「そう、なのでしょうか……」
亡者の監獄を使うのは危険か。
シモン殿も「うーむ」と唸っている。
「まさか、そんなものまで用意していたとは……おそるべし、ドラゴンスレイヤーじゃな」
「偶然です。マドヴァに潜入したときに、戦いの最中にこれを拾っていたのです。今まで拾っていたことすら忘れていましたが……。青の斧を完成させるために、この遺物の力も必要になる気がしています」
「きみがそう思うのならば、それが正しいのかもしれない。だれも知らないことだ。もはや直感にたよるしかない」
亡者の監獄をバッグにしまう。
俺の直感にたよるしかない、か。
この選択が功を奏すか。それとも悪魔を招く結果になるのか。
いちかばちか、ためしてみるしかない。