第204話 敵地を脱出し、次に向かう場所は
俺たちはマドヴァを脱出し、アルビオネの南東に位置する拠点で一晩を過ごすことにした。
ここは山奥にある諜報員たちの隠れ家で、アルビオネとヴァレダ・アレシアの中継地点になっているのだという。
「ここが敵に襲われることはないので、適当にくつろいでください。食べ物はあいにく切らしておりますが」
ルーベンたちと火を囲む。
ディベラの配下の者たちが、手慣れた手つきで火を用意していたのが印象的であった。
「俺たちは、助かったんだな。あんな敵地のど真ん中に行ってたのに」
「ほんとだよな。生きてるのが不思議なくらいだ」
茫然とつぶやくルーベンの言葉に、ウバルドがそっと同意する。
ふたりの気持ちが、俺にもよくわかる。
ディベラが「くく」と笑った。
「もしかして、助けない方がよかったのか?」
「いっ、いいや。んなこたぁねぇよ」
「到着するのが遅れてしまい、申し訳ありませんでした。わたしたちも、ルヴィエドの宮殿から逃げ遅れた方がまだいないか、探していたんです。戻ってきて正解だった」
ディベラの判断が違っていたら、俺たちは難しい旅を迫られていたのだな。
「恩に着る」
「陛下のお気に入りであるドラスレ様を死なせてしまったとなれば、わたしたちにどのような刑が下されるかわかりません。極刑なんて下されたくありませんので」
あのお優しい陛下が、そのような処置は下さないだろうが……。
「逃げ遅れた者は、他にはいないのか?」
「さあ、どうでしょう。ヴァールが復活して、マドヴァの広場は混乱を極めていました。亡くなった方もたくさんいたでしょう。ドラスレ様のお連れの方々も、どちらに消えてしまったのかわかっておりません」
シルヴィオとジルダか!
俺ひとりだけ落ち延びていいのか。
あのふたりを見捨てて、俺はサルンの土地をふめるのかっ。
「彼らが亡くなったと決まったわけではありません。あの混乱に乗じて逃げ延びている可能性もある」
あのふたりならば、必ず逃げ延びている。そう、信じるしかないっ。
「ディベラの言う通りだ。血気に逸るところであった」
「それは仕方ありません。こんな、最悪な状況になると誰も予想していなかったわけですから。正気を保てるはずなどありません」
ディベラの冷静な言葉が夜の森にひびいた。
「ヴァールは、やはり復活したのですね」
「そう考えるのが妥当だろう。ルヴィエド宮殿の前の、あの広場の光景は異常だった」
「そうですね。あの広場はわたしたちも遠くから見ていましたが……異様だった。アルビオネの魔物たちがアリのように群がって、巨大な渦を形成していた。彼らはだれもが興奮した果てに暴徒と化し、あたりかまわず暴れまわっていた。
わたしはこれまで何度もマドヴァに潜入し、アルビオネの魔物たちを観察してきた。だが、あのような光景を見たのは初めてだった。例の儀式に失敗していたら、あの大きな混乱には発展していなかっただろうが」
俺はヴァールに倒されて、すぐに意識を失ってしまったから、わからなかった。ルヴィエド宮殿の広場の状況を。
「やつらは知能の低い連中だ。俺たち人間みたいに秩序ある行動なんてとらないんじゃないのか?」
ウバルドが焚き火をはさんだ向こうから声を出したが、ディベラが首を横にふった。
「魔物たちがわたしたち人間より知能で劣るのは事実ですが、あなたがたが想像するような、野蛮な生活は意外と送っていないのです。あなただって見たでしょう? ルヴィエド宮殿の荘厳さを」
「そ、そうだが……」
「魔物は短気で、人間よりも気性が荒いのはたしかです。しかし、わたしたちと同じように文字を解析し、文明的な生活を送っているのです。小動物を狩猟し、作物を育て、わたしたち人間と大して変わらない生活を送っている者もたくさんいます。
彼らを知性の低い猛獣と侮るのは危険です。わたしが思うに、わたしたち人間は魔物よりも知能で優れていると思い込んでいるから、彼らにうっかりと付け入られてしまうのです。長年、アルビオネの侵攻に苦しめられている理由を、今こそ考え直すべきではないでしょうか」
ディベラの言う通りだな。彼らが知能的に劣ると見くびってはいけない。
「やつらはやつらで、ちいせぇ頭を回転させまくって、俺らをぶっ殺そうと画策してるっつうわけか」
ルーベンの言葉にディベラがうなずいた。
「そういうことです。死者の復活などという、神でなければ実現できないことを実行しようと考える者たちです。妙な思い込みがない分、危険かと」
「そうだなぁ。そんなことができるなんて、俺は考えたこともなかったぜ」
ルーベンの、「はあ」と嘆息する音が夜の森にひびいた。
「じゃあ今度は、俺らがちいせぇ頭を回転させまくって、あいつらをぶっ殺す方法を考えねぇといけねぇっつうことか」
「そうですね。それもかなり難しいですが……」
場が重い空気につつまれる。
「ドラスレ様。どうすれば、この難局を切り抜けられると考えますか」
「無論、復活したヴァールを倒す以外に方法はない。だが、あの男に小細工は通用しない。策を弄しても倒すことはできないであろう。俺がまた戦って、あの男を倒すしかない」
「そうなのでしょうか。本当に、それしか方法がないのですか? ヴァレダ・アレシアの全軍でやつを取り囲み、数に物を言わせて戦ってもよいと思うのですが」
戦うことを生業としない、ディベラらしい合理的な発想か。
「そういう方法も考えられるが、やめた方がいいだろう」
「それは、どうしてです」
「まず、兵の犠牲が甚大になること。次に、大軍で囲んでもヴァールを倒せるとは限らないからだ。ヴァールが以前にヴァレンツァへ侵攻してきたときも、騎士団は大軍を編成してヴァールと戦ったのだ」
「それでもあの男を倒せなかったから、最終的にあなたがひとりでヴァールと戦い、勝利したということなのですか」
数が多いからといって、必ずしも有利になるとは限らない。
大軍で少数の敵を取り囲んでも、戦うのは最前線にいる兵だけなのだ。
「そんなに、ヴァールというのは強いのか……」
「ああ。俺が今まで戦ってきた中で、間違いなく最強の男だ。ヴァールは強大な魔力と無尽蔵の体力を持ち、そして強固な精神力まで兼ね備えている。ゆえに小細工は通用しない。
あの男を倒すためには、あの男に匹敵する力で真っ向からぶつかるしかない。俺の持てる力を発揮して、やつを倒すしかないのだ」
右手をにぎりしめる。
傷が癒えない俺で、あの男を倒せるのか。
「今回も、ドラスレ様に頼るしかないということですか……」
「気にするな。俺はドラゴンスレイヤー。やつを倒すために、俺がいるのだ」
「あなたの実直な姿には脱帽しますが……そういえば、あの大柄な武器はどうしたのです? どこにも見当たらないようだが」
ディベラの部下たちも、はっとしてあたりを見まわす。
「前に使っていた斧は、先の戦いで壊れてしまった」
「なん……ですって」
ルーベンが大きな布で丁寧に包んでくれていたヴァールアクスをディベラの前に差し出す。
包みを解くと、割れた刃や折れた柄があらわれた。
「こんな、ことに……」
「この斧にはヴァールの力が込められていた。ゆえに、ヴァール本人にはまったく通用しない。ぼろぼろに砕け散っていなかったとしても、この斧ではヴァールと戦えない。新しい斧が必要なのだ」
「状況はますます悪くなっているということですか。陛下や宮廷の者たちには、とても報告できませんね……」
そうだな。この惨状を包み隠さずに報告すれば、陛下やヴァレンツァで暮らす民衆を絶望させてしまう。
「それならば、どうやってヴァールと戦うというのです? 新しい武器を調達するのですか?」
「そうだ。カタリアに住むアンサルディという名工に、武器の製作をまた依頼しようと思っている」
「アンサルディ……どこかで聞いたことのある名前だが」
「アンサルディ殿はヴァレダ・アレシア随一の武器職人で、このヴァールアクスを製作してくれた者だ。ヴァールアクスを超える斧をつくれるのは、彼をおいて他にいない。そのために、俺たちはアンサルディ殿に会わなければいけないのだ」
アンサルディ殿は職人肌の、説得がとても難しい方だ。
しかし、どのような方法を用いても彼を説得するしかない。
「そういうことなら、了解しました。その方の下へ、わたしたちが送り届けましょう」
「当てにしているぞ」
「それは、こちらこそ……。あなたの言う通り、暴君ヴァールを倒せるのは、ドラスレ様、あなたしかいない。ヴァールはまだ復活したばかりで宮殿の奥に隠れているようですが、近いうちに兵をまとめてヴァレンツァへ攻めてくるでしょう。
わたしたちには時間的猶予がありません。ヴァレンツァの騎士団が門と関所を死守する間に、あなたは一刻も早く新しい武器を手に入れるしかありません。そうしなければ、今度こそ……」
「わかっている。陛下とヴァレンツァの民を危険にさらさせやしない。一刻も早く迎撃の体制を立て直して、ヴァールの攻撃を迎え撃つのだ」
焚き火に照らされたディベラの表情は、強い力であふれていた。