第215話 おだやかなフィルラ族との暮らし
夜にフィルラ族の者たちから歓迎を受けて、次の日から彼らの農作業を手伝うことにした。
この地で行っている農業は牛羊の放牧と農作物の栽培だ。
広大な草原で牛と羊を飼い、乳や毛皮を採集する。
農地に植えるのはアマラという、麦に似た作物のようだ。
アマラは寒さに強く、栽培もしやすいためこの村の主食になっているらしい。
他にはニンジンなどの根菜や、きのこ類を育てているのだという。
「アマラはフィルラ様がくれた、俺たちの宝さ。俺たちは先祖代々、この地でアマラを受け継いでいるんだ」
俺はディベラとともに、フィルラ族のアーロンに従って裏手の農地へと向かう。
農地は小高い丘につくられていて、村と湖を一望できるようになっている。
「フィルラ様というのは、あなたがたが祀っている神だったな」
「ああ。フィルラ様はとっても穏やかな方で、遠い空からいつでも俺たちを見まもってくれてるんだ。だから、俺たちは飢えないし、寒さで凍え死んだりもしない。フィルラ様は、とっても偉大なお方なんだ」
アーロンが鍬をとって、放逐されていた土をたがやす。
俺も彼の指示に従って鍬を土に下ろした。
「アマラはフィルラ様の慈愛そのものだということか」
「そうさ! アマラは炊いてもいいし、団子にして食べてもいい。どんな料理にも合うから、あんたらの口にも合うはずさ」
昨晩の歓迎会でアマラの団子をいただいた。
もちもちとした食感と甘味が特徴的で、少し苦みのある葉っぱでくるんで食べるととてもおいしかった。
アマラの種を持ち帰ったら、アダルジーザは喜んでくれるだろうか。
「アマラの団子と酒を昨晩にいただいたが、とてもおいしかったぞ!」
「そうだろ! フィルラ様の恵みは、やっぱり最高さっ」
アーロンはこの村が好きなのだな。純粋な心に触れて、気持ちが洗われる。
「あんたはやっぱり力持ちなんだなぁ」
「ああ。力仕事ならまかせておけ。巨大なきのこだって運んでやるぞ」
「あのきのこは丘の向こうの森から運んでくるんだが、俺たち大人が数人がかりじゃないと運べないんだぜ」
家となる巨大なきのこは重いのだろうが、俺ならきっと運べるだろう。
「泊めていただいた恩を返さなければならないからな。人手が足りなければ、いつでも言ってくれ」
俺が力こぶを見せると、アーロンは呆気にとられてしまったようだ。
「あんたらは、とんでもない戦士なんだなぁ。どこで戦ってたら、そんなに強くなれるんだ?」
「各地を渡り歩き、凶悪な魔物と戦い続ければ、だれでも強くなれるさ。アーロンだって、戦士の素質は充分にあると思うぞ」
「戦士の素質ねぇ。そいつはありがたいけれども、俺はここでフィルラ様の土地をたがやせればいいかな。ここでのんびり暮らしてる方が、俺たちには合ってるさ」
アーロンはいい戦士になれると思ったのだが、残念だ。
「あんた、ずいぶんとけがしてるだろ。狩猟でけがしたときに使う薬があるから、もらってきなよ」
「いいのか? そこまでしていただいて」
「気にすることはないさ。新たな出会いを大切にしろって、フィルラ様の教えさ。遠慮なんてしなくていいから、薬を塗って休んでなって」
アーロンはなんと優しいのだろうか。
フィルラ様はよほど慈愛に満ちたお方なのであろう。
「ありがとう。恩に着る」
「お堅いんだな。礼なんかいらないって」
ディベラは少し離れた場所で鋤を動かしている。
あまり慣れていないのか、扱い方は上手ではない。
しかし寄り道をしているにも関わらず、彼女は文句ひとつ言わなかった。
「ディベラ、少し休憩にしよう」
ディベラは作業の手を止めて、俺たちの下へ戻ってきた。
近くのベンチに腰を下ろして、アマラの団子と湖魚のスープをいただく。
湖の魚は白身の優しい味わいだ。スープに出汁がしみわたり、野菜の味に深みをあたえている。
「ドラスレ様は意外にも農作業に精通しておられるのですね」
ディベラがスープの入った器を下ろす。
「サルンにいるときは農作業を行っているからな」
「あなた様は騎士なのに、ご自分で農地をたがやされるのですか」
「もちろんだ。自分が食べるものを自分でたがやさないで、どうやって食べ物を得ろというのだ。狩猟だけでは毎日の食料など得られまい」
「大半の騎士様はつらい農作業をしないで、領民が得た作物を搾取するだけです。それなのに、ドラスレ様は領民に混じり、ご自分で農地をたがやしておられる。農業がよほどお好きなんですね」
農地を自分でたがやす騎士はめずらしいらしい。
陛下はもちろん、上位の騎士たちは農地をたがやしたりしない。
下位の騎士は貧しいから自分で農地をたがやすが、自分から好んで農地をたがやす騎士は少ないのであろう。
「俺は平民の出だからな。農地をたがやすことに抵抗はない。むしろ平民であった頃の気持ちを大切にしたいと思っている」
「ようするに、思い上がらないようにするために、農具をあえてとっておられるということですか」
「そうかもしれない。それほど深く考えて農具をとっているわけではないが」
農作業が単純に好きなのかもしれないが、どうであろうか。
「ディベラもこの村が気に入ったようだな」
「え、ええ」
彼女の視線の先で、フィルラ族の子どもたちが走りまわっている。
寒いのに彼らは薄着で、畑のちいさな虫や鳥を追いかけているようだ。
見た目は人間と大きく異なるが、言動はそれほど変わらないようだな。
「この村の方々には、不思議な魅力を感じますね」
「不思議な魅力、か」
「かわいい……いえ、つぶらな瞳やふかふかした毛におおわれた身体はとても不思議で、つい観察したくなってしまいます」
ディベラは意外とかわいい動物が好きなのだな。
「そうだな。彼らの愛くるしい見た目は俺も好きだ」
「愛……! い、いえっ、わたしは、そのような見た目に心をうばわれているわけではありませんっ」
ディベラがなぜか顔を赤く染め上げている。
「諜報員としてつねに危険にさらされる生活を送ってきたわたしがっ、あの者たちの見た目を安易に気に入るとお思いですか! わたしはっ、そのような趣味は持ち合わせておりません!」
ディベラがスープの残った器をおいて、畑の中に入っていってしまった。
「あの人、どうしたんだぁ? 急に怒り出したりして」
アーロンは文字通り目をまるくして、取り乱すディベラを不思議そうにながめていた。
「彼女はストイックな生活を送ってきたから、恥ずかしい姿を見せたくないのであろう」
「はぁ」
「彼女もウバルドのように気むずかしいところがある。心をゆるしてくれるようになるまで、もう少し時間はかかるであろう」
アーロンやフィルラ族の子どもたちと畑をたがやして、陽が落ちる頃に宿へ戻る。
先に戻っていたルーベンたちと夕食を取っていると、フィルラ族の長から呼び出された。
青の結晶に関わる手がかりが見つかったのだろうか。
ルーベンとウバルドに休むように伝え、俺はひとりで長の住む家へと向かった。
「これはこれは、大きいお方。よくおいでくださいました」
フィルラ族の長の家は、暖炉で温められた家のようだ。
「お招きいただき、感謝する。青の結晶に関わる手がかりが見つかったのか?」
「ええ。裏の倉庫で気になる文献を見つけましたので、お伝えした方がよいかと思いまして」
長が召使いから渡されたのは、色あせた一冊の書物であった。
表紙はなく、端はびりびりに破けている。
埃をかなりかぶっているのか、長が紙面をめくるだけで埃が部屋を舞った。
「ここですな。青い物質に関する内容が書かれています」
長が肉球のついた手で紙面を指した。




