第183話 ドラスレ村へ、村人たちの安否は
次の日にヴァレンツァの別宅を引き払い、サルンへと直行した。
サルンへと続く街道のいたるところで兵の姿を目撃する。
逆に行商や旅人はほとんど見かけない。
「どこもかしこも兵だらけだな。物々しい雰囲気だ」
今日は馬の足が遅く感じる。ドラスレ村に一刻も早く向かわねばならないというのに。
「アルビオネ侵入の報せを受けて、皆がぴりぴりしている。サルンとドラスレ村の者たちが心配だ」
アルビオネが侵攻を開始すれば、ドラスレ村はまっさきに襲撃される。
ドラスレ村の陽気な人たちを、俺はだれひとり失いたくない!
クレモナの関所の厳重な警備を越えて、昼夜を問わず馬を走らせる。
北上するごとにヴァレンツァの兵の姿が増えていく。
サルンとカタリアの関所も、今ごろあわただしく警備されていることだろう。
ドラスレ村に到着したのは、ヴァレンツァを発ってから二日目の深夜であった。
ドラスレ村の大きな門は閉じられて、かがり火が煌々と宵闇を照らしていた。
「ドラスレ村に着いたか。門は、閉まっているか」
門の前に村人はいないか。
だが、門の裏にだれかがいるはずだ。
「ドラスレ村の者たち、だれかいるか!? グラートだっ」
門の前で馬を止めて、大きな声でさけぶ。
門の裏であわただしく動く音が聞こえた。
「だれだっ」
「俺はグラートだ。アルビオネ侵入の報せを受けて、至急、帰還したのだ!」
「グラート様だとっ」
警備している者たちは、俺の声を聞いても不用心に門を開けようとしない。
いい警備だ。
門のそばの櫓にのぼる人の姿が見えた。
彼は俺の姿を確認すると、左手にかかげている松明をふりまわした。
「ドラスレさまご本人だっ。ドラスレさまがご帰宅なされたぞ!」
木の重たい門が、ゆっくりと開かれた。
村人たちが槍を下ろして、俺たちを出迎えてくれた。
「ドラスレさま、おかえりなさいませ! ドラスレさまご本人だと知らず、失礼いたしましたっ」
「気にするな。お前たちの厳重な警備は賞賛に値する。これからも、俺の名を聞いてもすぐに門を開けないように」
「はっ」
馬を村人たちにまかせ、ドラスレ村の大きな門をくぐる。
村人たちは深夜にも関わらず広場に集まってくれていた。
村人たちは俺の帰還をよろこんでくれているが、その顔には疲れの色がうかがえる。
しかし、家屋や広場が荒らされている形跡は見られない。負傷している者もいないようであった。
「グラート!」
村人たちと広場に来てくれたのは……ジルダか!
「グラートっ、今まで何やってたんだよ! おせぇじゃねぇかっ」
ジルダも着の身着のままであらわれたが、外傷などは見られないな。
「すまない。ビビアナとプルチアを調査しに行ったり、ゾンフで兵を動かしたりしていたのだ」
「よくわかんねぇけど、サルンに兵がいっぱい押しよせて、大変なことになってるんだぞ! ぼくらが襲われたら、どうすんだよっ」
平時にヴァレンツァの兵がたくさんあらわれれば、だれでも不安になるだろう。
「そのことについて、アダルや村長と早急に話をしたい。アダルと村長はいるか?」
「アダルと村長は、家できっと寝てると思うぜ。みんなの面倒をずっと見てたからな。シルヴィはなんか宮殿の要請を受けたから、今はサルンの関所に行ってると思う」
アダルジーザと村長が、俺の代わりに村人たちを指揮してくれていたのか。
シルヴィオだけは不在だが、サルンの関所にいるのであれば都合がいい。
「わかった。今日はもう遅い。明日の朝に俺の屋敷で話をしよう。ジルダは村の代表者を集めてくれ」
「お、おうっ。そういや、ビビはどこに行ったんだ? いっしょじゃなかったの?」
「ビビアナには別の用事でラグサに行ってもらっている。数日後にはここに戻ってきてくれるはずだ」
「なんで、あんなところに行かせたんだ? ラグサって、なんかあったっけ?」
「その話は後でする。ジルダ、たのんだぞ」
「お、おう」
ジルダが不安げに返事した。
* * *
俺の帰還の報せを聞いて、村人たちはひとまず安堵してくれたようだ。
ぴりぴりとした空気が村に重くのしかかっているが、諍いや刃傷沙汰は起きていない。
村長やジルダなど、村の代表者たちは早朝に続々と顔を出してくれた。
アダルジーザも俺の帰宅をよろこんでくれたが、かなり疲れているようであった。
「早朝にもかかわらず、皆に集まってもらってすまない。だが、急を要する事態であるため、どうか我慢してほしい。また、俺の帰還が遅れてしまい、申し訳なかった。宮殿に出向く用があったため、どうしても帰還できなかったのだ」
居間に集まってくれた村長や代表者たちが、しずかに耳をかたむけてくれている。
「いやいや。ドラスレさまはつねに王命に従い、行動してくださっているのです。あなた様の行動を非難する者は、ここにはだれひとりおりません」
村長が緊張した面持ちで、皆を代表してくれた。
「ありがとう。村長はアダルとともに皆を指揮してくれたと聞いた。領主として感謝を述べたい」
「そんな! わたしたちは当然のことをしたまでです。ドラスレさまに感謝していただくようなことは、何もしておりませんっ」
「そんなことはない。村長やアダルが皆を見てくれているから、俺は安心して宮殿に出向くことができるのだ。これはすなわち、陛下のご意思に従っているのと同義なのだ。みなのはたらきを陛下に奏上することにしよう」
俺のとなりで座っているアダルジーザが、俺の袖を少し引っ張った。
「グラート。話が逸れちゃうから」
「うむ、そうだな。すまない」
アルビオネの特殊部隊の侵入と、彼らによってもたらされたヴァレンツァの混乱について、簡潔に話した。
アダルジーザや村長たちは、村の周辺で発生している異変の正体を認識できていなかったようだ。
「そんな……」
「アルビオネが、ついに攻めてくるのか……」
想像を超える事態に、皆が愕然と言葉をうしなってしまった。
「アルビオネは斥候を放ち、攻撃の機会をうかがっている。カタリアとサルンの警備を強めているが、アルビオネの攻撃を完全に阻止することはできないだろう。
アルビオネの大軍が押しよせれば、ここはまっさきに火の海となる。戦える者だけを残し、女子どもと老人をヴァレンツァへ避難させるべきだと、俺は考えている」
アルビオネはヴァールの復活をもくろんでいるようだが、それは話せない。
ヴァールが植え付けた恐怖は、今でも村人たちの心の奥底に影を落としている。
「だから、シルヴィは関所に行っちゃったのぉ?」
「そうだ。騎士団長のベルトランド様の命令だろう。シルヴィオもあちらで説明を受けているはずだ」
「アルビオネが、また攻めてくるんだ。これからずっと、平和になるんだと思ってたのに……」
アダルジーザの悲痛な言葉に、村長やジルダも顔をうつむかせるしかなかった。
「われら人間と魔物は相容れない。やつらが北に君臨しているかぎり、戦いはいつまでも続くのだ」
「そうだけど……」
「だが、今回はやつらの侵攻に備えている。この間の侵攻と同じようにはならない。安心するのだ!」
アルビオネの侵攻とヴァールの復活をなんとしても阻止する! ドラゴンスレイヤーの名にかけてっ。
「じゃあ、グラートもシルヴィといっしょに関所を守るのか? ぼくらはここを守ってればいいのか?」
ジルダがノドから声を引っ張り出すように言った。
「そうなるのだが、ジルダは俺についてきてほしい。協力してほしいことがあるのだ」
「べつにいいけど、何するんだ? アルビオネの野郎に一撃食らわせるのか?」
「そうではないが、後でくわしく話そう。アダルはここに残ってくれ。ビビアナにもアダルと合流するように伝えている。だが、アルビオネの大軍が侵攻してきたら、ここをすぐに放棄してヴァレンツァへ逃げるのだ」
「うんっ。わかったぁ」
ふたりとも今すぐヴァレンツァへ逃がしたいが、そうするとここで指揮する者がいなくなってしまう。
「村長は戦えない者たちをつれて、ヴァレンツァへ避難してくれ。宮廷にはすでに話をつけてある」
「しょ、承知しました! かならずや、皆を安全に避難させますっ」
「たのむぞ。俺はひとりも失いたくない。道中の兵も殺気立っている。むやみに近づかないように、細心の注意を払うのだ」
これで、領主として一通りの指示を出せたか。
「ヴァレンツァでもアルビオネの動きを察知して、厳重警戒を敷いている。アルビオネの侵攻をかならずや食い止めてくれるはずだ。皆は間違った情報におどらされず、冷静な対処を心がけるのだ!」
「はっ!」
皆の強い声が、俺の気持ちを引きしめてくれた。