第212話 青の結晶をめざして、北の大地へ
青の結晶はアルビオネよりもさらに北の奥深くに眠っているのだという。
アンサルディ殿が所持していた文献に、そう記されていた。
アルビオネの北に雪が降り続ける山があり、その山の奥に青く光る洞窟があるのだという。
青の洞窟と呼ばれるその場所は神聖な力が宿り、邪悪な者を寄せつけない場所なのだそうだ。
「青く光る洞窟って、そんな場所がほんとにあるのかねぇ」
翌日にアンサルディ殿の暮らす洞窟を発ち、イルムに乗って北西へと進路をとった。
ディベラが言うには、アルビオネの南西部は山が多いため、比較的に侵入しやすいのだという。
「たよりない文献に記されていただけだから、実際には存在しないのだろうが……」
早朝からイルムを飛び立たせて、陽が満天に昇った頃に休憩をとった。
皆で火を囲み、昼食をとっていると自然に目的地の話になった。
「ディベラとルーベンは、あの文献が信用できないか」
「信用できないですね。雪が降り続ける山だとか、青く光る洞窟など、貧弱な発想しかできない安易な者が書いた妄想にしか思えません」
「そうだよなぁ。そのくらいだったら、俺でも思いつきそうだもんなぁ」
青の洞窟を目指す皆の士気は低い。
とりわけ、ディベラを中心とした諜報員たちの士気が低いように感じる。
「あの文献を疑いたくなるのは無理もない」
「ドラスレ様。あんな遠くの地を目指して、何も見つからなかったら大問題ですよ。今からでも引き返した方がよいと思いますが」
「それはダメだ。復活したヴァールに打ち勝つ手段は今のところ他にはない。引き返すというのであれば、相応の代替手段を講じる必要がある」
ディベラは反論しようとしていたが、しばらくして口を閉じた。
「代替手段かぁ。グラートのケチをつけるんだったら、他の方法を探さなきゃいけねぇよなぁ」
ルーベンは呑気なのか。それとも、何も考えていないだけなのか。
無責任な彼の言葉に、ディベラが眉根を寄せた。
「あなたは、わたしとドラスレ様のどちらの味方なんですか」
「別に、どっちの味方でもねぇよ」
「冷やかすおつもりでしたら、その無駄口を開くのをやめていただきたいですね」
皆がピリピリしている。衝突が起きないように注意しなければ。
「他の手段なんて、どうせ見つかりやしないんだ。だったら、いっそのこと今回の旅を楽しんだ方がよさそうだな」
いがみ合うルーベンとディベラを尻目に、ウバルドの口から楽観的な言葉が飛ぶ。
「ウバルドにしては珍しく楽観的だな」
「いつも悲観的で悪かったな。俺は、お前が思っているほど旅が嫌いじゃないんだ。時間制限がなければ、なおよかったんだがな」
ウバルドが火を見つめながらつぶやく。
「こうやって遠くのダンジョンへ旅をしてると、なんだかむかしに戻ったような気分になるな」
「勇者の館が小さかった頃の、数人でよく遠出をしていた頃にか?」
「そうだな。あの頃はむずかしいことを考えずにダンジョンや宝を追っていたな」
俺はウバルドが興した勇者の館に入団したが、入ったときはギルドがまだ興されたばかりで小さかった。
指で数えられるほどの人数しかいないから、ギルドで派閥ができることもなかった。
「あの頃は無心になって、いろんなダンジョンに行ったな」
「ああ。古代に建てられた塔とか、不死鳥が住む洞窟とかに行ったな。炎の剣があると言われて、火山の火口まで降りたこともあったな。それだけ危険な思いをして、宝なんてひとつも見つけられなかったんだが」
「そうだな。少ない金で武器を手入れして、貧しかったが毎日は充実していた」
かけ出しの頃は俺もウバルドも貧しかったから、ギルドの地位をかけて争うことなど考えたこともなかった。
わずかな金でわずかな食事を得て、なんとか工面した金で武器や防具を手入れする。
ポーションや戦闘用のエリクサーも用意すれば、手持ちの金はすぐに尽きてしまう。
貧しいから身の丈に合った欲しかわかない。
大きすぎる地位や功績を手に入れるのは、それほど幸福ではないのかもしれない。
「ドラスレ様とウバルド殿は、かつてギルドの地位をかけて争った間柄なのでしょう? その割には仲がよろしいようで」
ディベラが俺たちに冷やかすように言った。
「そんなこともあったな」
「ドラスレ様とウバルド殿に騙されて、ヴァレンツァの地下牢に入れられていたというのに、よくもまあ平然と行動を共にできますね」
ルーベンが立ち上がって、愕然と表情を一変させていた。
「それ……マジなのか?」
「ええ。わたしたちの手にかかれば、調べられないものなどありません」
ディベラは内心したり顔だろうが、俺とウバルドにとってはもはや過去の出来事だ。
ウバルドはルーベンににらまれても表情ひとつ変えずに、
「その件はすでに決着している。グラートが俺を許してくれたのだから、それはもう終わったことなんだ」
淡々と言葉を返した。いいぞ。
「もう終わったって……」
「当然、あのときの俺の失態は何度も反省すべきものだ。俺は自分を見つめなおすことで、あの罪に対して報いるつもりだ」
ウバルド……成長したな。
ルーベンがぺたりと尻を地面につけた。
「だから、見つめなおすとか堅ぇこと言ってたのか」
「そうだ。同じ過ちをくり返さないためにな」
あの冤罪は、とても厳しいものだった。
だが、済んだことにいつまでも囚われていたら、俺たちは成長できない。
どのようなことをしても過去を取り戻すことなどできないのだから、過去の過ちと向き合い、決着をつけていくしかないのだ。
「紆余曲折を経て、おふたりは和解されたということなのですね」
ディベラの表情はあいかわらず冷たいが、先ほどのいやらしさは感じなかった。
「そうだ。俺はウバルドを信じているし、ウバルドも俺の実力を認めてくれている」
「そういうことは、面と向かって言うなと前に言ったつもりなんだが」
「いいではないか。かけがえのない仲間なのだ。言わなくてもわかる思いを、あえて口にすることはとても大事だと俺は思うぞ」
ウバルドが気まずそうにそっぽ向く。
ルーベンは立ち上がったまま、大粒の涙を流していた。
「お、おい……っ」
「えぐっ……えぐ……っ。ウバルぅ、ちょっとだけでも、疑ってごめんよぉ」
「いや、お前が泣くなよ……」
「グラートもっ、すんげぇつらい思いしてたんだなぁ。なんも知らんくて、ごめんよぉ」
ルーベンは感受性が高いのだな。
「過ちはだれにもある。あのときの対立は、俺にも非があった。だから、これでよいのだ」
「そう、だぜぇ」
「いや、だから泣くなって……」
慟哭するルーベンに、ウバルドはただ苦慮するばかりであった。
* * *
アルビオネの南西部から侵入し、住民の少ない山間部を飛び越えていく。
アルビオネの者たちが警戒しているのは、マドヴァ周辺とカタリアの関所付近だけだ。
アルビオネの南西部は彼らの警戒網の外にあり、かつ住民の少ない場所を選べばアルビオネを無事に越えることができる。
ディベラが読んだ通り、俺たちは一度も魔物たちに襲われることなく、アルビオネの北部まで移動することができた。
「今はどの辺にいるんだよ。すっげぇさみぃんだけど」
カタリアを発ってから四日目の朝を迎えた。
イルムが降り立った場所は、草原が無限にひろがる場所だ。
ルーベンは黒い外套で身を包んでいるが、寒さで全身を凍えさせている。
「ここはアルビオネの北の地であるはずですが、くわしい場所までは存じ上げません。アルビオネの領外にいるはずですが」
ディベラの吐く息も白い。
「それならば不用意に攻撃される心配はないか」
「はい。ですが、われわれ人間に敵対する部族が生活圏にしている可能性があります。油断は禁物です」
アルビオネの北に、このように広大な世界があったとは。
野生のシカやリスたちが駆け、色鮮やかな鳥たちが自由に飛ぶ光景はまるで地上の楽園だ。
凍えるように寒いことを除けば、一切の争いがない理想の場所だ。
はるか彼方に奥にそびえているのは、冬の山か。
白い雪におおわれたあの山々のどこかに、青の結晶はあるのか。
「青の結晶という物質は、あの北の山にあるのでしょうか」
「さあな。だが、アンサルディ殿が所持していた文献に従えば、その可能性は高いと見えるな」
「こんな北の果てでも住民はいるでしょう。探し出して情報を得ましょう」
ディベラが手もとで地図をひろげながら言った。