第213話 きのこと犬たちの村
民家を探すため、低空でイルムを飛ばせる。
一面にひろがる草原は原始の姿をとどめているのか、名もなき草が地面のすべてを覆い隠している。
ちいさな湖のそばに野鳥たちが翼をひろげている。
水浴びをしているのか。それとも湖の魚を獲ろうとしているのか。
三羽の鳥たちが湖面の上を楽しそうに飛んでいた。
「ここはほとんど手付かずの場所ですね。村や集落はないのだろうか」
ディベラが手綱をにぎりながら、首をきょろきょろと動かしている。
「この地には住民がいないのかもしれないな」
「いえ、そんなことはないでしょう。どこかに集落のひとつくらいはあるはずです」
空の上から地上を捜索しているが、目につくのはどこまでもひろがる草原だけだ。
野生動物はたくさんいるが、村や集落らしきものは……大きな湖の向こうに、建物らしき鋭角なシルエットが見えた。
「あそこに建物らしきものがあるぞ」
「ええ。見つかりましたね」
「行ってみよう」
湖の向こうに建つ民家は……きのこのような形をしている?
屋根がきのこのように丸い傘になっている。
中央がゆるやかに突起した傘はまだら模様で、裏にひだのようなものがついている。
茎は民家のように太く、窓のようなものまで取り付けられている。
そのような民家がひしめくように建っているのだ。
「なんというか……」
「とっても、素敵な……いえ、メルヘンチックな、おうちですこと」
人間の住まいでないのは明らかだが、アルビオネの民家にも似ていない。
後ろを飛ぶイルムたちに指示をして、きのこの村へと向かう。
村を間近で見ると、奇妙な感覚というか、巨大なきのこが密集する異様な光景に言葉をうしなってしまう。
「なんか、すげぇ家だな……」
「こんな家、生まれて初めてみたぞ……」
イルムから降りたルーベンとウバルドも、きのこの村の異様さに息をのんでいる。
ディベラも言葉を失っているが、顔が少し赤いか?
「出し抜けに攻撃されるかもしれない。念のため、各自警戒を怠らぬように」
肩にかけたポールアクスを右手に持ち替えて、村の門へと近づく。
門といっても、人の背丈と同じくらいの柵に取り付けられた薄い木の門だ。
柵のかたちもどことなくきのこに似ている。
「失礼。俺たちは南からやってきた旅の者であるが、道がわからぬゆえ話を少しうかがいたい。どなたか出てきてくださらぬか」
きのこの村はしんとしている。
すべての門戸が閉まり、丸い屋根から突き出た煙突も煙は出ていない。
住民の気配をまったく感じないが……右の手前の家の扉が開いたぞ。
出てきたのは、全身真っ青な衣服に身を包んだ人間……ではない? 魔物か?
いや、魔物には見えない。亜人のようだ。
頭の上についた、とがった耳に、顔の中央から突き出た丸くて黒い鼻。
瞳はつぶらだが、人間と違って白目がない。
体毛は群青色で、空のように鮮やかだ。
「おやぁ? こんなところにお客さんが来たのかい?」
青くて大きい、二足歩行の犬だ。犬の亜人たちの村なのか。
「突然押しかけて申し訳ない。俺たちは南のヴァレダ・アレシアから旅をして、ここまで来たのだ」
「ヴァ、ヴァレ……?」
「この地に伝わる宝を探しているため、いくつか話をうかがいたいのだ。どうか、少しだけお時間をいただけないか?」
犬の亜人はきょとんとしている。
背は俺よりも少し低いが、ヴァレダ・アレシアの成人男性よりも高いだろう。
その彼が口を半開きにしたまま立ちつくしていた。
「よくわからんけど、ひとまず長と話をしてもらおうかねぇ」
余所者と接したことが一度もないのであろう。どう対処すればいいのか、わかっていないようだ。
他の家の扉も開いて、彼と同じく青い体毛に覆われた犬の顔を出してくれた。
背の高い、大人と思われる者たちが多い。いや、まだ生まれて間もない子どももたくさんいるぞ。
愛くるしい見た目から敵意は感じない。しかし、予期しない訪問客にうろたえているようであった。
「すまない。あなたがたを驚かしてしまったようだ」
「はは。気にしなくて平気さ。いきなりだったから驚いたけど、嫌がってるわけじゃないから」
この村の者たちはのんびりしていて気さくだ。
応対してくれた彼が門を開けてくれた。
「俺はアーロンだ。あんたは?」
「俺はグラートだ。ヴァレダ・アレシアのサルンを治めている」
アーロンと握手を交わす。体毛がふかふかしていて、気持ちがいい。
「さっきも言ってたな。ヴァレ……っていうのは、なんだ?」
「ヴァレダ・アレシアは俺たちが暮らす国だ。アルビオネよりもさらに南にある人間の国だ」
「はぁ。そんな小難しい名前の国が、別の場所にはあるんだなぁ」
アーロンが間延びした声を聞いていると、警戒心がなくなってしまう。
「この村の名はなんというのだ?」
「この村の名前か? いや、とくにはないなぁ」
「村の名前がないと不便ではないか? よその村に行ったときなど、説明しにくいではないか」
「はは。よその村がそもそもないからなぁ。厄介なことにはならないなぁ」
ゆったりとした空気が流れる、おだやかな村なのか。
村の中央に、少し大きいきのこのうちが建っている。
緑色の、少し毒々しい雰囲気のこの家が村長の家なのか。
「たぶんいると思うから、ここで待っててくれ」
「すまない。恩に着る」
アーロンがのんびりとした声を発しながら扉をたたいて、家の中へと入っていった。
「魔物ではないみたいだが、とてつもない存在感だな」
ウバルドが俺の後ろで警戒している。
「そうだな。わりぃやつらじゃないみたいだけど、こんなに集まられると気味が悪いぜ」
ルーベンも、後ろに集まっている村人たちに異様なものを感じているようだ。
犬の村人たちは皆が口を半開きにして、俺たちを興味深そうに見ている。
親に手を引かれた子どもたちは舌を出して、しっぽをしきりに左右に振っている。
俺たちに近づきたいようだ。
「ディベラたちも、武器をすぐに取り出せるようにしておくのだ」
ディベラも俺の後ろにいたが、彼女はぼうっと村人たちを見つめているだけであった。
「ディベラ?」
また声をかけると、彼女がやっとわれに返った。
「どっ、どうかしたのかっ」
「いや……。念のため、不測の事態にそなえよと言っただけだ」
「そ、そうか。わかった」
冷静沈着な彼女らしからぬ聞き逃し方だ。
「おーい、ヴァレ……なんとかの旅人さんたちぃ。中に入っていいってさぁ」
アーロンが長の家から出てきて、俺たちを手招きしてくれた。
きのこでできた家は、なんともいえない匂いが発せられている独特な佇まいの家であった。
肉厚なきのこの家はかなり暖かい。外の空気を完全に遮断してくれるせいか。
反面、少しじめじめしていて、空気中の水分が身体にまとわりついているような感覚に陥る。
「なんという、おうちだ……」
恍惚な声をもらしたのは、ディベラか。
「ヴァレダ・アレシアのどの土地でも見かけないうちだ。こんな家を建てる者たちが大陸にいたとは」
「え、ええ……」
きのこの家は一間を壁で仕切らない構造になっているようだ。
扉の向こうはリビングにつながっていて、アーロンに似た見た目の長が杖をつきながら出迎えてくれた。
「あなたがたが、ヴァレなんとかという村からこられた方々ですかな。わたしがこの村を取りまとめている長です」
長は高齢なのか、見た目こそアーロンとさほど変わらないが、ゆったりとした動作に年齢の深みを感じさせられる。
ドラスレ村の村長と雰囲気が似ているか。
「突然押しかけてしまい、申し訳ない。俺たちは南のヴァレダ・アレシア王国から旅をしてきた者だ。あなたがたを攻撃する意思はないため、どうか安心してほしい。俺はグラートという。よろしくたのむ」
背筋をのばし、頭をそっと下げると、「ほっほっほ」と穏やかな声が聞こえてきた。
「とても礼儀正しい方々ですな。大した村ではありませんから、そう堅くならず、自由にくつろいでくだされ」
優しい言葉を長がかけてくれた。