第187話 魔物の変装をしてアルビオネに潜入
アルビオネの首都マドヴァは、アルビオネ領の中央部に位置しているようだ。
ディベラが所持していた地図で、その位置を確認した。
サルンからマドヴァにまっすぐ向かえば、イルムの速度であれば一日で到着できる距離なのだという。
しかし、東に大きく迂回するルートを選択することにくわえ、アルビオネの住民が少ない山地を飛ばなければならないため、それほど簡単な旅ではないのだという。
「アルビオネの首都はやっぱり遠いんですね。てっきり一日で着くんだと思ってました」
日の出とともに空の旅を開始し、一定の間隔で休憩をはさみながら寒い空の上を進む。
アルビオネ南東部の山で昼食を摂り、夜まで空の旅を続ける。
空の旅は最初こそ新鮮であったが、馬の背にまたがる旅より過酷であった。
「そう言うな。歩いてアルビオネに向かうのと比べたら、はるかに速いペースで進んでいるのだ。不平不満をのべてはいけない」
「そうですけど……。不安ではないですか。早く到着しないと、やつらの妖しい儀式が開始されてしまいますよっ」
シルヴィオの言う通りだ。俺たちに一日たりとも猶予はない。
「適切な飛行ルートを選択することも大事ですが、イルムを定期的に休めなければ乗りつぶれてしまう。こればかりは、イルムをいくら飼い慣らしても解決することができない問題です」
ディベラが木の棒で焚き火の底を掻きまわす。
弱くなっていた火が「ぼっ」と音を立てて燃え上がった。
「そこは馬と同じだな。馬もやはり一定の間隔でやすませないと乗りつぶれてしまう」
「そういうことです。イルムは最悪の場合、乗りつぶれたら墜落の危険性がある。あまり無理をさせず、多めに休ませるくらいがちょうどいいでしょう」
ディベラはかなり安全な飛行を心がけてくれているのか。
「ところで、ドラスレ様。他所のギルドに支援を求めていると聞きましたが、そちらの首尾はどうなっているのです?」
「夢幻のことだな。使いの者をラグサに送っているから、心配することはない」
「ラグサに……? あの、話が見えてこないのですが、ドラスレ様が頼みとしているギルドは、ラグサを拠点にしているということですか」
「そうだ。夢幻の聖域という巨大ギルドだ。かなり古くから活動しているギルドで、熟練冒険者が多数在籍している。魔物の討伐をなりわいとする者も多いから、頼りになるだろう」
ビビアナは、オリヴィエラ殿と話をつけてくれているか。
「それは期待できそうですね」
「アルビオネに潜入した夢幻のギルメンたちと連携して、アルビオネの中枢を撹乱するのだ。そして、どこかの部隊がやつらの作戦を阻止できれば、任務は完了だ」
「ドラスレ様は、マドヴァに到着してからの行動もしっかりと計画されているようですね。よい思考回路をおもちだ」
焚き火で煮込んでいた山菜のスープが、そろそろ食べ頃か。
ディベラの部下が山菜のスープをよそってくれる。
アルビオネの山で自生している山菜は、サルンのものと大差はない。
食べてみると苦みが強いが、繊維はそれほどかたくない。
「なぁ、グラート。ここってもうアルビオネの中なんだろ?」
ジルダも山菜のスープをすすりながら言った。
「そのはずだ。まだヴァレダ・アレシアの境界の近くであろうが」
「なんか、見た感じ、ぼくらの国とあんまり変わんないんだな。もっとこう、魔物がうじゃうじゃいるんだと思ってたけど」
ジルダが言いたいことは、よくわかる。
「そうだな。ここは静かだ。野鳥や野ウサギしかいない」
「アルビオネに入った瞬間から魔物とかにめっちゃ狙われて、戦ってばっかりになるんだと思ってたけど、拍子抜けするよなぁ」
そのような状況になることを、俺も心のどこかで警戒していた。
「ここはアルビオネの街から遠くはなれた山中です。アルビオネの支配圏だが、実質的に彼らの支配がおよんでいない地域なんですよ」
ディベラがきのこの傘にかじりながら言った。
「そうなの?」
「街にはあなたがたが言う通り、アルビオネの魔物たちがうじゃうじゃいます。そんなに戦いたいのなら、あなただけ街のそばで下ろして差し上げますよ」
ジルダが「ひっ」と顔を青くする。
「それは、遠慮しとこうかな……」
「マドヴァの到着すれば、嫌でも戦闘になります。今のうちに、平和な旅を満喫しておいた方が身のためですよ」
ディベラが「くっくっく」と肩を小刻みにふるわせる。
「ぼく、あの人好きじゃない」
ジルダが俺の袖をつかんで、ちいさい声で言った。
* * *
魔物に扮するためには全身を黒いローブで隠し、さらに顔料で顔を変えなければならない。
黒や緑の顔料を肌に塗ることで、遠目から魔物のように見えるのだという。
「うへぇ。こんな気持ち悪いの塗るのかよぉ」
ジルダの日に焼けた肌に、緑の顔料がまんべんなく塗られていく。
目やくちびるのまわりを赤い色で染め上げれば、凶悪な魔物の出現だ。
「この泥みたいなものを塗るのは、たしかにきついな……」
シルヴィオは黒の顔料を頬と額に塗りたくられている。
目元を白くすれば、まるでヴァールの忠臣だ。
「我慢してください。敵を欺くために必要な変装です。顔料はすぐに乾いて固くなる。そうすれば、さほど気にならなくなりますよ」
ディベラは手慣れた手つきで変装をほどこしてくれる。
俺に塗っているのは、ジルダとおなじく緑の顔料だな。
顔料は水を含んでいるせいか冷たく、そして割と重量がある。
重さをかすかに感じる程度であるが、戦闘になるとこのわずかな重さが違和感となって動きを阻害しそうだ。
「グラートっ。おま……っ」
ジルダが俺を見て笑い転げる。
シルヴィオも黒いくちびるをひくひくと動かしていた。
「か、かなり……怖い、です……ねっ」
「愉快なほど似合っているようだな」
ヴァールアクスをとって、石突きを地面に突き刺す。
仁王立ちする俺を見て、ジルダが足をばたばたさせながら笑った。
「神話に登場する魔人のようですね。いい変装だっ」
ディベラも俺の変装を気に入ってくれたか。
「これならアルビオネの魔物たちもだませそうかな?」
「ええっ。ヴァールがここにも再来したと、彼らは驚くことでしょうっ」
ヴァールも俺と同様に身体の大きい男であった。
あの男とまた戦いたいと思っている自分がいるのは、気のせいか。
イルムの背に乗り、空の旅を再開させる。
アルビオネの空は、今日も彼方まで透き通っている。
「今日の夜にはマドヴァまで着くか」
「そうですね。順調に進めば日没までに到着するでしょう」
手綱をあやつるディベラがふり向かずにこたえた。
足もとにのどかな風景がひろがっている。
一面にひろがる緑の中に、アルビオネの集落と思わしき建物が点在している。
屋根や塀の上部が全体的にとがっているが、それ以外の景色はヴァレダ・アレシアの農村と大差ない。
農村のまわりには畑がひろがり、風車の羽根がゆっくりと風に動かされている。
魔族の危険な国とは思えない景色だ。
あの農村で暮らす者たちは、俺たちを温かく迎えてくれるのではないかと錯覚してしまう――。
「ドラスレ様。前を」
ディベラのきびしい声が突然、飛んだ。
青い色しか見えないはずの前方に、黒い影がふたつ浮いている。
それらは翼のようなものを羽ばたかせながら、ぐんぐんと身体を大きくしていく。
「あれは、なんだ」
「ここらを巡回している者たちか、他所へむかう伝令でしょう。まずいな……」
あれはドラゴンか。俺たちの正体がばれれば戦闘は避けられない。
ディベラが笛を鳴らした。後ろで飛ぶ部下たちに異変を知らせる合図か。
「なんだ、あいつらは」
「そこの者たち、待て!」
前方で飛んでいたのは飛竜であった。
長い首と二枚の大きな翼が特徴的な、アルビオネを代表する魔族だ。
「ここらで見かけない者だな。どこの隊の者だ」
「は。わたしたちはマドヴァで密命を受けた特殊部隊です。これからマドヴァへ戻り、戦果を報告するところでございます」
ディベラが一回も舌を噛まずにこたえる。
「マドヴァの特殊部隊だとぉ? そんなの聞いとらんぞ」
「味方にも正体を悟られないように、隠密に行動せよとゾルデ様から仰せつかっております。先を急ぐゆえ、これにて失礼いたします」
ディベラが後ろの者たちに右手で合図を送る。
そしらぬ顔で手綱を打ち、窮地を見事に切り抜けた。
「やつらをうまく言いくるめてくれたようだな。感謝する!」
「いや。やつらに気づかれたかもしれないっ」
なんだとっ。
ふり返ると、二頭の飛竜が目の色を変えて、俺たちを追ってきていた。