第234話 青の結晶をとどけに、アンサルディの庵へ
翌日の日の出を待って、オウル村を飛び立った。
活力を取り戻したイルムは凍てつく風を切り、ヴァレダ・アレシアへとまっすぐに進んでくれる。
一面の銀世界はやがて終わりを告げ、フィールベリの広大な草原が見えてきた。
フィルラ族の村に立ち寄って青の結晶を獲得したことを報告したら、三日間も引き留められてしまった。
「フィルラ族の方々はかわいい……ではなかった。あいかわらず気さくな方々でしたね」
イルムをあやつるディベラがつぶやくように言う。
「そうだな。できればもっと長く居たかった」
「あんなにもふもふ……ではなく、接しやすい方々とでしたら、何日もお邪魔したくなる気持ちがわかります」
フィルラ族の村に寄ると、ディベラの様子がおかしくなるな。
「だが、今は一刻をあらそうときだ。のんびりしているわけにはいかない」
「ええ。早くカタリアへ戻って、アンサルディ殿に武器をつくっていただきましょう」
フィールベリを越えるとアルビオネの領内に入る。
アルビオネの西部は住民が少ない山間部だ。イルムで飛び越えるのは簡単だ。
アルビオネの領内では慎重な飛行を続け、フィールベリを発ってから五日目の朝にカタリアの大きなミズリナ湖を眼下にとらえた。
「着いたか」
「ええ。アンサルディ殿が住む洞窟の場所はおぼえています」
ミズリナ湖は星型の大きな湖だ。
青々としげる木々にかこまれて、透き通った水面が朝陽に照らされている。
上空の空気は冷たいが、オウル村の凍てつく空気とはくらべものにならない。
ああ、ヴァレダ・アレシアに戻ってきたのだ。
この自然豊かな大地を守り通したいと思う。
アンサルディ殿が釣りをする湖畔に降りて、洞窟へとまっすぐに向かう。
森の暗がりから、軽快な足音のようなものが聞こえてきた。
「魔物か!?」
ディベラと諜報員たちがわずかに後退する。
「いや、違うだろう」
この子どもでしか出せない足音は、ひと月ほど前に聞いたことがある。
「わわっ!」
森から飛び出してきたのは、ブロンドの髪を生やしたダニオだ。
おどろいて止まろうとする彼のちいさな身体を全身で受け止めた。
「やあ、ダニオ。ひさしぶりだ」
「あれ、あんた……あっ! お師匠さんに武器をたのんだおっさんっ」
俺のことをおぼえてくれていたか。
「そうだ。アンサルディ殿との約束を果たしにきた」
「あれからまったく音沙汰なかったから、てっきりもう帰ってこないんだと思ってたぜ。だからびっくりしたよぉ」
ダニオの舌は今日もよくまわるようだな。
「アンサルディ殿はご在宅かな?」
「うんっ。あんたらのこと、ずっと待ってるよ」
ダニオの案内にしたがってアンサルディ殿が住む洞窟へと向かう。
高い崖と地面の境に築かれた洞窟の入り口がすぐに見えてきた。
「あんたらのことだから、途中であきらめちゃったんじゃないかって、お師匠さんと話してたんだ」
「おいおい。俺らがあきらめるわけないだろぉ。青の結晶を一生懸命探してたっつうのに、失礼しちまうぜ」
ルーベンの野獣のような声が洞窟の壁に反響する。
ダニオがルーベンを見上げて、ぷくくと笑った。
「声のおっきいおっちゃんは、三日で脱落すると思ってたぜ」
「なっ、なにぃ!? どうして俺が脱落すんだよ」
「だって、あんた、根性なさそうだもん」
ダニオの減らず口に、ウバルドとディベラが笑みをもらした。
「く、くっそぉ。このガキ、好き勝手いいやがって」
「俺に反抗したら、お師匠さんに告げ口してやるからな」
「な……! てめぇ、このやろぉっ」
「ルーベン、やめろっ」
やれやれ。ダニオのありあまる元気は今日も手に負えないな。
巨大なアリの巣のような洞窟を降りていく。
最深部の広い部屋にアンサルディ殿はいつもいる。
「さわがしいぞ、ダニオ。さっきから」
壁にかけられた松明が、今日も部屋を煌々と照らしている。
静かに揺れ動く光の向こうで、アンサルディ殿の丸い背中が見えた。
「ごめんよ、お師匠さん。お師匠さんに武器をたのんだやつらが戻ってきたんだ」
アンサルディ殿が着ているタンクトップは、今日も土でよごれている。
「知っている。ドラゴンスレイヤーが青の結晶を持ち帰ってきたのだろう?」
アンサルディ殿がモグラのような丸い身体を向けて、にやりと笑った。
「ひさしぶりだ、アンサルディ殿だ。約束を果たしてもらいに来た」
「ふん、ずいぶんと遅かったじゃないか。途中で逃げ出したんじゃないかと思っていたぞ」
ヴァレダ・アレシアの命運をになっているのだから、逃げることなどできないだろう。
「遅れてしまった非礼をわびよう。困難な道程であったのだ」
「そうであろうな。俺の希望を愚直にかなえようとしていたのならば、人が到底たどり着けない北の果てまで赴く必要があったはずだ」
ルーベンが後ろで舌打ちするのがわかった。
麻の袋に入れた青の結晶を取り出した。
「うわぁ」
深海の宝石のような光が洞窟をまばゆく照らす。
不敵な笑みを浮かべていたアンサルディ殿の表情も変わった。
「約束の品だ。検めていただこう」
青の結晶をアンサルディ殿にわたす。
彼は両手で受け取り、青い光を食い入るように見ていた。
「これが、青の結晶……か」
「そうだよ。ほら、それでさっさとグラートの武器をつくりやがれ」
ルーベンやディベラの敵意がアンサルディ殿に向けられているのがわかった。
「この青い光。俺が検める必要はあるまい」
「あたりめーだ。俺らが北の超危険な遺跡まで行って、もってきたもんだからな」
「ルーベン、やめろ」
アンサルディ殿は義理堅い男だ。
俺たちの誠意にこたえてくれるはずだ。
「青の結晶、たしかに受け取った。ドラゴンスレイヤーの斧を、またつくってやろう」
強い言葉がうれしかった。
「ぃやったぁ!」
ルーベンやウバルドが両手を上げて歓喜した。
「さっそく斧をたたいてやろう。邪魔だから、お前たちは外に出るんだ」
いよいよ、アンサルディ殿から武器をつくってもられるのか。
「青の結晶だけで武器をつくるのか?」
「いや、この物質だけで武器をつくることはできない。鉄をベースとし、お前が前に使っていた斧の残骸とこの青の結晶を混ぜて新たな斧をつくるのだ。他の材料はもう用意してある」
部屋の隅々に、工具や材料が入っていると思わしき木箱が積まれている。
「ありがたい。恩に着る」
「さぁ、俺を信じて外で待つのだ。ダニオはここに残れ」
* * *
「俺を信じて外で待て、だってよ。これで大失敗しやがったら大笑いしてやるぜ」
洞窟の外の森がひらけた場所で火を焚く。
豪雪地帯のオウル村とくらべれば格段に暖かいが、それでも火がないと身体が凍えてしまう。
「そうですね。わたしたちをあんな遠くまで旅立たせたのだから、彼にはドラスレ様の武器をつくる義務があります」
「そうだぜっ。諜報員のねぇちゃんも、たまにはいいこと言うなぁ」
彼らがアンサルディ殿を嫌うのは、しかたがないか。
「グラートも、そう思うだろ」
「やめるのだ。どのような理由があっても、他人を不必要に責めてはいけない」
「ちぇっ、なんだよ。つまんねぇなぁ。あんだけ苦労したんだから、ちょっとくらい文句言ったっていいだろ?」
「そうかもしれないが、他人の悪口を言って事態が好転することはない。結果的に損をするのはお前たちだ」
ルーベンにはすまないが、他人の悪口を言うことは好きになれない。
「なんだよ、なんだよ。いい子ぶりやがってよぉ」
「やめろ、ルーベン。お前が悪いぞ」
「うるせぇうるせぇ!」
ルーベンが怒って湖の方へと走っていってしまった。
ディベラがあきれるように嘆息して、
「新しい斧ができたら、次はどうするのですか」
今後の方針についてたずねてきた。
「そうだな。すぐにヴァールを倒す、と言いたいが、考えるにしても情報が不足している」
「アルビオネの様子を探る必要がありますか」
「そうだな。もしかしたら、ヴァールはもう軍を動かしているかもしれない。そうなれば、急ぎカタリアとサルンの防御をかためなければならない。マドヴァではぐれてしまった臣下も心配だ」
俺たちがアルビオネを脱出してから、かなりの月日が経ってしまった。
ヴァールが南征軍を動かしていても不思議ではない。
そして、シルヴィオとジルダは……?
ふたりは、どこか安全な場所に逃れているだろうか。
「わかりました。わたしたちがヴァレダ・アレシアとアルビオネの情報を探りましょう」
「たのむ」
「ヴァレンツァにもどれば、両国の情勢はすぐにわかるでしょう。本国にいる諜報員たちが絶えず両国を行き来していますから。ドラスレ様はお仲間といっしょにここで待っていてください」
「わかった。いい情報が得られることを期待しているぞ」
ディベラがすっくと立ち上がって、そばで休息する部下たちを呼んだ。