第200話 敵の裏をかいて騎獣イルムの待つ目的地を目指せ
マドヴァを北から迂回するルートは、ウバルドが予測していた通り監視が手薄であった。
アルビオネの捜索隊を見かけることはあったが、一日にひとつかふたつの部隊しかいない。
しかも少数の部隊であり、キメラのような猛獣も従えていない。
ヘビの目のあの男にも当然ながら出くわさなかった。
「ウバルが予測した通りになったな! 敵がぜんぜんいねぇ」
キメラと戦った夜から三日が経って、俺たちは順調にマドヴァの東部へと指しかかっていた。
山奥の滝を発見して、数日ぶりに全身の垢を落とすことができた。
「やっぱり、俺が言った通りだっただろう! こっちの道の方が絶対に安全だと思ったんだっ」
ウバルドが滝の水をあびながら、めずらしく興奮している。
自分が予測していた通りに事が運んで、うれしいのだろう。
おなじく裸で水浴びをしているルーベンと、子どものようにはしゃいでいた。
「ウバルはやっぱり頼りになるぜぇ。いよ、名参謀!」
「ふ。ずる賢い……じゃなかった。頭を使う作業ならまかせてくれ。どんなに実現が困難な作戦でも立ててやるぞ!」
「ウバルはやっぱりびびりだから、逃げることに関して右に出るやつはいねぇよな!」
「逃げ……って、おい!」
目をまるくするウバルドの肩をたたいて、ルーベンが豪快にわらった。
あのふたりは仲がいいな。
武勇一辺倒のルーベンと、どちらかというと知恵を駆使して戦うウバルドは、能力も特技も性質ですらもかなり異なっているように見える。
出身も異なるし、知り合ってまださほど年月も経過していないはずであろうが……相性がよいのかもしれない。
俺は勇者の館に入団して、ウバルドとかなり長く活動をしていたが、あのように仲良く接することはできなかった。
再会した兄弟のように笑いあうふたりが、少しばかり羨ましい。
「グラート。身体の具合はどうだぁ?」
滝の水で髪を濡らしたルーベンが、足で水をかき分けながら歩いてくる。
「うむ、問題ない。傷を水で洗うとしみるが、化膿はしていないようだ」
「痛くてもちゃんと水で流さねぇと、膿んでひどいことになるからな」
ルーベンが首をのばして、俺の腕の傷を見やった。
「おし、だいぶ塞がってるなっ。これだったら、もうだいじょうぶだろう!」
がっはっはとルーベンが笑って、俺の肩をばしばしとたたいた。
「そんなバカ力でたたいたら、傷が開いちまうぞ」
ウバルドもこちらへ歩いてきて、のっそりと滝つぼから上がった。
「だいじょうぶだって。グラートは不死身だからよ!」
「それは否定しないが、ふさがってきた傷を刺激させない方がいいだろ」
ウバルドが全身についた水を拭き取って、シャツに腕を通す。
ルーベンも滝つぼから上がって、のんびりと下着をはいた。
「バカなことをやってる場合じゃねぇな。グラートはやっと回復してきたし、ゴールも近ぇ。アルビオネの連中とも、そろそろ戦うことになるんだろ?」
「ああ。今はマドヴァの東の、このあたりだ。ここから南下すれば、やつらの監視がだんだんときびしくなってくる。どんなに注意しながら進んでも、いずれやつらの監視に引っかかっちまうだろうな」
ウバルドがバッグから地図を取り出して、俺たちが腰かけていた岩にひろげる。
彼の人差し指がしめしているのは、マドヴァの東側であった。
「暗い森をずっと歩いて、ここまで来たんだな」
「ああ。やつらとほとんど戦わずに、ここまで来れたのは奇跡だ。もう少しの辛抱だ」
「そうだな。あとは目的地に着いて、肝心の騎獣がいませんでした、つうのだけが起きないかどうかが心配だな」
ルーベンの言う通りだ。
ディベラたちヴァレダ・アレシアの諜報員が利用している拠点に着いたからといって、彼らが俺たちを待っている保障など、片手ですくった水よりも少ないのだ。
「まだまだ、安心はできねぇな」
「だいじょうぶだ。お前たちとならば、たとえイルムに乗れなくてもアルビオネの国境を越えられる。三人で笑ってヴァレダ・アレシアへ帰還するのだ!」
* * *
ディベラたちヴァレダ・アレシアの諜報員たちが隠れる拠点を目指して、アルビオネの森を南下する。
目的地に近づくにつれて、アルビオネの警備兵たちを見かけることが多くなっていく。
彼らはキメラやグランドホーンのような猛獣を従えて、マドヴァの近隣を警戒しているようであった。
「こっちも向こうも敵だらけだぜ。これじゃ前に進めねぇ」
ルーベンが岩陰から森の向こうをそっと眺める。
森の間に通された道を覆い隠すように、アルビオネの兵たちが蝟集していた。
「なぁ、ウバル。あいつら邪魔だからよ、ちゃちゃっと倒しちまおうぜ」
「それはだめだ。ルーベンの力ならあいつらは簡単に倒せるだろうが、俺たちの居場所をやつらに知らせることになっちまう」
ウバルドもヒザをついてアルビオネの兵たちを警戒している。
「そっかぁ。めんどくせぇなぁ」
「つらいだろうが、耐えるんだ。敵から逃げる秘訣は、とにかく目立たなくすることだ。次にやつらの考えを見抜いて裏をかく。そして焦らず、じっくりと時間をかけて目的地に向かうことだ」
ウバルドはかつて宰輔サルヴァオーネが放った追っ手から逃れて、無事に生還している。
俺もかつて彼と行動をともにし、サルンまで生還できたのだ。
「さすがっ。逃げのプロ!」
「声を立てるな。やつらに聞こえちまうぞ」
今の道をまっすぐ南に向かうのはできないようだ。
東の崖を降りて、小川に沿って歩くことにした。
「アルビオネの連中がこんなに増えるとはよぅ。いちいち道を変えなきゃなんねぇから、うんざりするぜ」
ルーベンが小川の小石をけり飛ばす。
ウバルドは平静の白い顔をくずしていない。
「俺たちは逃げる立場だからな。まっすぐになんて歩けるわけがないさ」
「そうだけどよぉ。あんなザコ連中に対してビクビクしなきゃなんねぇっつうのが、腹に立つんだよ。ここが戦場だったら、あんなやつら、一撃でぶっ殺してやってるのによぉ」
ルーベンの気持ちは、よくわかる。
俺も潜伏したり、相手に見つからないように行動するのは苦手だ。
「ちょうどいい機会だ。真っ向からぶつかるだけが戦いじゃないっていうのを、ここで学んでいったらどうだ? そうすれば、もっと安全に戦えるようになるぞ」
「いやだね。そういうのは、性に合わねぇ!」
ルーベンはやはり戦士だな!
ウバルドは彼のとなりを歩きながら、はあとため息をついた。
監視のゆるい渓谷や山を伝い、マドヴァの南東へと進入していく。
敵に見つからないように、歩きにくい山道を選ぶから、普段の倍以上の時間がかかってしまう。
ときには急斜面や断崖のそばを歩かなければならないため、命の危険がともなう道程であった。
「こんなに時間がかかってるんだから、イルムはもう王国に帰っちまってるぜ」
山奥の洞窟のそばで火を焚く。
捕まえた野ウサギをさばいて、近くで拾った固い枝にその肉を通す。
中が焼けるまでじっくり待てば、旅の夕食が完成する。
「その可能性は高いだろうな。俺が諜報員の立場だったら、逃げ遅れたやつらをまっさきに見捨てるぜ」
ルーベンたちと火をかこみ、じっくりと焼いた肉を口に入れてみる。
表面は焦げくさいが、中は冷たさがまだ残っているか。
野生動物特有の血の生臭い香りが鼻を突き抜けていった。
「だよなぁ。俺だって、他の連中が帰ってくるまでわざわざ待たねぇもん。もうとっくに帰ってるよなぁ」
ルーベンが手に持つ串をおろして、深いため息をつく。
ウバルドは目をつむり、ばちばちと音を立てる火に耳をかたむけているようであった。
「諜報員の連中がとっくに逃げてるというのであれば、しかたない。別の道を模索するだけだ」
「徒歩で王国まで帰るのか? 何日ぐらいかかるんだよ」
「さあな。下手すればひと月くらいはかかっちまうかもしれねぇな」
ヴァレダ・アレシアまでの距離と、今の進む速さを考えれば、ウバルドの目算に近い日数がかかってしまうかもしれない。
ルーベンが「マジかぁ」とぼやいた。
「心配するな。時間がかかってる分、グラートのけがもだいぶ回復してきている。グラートが戦線に復帰できれば、もっと大胆に進むことだってできるさ」
応急処置ではあるが、ふたりから薬草を煎じてもらい、身体はかなり回復してきている。
まだ無理はできない状態であるが、少しくらいであれば戦うことはできるだろう。
「グラートの体力と回復力は底なしだな! 当てにしてるぜっ」
「まかせておけ。お前たちにばかり負担はかけさせない。アルビオネの連中と鉢合わせになったら、この拳でまた撃退してやろう」
「おう! だが、油断は禁物だぜ。けがは治りかけが一番危ない時期だからな」
ルーベンの優しい言葉に、つい笑みがこぼれてしまった。
それからさらに二日ほどかけて、目的地である諜報員たちの拠点にたどり着いた。
マドヴァの南東に位置し、ひらけた場所に何軒かの山小屋がひっそりとたたずんでいる。
「どうだ、グラート。イルムは待ってるか?」
ウバルドとともに、だれもいない場所に足をふみ入れる。
足もとの草がむしり取られた広場に、イルムらしき騎獣の姿はない。
「いないな。やはり着くのが遅すぎたようだ」
「そうか……」
「はぁ。やっと着いたのに。やっぱり、だめだったのかぁ」
地面には、だれかが履いていたと思われるブーツの跡が残っている。
火を焚いた形跡もある。数日ほど前のものであろう。
「ここできっと、諜報員のだれかが待っていたのであろう。もしかすると、この近くにまだいるのかもしれない」
そっとしゃがみ込み、焚き火の跡を確認する。
燃え残った枝が数本残っている。やはり、火を消してからそれほど日数が経っていないように感じる。
「その辺の山小屋の中も見てみるか?」
「そうだな――」
背後から、どたどたとたくさんの足音が聞こえてきた。
「グ、グラート!」
ウバルドが声をあげて、俺の前まで逃れてくる。
ついに見つかってしまったか。
「こんなところにいたのか。人間っ」
あらわれたアルビオネの兵たちは、ざっと数えて二十名くらいか。
いずれも白銀の甲冑を着込み、鋼鉄の剣や槍をひからせている。
彼らの中央で傲岸と腕組みをしているのは、ヘビの目の指揮官だ。
「ずいぶんと手間取らせやがって。だが、もうお前たちは逃げられん」
ヘビの目の男の指示で、アルビオネの兵たちが左右に展開する。
この拠点を取り囲み、俺たちを袋叩きにするつもりか。
「てっきりキメラに食われたものだと思ったが、悪運の強いやつらだ。だがお前らは、ここで終わりだ」
ヘビの目の男が薄気味悪い声で笑った。




