第205話 名工アンサルディの庵を目指して
翌朝に俺たちは拠点を発ち、ヴァレダ・アレシアに戻ってきた。
冷たい空は空気が透き通っている。
まばゆい朝陽に照らされて、空高く連なる山々が神々しく輝いていた。
すれ違う鳥たちは、昨日と変わらない朝をすごしている。
平穏な空は、地上で起きている危殆を少しも感じとっていないようであった。
「やっと、戻ってこれたのだな」
「ええ。ここまで戻ってこられれば、もう安心でしょう」
手綱をつかむディベラが言下にこたえてくれる。
「追っ手の姿も見られない。アンサルディ殿の住む洞窟まで、まっすぐに向かうことができるであろう」
「そうですね」
地上のほとんどは深い緑におおわれている。
森のひらけた場所がいくつかあって、風車がのんびりと羽根を動かしていた。
「ヴァレダ・アレシアは平和だな。アルビオネの侵攻はまだ受けていないか」
「今はそうです。が、やつらが動くのは時間の問題です。ヴァレダ・アレシアの北東部も、いずれ戦火につつまれるでしょう」
のどかなこの風景を守りたい。
一刻も早く新たな斧を調達しなければ。
二度の休憩をはさみながら空の旅を続け、カタリアの要塞の上空までたどり着いた。
「あの巨大な城のような場所が、カタリアの要塞です」
「うむ。そうだな」
「今日も物々しい警備が敷かれています。空から迂闊に近づけば、たちまち百万の矢を射られてしまうでしょう」
ディベラの言葉の通り、城のような建物のあちこちに兵の姿が見える。
城塞で囲まれた領地は広く、多くの兵たちが野外で訓練を行っているようだ。
カタリアの要塞のそばに、街道がまっすぐと伸びている。
街道の終端には、カタリアの関所が傲然と立ちふさがっていた。
「アンサルディという武器職人は、カタリアの山にいるそうだが……」
ディベラが首をきょろきょろと動かす。
サルンの北に位置するカタリアは広大だが、街や村はない。
街道の西は空高くつらなる山しかない。
「そうだ。北西のアルビオネとの国境にひろがるベルニ山脈に、アンサルディ殿はいるはずだ。トレヴィシアという山の中腹に洞窟はあるのだが」
「ベルニ山脈は、おそらくあの山の向こうですね。こんな人の住めない秘境にわざわざ住むとは……」
ディベラがめずらしく言葉をつまらせた。
アンサルディ殿の住む洞窟はアルビオネの国境に近いが、秘境であるためにドラゴンたちですら訪れない。
あの洞窟から一番近い村は、プルチアのエルコになるのか。それともアルビオネの方が近いか。
いずれにしても人外の地であることに変わりはない。
「ドラスレ様。アンサルディ殿が住む山をどうやって見分けるのです? ことわっておきますが、諜報員といえども、カタリアの山の情報までは知りませんよ」
「そうだな。思いつきでアンサルディ殿の洞窟を尋ねると言ってしまったが、簡単にたどり着けない場所であることを失念していたな……」
ベルニ山脈はカタリアの西の一帯にひろがっている。
トレヴィシア山がどの山なのか。山腹とはどの辺りを指すのか。
道案内を雇わなければたどり着けない場所だ。素人の俺たちが力づくで探すのは不可能だ。
「ドラスレ様が前に武器職人を尋ねたときは、どうやってその居場所を突き止めたのです?」
「どうやって? 俺が前に訪れたときは、道案内を雇ったのだ。ラグサにアンサルディ殿の知り合いがいてな。彼に大金を払って、道案内を頼んだのだ」
「ラグサですか。ここからは少し遠いですね」
ラグサに行って道案内を雇ったら、アンサルディ殿の住む洞窟に着くまで三日から五日くらい余計にかかってしまうか。
「ラグサに行くのはかまいませんが、どうします? かなり回り道になってしまいますが」
「そうだな。できれば、ラグサを中継したくない」
「それならば、わたしたちだけで、その武器職人の居場所を突き止めるしかないですね」
道案内に頼らずに、どうやってアンサルディ殿の居場所を突き止める?
「山以外に、何か目印はないのですか」
ディベラの呆れたような声が飛ぶ。
「目印、か。何かあったかな」
「目につく建造物があったとか、海や島が近かったとか。道案内も、何かの目印を頼りにあなたを案内していたのでしょう?」
ディベラはなかなか鋭いことを言うな。
「道案内はたしか、クレモナの関所を越えてサルンに入り、そこから北西に進んでいた。いくつかの山を越えた後に、アンサルディ殿の住む洞窟に到着していたのだが」
「ようするに、カタリアのかなり山奥ということですね」
「そうだな。サルンから三日もの間、険しい山をのぼる旅で、最終日は大きな湖のそばで食事を摂っていた――」
湖! これが大きな目印だっ。
「アンサルディ殿が住む洞窟は、大きな湖のそばにあった。たしか、ミズリナというカタリアで一番大きな湖であったはずだ」
「わたしたちの目標が、決まったようですね」
「ありがとう、ディベラ。きみのおかげで、ラグサに戻らずに済みそうだ」
「わたしはただ、率直な疑問を投げかけただけですよ」
ディベラは手綱をにぎりしめながら、そっけない言葉しか返さなかった。
* * *
ミズリナ湖は空からすぐに発見することができた。
カタリアの山間で目立つ湖は、星型の巨大な湖ひとつしかなかった。
アンサルディ殿が住む洞窟は湖のそばにあり、彼の釣り場となっている湖の畔もルーベンたちと手分けして、すぐに探し出すことができた。
「この畔から眺める景色は、かすかだが見おぼえがある。俺は以前に、この周辺に来ている」
地上に降りて湖をながめる。
海のようにひろい湖は、かすかに吹く風に湖面を揺らしていた。
湖のむこうに、ふたつの山が獣の角のように生えている。
そして、近くの岸に停められている小舟こそが、人の形跡を指し示すものであった。
「こんな山奥に、アンなんとかっていう野郎が住んでるんだな」
ルーベンも湖をながめて、呆れるように言う。
「アンサルディ殿は人嫌いだからな。その天才的な鍛冶技術をもつがゆえに、妬まれることが多かったようなのだ」
「へぇ。すげぇやつなんだなぁ」
「そうだな。王宮からも招かれるような人だったらしいのだが、世俗が嫌になり、挙句にこの地に住むことを選んだようだ」
「野に下る官吏や騎士たちと同じだな。いわれもない怨嗟を受け続ければ、人間社会が嫌になるのも道理だ。よほどの苦痛を受けていたのだろうな」
ウバルドが腕組みをして、考え込むように発言した。
「なんもわりぃことしてねぇのに、恨まれたら嫌だよな」
「そういうことだ」
アンサルディ殿はあまり多くの言葉を発さない男だ。
彼がヴァレンツァでどのような半生をすごしてきたきたのか、窺い知ることはできないが、俺にもいつかわかる日が来るのかもしれない。
森へと伸びる踏みならされた小道を歩く。
この道は、きっとアンサルディ殿が湖と洞窟を行き来するときに通っている道だ。
彼は、俺の武器をまた製作してくれるのだろうか。
森の暗がりから、軽快な足音のようなものが聞こえてきた。
「魔物か!?」
ディベラと配下の諜報員たちが警戒する。
ルーベンとウバルドもすぐに飛び出せるように、腰をそっと落としていた。
たったったと軽い足音を立てながらあらわれたのは……子ども?
八歳くらいの、人間の子どもだ。
ブロンドの髪を短く切った、活発そうな男の子だが。
「わわっ!」
男の子は俺たちを予期していなかったのか、慌てて立ち止まろうとするが止まれなかった。
そのまま、俺の腹にぶつかり、地面にぺたりと尻もちをついた。
大きな木桶が音を立てて、地面に落ちた。
「すまない。だいじょうぶか?」
右手を差し出すが、男の子は俺をにらむだけだった。
「いってぇなぁ。だれだよ、おっさん」
「邪魔をしてすまなかった。俺はグラートだ。サルンの領主をつとめている。ドラゴンスレイヤーと名乗った方が、伝わりやすいかな?」
「ドラゴン……? なんだよ、それ。あんたらはドラゴンの親戚か何かなの?」
俺のことは知らないようだ。
「きみは、名工アンサルディ殿のご子息か何かか?」
ディベラが腰を落として、男の子の目線の高さに合わせる。
だが、男の子はむっと口をとがらせるだけであった。
「ごし……? なにそれ」
「ようするに、きみはアンサルディ殿の子どもかと聞いているのだ」
「はぁ? ちげぇよ。俺はお師匠さんといっしょに住んでるだけだよ」
師匠、か。
知らない間に、アンサルディ殿は可愛い弟子を取っていたようだ。