第186話 シルヴィオとジルダとともに空の旅へ
イルムは馬のように大きい鳥で、背に鞍が取り付けられていた。
ラベンダーのような美しい色の羽根が特徴的で、堂々たる体格に思わず魅了されてしまう。
だが眼光するどく、隆々と引きしまった体躯が主人以外の者を威圧する。
剣のようなクチバシも他者を容易に近づけない象徴になっているか。
「イルムって、ぼくも名前くらいは聞いたことあったけど、実物を見るの初めてだぜ」
旅の準備をすぐに済ませて、陽が沈みはじめた頃にジルダとドラスレ村を発った。
ディベラたちが村のそばの森に停めていたイルムをながめて、素直な感想をもらした。
「イルムがドラゴンみたいにでかいっつうのは知ってたけど、こんなにでかいのかよ……」
「たしかに、ドラゴンのように大きいな」
三匹のイルムが太い首をきょろきょろと動かしている。
琥珀のような瞳に、俺たちはどのように映っているのだろうか。
「このイルムは、われわれが飼い慣らしているもの。あなたがたをとって食べたりしないから、安心してください」
ディベラがイルムの紫色の身体をさする。
「お、おうっ」
「われわれがそばにいれば、イルムはあなたがたを敵と見なしません。しかし、あなたがたが単独で近づいたら、イルムたちは攻撃してしまうかもしれない。お気をつけください」
任務を遂行するためとはいえ、このような猛禽を手なずけられるのは普通ではない。
「敵国から情報をうばうだけでなく、このような獣を手なずける技術も有しているのだな」
「先ほども申し上げましたが、敵国に潜入するために、われわれ間諜は騎獣を乗りこなす技能が求められるのです。ですが、イルムを捕まえ、飼い慣らす技術を有している者はヴァレダ・アレシアでも数名だけ。彼らから、ある程度の手ほどきを受けているのです」
「イルムや魔獣を専門とした狩人と調教師か。そのような類まれな技能をもつ者が、ヴァレダ・アレシアにもいるのだな」
「当然です。そうでなければ、アルビオネから貴重な情報はうばえない。この国をまもるために、各々がもてる最大限の力を駆使しているのです」
ディベラは冷たく言い放つが、それほど酷薄ではないのかもしれない。
「準備がととのいましたら、部下たちの後ろにお乗りください。今日中にサルンの関所へ到着させます」
ディベラの指示にしたがってイルムに乗り込む。
合図とともにイルムが巨大な翼をひろげて、ゆっくりと空へと飛び立った。
「わわっ!」
「これが、空飛ぶ乗り物なのか……」
地面から、みるみる引き離されていく。
城の最上階よりもはるかに高い場所まで上がると、足がすくんでしまう。
「上空は地上よりも風が強い。気を抜いて落とされても責任はとれませんよ!」
ディベラが先頭で手綱を打つ。
イルムがクチバシを大きく開けて、いなないた。
羽ばたいて空を旋回する姿は――なんという速度だっ。
馬と同等……いや、馬以上の速度なのか。
腕に力を込めなければ容赦なくふり落とされる勢いの強さ。
側面の景色が高速で後ろへと流されていく。
イルムは、俺の期待をはるかに超えた乗り物だ。
馬の足を圧倒するこの速度であれば、アルビオネの首都へあっという間に到着してしまうかもしれない。
* * *
ディベラが宣言した通り、陽が落ちた頃にサルンの関所に到着した。
馬で一日以上もかかる距離だというのに、なんという速度だろう。
関所の兵たちを驚かせないよう、近くの森にイルムを着陸させる。
ジルダは陸に下ろされると、まっさきに俺の腕に抱きついてきた。
「すんげー速さだよあいつっ。腕がマヒして落とされそうだったぜぇ」
「そうだな。予想をはるかに超える速さだった」
「なぁ。あれにずっと乗ってなきゃいけないの? ぼく、ほんとに落とされそうなんだけど……」
ジルダは腕の力が弱いから、イルムとロープでつなげないといけないかもしれない。
サルンの関所は高い城壁が街道をふさぎ、城壁の上からカタリア領を眺望することができる。
関所のまわりで多くの警備兵が鉄の槍を突き立てている。
空気は重く、だれかが刃を降り下ろせば、そのまま乱闘へ発展してしまいそうな危機感につつまれていた。
「だれだ!?」
関所の固く閉じられた門の前で、警備兵たちが槍の穂先を向ける。
「おつとめご苦労。俺はサルン領主グラートだ。ここに俺の臣下がいると聞いて、ここまで参った。シルヴィオというのだが、つれてきていただけるか」
兵たちが槍をかまえながら互いの顔を見合わせる。
「サルン領主だとっ」
「サルンの領主様は、ドラスレ様ではないのか!?」
「そんな、ばかなっ」
この者たちも自分の務めを堅実に果たしているのか。
「ドラスレ様。いかがなさるおつもりで?」
ディベラが冷たい言葉を投げかけてくる。
「安心しろ。サルン領主の証をもっている」
「ならば、この者たちに早くお見せした方がよろしいかと」
領主の証を提示すると、兵たちは顔色を一変させて、
「サルン領主のドラスレ様と露知らず、失礼いたしました!」
きびしい警戒を解いてくれた。
「気にするな。警備兵の務め、これからもしっかりと果たされよ」
「はっ。ありがたきお言葉でございます!」
若い兵が近くの兵舎へと走っていく姿を見まもって、門の前でしばらく待つ。
ジルダと会話をしながら時間をつぶしていると、
「グラートさん!」
兵舎のある方角から聞こえた声は……シルヴィオか!
兵に案内されていたシルヴィオは、すぐに駆け寄ってくれた。
「グラートさん、おひさしぶりです!」
「ああっ。シルヴィオも達者であったか!」
「もちろんですとも!」
シルヴィオはチェインメイルを着込み、小手や具足でしっかりと武装していた。
精悍な顔つきからあふれ出るほどの覇気を感じさせる。
「グラートさんが来てると聞いて、おどろき……って、ジルダもいるのかっ」
「おうっ。つうか、グラートにつれてこられたんだよぉ」
「グラートさんに、つれてこられた……?」
シルヴィオにも状況を早く説明しなければ。
彼はディベラと部下たちを見やり、顔をわずかにこわばらせる。
兵たちにまずは許可をとって、シルヴィオを解放してもらおう。
「お前たち。シルヴィオは俺の臣下だ。訳あって、俺がアルビオネまで連れていく。よいな?」
「はっ。もちろんであります!」
「ベルトランド様にはすべて話しているから心配いたすな。お前たちは引き続き、アルビオネの警備を怠らぬように」
「は。承知いたしました!」
イルムを休ませている場所まで戻ってから、シルヴィオに説明しよう。
「グラートさん。俺をアルビオネに連れていくって、どういうことですかっ。この方々は、どなたなんですか」
「シルヴィオ。何も説明せずにつれ出してすまない。お前にどうしても協力してほしいのだ」
今日はここで野宿をするようにディベラに伝えて、シルヴィオに状況を説明した。
「ヴァールが、復活……?」
「そうだ。俺が前に倒したヴァールを、やつらが復活させようとしているのだ」
「そんなこと、できるわけないでしょう! あのアダルさんだって、死者をよみがえらせることはできないんですよっ」
シルヴィオのこの反応が普通だ。
「そうだ。お前の言う通りだ。だが、預言士が遺した技術を使えば、不可能が可能になるかもしれないのだ」
「そんな、ことが……」
「俺もヴァールを復活させることなどできないと思っている。だが、やつらの狂気にただならないものを感じているのだ。大事が起きてからでは遅い。だから、シルヴィオ。俺についてきてくれ!」
シルヴィオは唖然と言葉を失っていたが、すぐに力強い表情を取り戻してくれた。
「わかりました。グラートさんの臣下として、俺は地獄の底までお供します!」
「すまない。恩に着る!」
「うげぇ、マジかよぉ」
ジルダが苦いものをはき出すようにうめいた。
焚き火の用意を終えて、捕まえてきた野ウサギやリスの肉を焼く。
食べ物はどのようなものでもいい。力をつけることが肝心だ。
「それで、この暗い服を着た方々が、宮廷から遣わされた水先案内人なんですね」
ディベラが焚き火をはさんだ向かいに座り、串に刺したウサギの肉にかじりついている。
「お手柔らかにお願いします、ドラスレ様の期待の臣下様」
「あなたがたは凄腕の間諜のようですけど、グラートさんをマドヴァまでちゃんと案内してくれるんですね。たのみますよ」
「ご心配にはおよびません。三羽のイルムを見たでしょう。この翼を使えば、ヴァレダ・アレシアの東の端から西の端まで、三日もあれば到達することができる。マドヴァなんて、一瞬ですよ」
「それなら、いいんですがね」
シルヴィオも、ディベラたちの不気味な雰囲気を感じとったか。
「ドラスレ様がさっき説明されていたが、わたしたちはイルムに乗ってマドヴァとヴァレンツァを何度も往復しています。宮殿の場所もしっかりとおさえていますから、あなたがたが心配することは何もありませんよ」
シルヴィオもリスの肉を刺した串に手を伸ばす。
リスの肉は少し固いな。湯で煮こまないと臭みもとれないか。
「わたしたちは情報収集が専門。戦いのスキルは自己防衛程度のものしか習得しておりません。ですから、アルビオネの者たちに襲われたときはお願いしますよ」
「わかっているさ。俺の斧で、あなたがたも守ろう」
「くく。ドラゴンスレイヤーの名が偽りでないことを、わたしたちの前で証明してもらいますよ」
ディベラが二本目の串に手を伸ばして、うすく笑った。